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江戸時代庶民に苗字〜それは明治8年2月13日遡る

1 :地家ヤスマサ:2012/06/20(水) 14:20:34.98
江戸時代に百姓、町人に名字がなかったというのは間違いです。
名字は存在していましたが、江戸幕府の政策で庄屋、名主や旧家、大商人など許された人しか名字を公に名乗れなかっただけです。
いわゆる名字・帯刀を許されたという表現です。多くは名字のみ許されたケースが殆どで、名字・帯刀を許される場合は稀でありました。許されても一代限りということもありました。
また藩内では名乗れても、藩の外では公に名乗れないなどの制約もありました。
お金や養子縁組によって武士の身分や郷士、下士の株を買って、名字・帯刀を手中にした場合も多々あります。
お寺の寄進帳(寄付者の名簿)や過去帳(檀家が代々記してある)には名字を名乗っている場合も多く、ここを調べることは大変重要なことです。
http://roots-origin.jugem.jp/?eid=9

2 :地家ヤスマサ:2012/06/20(水) 14:22:28.25
さて前置きはこのあたりにしまして、日本国中の誰もが名字を名乗るようになったのは、明治維新後の明治8年2月13日の「平民苗字必称義務令」からです。
(明治3年の平民苗字許可令がありますが、課税されることを恐れて届け出は少なかった)

ここで名字を公に名乗ったり、つけたりしました。
必ず、名字にはそれ相当の理由があって名字をつけます。
ルーツを知る上で、大変重要なポイントです。
江戸時代に武家で名字を公に名乗っていたは場合以外で、「平民苗字必称義務令」で明治8年に名字を届け出た場合の解説です。



3 :地家ヤスマサ:2012/06/20(水) 14:23:26.94
@江戸時代以前に武士であったが帰農した。江戸時代以前の名字を名乗る
A江戸時代から公ではないものの名字を名乗っていた
B江戸時代以前の先祖が名乗っていた名字を復活させた
C江戸時代から名字を名乗ることを許されていた
D庄屋、名主、お寺の住職などの方につけてもらった
E地域や集落で連帯感を表すためにみんなで名乗った
F自分で考えて名字をつけた

この7つのケースにほぼ集約されます。
まずどのケースかご先祖を調べてください。


4 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 14:55:47.32
>>1
江戸時代は学校も義務教育もなく漢字の読み書きができない民衆に苗字はないよ
漢字を知らない民衆がどう名乗るんですか?
名乗れなかったではなく根本的に漢語文字を知りません

5 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 17:12:47.34
>>4
読み書きできなくても苗字は名乗れる
読み書きできない民衆が権左衛門とか又吉とか
どうやって名前を名乗れたと思うの?

6 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 19:23:59.10
漢字を知らなくても会話はできる

7 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:07:27.63
会話=読み書き必要無し
苗字=漢字は必須
漢字を習得してない平民は当然苗字無し




8 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 00:20:09.36
いまは戦後日本人
(戦後になって帰化、または帰化せず日本的な俗名を名乗る)
がけっこう多いから
明治、江戸までさかのぼれる
名字の人は真性日本人として貴重。

9 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 03:39:23.47
真の日本人は、元を遡れば源氏か平氏に行き着くんですよね?

10 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 06:59:23.23
具体的な話はどう
例えば、我が家の名前「山本」
お隣の家名「藤田」さん
いつごろからある氏名かしらね。明治8年以降?

11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
持っている。

12 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 11:41:02.49
>9
結局は
東京大手町に住んでいる人の所につながっています。

13 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 11:44:10.86
明治になって急激に苗字が出てきたのも
言い伝えで名前が伝わっていたからと言える。
忘れ去られた場合も多かったが
思った以上に苗字は存在していた

14 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 12:11:55.41
日教祖は嘘を教えるな
武士以外は苗字はない

15 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:12:38.32
伊能忠敬とか商人だけど苗字あるな。

16 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:19:43.83
江戸時代に百姓一揆を主導した涌井藤四郎なんていうのも
庶民(町人)なのに苗字があるよ
同じく幕末の百姓一揆主導者、夏目原村は百姓だ
こちらも苗字持ち

17 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 13:55:48.15
佐原の名主であった伊能忠敬は領内においては代々「伊能」姓を許されていたが
領外でこれを名乗ることが出来ず、57歳の時に蝦夷地測量の功績によって江戸幕府から
改めて苗字帯刀の許可を得て佐原以外でも「伊能」姓を名乗ることが許されている。
また苗字と帯刀の特権は必ずしも一体ではなく、苗字は認められても帯刀は認められない例や
苗字は子孫への伝承を許すが帯刀は授与された当人一代に限った例もある。
江戸時代も身分制度は、とにかく細かい

18 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 14:31:45.88
そんな僅かな著名人はどうでもいい
全ての庶民に苗字があったことにはならない








19 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 14:37:11.99
>>18
江戸時代は寺請制度によってすべての庶民はいずれかの寺に登録され
寺が墓の管理を行った
苗字がなければ寺はどうやって先祖代々の墓を管理したのか?
誰がどこの墓に入ればいいのかわからなくなってしまう

20 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 14:57:31.23
寺は戒名
苗字不要

21 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 15:30:21.35
>>14
>日教祖は嘘を教えるな
>武士以外は苗字はない

貴重なサンプルだw
日本人の多くが苗字を持ってた事実すら知らないド低脳が日教組叩きしてたのか
それ以前にお前日本人じゃないだろ?
こういうところで墓穴を掘って、化けの皮が剥がれてくんだよね

22 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 15:41:00.05
>>18
>そんな僅かな著名人はどうでもいい
>全ての庶民に苗字があったことにはならない

いやあ、日教組批判してる奴が外国人だという証拠が見つかるとは思わなかったよw
日本人であれば、武家以外の大多数の庶民が苗字を持ってた事なんて、こういう板に来る人なら普通に知ってる
山間部行ってみ
落ち武者の家系で、鎧兜に本物の刀まで残ってる家とか普通にあるからw
江戸時代は当然農家だったが、ちゃんと先祖伝来の苗字とかも伝わってる
庶民が苗字を持ってた事を知らない=あんたに日本人の知り合いが殆どいない証拠になるんだよ

23 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:07:21.20
普通、逆だよなw
「学校では殆どが農民で苗字なんてなかったと習ったぞ!ネトウヨは捏造すんな!」
って騒ぐところだろうにw

24 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:34:57.58
>>33
鎌倉時代まで、武家は相続を長子単独でなく、分割相続にしてたんだよな
しかも上級武士は除けば、武士は普段は百姓仕事をしていて、農民と見分けがつかなかった
貰う土地が少ない末の末の家系なんて、ほとんど農家と変わりゃしなかったんじゃないかな
この分割相続によって田舎の土地を貰った武家が土地の村名を名乗ったりして、苗字も増えて行った
江戸時代の農家の中には、そうした武家をご先祖さんに持つ家系が普通にあったし
もちろんその種の家系からの分家だって腐るほどいた
農家にはこの他、戦国期に武家や地侍(郷士)だった家系というのもかなりある
戦国期の兵農分離というのも、農民と武家が分離してたら必要ないものだしね
日本史板に来てて、それでこういう話を知らないっていうのはかなり変だわ

25 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:51:43.41
「田中」は漢字が書けない農民でも書ける定番苗字
これ本当だよ

26 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:58:15.26
>>20
字が読めないのに寺は戒名つけたんだなw
で、当の農民たちは自分の親の戒名が分からないとかw

27 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 19:54:48.80
たしかに学校では
江戸時代は八っつあん、熊さんとしか名前がなくて
明治時代に名字を創ったと教育してたな。

28 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 20:03:23.79
我が地域の大半は、伊や井の字は使わず
代わりに居を使う 井伊の殿様にはばかってのことであろう

29 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 23:13:51.68
>>27
それが事実に反するわけだよね
既出と思うけど、「公称」が禁じられていただけだし
土地の神社への奉納とかだと、普通に苗字が記されてる
確かに苗字のない人達もいたとは言われているけど
本当にごく少数派だったという話も聞いた事がある
祖父母が戦前の生まれなら、試しに苗字の由来について聞いてみ
大抵の家では江戸時代には○○と名乗っていたって話が残ってるから

30 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 23:31:11.68
ひとつの町に同じ名字ばかり!?
http://www.tvkanazawa.co.jp/article/program/apg_detail.php?apg_id=273

31 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 23:31:37.19
まあ苗字のない人間って犬以下のようなもんだから
屈辱的だわな
公称ではないけども勝手に名乗ってたのがほとんど

32 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 01:31:05.63
おれの母方の先祖が残した文書によれば、維新前でも、多くの農民は名字を持ってたらしいな。

土着の豪族が戦国時代まで支配していた土地で、最末期に豊臣秀吉側に滅ぼされ、
その家臣群はほとんどが帰農した。

新しい領主から見ると、農民たちが勝手に旧支配者統治時代の苗字を名乗ってるに過ぎない
状態だったろうが、明治になると多くは戦国時代まで名乗ってた苗字に復帰したらしい。



33 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 08:26:38.63
江戸時代になると「苗字」を名乗るのは武士階級と特別に貢献した
医者・学者・商人など一部の人間に限られるようになりました。
そして、もし僭称したら罰金や刑罰が科されたようです。
そのため、明治三年に「平民苗字許可令」が公布され国民全部に苗字
を名乗ることが許されたものの、平民は罰金や刑罰が科されるのではないか
と疑い、なかなか申告する者が現れなかったようです。
その為、明治八年に「平民名字必称義務令」を布告して苗字の創設を強制
しました。
しかし、平民はどう名乗ったら良いか分からなかったので、
多くの人は神主や僧侶に命名を依頼したようです。
これによって、ある程度「氏家制」に基づいた命名がなされた
(神社やお寺には先祖を示す資料があったから)ようです。

34 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 12:04:39.19
苗字には当たらないよ、屋号だよ〜ということにして
実際には江戸時代の庶民も苗字相当のものを名乗っていたよ。
寺請制度によって寺は壇家を把握し、通行手形を発行しなければならなかった、
だから江戸時代の寺には過去帳が残っているが苗字相当のものが書かれてある。
奈良時代、班田収授のために造られた戸籍でも「○○部」など家族ごとに共通の
苗字相当のものが名前の前につけられていた。
これらは厳密に言えば朝廷から与えられる「姓」でなければ江戸幕府が公式に認めた「苗字」でもないが
苗字相当のものであったとしかいいようがない。

35 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 15:20:27.25
>>30 結論として民衆に苗字なんかないじゃん
   

36 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 16:29:15.26
>>30
そんな特異な例を持ち出されてもw

37 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 16:38:06.70
例えば、石川五右衛門というのは、その存在(16世紀)は確実らしいが、
盗賊でありながら苗字が残ってる。

公的機関が苗字を与えたとは、到底考えられないが、
ちゃんと苗字が歴史に残ってる。

38 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 17:22:29.11
多くの人は明治になって作られた江戸暗黒史観にとらわれすぎてるな。
士農工商を身分制度と結びつけるのもその一つ。
江戸時代の実際の身分制度は遥かに複雑で、単純に士農工商では片付かない。

オレの前住んでた町は、江戸時代、将軍家の御鷹場だったが、野廻り役という役回りがあり、
これは鷹匠や将軍の現地案内役で、将軍にも口をきく必要があるため立派な士分で当然名字帯刀。
面白いのは、この野廻り役に任命されたのは地元の旧家の分家筋の家。
本家は百姓身分だが、分家の侍が本家を訪ねたら下座に座ることになる。
この席次は、本家に将軍や鷹匠が休憩に現れた時も変わらず、本家の方が上である。

ちなみに苗字は当然同じで、分家の侍は公称できて、本家は公称できない状態だが、




39 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 18:39:02.17
>>34
水戸藩では、墓には名字を刻んで良かった。「誰の家の墓か解らないと困る」という領民からの陳情に、徳川斉昭が正式に許可を出してる。

40 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 19:08:32.29
>>37
>公的機関が苗字を与えたとは、到底考えられないが

苗字って、公的機関が与えるものってわけでもないんだけどな
古代豪族の場合、自分達の氏をきちんと持っていたからね
源平のように、臣籍降下の際に賜るものもあるし
古代には氏姓制度に基づいて与えられた氏が沢山あったとも言うけど

現在の苗字というのは、源平と藤原氏の子孫は
全国津々浦々に領地を得たり、官職等を得て散っていき
その際に地名や職名を新たな苗字として名乗る事で成立してる
本姓なんて言葉があって、例えば家康をフルネームにすると
徳川朝臣源家康(徳川が苗字、朝臣が姓、源が氏(本姓))とかなっちゃう
従って苗字そのものは公的機関から与えられたものってわけではない
勝手に土地の名前とかを名乗ってるだけだから

もう一つの系統が、庶民が名乗ったとされる仮名(けみょう、字(あざな)呼名(よびな)ともいう)で
「住んでいる村の名前+何番目の子供かを示す言葉」とか「縁起のいい漢字+何番目の子供かを示す言葉」とか
まあそんな感じで、平安時代には、庶民が普通に苗字を名乗ってたりしたらしい

なお五右衛門については豪族や武士だった説があるので、ただの泥棒じゃないよ

41 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 21:16:42.06
>>36
田舎だとどこもこんな感じじゃね?
うちも地域ごとに名字固まってるし、名字だけでどこらに住んでる人なのか大体分かる
それが方角なのは珍しいけど

42 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 21:34:15.63
>>41
>うちも地域ごとに名字固まってるし、名字だけでどこらに住んでる人なのか大体分かる

その種の現象は、地域に入って土地を開拓した人の子孫が増加した為に起きた現象であって
苗字がなくて何かからつけたという事を必ずしも意味しないわけだけど

43 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 22:53:45.79
じゃあ、小林一茶なんかどうかな?
彼は農民なのに、小林という姓を持ってる
でもこの謎解きって本当はさほど難しいものじゃない

http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html
>信濃の小林氏は伊那郡と諏訪郡から発祥した二つの流れがあり、いずれも諏訪神家にゆかりがある。
>諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族であり、伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。
>知久氏は清和源氏満快流だが、諏訪氏と姻戚関係があり諏訪氏とは同族とみなされる。

http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/top_10.htm
>小林姓は、信濃国伊那郡小林邑発祥、諏訪神家族、清和源氏満快流知久氏族、上野国緑野郡小林邑発祥の清和源氏為義流などが主流、
>他に村上源氏、桓武平氏、藤原氏、橘姓、菅原姓、大神姓、壬生姓、小子部姓など。
>長野県の小林氏は、清和源氏満快流知久興阿の子行阿を祖とするが、源平盛衰記に見える小林神五宗行などの諏訪神家族小林氏と
>上野発祥の清和源氏系小林氏が交錯して後世清和源氏、藤原姓を称した一族も多いものと見られる。

長野県の名字ランキング 1位から100位まで
http://namaeranking.com/?search=%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0&tdfk=%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C&namae=%E5%90%8D%E5%AD%97
>1 小林 16,350 2 田中 6,200 3 中村 6,149

実は長野って小林姓が多い事で有名なんだよね
まあ複数の一族が小林氏を名乗った事が原因なんだろうと考えられるけど

一茶が小林氏なのも、これらのどれかにご先祖様のルーツがあって
家系図をつけてなかった為に出自が明確じゃなくなってるとか、そんなんじゃないかなと

はっきりしてる事は、庶民は家系図をつけないし、過去帳の扱いも意外とぞんざいなので
出自が武家にあっても、それがわからない家系が山のようにあるって事だよ

44 :日本@名無史さん:2012/06/23(土) 01:15:22.58
うちの近所の墓だけど
江戸期の物にも結構苗字あった

45 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:26:28.84
本とドあほばっかやのーーw偏差値いくつだよおたくらw
仕方がない教えてやろう。
苗字の一考察という論文を俺が書く場合、こうなる。
苗字という概念を持って名乗っていたのか?ということだ。
庄屋クラスならもともと苗字は持っていたのは言わずもがな。
下級武士クラスのほうが江戸初期は苗字ないものが多かったと推測できる。
それはおいておいて、末端の農民も苗字に属する使い分けとしての苗字を持っていたと推測できる。
おそらく中世は固有の苗字という概念自体が上流階級にしか存在しないはず。
江戸に入り、名前だけでは税徴収の観点から不合理が目立つ。
よって、田んぼが上のほうにある上田の三郎とか、北に田んぼがある北田の次郎といった使い方。
それらは苗字として意識したものだったのかは不明。しかし、苗字とは賜姓以外はこんなのが原型。
ステータスという意識は生活苦からそういう余裕のある潜在意識は存在しなかったようにも思える。
しかし、確実にいえることは、上層農民以上に、江戸下級武士層のほうが、固有の苗字など持ってなかった。
この下級武士層ですらその後苗字をあてがわれてるんだから、一般層も、上記のような概念で苗字の原型となるようなものは持っていたと推測できる。
そもそも下級武士や足軽程度も苗字など名乗らせてもらえない藩など腐るほどあるだろが!!

46 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 21:14:48.21
少なくともうちの地域は江戸時代の検地帳や地割帳には庄屋含めて百姓には苗字無かったよ
村の中で名前がかぶっていなければ何ら支障ないから
何代にも渡って同じ名前を名乗っていてそれが転じて屋号になっている



47 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 21:49:04.50
>>46
公式には苗字を名乗れなかったんだから公式記録に載っているわけがない

48 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 21:59:44.25
>>46
墓調べてみ
たぶん苗字あるはず

49 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 22:41:19.93
>>46
島崎藤村の『夜明け前』は参考になるかな?

http://www.asahi-net.or.jp/~dr4i-snn/yoakemae.html
>文豪島崎藤村の名作『夜明け前』にも、この永島家が「公郷村の古い家」として登場してくる。
>主人公の青山半蔵は藤村の父正樹であり、永島家三代目正義の弟正胤が幼年に出家し、のちに円城寺加賀守となり、鎌倉の合戦に参加し功をたて、
>この人が木曾に下り島崎姓を名乗ったといい、これが島崎家の先祖であり、『夜明け前』のモデル青山家であるという。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1504_14585.html
>遠い馬籠の昔はくわしく知るよしもない。青山家の先祖が木曾にはいったのは、木曾義昌の時代で、おそらく福島の山村氏よりも古い。
>その後この地方の郷士として馬籠その他数か村の代官を勤めたらしい。慶長年代のころ、石田三成が西国の諸侯をかたらって濃州関ヶ原へ出陣のおり、
>徳川台徳院は中仙道を登って関ヶ原の方へ向かった。その時の御先立には、山村甚兵衛、馬場半左衛門、千村平右衛門などの諸士を数える。
>馬籠の青山庄三郎、またの名重長(青山二代目)もまた、徳川方に味方し、馬籠の砦にこもって、犬山勢を防いだ。
>当時犬山城の石川備前は木曾へ討手を差し向けたが、木曾の郷士らが皆徳川方の味方をすると聞いて、激しくも戦わないで引き退いた。
>その後、青山の家では帰農して、代々本陣、庄屋、問屋の三役を兼ねるようになったのも、当時の戦功によるものであるという。

庄屋はこういう家系って多いらしいよ

50 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 23:16:14.82
江戸時代の庶民の墓苑管理は無茶苦茶だよ。好きな場所に墓が乱立。
その為、国土開発により残存してる庶民の墓はほとんどない。
寺で管理されてる墓は名主、すなわち苗字を名乗れた人じゃないかな。


51 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 01:43:09.15
苗字は納税階級である本百章以上は持っていたのが大半。
庄屋豪農が苗字なかったといってるのは、僻み根性の下肢だろww
本百章以下はおそらく>>45のような形が多いと思われる。
それは納税云々もさることながら、土地をそれなりに持っているというのは
なんらかしかの形で在地に力や存在意義があったものたち。
苗字が中世よりあって当たり前。
下級武士以下のようなものこそ、苗字などもっていなかった。
これらの子孫はほとんどが、土地すらもてなかった、なかったものたちが、
戦国期、職業武士化していって食い扶持としたまで。
秀吉だの浅野だの前田だの蜂須賀だの武蔵だのがいい例だろ。



52 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:07:04.08
>>46
いいか?庄屋豪農のように土地を何町も持つことが、
中世以降戦国期を通してどれほど大変なことかわかるか?
庄屋豪農クラスの土地を所有してさらに、維持していくためには、
在地の守護家もしうは、守護家直轄の直参有力土豪、国人に保障してもらってる、
そして、なんらかしかで自らも武装して戦国期を行きぬかなければ、何町もの土地など維持できないんだよ。
身一つで捏造家系図抱いて全国流浪できる中級武士程度以下と在地庄屋豪農はレベルが違う。
それらの土地を維持していく、保障してもらうには地侍等武士化していたというのが当たり前の話。
苗字などその際もってないわけない。盛ってなかったとしても土地の名前を付け、固定化していったはず。
下級武士以下のような身一つ食い扶持物語の主人公こそ苗字など持ってないからww。まじでww
勘違いスンナよ?何町もの土地を持つというのは、中世はとてつもないほどの在地権力がないとできない。
なんで土地すらない在地すらない身一つの下級武士があって、
在地も屋敷も土地も門構えも財力も飛びぬけて持ってる庄屋豪農には苗字だけねえんだよタコwww



53 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:16:36.07
戦国期以前より続く庄屋
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sakanomt.htm 下にスクロールしてこの中世の城みたいな屋敷見てみろ
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sasagawa/index.htm みたかこの土塁を
http://www.asahi-net.or.jp/~cn3h-kkc/shiro/ichinoe.htm 都内の庄屋

なあ?戦国期よりこんな屋敷や門構え、土地を持つ庄屋豪農が、苗字だけなかったとどうして思うの?w


54 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:22:40.10

〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
 >>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、

>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。

>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、

>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、

>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。

>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。

>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。

>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。

>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。


>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。


こんなのが多い庄屋に、何で苗字が存在しないと思うの?wねえ?

55 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:29:14.73
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
>>実際には、この反乱には有馬・小西両家に仕えた浪人や、元来の土着領主である天草氏・志岐氏の与党なども加わっており、
>>一般的に語られる「キリシタンの宗教戦争と殉教物語」というイメージが反乱の一面に過ぎぬ
>>過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、武士身分から庄屋、百章身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化
>>(この組織化自体を一揆と呼ぶ)、
            ↓
このように島原の乱とは旧名門戦国大名家旧家臣団の庄屋が中心だったのがわかります。
それらが武装化し、幕府(近隣大名家相手)にいざ合戦したら、こうなります。
             
               ↓
>>乱の発生を知った幕府は、上使として御書院番頭であった板倉重昌を派遣した[13]。重昌に率いられた九州諸藩による討伐軍は原城を包囲して再三攻め寄せ、
>>12月10日、20日に総攻撃を行うがことごとく敗走させられた
>>態を重く見た幕府では、2人目の討伐上使として老中・松平信綱らの派遣を決定した。
>>焦った板倉重昌は寛永15年1月1日(1638年2月14日)に再度総攻撃を行うが強引に突撃して討ち死にし、連携不足もあって攻撃は失敗した
>>島原藩主の松倉勝家は、一揆を招いたとして責任を問われて改易処分となり、後に斬首となった。

わかる?ww幕府軍は敗走し、総督も討ち死、藩主は斬首ww
旧在地有力者層たる庄屋が武装化したら、幕府でこのざまだろ。
本気で旧在地武家庄屋軍団相手に5万石以下程度の大名が合戦したら、即日滅亡いたしますよ?wwまじで。


「結論」
島原周辺程度の在地旧武家庄屋連合相手に幕府軍13万という関が原の合戦の1.5倍の兵力で攻め上らせてる。
日本史至上最多の勢力で戦争しかけた相手はなんと、島原周辺のみの旧武家庄屋連合だったわけだが、
これだけ在地に特権勢力を持つ庄屋豪農が、なぜ苗字だけ存在しないと思うの?ww


56 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:49:26.37
なんか苗字が使われた例からかけ離れ過ぎてる
なんで島原の乱なんだ。しかも苗字の話なんて一言も書かれてないじゃん

57 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 03:25:28.19
おつむひねりなさいよww
苗字など、あらゆるステータスのひとつに過ぎないだろ。
庄屋豪農のように、在地特権、長屋門、何町もの土地、家老波の屋敷、桁外れの財力、中世以前よりし旧武家、
これ乱ステータスが満たされてて、何で苗字というステータスだけもってないとなる?
これだけのものを獲得、そして維持できるものが、これらより苗字を持つことはさらに難関なことだったのか?
だから、なぜこれだけのものをもつ中世期以前よりし豪族階級の庄屋豪農は、苗字だけは盛ってなかったと推測できる?


だから、なぜ中級武士が苗字持ってて庄屋豪農は持ってないと思う?
出自や階層で言えば、戦国期以前はこれら中級武士より庄屋豪農階層のほうが名門だらけなのに、出自がはっきりしてるのに、
なぜ、庄屋豪農が苗字だけは存在しなかったなる?

からくりはこうだ。
庄屋豪農など百章の分際が足軽以上のお武家様の足元にも及ばない分際で苗字など贅沢だったはず!!
という既成概念がハロー効果の心理条件ですべて画一的憶測になる。
だから、農民とされる階級が、武士に持ってないものをもってると、信じられないし、
信じたくないという防衛機制が適用される。
だカラ、蒸気のような例文出しても、結びつかないし結び付けようともしない。
なぜなら、現代的武士信仰がそうさせてるんだよ。武士なら全部かっこよくて全部強くて全部えらいという・・・





58 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 07:32:36.07
>>51-52
>下級武士以下のようなものこそ、苗字などもっていなかった。
>これらの子孫はほとんどが、土地すらもてなかった、なかったものたちが、
>戦国期、職業武士化していって食い扶持としたまで。
>身一つで捏造家系図抱いて全国流浪できる中級武士程度以下と
>下級武士以下のような身一つ食い扶持物語の主人公こそ苗字など持ってないからww。まじでww

これはねえ、半分は正しいけど、半分は間違いでもあるんだよ
この説というのは、下剋上の観点と言うのが、完全に抜け落ちてしまっている

例えば寛政重修諸家譜とか寛永諸家系図伝等がそうだけど
あれなどは御目見以上の身分ある武家が収録されているのだけど
素直に「出自明らかにせず(出自が不明である)」と答えた武家も収録されている

結局、江戸時代の武士というのは、中級藩士、上級藩士の中にも、怪しい家系というのがかなりある
戦国期に成り上がり、武士に取り立てられ、そのまま江戸に至って武家として存続した家系も多い

戦国時代、下剋上の時代というのは、下の者が成り上がるのと同時に、上の者が成り下がる時代でもある
平安期から続く武家の系譜を引き、城主格クラスの武将だった一族が、落城によって家が潰れる
いくさによって潰れた名家なども多々ある
彼らの中には、身分の低い下級武士として武家を続け、そのまま江戸時代に至った家系もある
領地や城を失った武家というのは、そうして生きて行くしかなかった

だから「下級武士が苗字を持っていなかった」というのは、その点においては間違っている
むしろ私は、平安期から続く本物の武士の血筋は、かなりが戦国期に没落し
中級や下級の武士、あるいは帰農して百姓になって行ったと考えている
事実、鎌倉や室町時代の名門武家で、江戸期には殆ど名を聞かなくなった家系は多い

まあ、でも、このネタは正直突っ込みたくないんだ
江戸時代の武家の子孫の人達の中には、その血筋を尊んでいる方々も多い
中級藩士や上級藩士にも出自が怪しい家系が多かった事を書けば、喧嘩を売っているのと誤解される恐れが高い

59 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 07:48:29.27
>>46で何か変なの召喚しちゃった

60 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:06:56.33
うん、しばらく退散しようぜ

61 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:23:31.01
そもそも、百姓は苗字を持ってなかったなんて言う珍説は誰が流し始めたんだ?

「苗字帯刀を許す」と言う本来の意味は苗字の公称を許すと言う意味だが、
苗字を持っていいと曲解したのが始まりだろうな。




62 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:33:40.09
お墓の墓標の名前は基本的に戒名を書きます。
お墓に〇〇家と入れるのは近年の事です。
元々は、僧には名字がありませんでした。多くの僧が名字を名乗るのは明治からです

63 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:39:13.07
>>61
学校教育でそう教えてる事だけは間違いないよね
いつ頃からそういう教育が始まったかはわからないけど

64 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:00:34.53
苗字帯刀を許すの「帯刀」の意味も、刀を2本 おおやけに差して良いと言う意味だが、
刀を持って良いと言う意味に単純に解釈しちゃったんだろうな。

普通の農家の倉の中にも、戦前は刀がごろごろあったそうだ。大戦中に国へ供出したり、兵士として戦場に持って行ったりして
あらかた無くなってしまったが、それでもボロボロのヤツを何本も死蔵しているケースは結構ある。

苗字帯刀を許すと言う意味は、苗字や刀を持って良い、と言う意味ではなく、
おおやけに使って良いと言う意味なのだが、明治時代の学者は馬鹿ばっかりだったのかな。



65 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:14:43.95
>>62
江戸期の墓にも○○家って入ってるよ

66 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:27:34.91
>>64
明治政府には江戸時代を農民が支配者武家に抑圧された悪しき時代としたい思惑もあったからね
革命政府(維新は実質無血革命だから)の宿命として、革命の正当性を誇示する為、旧体制を悪しざまに描く

67 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:34:08.06
>>65
ほとんどの庶民は土葬です
墓石はないよ

68 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:35:11.45
明治以前は平民は基本的に苗字持ってないよ
一部の例外を見て勘違いしているのかな?

69 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:42:10.84
>>68
スレの流れを百遍読んで出直すがよい

70 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:46:47.15
>>69
100回読んだ感想です

71 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:50:53.19
>>67
墓石も普通にあるよ

72 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 23:39:18.71
江戸時代の墓は一人一墓の個人墓が基本だろ


73 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:14:55.47
>>67
墓石が無いのは江戸初期
寛永は無いのが普通で、あればかなりの旧家
墓石は寛文あたりから増えてくる
近世の墓石は家単位ではなく、夫婦か個人の戒名を刻んだものが一般的

74 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:25:17.85
昔の墓って、川から拾ってきたような長細い石を墓石にしてるよね
といっても本当に古い墓を見た事がない人にはわからないと思うけど
戦国時代くらいまで、石の大きさが墓に入ってる人の力を現す単純なものだったみたいだね

75 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 10:13:36.66
それにしても昔の墓があるひとはうらやましい。
ほとんどが「平成」時代の墓だもんね。w
うちなんかも。。。

76 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 10:22:24.33
うちはじいさんの代で墓を作り直した
昔の墓石はそのまま中に入っているらしいが、今となっては開けて見ることもできないし
写真撮っておけばよかったのになぁ

77 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 10:36:12.69
墓って開けちゃだめなの?

78 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 11:12:08.09
開ける=壊す

79 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 11:16:30.58
誰か死んだら
いちいち壊して骨入れてるの?

80 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:49:29.39
墓の構造知らないのかな?
骨いれる部分は当然開くよ

81 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:57:47.31
だったら開けて中見ればいいじゃん

82 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 18:10:48.06
何か意地になってるみたいだけどさっきから見当違いなこと言ってるぞ
墓の作りくらいネットで調べてみなよ

83 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 18:43:30.75
昔の墓は土葬だから、亡骸を墓地に埋葬し、その上に墓石を置く
今気づいたんだが、墓石は、死者の復活を妨げる意図を含んだ封印の重石なのかも
あと時代劇とかでは樽状の御棺に遺体を収めて、墓地に穴を掘って埋葬しているけど
私の知ってる昔のお墓は、そういう形でなく、掘った穴に、直接、亡骸を埋葬してるっぽい
だから墓石は一人につき一基で、古い家のお墓は、墓石が何基も並んでいる
といってもこういう伝統的なお墓なんて、姿を消しつつあるけどね
私の家でも10年以上前に墓を立て直して、その際に今風の遺骨を納める型に改めた

84 :日本@名無史さん:2012/06/26(火) 22:10:01.00
俺の爺さんの時は桶に入れて埋めてた、穴掘ったときに前の人のお骨が出てきたので、
それを脇に避けてたりしてた。
墓域は二つに区切られていて、遺体を埋める区画と墓石を立てる区画がある。
遺体を埋めた跡に小さな盛り土を作っていた。上に潅木を植えて目印にしている。
一方、古い墓石は基本夫婦墓だったかな、摩滅もあって俗名は、確認できなかた。、
一番古いのは正徳年間だった。

因みに、その村では明治4年の人別帳から全ての家に名字が記されるようになる。

85 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 14:10:13.36
殆どの墓は昭和時代からだよ。
なんで昭和20年になくなった曽祖父の墓が
平成19年と刻まれてるのか?
わからん。

86 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 15:38:54.87
建て替えたんじゃないの?

87 :日本@名無史さん:2012/06/30(土) 07:06:55.05
7年以上前に行ったのが最後だから曖昧だが。先祖の墓は1つ。墓自体は改築したが、墓のすぐ横に古い石碑が建っていて年号、日時、名字、名前が掘ってあった。江戸時代から下手したら安土桃山?(年号詳しくないから曖昧)くらいまでの年号がびっしりでした。

88 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 00:45:58.93
はぁぁ、眠るかな。あのね苗字の公称を禁止したのは1801年な。11代将軍家斉
の時なの。禁止されたのは明治に許されるまでのたったの70年だけなの。それだけ。
それまでは自由だったし、こんなお触れが出たところで守らない奴は守らないの。わかる?


89 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 01:24:32.13
>>88
それマジかい?

