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【阿曇氏】海人族【宗像氏】

1 :日本@名無史さん:2011/09/29(木) 18:45:51.75
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?


177 :日本@名無史さん:2013/12/21(土) 11:01:54.08
>>157
紀伊半島に女酋を征伐した神武東遷の故地名草があるが、但馬粟鹿山
南麓の丹波市青垣町大名草も、同族の海人族安曇氏の植民地なのかな?
ttp://rokujigen.iza.ne.jp/blog/entry/2286750/

178 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 15:51:15.66
>>91
安曇磯良は、安曇磯武良(イソタケル?)ともされ、對馬國上縣郡式内社
能理刀神社に祀られている。
神社明細帳に拠れば「神功皇后の時、雷大臣・安曇磯武良を新羅に遣わし、
雷大臣彼地で女を娶り一男を産む。名を日本大臣と云う。新羅より帰り
給う時、浜久須へ上り給う古跡なり」 と。
海人族らしく対岸の韓半島と往来し、混血児も産ませたんだね。
志多留能理刀神社 御祭神:雷大臣尊,霊町命 長崎県対馬市上県町伊奈字向原381
http://www.genbu.net/data/tusima/sitarunorito_title.htm

179 :日本@名無史さん:2014/01/16(木) 04:02:57.07
久米と大伴は同族でしょう。
何らかの事情があって紀記ではそれぞれ別族として記したのだと思います。


 「大伴の 遠つ神祖の その名をば
 大久米主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて
 仕へし官 海行かば
 水漬く屍 山行かば
 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ
 かへり見はせじ と言立て
 丈夫(ますらを)の
 清きその名を
 古よ 今の現に 流さへる」

意訳
======
「我ら大伴氏は、
遠い先祖の大久米主(おおくめぬし)という
神から続く誉れの家柄で、
何代にもわたって大君に仕えてきた。
だから私も、
海を行けば、水に漬かった屍となり
山を行けば、草の生す屍となって
大君のお足元に死のう。
後ろを振り返ることはするまい。
ますらおの汚れない名を守り抜くのだ」

これは、大伴家持の歌で、万葉集巻十八に収録されている長歌です。
原題は「賀陸奥国出金詔書歌(みちのくのくにに金 〈くがね〉をいだすしょうしょを賀〈ほ〉ぐうた)」で、東北地方で金の鉱脈が発見され、そのことを祝った歌として書かれました。
この中で、大伴家持ほどの白眉が自らの先祖を大久米主命と表明しているのです。
紀記の系譜とは別に、大伴氏の内部では連綿と自分たちの出自をこのように伝えてきたということなのでしょう。

180 :日本@名無史さん:2014/01/17(金) 02:07:12.90
シオツチノオジって気になるんだよな

181 :日本@名無史さん:2014/01/22(水) 17:11:32.87
>>132
関係あると思うけどなあ。だいたい和迩氏の祖は天多利思比孤だが、
彼の母は尾張の祖となってる。尾張の祖って海部・尾張その他の祖で海人だ。
天皇家と渡来系以外はほとんどのように海人系でホアカリ系だという伝承だ。
天皇家も海神が先祖だけどね。

関東の縄文人は海の近くに多かった。中部地方は山の民かもしれん。
西日本は鳥浜のように、やっぱり海人が多い。
山の幸と海の幸を両方利用しながら生きてきた先祖が多かったんだろ。

182 :日本@名無史さん:2014/01/22(水) 18:17:11.66
海人族(モーケン族)と山祇族(セノイ族)が共存してたんだろうな。

183 :日本@名無史さん:2014/01/22(水) 19:46:28.64
うん、和邇は海人族だろうね。
また、当時の氏族は中世以降に成立した父系的「家族」ではなく、母系的な「部族」と捉えた方が正しいと思う。