90 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 08:26:01.20
まず江戸時代に限った事ではない
室町時代の法令に【東寺百合文書:とうじひゃくごうもんじょ】があり、
その中に【近年地下人(庶民)たちは勝手に名字を名のることは理屈に
合わないので、以後それをかたく禁止、違反者には重い罰を与える】
と書かれてる

91 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 10:32:47.51
おかしいと思ったw

92 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 17:53:00.15
>>90
「勝手に名字を名乗る」って「名字を騙る」という意味ではないの?
あと流れには関係ないけど、「地下人」って殿上人の対義語だったり色んな意味があるようだね。

93 :日本@名無史さん:2012/07/07(土) 21:28:32.23
あと武士をやめて刀を置いた人の扱いも気になる
彼らは帰農していようが血筋上は源平藤橘なわけだよね?

94 :日本@名無史さん:2012/07/08(日) 00:27:18.73
オレの叔父が田舎で郷土史を調べていたが、
村民は庄屋も含め全員百姓身分んだったようだが、百姓身分でも、
ちゃんと系図を持ってる家は結構あるな。

多くは、江戸時代以前の滅ぼされた旧領主に何らかの関係を持っていた。
旧領主が藤原氏系だったらしく、住民も藤原氏系が多いが、村に藤原と言う苗字は
一軒もない。
ほとんどが地名由来のものだ。



95 :日本@名無史さん:2012/07/08(日) 01:05:30.01
>93
旧字体が基本みたいだね。
免許証とか住民票を確認してみればいいよ。

96 :日本@名無史さん:2012/07/08(日) 07:02:04.30
江戸の昔から系図屋がいて金を取っては系図を創作してたからねえ、
滅ぼされた旧領主なんかは文句を言う奴も居ない良い素材

97 :日本@名無史さん:2012/07/08(日) 16:40:05.01
>>96
お家取り潰しになった某藩家老の家柄の何某の家系とかか
そりゃ文句言う人いないだろうし、利用した可能性はあるよね

98 :日本@名無史さん:2012/07/08(日) 21:15:53.54
うちの地方は古い墓は全部自然石でその横にたぶん明治になってから墓石の四角柱を買ってきた
置いた。

99 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 02:59:31.39
そうなんだ!なるほど
調べてみたよ旧字体旧漢字は使えないんだ
特に外国人とか、へええだね

100 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 03:01:23.98
庄屋クラスの墓 見てみなさい。
http://dayzi.com/zisyo/C0000037.jpg

これが江戸の真実。庄屋具脳の墓はまさに当時の権力の縮図を現してる。
こんな彫刻のような墓・・武士でも無理でしょ・・・

101 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 03:56:34.61
http://utsu02.fc2web.com/shiro881.html
旧室町武家帰農庄屋のこのレベルを見なさい。
藩主と変わらぬ宝匡印塔の墓とでかさ、そして芸術たる石の彫刻を。

江戸初期からも豪農庄屋層は墓からして豪族大名ばり。
よくこれで農民にはかすらないなどいえたものだ。ふざけておるだろ?
上級武士よりすごい墓と戒名が許されてるのが帰農庄屋豪農である。

102 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 04:01:03.11
桜もサクラで「櫻」が本物なんだよ
惑わされるなよ

103 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 04:18:59.73
http://gos.but.jp/tomiyake.htm
もう大名と変わらない規模の墓と大きさなんだがww

もう何から何まで旧庄屋豪農は、私たちがイメージしている江戸社会とは隔離した、隔絶した、
もはや唖然とするほどの「屋敷」から「門」から「特権」から「格式」から「家柄」から、挙句は「墓」まで、
なにもかもが超絶した形で現存する権力の痕跡・・・・・・・・


104 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 04:50:31.41
http://zeiss1221.exblog.jp/13229461/

こういう墓を持つ庄屋

105 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 04:54:02.97
http://dayzi.com/zisyo/C0000037.jpg

やはり、一色庄屋様は墓石の重圧が当時の力を示しておりますな!!

106 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 05:03:10.36


ちなみにこの、「一色庄屋家」は→→→→→「「旧室町守護大名家」」の庄屋様ですwww

http://dayzi.com/zisyo/syouya.html

107 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 05:14:41.13

今じゃ相続税等で維持不可能なのでほとんど消滅してしまいましたが、
、江戸期の庄屋屋敷の外観がそのまま残り、
江戸時代の庄屋屋敷の概観が伝わる画像です。
http://shioring.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-21bf.html

108 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 05:18:40.23
もはや定番かもしれないけど、お城に住んでる庄屋様ですw

http://www.geocities.jp/h_murataya/minka5-08.04.html

109 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 10:27:54.43
>>96
うちの倉庫から出てきた家系図は、鎌倉時代から織豊時代に飛んでいて
鎌倉時代以前の部分は明らかに系図屋の手によるものだと思われる。
しかし、その系図に載っていた鎌倉時代の人物についてよく調べてみると、
我が家の先祖との繋がりが浮かんできて、嫡流ではないにしろ何かしらの血縁があると推測された。

110 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 11:43:11.03
庄屋の人は一体何と戦ってるんだ?

111 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 12:46:58.40
領主さまに決まっとろうが

112 :日本@名無史さん:2012/07/09(月) 16:04:12.37
一色家は戦国大名であり、室町時代には守護大名で、足利将軍家で山名、土岐、赤松、京極と五家で五職を形成した名門
本流の丹波一色家は滅亡したものの、各地に残る一色家は江戸まで続き、藩主の地位を得た家系もある
まあ、庄屋に戦国武将や室町以前の名門武家が多い事は確かだが、一色家は流石に別格だろう

113 :日本@名無史さん:2012/07/12(木) 10:41:12.15
おらの中学時代の歴史の先生が一色先生だった。ちなみに
バリバリの共産党主義。

114 :日本@名無史さん:2012/07/12(木) 11:15:55.55
おまえら群馬を馬鹿にするけど、家康は上州の断絶した家系だった得川をパクり
まったく同じだとバツが悪いから徳川にしたんだよな

群馬が嫌なら松平に戻ってもらおうじゃないか

115 :@:2012/07/13(金) 21:40:22.14
>>112
君、すばらしい質問をしてくれましたね。!!すばらしいですよ。
いいでしょう。偏差値70越の私が直々にご教示しましょう。
一色庄屋様は例外ではないのかという質問ですね。
さすがに高家にまで名を連ねる一色家の本流は例外だと思われるかもしれませんが、
そうではないのです。逆に言えば、なぜ一色家クラスの超名門武家がしょうやになったのか。
たとえばですね 、

116 :A:2012/07/13(金) 21:44:12.08
日本のイチローを見てください。
彼は超スーパースターですが、野茂やイチローはまぐれの逸材でしょうか?
違います。日本球界が世界でもトップクラスだから、まれに出る人材も超スーパースター
なのです。ようは、日本球界も一線を越えてる水準だから。
これと一緒です。江戸初期の旧武家帰農庄屋層自体の大半がこの一色家に準ずるクラスの名門武家
だらけだから、一色家のような飛びぬけた庄屋層も存在するのです。
下級武士層に飛びぬけた名門がいないのはこの逆の理論です。

117 :B:2012/07/13(金) 21:52:03.13
では、他の意見も聞いてみましょう。
いいですか、昭和の大文豪 司馬遼太郎先生までもがこうおっしゃっています。
http://www.touhoku.com/to-siba14-edo.htm
>>もうひとついえることは、名主(庄屋)層は、
>>中世以来の由緒という無形の栄誉でいえば、
>>>>>>豊臣・徳川期に成立した出来星大名などよりはるかにつややかで、
>>古くをたずねると、たいてい中世の地侍から発している。
>>>>>ときに源平時代にまでさかのぼることができる。
>>かれらのしごとは、藩から(幕府直轄領の場合は、幕府から)委託された村民の統制と保護だった
>>で、多分に名誉職だったといえる。

ハイキタコレ!!昭和の巨人、文豪司馬大先生もこう申しております。
では具体的にそれら江戸初期の名門旧武家帰農庄屋を見てまいりましょう。



118 :日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:00:05.40
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
>>当地方の庄屋は、鎌倉時代の地頭や、南北朝時代に脇屋義助や大館氏明に隋従して土着した者の子孫で、
>>戦国時代に小豪族として活躍した者と、
>>彼らに系譜をもたなくても、戦国時代に武士として活躍した者の子孫が{{ほとんど}}です。
>>征服地に入部した領主が、伝統と家柄を尊重する封権社会の風潮の中で、
>>彼らの旧勢力の反抗を押さえるために、彼らを百姓の身分に落としながら、
>>ある程度の優遇をするためと彼らが旧来身につけている統制力をかつようして、
>>領地の保全と年貢の確保をねらった処置でした。

ここにも書いてあるとおり、帰農庄屋は南北朝より続く武家や土豪豪族の末裔がほとんど庄屋になったと書いてありますね?

つぎもみていきましょう。




119 :D:2012/07/13(金) 22:07:53.97
次は岸和田藩の例です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~minjamin/h-daimyohaka/h-kisiwada.html
>>宣勝公入部当時においても中世の土豪を系譜に持つ庄屋層が
>>隠然たる影響力を保つ難しい場所でもあった。
>>先の領主であった松井松平氏も、この「中世土豪家を」代官庄屋として遇したが、
>>年貢増高を原因として両者の関係が拗れるなど難しい藩政を強いられることもあったようである。
>>宣勝公も入部当初から、こうした事情に十分に配慮し、
>>年貢減免や大庄屋七人衆を選び郡政に関与させるなどしている。

はい、ここでも中世土豪庄屋層が隠然たる影響力を誇示しており、
松平家も事情に十分「配慮」したと書かれています。
わかりますか?

120 :日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:29:49.31
キモイ

121 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:43:24.88
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/bunkazai/bunkazai/bunkazai/135.html

>>墓碑は始祖志賀親成(?〜1622)初代庄屋親勝(?〜1640)以降20基がある。
>> 墓碑によれば志賀氏は豊後大友氏の庶流で、
>>大友氏除封後は長崎に流寓、
>>当時の長崎奉行で同族同郷の竹中重興(1629〜33)により浦上渕の庄屋に任命されたという

庄屋豪農は、江戸初期より、下手な旗本や家老より立派な石墓を何十基ももxっつてる。
戒名にいたってわ、家老と同列。

122 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 04:56:59.07
Cの入力方法が分からない偏差値70越なんていないだろ

123 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:52:48.80
まあ、旧領主層・地侍層と武士である藩の対立、或いは抑え込みの歴史はあっただろうね
百姓と士分との明確な区分けも、支配層・非支配層の色分けによる武家統治の確立だけでなく
旧領主層・地侍層の力を殺ぐ目的があった事も、まあ、もう一つの側面なんだろう
庄屋層・豪農層・富農層の財力は半端なかったからな
郷土史なんかだと、豪農の家系が普通に豪族と表記されてたりもするから
江戸時代は、農民が才覚で豪農になれるような甘い時代ではないから
出自が不鮮明な豪農層も、実際には古代豪族の末裔とかなんだろうし

124 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:20:00.02
>>123
庄屋と下級武士の関係は現在の本社平社員と下請け会社の社長を想像してみると良い。
実際に裕福で財力があるのは下請けの社長だが、本社の社員に下手に楯突くと仕事が無くなる可能性も有るわけだ。
そんな意味に於いては下請けの裕福な社長も本社の社員達には御機嫌損ねないよう、自らの身分をわきまえて下手に対応していたと言えよう。
やはり本社勤務の者にはそれなりに絶対服従の上下関係があったはずだ。


125 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:29:58.69
>>124
上記の前提条件は本社の社員が武士の位の程度によって変わる。
下級武士が本社平社員に相当するのか?
いや、契約社員(非正規)なのか?
で異なってくるだろう。


126 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:59:51.51
庄屋VS下級武士
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1319071467/

127 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:31:43.00
で、苗字はどうなってるの?

128 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:25:04.38
>>127
大多数が持ってたって事で確定済み
なかったなんてフィクションだから

129 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:29:42.83
まあ、使わないので忘れたって人も少なからずいた可能性はある

130 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:22:34.88
>>129
少数の例外だけどね

131 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:54:46.08
>>124

はいはいww
学生時代、偏差値70超えにして模試常にトップランカーだった私が、
今宵、それについてお答えしましょうw

わたくし、中学や高校程度の歴史教師程度じゃ私の足元にも及びませんからwまじでw
偏差値が違いすぎwwwそれではお教えしましょう


132 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:16:05.35
興奮しすぎて途中で事切れたのかしら?

133 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:19:49.18
>>124
>>庄屋と下級武士の関係は現在の本社平社員と下請け会社の社長を想像してみると良い。
これはまったく違うのです。庄屋は下請けとはぜんぜん違います。
例えば、大阪市長、横浜市長を思い浮かべてみてください、。
知事に及ぶとも劣らない発言力と在地権力を持ってますよね?
たかがいち藩内程度など、大庄屋は藩内の政令指定都市クラスの市長に値します。
実際に、
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
>>彼らの旧勢力の反抗を押さえるために、彼らを百姓の身分に落としながら、
>>ある程度の優遇をするためと彼らが旧来身につけている統制力をかつようして、
>>領地の保全と年貢の確保をねらった処置でした。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~minjamin/h-daimyohaka/h-kisiwada.html
>>宣勝公入部当時においても中世の土豪を系譜に持つ庄屋層が
>>隠然たる影響力を保つ難しい場所でもあった。
>>先の領主であった松井松平氏も、この「中世土豪家を」代官庄屋として遇したが、
>>年貢増高を原因として両者の関係が拗れるなど難しい藩政を強いられることもあったようである。
>>宣勝公も入部当初から、こうした事情に十分に配慮し、
>>年貢減免や大庄屋七人衆を選び郡政に関与させるなどしている
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
>>近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。
>>そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%B1%8B
>>庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、
>>戦国大名の家臣だった者も少なくない。
>>したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあった

どこに現代の下請け的要素があったのでしょうか?


134 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:26:28.05
>>124
もっといえば、現代の村長町長クラスにあたる庄屋。
よくて県庁の高卒平社員(下士じゃこれでもごく一部)や嘱託(これがほとんどの下士)が、
どうやって地方行政のトップたる在地領主の村長や町長にかかわれるの?
基本、局長や部長クラスの辞令で在地の村長や町長と通達を交わすはずだが?

江戸時代においても、下級武士や足軽が、庄屋と接点など一切ないが?
例外的に縄地など西日本のごく一部のまれな地域以外、下士が庄屋とかかわっててる示例など
いっさいありませんよ?
逆に、庄屋は藩執政と結託し、村々の上米をはねすぎて、打ちこわしにあってる例は腐るほどあります。
いい?下級武士いかが、庄屋にかかわってる、かかわれるとおもってるのは現代的妄想。
明治初期の町村制でも、県令(旧大名家、藩執政)−区長、郡長(藩執政、大庄屋)−戸長、補、用掛(庄屋、豪農)
という行政区支配構造および伝達回路になっています。
下級武士程度が、庄屋にかかわれたなんて・・・・www
ましてや、庄屋が下級武士の胸先三寸のご機嫌しだいでどうにかなったなんてwww
現代の村長町長が、県庁の末端にご機嫌伺ってるの?ww
妄想にもはなはだしいですよw

庄屋が江戸初期、下士をたたききってる例w出しましょうか?w
そもそも下請けとはまるで違う。
行政区である以上、それは独立したものであるんですよ?


島原の乱見たでしょ?w下請け会社は本社つぶせるの?w
ストライキは労働組合の自家社員でしょw

江戸中期において、下級武士が庄屋にかかわった例を教えましょうか?w



135 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:35:04.06
群青一揆で藩内の税率改定において、藩執政と庄屋の間で亀裂が生じました。
その際藩がとった行動は、下級武士足軽の与太を100名近く庄屋の屋敷に差し向けた。

それに怒った庄屋は、近隣の庄屋5名と連合を組み、村内で対峙します。
それに屈服した藩執政は一時税率を下げましたが、再度のお触れを出し、
在地庄屋連合と藩は合戦に。三年にも及ぶ一連の騒動と一揆を鎮圧すらできない藩主は改易。

下級武士以下は、与太どもを庄屋屋敷に送り込んだときくらいで、政治的衝突とは無縁でしょうに。
庄屋がもめるのは、藩執政な?現代で言う局長クラスな?

他にも、なませ騒動でも、納税の米取りに来た下級武士を、佐竹旧臣の庄屋が、
無礼打ちにして、たった一村のしょうやが、超大藩の水戸藩と全面戦争し、
数ヶ月にも及ぶ合戦を繰り広げるほどの武勇伝。

下級武士がかかわってる場所の意味合いが、違いすぎるんですがwwわかる?w


136 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:36:56.68
>>131
偏差値70程度で威張りくさってるわけ?
アホだろコイツ
さっさと死ねよボケ!!!!!

137 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:51:47.12
>>123
君はすばらしい意見を出してくれましたね!!!

>>>江戸時代は、農民が才覚で豪農になれるような甘い時代ではないから !!!!!


そのとおりなんですよ。江戸時代は分地禁止令など土地関連では様々なお触れが出ていて、
土地は、下克上で豪農や庄屋になることはできませんでした。
幕末、新田開発や基金での土地放棄などで一部例外として桁外れの豪農に成り上がる号王はいましたが、
ごくごくまれな例です。

武士など、御家人株、徒歩株など、庄屋、豪農が有する「戒名」「石墓」等の
かたでまで買える程度で売り買いされてますからねw。
武士なんぞなりたけりゃ、庄屋や豪農はいつでも余裕ですよ。なってるのも腐るほどいるしw
しかし、逆はないですよ。一介の中級武士以下が、その後庄屋になりましたなんて、ほとんどない。
土地はそれだけ重きもの。武士身分などとは計り知れない。

>>出自が不鮮明な豪農層も、実際には古代豪族の末裔とかなんだろうし
そのとおりですよ。役なくとも、豪農層はほとんど、旧武家や、庄屋の分家です。
一介の中級武士より遥かに毛並みはいいですよ。

138 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:52:21.56
庄屋VS下級武士
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1319071467/

139 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:02:53.38
>>136
あたくし、平均偏差値70越ですたがなにか?ww

おたくは?www

偏差値75肥なら理3狙えますが、脳内理3ですか?www

ぷぷぷwww背伸びがかわいいですよww

140 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:31:03.33
またコイツか…

141 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:03:25.68
庄屋さんのネタは専スレでやって欲しい

142 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:28:25.34
最早スレチ

143 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:47:57.41
有力な庶民の取り扱いは、藩や地域によって随分異なるから一概には言えない。
京都などでは、豪商は皆苗字を持っていたし、京都近郊の農村では、祖先が皇室や有力貴族なんて言うのは
全く珍しくない。
皇室領や公家の領地の管理者に、行きどころのない子孫が土着したり婿入りすることは、室町以降、
特に戦国時代あたりでは、生き延びるための常套手段になっている。
そう言った家は分家の数も多く、一族が広がって同姓が多い。

一方で、旧領主時代の有力者に極めて厳しく、場合によっては敵対的に処する大名も地方にはいて、
公私に関係なく苗字を使う事を厳禁している場合もある。


144 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 00:15:35.28
>>143
確かに。それは否定しません。
実際関八州では郷士は他の地域と違い、非常にごく少数です。
名門の旧武家庄屋でも郷士格のない庄屋だらけです。
逆に九州では庄屋は郷士格とパックみたいな郷士庄屋だらけの地域もあります。
地域によって違うでしょうね。
東日本の庄屋はほぼ旧武家庄屋といっても過言ではないでしょう。
東日本の豪農層も、大半が旧武家や庄屋の分家です。

同じ庄屋でも関八州の庄屋もさることながら、東北の庄屋はさらに豪族度が半端じゃないような気がします。
ただ、近世において、江戸武士より最も由緒ある旧家こそ庄屋豪農階級であった事実は、真実です。


145 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 00:43:35.11
>>127
苗字だが、豪農以上はほぼ100パー苗字は持ってる。
大半が中世以前よりの旧家か、庄屋クラスの分家だから。

本百章もかなりの確率持ってたろう。こちらももとは豪農等の分家も多いから。

しかし、実際本百章以上といっても農民全体のパーセンテージで言えば3割程度。
本百章以下は、正直苗字持ってるか盛ってないかは、不鮮明。
持ってるものも大半だったろうが、納税や村政に介入できるのが本百章異常だったため、
苗字の必要性があまり存在しなかったため、忘れ去られてたり、盛ってなかったものも多かったろう。
町人、工人も。
特に東北は、一部の地主階級だけであれだけの広大な土地を所有されてたため、
100町歩の何万石の大名領すっぽり自分の土地なんて庄屋豪農もごろごろいる。
それゆえ、東北は苗字のバリエーションが他の地域に比べ、非常に少ない。
おそらく佐藤姓があれだけ多いのは、明治維新後、信夫佐藤家や阿部氏などのメジャー苗字を、
地主以下は維新後につけたんだろうな。
だから東北はびっくりするくらい同じ苗字だらけ。
それは、一部の地主階級だけで土地の大半を牛耳ってきたことに関係があるはず。
そのかわり、東北の庄屋は旧武家ならず、びっくりするような旧豪族がうじゃうじゃだよ。
関八州は旧豪族より旧武家層。

146 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 01:10:00.93
追伸だが、本百章以下も大半が豪農や本百章の分家がおおいから大半が持ってる。
ただ東北のような本百章以上がごくわずかしかいない地域は、苗字持ってないもの、
また忘れ去られたもが、おおかぅたのかもしれない。
東北の場合、地主率が低すぎる。
そして、東北の場合、庄屋は入府新興大名家より力を持つ旧古代豪族系庄屋がひしめき合ってる。
それら一部の地主がほとんどの土地を既成している。
だから東北は本当に例外だろう。
大陸と似たような苗字分布バリエーションは、地主階級以下が多すぎたため、
明治維新後に佐藤姓等を名乗ったのが多いのだと思われる。
そもそも、藤姓は旧藤原摂関家との因果関係。。。というこれ。
大法螺。一部の人間だけだろ。
東北は、阿部や田村、佐藤、等の旧豪族姓で極端な話半数以上だよ。


147 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 12:02:05.92
> 100町歩の何万石の大名領すっぽり自分の土地
自分の馬鹿を晒して楽しいのか?

148 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:50:44.56
>>143
鍛冶屋の徒弟が宮家の跡取りになったのもそういうわけか。

149 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 17:00:35.60
普通の百姓なのに苗字もってたのは庄屋、肝煎、寺などの分家だよ。分家のさらに分家とか。
普通の本百姓ぐらいになってた家が多い。
うちがそうだし…



150 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 17:11:20.46
>>149
それ以外の家が苗字を持っていないという根拠を示してから言ってね

151 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 17:12:08.46
>>149
そんなに名字を持ってなかった事にしたいわけ?

152 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 17:46:00.49
苗字をもってない根拠ってww
悪魔の証明かなw
苗字をもってたという根拠を出さないとね

あとはね、百姓の家の伝説でルーツはあいまいだが隠し姓とでもいうかそういうのはあった。
明治になってそういうのも出てきた、まあ、あいまいだがね。
そもそも苗字の意味を知らないと、日本史板なんだからw

>>151
そんなに名字を持ってた事にしたいわけ?
ねえ、そういうわけ?



153 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:00:54.16
とりあえず苗字「持ってた」証拠はこのスレでも散々出尽くしているから、「なかった」側から合理的な説明をするのがスジってもんでしょう。


154 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:05:15.78
>>152
お前馬鹿だろ。
> 庄屋、肝煎、寺などの分家
と限定したのなら何か根拠があるだろということ。

155 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:11:34.77
士農工商て「農」が二番目に記されてるのは意味がある
これこそ農民差別の本質

156 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:22:24.31
■古代苗字
http://www7b.biglobe.ne.jp/~musashi-shinmen/omona-kodai-22.html
一方、古代の庶民に関係したものでは670年から全国的な戸籍「庚午年籍」調査が実施されており、
記録(702〜733年)の断片が東大寺正倉院保管文書の裏紙から見つかっています。
それによると、実に93%の人が苗字を持っており、そればかりか世帯平均1.6個の苗字を持っていました。

即ち、古代は庶民が苗字を持っていたかどうかのレベルではなく、史上最も多く苗字を保有していた時代かも知れません。


■庶民の名字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97#.E5.BA.B6.E6.B0.91.E3.81.AE.E5.90.8D.E5.AD.97
古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。
しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。

名字(苗字)は、姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。
家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。

江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、
庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されるようになった。
これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。
だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。
また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。
ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。
また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、
「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。


古代人ですら93%が苗字を持ってたのに、江戸庶民の大多数が苗字がなかったなんてありえない

157 :日本@名無史さん:2012/07/17(火) 15:09:34.14
>>155
子供の教育上、学校は真実を教えませんね
なぜ農民の代表である米家紋がないとか
平安時代から苗字と家紋は貴族と武士の特権
庶民に苗字があったとか昭和の捏造ですね


158 :日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:01:29.95
>>157
>庶民に苗字があったとか昭和の捏造ですね

156を呼んでるのか?

159 :日本@名無史さん:2012/07/20(金) 04:55:14.54
拙者、号や通称などで呼ばれたいでござるが、如何様にして付ければ良いのか分からぬでござる。
拙者、恥かしながら、風俗に疎い故。
良ければ拙者に説いて頂きたいでござる。

160 :日本@名無史さん:2012/07/31(火) 08:51:57.03
>>4
読み書きできないってどこの文献?
江戸時代は貸し本があったりして庶民は歌舞伎や水滸伝など楽しんでた。かなり識字率が高くて、庶民でも読み書きできる、すべての日本人が読み書きできるとイギリスかオランダの外交官がびっくりしてる文章あるじゃん


161 :日本@名無史さん:2012/07/31(火) 09:32:07.91
識字率は武家階級は、ほぼ100%といわれているな。

ただ幕末の全国では男性40から51%、女性は15から21%とされている。

江戸に限れば識字率は高い
享保18年(1733年)の人口調査によると、江戸の町民53万6000人のうち男性は
34万人で、女性は19万6000人。実に町民の63%が男性でした。これは、労働者や
露店の主人などはもとより、大きな商家も奉公人のほとんどすべてが単身の男子で
、いわゆる男所帯だったからです。しかも、この数字は町方だけの人数で、約50万人といわれる武家の人口は入っていない
その武家はというと、幕臣もいるが、参勤交代の武士の大多数が単身赴任。単純計算すると、
この時期の江戸には男性が84万人、女性が19万6000人いたことになる。男性が女性の4倍以上

識字率の高い武士階級が半数を占め、町民でも識字率の高い男性が多く、識字率が低かった女性が少ない
江戸の街は特別に識字率の高い街になる。


162 :日本@名無史さん:2012/07/31(火) 10:56:26.19
文字が読めなかった武士はいるだろうが、
文字が読めない商人とかいないよ。

識字率は、町人(特に商人)>武士だよ。

163 :日本@名無史さん:2012/07/31(火) 11:24:02.12
武士はホラ、頭脳労働より筋肉鍛錬が大事だから。
系図も捏造だし、1を10と言ったほうが人望が集まる。
そんな893な職業。

武士の家の記録は、公家や坊主や商家の記録と比べて、不正確で
自分の家マンセーのために嘘つきすぎだし。

庄屋とか田舎の農民もどっちかというと、脳筋系で正確な記録が
まずないし、嘘つき。

164 :日本@名無史さん:2012/08/02(木) 18:26:38.99
テレビの大岡越前とかみても、町民は、げんばち、銀二とか下の名前でしかでてこないからな。
大岡越前が名字あるのは、やはり武士だからだな。


165 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 02:25:31.63
>>164
一族との縁の薄い江戸の長屋暮らしの連中は苗字を受け継ぐのを
止めてしまった可能性がある、理由は苗字が全く必要ないから
地方のように一族で固まって暮らしてるケースが多い場合は
受け継いでる可能性が高い

166 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 19:51:22.34
>>154
大岡越前みたいな捏造ドラマが根拠かよ

あれって江戸時代は、御殿医ですら最下級武士身分で地位の低かった医者の
地位をやたらとage認識してるよな。現代に合わせて、フィクションキャラの
榊原伊織を捏造して。

167 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 19:58:02.03
ということで何が言いたいかというと、榊原伊織の身分は「町人」であるということだ。
要するに「榊原」苗字つきでててきていいる。

どうせフィクションキャラなんだけどねえ。小石川養生所に所属していた医者は
町医者なので町人身分。

大岡越前では、武士でも下級武士は、ゲンバチとか名前でしか呼ばれてないし。

悪役で多い悪徳商人は、「○○屋」って屋号で呼ばれている。

168 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 19:58:12.19
伊織って名前江戸時代らしくていいよね
剣客商売では、藤原伊織とかいたような

169 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:00:00.88
ちなみに榊原伊織のモデルではないかとされる「小川笙船」は町人の町医者。

苗字名乗ってるだろ。「里見八犬伝」の作者も、薬屋の婿養子になって、
町人身分になってからも「滝川馬琴」って苗字を名乗っている。

170 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:01:17.86
あと、江戸時代の有名な画家とかも、町人が多いけど、みんな苗字名乗ってるよな。


171 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:34:06.76
>>169
小学生かwテレビは全てフィクション。

172 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:40:05.31
>>169
馬琴は瀧澤氏だね
家臣の用人(家臣の家臣)で、身分上は陪臣で、お武家さんです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E4%BA%AD%E9%A6%AC%E7%90%B4
明和4年(1767年)、江戸深川(現・江東区平野一丁目)の旗本・松平鍋五郎信成(1000石)の屋敷において、
同家用人滝沢運兵衛興義・門夫妻の五男として生まれる。
ただし、兄2人が早世しているため、三男として育った。滝沢家には長兄・興旨、次兄・興春、妹2人があった。

馬琴は幼いときから絵草紙などの文芸に親しみ、7歳で発句を詠んだという。
安永4年(1775年)、馬琴9歳の時に父が亡くなり、長兄の興旨が17歳で家督を継いだが、主家は俸禄を半減させたため、
翌安永5年(1776年)に興旨は家督を10歳の馬琴に譲り、松平家を去って戸田家に仕えた。
次兄の興春は、これより先に他家に養子に出ていた。母と妹も興旨とともに戸田家に移ったため、松平家には馬琴一人が残ることになった。

馬琴は主君の孫・八十五郎(やそごろう)に小姓として仕えるが、癇症の八十五郎との生活に耐えかね、
安永9年(1780年)、14歳の時に松平家を出て母や長兄と同居した。

天明元年(1781年)、馬琴は叔父のもとで元服して左七郎興邦と名乗った。
俳諧に親しんでいた長兄興旨(俳号・東岡舎羅文)とともに越谷吾山に師事して俳諧を深めた。
17歳で吾山撰の句集『東海藻』に3句を収録しており、このときはじめて馬琴の号を用いている。
天明7年(1787年)21歳の時には俳文集『俳諧古文庫』を編集した。
また、医師の山本宗洪・山本宗英親子に医術を、儒者黒沢右仲・亀田鵬斎に儒書を学んだが、馬琴は医術よりも儒学を好んだ。

馬琴は長兄の紹介で戸田家の徒士になったが、尊大な性格から長続きせず、その後も武家の渡り奉公を転々とした。
この時期の馬琴は放蕩無頼の放浪生活を送っており、のちに「放逸にして行状を修めず、故に母兄歓ばず」と回想している。
天明5年(1785年)、母の臨終の際には馬琴の所在がわからず、兄たちの奔走でようやく間に合った。
また、貧困の中で次兄が急死するなど、馬琴の周囲は不幸が続いた。

173 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:45:47.92
>>170
夏目漱石の実家は町名主だったそうだけど、元は武士で、松平家臣だったって言われてるよね

174 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:46:27.69
>>172
だから、町人の婿養子になって町人身分になってからも、苗字を名乗り続けてたって話だよね。


175 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:47:34.86
>>171
だから、「小川笙船」はドラマじゃなくて史実の町医者だよね。

176 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:48:36.66
>>174
そういう事
町人だって先祖をさかのぼれば武士の家系は多かっただろうし
そもそも大昔は庶民でも苗字を持っていたから、苗字のない町人は少ない

177 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 20:54:35.25
【町人身分の画家】
この二人も町人だよね。呉服屋の息子。苗字名乗ってるね。

本阿弥光悦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%98%BF%E5%BC%A5%E5%85%89%E6%82%A6

尾形光琳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BD%A2%E5%85%89%E7%90%B3

178 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:03:25.86
うちの藩は、江戸時代になって尾張出身の藩主が入ってきて、それまでいた
支配層が全体的に没落した場所だから、町人は大抵旧支配層の子孫だって
自称してるw

もちろん苗字ありだし、公式に名乗っても特に文句は言われない。
新藩主は町人優遇政策だったし。

179 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:06:09.11
>>172
領地持ってない御家人は普通「武家」とは言わない。武士ではあるが、「武家」ではない。

商家の丁稚奉公人が「商家」と言わないのと同じ。

180 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:22:31.55
>>171

それは、>>154にいえよ。

181 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:25:30.08
あと、「庶民」と「町人」は違うよね。

>>1の庶民って、町人に入らない「庶民」て意味だろうか。

江戸時代は家持ちで住所が定まってて「町人税」を払っている「町人」
と、払ってなくて住所不定の「庶民」に分かれてた。

182 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:38:28.86
>>181
>払ってなくて住所不定の「庶民」

そういう層でも苗字持ってると思うが

183 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:02:45.34
>>167
話は変わるが
榊原と菊地は町人どころでなく部落民(地域に寄ると思うが)

「榊」という花は墓にお供えする花
「菊」は葬儀花

先日、盆供養にきたお坊さんがおっしゃてたから間違いない
丁度話題に出てたんで豆知識に一つ


184 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:14:48.66
江戸時代・天明2年(1782年)に、勘定奉行の立て札に

【幕府の直轄領では、特別な由来や奇特な儀があって許した場合を除いて農民に苗字を名のらせない】

というお布令が出てたりはしてんだよな。
ようするに苗字持ってても基本名乗るなって事なんだろ。

185 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:17:17.23
そもそも町医者は、日本人の意識の根底にある「穢れ」を扱う不浄の
仕事だったので、町医者は、特定の地区(要するに部落)に
住まわされていたから、町医者自体が部落民といえば部落民。

186 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:18:49.49
>>183
榊がたくさん咲いてる原っぱ
菊がたくさん咲いてる地

俗称、黄泉花ともいうよ

187 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:19:30.64
武士自体、平安時代は特定部落に住まわされた部落民だしね・・・
平家が集団で住んでた「六波羅」って、死体捨場の隣の部落だったんだよ。

武士=血まみれ=穢れ=不浄=部落

188 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:27:34.86
京都人の死体捨場・六波羅の地名の変遷

髑髏原(どくろはら)→轆轤原(ろくろはら)→六原(死後の六道にちなみ)→六波羅

今でも六原小学校がある「六波羅」

189 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:44:39.03
じゃ、六波羅のあたりを掘ったら平安期の人骨が出土したりするのかな?

190 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 23:11:45.78
出てくるかもしれないが、鳥葬が行われてたわけだから(隣接地に鳥辺野という地名あり)
骨とかは鳥がいろんな所に持って行って散らばってるんじゃないの?

191 :日本@名無史さん:2012/08/03(金) 23:28:28.56
>>180
>>154は関係ないだろう

192 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 06:34:01.89
>>184
田舎みたいに知らない人と交流するのが稀な農民はともかく、
町人は日々知らない人と交流してるんだから、苗字がないと
大変なのだよ。屋号か苗字のどっちかを名乗ってるよ。

193 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 06:58:07.64
江戸時代・天明2年(1782年)に、勘定奉行の立て札の

【幕府の直轄領では、特別な由来や奇特な儀があって許した場合を除いて農民に苗字を名のらせない】

というお布令

幕府の直轄領=人と交流するのが稀な田舎なのか


194 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 07:00:52.98
農民に苗字を名乗らせない、ということは町人には名乗らせてるって
ことじゃないかな。

ちなみに江戸時代の農民の定義は、戸籍が”村”、町人の定義は戸籍が”町”
で職業はあまり関係ないので、農民なら全員が「村人」つまり田舎者。

195 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 11:36:08.66
>>192
>>町人は日々知らない人と交流してるんだから、苗字がないと
>>大変なのだよ。屋号か苗字のどっちかを名乗ってるよ。
いくらなんでもギャグでしょ?W
私的コミュニケーションツールのために苗字は必要だった?w
若いやつらは下の名前だけで呼び合ったりあだ名だったり、
苗字付でフルネームで友達を呼び合う?
いくらなんでも、君、詭弁のみならず君の存在自体もギャグそのものだよw

196 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 11:38:44.09
>>195は日本史よりもまずは日本語の勉強した方がいいというレベルだと思うw

197 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 11:43:08.52
>>193
江戸時代、村が田舎という概念なんて存在しない。
高家等貴族武士の間では、なりあがり大名を蔑む意味で、
田舎大名とののしることはあるが、それはその地域が田舎という意味じゃない。
あくまで京より遠いという意味であって、村が田舎という定義は江戸時代の一般的尺度にそぐわない。

198 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 11:55:21.25
そもそも町人が苗字が往々にしてあったというのが不確実
農民層はそもそもが在地の人なため、なんらかしかの由緒が土地地域に存在するため、
そこにはアイデンティティが苗字という形で現存、もしくは形骸化した形での既存はありえるわけである。

が、町人においては、そもそも江戸期に入ってよりの町方整備であって
中世よりの由緒がその土地に寄生してるわけじゃない。
承認は別にしても、一般町人はそもそもが苗字を名乗る必要性もなければ、
存在意義もそもそも大半が長屋だし、
藩は税関系は大家や商人、職人の元締めからの徴収であって、
町人一人一人を把握しての、また当てにしての納税を期待してるわけじゃない。

要は苗字が存在していないもっとも比重の多いグループでしょ。


199 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 12:02:18.09
江戸町方も大半が無宿無頼が自然起因によって町が形成されて言ったか、
幕府による犯罪者の強制移住や拘置所が大半であって
一般的なイメージの時代劇の中のような活力ある町人像がどれほど現実的に存在していたのか。
おそらく君たちのイメージの中では大久保彦左衛門にあげつろう江戸っ子職人なんだろうが、
もしくは目組の人なんだろうが、
あれがどこの藩の待ち方も同じだと思うのはおお間違え。
日雇い仕事がそれなりに存在し、働けば何とか食っていける江戸市中などの一部大都市圏の待ち方の、
そのまた一部の人たちだからw

200 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 12:21:35.90
>>187
確かにそうだね。平家や源氏なんて、そもそもが後世で作られたヒーロー。
本来の武士とは、武士化、武装化することに必然性が存在する集団を言うもの。
在地における土豪や地侍等の中世よりの自然発生的武士化集団こそ、
そこに武装化していく必然性と大義が内包するわけで、だからこそ今日の武士に一番近い層なんですよね。

かたや源氏や平家という集団は、報酬と引き換えに代理戦争を生業にするもの。
これは現実の意味の武士像なんでしょうが、現代の武士像とはかけ離れる不逞集団。
源氏や平氏が名門なんてありえない。
そもそも臣籍降下したというそれらの棟梁とて、出自が怪しすぎだろ。
かりにそうだとしても、女は大半が遊女や白拍子が大半なのに。
プラマイゼロでしょ。

201 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 12:27:58.59
現実的に源氏と平氏に一番近い集団は、戦国期においては雑賀衆、伊賀根来衆ですよ。

源氏や平氏の集団化していくプロセスを紐解くのは簡単です。
この雑賀衆の肥大化していく組織経営を紐解けばおのずとそれらの簡略化したものが、源氏ですよ。

源氏が軍事貴族などと歴史ヲタにほざかれていますが、全くかけ離れていますね。


202 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 12:36:34.58
>>195
いや、192さんの言う事は、間違いじゃないよ
町人同士でも、実際には下の名前でなく、名字で呼ぶ事も普通にあったらしい

>町人は下の名前だけで呼び合ったり、あだ名で友達と呼び合う

これは時代劇ではよく見られるシーンだけど、明らかに後世による創作です

203 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 12:38:14.75
>>198
これをどうぞ

156 :日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:22:24.31
■古代苗字
http://www7b.biglobe.ne.jp/~musashi-shinmen/omona-kodai-22.html
一方、古代の庶民に関係したものでは670年から全国的な戸籍「庚午年籍」調査が実施されており、
記録(702〜733年)の断片が東大寺正倉院保管文書の裏紙から見つかっています。
それによると、実に93%の人が苗字を持っており、そればかりか世帯平均1.6個の苗字を持っていました。

即ち、古代は庶民が苗字を持っていたかどうかのレベルではなく、史上最も多く苗字を保有していた時代かも知れません。


■庶民の名字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97#.E5.BA.B6.E6.B0.91.E3.81.AE.E5.90.8D.E5.AD.97
古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。
しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。

名字(苗字)は、姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。
家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。

江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、
庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されるようになった。
これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。
だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。
また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。
ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。
また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、
「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。


古代人ですら93%が苗字を持ってたのに、江戸庶民の大多数が苗字がなかったなんてありえない

204 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 13:29:36.02
ようは身分制度での禁止だよな。

天明2年(1782年)に、勘定奉行の立て札の
【幕府の直轄領では、特別な由来や奇特な儀があって許した場合を除いて農民は苗字を名のられない】
というお布令 も

徳川11代将軍家斉の時の享和元年(1801)の百姓町人の苗字禁止の御触書も


205 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 13:31:52.91
要するに、農民も町民も苗字持ってたからこそわざわざ禁令を出す必要があったってことだよね。
下の名前しかない人ばっかりならわざわざ禁止する必要がないから。

206 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 14:04:45.10
で、禁止されたんで消えて行ったんですね

207 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 14:18:42.81
「名乗る」のを禁止されたくらいで無くなりはしないだろう。
禁令が一度でなく複数回あるのがその証拠。

208 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 14:31:26.35
天明2年(1782年)で百姓は苗字禁止

享和元年(1801)で百姓に+ここで町人も苗字禁止になってる

苗字禁止の対象が増えたという事だろう。

209 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:00:18.16
>>208
百年位の期間だけなんだね。
言い換えればその百年以外は皆苗字を普通に使っていたとも言える。


210 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:02:27.93
>>203
いや、だから苗字は既成として形骸化していたということ。
日本人に五代前の住所と先祖の名を言える人どれくらいいる?
五代前くらいならわかりそうなものだが、
必要ないから忘れるのでしょう?

それと一緒で、町人に苗字に代わるもの、また苗字が存在もしていたのだろうが、
必要性がないから消滅するんですよ。
苗字なんて今現代でも5代前(およそ140年前程度の近代)ですら
住所や先祖の名すらわからない人が大半で、なぜ古代の存在していた、
区別目的での苗字を、必要性に乏しい町人がかたくなに何十代も受け継いでこれたと思う?
不自然だろ。

211 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:08:43.31
清水の次郎長の本名はある?

212 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:15:58.56
>>209
ですから、それを苗字と認識してのものなのかということですよ。
たとえば徳川家も苗字で大名家を呼ばないでしょう。
紀伊殿 尾張殿 もしくは百官名や駿河殿と。
昔はこれが苗字化していってるんでしょう。

古代に持っていた、区別区分目的での苗字?それを苗字というなら、
この苗字を名乗ってる人がどれほどいたのでしょうかね?

213 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:25:23.45
ああ、そうそう、それから、明治新姓で、かなりのものが
庄屋から苗字をつけてもらったり、売ってもらったり、
また、読み書きできたものは自由意志で古代豪族や近隣大名家の名前付けたり、
こういう現実はどう捉えるのかな?
ここのスレの見解と現実を対比してみると面白いよね。
実際にこういう人たちもたくさんいたわけだし。

214 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 17:06:59.50
たくさんいたのソースは?

215 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 17:47:54.29
自分でさがしなさいwいくらでもいるだろ事実があるのだから。
それに木戸や井上なんて、苗字変えてるやつごろごろいるし。
読み書きができなかった貧農層は寺社やしょうやにつけてもらったというのが
結構いたはず。逆に公家や武士でも苗字変更したのいっぱいいるし。

届出さえすればいいのだから、いくらでもいるでしょ。
中世以前の武家出身て、独特の苗字の人多いが、それはアイデンティティを守ったからでしょ。
変えたかったら帰られたろうし。基本自遊でしょ。
じゃあ、新姓で規制とかありました?
そもそも新政府は苗字なんて把握してないでしょうに。
徳川や松平なんて名乗るチャレンジャーもいたろうが、
基本、江戸大名家自体が一般階級からの成り上がりだから、
江戸大名家自体がみんなどこにでもありふれた苗字ジャン。
学生時代の一クラスに、大名家と同じ苗字何人いた?
三分の一以上でしょ。

216 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 17:53:16.47
そもそも氏姓事態、公家や武家に明治期届け出たものなどほとんどいない。
なのに、藤原姓や平姓はなんであんなに現代では多いの?




217 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 18:18:26.09
明治期に勝手に名乗ったんでしょ。
なんか通りがいいし。

218 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 18:25:27.71
>>217
ですよね?
東北でやたら多い苗字に砂糖や阿部姓などありますが、
まさに、東北はメジャーどころのサンプル苗字が少ないため、
新姓でこれだけ偏りが生じたと思いますよ。
もちろん、苗字もってなかったわけじゃないのでしょうが、
自由に変更可能だったのでしょう。

用は苗字を持っていた、もしくは形骸化していて覚えてない、
もしうは愛着ない、アイデンティティが存在しない場合、
苗字を自由に届出したものも多いということでしょ?




219 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 18:35:56.97
そもそも、明治新政府は幕藩体制を否定したわけだし、
そもそも、マクロ的改革を断行していた政府は
旧幕藩体制を崩壊させるyのが躍起。
その際半の資料などもないがしろ。
そもそもが政府自体がまったく一般人の苗字戸籍をほとんど把握してないから、
苗字申請義務がなされたわけであって、そこに規制など存在しない。
持っていたものも変更して届け出てる木戸や井上、山縣のようなものもいくらでもいたろうし、
また、藤原や橘のような響きのいいメジャーどころをつけたものや、
近隣の大名家と同じ苗字に変更したものなどごろごろいたろうに。

読み書きができなかった庶民もおおいはずでしょ。
これらが頼ったのは村内の庄屋や寺社。かなり行動範囲や思考回路が狭いのが伺える。
ようは教養なくても聞き知ったる藤原や橘が人気があったのも伺える。

220 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 18:59:36.46
貧乏臭い奴とか子供がアイドルに憧れると同じだよ
藤原の親戚でもでもないのに。だからバカが多いし藤原。


221 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:04:35.73
町方の承認あたりには元々在地じゃなく、
町が整備される際にやってきた近江商人やら伊勢商人やらも多かったんだろうな

>>215
木戸は藩主より明治以前に拝領してたはず
むしろその例なら板垣とかだろ

222 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:12:13.69
>>220
藤原の子孫は近衛家として本筋で存在する
残りの藤原は苗字がない百姓

223 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:20:53.41
近衛家のみならず、三条九条等摂関家、守護大名系列においですよね。

>>221
承認でも店舗を持ち屋号ももつ立派な承認クラスだとそうでしょうね。
いまでも越後屋さんとかいるから、屋号がそのまま苗字化していったよね。

しかし、江戸時代の承認はほとんどが店舗を持たない行商が多いですよ。
越後屋や廻船問屋なんて、いまでいう東証2部上場クラス以上の会社でしょ。
屋号を持ってる時点でそれなりと思う。

224 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:45:00.71
中濱村の万次郎さんは、どんな伝来の苗字を持ってたんでしたっけ?

225 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:52:57.31
>>210
うちは江戸時代と現在とで苗字が異なるが、口伝によりきちんと正しく伝わってる
だからあなたが言うような説は荒唐無稽(普通の家では子孫達に伝える)
これは必要性があるとかないとかという問題ではない

226 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:55:26.67
>>212-213
>明治新姓で、かなりのものが
>庄屋から苗字をつけてもらったり、売ってもらったり、
>また、読み書きできたものは自由意志で古代豪族や近隣大名家の名前付けたり、
>こういう現実はどう捉えるのかな?

あんなの説を真っ向から否定するレスが>>11で既出ですが?
なんで庶民に苗字がなかったなんて真っ赤な嘘に固執するんですか?

11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
持っている。

227 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 19:58:02.49
>>215、218-219
なんかもう馬鹿馬鹿しくなってきた
悪いけど降りさせてもらう

228 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:13:59.79
>>918
だから「町人」の定義が、家をもって定住してて税金払ってること。
それ以外は「庶民という」。

「町人」の苗字名乗り率が100%に近かったのは間違いない。




229 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:18:49.41
>>226
誰も持ってないなんて言ってないでしょうに。
以前から基本農家は持ってるといってるでしょうに。

ただひとつの村の状況が全国画一というのは違うでしょ?
私が言ってるのは、本当に苗字は口頭で子々孫々9割もの日本人が口頭で、
代々苗字を言い伝えてきたというのは違うと思うよ。

それは、決して苗字を持つことが中世時代よりのステータスであったわけじゃない。
藤原摂関家や守護大名家の源氏の正統と称する部類も、
苗字は区分のために用いてるのが本来でしょ。
そうじゃないなら藤原や賜姓のまま名乗ればよかったわけだし。

それは庶民も同じで、OOのとこさの次郎・・というように
区分のための号が、そのまま苗字化していったまででしょうに。

それをかたくなに、一族のアイデンティティたる苗字だ!と思ってる人どれほどかな?
そもそも>>203
>>「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。
と書いてあるじゃない。ようは古代から苗字という概念はアイデンティティというより、
区分区分けのためにもちいたものでしょ。それが代々子々孫々、
苗字の必要性がないものたちまで受け継がれてきたというのは無理があるという話ですよ。

その安曇村の苗字は、みな古代から伝わってきた苗字という確証ありますか?




230 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:18:49.86
>しかし、江戸時代の承認はほとんどが店舗を持たない行商が多いですよ。

そういうのは「町人」とは言わないから。

むしろ行商人は「農民」だろ。農村から野菜とか米を売りに来るパターンが
多いし。

231 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:23:19.63
30 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 23:31:11.68
ひとつの町に同じ名字ばかり!?
http://www.tvkanazawa.co.jp/article/program/apg_detail.php?apg_id=273

これ見ると庄屋さんがつけてるな 
あと
町年寄、庄屋、名主、用達商人は武士じゃなくても特例として苗字帯刀を許されたりしてる。

232 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:29:31.71
>>230
といいますか、よく時代劇の縁日で見るような露天ですよ
あとは江戸のすし屋。まさに出店ですよね?
これが当時の大半の承認ですよ。
そして、農民の野菜売りを行商人とは言いませんよね?
薬売りなどです。完全に承認です。

もう一度いいますが、苗字は決して古代よりのステータスであったわけじゃない。
それが中世以降、特に江戸時代、ステータス化したまで。
結城松平家、保科松平家、大給松平家など。

氏姓以外の苗字に意味を成し始めたのが江戸でしょ。
それでも大名毛等は、公式文章では源朝臣などを使い、苗字使ってないのに。

本当のステータスやアイデンティティが苗字本体には本来存在しないから、
氏姓で朝廷内では名乗る慣わしなんでしょ。慣例的にだけどね。

苗字は古来から君たちの言う、子々孫々伝えるべきアイデンティティ、といった類ではないんですよ



233 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:35:01.47
>>218
何が言いたいのか全く分からん
苗字を持っていたかいなかったという話をしているのに、途中から全く違う話になってる

234 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:36:52.11
>>219
苗字が伝わってる家系では、普通にその苗字を名乗ってるだろ

235 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:39:28.58
>>229
スレタイは「庶民に苗字があったかどうか」の話
苗字の由来は別として、苗字そのものは持ってたんだから結論は出てる
庶民が持ってなかった、は間違い

236 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:47:32.20
>>231
もうそういう例外的なケースは良いって

237 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:51:25.41
>>234
まあそうですよね。
だって、農家とか、平百章以上ならなんらか鹿の文献なり、墓なり、
また本家筋はなんらか鹿の庄屋豪農でしょうから、
苗字をなぜかえるの?と村民から思われるでしょうし、返る必然性もないですしね。

ただ、公式に名乗る必要もない人たちで変えたり、また変更するものは、
いたと思いますよ。

238 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 20:53:47.87
そうか?それだったら苗字が名乗れた関ヶ原の戦いは佐藤と鈴木だらけのはずだ。
佐藤と鈴木が多いんだから。庶民も関ヶ原に戦いには参戦してるし。
なぜ佐藤と鈴木は出てこない。

239 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 21:01:43.13
>>238
その鈴木や砂糖というのは現代で、統計の結果、明治以降そうなったというだけでしょ。
逆に東北で大名や武士に佐藤と称してるものは家老クラスに多くいる。
仙台藩や米沢藩しかり。

鈴木なんて知りませんが、そもそも旗本で最も多い苗字は鈴木ですよ。
勿論雑賀等の三太夫の一門ですがね。

関が原の時代、苗字は名乗れたでしょうね。しかし、分布が明治よりまばらなのは、
戦国期以前は明治初期ほど村社会が発達していたわけじゃないから、
情報やツールとしてのサンプルが少なかったんでしょうね。
高貴なものたちである大名家等も数が圧倒的に少ないし。
だから偏りが少なかったんでしょ。

240 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 21:07:36.98
だってそうでしょ。
徳川家の祖 松平親氏以前の出自ははっきりしてないでしょ?
この親氏は、松平の庄になんらかしかでたどり着き、
そこで松平姓を名乗ってる。
なぜ、源朝臣を自称する徳川家は、その親氏以前の出自も苗字もわからないの?
大半が戦国期までは地元の土地の名を名乗ってたから、ばらつきが多く、
鈴木姓や砂糖姓だらけにはならなかったんでしょ。
>>238の観点からでは、戦国期に苗字がみな存在したという理由にはなりませんねえ。

241 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 22:41:43.72
>>238
佐藤姓が多いのは理由がきちんとある

http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/satou.html
>秀郷流の佐藤氏は、相模・伊豆・常陸・甲斐・尾張・伊勢などに土着して勢力を伸ばしたが、
>最も発展したのは本拠の下野から陸奥の信夫郡に進出した奥州佐藤氏だ。
>この一族は奥州藤原氏に属して栄えたが、源頼朝の奥州征討のとき佐藤元治は藤原氏に従って戦死。
>その子継信・忠信兄弟は、源義経の忠臣として源平合戦に活躍、最期まで義経に従った。
>その後一族は、本領を安堵され、信夫庄に根づいて勢力を築いた。
>南北朝の動乱を経て、奥州全域から甲斐・尾張にも移って、その周辺各地に分布していった。
>関東・東北地方に佐藤氏が多いのは、このような歴史背景によっている。
>いまでも、佐藤姓は秋田県で一位、山形県で二位、宮城県で三位、福島県で四位、
>そして岩手県で五位と東北地方に集中していることが知られる。

長野(信濃)の小林氏と同じ

http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html
>一方、信濃の小林氏は伊那郡と諏訪郡から発祥した二つの流れがあり、いずれも諏訪神家にゆかりがある。
>諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族であり、伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。
>知久氏は清和源氏満快流だが、諏訪氏と姻戚関係があり諏訪氏とは同族とみなされる。
>現在、小林姓は北関東三県で二位、三位を占め、長野県では一位、新潟・山梨では二位となっている。

平安期・鎌倉期からの武家の場合、鎌倉時代まで相続は分割相続であり、苗字が爆発的に増えた
もちろん未開の地を開墾し、勢力を拡大させていったので、佐藤姓が異常に多いのは当たり前の事

242 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 22:51:07.98
>>239
>その鈴木や砂糖というのは現代で、統計の結果、明治以降そうなったというだけでしょ。

241でも書いたが、佐藤姓は元から多かったと考えて良いと思う
分割相続によって佐藤姓を名乗る武士が大量に発生する一方
東北の未開の地を与えられて開墾し、更にその子孫が分割相続で増殖する
主家筋からの栄誉として佐藤姓を与えられた家臣もいただろうし
庶流化した佐藤氏から、婿を取って佐藤に改姓した農家もあった事だろう

また鈴木も、元々、苗字として多い家系だよね

鈴木氏
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/suzuki.html
>鈴木氏の出自は、桓武平氏北条氏流・同千葉氏流・ 秀郷流小山氏一族・清和源氏仁科流などいろいろあるが、
>最大の系統は、熊野発祥の物部氏系穂積氏流の鈴木氏だ。
>他方、江戸の地に広まった鈴木党は、上総・下総・陸前から出羽へも広がっていった。
>また、熊野信仰の広まりとともに、九州・四国各地にも広がっていった。

信仰と共に苗字が拡散し、勢力を拡大して行ったということのようだ

また鈴木氏には笑い話みたいな逸話が残ってて
名前を忘れたが、日本全国を歩き回り、土地の女性に手を付けて子作りしまくった好色家がいたそうだw
結構有名な話なので、聞いた事のある人もいると思うけど

243 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 22:56:05.28
それは建前ね
だったら惟宗島津等も島津だらけに九州はならない?
なぜよりにって関東東北だけ爆発的に増える?
惟宗も信夫佐藤家に負けず劣らずの古きよりの開発下向領主でしょ。

信夫佐藤家は東北の数少ない豪族、武家として知られる名。
わかります?
あと、熱田、伊勢、阿蘇、宇佐、那智等の大宮司家はなぜ小林のようにならない?
おかしいでしょ。なぜ関東東北だけ特に爆発的広がりになるのか。

244 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 22:57:07.27
苗字とは違うんだが、うちの先祖は百姓で江戸末期までわかっているだけで6代同じ名前を襲名しているんだけど、こういうのって一般的なの?
ちなみに屋号はその名前から来ている

245 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:05:26.80
>>243
建前でなく事実だよ
あと島津は昔本を読んだ事があるが、薩摩では悪戦苦闘の連続だったらしい
とてもじゃないが強い力で苗字を増殖させられる状態じゃない

246 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:06:50.17
>>244
よく聞く話だと思うけど?
甚左衛門って名前が通称として6代続くとかそういう類でしょ?

247 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:07:37.23
さらにいえば>>242
出自なんてはっきりいってまったく信憑性ないよ。

半年前、守護代の織田家は家計図捏造が新聞に載ったでしょ信成りじゃないよ?
織田信長の家計の家計図が捏造と新聞に載りましたよ。
まったく時代が合わない。

いい?なんで鈴木はそんなに毛並みがいいなら野党なんてやる?
出自なんて、
秀吉は家計図上はなに?ww
徳川は?
蜂須賀は?
浅野は?
松平は?
生駒は?
三井は?

みんな家計図は源氏の正統ですがなにか?ww
はっきりいってこんな古代や鎌倉出自など、近世で力持ったものの言ったもん勝ちですよ。
なにひとつ証拠内でしょ。
高家はさすがに大半が守護大名家が多いから正統と称せるけど。あと大宮司家とか。
もはや戦国期いこうなんて、力持つものの自称でしょうに。


248 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:09:03.43
>>247
あの、冗談で書いてるんだよね?
あなたは佐藤姓の話をあえて外して書いたようだけど

249 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:12:38.78
>>245
増殖できないから勝手に名乗ってるケースが多いという話でしょうにw

250 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:15:56.76
>>249
もうそこまで来ると意味不明
島津家は薩摩での勢力拡大に苦労したから島津姓が拡大しなかった
佐藤家は奥州での勢力拡大が上手く行ったから姓が増殖した
こういう話をしてるのに、その反論って何の意味があるんですか?

251 :日本@名無史さん:2012/08/04(土) 23:58:37.11
あのね。島津とかどうでもいわけ。
江戸時代以前に庶民が苗字を持っているとなると歴史上もっと江戸時代前に佐藤と鈴木が登場しないといけないの。


252 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:08:52.08
>>246
通称というのはどういうもの?
過去帳ではみんな同じ名前になってるし

253 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:25:42.18
>>250
増殖って
じゃあそれ以前に庶民に苗字はなかったということね




254 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:29:52.59
>>251、253
結局お前は何を言っても庶民は苗字がなかった事にしたいのか
煽りでやってんだろうけど、完全にプロ固定の手口だな

255 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:40:39.21
>よく時代劇の縁日で見るような露天ですよ
>あとは江戸のすし屋。まさに出店ですよね?

寿司屋は商人じゃなくて職人だよ。寿司職人は大工と同じ「職人」。
付加価値をつけたら職人。モノを売ってたら商人みたいな単純でアホな
こといっておいて時代劇の露天みたいなのが本当に史実だと思ってんのか
バーカ。



256 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:44:58.30
商人と職人は区別が難しいから、江戸時代には一度も分類されたことはないんだよ。
合わせて「町人」。これ以上の分類は一度もされてない。

士農工商っていうのは、江戸時代の身分制じゃないからな。
孔子の思想だろ。

257 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:46:25.76
今でも商工会議所は、製造業はおおまかに「工」、流通金融は「商」にしてるけど
中間的でどっちか判定できない企業はいっぱいあるんだよ。

258 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:53:15.90
薩摩藩って、兵農分離が進んでなくて、藩に住んでる人間の7割が士族、つまり武士扱いだったんだろ。

薩摩藩の場合は、武士も苗字をもってないのが大半だったっぽい。


259 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:54:36.70
どうでもいいわ



260 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:57:40.26
>>258
庶民が苗字を持ってないって人の主張に則るとそうなるよね

261 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 01:04:07.33
農民は売れ残った農作物を売り歩いてたし、
幕末の頃、武士も内職しては、町に売りに来てたし、
行商人がいわゆる商人の大半とかありえない。

そういうのは農民であり武士であるんじゃないのか。

専業商人とか専業職人は、そんなもので永続的に生活する
ことはできないから、行商人はほとんど武士とか農民とかの他業種。

262 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 04:34:44.06
庶民のうち、かなりの無視できない多数が苗字を持っていたのは確実だな。
江戸時代に、庶民の苗字を名乗ることを何度も禁じていることが、何よりの証拠。



263 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 07:53:51.45
江戸幕府が庶民の苗字を禁じた、その目的は何なの?
というか、そのメリットはなに?

264 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 07:54:16.95
天明2年(1782年)に、勘定奉行の立て札の
【幕府の直轄領では、特別な由来や奇特な儀があって許した場合を除いて農民は苗字を名のられない】
というお布令 ←対象が百姓

1801年(享和元年)7月に幕府から、
「百姓・町民が苗字を名乗る事を固く禁じる」御触書←対象に百姓に町人も追加される。

265 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 08:55:58.95
そもそもなんで苗字を名乗るのを禁じる必要があったんだっけ?
江戸時代まではそんなのなかったのに。

江戸武士が民百姓上がりの武士で、素性が卑しいから、差別化を
測りたかったわけ?秀吉が偉い武家になってからやった兵農分離みたいに。

266 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 09:57:51.53
>>265
>>90


267 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:04:29.71
>近年地下人(庶民)たちは勝手に名字を名のることは理屈に合わないので

なんで理屈に合わないの?

268 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:30:01.30
大雑把だけど、江戸も中期になると
商人なんかは逆に金貸して武士以上にブイブイ言ってるでしょう。
これは根本的に社会の危機だから、武士とその他を区別する、
という意味だったとは思われる。

江戸初期は庶民はまだ八や熊で区別がついたからわざわざ
苗字は名乗らないけど、安定してきて武士よりブイブイ言い出すようなのが
苗字名乗りだすと武士との区別がつかないし実際にいたわけだろう。
だから「禁止」令を出したという感じで。

許可もらえば屋号みたいに許された、というのも例外っぽく
別に「許可してやる」と武士が上に立ってればいいだけのことで
本質は単に「武士の再差別化」みたいな部分が多かったんだろうね。

ちなみに「禁止令が出る」というのはそれが実情であったわけであり
複数出るのは「あまり効き目がなかった」ということ。
こういう話はいっぱいある。

269 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:32:58.23
>>268
>複数出るのは「あまり効き目がなかった」ということ。
なんか説得力あるね

270 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:41:25.59
それより、前に「徳川朝臣」なんてカキコがあったが
どうして誰もつっこまない?
ここは専門板だろうに・・

271 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:44:37.06
徳川に興味無いし

272 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 11:36:34.74
>>268
更に江戸後期や末期ともなると、藩財政に苦しむ各藩が資金援助の見返りに苗字許可を乱発し
苗字を名乗る事の特権性が完全に失われ、藩に資金援助(無駄金)してまで苗字許可は要らないと人々が考え始める

273 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 14:27:34.61
江戸時代には御用金制度という富裕商人から財源を求めた幕府債があった
苗字に関しては三千両を上納し、返還を求めなければ幕府から見返りに永代苗字が許された。

幕府としては上納させ名乗る事を許す永代苗字に価値を持たせたかった。
だから三千両を上納しないような町人、百姓が苗字を名乗るのを禁じた。

274 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 17:55:27.78
大阪とか、町人50万に対し、武士が160人しかいないところは
まったく効果が無さそう・・・w

275 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 17:56:39.77
大阪だと武士が珍しいので、大阪の庶民は、武士がいるということになると
見に行くんだって。歩き方が独特だからそれを見にいって笑うんだって。

武士の歩き方→手と足を同じ側から出して歩く

276 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 17:59:15.54
江戸は、武士60万:町人40万という武士のほうが多い町だったから、
統制は効きそうだな。


277 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 18:10:55.77
長屋の傘張り浪人みたいのも武士のくくり?

278 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 19:56:37.15
>>275
何を言ってるんだ。
その歩き方は武士も庶民も全員、誰もが普通にやってた歩き方だぞ。

ヨーロッパ式軍隊が導入されて、徴兵帰りの人が今のような歩き方を広めるまでは、
どこの人も手と脚を同じ方向に出してたんだ。

そもそも和服では、手と脚を互い違いに出すと着崩れるだろう?