184 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 03:28:07.00
和邇氏と尾張氏の婚姻関係は、単に居住地が近かったためだろう。
和邇氏の始祖の天足彦国押人命は、観松彦香殖稲天皇(諡孝昭)の子で、
日本足彦国押人天皇(諡孝安)の兄。いかにも双子か、ことによると
同一人物かもと思わせる名前だけどな。観松彦香殖稲天皇(諡孝昭)と
日本足彦国押人天皇(諡孝安)の宮はどちらも葛城にある。
尾張氏の発祥地は高尾張だが、これは神武紀に葛城の高尾張邑とある。
居住地は近接している。天足彦国押人命と日本足彦国押人天皇(諡孝安)の
母は世襲足媛で、これは津守氏の出身。本来は津守氏の方が尾張氏の本家筋だ。
尾張氏の影響があるとしても天皇家の本家と同程度という事になる。
但し大日本根子彦太瓊天皇(諡孝霊)や大日本根子彦国牽天皇(諡孝元)が
日本足彦国押人天皇(諡孝安)の子孫かはまた別問題だけどな。
和邇氏は、名前から想像されるのと違って海人族的な活動の記録がない。
彦国葺命が武埴安彦を討ったとか、難波根子建振熊命が忍熊王を討ったとか、
いずれも陸戦だ。これは重要だよ。これが阿曇氏だと、
豊玉彦が海宮で火遠理命を迎えたとか、百足宿禰が値嘉島の土蜘蛛を討伐したとか、
磯良が三韓征伐で活躍したとか、大浜宿禰が海人の宰になったとか、
白村江の戦で安曇比羅夫が指揮官だとか、確かに海に関係する伝承が多い。

185 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 04:30:33.61
それから弥生後期には氏族は成立していたと見るべき。
大和時代のように貴族制度として整備されてはいないが。
古代氏族の系図を見る限りは、弥生後期には父系リネージは成立している。
リネージの訳語は本来は「氏」そのものなんだけどね。
リネージと氏族の違いは、同族の出自の観念はあるが、系譜の個人名の記憶が
残ってないのが氏族、個人名の家族関係で系図がたどれるのがリネージだ。
日本の場合、系図によらない抽象的な神の子孫とかいった社会集団は存在せず、
天照大神などという特定の人格神から、個人名が特定出来る系図でつながっている。
(系図が正しいかはまた別問題。)つまり氏族ではなくリネージが存在していた。
氏族はリネージの上位概念なので、古代日本に氏族があったと言っても間違いではない。
支那にもリネージがあるが、周知の通り日本と違って外婚制(同族結婚の禁止)がある。
外婚制が氏族の必要条件とされていたのは、実はマルクス主義のドグマで、
実際は未開民族でも外婚制があるのは意外と少数なのだ。右寄りな人でも、
妙な所でマルクス主義のドグマに染まってたりするから始末が悪い。
マルクス主義が歴史学に流した害毒は非常に大きい。
外婚制にならない条件が何かは重要なので書いておく。
「(古代に)シャーマニズムが盛んな民族は外婚制が発生しにくい。」
確かに日本、ヨーロッパ、アラブとか軒並みそうだ。
逆に支那とかアイヌとか外婚制がある民族は確かにシャーマニズムは弱い。
なお古代の弔賎はシャーマニズムが盛んで外婚制はなかった。
その後支那の制度を取り入れて外婚制が定着した。愚劣な事大主義の典型だ。
また氏がなくなって家制度に代わったのは平安中期頃とすべき。
養子を取る時に、平安前期までは同族内から迎えるのが一般的だった。
その頃までは父系同族という観念は残ってた。

186 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 11:35:03.14
>>184
おいおいW
安雲って・・安倍は海部・安雲と母系で同族だが
安倍比羅夫は、安倍比羅夫と記載しましょう。

187 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 12:05:22.16
>>186
おいおい阿曇比羅夫は、安倍比羅夫とは別人で実在した天智朝廷の
高官だぞ。
白村江の戦で安曇比羅夫が指揮官だとか>>184紀に記事があったはず。