279 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 21:30:02.18
全く関係ない話で恐縮だが、子供の頃、手と足を同じ側から出して歩き、おかしいと矯正されたな
生まれ変わりというのがあるのなら、案外、その時代の人間だったのかも

280 :日本@名無史さん:2012/08/05(日) 23:33:25.11
禁止されたからって苗字使うのやめる馬鹿なんていないだろ
獣肉食うなと言われても陰で食ってたのが日本人

281 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 17:25:36.19
現代でも飲酒運転するなと法で決めても、やるやつはやるからな。
今も昔も守らんやつは守らんわな。

282 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 18:01:30.21
獣肉食うなと言われたのか、日本人

283 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 18:35:10.00
>>280
苗字については、禁止された天領では、口伝で子々孫々に苗字を伝え残した

284 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 18:43:37.01
あと、ネタか本気か不明だが、家督相続の概念は農家でも普通にあった
豪農や富農は武家と紙一重なのだから、指摘するまでもなく
その他の農家についても、田畑を家督と呼び、継承していた
だから苗字は普通に持ってるよ

285 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 19:09:06.05
284は>>145-146に対するレスね

286 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 19:11:03.56
公家の子弟ならともかく町人の大半は元を辿れば素性も知れない流れ者
継承させて貰えなかった居られなくなった要らなくなった追い出された者それが大半
長屋住まいで嫁も貰えず一人死んでいくそれが大半ですよ

287 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:05:27.61
>>286
>町人の大半は元を辿れば素性も知れない流れ者

江戸時代って大阪や農村から少年少女が都会に憧れて江戸に家出するケースが多かったらしいね
その他は農村や寒村から逃れてきて定住した元農民(婿になれなかった次男坊や三男坊)とか
素性も知れないって事もないと思う

288 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:14:29.23
元農民だからこそ、素性が知れないんだろ。

289 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:17:20.50
>元農民だからこそ、素性が知れないんだろ。

農民は苗字を持ってるわけでw

290 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:17:25.07
江戸末期には、大きな土地を持つ農民は、たいてい土地集積商人だったらしいね。

本間家とかもそうだし、秋篠宮紀子さんの先祖の庄屋も、元海運商の土地集積商人。

291 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:18:15.13
>農民は苗字を持ってるわけでw

意味がわからない。農民の苗字は、町人の苗字と同じで自称してるだけだろ。

292 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:19:10.49
まあ、そんなことをいうなら、武士も単なる苗字の自称だけどね。
江戸時代に公に名乗っていいことになってたかどうかの違いだが、
江戸武士の苗字はいいかげん。



293 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:25:09.19
日本一の農民、本間氏は、農民になる前、大阪の中流商人だった。
そのまえは佐渡本間氏(武家)であったと自称している。

酒田本間氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%96%93%E6%B0%8F

本間氏(ほんまし)は佐渡本間氏の分家で、山形県酒田市を
中心に農地解放による解体まで日本最大の地主だった家。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇った。

佐渡本間氏の一族には、上杉氏転封のさいに山形へ移った者もおり、
江戸時代初期、元々は海運商人であったが金融業にも進出し収益
(※主に、大阪堂島米会所の先物取引での巨利をあてたといわれる)
を土地の購入にあて田地を拡大していった。

294 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:25:16.57
また運営の煽りが始まったね
相手するの馬鹿馬鹿しいんでしばらく退くわ

295 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:26:58.55
農民の場合、町人と違って文盲が多いので、苗字があったとしても
正しく伝わらない。なので、明治になって、新姓をつけたのは
農民ばかり。


296 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:40:15.81
純粋商人とか純粋職人は、江戸時代まではいなかった人種なんだから、
(戦国末期の堺とか博多以外は、商人は特に武士や公卿や寺社が兼業
している特権的職業)全員が別の職業から変えてきている。
住友家とか三井家ももと武家だったと主張している。

なんでそれまで純粋町人がいなかったかは、それ以前は治安がめちゃ
くちゃなので、武力とか権力がないと財産を守れなかったから。

町人の中でもと農民でしたーとか主張しているところはないだろ。
みんな元公家だとか、元武家だとかいう系図を自称している。
町人は農民を馬鹿にしてるから。

297 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:48:42.20
商人って一番下の身分の賎業じゃん

298 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:49:29.75
うちの田舎、義務教育となる前の明治初期で農民の男子識字率は4割を超えておりましたがね。
苗字は公然と名乗ることは禁じられても内密に持っていたよ。
江戸時代の代書屋まがいのとってつけた自称苗字でなくね。
某と一つ者の在阪在江戸の商人からどうこう言われる謂れはないわ。

299 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:52:44.15
土地を継承出来なかったあぶれ者、ならず者、犯罪者、それが町人の元素性。
在地って疲れるんだよw
移動が禁じられているはずの江戸時代にも逃亡していってたよ。

300 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:53:13.61
>>297
それ、日教組が喧伝した財閥憎しの「士農工商」がソースだろ。

もし農民が商人を馬鹿にできた立場なら、
「おまえらよりもっと辛い連中がいるぞ」とエタヒニンを作る
必要があったと思う?

301 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:55:33.38
>>299
それは町人でなく893の構成要素じゃねえかw

302 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:55:38.69
被差別民はほとんど商人のために作ったんだよ
商人の住まいと割と近いところにね

303 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 20:58:34.40
「士農工商」って孔子の思想であって、江戸時代の話じゃないからね。
ちなみに「士」は孔子の思想では、武士ではない。学者のこと。

しかも、これについても、農民が、重労働なしで富を集積できる商人に
なりたがるのを阻止して、農地に縛り付けるために、広めた政策的思想
だからな。

日本は農民の子孫が9割なので、これを信じたい人が多いみたいだけど、
ヨーロッパでも自治権もってた都市の住民(町人)が中産階級の元だし。

304 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:02:48.34
>>302
町と田舎の境界に作ったんだよ。農民に「おまえらのほうがまだマシだよ」
とアピールするためにね。農村の奥にある部落もある。

武士からすれば、自分たちの領地で農作物を作る農民に逃げられるのがまずい。
一方、商人なんて武士の生活基盤とは無関係だから、嫌ならやめればいいし、
別に武士は困らない。だけど農民に逃げられると困る。
実際武士は農村から逃げ出すのを防止するのに必死だった。
「逃げる農民、追う大名」

なんでそんなすぐわかる嘘をつくの?
部落は農民用だよ。孔子だって農民を農地に縛り付けるため「士農工商」と
喧伝したんだよ(詳しくは>>303

305 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:07:10.20
町人以外に目に付かない場に設けられている例などいくらでもある
逆に町人はこの場を通ることもないだろう的な場に設けられた例もある
数と率からすれば町のそばだから

306 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:10:35.17
士農工商
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86

> 中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に
> 根ざし穀物を生み出す「農」が重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を
> 許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を
> 嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、
> ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。
> これを理論化したのが、孔子の儒教である。

> 士農工商の概念と実際の身分制度は大きく異なっている。
> 江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、武士を上位にし、その下に
>「百姓」と「町人」を並べるものであった。この制度では、百姓を村単位で、
> 町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
> また、町人の職業が「工」か「商」かを制度的に区別することはなく、
> 商人を職人より冷遇する制度もなかった。

307 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:12:44.72
>>305
町に部落があるのは、部落の従事した仕事が武士とかに使用された
仕事だから。町には武士も住んでるからね。

前述したように、農民に「おまえらよりマシだよ」と喧伝するために
作ったわけで、町人相手へのアピールではないよ。

308 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:15:02.74
放送禁止用語の職業差別カテゴリーには、「部落」「農民」と「百姓」が入っているが
「職人」「商人」「町人」「武士」「公家」「寺社」などは、入っていない。

「丁稚」「土方」は入ってるが、これは商人や職人の中での差別用語であり、
その職業全体を馬鹿にした用語ではないw


309 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:21:00.93
まーたwikipediaなどを持って来てからに
ここは日本史板なんだろ

310 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:23:49.51
例えば城があって次に城下町があって次に某が海のそばにある場合。
結構多いが町人にしかお主の言う効果は期待できんのよ。
その場は農民は用は無いし通ることもないから。

311 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:26:56.09
>>310
武士も町に住んでいるので、ある意味「町人」だからな。
武士町と町人町はおおまかに分けてあるが、雑多に住んでるケースも多々ある。

武士は、官僚化すると、血の汚れや現業を嫌うようになり、首切り役人
とか犯罪者を逮捕する不浄な仕事を部落(非人)にやらせるようになった。
だから一部は町の近くにあるんだよ。

ていうか、武士としては、田舎から町に逃げてきた農民相手に「もっと
ひどい職業があるんだ」とアピールする必要があったわけ。

田舎で田畑を耕すことに満足してる農民にはアピールの必要はない。


312 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:27:31.45
自作の農民、五人組に属する農民なら殆ど全てが結婚して子を残して行ったが、
町人の大半は結婚も出来なかったことを頭に入れろよ。
成功して豪商化とか率で言えば本当に本当に一握りなんだから。

313 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:31:35.78
>>303
>日本は農民の子孫が9割なので、これを信じたい人が多いみたいだけど、
>ヨーロッパでも自治権もってた都市の住民(町人)が中産階級の元だし。

ヨーロッパは別として、日本で力を持ってたのは商人でなく農民
他スレで、源氏=農民武士、平氏=商人武士で、農が商に勝り(源氏政権)
農が主導権握ってきたのが日本の歴史だと面白い事を言ってた人がいる
戦国も、商人系の大名と農民系の大名の二系統あるが
最後に勝ったのは農民系の土臭い徳川家康だった
商人が調子に乗り始めるのは明治以降

314 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:32:46.58
実際、街の犯罪のほとんどは「田舎から出てきた農民」が起こしており、
飢饉になった時に町に出てきて泥棒したり蔵を打ち壊したりする犯罪に
武士は手を焼いていた。

で、武士は「田舎から出てくる農民」を一番退治したかったわけ。

いずれにしても、武士にとって、いてもいなくてもどっちでもよくて
むしろ武士ですら中期以降は生活に困って商人や職人に転ずる者も
多かったわけで、むしろ商人は「やめてくれ」な楽して金儲けな職業。
商人相手に部落をアピースする必要などまるでない。

農民は「もっとやれ」的なきつい、汚い、危険な3K職業の農民に
アピールしたのが史実とされていることなのに。

315 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:34:40.16
>>291
>農民の苗字は、町人の苗字と同じで自称

基本的に苗字は勝手に名乗って良いもの
お上から与えられるものじゃない

それゃお上から与えられる物もあるが
それ以外のものが苗字じゃないとか自称だって事じゃない

んな事言い出したら大和朝廷成立以前の古代豪族の苗字はどうなるんだ?って話で
苗字なんて元をただせば自分の家を証明するものとして自発的に名乗ってたものに過ぎんよ

316 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:37:14.91
>>313
商人系武士(平家、織豊)に比べて、農民(源氏、徳川)の戦いが
いつも農民系が勝利するのは、単に、農民のほうが普段から足腰鍛えてる
からだろ。

あと、西日本と東日本で違うんじゃないかなあ。
商人というのは治安がよくないと繁栄しないんだよ。
だいたい東日本にはまともな商人なんて江戸時代にすらいなかっただろ。

だって、江戸には、藩米を捌けるほどの大商人がいなかったので、
東北の藩の米すら、大阪に集積されてそこで取引されてた。

>商人が調子に乗り始めるのは明治以降

平家と、織田豊臣も調子に乗ってた。戦国時代の商人系の西国大名も
調子に乗ってたじゃん。農民重視は江戸と鎌倉とかの東国政権だけだろ。

317 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:42:41.96
>>312
農民の場合、長男以外は、一代限りで子孫を残せないだろ。

あと、町の方が大組織の企業が多いから、一代限りの下働き職は
あるってだけだろ。


318 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:44:08.27
>>311
>ていうか、武士としては、田舎から町に逃げてきた農民相手に「もっと
>ひどい職業があるんだ」とアピールする必要があったわけ。

今更この手のフィクションを持ち出されてもw
大体穢多身分は江戸以前からあるもので、その起源は平安期だろ
中世には江戸に通じる原型がほぼ確立されていたわけで

それに農民の仕事は、当時としては決して悪い仕事でも酷い仕事でもない

319 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:44:59.58
江戸時代の体制は多くが思うほど専制搾取的でもなかった。
政治が悪ければ鎮圧され首謀者は打ち首となるのを承知で合議したうえで一揆を起こしていた。
絶対に処刑されるので命懸け。
一揆が多発すれば厳封や改易も有り得るので、藩としては譲歩した政に改めるしかなかった。
打ち壊しはそんな目的も無い強盗+悪徳商人への怒りだろう。

320 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 21:54:41.72
本籍地のある祖父母宅のある田舎の江戸時代を調べてみると、
人口は600〜700人で、石高(米)は1200〜1300石とれていた。
年貢率は四公六民か五公五民だったようです。
自作なら毎日白米を食べられる計算ですね。
余剰分を売って物を買ったりしていたかも。
祖父母宅には江戸時代の小判や銭が残ってるよ。
田だけでなく畑も山の自然物もあるし、飢饉の発生も無いですね。
ただ一回だけ近隣の村々と一緒に一揆を起こしたようです。
仕事はきついにきまってるけど平和だったのかも。

321 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:02:21.27
>>313
ヨーロッパでも、文化的で金持ちなローマギリシャ(商人系)vs
ゲルマン(貧乏な野蛮人=農民)の戦いが起こったときは、
毎回野蛮で文化度が低い農民系が勝利している。これは野蛮で
空腹な方が、普段から肉体労働してて戦争が強いというだけ。
(近代戦は科学の戦いだから、農民ロシアより商人アメリカが
勝ったりするが、大昔は肉弾戦だから)

でも、だからといって、商人系の地位が低いかというとそうでもなく
野蛮人ゲルマンは必死でラテン系のやり方を真似し、文化に憧れ、
系図をラテン系につなげ、野蛮なゲルマン人が支配した時代は
「暗黒時代」といわれている。

日本でも士農工商って思想が言われるようになったのって、明治に
マルクス主義がいわれるようになってだろw

平家や織豊は短いながらも文化爆発だし、江戸時代の文化もほとんど
商人・職人が担った。

322 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:12:20.74
BS歴史館で、源平の戦いを商人と農民の戦いとして捉えて話す回が
あったけど、武士も、江戸以前は西日本だと商人みたいなもんだよ。
金貸しや通商で繁栄した豪族とか畿内にはいっぱいいる。

江戸時代になってそういうのを禁止したから武士はそういうもんだと
誤解してる人がいるけど、江戸より前は、金持ち度=権力だった。

323 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:17:43.11
>>320
豊かな地域でキチガイ藩主でもなく、ラッキーだったねwww
飢饉になるたびに農民の7割が餓死して「藩と日本人」でも
叩かれた仙台藩とはすごい違い。

>>319
>>打ち壊しはそんな目的も無い強盗+悪徳商人への怒りだろう。

商人の蔵を壊すのが強盗=農民だろw
あとよく他人の物を強盗するのが正当化できるよな。
農民を悪く描くとクレーマーがすごいから「悪徳農民」を描けず、
朝鮮人や部落みたいに「気の毒で善良な被害者」としてしか
時代劇化されないからって調子に乗るなよwwwww


324 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:21:59.57
町に出てきて蔵を打ち壊したりする農民は強盗や盗賊と同じ。
ていうか、農民自体が強盗や盗賊みたいなものだった。

江戸時代は武士は商人保護(納税確保)のため、町の治安は守ってたが
農村の治安は守っていなかった。なので盗賊が跳梁してた。
こまった農民が自警団を組織したりしたのだが、その自警団が私刑の
横行するめちゃくちゃな組織で、ほかから見ると盗賊そのものw

そういうのが一揆を組織したり、町に盗賊団としてやってきたので
街では農民=盗賊=一揆みたいな認識w

でも時代劇はこれを描けない。農協の抗議がすごいからwww
「百姓」「農民」が職業差別用語として放送禁止用語に指定されてる
のも農協のおかげ。

これはBやKにも言える話で、戦前の非差別階層が戦後はでかいツラして
善人面、被害者面してるんだよなw

325 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:26:10.08
>>323
あ?
打ち壊しの担い手は投機的動機の売り惜しみで価格高騰→生活困窮に怒った一般賃金労働町民だろ
蔵から財物を奪って分配したうえに家屋まで打ち壊して更地化という現代なら完全な犯罪行為

326 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:27:55.77
今でも田舎はムラ社会のムラハチ分で嫌われるけどさ、
江戸時代はもっとだったんだよね。

田舎は、武士が治安を守っていなかったので、法律もなく、
「犯罪」自体成立しない無法地帯だったわけだが、
ムラ社会のボスによる「私刑」が横行してた。

町と違って「犯罪を犯した」からではなく「ボスに嫌われた」から
処刑(私刑)され、埋められる社会。

明治憲法になって、農民にも法律を適用するようになってからも、
農民に憲法を守らせるのには時間がかかった。

327 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:29:37.93
憲法じゃなくて法律でしょ

328 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:30:17.27
差別の話になるとキチガイが沸くな

329 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:30:31.02
>>325
それって大塩平八郎だろw

330 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:31:49.34
>>324
トンデモ持論の展開乙!
盗賊が跳梁って弥生の環濠集落時代や戦国時代か?
一揆は一族まで及ぶことがあるから余程でないとできなかったんだよ
盗賊が悪政云々で乱を起こすかよ!w

331 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:36:05.65
>>330
>盗賊が悪政云々で乱を起こすかよ!w

持論じゃなくて史実なんだよ。江戸時代の犯罪者は農村から逃げてきた
農民ばっか。

犯罪者が、適当な大義名分をかかげで正義の味方ヅラするのはよくある話だし。

>>325
打ち壊しのほとんどは農民だよ。もしくは農村から出てきて食うものもなく
うろついてる浮浪農民。

332 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:44:29.43
徳川家康
「百姓の年間の入用と作食をつもり、その余を年貢として取れ」(本佐録)
「郷村の百姓どもは死なぬ様に、生きぬ様にと合点致し、収納申し付ける様に」(昇平夜話)

神尾若狭守春央
「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど出るものなり」

333 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:47:32.91
しかしたかだか数百年前の話なのにわからないことだらけなんだよな
だから歴史は面白い

334 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:51:45.78
>>330
「伊勢参りは命がけ」って言葉を知らないのか。
田舎を通るだけで盗賊(多くは現地の農民)にやられるから
こういう言葉ができたんだよ。

武士すらビビって死ぬまで一度も自分の領地(農村)に
行かない者がほとんどだったのに。


335 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:52:55.27
>>332
そんなこと言ってるが幕府領は年貢率は低かったろ

336 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:57:14.92
>>335
幕府領以外の大名はもっと農民から絞りとるつもりだったんだろ。
参勤交代や幕府のために駆り出される作業費捻出のため、年貢率UP。

337 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 23:10:10.99
紀州徳川と水戸徳川が八公二民やってる
家康公の意思を引き継いだのだろう



338 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 23:19:59.59
一方、町人はほとんど無税だった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313382038


339 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 23:29:28.63
爆笑問題の日本人の教養で、古い雑誌や古文書を読むの会でやってたが、
江戸時代の雑誌には和算の数学オリンピックみたいなのをやってたのだが、
そのほぼ同じアイデアでノーベル賞をとったのがあるくらいレベルが高い。
いつも最優秀賞をとっているのは町人。町の雑誌だからあたりまえだが。
町人の余裕なくらしがよくわかる。趣味に没頭できたんだね。

340 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 23:32:21.43
339のノーベル賞
・・・ノーベル賞じゃなかったかも。西洋数学の重要理論だったけど
忘れた。

341 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:03:05.45
多くの土地を所有して財を蓄えた豪農と言われる自作農の中には徳を持った人もいたんだよ。
私財で堤を強化したり水路を作って村々を豊かにしようとしたり。
財が底をついて最後には家まで売って無一文になっちゃったって人もいた。
受益できるようになった人々が感謝してその元・豪農に毎年寄付していて近年まで続いていたらしい。
豪商は自分のことだけでこんなことはないでしょ?

342 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:06:38.89
>>313
司馬がそんなこと言ってたな
恥ずかしいからそんな話を出すのやめとけ
農民系とか商人系とか単純じゃあないぞ

343 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:16:19.21
>>339
江戸期の数学者は田舎の豪農や富農の類が結構多いんだよ
このスレ滅茶苦茶になってきてるなw

344 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:16:32.29
>私財で堤を強化したり水路を作って村々を豊かにしようとしたり。
>豪商は自分のことだけでこんなことはないでしょ?

はあ?

町のインフラは豪商が寄付することで全部やってたんだよ。
町で金持ちだと、そういう負担を負うのは当然。
町ではそういうのが基本過ぎて、こんなこと「善行動」ともいわない。

商人上がりの本間氏になって農民は庄屋の中間搾取から逃れて
楽な暮らし。農民の庄屋ほど酷いものはない。

時代劇で被差別職業の農民は悪く描けないからって調子に乗るなよ、農民。

345 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:17:53.66
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313382038

>町人は税金を払っていませんでした。
>そのかわり、公共的な仕事の多くを自分たちで分担して行っていました。
>またその費用のほとんどは、大商人などの町の地主が用立てており、
>長屋の「はっつぁん」や「熊さん」は金を出していません。
>金持ちが公的な費用を出し、長屋住まいの人は出さなくて済んだ社会構造でした。

>NHK「知るを楽しむ 歴史に好奇心」にて、詳しく説明がなされています。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200709/thurseday.html

346 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:19:18.81
農民の「自分たちは善良でした。だから貧乏」とかの自己正当化は醜いなw

実際は悪徳かつ貧乏だったんだろ。むしろ悪徳だから貧乏だったんだろ。

町でも、町の自治に金を出さない町人の金持ちは長続きしなかったしね。

347 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:27:33.36
>>343
また嘘つき農民が嘘を書いてる。和算というのは町人の中で流行して、
ランキングでもみんな町人なんだよ。農民なんて9割いてもほとんど
文盲ばっかだし、田舎にいたら、情報もほとんどない。

幕藩に、公式に認められてた数学者も旗本か、商人だけ↓

Category : 江戸時代の数学者
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85

348 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:33:59.82
また2ちゃんの馬鹿運営が出鱈目書いて煽ってるな
ここブログに利用されてるようだが、煽ってステマ行為すんなクズ

349 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 00:37:18.21
なんで馬鹿運営は煽りが不快にさせるだけだと理解できないんだろうね
ここに来てる人間は大人だから、お前らが暴れると、逆効果で人が逃げるんだよ
お前らを軽蔑して、こんなとこ二度と来るか!ってなる

もう大人しくしててくれ

350 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 01:07:53.41

>>335
忘れちゃならないのが庄屋とか地主による中間搾取だよ。
幕府が取るのが5割だったとしても、小作農はできた農作物の8割取られている。
つまり3割は庄屋とか地主の中間搾取人(農民頭)が美味しくいただきました。
地主が自ら労働せず、食べていけるのはこの中間搾取のおかげ。

町と違って、周囲の目のないド田舎では、悪い農民頭の下だと、本当に酷い奴隷
扱いだった。大阪の中級商人上がりの本間氏はこれをかなり改善した。

351 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 02:05:40.47
>>320
薩摩ニアンか

352 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 02:22:01.31
薩摩ニアンって何?
薩摩は4公6民とか5公5民じゃなかったでしょ
江戸時代に領民の逃散はあっても一揆は無かったと思う

353 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 06:13:20.55
日本の農民が庄屋級でも、中間搾取にすぎないからなあ。
要するに武士が田舎に田舎勝ったため、農民の中の一人に取りまとめさせて
いたわけだが、庄屋も結局武士の使用人にすぎないからな。

たまにジェントリ気取りな農民(豪農)がいるけど、
ヨーロッパのジェントリとかは、領主に4割〜8割も取られたりしないよ。
ジェントリに該当するのは旗本以上の武士だな。


354 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 06:19:13.74
田舎に田舎勝ったため→田舎にいかなかったため


355 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 09:32:48.95
戦国時代とかも農民出身の秀吉とかは田舎臭さや成り上がり趣味が
ひどいけど、斎藤道三とか小西行長とか松井友閑とかの商人出身の
大名とか高級官僚は、最初から教養度が高いくて文官系で活躍するし、
千利休や今井宗久とか津田宗及とかの堺の商人は、武士上がりの
大名よりはるかい文化・教養度が高くて武士のことを脳筋って
小馬鹿にしてるし、武士に茶道具を与えてはありがたがられてたね。

まあ農民は文盲の肉体労働だから、槍働きで出世するしかないが、
商人の場合は、文官として採用されてるから、そういうイメージなのかな。

356 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 12:13:03.40
なんかおかしな奴をまた召喚しちゃったみたいだね

357 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 15:37:29.64
庄屋の出自は概ねその土地の古くからの小領主で名士が時代の趨勢で没落して土着農化したもの
庄屋さんの多くは本姓を持っていたと思っ。
どこでも庄屋さんの「屋敷」は正にお屋敷。
庄屋さんはいわば村長、町長さん。

あと、江戸時代の住民の管理掌握の実務庶務は庄屋さんよりかは、お寺(檀家寺)の住職さんのお仕事かも。
お寺の住職さんはお上から委託、委任を受けた役人。お寺は半分公的なお役所。
住職はその役所の所長。
=寺請け制度

庄屋さんとお寺さんが日ごろの村支配の最前線。
実際のところ領国を支配するには藩の士族=役人があまりにも少なく手が回らないのが実情


358 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 19:48:08.93
>庄屋の出自は概ねその土地の古くからの小領主で名士が時代の趨勢で没落して土着農化したもの

あのさー、そういう小領主階層は、兵農分離で「武士」になったって知ってる?
どうしようもないような農民が、農民として残ったんだよ。

史実を知らなさすぎるwww


359 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 19:50:21.65
戦国時代までは武士が農地耕してたんだから、大規模な土地持ち農民なら、
系図を捏造するだけで、もれなく藩士として雇われている。

農民になるしかなかったというのは・・・下っ端農民だったってこと。


360 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 19:52:53.31
旧領主階層は、町の中に住むことを要求されて、江戸時代は町の中に屋敷を
構えて住んでいる。そのうち田舎に行かなくなって、そのなかで農民が

あと江戸末期になると、没落する農民が多く、本間氏や秋篠宮紀子の先祖
みたいに、土地集積商人として庄屋になる例が多数ある。

江戸末期の大規模な土地を持つ庄屋はほとんど間違いなく土地集積商人。

361 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 19:54:29.28
下っ端農民だったものが、町の中に住んでいる武士の代わりに、
代理で年貢をとったりする役割になっただけ。そのうちうまくやった
農民は庄屋や名主になっていった。


362 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 19:58:20.62
戦国以前は武士が田舎で農耕してたんだから、小領主急なら、兵農分離が
行われた時にほぼ間違いなく専業武士になり江戸時代は「藩士」になってる。

限られた例外として、毛利氏の旧領地で、関ヶ原の戦いのせいで
急激に領地縮小したので、農民にならざるを得なかったものがいるが、
日本全国としてはこういうのは例外的。

363 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 11:41:27.81
日本の相続税システムではどんなに金持ちでも(三井財閥家でも)
3代100年で無一文になるのに江戸時代の先祖もちだして
話しても意味なくねえ?w

364 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 11:59:27.04
先祖が金持ちかどうか関係ないし

365 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 12:39:30.85
>>358-362
武家庄屋の件を書き込んでおいて、それを自分で否定するってどうなの?

366 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 13:56:53.87
うちのご先祖さん
農地解放で山3つ取られたお

367 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:25:33.25
>>365
えーっと、江戸以前は、半農半武で、大きな土地を持つ農民は全部武士に
なったって話だけど、OK?(毛利の領地の一部以外)


368 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:44:54.59
江戸以前は、武士とその他の間に何らかの区切りはない。そもそも「武士」というのは
武器持ってて戦闘してれば武士なのだから。

だから、たとえば、松井有閑などの明らかに武器もって戦ってるわけじゃない
江戸時代の「藩士」にはあたるだろうが、いわゆる「武士」ではない人間を
表す言葉も無い。江戸時代の武士は「=藩士」だけど、それ以前の武士は
単なる武芸者で、「守護」とか「守護代」になるともはや武士ではないしな。

農民はなぜだか武士に憧れてる人間が多いけど、都会ではそりゃ武士って
馬鹿にされてるのよ。江戸時代馬鹿にさほどされなくなったのは、官僚化
して「武士」ではなく「藩士」になったから。

369 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:50:39.12
相当の官位持ちの公家が物乞いにまで落ちぶれたりしてるの見ればね

370 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:57:44.66
農民の先祖が武士という農家によくある伝説は、本当であったとしても
秀吉みたいな感じで戦争になるたびに駆りだされていたという話だからな。

江戸以前は、専業武士なんて、守護や守護代とか地頭とかの
限られた人本人しかいないからな。

あとは単なる赤紙で召集された農民。(=半農半武)

>>365ってこういうことがわかってないから>>365みたいなことを
言うんだろうな。

371 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:59:45.46
△大きな土地を持つ農民は全部武士になった
○大きな土地を持つ農民は江戸時代は武士(=藩士)になった

限られた例外を覗いて、江戸時代に専業農民になったのは貧乏農民だけ。


372 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:01:59.87
ちなみに半農半武はあるが、半商半武はないのか、とかはすでに書いてるが
専業商人というのは江戸時代(または安土桃山時代)以降しかいないから。
それ以前はふだんは守護級の武家や公家や寺社が兼業している形。

専業農民でたまに武士として駆り出されるというのは平安前からいるよな。


373 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:04:13.67
>>369
あー、天皇家もフスマを外して、食ってたくらい困窮してたね。

それは、戦国時代に、武士が公家や天皇家の領地を強盗したからだろ。

374 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:23:05.85
>>370
もう一度聞く
武家庄屋の件を書き込んでおいて、それを自分で否定するってどうなの?

375 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:24:44.73
千石 「斬るの!?こいつ、斬るの!?ねぇ!悪人!悪人斬る!?」
殿様 「あぁ、斬るよ」  千石 「本当!?大丈夫なの!?また騙されてない!?」
殿様 「あぁ、騙されてるのはお前だけだから大丈夫だよ」
千石 「そうかぁ!僕いつも腹ぺこだから!腹ぺこで女に惚れっぽくて悪人にすぐ騙されるから!」
殿様 「そうだね。人を見る目がないね」
千石 「うん!でも悪人なんだ!そうなんだぁ!じゃぁ斬っていいんだよね!」
殿様 「そうだよ。斬っていいんだよ」
千石 「よかったぁ!じゃぁ斬ろうね!悪人斬ろう!」
殿様 「うん、斬ろうね」
千石 「あぁ!福本清三さん以下いつもの斬られ役の面々だからいつものように斬れるね!ね、殿様!」
殿様 「うん。全員皆殺しにしていいよ」
たこ 「あぁー殿様と千石が今ジェノサイドしているよー!僕だけいつも私怨だから気をつけようねぇー!」

376 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:26:20.75
ごめん誤爆

377 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:30:47.38
どこの誤爆だよwww

378 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 20:30:09.81
>武家庄屋の件

おまえの言ってることが意味不明なんだけど。
武家庄屋の件って何?

半農半武だったから、元は武士だと言いたいの?

379 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 20:32:24.93
>>378>>374へのレスねー。

もしかして、>>374は、自分じゃない人へレスしてるつもりなのかね?
まったく意味がわからない。「武家庄屋」の件って何。



380 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 20:33:10.53
庄屋は農民身分。

武士身分じゃない。


381 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 20:45:04.13
江戸期以前は
本家が村の領主=庄屋として村に残って
次男三男辺りが武家に奉公し家臣になった例も多いと言うのに

382 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:14:24.21
>>381
また無知馬鹿な農民が嘘レスしてるな。

江戸以前は武士は農村にいるんだよ。だから戦争を起こす時の
召集に異常に時間がかかってそれが敗因になったりしてた。
信長が家来を城下町に住ませたのが革新的だといわれるんだろ。

戦国時代はどこかの大名に所属してない領主なんてありえないし。

なーんちゃって領主なんだろw

383 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:17:05.91
いずれにしても領主級は、全員が江戸期は藩士になったんだよ。

おまえんちがそういう伝承を持ってるなら、先祖が嘘つきってだけだww
どうせ農民は文盲で正しく伝承できないし、周りもそんなのばっかだから、
町と違って複数の記録者に記録されてることが稀で、情報のつきあわせも
できないから、農民は嘘八百を言いたい放題w

384 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:18:26.77
>>381
そもそも領主なら、なんで次男三男を「他の武家」へ奉公させる必要があるんだ?

領主なら次男三男は自分の家の領地を守るために必須のはずだがw

要するにおまえんちは領地など持ってないクソ百姓だったってわけ。


385 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:28:05.29
土地を継承し、代々少しずつ拡大しようとする小地主たる農民と賃金労働無産町民を一緒にしないでいただきたい。
しょせんならず者やあぶれ者だろ。

386 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:33:45.71
>>385
なんで町人の最下位と農民の最上位を比べるの?

そして、賃金労働無産町民は町人ではないしな。農民の出稼ぎだろ。

そもそも町「民」て何?農「民」と同じで武士に奴隷労働させられてると
思ってんの?

387 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:35:16.51
>土地を継承し、代々少しずつ拡大しようとする

江戸時代の農地は全部武士のものだよ。

「地主」なんて明治になって武士の「秩禄処分」ではじめて農民のものに
なったのだ。だから武士がそれに怒って西南戦争を起こしたんじゃん。

これだから無知馬鹿文盲の百姓は・・・



388 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:36:29.03
なんで自分の土地から、毎年上がりを6割も取られるのか。

それはその土地が武士のものだからだよ。

領主なら年貢を取られたりしない(笑)



389 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:42:44.65
経営者商人から搾取される町民だろ
フラフラして責任無し、搾取されて当然
有産経営者だけは土地に根ざす由緒ある家と対等の口を利くことを認めてやる
土地に根ざすのは労力が要るんだよ
小さいながらも経営者なら認めてやる

390 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:43:11.66
要するにあの武家庄屋の人と今暴れてる農民を見下す人は2ちゃんの煽り要員か
誰がどう見ても同一人物だから

391 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:44:20.32
田舎者が思う以上に、町人は名門が多い。

しかも、公家や武家を含む支配階級のなかで上の階級が転じるのは商業。

帰農するなんて所詮肉体労働してた下っ端武士くらいの話だしな。
貴族の生活からいきなり田舎で重労働とか無理な話。

392 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:46:13.17
>経営者商人から搾取される町民だろ

そういう人は結婚できないので一代限り。要するにそういうのを代々継承してる
町人などいないのだよ。毎回田舎から流れてくる農民を採用している。

田舎の貧農は貧農を代々継承してるな(笑)


393 :自演馬鹿に付き合いたくもないが:2012/08/08(水) 21:53:11.22
>>383
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%B1%8B
庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、戦国大名の家臣だった者も少なくない。
したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあり、村方騒動のなかには庄屋の年貢・村入用不正や村民に対する私的夫役を原因としたものが多い。
しかし庄屋の私的権力は領主によって規制され、その力には一定の制約があった。基本的に豪農・富農・大地主など、村の有力者が庄屋になった。
近世後期に至り領主権力が弱体化すると、幕藩領主は庄屋・名主の惣代機能を否定しようと試みた。「取締役」などの新たな役職を設置する場合もあった。
しかし、近世を通じて、庄屋・名主の惣代機能を払拭することはできなかった。明治政府の課題として持ち越されることになったのである。

http://www.asahi-net.or.jp/~dr4i-snn/yoakemae.html
永嶋家は戦国時代、小田原北条氏の下で浜代官を務め、江戸時代には三浦郡総名主を務めてきた家柄である。
同家の系図では、三浦義明を先祖とした義政が永島姓を名乗ったことに始まる。
義政の父義勝は、中先代の乱に北条時行に加担し、敗れて捕らわれ、楠正成に預けられ、助命されて三浦に帰った。
義政が二十一歳で早世したため、義政の妹を楠正成の四男正徳に嫁がせ、永島家を相続させている。

文豪島崎藤村の名作『夜明け前』にも、この永島家が「公郷村の古い家」として登場してくる。
主人公の青山半蔵は藤村の父正樹であり、永島家三代目正義の弟正胤が幼年に出家し、のちに円城寺加賀守となり、
鎌倉の合戦に参加し功をたて、この人が木曾に下り島崎姓を名乗ったといい、これが島崎家の先祖であり、『夜明け前』のモデル青山家であるという。 

394 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:00:38.60
それから農民を馬鹿にして出鱈目垂れ流してるゴミは責任きちんと取れよ
お前が書き込んだデマを全て自分の手で否定して本当の事を書くか
さもなくば釣り宣言してスレを去れ

395 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:01:09.69
>>393
それ、間違い多いなあ。農民に編集されて嘘情報が多いな。
町名主の身分は農民じゃなく「町人」だし。
江戸時代の農地の地主は武士だよ。

夏目漱石の実家がそうだけど「町人」だよ。

>戦国大名の家臣だった者も少なくない
だから急激に領地減らされた毛利の家臣とかだけだろw

>永嶋家
そういう家も希にあったね、って話だろ。
豪商はたいていそういう伝承を持ってるよ。
農民よりちゃんとした系図でねw

396 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:02:04.77
>有産経営者だけは土地に根ざす由緒ある家と対等の口を利くことを認めてやる

ていうかさあ、町と違って、農地は、武士の者であって、農民は耕作権があるだけだろ?
町の地主様と比較できるのは武士の領地持ちだけであって、農民など町の地主からみたら
下働きにすぎなんだけど

・・・いったい百姓は、何を勘違いしてるんだ。

夏目漱石の先祖の家ま町名主で町の土地で農業もやってたらしいが「町人」だったので
年貢取られてない。そもそも自分の土地だしなw
一方、農民は、廻船業とかを兼業しても、それで得た利益にも年貢6割取られるw
武士の所有物の農地で耕作したりしてるんだからしょうがないよなw

397 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:04:56.23
>>393
小説ソースwwwww

398 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:14:47.24
>>395、397
子供がお前の話を信じて赤っ恥を掻いた時、お前の咎は万死に値する
死んで償えよ、ゴミ野郎

399 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:17:26.37
茶屋四郎次郎って家康に本能寺の変を知らせた後何したかと思ったら尾張で呉服商になったのか。

茶屋四郎次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E5%9B%9B%E9%83%8E%E6%AC%A1%E9%83%8E

>正式な名字は中島氏。信濃守護小笠原長時の家臣であった中島明延が武士を廃業し、
>大永年間(1521年〜1527年)[1]に京に上って呉服商を始めたのがはじまりとされる。
>茶屋の屋号は将軍足利義輝がしばしば明延の屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことに由来する。
>茶屋家は屋敷を新町通蛸薬師下る(現在の京都市中京区)に設け、160年にわたって本拠とした。

>初代清延が徳川家康と接近し、徳川家の呉服御用を一手に引き受けるようになった。
>三代清次は家康の側近や代官の役割も勤め、朱印船貿易で巨万の富を築いた。
>また角倉了以の角倉家、後藤四郎兵衛の後藤四郎兵衛家とともに京都町人頭を世襲し、
>「京の三長者」と言われた。しかし鎖国後は朱印船貿易特権を失い、以後は呉服師・
>生糸販売を専業とするようになる。10代延国(延因)時代の1800年(寛政12年)には
>納入価格をめぐって呉服御用差し止めを受け、1807年(文化7年)に禁を解かれたものの
>以降はふるわず、明治維新後間もなく廃業した[2]。

400 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:22:43.00
農地は武士のものって何言ってるの?

藩のものって言いたいのかな?

401 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:23:24.07
とある華族の子孫が知り合いにいるんだけど、その家は戦後食料に困って
農家に食料を買いに行ったら、足元をみられて、家伝の鎧兜とか、宝石類と
野菜を引き換えたんだそうな。

そしたら最近その農民の孫がテレビにでてて自分の先祖の兜だとかいって
知り合いの兜を見せてたらしい。

農民って嘘つきだな。野菜と兜を引き換えた祖父が嘘つきなのか、兜を
先祖伝来の、とかいってたやつが嘘つきなのか知らないが、農民は
祖父→孫の短い間でも嘘と歴史捏造が起こるんだなw


402 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:28:46.90
>>400
そこそこ以上の武士は自分の知行地を持ってます。
武士が死ぬまで一度も領地に直接来ないので、そこらあたりを
耕している農民が自分のものと勘違いしてるだけ。
勘違いしたのは明治以降かもしれないが。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q128192537
>室町時代でも江戸時代でも、百姓付きの土地を領地として与えられ、
>土地・百姓を直接支配してその年貢を得た武士が「知行取」で○○石と
>石高表示の者です

403 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:38:53.44
農民が地主になったのは「明治以降」であることを知らない農民が多い。
先祖代々の土地〜とか嘘こくな、農民。

このへんの事情は中公新書「秩禄処分」に詳しく書かれている。


404 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:39:29.65
農家の次男三男を集めた急ごしらえの兵にやられてる時点でもはや武士は用無しだったのさ

405 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:40:44.33
戦後のは農家ですら食べ物にそんなに余裕が無い時代でインフレで金の価値が暴落してる時なんだから仕方ないね
だいたい先祖伝来の○○とか売ったのは食料を買った本人じゃん
農地から盗んで行く町の連中がたくさんいたらしいよ
こっちが徹底的に糾弾されるべきだよね

406 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:43:14.95
>>401
見てきたようなデマを平気で書き込むのって精神障害の一つだよね
あなたに必要なのは精神科のお医者さんです

407 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:44:03.99
>>404
普段から重労働の肉体労働で足腰を鍛えてるからな、農民は。
何時の時代も野蛮人にはかなわないよ。

408 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:49:09.89
>>405
>>先祖伝来の○○とか売ったのは食料を買った本人じゃん

その兜はその華族の家の先祖のものだった。
だからその華族が先祖伝来の、というのは嘘じゃない。
でもその農民の孫は、自分の先祖のものだとその兜を見せびらかして
いたのは明らかに嘘じゃないか。
そして自分の先祖は有名な武士で云々的なこともいってたらしい。

本物の所有者の孫本人がそのテレビを見てなかったら、誰にもばれなかっ
たと思うと恐ろしいな。

409 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:57:14.18
売ったのが悪いんじゃん
先祖(祖父)以来のそのおうちのものだね
それとは別に元を辿れば武士とか公家とかいくらでもいるからw
程度の低い代書屋が作って矛盾が露呈してるような捏造家系も結構多いけど

410 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:59:50.07
>それとは別に元を辿れば武士とか公家とかいくらでもいるからw

戦国時代の農民徴兵を根拠に「秀吉のような武士だった」と
言ってるんだなw

411 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:01:13.50
>>409
それは苦しいなあ。
だってあたかもその兜と関係ある有名な武士の子孫だったと言ってるんだからなあ。
祖父かそのオッサンか、はたまた父親か、誰かが嘘ついたのか全員が嘘ついてるか
どっちかだな。

412 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:03:25.36
>公家とかいくらでもいるからw

公家は農民にはならないよ。
分家で、町人(商人や職人)になってるのはけっこういるけど
公家は田舎をこの世の終わりだと思ってるので、皆京都市内にいる。


413 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:12:55.11
源平合戦で平家ゆかりの者が行方不明になってたろ
京に戻って素性がばれれば処刑されるかもしれんので各地の僻地に落ちて行った
あの者たちは下級武家といえど元を辿れば由緒ある家の傍流を重ねた者たちだ
その子孫もたくさんいるさ

414 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:25:47.17
>源平合戦で平家ゆかりの者が行方不明になってたろ

誰のこと?
有名どころは全部、入水したか処刑されたかどっちかだよ。
平家の落武者伝説って、平家に徴兵されてた農民が負けたので
戻ってきたって話が実際だろw

鎌倉幕府はしつこいくらいに平家の斬刀狩りをしたからなw

関係無いけど平家って本当に桓武平氏の子孫か疑われてるらしい。
平正盛の父がどうやら仮冒したっぽい。安田元久著「平家の群像」より。


415 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:26:40.87
斬刀狩り→残党狩り

416 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 23:28:34.04
平家は怪しげな血筋の子孫だから、>>187-189 みたいな扱いで
穢れの地・六波羅にしか住めなかったんだろう。

417 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 01:11:20.39
なんか馬鹿が攻守双方を一人二役で自演してスレを回してるね

>401 :日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:23:24.07
>とある華族の子孫が知り合いにいるんだけど、その家は戦後食料に困って
>農家に食料を買いに行ったら、足元をみられて、家伝の鎧兜とか、宝石類と
>野菜を引き換えたんだそうな。

>そしたら最近その農民の孫がテレビにでてて自分の先祖の兜だとかいって
>知り合いの兜を見せてたらしい。

>農民って嘘つきだな。野菜と兜を引き換えた祖父が嘘つきなのか、兜を
>先祖伝来の、とかいってたやつが嘘つきなのか知らないが、農民は
>祖父→孫の短い間でも嘘と歴史捏造が起こるんだなw

こんなあからさまなデマに乗る人間なんて、書いた本人以外にないじゃん
大体華族に列せられた武士は幕末の功労者を除けば大名家であって
そんなメジャー級の鎧兜を先祖のものだと自称する馬鹿がどこの世界にいるんだよ?
すぐばれるっつうの

いい加減にしとけよキチガイ

418 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 06:54:11.20
某スケート選手の場合なんか・・・

419 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 08:18:38.94
>そんなメジャー級の鎧兜を先祖のものだと自称する馬鹿がどこの世界にいるんだよ?

あのさ、ポイントは、食料と鎧を交換した農民と、テレビに出てた農民は、
祖父と孫という別人だったってことがポイントだろ。

・農民の祖父が、嘘をついて孫に吹聴してた場合、孫は暢気に、本当に先祖の
 ものだと思ってその鎧兜をもってテレビに出てた可能性。

・モノを知らない田舎の農民が華族の希少性を知らずに、華族の鎧だからって
 身元がばれると思ってなかった可能性。

・知り合いの華族の祖父が、自分が華族だと言ってなかった場合。
 言ってたとしても、小卒農民だろうし、それがどんな有名な武家か
 知らなかった場合。

その鎧は、その家に伝わる第一の鎧とかではないらしいが、調べれば
間違い無くその武家華族の家のものだと証明できるらしい。でも頭の悪い
やつはそんなこと知らないだろ。

こんないろいろの可能性があるのに、否定したいばかりに、嘘だと決め付ける
お前って馬鹿?家宝と米や野菜を泣く泣く引き換えた話なんて他にもきくぞ?
だって戦争直後は金は紙切れだったし、配給だけだと栄養失調だったんだからさ。
テレビに出るまでのDQNはなかなかいないとしても、隣近所には先祖のもので
ございと吹聴してる農民はいそうだな。

420 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 08:23:48.76
長い

421 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 15:56:23.51
自演が露見してもまだ嘘八百を続ける根性だけは認めてやるかw

422 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 16:06:10.45
何のイベント?

423 :日本@名無史さん:2012/08/09(木) 23:43:57.27
>>402
うちの地域は江戸中期に知行から蔵米に変わったらしい
さすがにその頃の文書はうちには残ってないけど

424 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 15:54:26.11
おいおいwww
しょうがないな。偏差値70越の私かじきじきに釣られてやろうか?ww

いいか?まず、偏差値70超えの私から直々に歴史の講釈していただけることに、
まず、喜びかみ締めろ!!

わかったか?wwしゃーないのーー暇だし釣られてやっからw

425 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:04:03.82
>>402>>403
wwwwwwww釣りじゃないならアルツハイマーかなんかの疑いあんじゃね?www
知行地を所有地だとほんきでおもってるのか?wwwwwwwww
知行地とは、あくまでその土地の既成収益の吸い上げであって、土地自体を所有じゃないんだけどww
こんな基本中の基本まで俺は低脳相手に釣られなくちゃいけないの?ww

俺の偏差値なんぼだと思ってんのよwwwww
俺の上には理3クラスしかいねーーんだが?www

それじゃいこうか。偏差値70超の論述を。

426 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:13:53.56
それからな、町場の打ちこわしなどは農民の仕業とかほざいてる基地街よw
シャーないノー釣られたるがなw
ええか?町場の打ちこわしは町人が主体だ!しかも大半がここぞとばかりのいわばフーリガン。
そもそも小作人を農民というのか?ただ単に畑を借りて農業という労働で生活費を稼いでるだけだぞ。
町民となんら変わらない層だが?
さらに当時農とは漁業林業も含めて農といってたことくらいわかるよな?
一次産業自体を農三次産業は基本商と称してた。
で、厳密に幕府は小作や長屋町人をそれらの枠に当てはめていたわけじゃない。
これらをどこかの区分に当てはめて語ろうとすること自体が低農のきわみなのだよ。
いいか?そもそもの納税の主体となるべき業をなす家を、大まかに士農工商と分類できる。もしくはしていただけで、
小作や町人のように、それらに属し、身銭を稼ぎ生活をする、いわば属する者たちを厳密に区分などしていない。
丁稚と小作と、日雇い町人と、何が違うんだよ?働く業が違うだけで性質はほぼ同類だろ。

そんなこともわからないのか?

427 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:26:04.99
一揆や打ちこわしから見える江戸社会を分析してみると、実は武家社会とは、
現代がイメージする武家社会とはまるで違うということ。

たとえば一揆や打ちこわし。本当に武家社会による画一的統制社会が存在していたのなら、
江戸社会とうしてあれだけの数がおきていたのだろうか。ありえるのであろうか?
抵抗表現として、一揆や打ちこわしをあれだけの頻出で手段として選ぶのだろうか。

実は武家社会とは、決して他の医師や選択能力や決定権等を強制、統制していた存在ではなかったということ。
今現代では武士がそれ以外をあらゆる面で徹底統制していたというイメージで語られるが、
実は、上層武家があらゆる面で徹底統制していたのは下層武士であったということ。

そしてこの上層武家が、武士以外に統制できていたのは、社会政策的利権による利潤のみにしか及んでなかったという事実。
それが庄屋豪商の権限や屋敷と、下層武士の境遇見れば一目瞭然でしょ。

武家社会の真実とは、上層武家の社会全体の利潤を独占していたに過ぎず、
そしてそれらに徹底服従されていた、できていたものらこそ、下層武士のみに過ぎなかったという事実。
下層武士が小作以下の境遇でも氾濫が起きなかったのは、意思や決定権から選択権、財産まで、
あらゆる権利を徹底統制により奪われていた唯一の階層だから。

武家社会の主役たる上層武家から徹底服従、徹底弾圧、徹底搾取されていたのはほかでもない、下層武士たちであったという事実。
これこそが真の江戸社会な?いつから下層武士は社会政策に関与する上層武士と同じ同義語で語られるようになった?
江戸時代、同じ立場で語られて他とでも思ってるのか?搾取、弾圧されている側という立場で語られてるだろ江戸社会では。
なにいっちゃってくれてんだよ?下層武士は町人と同じ立場に毛がはえた程度で藩主や執政から語られtてるだろ。軽輩どもwww

何を勘違いしてるんだよw
なんで上層武家からその糞以下の庄屋豪農以下どころか町人並みの生活水準をあてがわれてるんだよww



428 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:33:05.04
眼が疲れてしまって読む気がしない。

429 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:35:41.97
それからな、>>室町時代に苗字禁止というお触れが出てたとかいうやつ。

いいか?それは地域限定の話な?足利将軍家が全国画一的に通達したお触れじゃないくせに、
あたかも全国統一の解釈とするな!

そもそも室町幕府は中央集権じゃないのに、どうやって全国的確いつ政策ができたんだよ?
連立政権だろうが。さらに守護家は大半が京で暮らし、貴族文化をたしなむえせ貴族だろ。
どこに管轄の守護地にそれだけの影響力ある?そもそも貴下直属の軍事力すら持ってないのに。



430 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:48:56.98
そして、なぜ江戸初期ではなく江戸の中後半できり捨てごめんや苗字に関する触れが出されたのかわかるか?

>>428
たしかにそうだよなwwww長々とさらに書くつもりだったが、俺もめんどくさいからやめようかなw

まーでも町人からなにまで江戸時代苗字を乱立できてたわけデモしてたわけでもない。
それは江戸社会の政策による 資産、富の再分配と、その結果ですべて説明できる。
元禄文化等の町人文化と呼ばれるものは、実は何であったのか、
また幕閣による境政策に真の目的とは何であったのか。
それらを紐解けば、その当時の時代背景が浮き彫りになる。

そうすればこの苗字に関しても意味が紐解けるのだよ。

  こんなこと、大学教授でも教えてくれないからな?wwwwまじでww
ましてや高校の歴史の先生程度じゃ偏差値が違いすぎるのだよ私とwwwwww

431 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 16:50:10.26
>>425
明治になってうちの知行地に対して地券が発行されたのはどういうこと?
偏差値70ならわかるよね?

432 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 17:29:58.47
>>431
おい、ほら吹くな。
どこに太政官府が知行地に地券発行なんて条文存在する?
それが仮にあったなら、特殊な事例によるものだろ。
その土地をもともと所有していた農家を振り下ろしての地券発行なのか?
違うだろ。そんなもの明治政府化の裁判所でも認めてないぞ。
だったら、当時の旗本藩士が満遍なく知行地の地券発行されてるの?

例外的事例で全体となすのか?w
そもそもの知行地の意味知ってるのかといってるのだよ?
いいか?知行地自体が土地の管理運営だとどこにそんな定義なしてる?
管理運営保守をなして初めて所有地となすんだよ?わかる?
江戸時代ですら知行地を所有地と解してるお触れ出しなさいよww

433 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 17:36:15.66
大体、知行地が所有地ならなんで検地なんかやんだボケなすw
すべてが国家(幕府)に帰属するものなら何で戦国時代が起きるんだよ?
すべてが幕府に帰属するものならなんで検地やる?
で、下克上のなり上がりが、江戸期以前から知行なんぞもってないのに、
なんで成り上がりどもの分際が、知行地を万世一計の所有地だとほざける?
寝言こくなよwお前らはなり狩りの元は町人風情の出自だろうがww
その町人風情の雑多のあぶれもの出自が成り上がって、藩から食い扶持あてがわれてるだけの分際で、
いつから土地を永久既成が許されたよ?
だったらなんで国替えが存在する?所有権は幕府の一存でころころ換わるのか?
だったらそもそもの所有権は下層ごときの武士ではなく、幕府の政権自体が一括所有してることになるよな?



434 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 17:43:22.95
まさか反論くらいできるんだよな?wwwwwww
偏差値70超の神敵領域の超絶脳とディベートできる機会なんて、
君らに何ぞないんだから、ありがたく反論許してやるよww

苗字が町人にまで乱立できていなかったものも幕府の社会政策から俺は定義付けできちゃうぜ?www
俺、ぱねーーからwwww



435 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 17:53:11.51
何千回もいってるが、
仮に知行地を所有地と解する定義となすなら、
その知行地をあてがってる藩に所有権は帰属し、
その管轄地に藩を置くことを許している幕府にその所有権はさらに帰属する。

間違ってもたかが藩士ごときに、その知行地となす所有権なぞ存在しない。
下層藩士ごときなど、上層武家から最も弾圧されてたものたちなのに、
どこに身分も、財産も、選択権も、意思も、どこに独立したものが存在する?
これらが所有するものすべて自体、藩に帰属するものだろ。
何一つまっとうな自治権も発言権も拒否権も持ってないのに、何で知行地だけ独立した所有権とみなせるんだよ_?
藩主から永代既成知行なんて確約されてるのか?

狂ってるの?www

436 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 18:00:44.18
何度もいうが、江戸武家社会において、政策決定券を持つ上層武家社会に徹底弾圧されてた階層こそ、下層藩士であったという事実。

あくまで江戸上層武家は社会の社会全体の利潤を独占していたに過ぎずないという事実

そして利潤のみならず、意思、身分、財産、生死、存在自体すべてを統制されていたものこそ下層藩士のみだったという事実。


あらゆる権利を徹底統制により奪われていた唯一の階層だから。


437 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 18:06:34.21
大体、庄屋、下層藩士  

どっちがどれだけ藩や幕府から徹底統制されてんだよ?www

で、どっちがどれだけ「付属する権威権力による富の集中化」ができる身分なんだよwww

わかるか?藩や幕府にとって真の奴隷だと思われてるのは、庄屋豪農でなく、下層武士であったという事実。

438 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 18:14:27.70
そうそう、それから上のほうでイギリス社会との比較述べてたやついるが、ジェントリね。
ぜんぜん間違えてるから!!!!

イギリスは、1700年代後期まで貴族はわずか130家前後。
その後産業革命後約600家に増えた。
その増えた階層はほとんどが日本で言う庄屋階級だが?
新興貴族になる条件は土地を1200エイカー以上もち、
さらに高額納税者で、そしてどれだけ近隣に貢献したか(名望家度合い)
それによって国会議員になる権利うを得られ、そこから国への貢献度で貴族になった。

いいか?これだけの土地を持ち、高額納税者で、地域名望家・・・
全部庄屋にしか当てはまらんだろうが!!!
明治初期、俸禄に寄生し、士分に寄生し、政府に氾濫おこし、抜刀隊に討伐され、納税も平百章以下

こんなのが、イギリスのジェントリーなわけないだろが!!!wwwww何勘違いしてるのよwwww

439 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 23:33:31.75
口は悪いが言ってることは一つ一つ納得できる
それで苗字の話は?

440 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 23:57:09.12
>>439
だろうwww私は高校の歴史の先生程度じゃまず、足元に及びませんよwww
まじ、大学教授でも、私に歴史理論で当てるクラスいる?
本気で知りたいわいるなら。

>>それで苗字の話は?
いいでしょう。私クラスの偏差値70超の超絶脳の歴史論文をただで聞けるなんて、
本当に贅沢なこと。本来なら時給数万で講義できるクラスをただで聞けてるという感謝の気持ち忘れるなよ?w
まじで。俺クラスの論述、大学教授クラスですらほとんど唱えられてないんだから。

長文になるけど、おしえてあげmしょう。

441 :日本@名無史さん:2012/08/12(日) 23:59:58.86
すっかり つまらなくなったな・・・ このスレ


442 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:04:24.45
まず整理すると、君たちは、町人でも誰でも苗字を乱用していたからこそ、
江戸中期以降、幕府はわざわざ苗字禁止令を出したという推測を行っていますね?

私はぜんぜん違うといっている。
そもそもが例外や一部を抜かしても、町人全体が乱用などしてる事実などないし、
また、幕府もそれら町人が生意気だというニュアンスの意味合いで出したものではまったくないということ。

じゃあなんだったのか。それを説明する。なんかめんどうだが、気持ちが乗ってたら書く。
「補足」
補足するが、下級武士事態、江戸初期の分限長など見れば、苗字なしなど五万といる事実な。
江戸初期、足軽のみならず、下級武士はぞうりすら履くこと許されてなかった藩が多いという事実。

443 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:10:51.69
>>441
じゃあわかったよ。真実書けばつまらないというんだろうから、それは俺もわかってるんだが、
あまりにもひどいもう総論ばかりなのでつい書いてしまう。

確かにそうだな。2ちゃんなんだから、妄想基地外同士で罵倒しあいながらバトルのが醍醐味だよな。
確かに。俺ももう少し見守るよ。楽しくなくちゃだめだよな2ちゃんわ。w

頭がよすぎるのはつらいぜ・・・お前らのように馬鹿なら物事を何でも楽しめるんだろうな・・・裏山だよ。
俺は何でも物事の本質や真意がつかめてしまうため、つまらんよ。
相対性理論とかそれクラスじゃないと、俺にとって解析不可能なことが存在しない。
これって悲しいことだよ。

444 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:16:25.14
>>441
このスレって要するに庄屋さんの自作自演で回ってるんだよね
ちょっと前までいた農家を馬鹿にする言動の人と庄屋さんはセットみたいだし
カラクリ見抜いちゃうと書き込む意欲が消えるスレ

まあそもそもがネタスレなんで、立てた本人=庄屋さん=農民見下し荒らしなのかも知れないけど

445 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:20:57.20
庄屋はいいから苗字の話はよ

446 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:37:40.36
>>444
あのね、おれは自作自演などしてない。
庄屋や豪農を馬鹿にした発言は一切してない。
もししてるなら、一気に殴り書きの様にこうやって真実の論述しないだろ。
普通に楽しみながらやるっつーの。勘弁してくださいよw

>>445
だから、その苗字の真実を、江戸社会の政策の観点や文化の観点から紐解いてやろうと思ったが、
真実を書くばかりが2チャンじゃないと思うよ。
やはり、妄想垂れ流しながら、罵倒しあってすれ流すのが醍醐味だと思う。
俺が真実書いてしまったら、ツマランだろ。
あえて、やめようと思う。しかも長文になるし。

447 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 00:45:05.95
大体、本当に私の自演なら、その農民罵倒と連鎖しながら、今日のような真実の論述書くでしょ。
自作自演なら、どうしてわざわざ日を置いて一気に一日で殴り書きする?
要は普通に会話形式のように書き込んで自演すればいいことでしょうに。
何でわざわざ今日になって数日前の書き込みのスレ郡にひとつひとつこうやって反論する必要あるのよ。
やりずらいし、よみずらいし、何がメリットよこれ。
私偏差値70越えよ?wwなんの価値があるのよそこにw



448 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 04:13:00.39
うざっ

449 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 05:21:56.74
徳川は河内源氏 江戸城をつくったのは摂津源氏

450 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 06:52:27.17
お前には失望した
苗字について書かないならこのスレにはいらない子
失せろ

451 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 07:49:03.11
偏差値にコンプレックスを持つだけあって、
やはり文章が外人レベルだ

452 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:43:28.47
太田亮
http://kindai.ndl.go.jp/
姓氏家系辞書
第一章 家系の探り方
第五節 中古に於ける氏の数
p19-p20

最後に第三の一旦氏が忘れられて後、更に必要に迫られて出来た苗字について述べよう。
一体近古以来氏や苗字と云うものは一般人民では、あまり普通に用いないという云う風習
があった。その上、徳川幕府では平民に苗字を公称するを禁じたから、自分の家の氏や、
苗字を忘れ果てた者は極めて多い。之がある必要によって苗字を名乗る場合、他人のを
盗むか、それでなければ無茶苦茶につける。こう云う事は維新後が殊に多い。之は誰でも
知っている事実である。著者の家にも氏があった、けれど長い間使わないので明治になって
苗字を届ける場合、其古い氏が一寸わからぬ。祖父は無頓着の人であるから、綿と鍋とを
商って居ると云うので、綿鍋とつけた。

453 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:45:56.11
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10085939&TYPE=HTML_FILE&POS=1
大阪毎日新聞 1920.8.20-1920.9.3(大正9)より
国勢調査の話 臨時国勢調査局調査課長 二階堂保則

貧困者などになりますと自分の名前を知らず夫の名前も知らない、又子供の名前も知らないものが
あります。現に東京の木賃宿等に参りましてそこに泊っている人等について調べて見ますと自分の名
前が判らない、それ故に生れた国によって名前をつけて例えば上州に生れた者は上州、信州生れは
信州と名付けて居ると云う風である。又私が東京の細民窟について細民調べをした事がありますが
其時、或家に参りまして、そこのおかみさんに貴女の御亭主は何と云う名前ですかと申しました処が
答えて曰く松さんと云うとの事でそれでは苗字は何であるかと聞くと私の処には苗字なんと云う贅沢
なものはありませんと答えた、松さんと云うなら松太郎か松次郎かと色々聞いて見ますけれどもそんな
名じゃありません、ただ松さんと云うのですと云うので、それでは貴方は何日御嫁に来たかと云えば四
年前だと云う、四年前から亭主の名前も知らずただ松さんで通して居るのである。

454 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:47:39.98
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/8186/1/70(4)_524-535.pdf
文部省年報掲載の調査報告 自分の名前が書ける人の割合(%)

青森県 1881年 男子 37.39 女子  2.71 全体 19.94
鹿児島県 1884年 男子 33.43 女子 4.00 全体 18.33

を見れば、男子の1割が武士だったとすると、青森では男子の
73%、鹿児島では男子の77%が自分の名前すら明治に入ってかなり
経っても書けなかった。女子にいたってはほとんど書けない。

455 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:49:26.04
島崎藤村の回顧

http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/4709_14364.html
二七 お百姓の苗字

父さんの田舍の方には働くことの好きなお百姓が住んで居ます。今でこそあの人達に苗字の
無い人はありませんが、昔は庄吉とか、春吉とかの名前ばかりで、苗字の無い人達が澤山あ
つたさうです。あの人達が苗字をつける時のことを今から思ひますと、
『お師匠さま、孫子に傳はることでございますから、どうかまあ私共にも好ささうな苗字を一つ
お願ひ申します。』斯うもあつたらうかと思ひます。そして、大脇の脇の字を分けて貰ふとか、
蜂谷の谷の字を分けて貰ふとかして、いろ/\な苗字が村にふえて行つたらうかと思ひます。

456 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:52:04.04
定本 柳田國男集 第十五巻 筑摩書房(新装版)P303-P304 家閑談・家名小考より

明治三年の所謂在名の解禁には、今でも一つ話になつて居るような珍らしい経験が各地にあつた。
政府が平民全般に名字の使用を許した際には、恐らくはどの平民にも必ず名字がある筈と思つて
居たのであろうが、事実は決してそうで無かつた。或土地では住民の全部に名字が無い。已むこと
を得ず、役場総掛りを以て急に名字を造つて遣つたなどという話もある。
同じ農民でも或ものは既に格式として之を公認せられて居り、或ものは表向には許されなくとも、
人も知り又私には用いて居る名字があり、又或る者は本家が明白であつて、容易にそれを書上げる
ことの出来た者もあつたが、他の過半数は実は久しく家の名を忘れ、もしくは甚だ覚束ないものに
なつて居たのである。それが平生恩顧を受ける家に頼み込んで其家名を乞い受けたり、或は独りぎめ
に地方としては恥かしくないものを取用いたり、或は親類中の物知りの意見に附いたりして、兎に角
に今では一軒として名字を持たぬ家は無いことになつた。寺や役場で拵えて遣つたというような、
極端な場合こそは僅かでもあろうが、其他の数多い農家の名字とても、実は十分なる考証と確信と
を以て、出自系統を表示したものばかりとは言えないのであつた。

457 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:24:19.46
江戸時代の庶民の多くが名字がないのは常識だったのに、名字があったと戦後になって
言い出したのが洞富雄。朝鮮戦争は韓国が先に侵攻したとか主張した面白い学者だ。

徳川幕府が強く取り締まれなかった武田の旧領や天領で名字がある農民が多かった特殊例
を示して、全国で庶民は名字があったと主張した。


458 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:41:36.15
また農家に苗字がないなんてデマを言い始めたのかw
庄屋さんも自作自演お疲れ様です

459 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:42:36.31
江戸末期の人が「民間に至りては姓あるもの甚罕にして先祖の苗字をも知らぬ輩多きに
至る。」と書いている。

http://kindai.ndl.go.jp/
類聚近世風俗志 原名守貞漫稿 喜田川季荘著
[第1冊]上 第参編

p18 右上
又神世には姓なくして名あるのみ。

p19 右下
民間に至りては姓あるもの甚罕にして先祖の苗字をも知らぬ輩多きに
至る。苗字も血統を分かつの一なれば授ることは如何。庶人は姓氏
及び苗字を私には称すれども公に用うることを得ず。功ある者官命を
得て公に用うる也

460 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:44:41.15
>>458
洞富雄のホラに乗せられてかわいそうw


461 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:48:09.70
著者11歳時の体験。

http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn138.html
石井研堂『明治事物起原』、『明治文化全集・別巻』、日本評論社一九六九年版、第一四三頁 より

当時、著者の父は、町の什長といふを勤めたりしが、区内細民の請に応じ、苗字を選びてやりし
ことを、微かに記憶せり、即ち種々の苗字を選び尽くして後煎茶の銘を取りて、甲に青柳乙に喜撰
丙丁鷹爪宇治といふ様に命じ、茶銘尽きて、徳川四天王の酒井榊原井伊本多など命けしに、その
内の一人、恐る■■「彼様な勿体ない苗字を付けましても、お上から御咎は無いでせうか」と訝り
問ひ、父が、必ず心配無き由を諭したりき、今にして回顧すれば、これ予が十一歳の時なりしならん。

462 :日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:59:04.53
ヨーロッパでも14世紀頃まで庶民は名字がなかった。

http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20120522/p1

名しか持っていなかったはずの中世人がいつのまにか姓を持つようになって
いることを不思議に思いつつ、そのことの歴史的経緯や意味を調べたことは
ありませんでした。まさにその問題を家に焦点を当てながら扱った記述に目
を通しました。名から名+姓への移行は、1300年前後に大規模に起こりました。
使われる名が少なくなり識別が困難となると同時に、家父長を中心とする男系
の家の団結が高まり、加えて自治を行うようになった都市が市民の個別的把握
を行う必要に迫られていました。こうして名+姓への移行が起こります

463 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 00:05:10.87
ずっと苗字を名乗れなかったから、江戸末期に苗字を忘れてしまったことは当然あり得るだろう。
江戸以前がどうだったのかが重要。

464 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 00:28:53.08
天皇家には今でも名字がないのだから、最初は無かったことは間違いない。

465 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 00:30:35.84
>>460
明治維新から敗戦に至るまでの間、歴史研究が自由じゃなかった事くらい知ってるよな?