188 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 20:05:35.40
食物の女神で伊勢神宮外宮祭神豊受大神が、海神族出身なのか?
神々の系譜と海神族の初期分岐過程  2012.7.23
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/shintoufu/shintoufu1.htm

189 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 21:36:31.25
海人族という現代人のはったラベルにとらわれ過ぎるとアカン

190 :日本@名無史さん:2014/05/09(金) 22:13:17.43
西日本の弥生人は、縄文時代からの漁労を引き継ぐという意味で、みんな基本
海人だったと思うな。

191 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 00:37:55.42
古事記が書かれるより遥か昔から志賀島にいたのかな?
それとも倭の衰退や滅亡の頃に、倭の敵として志賀島を抑えたのかな?

ムナカタに関しても。天武という人物が何物だったかによるね。天智との兄弟関係や息子との親子関係、あやしい。どうも天武は倭人系とは思えない。でも天武が倭人系で天智が違うって考える人もいる。
神道臭さを感じさせる者は狛人に思えて仕方ない。注連縄とか建物の感じは倭の感じだったとしても。まつり方は倭より狛人(ワイ、高句麗)なんじゃないの?
もしアズミやムナカタが倭の豪族なら、倭の正しき歴史が伝承されてていい。
万葉集の中には、倭の正しき歴史のヒントを後世に残そうと苦心した人たちもいた。
アズミやムナカタなどはそういう努力を何かやったかな?
ろくにやってなければ倭が消えたほうが好都合の側だろうか。

志賀島は鹿に関係が深い。志賀島や能古島には鹿がたくさんいたんだよね。鹿が海を泳いで移動するのは昭和時代まで見られた。
でも鹿がいたから鹿島ってなったかどうかはわからない。近い島(近島)が志賀島になったと言う人もいる。

192 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 01:28:03.57
三韓征伐。広開土王碑文や倭王武など。
倭の豪族は三韓を見下し、三韓側は倭に屈辱を味わった。特に新羅は。
白村江の戦後は逆に、倭人は新羅に屈辱を味わう。
とにかく新羅を憎い。勝利した新羅側は倭を侮辱。新羅はその後ずーっと北部九州へ執拗な嫌がらせ。だからますます北部九州は三韓征伐伝説を崇めた。いわば嫌韓が筑前国の国教になった。特に嫌新羅。

本州は狛人や蝦夷だけでなく、新羅人も多く生息していた。たとえば敦賀には新羅神社など新羅由来が多い。
宿敵新羅人が住み着ける地域は、相対的に倭人は考えられない。いたとしても少数・劣勢。本州は源新羅三郎とかって新羅を誇りにする風潮。近代になるまで確かにあった。倭人系の感覚では考えられない。
で、アズミは能登などにもいた。志賀島と同族間で交流。敦賀を経由しただろう。もちろん出雲も通る。能登からの日本海側の集落と友好的だったから可能。

出雲といえば神在月。旧暦10月を盛大に祝う。狛人(ワイ人、高句麗人)の特徴。三国志の時代にも狛人はそう。倭人がそうだったとは記されてない。
アズミが狛人か新羅なら日本海側を航海しやすい。

193 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 01:28:44.80
古事記が書かれるより遥か昔から志賀島にいたのかな?
それとも倭の衰退や滅亡の頃に、倭の敵として志賀島を抑えたのかな?