466 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 00:36:52.03
>>464
神話に出てくる人たちもそうだしね。

467 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 00:38:47.55
>>465
明治維新から敗戦に至るまでの間、戸籍を作った張本人が生きていたことくらい知ってるよな?

468 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 02:21:29.88
>>467
それのどこが反論なんだ?
庄屋さん自演荒らしは馬鹿なのか

469 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 07:30:16.68
>>468
日本の系図研究の第一人者である太田や官僚だった柳田が間違うはずがない。

大正頃は言論は結構自由だったので(近代デジタルライブラリーで参照一位がエロエロ草紙で吹いた)もし名字を受け継いでいたなら太田や柳田は叩かれたはずだがそんなこともない。

470 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 07:45:57.56
いまだにアイスランドは名字がない。アラビア圏も実質的になく、タイも100年ほど前までなかった。ロシアも名字を使いはじめるのはかなり遅れた。

471 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 08:22:54.35
>>469
庄屋荒らしさん、いい加減にしとこうよ

記憶違いでなければ、大正期でも、史学界においては、自由だったという訳ではなかった筈
国体に直結する皇室が絡む歴史分野は全タブー、明治体制の史観に反するものは唱える事を許されない
天皇機関説を初め、左翼的な言動があったのは事実だけど、あれら自由は史学の分野は保証外だった
言うまでもなく、研究によって明治体制が揺らぐ恐れがあった為、そこまでの自由は流石になかった
明治体制は庶民(農民)を弾圧した江戸幕府からの解放=明治維新という大義名分をイデオロギーとした為
特権階級の存在を際立たせる為にも、か弱く従順な大多数の庶民には苗字がない事にしたかった
またそうする事で平民と士族との差を強調する事が出来るので
不満を持つ士族のガス抜きに利用できるという側面もあったんだろ

大体、室町・戦国期の名門が庄屋になった事を書いたのはあんた自身だろう
それにもう何度も言われている事だが
先祖が武士で刀を置いた家、落ち武者の家系などは苗字を子々孫々に伝えているし
平安から鎌倉までは分割相続だった為、庶流の武士が大量発生してる
この国には先祖崇拝があるので、子孫達は先祖の由来と苗字を忘れずに伝えていく
別に必要性があったから苗字が残ったわけじゃないぜ
あんたがその事は一番よく知ってんだろ

この辺でいい加減にやめろ
次につまらんレスしてきてもスルーするんでそのつもりでな

472 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:09:23.39
逃げ出したw

一生で100人くらいしか付き合わない家族全員文盲の世界を想像してみろよ。

473 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:31:53.30
当時の証言によると幕末の非武士階級の60%くらいが名字がかつてあったとしてもわからなくなっていて、逆に言えば40%くらいは名字を公称できるかとは別に伝えていたということになる。

これが史実に近いだろう。

474 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:54:27.11
>>472
どこをどう読んだら逃げ出したように見えるんだよクズ運営

475 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:59:12.65
>>473
ってか普通に書き込みあるだろ?

>11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
>長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
>持っている。

なんで不都合な話をスルーすんだよ?
自分とこの苗字を知らないような奴がいるわけないだろ

運営が煽り目的でわざと出鱈目の知識を拡散する
それを読んで勘違いした子供が赤っ恥を掻く
出鱈目かを書いた当の運営は「嘘を嘘と見抜けない奴は(ry」とか言い出す
こんなことばっかやってるからアンチが増えて、2ちゃん潰せって話になるんだろ
いい加減にしとけよクズ運営

476 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 11:20:54.98
>>457
おまえんところの馬鹿な連中は苗字なくてかわいそうだな
全員痴呆症だから苗字忘れたんじゃね?w

477 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 13:39:07.38
<ここまでのまとめ>
・江戸時代以前でも、庶民に苗字はあったようだ
・江戸幕府は庶民の苗字公称を禁じた
・持っていた苗字を忘れてしまった庶民も多いようだ
・結果、苗字がない状態の庶民が多かった

478 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 17:25:35.36
>>475
それ旧武田領だから。

東京大学史料編纂所 近世編年データベースで以下参照できる。

http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
【史料群名】 日本財政経済史料 2巻1034頁
【和暦年月日】 寛延3年11月(17500110550) 2条
【綱文内容】 由緒百姓町人及び苗字帯刀等について記す
【出典名】 地方凡例録7

「甲州には武田家の浪人当時民間にある類由緒ありて、古来より ロウ人相立農業を営、苗字帯刀にて住居いたす者多し。

479 :晒しあげ:2012/08/14(火) 17:31:08.60
>>477
>・結果、苗字がない状態の庶民が多かった

勝手に貴様は史実の改竄をするなと何度も言わすな

>>478
お前は苗字を持っていた農民が全員武士で、苗字帯刀でも許されていたとでも言いたいのか?
武田旧臣で苗字帯刀を許された農民は懐柔策であって、力のあった連中だけだろ
いい加減見苦しい

480 :晒しあげ:2012/08/14(火) 17:39:36.99
そう言えば>>471への反論はねえよなw
この馬鹿、逃げたと罵れば誤魔化せると思ってるらしい

481 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 18:30:19.46
>>477
・結果、苗字を知らない状態の庶民が多かった
の方がより正確だろう。

>>480
レスしてきてもスルーって言ってるくせにレスが無いと寂しいのか。

482 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 18:32:36.15
とりあえず庄屋と偏差値70はコテつけろ

483 :晒しあげ:2012/08/14(火) 18:35:13.12
>>481
471は事実しか書いてないんだから、反論の余地なんてない罠w

>>482
あの人同一人物だからコテ+トリで暴れたら見ものだなw

484 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 18:36:57.44
>>483
お前もコテ付けろ

485 :晒しあげ:2012/08/14(火) 18:43:45.83
>>484
いい加減にしとけよ糞運営w
お前がコテつけさせるのは自分の自演がミスでばれるリスクを軽減さす為だろうが
さっさと庄屋と偏差値70はさっさとコテつけて自爆してここから消えろカス!

486 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 19:21:56.84
>>471
想像ばっかw
喜田川、太田や柳田の証言を批判してみろや。馬鹿は思い込みだけで生きてるんだね。

名字の使用が厳しく管理された村でも江戸後期には分家が増えて半数近くが村内限りの名字の使用をしていた例がある。

487 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 19:30:57.59
http://www.tvkanazawa.co.jp/article/program/apg_detail.php?apg_id=273

能美市下開発町では、ある法則に従って同じ名字の方が数多く住んでいるのです。

その法則とは…、方角なんです!
地区の東に住む人は「東」さん、南に住む人は「南」さん、そして、東西南北に囲まれた中心部に住んでいる方は「中」さんという具合。
全65世帯中、ほとんどの方が「東西南北」と「中」で占められています。

というわけで今回のケツロン!
「この町に東西南北の名前が多いのは、
 杉本さんの先祖がつけたから」でした!
ちなみに、杉本さんのご先祖は町の庄屋さんだったとか。納得!

「でも、同じ名字で不便なのでは?」と思ったあなた!
いいところに気がつきました。
実は、「屋号」で呼び合っているのです。
これはちゃんと町史にも書かれているんですよ。

488 :晒しあげ:2012/08/14(火) 19:42:01.68
>>486-487
>想像ばっかw

この一言で終わったな
471に書いてある話は事実なんで、お前が何も知らない人間である事が証明された

といっても庄屋さん荒らしと偏差値荒らしは同じ人間なので
まあ知ってて知らないふりで荒らしてるだけなんだろうが

489 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 19:51:35.43
>>488
俺がこのスレに書き込んだのは昨日が最初だ。はい想像ばっか証明終了。

490 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 21:38:58.80
歴史読本 2004年6月号
明治 苗字騒動顛末 平民苗字必称令の功罪 井戸田博史(帝塚山大学教授) より

大阪府東大阪市に光教寺という浄土真宗の寺がある。
寺のある地域には、北野、南野、東野、西野の苗字が多い。
同じ苗字の家は親族か同族かというと必ずしもそうではない。
明治になり村人すべてが苗字を名乗ることになったときに、
同地の中心であった寺の住職が頼まれて寺の東西南北の
方向によって苗字としたのである(同寺の住職の妹高橋克子談)。

491 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 21:41:37.06
>>485
誰が運営だよ
妄想にもほどがあるぜ

492 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 21:49:58.13
洞富雄の「江戸時代の一般庶民は果たして苗字を持たなかったか」を読んだけれど、
これってひどく強引で雑な論法だ。

洞が示す根拠:
・長野県坂北村の碩水寺の奉加帳にはみな苗字が書いてある。(幕府直轄領)
・自分(洞)が住んでいる江古田も幕府の直轄地もしくは幕臣の給地で、ここの
 氷川神社の1846年の造営奉納取立帳にはみな苗字がある。

天領の百姓に苗字があるのは太田亮が指摘している通りだと洞も認めている。
しかし、洞は次のように展開する。

「しかし松本市のヤマト屋書店で所蔵している富士山御師が南安曇郡の三十三ヶ村
の講中を列記した名簿にはほとんど苗字がある。これは、苗字の禁制が寛やか
であったためかどうか知らないが、とにかく大名領(松本藩)でも苗字の私称が全般的 に行われていたことを示す、一つの好資料である。

これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」

おいおい。

493 :日本@名無史さん:2012/08/14(火) 22:06:03.38
伊勢国鈴鹿郡椿世村では、安永2年(1773年)に苗字があるグループと、苗字がない
グループで激しい対立が起きていた。

鈴鹿市史 第2巻より:

無苗の者三十余人が、苗字方筆頭の家に押しかける騒動となり、藩より処罰された事件である。このころ同村は苗字方三一人、無苗四〇人 。

三重県警察史(1964年)によると、
「この事件は安藤、打田、増田の三家およびその分家一党は早くから村内限り通用の苗字を有し 葬祭の時の袴着用、戒名の道号によって無苗の家と身分的差別をもうけていた」ということだ。

494 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 00:13:22.07
そもそも明治政府が姓を必須にして改名を禁止したのは徴税徴兵のためであって、恩恵でもなんでもない。

昔は幼名を付けるのが当たり前だったのに改名を禁止したものだから「子供に子供っぽい名前を付けるのはDQN」とかいう馬鹿な議論をしている。

子供に子供っぽい名前を付けるほうが伝統だっちゅーの。

495 :晒し上げ:2012/08/15(水) 01:11:33.68
レスがつかないのでおかしいと思ったら、2ちゃん運営である証拠を誤爆で残した為、逃走を図ったからですかw

★NHK大河ドラマ平清盛★
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1339417367/l50
292 名前:日本@名無史さん :2012/08/14(火) 09:29:23.97
当時の証言によると幕末の非武士階級の60%くらいが名字がかつてあったとしてもわからなくなっていて、逆に言えば40%くらいは名字を公称できるかとは別に伝えていたということになる。

これが史実に近いだろう。

496 :晒し上げ:2012/08/15(水) 01:12:30.35
ま、運営が立てたネタスレ確定なんで、放置が一番なんでしょうね

497 :www:2012/08/15(水) 01:18:49.46
江戸時代庶民に苗字〜それは2ch運営のネタスレw
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1344961066/l50

1 名前:日本@名無史さん 2012/08/15(水) 01:17:46.41
江戸時代庶民に苗字〜それは明治8年2月13日遡る
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1340169634/l50

このスレで書き2系統の荒らしが出没していますが

・庄屋は名家と言い張っている荒らしA

・国民の大多数は苗字を持っていなかったと言い張っている荒らしB

AもBも両方とも2ちゃん運営による自作自演で、燃料を投下して議論が活発であるかのように演出してるだけですwww

498 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 01:26:07.01
>>495
都市部の熊さん八っつぁんは忘れたとしても
農村部では分からなくなるはずがないでしょう

499 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 03:49:15.08
農村って誰に向かって苗字を名乗るの?
そもそも農民は町人と違って文盲ばかりでしょう。

都市部のくまさんはっつぁんってしょせん農村から出てきた
苗字のない流れ者でしょ?一代で子孫残さず死ぬ農村からの流れ者。

500 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 03:50:16.39
そもそも熊さん八っつぁんって何?
時代劇にそういうのが出てくんの?

501 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 07:29:47.55
熊とか八は落語で庶民の名前。

名字があるほうがよほど家名に拘束されて不自由だということも分からない奴がいるんだな。

502 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 07:51:08.62
江戸時代の日本の人口

(江戸幕府「人別調べ」、関山直太郎による)

1774年(安永3) 2,599万
1780年(安永9) 2,601万←
1786年(天明6) 2,509万←
1792年(寛政4) 2,489万←
1798年(寛政10)2,547万

天明の飢饉での飢餓と共に疫病も流行したが100万人以上の人口減

江戸時代は他にも寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天保の大飢饉、元禄の飢饉、宝暦の飢饉、
延宝の飢饉、天和の飢饉やらで餓死や疫病で死んじゃたりするから名字伝える前に死んじゃう人もいそうだな。

503 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 08:20:55.26
>>501
なんだ落語に出てくる小話の有名人物か。
それをあたかも史実みたいに語るなボケw

そもそも名前しか出ないだけでそいつらにも苗字あるんだろ?

504 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 09:09:09.31
>>503
熊や八に名字があるかボケ

505 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 12:44:24.00
別にあってっておかしくないが?

506 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 12:59:10.01
亀屋熊吉→略して熊さん
関谷八五郎→略してハチ

507 :日本@名無史さん:2012/08/15(水) 18:59:07.38
本職がこう言ってる。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/rakugo_080208.html

役所にちゃんと届けが出てるかどうかは怪しいものですが、八っあんは八五郎、熊さんは熊五郎という名前がございます。名字?知りませんそんなものは。

508 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 01:01:24.26
>>507
これを本職と言い切るお前の感性が理解できない

509 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 07:26:36.80
この人が落語家の本職でないなら誰が本職だよ。

筆者プロフィール

柳家三之助(やなぎや さんのすけ)
1995年に十代目柳家小三治に入門。「小ざる」の名で前座修行ののち、1999年に二ツ目昇進。柳家三之助と改名する。都内の寄席や全国の落語会で精力的に高座を勤める傍ら、インターネット上の様々なコンテンツで落語の普及に努める。

510 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 07:35:12.30
学問の論証に、落語のネタを使うなってことだろ
言わすな、恥ずかしい

511 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 07:47:45.16
江戸時代の庶民の芸能を伝える古典落語の専門家が八や熊の名字なんて聞いたことがないと言ってるのだからFラン大学教授よりよほど信用できるだろ。

で、大学の先生は八や熊に名字があると言ってるのか?www

512 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:25:07.47
姓は固定したものだが苗字は必要に応じて生まれたり変わったりするもの
必要が無ければ消えても不思議じゃない

513 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 09:49:43.14
伊勢屋、相模屋とか
時代劇では悪代官と組む悪徳大商人の屋号なんだけど(お主も悪だのう?の)
自分の知ってるこの屋号は下町の和菓子屋ばっかなんだよね?

史実で代官ってそんな悪いたっけ?

514 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 10:11:33.69
てかそもそも
落語の登場人物に
苗字を設定する必要があるのかって話

515 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 21:10:06.47
関西で飢饉の時に九公一民の年貢ださせた代官 安東茂右衛門は悪代官だろ


516 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:22:18.82
>>513
伊勢屋、三河屋はどんな商売にもあって、江戸で何百とあった。

史実の代官は実は苦労してる中間管理職で
問題起こすとすぐに責任取らされるし
下からは文句ばかり言ってくるし
悪どころか、ご苦労様、と言ってあげたいぐらいのもの。

江戸暗黒史観は時代劇にも責任あるんだぉな。

517 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:28:25.72
>>514
もともと無いなら落語だからじゃなくて
設定すること自体ありえないじゃん

518 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:41:51.61
>>517
往生際が悪いぞ

519 :日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:42:34.33
もし庶民にも姓があったら明治頃の新作落語で散々取り上げられただろう。

520 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:01:21.99
うちの家系江戸時代に武士(御城付足軽?)なったみたいだけど。
由緒書ってのをみると、初代はやっぱり〇〇村の源七って名だった。
宝永五年と書いてある。
由緒書きって、後々の代で書いたので、この源七ってのも本名かどうか不明と書いてました。
その時に、苗字をもらったと記されてる。

ググると1708年のことかな・・・
ちゃんと、その頃の藩主の名前も記されて、調べてみると合ってる。

やっぱり、この頃は普通は苗字なかったんじゃないかな?


521 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:04:23.75
>>515
テラ地元w

522 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:09:51.59
江戸の庶民の6、7割くらいはなかったようだね。でも3、4割はあった。

・武士が帰農して分家を増やした
・お金で藩から名字を買った
・旧武田家や天領など幕府が厳しいことを言いにくい地域では幕府が見て見ぬふりをした。

幕末になると藩が安価に名字を売ったり幕府の力が弱まって勝手に名字を使う庶民が増えたりしたようだ。

523 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 03:07:14.93
系図屋といえば詐欺師の代名詞としてとおっていました、普通の常識です。
江戸時代までは、全体的に日本はかなりの実力社会で、身分も買えた時代も多いし、系図だって金持ちや武士に「お前の系図は嘘だろう」とはいえません。
522さんのいうとおり苗字も結構隠し持ってました。
系図というか、寺の人別帳には先祖が書かれてます。
社会はインフレになるのが常なので、そうなれば下級の役人は苦しく、生産手段を持っている自作農は強いものです(小作にも恩恵がある)、東より西日本の農家がよかったみたいです。




524 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 04:51:21.71
>てかそもそも
落語の登場人物に
苗字を設定する必要があるのかって話

長屋のご隠居は苗字も何も出て来ないぞ?


525 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 06:15:36.15
>>522
北東北の農民は7〜8割は名字があった感じだな。

・北東北の農民は、先祖をたどれば戦乱で負けて逃げて来た家系が多く、名字を持っていた。
・原住民が農家になった系統や、農家が移住して来た家計でも、名字を持つ家系との姻戚関係で名字を持った。
・豪農や肝煎で名字を持つことが許された。

526 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 07:32:28.24
>>525
地域差が大きいようで関西では多くの庶民が苗字を持ってたという資料が少ない。天領と旧武田領は多い。

東北は屋号をそのまま苗字にしたところもある。

527 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 07:41:04.72
>>526
屋号と姓は全く違うよw
他の地区はどうか知らないが、東北の屋号は全くもって姓と違っている。

528 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 07:49:54.83
いや屋号をそのまま苗字にした地域についての論文がある。

529 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:00:23.46
全部がそれに該当するかのような言い方は極論
うちのほうの屋号は基本的に職業をわかりやすく表現したもの
(農家&鍛冶屋、農家&旅館、農家&魚屋、…)姓とは圧倒的に違っているけどね。

530 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:07:13.83
関西は幕府に疑われないように厳格に取り締まったのかも

531 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:29:23.29
姓があるのは貴族と武家
武家なら源平藤橘など
民衆に姓は無い
苗字は必要に応じて名乗るもの
有るっちゃあるし無いっちゃない
先祖伝来固定した苗字はもともと無いでいいんじゃないの
日本はそういう文化じゃないんだから

532 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:33:32.09
いきなり論議を無視して強弁されても…

533 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 13:10:12.19
源朝臣徳川次郎三郎家康

源:氏(うじ、本姓)例として(平、藤原、橘、菅原、豊臣、物部、日下部、蘇我、尾張)
朝臣:古代の姓(カバネ)
徳川:名字(苗字)例として足利、新田、織田、伊達、毛利、島津、上杉、武田など
次郎三郎:通称(ラーメン二郎の意)例として藤次郎(政宗)、三郎(信長)、平三(謙信)、太郎(信玄)
家康:諱(いみな、本名)例として信長、政宗、晴信、景虎

代々言い伝えられてきた名門ならこの5項目は分かるはず


534 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 13:13:50.00
ちなみに名字は養子や、分家で家を立ち上げた時、空席の名跡を継ぐなどでコロコロ変わったと推測できる
絶対に変わらないのが氏と姓(カバネ)

535 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 18:17:20.94
次郎三郎ってのは、親が次男で自分は三男ってことだぬ。
姓はいちお〜変わるかもしれんのじゃないか、固定令みたいなのは
あったっけ?

536 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 20:16:35.36
しゃーーねーーな、

苗字に関する真実、俺が論述してやっか?

庄屋豪農の子孫は、下級武士なんかよりはるかに偏差値高いからなーーまじで。

伊能忠敬
夏目漱石
与謝野鉄幹
渋沢栄一

みんな豪農庄屋や!!偏差値なんぼやおもとんねんwwww

ほんと低能が多いよな〜〜w

537 :@:2012/08/17(金) 20:24:01.87
いいか、何千回も俺は言ってるが、

まず、本百勝以上の農家はみな苗字など持ってる。

ここと議論することは、長屋町人や小作農は本当に苗字を乱用していたのかということだよな?
で、その真実が分からないんだよな?

しかし、幕府は1700年代中後期にお触れを出してる。
さらに苗字に関するお触れと同時に、切り捨て御免のお触れも出してる。

なぜなのか。この因果関係を紐解く必要があるといってんだろ低偏差値度もよwww

俺クラスの超絶偏差値王が、華麗なる論文を書いてやるから、涙して感謝せいやこの低学歴度もよw

538 :A:2012/08/17(金) 20:40:23.28
まず時系列で江戸初期から論ずる。

江戸初期、豪農庄屋はなぜこれだけの土地を、戦国期を通して持っていたのかは、
以前から申すとおり、、もとは大半が地侍、土豪、武装農家が大半だから。
その「ソース」の一例
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
>>彼らの旧勢力の反抗を押さえるために、彼らを百姓の身分に落としながら、
>>ある程度の優遇をするためと彼らが旧来身につけている統制力をかつようして、
>>領地の保全と年貢の確保をねらった処置でした。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~minjamin/h-daimyohaka/h-kisiwada.html
>>宣勝公入部当時においても中世の土豪を系譜に持つ庄屋層が
>>隠然たる影響力を保つ難しい場所でもあった。
>>先の領主であった松井松平氏も、この「中世土豪家を」代官庄屋として遇したが、
>>年貢増高を原因として両者の関係が拗れるなど難しい藩政を強いられることもあったようである。
>>宣勝公も入部当初から、こうした事情に十分に配慮し、
>>年貢減免や大庄屋七人衆を選び郡政に関与させるなどしている
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
>>近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。
>>そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%B1%8B
>>庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、
>>戦国大名の家臣だった者も少なくない。
>>したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあった


539 :A:2012/08/17(金) 20:49:22.92

で、戦国期に駆り出された農民兵だと言ってる屑がいたが、それこそ下級武士以下だが?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD
>>雑兵(雇い兵)と混同されることが多いが、足軽は正式に登録された下級武士であり、戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵のことである。

いくらでも、広大な荘園領主たる庄屋豪農より、出自不明の雑多あがりが下級藩士だったというソースありますよ?w
とりあえず、江戸初期、分限帳見れば、下級武士以下こそ名字なしがごろごろいる現実。 そして次、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
>>狭義の武士の支配する所領の名主層から軍役を通じて主従関係を持つようになった広義の武士としての地侍などが登場する。
戦国期以前の応仁の役前後より、勃興する新興武家層は完全なる名主庄屋豪農層。

それらが戦国大名の軍団に組み込まれた形で常態化した者たちが、上級武士になっていった。
下級武士はそもそもがうえで書かれてる通りの傭兵だろ!!!!!!!

何度も言わせんなやカスがw。





540 :B:2012/08/17(金) 20:59:02.76
で、ここからが本題。

江戸時代に入り、幕府が真っ先に取り組んだのが、第三勢力の排除粛清。
その一環が、外様大名の改易。
そして、外様大名に次ぐ勢力をもつ庄屋層の弾圧。

ソース

http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
>>諸藩においては、藩政が次第に軌道に乗り安定してくると、
>>旧在地領主層との妥協は必要なくなってきた。
>>そこで、庄屋層に認めていた特権を削減し画一的なものにしていった。
>>明暦3年(1657)に庄屋らの村役人の年貢の免除高 給米などを定めている。
★ここ重要→  >>>>>>そして、宝永3年(1706)には千石庄屋の名称を大庄屋と改め、地方支配機構を整備している。
★はいここも重要→       >>>>>>>また、17世紀後半に様々な理由による大庄屋の処分 交代があいつぎ、農民身分としての取り扱いとなっている。
>>このようにして、庄屋層の権利を削減し官僚化していき、支配機構の末端に位置付けていったのである。

このように江戸初期、三代将軍の頃には、力による圧力により、
これら徳川政権下の第三勢力である外様大名と豪農庄屋を粛清、弾圧していったわけだ。

これが江戸初期の流れ。徳川政権至上、最も権力基盤が百合ぎないものとなったこの時代前後。
これらの成立は、力による弾圧粛清であったという事実。


541 :C:2012/08/17(金) 21:08:18.19
そして江戸中期

ここで注目しなければならないのは、元禄や化政のバブルだ。
一般に町人文化が花開くと教科書には載ってるが、はたして真実は?ということ。
ここがキーポイント!!!

この江戸バブルの経済、ようは富の流れは、万人にいきわたったものなんかじゃない。
一部の特権階級(豪商、豪農庄屋)に集中したまで。
要はこれら一部の特権階層のさらなる肥大化につながったまでだという事実。
一般に町人文化といわれるゆえんは、それらに集中する富が、日雇い(職人、小作農)の雇用による再配分がなされた程度で、
それでもそれにより、以前より色のバリエーションが江戸市中などでは増え、それら日雇いでも食っていけるような状況下になってるわけ。

この流れわかるよね?

542 :D ここ重要:2012/08/17(金) 21:24:25.89
この江戸中期までの流れをまとめる

@江戸初期、徳川政権による「力」による第三勢力(外様、庄屋)の解体、粛清により
徳川政権の基盤を盤石なものにした。

Aほどなくして起きた、江戸バブル。しかしこのバブルにより、富の集中化により肥大化した層は、
結局「「庄屋豪農、御用商人」」という、以前幕府が力で粛清した階層であったこと。

ようは、江戸初期の幕府による力の弾圧粛清で、それらは((弱体化))下に過ぎず、
結局、その後のバブルにより富の集中化が起きた改装はこれらであった。

★この意味わかるかな??ここがすごいキーポイントなのよ!!!!!
私が以前より論じてる、江戸時代に士農工商という序列は、概念的にも物理的にも存在しなかったという論文。
この真意は士 農 商 というそれぞれの分野のトップにはほとんど差異が存在せず、

戦国期までの大名家の保持する特権である、「武力」「商業独占権」「土地、民の管理」
これらが三権分立化し、それぞれの社会構造に変わったまでのことなわけ。
だから、それらそれぞれの上層階級には際など存在せず、横一線であったということ。

その証拠の一つに、この江戸バブルの富。
封建社会においては、富は権威権力に準じた集中がなされる社会と定義されてる。
この江戸バブルでそれら富を集中化できた階層こそ、士、農、商といったそれぞれの分野の上層支配階層であったことが上げられるわけ。

わかる?wwこんなの大学教授ですら誰一人、私のように理論的に論述できてないぞ?www

543 :E:2012/08/17(金) 21:33:48.93
Dでも述べたとおり、あくまで 士 農 商というそれぞれの分野の支配階層には、
パワーバランスや身分的差異はほとんど存在しなかったというだけ。

しかし、それらに含まれなかった、ようはそれらに資産の再配分により生活を享受されていた層は、
体感できる差異や秩序区分は実際に存在している。

幕府はDでも述べたとおり、江戸初期に力で弱体化を図った第三勢力による再肥大化により、
力による圧力が通用しないことを悟ってる。
この江戸バブルに比例する形で起きる幕府の財政難。
これは、上層武士以外の所に、富が集中している事実も一つとして存在する。
要は、上層武士と同格に権威権力による富の集中がおこなえていた階層が庄屋豪農、御用商人であったという事実な。

で、それらを力ではなく、利用するという政策に転換し始めたのが、江戸中期の幕政。
ということ。

544 :F ここも重要:2012/08/17(金) 21:44:31.46
6で述べたその政策の一環として、江戸中期以降頻繁に流通するようになった、
御家人株や下士株の売買。

これらを見てくれば、江戸中期には、もはや目に見える形での武士の特権というものは存在などしていない。
ではどうだろう。

★これからわかるように、武家社会とは、以前も述べたが、上層武士が関与しているのは、社会の利潤を独占しているにすぎないということ。
 そして、その上層武士が下層武士を徹底服従化させることで秩序を保たせているにすぎなかったということ。。

そうすると、これらの社会変遷は、下層武士の秩序が揺らぎ始めるという事実が生じた。
先ほども述べたように、江戸バブルにより、食いぶちは、市中や都市部で多様化していき、下層武士という「「傭兵」」にすがらなくとも
 生き方に多様性が表れ始めてきたわけ。
この御家人株や下士株が売買が頻繁に行われ始める背景は実はこの江戸バブルが存在する。
これら末端は富の集中化できる権力も権威も存在せず、しかし、職の多様化により食いぶちを戦国期のような傭兵奴隷たる下層武士にしがみつかなくても選択できる社会に変貌した。
だから、この江戸中期の江戸バブルに比例して、これら御家人株や下士株の売買が頻出し始めるわけ。


545 :G:2012/08/17(金) 21:55:24.13
Fでも述べたように、次第に幕府や藩は、江戸初期のような権力権威による富の一極集中が不可能になり、
江戸初期のような力による弱体化は、島原の乱のような幕府崩壊の序曲になると悟り、彼らがやったことは、
御家人株、下士株の売買。しかしこれは、幕藩体制の秩序を根底から崩壊させる恐れがあった。
これらを買い占めた層こそ豪農、豪商であったから。
本来下層武士は食いぶちを求める雑多を囲い、儒教に彩られた武士道という名の忠義洗脳により徹底奴隷化によりて社会秩序を保持していく江戸武家社会の実態であったが、
売買により、他の支配階層が混入することでこの徹底奴隷化による武家社会秩序が崩壊しかねない事実が存在してくるわけ。
そして、「「苗字の表面的許可制」」というような、金目的と同時に秩序崩壊を防ぐための下層武士への意識的差異を持たせる政策に出たわけ。
わかる?なぜ江戸中期に苗字禁止のような何を目的とするものか分からないようなものが存在したのか。



546 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 22:17:02.35
>>527
これだ。北上山地の調査。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/41/3/41_3_166/_pdf


547 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 22:47:39.14
長い。全部三行で頼む。

548 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 22:57:08.31
2chでは、長いだけでゴミ箱行き

549 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:03:45.14
a

550 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:08:12.57
黙って嫁や粕w
学生時代、大手模試全国トップクラスの、大学教授以上の偏差値のぱねーパラダイム論文だかんよ。
庄屋様の子孫は偏差値も全国トップクラスだかんよwwお前らじゃ到底考えつかないほどの論文だボケがw

551 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:08:54.02
長いんじゃなくて無駄に長い
つまり文章が下手で誤字も多く読みづらい


552 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:16:04.03
つまり結論は
日本は固定した苗字という文化はない
源氏クラスでも苗字は足利、新田、武田などと出身地を名乗り固定した苗字は無い
江戸時代、庄屋のような村長クラスは苗字をもっていた
普通の農民は持って無くて必要に応じて出身地を名乗った
日本人がみな苗字を持ったのは徴兵のために戸籍を作る必要から明治政府が押し付けたものである
ということか

553 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:24:52.80
普通の農民というか、村政にかかわれる本百勝以下は実際常態化した苗字というものが存在していたのか、
もしくは意識化された苗字という概念をもって使用していたのかが疑問と言っている。

ましてや長屋町人なんてもってのほか。まず大半が持ってないと考えておかしくない。
固定された住所、要は土地に寄生する由緒すらない長屋町人が名字など持ってる必要ない。
なぜなら区別する必要がないからだ。
たとえば犬十匹飼っても、苗字つけないだろ。

554 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:32:20.51
それに蜂須賀だって蜂須賀の庄に住んでただけで、
常態化した固定的苗字という概念で蜂須賀小録となのってたわけじゃないだろ。

そもそも雑賀党や根来衆調べてみれば、雑兵なんぞ名字などほとんどないだろが!!
あれらが江戸の中級武士下級武士だぞ!!!!

555 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:37:06.37
民法の施行も大きいな
今の民法では社会の最小単位は家族だが
旧民法では社会の最少単位を家においた
家を区別するのが苗字だが法律では姓と呼んだので苗字と姓がいっしょになった
現在の我々が姓や苗字と言っている概念が明治時代に成立したものであることは疑いが無い

556 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:41:59.44
>>555
やるのーー舎弟!!嬉しいぞ舎弟!!
おれの門下生が、俺ほどの文章から引用してそういう事実をを付属して解釈となせたわけか!!
でかしたぞ舎弟!!

557 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:45:29.20
>>556
お前の文章なんか読んでねーよ

558 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:46:18.71
さすが偏差値70もあると、誤字や文章がおかしいくらいのことは気にしないんですね。
「ようは」という単語を頻繁に使っているのに要点をまとめきれていないのも知的っす。

559 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:49:41.40
>>557
糞めw。Fran の分際がよw・・・
まーお前が言ってること全部間違えてっけどなwwどあほ

560 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:55:19.90
雑賀党や根来衆調べてみれば、雑兵なんぞ名字などほとんどない!!
あれらが江戸の中級武士下級武士!!!!


江戸初期の分限帳 下級武士以下で名字なし藩多数


★因果関係はないと思うか?


561 :日本@名無史さん:2012/08/17(金) 23:58:10.49
>>545
続きはよ書け
内容はなかなかおもしろい
本百姓クラスの苗字がどうだったかも書いてくれ

562 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 00:16:38.81
自演乙

563 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 07:00:37.91
安東茂右衛門が代官やってた八村は本百姓なのかな
できた米の九割年貢の重税で収められない年貢は金で払えという事で
妻や子供売って年貢払ってるんだが

大坂奉行所に代官の悪行を訴えたが捕らえられ各村の庄屋も獄死や島流しされてるんだよな

564 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 09:15:07.61
まだに江戸暗黒時代

565 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 09:28:48.31
本百姓かどうか関係あるの?

566 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 14:56:32.10
>>563のような例は一部の例外
明治になって御三家の家老職クラスが、
借金や税金払えず娘を身売りさせてる事例もある
例外言えばきりがない


567 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 16:16:40.25
あのさ。ひとつ歴史の大前提がわかってない様だなお前ら。
昭和初期以前の日本の特権階級とは、
なに不自由なく生活し、身を危険にさらさず生きられる人を言う。
庄屋豪農、上層武家、公家、宮司、等職業は問わない。
下層武士のように、身を危険にさらして身銭稼いでいたようなのが特権かいそうなわけないだろ!!!

568 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 19:10:22.64
徳川御三家だと紀州徳川家と水戸徳川家が税率八公二民だったし
一揆おこした村を皆殺しにしたのも徳川御三家の水戸徳川家
これも一部の例外ではある

569 :日本@名無史さん:2012/08/18(土) 19:30:16.47
>>568
どうせ司馬遼あたりの受け売りだろ。
紀州のような山がちで林業と漁が盛んなところは米の収穫が少ないから、
米で年貢高を表記する場合に税率が高く見えるだけだ。


570 :日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:51:12.18
>>567 それは無知、表面の話、日本でも世界でもトップクラスの争いを勉強しろ。
   首突っ込みすぎると身の危険あるぞ。

571 :日本@名無史さん:2012/08/20(月) 06:41:22.91
>>569
紀州は50万石

572 :日本@名無史さん:2012/08/22(水) 19:00:02.87
皇至道という教育家がいるが、「皇」姓とはどういう由来なのだろうか?
皇室に対して不遜な気がするが。

573 :日本@名無史さん:2012/08/23(木) 15:59:14.81
中間様の子孫が来てやったぞ
庄屋の子孫とやら、と、友達になってやってもよいぞ

574 :日本@名無史さん:2012/08/23(木) 19:06:04.16
>>555
明治に律令時代の氏姓を正式に廃止した

575 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 08:20:01.11
苗字がなかったら先祖代々のお墓には何て書くの

576 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 08:40:13.27
家族墓が出来たのは明治以降だから問題ない。

577 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 08:44:49.15
なんか庶民は苗字を持ってなかったなんて嘘話でスレが独占されちまったな
庄屋様の自演荒らしのせいでスレが滅茶苦茶だ
まあ人自体いないようだけどw

578 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 08:47:57.59
>>577
ジョン万次郎はのちに村の名前から中浜万次郎と名乗ったが、苗字があったならなぜそれを名乗らなかったんだよ。クズが。

579 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 08:52:16.94
「苗字があった派」は明治新姓で全国でバラバラな名字にならなかったことを理由としている。

しかし江戸時代には寺子屋の手習い用に多数の名字集の本が発売されてそこから選んだ人が多いので当然似た名字が多くなる。

580 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 09:00:50.23
>>578
どうせお前は江戸時代には苗字を幾つも持ってる人がいた事すら知らないんだろうな
今みたいな御大層な意味を持つものじゃなかったんだよ

581 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 09:21:12.63
ジョン万次郎は漁民だっけ
苗字があるわけないわ
本人も読み書きができないと証言してるし

582 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 09:25:01.01
>>454
の通り田舎の庶民は7割以上文盲だから。
江戸、関西近辺はもっと低いが。

583 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 09:54:12.33
>>581-582
丹波波多野家だったか?
戦国武将なのに、文盲とかって人がいたよな
文盲=苗字なしとかは馬鹿な発想って事だよ

11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
持っている。

584 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 10:46:47.78
調べたらあっさり見つかったんで貼っておく

香西元盛出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%A5%BF%E5%85%83%E7%9B%9B

香西 元盛(こうざい もともり、生年不詳 - 大永6年7月13日(1526年8月20日))は、戦国時代の武将。
管領細川高国の重臣。通称は四郎左衛門尉。父は波多野秀長。波多野稙通、柳本賢治の弟。

丹波の有力国人である波多野稙通の実弟で、長兄の勢力拡大に従って、その命令により香西家の名跡を継いだ。
元盛は細川高国に仕え、大永4年(1524年)10月、次兄の柳本賢治と共に高国と対立する細川晴元の残党を和泉で打ち破るという武功を挙げた。

しかし、大永6年(1526年)7月13日、細川尹賢の讒言を信じた高国によって上意討ちにされた。
元盛は武将としての力量はあったが教養が無く、文盲であったという。
このため尹賢は元盛が細川晴元や三好元長に対して内通を約しているという偽造文書を作り上げて高国に讒訴し、
それを高国が信じてしまったのが事の起こりとされる。

死後、兄の稙通や柳本賢治らが高国の暴挙に激怒して挙兵し(桂川原の戦い)、この事件は高国政権崩壊の契機となった。

585 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 10:47:19.58
あとこれも

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 03:32:46 ID:45gTEMVr
そんな戦国武将の文盲に関する後世の見方


徳川吉宗の頃、岩淵夜話などを著した大道寺友山の「武道初心集」に言う

「武士ってものは三民の上に立ってるわけだから、きちんと学問をして広く物事の道理を
理解しておかないとダメだよね。

たまに『乱世の武士は学問なんかして無いじゃないか』なんてことを言う奴がいるけど、
乱世は生まれて15,6になったら、初陣に出なきゃいけなかったんだぞ?
もう12,3になったら馬、槍、弓、鉄砲、とにかく一通りの武芸を身に着けておかないと
どうにもならないわけだから、机に向かって勉強なんてしている暇は無いわけだ。

そんなわけで戦国乱世には無学文盲、一文字もわからないような武士がいくらでもいたんだけど、
それは本人の心がけが悪かったわけでも、両親の教育が悪かったわけでもなくて、
とにかく武道一筋に心がけた結果だったんだよ。

今は天下静謐って言っても、そりゃあ武士だから武道を粗略にするわけには行かないよ?
だからといって乱世の武士みたいに、15,6で初陣なんて世の中じゃ無いんだからさ、
10歳くらいになれば、四書五経七書なんかを読ませて、手習いもさせて、そう言う勉強を
きちんとさせておいて、そして武芸の方は15,6くらいになって体がきちんと出来てきてから、
習わせるといいんだよ。こういうのが治世での武士の育て方、って奴だな。

とにかく勉強は大切だよ?乱世の武士は文盲でも言い訳がきくけどさ、治世の武士で
無学文盲は、言い訳が効かないもの。」


治世の武士は武士で大変だなあと、思わないでも無いお話。

586 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 10:54:51.85
>>583
天領や旧武田領が特殊。

戦国時代の武将なんていまだにどこの馬の骨だかわからないのがたくさんいるじゃん。

492 名前:日本@名無史さん [sage] :2012/08/14(火) 21:49:58.13
洞富雄の「江戸時代の一般庶民は果たして苗字を持たなかったか」を読んだけれど、
これってひどく強引で雑な論法だ。

洞が示す根拠:
・長野県坂北村の碩水寺の奉加帳にはみな苗字が書いてある。(幕府直轄領)
・自分(洞)が住んでいる江古田も幕府の直轄地もしくは幕臣の給地で、ここの
 氷川神社の1846年の造営奉納取立帳にはみな苗字がある。

天領の百姓に苗字があるのは太田亮が指摘している通りだと洞も認めている。
しかし、洞は次のように展開する。

「しかし松本市のヤマト屋書店で所蔵している富士山御師が南安曇郡の三十三ヶ村
の講中を列記した名簿にはほとんど苗字がある。これは、苗字の禁制が寛やか
であったためかどうか知らないが、とにかく大名領(松本藩)でも苗字の私称が全般的 に行われていたことを示す、一つの好資料である。

これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」

おいおい。


587 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:00:28.12
江戸では武士商人あわせて識字率が9割りもあった。だから全国でも同じような識字率だっただろう。

というくらい抱腹絶倒なロジック。

588 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:10:13.99
江戸も武士商人がいる中心部が識字率9割で
江戸でも農村部を含めると7割まで落ちちゃうんだよな。

589 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:11:53.59
>>586-587
まだ苗字はなかったなんてデマを続ける気なんだな

590 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:33:43.90
>>586
信濃には偽姓の風習があるのは知ってるかな?
信濃は山国で、落ち武者の集落が多い為、本当の苗字を名乗れない事情から、偽の苗字を名乗る人が多かった
信濃に苗字を持つ者が多かったというのは、事実なんだよ

更にお前のつまらない一言には打撃を加えられる点がある

>これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
>信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」
>
>おいおい。

お前が出してきた話にもまんま当てはまるのがわからないのか、この無能のクズ運営w

591 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:50:39.68
>>590
江戸時代の人が庶民は名字を忘れた人が多いと書いてるからな。どう弁解するの?

http://kindai.ndl.go.jp/
類聚近世風俗志 原名守貞漫稿 喜田川季荘著 [第1冊]上 第参編

p18 右上
又神世には姓なくして名あるのみ。

p19 右下
民間に至りては姓あるもの甚罕にして先祖の苗字をも知らぬ輩多きに至る。苗字も血統を分かつの一なれば授ることは如何。

592 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:05:10.13
>>591
俺が長野に縁のある人間で実態を知ってるのにお前はどう弁解するつもりだ?
南信地区も北信地区もお前が否定する中信地区と似てるんだよ馬鹿野郎

593 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:12:03.20
>>592
せっかく洞富雄が長野の庶民には名字があったといってくれているのにおまえはそれは全部でっち上げた名字だと言ってるのわかってるの?www

594 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:19:17.32
>>593
結局最後はそうやって反論にもならない反論を書くだけなんだよな、お前って

喜田川守貞【きたがわ・もりさだ】
http://kotobank.jp/word/%E5%96%9C%E7%94%B0%E5%B7%9D%E5%AE%88%E8%B2%9E
生年: 文化7.6 (1810)
没年: 没年不詳
江戸後期の風俗史家。本姓石原,名は庄兵衛,別に尾張部守貞と称し,季荘,舎山,月光庵と号した。喜田川は北川の代字かという。
大坂に生まれ,商売で江戸に往来したようで,天保8(1837)年には江戸深川に仮寓したと思われる。11年9月以降は江戸に定住して砂糖を商う北川家を嗣ぎ,
京,大坂,江戸3都の人情風俗を比較しながら記録する『守貞漫稿』を起筆した。これがのちに35巻の稿本として完成するが,
その記述は嘉永6(1853)年にまでおよぶ大部なもので,明治41(1908)年『類聚近世風俗志』として刊行されている。
(宇田敏彦)

そもそも喜田川は全世帯からの聞き取り調査とか科学的な調査手法を用いた上でそう書いたのか?

595 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:48:00.70
>>594
この経歴の人間が庶民は名字を忘れていたと書いて公刊して袋叩きにあった記録でもあるのかね?

いいかげん自分の思い込みに気づけよ。

596 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:53:22.16
>>595
学術的手法に基づいて調査された結果じゃないなら単なる随筆です
史料にはなりませんよ

>いいかげん自分の思い込みに気づけよ。

調子に乗るのも大概にしてけよクズ運営
中傷するしかないゴミが
毎日中傷されてノイローゼになって死ねや

597 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:58:07.04
>>596
なら江戸時代の庶民全員が名字をもっていたという統計資料をだせよ、クズが。

598 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:06:19.88
>>597
あれれれ???

>これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
>信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」
>
>おいおい。

↑これ書いたのお前じゃないの?
類聚近世風俗志なんて物を持ち出して「江戸時代に苗字がなかった」と言い張るのは
やってる事はお前が批判した推理以上の詐欺的手法なんじゃないの?

>なら江戸時代の庶民全員が名字をもっていたという統計資料をだせよ、クズが。

馬鹿だね〜
お前の説(説ですらねえが(爆))が否定された以上

>「しかし松本市のヤマト屋書店で所蔵している富士山御師が南安曇郡の三十三ヶ村
>の講中を列記した名簿にはほとんど苗字がある。これは、苗字の禁制が寛やか
>であったためかどうか知らないが、とにかく大名領(松本藩)でも苗字の私称が全般的 に行われていたことを示す、一つの好資料である。
>↓
>これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
>信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」

この推理を否定する材料をお前は持ち合わせてない=否定できないって事だろ

クズっていうのはスレジャックして出鱈目書き尽くしてきた貴方様のことを言うんですよ、2ちゃん運営さん
思い込みと罵った言葉も、結果的にすべて貴方様運営様に跳ね返りますしねw

599 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:08:30.89
あ〜それから

>江戸時代の庶民全員が名字をもっていたという統計資料をだせよ

「全員」なんて事を言ってる奴はいないので、お前の都合で言葉のすり替えをやるなよ、思い込みの激しい2ちゃんのゴミクズ運営さんw

600 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:12:35.80
これ書いたの誰?www

590 名前:日本@名無史さん [sage] :2012/08/25(土) 11:33:43.90
>>586
信濃には偽姓の風習があるのは知ってるかな?
信濃は山国で、落ち武者の集落が多い為、本当の苗字を名乗れない事情から、偽の苗字を名乗る人が多かった
信濃に苗字を持つ者が多かったというのは、事実なんだよ

更にお前のつまらない一言には打撃を加えられる点がある

>これは中信地方だけの風習ではなく、信州全般に行われていたものであり、さらに
>信州だけでなく、全国的に見られた一般的事象であったと考えてよいかと思う。」
>
>おいおい。

お前が出してきた話にもまんま当てはまるのがわからないのか、この無能のクズ運営w


601 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:18:29.87
>>600
遂に壊れちゃったね
要するにこういう事だろ

・庶民は苗字を持っていないと勝手に思い込んでいた(昔の話――類聚近世風俗志とかはその根拠)

・よくよく調査してみたら、庶民が苗字を持っていた事が判明した(こっちが南安曇郡の三十三ヶ村の件)

お前の持ってきたものは史実を調査する際のソースにはならない
しかし南安曇郡の三十三ヶ村の件はソースになるもので、他の地域も同様と推測する事が可能だった

ソースとして使えるものを基準に推し広げる事と、ソースにならない物を基準に推し広げる事は
同じ「推し広げる」でも意味が全く違う

お前が「同じだ」と言われたのは「推し広げる」という一点についてのみ

わかりましたか?

602 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:20:31.91
もう一度聞くよ
喜田川は全世帯からの聞き取り調査とか科学的な調査手法を用いた上でそう書いたんですか?
そうでなければ庶民が苗字を持っていなかったというソースにはなりませんよ
南安曇郡三十三ヶ村の件という逆のソースは存在するのですからね

603 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 13:23:36.12
>>602
あれあれ、それはでっち上げた名字だと書いたのは自分だってことも忘れたの?

>信濃には偽姓の風習があるのは知ってるかな?
信濃は山国で、落ち武者の集落が多い為、本当の苗字を名乗れない事情から、偽の苗字を名乗る人が多かった
信濃に苗字を持つ者が多かったというのは、事実なんだよ


604 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 15:04:38.15
運営だけに、こっちが連投規制に引っ掛かるのを計算して動いたなw
運営の因縁を吹っ掛ける糞レスが最後に残れば、私が論争に破れて引いたように偽装する事が可能ですから
実はこの姑息な手段で運営に罠に嵌められたのは一度や二度じゃないのでw
薄汚い奴だよ、2ちゃん運営は

>>603
あんたの主張はそもそも「庶民は苗字を持ってなかった」だから、苗字を持っていた以上、あんたの説は崩れてるだろw

605 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 16:39:51.17
>>604
なんだそれは。庶民も3、4割は名字があっただろう。

日本人のルーツ説もあるブータンではいまだに名字がない。

http://eco.goo.ne.jp/life/world/bhutan/report20/02.html

 典型的なブータン人の名前の多くは、カルマ・ドルジのように二つの部分から成っていますが、この二つの部分の両方がその人固有の名で、他の多くの国にあるような家族で共有する姓の部分はありません。

ですから、家族全員がまったく違う名前をもつことになります。例えば、お父さんはカルマ・ドルジ、お母さんはツェリン・ザンモ、息子はティンレイ・ジャムツォ、娘はソナム・ヤンチェンというように、その名前からだけでは家族関係を推測することはほとんど不可能です。

姓がないので、結婚したからといって、名前が変わることもありません。男女別姓問題が声高に議論されている国とは、まったく次元の違う世界です。


606 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 17:00:06.83
ブータンはソースになりません(笑)

607 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 17:46:40.51
>>606
じゃ江戸時代に1万種程度だった名字が明治に15万種ほどまでも増えたのはなぜ?w

608 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 17:58:14.55
>>606
渡来人、涙拭けよWWWWWWWWWW

609 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 18:19:28.00
>>607-608
流石にみっともないね
運営さん、あんたが出してきたソースはソース足り得ないものだったんだから、諦めなって

610 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 18:35:45.12
知識人が今でも読み書きできない難読苗字があるのに江戸時代前の下民がそんな難読漢字を知るわけないだろ
江戸時代前から全員苗字があったとかアホか


611 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 19:12:52.12
>>609
勝利宣言だけして毎度逃亡する様はまさに渡来人だよWWW
諦めてるのはお前だろゴミ屑カス野郎がWWW

612 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 21:49:18.70
>>607
>>591にもあるが、先祖の苗字を知らないやつが増えたからだろう。
「先祖の苗字を知らない」ということは、苗字はあるけどわからないということだ。

613 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 06:44:35.45
あるある

614 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 06:52:38.47
>>607
いまでもほとんどの苗字は1万種程度だよ。ただ
ぼくみたいな珍しい苗字(周栄)は10世帯以下だよ。
めずらしい苗字は江戸時代に苗字がなかった人。およそ150人に1人
程度だから。


615 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:39:10.69
このスレ妙にはまる

616 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:52:01.49
イヤー、歴史って面白いな。
俺の曾曾曾婆さん(文政8年生まれ)の名前漢字だぜ。
中国地方の糞田舎の百姓なのに(庄屋だったけど)。
苗字は勿論それ以前から名乗ってたが。

でも先祖の中でも人(位牌とか記してあるもの)によっては、今の苗字じゃなくて
その土地の地名が苗字になってたりするんだよね。


617 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 12:02:39.00
>>607
明治に公に苗字を名乗らせる時に、わりと変えたみたいだね。
うちの一族にもいるよ。一族で一軒だけ違うのにしてる。

明治に適当に作ったのも確かにあるだろう。だけど全部じゃない。
藤原氏みてみ、今いくつに分かれてるか。

>>610
武士以外が全員苗字がなかったってのは、思い込みだよ。

下人が文字なんか知ってるわけないっていうけどさ、高札立てたり
お触れ出したり、瓦版があったり、庶民が文字を読めないで誰が読むのさ?
年貢の徴収したり、村がやってたんだぞ。
そりゃもちろん全員読めたわけじゃない。でも武士と商人しか読めなかった
ってのは思い込みだよ。江戸時代の村々に残る大量の古文書はだれが書いたのか
考えてみればいい。武士がわざわざ書いてやったのか?坊主?庄屋?
村に一人や二人ではないもっとたくさんの読み書き出来る層がいたんだよ。


618 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 13:21:05.49
江戸期の百姓層の3割くらいは読み書き出来ていたと思われていますよ。
これほどの識字率は世界的に見て驚異的。

619 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 17:55:52.96
驚異的でもどうでもいいけどその割に資料少ないんだよなぁ

620 :日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:36:10.71
現在よりは、はるかに美しい姿の桜島

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/38/257.html

江戸時代に描かれた桜島を見てわかった。

621 :日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:25:45.53
苗字ってのが武士が先祖だった家しかないってのは、勘違いぞ。
地方へ行って墓を見てごらん。江戸時代のものに苗字が書いてある墓が
いっぱい見つかるから。百姓の家のだよ。

江戸時代の農民がみんな文盲だった訳ないじゃん。正しくは「百姓」だが。
領主が突然変わっても、保たれているんだぜ。納税やらお上からの通達や
お触れや、その他もろもろ、読み書きできるやつがいるという前提なんだよ。

特に西日本は商品経済が発達していた。農村で商品を生産していた。
油、燃料、着物、着物の原料の絹、綿、醤油、酒、その他たくさんね。
農村で米と野菜しか作ってなかったら、何を着るんだい?

それらを商人と交渉し、儲けを出すために工夫し、新しい技術を吸収していた
人たちが、みんな文盲なわけ無いだろ。

622 :日本@名無史さん:2012/09/26(水) 11:15:17.65
>>621
ウチは伝え聞くところによると800年間くらい百姓だったけれども、祖先は嵯峨源氏の流れをくむ武士で、壇ノ浦で敗走して
九州で土着化帰農。
どういう経緯かはしらんけれど、源融の子孫の嵯峨源氏で平家方で参戦してたらしい。

623 :日本@名無史さん:2012/09/26(水) 13:02:09.02
新潟の坊主ですが、古い過去帳や寺社の工事の時の記録などを見ると、百姓もみんな苗字を持ってますね。ちゃんと書いてありますよ。
この村の苗字と地名は殆どが信州の一地方の地名が元に有るそうで、関ヶ原後に移住してきた集団が、出身部落名を名乗って、一族の結束を固めたようです。


624 :日本@名無史さん:2012/09/27(木) 12:51:21.10
こういう大切な過去の歴史を封印しようとしている人たちっているんだね、はぁ〜

625 :日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:15:15.40
>>49
「永島正義」の弟「正胤」が出家ののちに「円城寺加賀守」となり「鎌倉の合戦」に参加して功をたて「木曾に下り島崎姓を名乗った」www

626 :日本@名無史さん:2012/10/02(火) 20:49:30.48
>>623
墓石とか、お寺や神社の新築や修理のさいの奉納なんかは、苗字がありますね。
過去帳は、たどっていくのが大変だって親が言ってました。どこまで調べたのか
は聞いていませんが。

>>622
そこまで伝わっているのはすごいですね。
うちの近所に平家の落人の伝承がある集落があります。
何軒かは藤原さんでした。

今は町村合併したところが多いですが、以前の町の町史とかが出ていれば、
そこに先祖の名前が出てくることがあります。

町史を編纂した時に、お寺や神社、古い家にある資料等を調べて、伝承や
資料で分かることをまとめて書いてあります。
地方の地誌とか旧事記とかがあれば、それに出ていることも書いてあったり、
まめに調べてあるなあと感心します。


627 :日本@名無史さん:2012/10/03(水) 07:17:07.56
郷土資料と伝家系図が一応つながるのが正保年間
母方の父系はその地方ではメジャーな神職家なんで結構さかのぼれるがしょせん分家
そんな長脛彦と洩矢神の裔な自分は先日ハンガリーのロマの娘と結婚
ラノベなら子供が邪神覚醒しそうなマイノリティっぷり

628 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 02:21:47.61
自分の住んでる町を苗字にした例がほとんど。今でもかわらない。

629 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 07:34:09.18
商人は商屋号を名字にした話がおおいね。染屋→染谷万屋→万谷など。
話を聞くと本姓例えば石山や池田があるのに戸籍が始まった時に地元で通りが良かった商屋号を名字として選んだんだとか。

630 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 08:49:23.45
嫁の親戚に源(げん)て苗字があった
昔はかなりでかい農家だったらしいが不明

631 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 11:39:00.30
平も藤原も橘もいるんだから、源がいてもおかしくない

632 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 21:14:12.13
半殺人依頼をしている
千葉 高林昌子 15-44

633 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 08:15:14.25
>>631
平→在日(日本人は名字を名乗り、本姓を名乗らない)
藤原→在日(日本人は名字を名乗り、本姓を名乗らない)
橘、源はあまり見かけないね。創氏改名の際に、在日に余り好まれなかったと思われる。

634 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:00:34.37
>>633
犬HKが今年の大河を作ったうえ、さらには王家王家と連呼してるのはつまりそういうことか・・・

635 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 16:42:45.87
大伴さんも在日なのかよ

636 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 18:24:37.84
>>628
どうしてそういう嘘ばかり書き続けるんだろうね
大体、明治時代なら「町」じゃなくて「村」でしょうに
適当にでまかせ書いてるから「町」なんて書いちゃうんでしょうけど

637 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 18:26:41.58
>>635
633を書いたのは多分在日さん
自分が在日なので、在日って言葉を普通に書き込んでしまう
こういうルーツ探しのスレで、在日認定して相手を罵るのは日本人の感性じゃないですから

638 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 19:03:25.63
親父が橘って苗字なのだが、婿養子で苗字ランキング3位に

橘がよかったな

639 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 19:48:05.24
橘の名字捨てるなんてもったいない

640 :日本@名無史さん:2012/10/13(土) 19:54:03.93
橘なんていいとこの坊っちゃんだろ

641 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 05:20:06.88
必殺仕事人でも「中村さん」ではなく「八丁堀」といってただろ。
やはり住んでる場所を苗字にした例がほとんど。

642 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 06:18:26.92
>>641
八丁堀は職種に対するあだ名だろう

643 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 06:24:15.88
中村が苗字だろて

644 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 06:27:50.93
>>641
学生時分の知り合いで、定期券の発駅が野江内代なことから渾名が「のえうちん」(後に「ぬーたん」、二外フランス語だった)
って言われてたのが居た。
その人の苗字は「のえうちん」だったり「野江内代」だったり「ぬーたん」だったりするんだろうか。

645 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 06:47:12.44
>>641
>>642
桜田門みたいなもんか

646 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 07:31:51.44
江戸時代の百姓たちの書いた書類(写真あり)

名前だけ書いてるな

http://homepage3.nifty.com/j---u---n---e---/mametyousan.html

647 :日本@名無史さん:2012/10/14(日) 11:47:03.57
>>646
奉行に提出する公式書類だからだろう

648 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 14:16:18.07
>>621
いまでいう明治、江戸時代の女子高生が読み書きした
文章なんて今とくらべものにならないくらいむつかしい。
文学をわかりやすくした初の人はノーベル文学賞にあたいする夏目漱石
からで高校のときならった難解の森鴎外のわけのわからん文章が
一般的だった。だから当時の東大って例えばの話、総理大臣になるくらいすごい学歴だったわけ。

649 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 14:33:01.63
>>642
「霞ヶ関」とか?!

650 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 16:20:12.02
>>623
信州が特別なんだよ。
武田の家臣が大量に帰農したので江戸幕府もめこぼししていた。
庶民の過半は名字なんてない。

651 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 16:36:01.72
司馬遼太郎「北斗の人」の主人公千葉周作も苗字もってるな。
これは祖父の代が士族だからだな。

652 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 16:49:22.78
■古代苗字
http://www7b.biglobe.ne.jp/~musashi-shinmen/omona-kodai-22.html
一方、古代の庶民に関係したものでは670年から全国的な戸籍「庚午年籍」調査が実施されており、
記録(702〜733年)の断片が東大寺正倉院保管文書の裏紙から見つかっています。
それによると、実に93%の人が苗字を持っており、そればかりか世帯平均1.6個の苗字を持っていました。

即ち、古代は庶民が苗字を持っていたかどうかのレベルではなく、史上最も多く苗字を保有していた時代かも知れません。


■庶民の名字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97#.E5.BA.B6.E6.B0.91.E3.81.AE.E5.90.8D.E5.AD.97
古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。
しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。

名字(苗字)は、姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。
家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。

江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、
庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されるようになった。
これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。
だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。
また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。
ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。
また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、
「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。


古代人ですら93%が苗字を持ってたのに、江戸庶民の大多数が苗字がなかったなんてありえない

653 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 17:03:10.98
だいたい戦国時代の前後の期間に、文書に残る名前から徐々に苗字が消えていった、減っていったらしいな。

654 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 17:53:06.60
478 名前:日本@名無史さん [sage] :2012/08/14(火) 17:25:35.36
>>475
それ旧武田領だから。

東京大学史料編纂所 近世編年データベースで以下参照できる。

http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
【史料群名】 日本財政経済史料 2巻1034頁
【和暦年月日】 寛延3年11月(17500110550) 2条
【綱文内容】 由緒百姓町人及び苗字帯刀等について記す
【出典名】 地方凡例録7

「甲州には武田家の浪人当時民間にある類由緒ありて、古来より ロウ人相立農業を営、苗字帯刀にて住居いたす者多し。


655 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 17:56:38.86
>>652
これが江戸末期の実態。
http://kindai.ndl.go.jp/
類聚近世風俗志 原名守貞漫稿 喜田川季荘著
[第1冊]上 第参編

p19 右下
民間に至りては姓あるもの甚罕にして先祖の苗字をも知らぬ輩多きに至る。苗字も血統を分かつの一なれば授ることは如何。


656 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 18:01:50.25
>>655
それは史料としては使えないって話になったよな?
まだ引っ張ってたのかw

657 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 18:29:01.45
>>656
どこでそうなったんだよw

658 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 21:03:35.51
594 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:19:17.32
>>593
結局最後はそうやって反論にもならない反論を書くだけなんだよな、お前って

喜田川守貞【きたがわ・もりさだ】
http://kotobank.jp/word/%E5%96%9C%E7%94%B0%E5%B7%9D%E5%AE%88%E8%B2%9E
生年: 文化7.6 (1810)
没年: 没年不詳
江戸後期の風俗史家。本姓石原,名は庄兵衛,別に尾張部守貞と称し,季荘,舎山,月光庵と号した。喜田川は北川の代字かという。
大坂に生まれ,商売で江戸に往来したようで,天保8(1837)年には江戸深川に仮寓したと思われる。11年9月以降は江戸に定住して砂糖を商う北川家を嗣ぎ,
京,大坂,江戸3都の人情風俗を比較しながら記録する『守貞漫稿』を起筆した。これがのちに35巻の稿本として完成するが,
その記述は嘉永6(1853)年にまでおよぶ大部なもので,明治41(1908)年『類聚近世風俗志』として刊行されている。
(宇田敏彦)

そもそも喜田川は全世帯からの聞き取り調査とか科学的な調査手法を用いた上でそう書いたのか?

596 :日本@名無史さん:2012/08/25(土) 12:53:22.16
>>595
学術的手法に基づいて調査された結果じゃないなら単なる随筆です
史料にはなりませんよ

659 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 21:04:49.10
>>657
随筆の域を出ないんだろ、あんたが持ってきた奴

660 :日本@名無史さん:2012/10/16(火) 21:39:05.00
>>658
595 名前:日本@名無史さん [sage] :2012/08/25(土) 12:48:00.70
>>594
この経歴の人間が庶民は名字を忘れていたと書いて公刊して袋叩きにあった記録でもあるのかね?

いいかげん自分の思い込みに気づけよ。


661 :日本@名無史さん:2012/10/17(水) 06:22:38.62
>>650
苗字を名乗ると身元がばれて追討されかねない。
だから苗字をわざと伏せて生活していた。

662 :日本@名無史さん:2012/10/17(水) 10:11:39.95
プライバシーとか言って最近苗字出さない人でてきている。追討ではなくそういう時代。

663 :日本@名無史さん:2012/10/18(木) 12:41:56.99
>>653
織田家中で内覧される書状で秀吉を指して「ちくぜんどの」だったり、
高台院の自署が「ね」だり、崇源院の自署が「五」だったり、
そういうことか?