ムナカタに関しても。天武という人物が何物だったかによるね。天智との兄弟関係や息子との親子関係、あやしい。どうも天武は倭人系とは思えない。でも天武が倭人系で天智が違うって考える人もいる。
神道臭さを感じさせる者は狛人に思えて仕方ない。注連縄とか建物の感じは倭の感じだったとしても。まつり方は倭より狛人(ワイ、高句麗)なんじゃないの?
もしアズミやムナカタが倭の豪族なら、倭の正しき歴史が伝承されてていい。
万葉集の中には、倭の正しき歴史のヒントを後世に残そうと苦心した人たちもいた。
アズミやムナカタなどはそういう努力を何かやったかな?
ろくにやってなければ倭が消えたほうが好都合の側だろうか。

志賀島は鹿に関係が深い。志賀島や能古島には鹿がたくさんいたんだよね。鹿が海を泳いで移動するのは昭和時代まで見られた。
でも鹿がいたから鹿島ってなったかどうかはわからない。近い島(近島)が志賀島になったと言う人もいる。

194 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 04:32:17.78
>>190
>縄文時代からの漁労を引き継ぐ・・・・・・・・・
何のため必要だったというの?特に、海沿い・川沿いではない地域居住
民にとって。
西日本の弥生人>>190とは、稲作舶来渡来人子孫、稲作舶来渡来人子孫と
先住縄文人子孫との混血人、先住縄文人子孫のどれを指しているの?

195 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 10:41:22.17
単なる農耕民は対馬海峡を渡る技術を持っていなかっただろう。
縄文時代からあの海域を渡れる民族は変わらず、それがいわゆる倭人なのだろう。

196 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 14:02:51.87
>>193
>鹿がいたから鹿島って・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代からの地名・神社名を用字から由来を考えるのは、避けるべき
では?「対馬」のように漢字の表意に関係なく音韻文字として当てられて
おるから。「鹿島」にも下記例のように「香嶋」「加島」表記がある。
全国「鹿島」地名一覧
◆太平洋側
佐賀県鹿島市古枝乙1855  祐徳稲荷神社
愛媛県松山市北条辻鹿島 鹿島神社
愛媛県南宇和郡愛南町鹿島 
広島県呉市倉橋町鹿島
兵庫県姫路市家島町男鹿島 家島神社
兵庫県姫路市家島町加島
兵庫県高砂市鹿島川   鹿島神社
大阪市淀川区加島
京都府京田辺市香嶋里  
三重県亀山市北鹿島町/南鹿島町    
岐阜県岐阜市上西郷鹿島西          鹿島神社
愛知県海部郡蟹江町蟹江新田鹿島       鹿島神社
愛知県蒲郡市鹿島町鹿島           鹿島神社
愛知県北設楽郡設楽町田口鹿島川

197 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 14:05:23.98
静岡県浜松市西区呉松鹿島原         鹿島神社   
静岡県浜松市天竜区二俣町南鹿島
静岡県牧之原市勝俣鹿嶋           鹿嶋神社
静岡県静岡市清水区西久保鹿島前       鹿島神社
静岡県富士市依田原鹿島道西    
山梨県南巨摩郡富士川町鹿島羽鹿島     
神奈川県相模原市南区上鶴間日影山鹿島下   鹿島神社
神奈川県川崎市幸区鹿島田          鹿島神社
東京都品川区大井6丁目鹿島谷        鹿島神社
埼玉県川口市安行領根岸鹿島      
埼玉県さいたま市浦和区高砂鹿島後     
埼玉県坂戸市石井鹿島      
埼玉県熊谷市板井後鹿島           出雲乃伊波比神社
埼玉県入間郡越生町古池鹿島         鹿島神社
千葉県鴨川市東江見鹿嶋      
千葉県千葉市緑区小金沢町鹿島田     
千葉県市原市玉前上鹿島崎    
千葉県君津市常代鹿島前     
千葉県富津市上飯野上鹿島     
千葉県木更津市請西鹿島塚     
千葉県匝瑳市金原鹿嶋後     
千葉県野田市野田鹿島下           鹿島神社
千葉県我孫子市中峠鹿島前          鹿島神社
千葉県佐倉市将門町鹿島台     
千葉県山武市松尾町武野里鹿島沼     
千葉県香取郡神崎町古原甲鹿島前     

198 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 14:06:30.10
茨城県牛久市久野町鹿島山          鹿島神社
茨城県取手市椚木鹿島前     
茨城県かすみがうら市下土田鹿島明神      鹿島神社
茨城県下妻市見田鹿島            鹿島神社
茨城県鹿嶋市宮中鹿島山           鹿島神宮
茨城県稲敷市須賀津鹿島            鹿島神社
茨城県土浦市飯田鹿島      
茨城県つくばみらい市福岡鹿島東        鹿島神社
茨城県つくば市君島鹿島           鹿島神社
茨城県常総市鴻野山鹿島窪     
茨城県北茨城市磯原町豊田 鹿島       鹿島神社

◆日本海側
島根県浜田市三隅町湊浦鹿島      
島根県出雲市大社町日御碕かじま    
島根県松江市嫁島町嫁ヶ島
兵庫県豊岡市竹野町竹野賀島山     
京都府京丹後市大宮町周枳鹿島田     
石川県加賀市塩屋町鹿島の森    
石川県白山市鹿島町              鹿島神社
石川県羽咋市鹿島路町鹿島路     
石川県鹿島郡中能登町鹿島
石川県七尾市香嶋津       
石川県鳳珠郡穴水町鹿島      
富山県富山市鹿島町              鹿島神社
富山県下新川郡朝日町宮崎鹿島樹叢       鹿島神社
長野県大町市鹿島槍ヶ岳 
長野県大町市平鹿島      
新潟県柏崎市北条鹿島 
福島県会津若松市大戸町小谷鹿島前          
http://bunkasi.com/?page_id=65

199 :日本@名無史さん:2014/05/10(土) 14:31:41.80
>>195
スレタイ海人族>>1の意味を、誤認しておられるのでは?彼らは、
漁民であるだけでなく海上交通・交易、更には水軍活動も担っていた。
海洋民>>79>>70と表記するのが適切な存在。
だから陸の民の対馬海峡>>195縦断輸送はむろん、政権と半島・大陸諸国との
交易・外交にも従事。この分野に従事していたから、記紀に登場しておるわけだ。

200 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 11:00:30.66
日本の支配者階級の文化といえばお歯黒
海人もお歯黒はしていたんだろうか?

201 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 12:15:34.06
お歯黒は朝鮮伝来だが

202 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 14:13:29.61
いつの時代の朝鮮のどこから伝わったの?

203 :日本@名無史さん:2014/05/12(月) 22:28:12.95
キチガイと白痴も朝鮮伝来だな

204 :日本@名無史さん:2014/05/14(水) 00:26:01.91
>>201
お歯黒も海外から伝来したものには違いないが南方系の習俗だぞ。
百済に黒歯氏ってのがあるからウリナラ起源ニダ、かw

>>196
茨城の鹿島は当て字だけど、志賀島の語源が鹿島ってのはありうるんじゃないか?

205 :日本@名無史さん:2014/05/14(水) 00:35:17.51
魏志倭人伝には黒歯国が東南の海中に有りと書いてある
黒歯氏も日本経由で半島に渡ったんでね?

206 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 17:39:37.22
卑弥呼も神武も安曇族とした場合、さらに徐福も日本に来たとした場合
時系列からするに先に徐福は静岡、愛知の辺りを統治していて
ならば、九州勢の邪馬台国は徐福の後継?

207 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 16:15:13.82
なぜ大伴氏の話題が・・・

軍事貴族で朝廷から軍を編成するのが任務の一族だろうが

208 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 23:32:28.19
>卑弥呼も神武も安曇族とした場合、さらに徐福も日本に来たとした場合

なんの論証もなくそんな突拍子もない前提ダブルで話すすめて
しかも結論も自前で用意w そんな独り言されてもなw

209 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 21:25:02.60
>>194
え?何のためのって、初期の弥生遺跡って海とか川とか湖の近くばかりじゃん。
今の地図では内陸になってるけど、当時なら。
稲作もしてるけど、漁労もし、もちろん狩猟もどんぐりも。
そんで交易もしてる海人。

210 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 22:32:13.19
>>209
>弥生遺跡って海とか川とか湖の近くばかり・・・・・・・・・・・・・・・・
例えば島根県荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡、福岡県板付遺跡、岡本遺跡
これらのどれが、海べり・川べり、湖べり立地だというのかね?
これらのどれから漁撈用具が出土したというのかね?
コナラの実の通称どんぐりは落葉樹だが、弥生先進地の北部九州に
落葉樹林帯が当時あったというのかね?

211 :日本@名無史さん:2014/05/21(水) 10:10:34.83
>>210
「初期の」を意図的に無視してバカみたい

212 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 06:01:59.80
>>211
例示した遺跡は、弥生時代でも初期の遺跡なんだがねえ。

213 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 10:33:33.48
>>212
へえ弥生前期に青銅器が全盛だったのかw

214 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 20:18:59.52
>>204
鹿島「カ・シマ」の「シマ」はヤクザのシマと同義なのだろうが、
「カ」ってどういう語義なのだろう?志賀の「カ」と類縁なのか?

215 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 21:22:15.22
>>212
すまんが、弥生初期って加茂岩倉が入るのか?
オレは突帯文土器様式〜遠賀川式土器の時代だと思ってたよ。
妻木晩田遺跡も素晴らしいが、初期なんていう専門家がいたかなあ。

216 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 21:34:24.61
>>210
どんぐりは落葉樹ばかりではない。
西日本の神社近辺の照葉樹のどんぐりはここ数年大豊作だ。

217 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 21:12:34.71
>>179
>久米と大伴は同族でしょ・・・・・・・・・・・・・・・・・
同族もなにもサヌ(後の神武)一行の親衛隊久米族の族長大久米命こと
天櫛津が、大伴氏の始祖だろう。
天皇家の近臣(伴)中の最有力者だから、「大伴」。だからこそ家持が、
> 「大伴の 遠つ神祖の その名をば
> 大久米主(おおくめぬし)と・・・・・・・・・・・・・・・
と、一族に向けて言上げした。
記では、大久米命と大伴氏の始祖天忍日と両人が登場するが、
これは記編纂時の大伴氏の地位の反映だろう。野卑な久米唄を
持つ久米氏とは別系統にさせたのだろう。
神武東征 http://ku1924.obunko.com/souran-0010.htm

218 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:25:08.10
長州安倍首相家が、安曇氏の末裔って本当なのか?
436 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/14(土) 13:19:14.85
>>434
・・・・・・・・・・安倍氏は、天孫系皇統系譜・安曇氏族系と言われているからね。
出雲大社・島根の神社仏閣 その15
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1396065426/434-436

219 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 06:01:53.05
五島について肥前国風土記曰く、
「値嘉島の白水郎は馬・牛に富めり。此の嶋の白水郎は、容貌、隼人に似て、 恆に騎射(つねにうまゆみ)を好み、其の言語は俗人(くにひと)に異なり。」

三国志中の州胡は、済州島のこととされるけど、
五島列島のことを指している可能性はあるのかな?

220 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 10:53:25.78
当邑(木坂村) 産に臨んで 俄に産屋を効に造り、其の産舎の未だ成らざるうちに分娩すと云。之を原上りと曰ふ。是乃ち土風なり。相伝えて豊玉姫の安産に倣うの遺風也
『対馬紀事』(1809)

江戸時代にも、神話みたいな風習が残っていたんだな。

221 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 13:55:20.81
〔だだが鼻〕
男が訪れてきた見知らぬ女を妻にむかえた。女は、出産のとき決して産屋をのぞかぬようにと男に頼んだ。
だが約束を破って産屋をのぞいたところ、大蛇が子を産んでいた。
女は、見られてしまってはもう一緒には暮らせないと去っていったが「もし子供が泣いたら岬へ出てわたしを呼んでください。」と言った。
男が、子供をだいてだだを踏むと、女は男木島から帰ってきて乳を飲ませたという。
大蛇は男木島の玉姫神社におまつりされ、安産の神様になっている。
『新編 香川叢書 民俗篇』

これも日向神話が民間で蛇女房の話に変わった例として面白い。

222 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:24:17.60
>>60
海部氏・尾張氏同様に天火明命を祖とする伊勢神官家度会氏も、海人族と
いうことか。
180 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/06/25(水) 13:56:05.22
・・・・天火明命は、海洋氏族安曇氏と同類の海部氏族・度会氏・尾張氏の祖神。
週刊 日本の神社
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1391088657/180

223 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 10:18:38.43
『ムラユ王統記』@
マケドニアのアレクサンダー大王は、東方に遠征し、インドの王ラジャ・キダ・ヒンディと戦い、これを制した。
大王はラジャ・キダ・ヒンディの娘と結婚し、息子をもうけた。
大王はその後、マケドニアに帰還したが、その子孫は、インドに残った。
その子孫の一人、ラジャ・チュランは全インドを支配下におさめ、中国を征服するために遠征に出かけた。

シンガポールまで進軍したラジャ・チュランは、遠征を阻止しようとした中国の船乗りに、中国はまだ遠いことを聞かされた。
王は中国遠征を止め、その代わりにガラス箱に入って、海に潜った。
海の底には海中の王国があり、王は海の王と出会った。
ラジャ・チュランは、自分が地上の王であることを告げると、海の王に迎え入れられその娘と結婚することとなった。
それにより、三人の息子をもうけた。
ラジャ・チュランは、息子たちが成人したら地上へ送ることを頼み、インドに帰って行った。

224 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 10:34:06.26
『ムラユ王統記』A
成人したラジャ・チュランの息子たちはパレンバンのブキット・シグンタンに降臨した。
三人が降臨したとき、その丘の頂上は黄金となり、稲穂は金粒となり、稲の葉は銀、茎は金銅となった。
パレンバンの首長ドゥマン・レバル・ダウンはアレクサンダー大王の子孫と称する三人を迎えいれた、

やがて、うわさを聞き付けた周辺各地から、人々が三人に表敬訪問に訪れた。
これにこたえて、長男はミナンカバウの王に、次男はタンジュプラの王に、三男はパレンバンの王となった。
三男はスリ・トリ・ブアナ(三界(水界・地上界・天界)の王)と名乗り始めた。

スリ・トリ・ブアナは海辺に町を作りたいと考え、レバル・ダウンと一緒にビンタン島に赴いた。
ビンタン島の女王は、ブギット・シグンタンに降臨したスリ・トリ・ブアナを遇し、彼を養子として迎えいれた。
スリ・トリ・ブアナはビンタン島の女王の支援を得て、シンガポールへ至ろうとした。
海は嵐が起きて荒れていたが、海の王の子孫であるスリ・トリブアナは荒ぶる海を静め、シンガポールに上陸した後、町をつくった。

このスリ・トリ・ブアナのひ孫がマラッカに移り、建国したのがマラッカ王国である。

225 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 10:40:54.05
マラッカ王国の神話って、日向神話と構造が似てる気がしたので、書き起こした。
・絶対的な王者 アレキサンダーの子孫-天孫
・海底の海の王の娘と結婚
・三界の王
・降臨地と建国地は異なる
・ひ孫が建国

226 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 12:55:20.55
>>32
信濃國更級郡の論社氷金+色斗賣神社の主祭神「宇都志日金拆命」(うつし
ヒガナサクのみこと)は穂高見命の別名、社名「氷銫斗賣」(ヒガノトメ)は
穂高見命の妃か妹説があるから、安曇族は中信の安曇郡だけでなく北信の
更級郡にも植民したということか?

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