664 :日本@名無史さん:2012/10/18(木) 13:26:59.53
>>662
FacebookみたいなSNSではプライバシー晒しまくりなのにね

665 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 15:54:09.79
うちは調べてみたら600年くらい苗字が一緒みたい
武士→戦国時代帰農→江戸時代に苗字名乗ったかは不明(たぶん名乗れなかったんだろう)
てか親父の出身地、同じ苗字ばっかで
「どこどこの○○さん」みたいな言い方しないとどこの○○(俺の苗字)かわからない
そんな不便なら苗字変えればよかったのにな
「どこどこ」を苗字にするとかさ

666 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 15:59:44.66

近松門左衛門の一族、近松家は滋賀や京都を中心にして、
商家、医師、農家、武士と様々な職業についているが、
近松と言う苗字を持ち続けている。
門左衛門の父親は越前藩の元藩士だが、親戚中で一番多いのは商家、次いで農家。
ちなみに本家は京都の商家。

江戸時代、商家、農民に苗字が無いなどと言うのは大ウソ。
公称できなかっただけ。




667 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:13:38.76
司馬遼太郎の父(福田)は明治新姓だと断言してるよ
話し合いで決めたと


668 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:16:50.02
>>666
なら「統計的証拠」とやらを出してみろやw

ヨーロッパでさえ14世紀までは庶民の大半に姓はなく、ベーカー(パン屋)、クック(料理人)、ミラー(粉挽き)、スミス(鍛冶屋)、テイラー(仕立屋)、ガードナー(庭師)など職業をそのまま名字にした人が多い。

669 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 18:06:45.69
>>668
西洋の例を出しても意味が無い。
西洋では、近世になるまで名字を持っていなかった。
ユダヤ人も同じ。聖書の登場人物はみな名前だけで姓が無く、例えばマリアだけで何人も登場する。
イエスも、他のイエスと区別するためにナザレのイエスと言う風に地名をつけて呼ばれ、
マリアも、マグダラのマリアとか、出身地をつけて呼ばれていた。

ところが、日本の場合、神話時代は別とすると、皆 名前以外にファミリーを意味する姓を持っていた。
中国の史書でも、名前しか持っていなかったのは辺境の蛮族だけで、中国文化圏では貴賤に関係なく姓を持っていた。




670 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 18:12:18.67
武士が帰農した家系だと苗字(本姓も)はあって当然だよな
ってことは明治まで苗字が無かった家系ってのは
先祖代々、それも奈良平安の昔っから続く筋金入りの農民の家ってことか
もしくは賤民ってやつだな

671 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 19:46:07.96
>670
日本の古代は、賤民ですら名字を持っていた。
日本の名字は途中で次々に変わっていくので、文字記録の無い家は、
先祖が辿れなくなってしまう。

江戸時代の大部分の大名も、戦国以前の出自が不明。

むしろ、室町や鎌倉時代にたどれる国人や土豪の末裔である農民の方が由緒正しい
と言える。



672 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 20:14:21.85
古代国家ってのは例えば全人口が10万人以下とかの世界で、一握りのインテリが名前を与えたことにしたというだけのことでしかない。

673 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 21:44:14.65
>>671
賤民が苗字持ってたソース教えて

> 江戸時代の大部分の大名も、戦国以前の出自が不明。
そんなわけないだろ



674 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 22:08:13.47
平民は明治以前の戸籍謄本がないんだから苗字はないのと同じだよ

675 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 22:33:03.45
寺の過去帳で苗字を証明できるのかw
裁判では証拠不十分で間違いなく敗訴だよ

676 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:05:46.32
>>674
士族だけど明治より前は戸籍謄本なんて無いぞ

677 :日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:07:47.34
>>675
別に誰かと争ってるわけじゃないんだ

678 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:05:06.44
過去帳は苗字でなく戒名記載
苗字は必要無し
これ豆な

679 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:57:57.20
>>673
何をもってそんなわけないといえる?
江戸時代の大名家の7割が尾張、三河だとはっきりしてるんですよ。
そんなのNHKでもやってたわ。
この狭い地域だけで、江戸大名の7割がそこ出身。
少しは歴史勉強してから物言えよ

680 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:06:23.57
もう一度言うが、江戸の大名家の7割以上が三河、尾張という狭い地域からの出身。

いつから、こんな狭い地域に、そんな大名クラスの武家がひしめき合ってた?

それらに追随した武士たちも大半がここいら出身。根こそぎ三河尾張人が一般武士になってるのと変わらない。

681 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:12:32.62
おかしなの湧いてきたな

682 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:13:13.90
一部、甲斐や駿河辺りの中世武家が主家滅亡後も取り立てられてるが、
全国の室町守護大名家が滅亡し、そこに仕えていた在地武家はかなりの数が帰農してる。

かたや、江戸期の大名の7割以上が三河尾張出身。
少なくとも守護代の分家程度の信長より上等な武家なんてその7割に存在してないわけで、
どうやったら出自は確かなんて言えるわけ?

683 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:18:46.04
>>681
江戸の大名家はみな名門というなら、まさか、五職家とまではいかなくとも、
まさか関東八館クラスの武家だらけなんだろうな?
親藩譜代なんか、そんな家は井伊家くらいしかいないだろうが。

どこに、中世室町よりの、はっきりした名門武家なんていたよ?

684 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:23:39.52
ちなみに、五職家クラスの超絶名門武家のうち、2家も帰農庄屋だぞ?

685 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:53:01.51
本当の意味で,出自不明が圧倒的なのは江戸期の武士だわな

686 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 03:33:56.02
守護家ですら、高家は今川、土岐、斯波、畠山、武田、北条など、関東近辺の一部がほとんどだもんな。
しかも1000石未満程度だし。

687 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) 【東電 51.6 %】 :2012/10/21(日) 05:27:24.87
>>673
矢野弾左衛門

688 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 10:17:45.73
>>679
尾張・三河の大名は全て戦国以前の出自が不明だというのか?
南北朝や鎌倉以前というならまだしも
で、古代賤民の苗字のソースはどうなった?


689 :日本@名無史さん:2012/10/21(日) 11:06:11.39
>>687
矢野はあくまで私称で「矢野家の跡取り」とかじゃないよ

690 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) 【東電 61.2 %】 :2012/10/21(日) 16:17:09.79
>>689
弾左穎衛門のところは行系字として「集」、「乗」などを代々継承している辺りが日本の武家っぽいよ。

691 :日本@名無史さん:2012/10/22(月) 07:49:19.10
>>668
数の多い農家と牧童はどうするんだろう?
ヨーロッパって中世になってゲルマン系の名前加わってがナンボか増えたけれども伝統的に名前のバリエーションが少ないだろ。


692 :日本@名無史さん:2012/10/22(月) 07:52:47.79
>>670
叙爵される見込みが無いのに本姓なんて維持してねえよ。忘れてしまう。
そういう段になって慌てて尤もらしい系譜を捏造したりしてるだろ。
信長なんて、足利が源だから、次は、平と藤原とどっちが将軍の据わりが良いか迷ったりしてるだろ。

693 :日本@名無史さん:2012/10/22(月) 07:57:54.85
>>678
過去帳をデータベースに喩えると、
確かにプライマリーキーは戒名だが、
フィールドは俗名、生年、享年、没地、授戒者名、喪主名 くらいあるぞ。

694 :日本@名無史さん:2012/10/22(月) 11:48:46.43
>>693
時代が古くなると享年、戒名、どこそこ村の俗名何とかくらいしかないよ

695 :日本@名無史さん:2012/10/22(月) 12:57:37.02
王直配下の日本人や、ゴアにいた日本人なんて苗字はないし
宣教師の通訳も大抵苗字はない
武士でも農民でもない層に苗字が無かったということだろうか

696 :日本@名無史さん:2012/10/25(木) 02:39:01.08
>>692
姓っつうのは実際どうなの?
帰農してる家で、出自が明らかで、姓がわかってる場合とか
ここで話題になってる庄屋さんを例に取ると、新庄惣右衛門長房とかって庄屋がいて
出自が秀郷流だとはっきりしてるような場合
正式に名乗ると「名字・字(通称)・姓・諱」だから
新庄惣右衛門藤原長房(しんじょう そうえもん ふじわらのながふさ)だよね?

697 :日本@名無史さん:2012/10/25(木) 10:00:25.41
>>696
622だけれど、屋号と通称だけ。
堰に一番近い田んぼで最初に水を引く権利をもってたから、屋号は「上田」だったそうな。

698 :日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:21:30.37
庶民が苗字名乗るのを禁じたおふれって具体的にはいつ出されたの?

699 :日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:50:54.21
>>697
thx!
姓は名乗らないんですね

700 :日本@名無史さん:2012/10/26(金) 05:48:08.10
700

701 :日本@名無史さん:2012/11/01(木) 11:55:41.23
厳密に苗字と姓は違うようですが。
博物館でみたが、風土記とかに租税を収めた者の姓名とか普通にあるが。
また、出雲の風土記のコーナーで、隠岐の島における農業以外の職業姓というのもあった。
安部とか渡部とか勝部とか部のつく姓とかも武家でなくても現代に残ってるよね。

702 :日本@名無史さん:2012/11/01(木) 12:03:30.73

ちなみに鈴木さんは物部系の金属を加工してた人達の職業姓が始まりと言われてるらしあが。

703 :日本@名無史さん:2012/11/02(金) 16:34:30.46
自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「小沢」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ     ←いまココ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「第三極大連合」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?


704 :日本@名無史さん:2012/11/03(土) 21:44:23.66
上は誤爆だよね

705 :日本@名無史さん:2012/11/04(日) 01:43:49.56
誤爆じゃなくて絨毯爆撃だと思う

あちこちの無関係のスレに散発的に投下されてるよ。
ミスじゃなく確信犯だと思う。

706 :日本@名無史さん:2012/11/04(日) 14:47:08.46
1,明治に徴兵のために平民にも苗字を届けさせることにした。
 みんなあると思っていたのに、ないやつがいて驚いた

2,戦後、歴史の教科書を作る時に、江戸期は暗黒時代という歴史観を
引きずったことと、公文書だけに頼ったことから、百姓は生かさず殺さず、
米も食えない貧しい生活、武士に虐げられていた、苗字はなかった、等の
前提で江戸時代が描かれることになった。

明治の頃は、江戸時代がどんな時代だったか、その時代を生きていた人が
たくさんいたから、そういう誤解もなかった。江戸から60年がたち、
生き生きとした江戸を知る人もいなくなって誤解が独り歩きを始めた。

教科書に出てくる(学校で教わる)ことと、自分ちの墓で見かける光景に
矛盾があっても何も考えないか深く考えない(子どもだから)--オレ!


707 :日本@名無史さん:2012/11/04(日) 15:06:45.81
    ,、    /7       ,-、
    ( <.    | l      //´
    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
      >、<゜> < 。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
       ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′
         `''‐---‐''´
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708 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 07:36:45.70
>>706
名字は史実としては江戸末期ではたぶん庶民の3、4割が持ってて、だからこそ明治の人は多くの庶民は名字がなかったといい、戦後の人は「意外と」多くの庶民が名字を持っているので大半が持っていたと思いこむのだろう。

709 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 12:55:31.86
>>708
>名字は史実としては江戸末期ではたぶん庶民の3、4割が持ってて

だからもっと持ってるって

710 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:15:52.04
戦後人乙

711 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:35:43.57
>>708
どこの史実?

712 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 15:16:50.81
日本の。

713 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 20:18:28.48
戦国時代までは半農半武だったのだから、武士が江戸時代に帰農という議論はばかばかしい。
もともと農作業やってる人間が、戦になると駆り出されて武士になったわけで、
そのまま農民にとどまったというだけだろ。


714 :日本@名無史さん:2012/11/07(水) 20:19:51.04
富山のように珍名が多い場所って明治新姓率が高そうだ。

715 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 00:31:55.53
>>713
× 戦国時代まで
○ 戦国時代の前後

鎌倉武士は専業だぞ。
鎌倉末までは、半農半武の兼業武士は少数派。
だから戦場で戦ってる人数は少ないしな。

716 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 05:23:28.52
>>714
珍名=明治新姓ってわけでもあるまいに
そもそも苗字を持ってない人の方が圧倒的に少ないわけだから
7000の苗字で国民の約96%を占めるとも言うしね

それにしても、庶民は苗字を持たなかったという神話は
何故作られたんだろうね

717 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 06:40:13.44
4 :日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:48:08.11
困った奴。

定本 柳田國男集 第十五巻 筑摩書房(新装版)P303-P304 家閑談・家名小考より

明治三年の所謂在名の解禁には、今でも一つ話になつて居るような珍らしい経験が各地にあつた。
政府が平民全般に名字の使用を許した際には、恐らくはどの平民にも必ず名字がある筈と思つて
居たのであろうが、事実は決してそうで無かつた。或土地では住民の全部に名字が無い。已むこと
を得ず、役場総掛りを以て急に名字を造つて遣つたなどという話もある。
同じ農民でも或ものは既に格式として之を公認せられて居り、或ものは表向には許されなくとも、
人も知り又私には用いて居る名字があり、又或る者は本家が明白であつて、容易にそれを書上げる
ことの出来た者もあつたが、他の過半数は実は久しく家の名を忘れ、もしくは甚だ覚束ないものに
なつて居たのである。それが平生恩顧を受ける家に頼み込んで其家名を乞い受けたり、或は独りぎめ
に地方としては恥かしくないものを取用いたり、或は親類中の物知りの意見に附いたりして、兎に角
に今では一軒として名字を持たぬ家は無いことになつた。寺や役場で拵えて遣つたというような、
極端な場合こそは僅かでもあろうが、其他の数多い農家の名字とても、実は十分なる考証と確信と
を以て、出自系統を表示したものばかりとは言えないのであつた。

718 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 08:15:54.83
>>716
明治の人間が庶民が名字を持っていないと誤解する馬鹿ばかりと見下すお前のようなやつがなぜ発生したか知りたい。

系図業者のステマか?
系図が辿れる前提でないと商売にならないからな。

719 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 13:08:48.06
>>717
> 久しく家の名を忘れ、もしくは甚だ覚束ないものになつて居た
元々は苗字を持っていたということだな。

720 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 13:31:20.56
>>718
いい加減に庶民の大多数が苗字持ってた史実くらい認めろよ

>11 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:56:50.16
>長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を
>持っている。

補足としては戦国期に農民達がいくさに狩り出されていた為
その際の識別として苗字を名乗る必要があり、苗字無き者は村名を名乗って代わりとした事がある
だから大多数の庶民が苗字持ってたのは当たり前の話なんだよ

721 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 14:08:08.29
>>718
江戸時代が苗字がないなら、大和朝廷の庶民の姓名は?
大和朝廷の公地公民て名だけで管理してたの?

722 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 21:08:14.04
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極めて安いギャラ、権利関係等の無償提供によりメディアへの敷居を下げ
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(文化推進枠は元々、政府と広告代理店が税搾取の為に作ったオブラート)

723 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 21:30:21.32
>>713
帰農は下っ端ばかりじゃないよ。

724 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:01:21.76
>>713
>>戦国時代までは半農半武だったのだから、武士が江戸時代に帰農という議論はばかばかしい。
>>もともと農作業やってる人間が、戦になると駆り出されて武士になったわけで、
>>そのまま農民にとどまったというだけだろ。

おいお前、嘘つくなや!!!釣りか?釣られてやるから答えろ。
いいか?戦に狩り出されてた足軽徒死層こそ、お前の言う貧農からの出稼ぎ労働者だろ。
それら出稼ぎ狩り出し貧農が、そのまま江戸時代になし崩し的に常態化した身分が足軽下級武士中級武士だろ。

何いってんだ?

関東において、戦国末期、武田家、後北条家、佐竹家等の関東戦国大名層の滅亡後の家中だった在地土豪、地侍衆は、
8割以上帰農してるが、徹底的にソースだしてやろうか?ww

さらに、関東においてのそれら以外の一般地侍土豪層も、徳川の元和演舞による政策によって、
徹底的に帰農させられてるソースもがんがんだしてやれるよ?

で、中級武士以下が、お前の言う戦国狩り出し農兵からの成り上がりじゃないというソース出せ。
各大名家の中級武士以下で、室町より続く、名門武家や地侍土豪衆がほとんどというソース出せよ?

関東東日本の帰農庄屋や豪農層は、ほとんどが、戦国以前よりの在地武家集だというソース腐るほど出してやるから、
お前もだせ!!!!はやく。

725 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:07:31.32
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
卑弥呼の時代の日本の総人口はわずか59万人。
初期の大和朝廷が支配したのは10万人もいなかっただろうな。

726 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:13:13.31
>>715
おい、何が鎌倉武士は武士専業だ?もう少し勉強しなさい。w
土地の開発領主だろ。ご恩と方向は土地を介在にした関係だろ。
いつから鎌倉武士は、中央でけまりしてたよ??
在地で土地耕してんだろ。地侍や土豪のスタイルの元祖が関東鎌倉武士団でしょうよ。

逆に、いつから、江戸の下級武士中級武士程度のように、土地すらないものが武士なんて呼ばれてた時代ある?

倭寇や野党を中世では武家や武士と呼んでたの?
中世武士、武家は、土地という大義名分の名の下、武装し、それら権益を防衛する武装農園領主を武士といってたんだが?

その末端が地侍層で、それらの多くが、帰農庄屋となってるわけだ。
で、中級武士以下は、これらにすら該当してないものたちが、戦国の世に狩り出し出稼ぎ用兵労働者として、そのまま江戸期雇用されたのがそれらだろ。
帰る場所、耕す土地もないから、武士に雇用してもらうしかなかったんだろ。

何度も言うが、だったら、中級武士以下が、江戸初期、憧れの成り上がり職業だったと書かれてる文献やソース出しなよww
一切ないだろ。庄屋や豪農に憧れてた貧農層の文献出してやろうか?いくらでもあんぞ?

727 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:14:15.34
>>725
人間てどっかから湧いてくるわけじゃないよね?

728 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:16:51.83
>>713 >>715

君たち、きちんと>>724>>726を、ソース出して答えろよ!!!

729 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:19:23.30
>>727
だから大和朝廷の役人が10万人足らずの人間に名字を与えた事実はあるかもしれないから、誰もが祖先は名字があったんだろうが簡単に忘れられるってこと。

730 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 22:27:37.88
>>723
俺は713じゃないんだが、713には下っ端が、帰農とは書いてないぞ?

>>724
713の主張と724の主張の違いがイマイチ理解できないのだが?
713の主張を、724が丁寧に説明してるだけに感じるが、何が違うの?

713、724、723共に江戸時代にも苗字あった派にみえたんだが。
よくわからなくて。すまん。

731 :日本@名無史さん:2012/11/08(木) 23:07:51.07
>>730
「半農半武は下っ端で、極端な例で言うと源頼朝みたいな人は農作業してないだろ」ということだろう。

732 :715:2012/11/09(金) 01:28:59.64
>>726
>土地の開発領主だろ。ご恩と方向は土地を介在にした関係だろ。
まあ、それはたしかですがね、開発領主ってのは自分が農業をしてるわけではないんですよ。
領民を率いて農業(など)をさせるのが仕事。勧農ってやつですね。

それと、武芸そのものが本業であるから、都の公家たちの元で私兵として働くことが多かったりしますよね。
平安時代も鎌倉時代も。
鎌倉時代にも大番役で京都(など)に赴く武士は多かったでしょ。

>その末端が地侍層で、それらの多くが、帰農庄屋となってるわけだ。

在地領主で現地支配を担当する、典型的な領主層ですがな。
太閤検地以後の兵農分離(的)政策の中で、農村から切り離されるのを嫌った領主は武士の資格を失って庄屋になったわけでしょ。

この時代の庄屋屋敷は従来の武士の屋敷(「館」)の構造を引き継いだものが基本じゃん。
城壁で囲まれてて、堀や濠で囲んでるし。

それより低い地位の「武士」って、(本業の)武士である翔也達が動員した領民か、外部から雇い入れた下人・人夫で、戦国期までは武士と呼ばれてはいなかった人たちだろ。

733 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 02:33:19.30
>>726
あなたの主張には同意するけど

>中級武士以下

この部分だけは下級武士に書き換えた方が適切かと
中級武士の場合、優秀であれば抜擢されて、加増されて上級武士になれる道もあったので
武士の身分を町民や農民が買う場合、それは郷士だったり、中級武士だったわけですから

また、中級武士は、中世において惣村で武装していた上層農民、及び鎌倉・室町以来の武家の末端がルーツかと
武装し苗字を名乗った上層農民が武士という身分を獲得し、足軽大将以上の身分を得て侍化していった
後者の方はそのものズバリなので、もう書く必要もないとは思いますが

もちろん中級藩士の中にはいくさに狩り出され、武功を得て侍分を得た例外的な家系もないとは言えない為
惣村で武装していた上層農民と室町以来の武家の末端をルーツであると断言し切るのはあれですが
中級武士まで身分が不確かとしてしまうと、やや違和感がありますからね

734 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 07:53:52.73
>>721
律令時代〜幕藩、庶民はまっとうな人扱いされてないんだよ。貴人が支配する土地のオマケみたいなもの。
公地公民というのは、それぞれの地域の有力者のもちものだった土地・人民を、公(朝廷)のものとして一元管理と言うことで
べつだん平等社会の実現ということではないんだよ。
「土地を与えて民の生活を保障する」ではなく、「土地に民を配して効率よく耕させる=税収を確保する」という意図のもの。
だから、土地のオマケである民には、完全な名前が有ろうと無かろうと知ったこっちゃなかった。

で、奈良時代とかの人名は記紀に出てくるような長ったらしい名前が普通で、しかも、諱の習慣があって実名を隠す習慣が
あったので、他者と区別するための長ったらしい渾名で庚午年籍なんかには載ってる。

735 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 11:55:49.12
>>734
なんで平等社会という言葉が出てくるのか?
苗字の肯定派が平等社会、苗字のない派が不平等社会の対立軸で話が進んでないと思うが。
そういう言動されるとなんらかのイデオロギーを感じてしまうが?


公地公民では、姓名なく公民を管理してるのかと言っているわけです。
公地公民では、土地も民も朝廷のもので、民が土地からむやみに離れる事を禁止していたと習った記憶があるので。


ちなみに詳しくないけど、風土記に姓名はよく出てきます。
職業姓ってのも風土記にあるみたいだが。
池袋で昔、古代出雲展で隠岐の農業以外の職業姓が紹介されてた。
もちろんそれが一般庶民ではなと思うが、なんらかの職業を統括する人にしろ、その全てが姓がなくなったとは思わない。

また、昔図書館で、日本の姓大全集なんてのを読んだことあるが、たとえば勝さん、村主さんは、渡来系の勝部族の長の姓で、その一般は勝部を名乗そうだ。秦さんなんかも渡来系の姓で今でもあるけどやっはり一族意識があるから残るんではと?

736 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 12:27:53.44
>>734
スレ違いだが、奈良時代に中世のように、各土地土地に支配者と支配労働者という形が確立されてただろうか?
もっと原始的な、我が田畑を耕し租税を納める農民は存在しないのか?

737 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 12:36:41.76
>>735
明治の苗字令は、地租改正、四民平等、国民皆兵と同時に出てきた、それまでの身分制とは関係なしに
権利だの義務だの定めたものだよ。
政府の役職や軍役に抜擢するのも、土地の保有に応じて納税をするのも、身分関係なしと言う方針のもとだ。

738 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 12:38:27.68
>>736
支配者 貴人・公人・官人
被支配者 民・奴婢

739 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 12:57:31.13
>>737
もちろんそれはみんな知ってる話しだと思います。中学で習うし。

740 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 15:34:52.46
>>739
じゃあ、なんでつながらないの?

741 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 17:04:13.77
>>740
姓名が江戸時代にほんとうはあった派の主張は、江戸時代に差別がなかったと主張しているのではなく、差別により苗字を名乗るのを禁止されたのであって、本来は苗字がある。
というのが主張で、明治以前が不平等か否かは論点ですらないと思うが。

742 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 17:19:52.09
>>741
だから、土地のオマケである民には、完全な名前が有ろうと無かろうと知ったこっちゃなかった。

743 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 18:35:32.88
>>742
それ言ったら、このスレと関係ないよね?

744 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 20:06:23.35
>>716
明治天皇様のおかげで庶民も平等に苗字が名乗れるように
なったんだぞだからありがたく思えよというプロパガンダをデッチあげるため。

745 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 20:13:03.42
平成のいまでも嫁いだ妹の名字を使わないで「三鷹のおばんさん」とか
「柳枝(苗字)のおばあちゃん」といわず「柳井(市に住んでる)のおばあちゃん」と
いったり親族あつまるとわかるが苗字を
つかわない。かわりに上記のように住んでる場所を苗字のかわりにつかったりする。

746 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 20:18:33.20
>>745
木曽義仲 源義仲。
足利尊氏 源尊氏
苗字って地名由来じゃないっけ?

747 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 22:25:04.61
>>744
実際に明治から平民が苗字を公に名乗れるようになったんだから、
そんな嘘をつく必要は無いだろう。

748 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 22:44:03.69
何もしかして、ここって左翼のマルクス史観と右翼の皇国史観の戦いになってんの?
それなら全く意味がないね…

749 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 08:43:21.63
>>4
イギリスのドーアという社会学者によると、明治元年の日本全国の就学率は男子が43パーセント女子が10パーセントあったそうですがこれはかなり高い数字です。
都会に限れば識字率80パーセントという数字はうなずけます。
(『講談社日本の歴史19文明としての江戸システム』p306)

ゴローニンやシュリーマンは著書の中で「全ての日本人は読み書きができた」と述べています(翻訳は岩波文庫、講談社学術文庫にあり)。
朝鮮通信使の申叔舟や捕鯨船員のアメリカ人マクドナルドも同じことを言ってるそうです。
井原西鶴の『西鶴織留』には「今時は物かかぬといふ男はなく」と書かれています。

ひらがなの読み書きができれば、当然自分の名前の漢字位書けるのが当たり前じゃないのか?
小2の子供でも自分の漢字は書けるぞ。

750 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 08:54:00.67
>>749
明治元年というと寺子屋なんだろうが高島俊男は数ヶ月遊んで通ったようなのまでカウントしてると書いてたぞ。

751 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:10:47.95
>>750
今時、保育園に通った子供は、小学入学までひらがなの読み書きでいない子が結構いる。でもだいたい一ヶ月でひらがなの読み書きは覚えるよ。
たった一ヶ月でだよ。
ひらがなを覚えるのがむつかしいと思うのはマルクス史観だよ。全く実体験に基づかないよね。
日本語は、いろはに〜さえ覚えれば書けるんだから、こんな簡単な話しはない。だから日本の識字率がたかかったんだよ。

752 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:19:33.70
>>751
おいおいこれではオカルト史観だw

753 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:32:27.10
>>752
そりゃマルクス史観に骨の髄まで浸かって、江戸時代は庶民には何から何まで暗黒と思わないと、マルクス史観が成立しないからオカルトになるだろうね?

じゃあ明治時代に学校が普及して、急に識字率あがったんなら、それより上の世代はどこで字を読めるようになったんかな?
その理屈なら江戸生まれの明治人の庶民はほとんどひらがな程度も読めないんだよね?

754 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:35:25.51
>>753
過去レスくらい読め。明治だって読めませんw

454 名前:日本@名無史さん [sage] :2012/08/13(月) 22:47:39.98
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/8186/1/70(4)_524-535.pdf
文部省年報掲載の調査報告 自分の名前が書ける人の割合(%)

青森県 1881年 男子 37.39 女子  2.71 全体 19.94
鹿児島県 1884年 男子 33.43 女子 4.00 全体 18.33

を見れば、男子の1割が武士だったとすると、青森では男子の
73%、鹿児島では男子の77%が自分の名前すら明治に入ってかなり
経っても書けなかった。女子にいたってはほとんど書けない。

755 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:37:17.33
ちなみに当時の女子の名前はほとんどかな2文字だからな。

756 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:37:23.36
明治10年(1877年)に滋賀県で実施された一番古い調査で「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、群馬県や岡山県でも男女の自署率が50%以上を示していたが、青森県や鹿児島県の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる。

757 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:47:17.19
>>756
だから関西の街道沿いや江戸が突出して良いだけで全国平均では大したことないよ。

758 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:56:55.14
>>757
全国平均≠人口平均

759 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:58:42.26
マルクス史観には何言っても無駄だぜ。
皇国史観も同じだけど。
イデオロギーが先にたつと本当の意味で議論にならない。

760 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:34:25.81
>>758
江戸後期で日本人口3000万だが江戸はたかだか100万。人口の3%の地域で識字率が高くてもね。

761 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:47:18.09
江戸は武士比率が高いから識字率高いんだよな。
その江戸の武士も半数は日本中から赴任で来てる諸藩の藩士だけど
大藩になると江戸に複数の藩邸持ってたくらいだから

762 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:53:08.78
>>761
さらに江戸は商人が多く女が少ない。
識字率が高くて当然。

763 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 13:13:28.65
何かしらんけど、江戸だけが識字率高い事で話しすすんでるね。

764 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 14:09:16.42
実際そうだし。
もちろん大坂や京都の中心部もそうだろう。

765 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 19:53:04.36
>>760
てことは3%ではないね。

766 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 21:48:48.35
    ,、    /7       ,-、
    ( <.    | l      //´
    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
      >、<゜> < 。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
       ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′
         `''‐---‐''´
    ( <.    | l      //´
    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
      >、<。> <゜>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
      >、<゜> <。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌 なら 見るな!フジテ〜〜!

767 :日本@名無史さん:2012/11/10(土) 23:01:58.69
>>756
日本語が通じず質問の意図を解しなかったり
質問の意図を解していたとしても名前を持っていなかったり
とかではあるまいか。

768 :日本@名無史さん:2012/11/12(月) 13:35:54.40
蜂須賀家もたしか蜂須賀村出身だったよな。明治時代には5本の指に入る
大富豪だったが財産無くして戦後は子孫が行方不明になったとか?

769 :日本@名無史さん:2012/11/14(水) 04:13:35.76
都会にあたる地域だけで見ても驚異的だという話もあるそうで、
ロンドンやパリは相当ひどかったらしいね
急な人口流入もあっただろうけど

770 :日本@名無史さん:2012/11/14(水) 13:03:36.13
そもそも文盲と姓名が関係あるなら、韓国人や中国人も姓がない事になるよね。

771 :日本@名無史さん:2012/11/14(水) 13:06:55.30
韓国の姓は比較的最近らしい。
族譜の9割以上偽だとか。

あえていえば中韓は姓が少ないのでインテリ(役人)が姓を管理する習慣があったということだろう。

772 :日本@名無史さん:2012/11/17(土) 15:03:11.15
江戸時代は氏姓を公的に名乗ることが許されなかったのであって
私的に持つことが許されなかったんじゃないよ

そもそも苗字の無い墓なんてあまり見かけないじゃない

773 :日本@名無史さん:2012/11/17(土) 17:47:41.27
ここの反対派マルクス史観にはまってて無理みたい。

774 :日本@名無史さん:2012/11/17(土) 23:37:13.43
>>771
日本も律令時代には宮内省が氏姓の管理をしていたし、
ヨーロッパ諸国も貴族の家督・家名・爵位は王宮が管理していたし。

775 :日本@名無史さん:2012/11/17(土) 23:50:57.35
>>774
で、江戸時代は幕府が庶民の苗字を禁止していたのだから知識人が庶民の苗字を管理するわけがない。

776 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 16:06:00.60
>>754
なんでわざわざ低い地域だけ出すの?
滋賀県 1877年 男子 89.23 女子 39.31
岡山県 1887年 男子 65.64 女子 54.38

だいたい西日本のほうが識字率は高いし、西と東じゃいろんな点で
随分違いがある。
北関東〜東北の常識が日本の常識だと思わないほうがいい。
東日本は武士の力が強く、現代に至っても本家ー分家の力関係に差が大きい。
東は近世以降に開発された土地も多く、棟梁とそれ以外の身分差が大きいんだろ。

西は歴史が古いせいか、弥生以降の歴史を持つ土地が多い。
在地の土豪やその他、古くからの有力者、住民が住んでいる。
京都や堺がそうだったように、たびたび戦乱に襲われ、村を守るために
武装したんだろう(文武で)惣村は、西日本に多かったらしい。

777 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 16:41:54.84
>>776
鹿児島って東日本だっけ?w

778 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 16:45:22.28
鹿児島は東日本、笑った

779 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 19:56:31.92
>>777
弥生文化が波及しなかった鹿児島周辺は、
どちらかというと蝦夷とか琉球に近い特徴があってもおかしくない気はするな。

それでも古墳時代以後には明らかに日本の一部に入ってるんだけど。

780 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 20:47:52.66
>>776
横レスごめん。
確か俺の記憶だと、江戸時代薩摩藩て武士比率が他の藩よりかなり高かったと記憶してるんだが、何故こんなに識字率が低いか疑問。
調査年が分からないが、明治に薩摩藩の武士てかなり鹿児島県から居なくなってるとかないんですか?

781 :日本@名無史さん:2012/11/18(日) 20:51:37.47
>>779
薩摩や屋久島の弥生人骨は短頭で、長頭の縄文人(在来系弥生人)のものとは異なってる
蝦夷とは、結構違ったんじゃないかな?

782 :日本@名無史さん:2012/11/19(月) 22:55:39.76
>>780-781
スマン、文化とか人種とかの意味で似てるって意味じゃなくて、
文明化の遅れ(というか、文字の普及の遅れ)があったと言いたかっただけなんだ。

まあ、鹿児島は農業技術とか治水技術とかの面でも、他の地方より遅れてる点が多かったらしいけど。

783 :日本@名無史さん:2012/11/20(火) 16:00:15.98
>>782
薩摩は北と東を山、西は海に囲まれた陸の孤島みたいな土地だから
鎌倉以来の地頭の島津氏が大名として生き延びられたのもそれ故
武士が異様に多いのも、兵農未分離状態だった事に起因する

784 :日本@名無史さん:2012/11/20(火) 23:34:51.85
2009年
「小泉に騙された!言ってることはよくわからんが、民主党なら、この閉塞的な社会を打破してくれそう。」

2012年
「民主に騙された!言ってることはよくわからんが、橋下なら、この閉塞的な社会を打破してくそう。」

2016年
「維新に騙された!言ってることはよくわからんが、今度出来る新党なら、〜〜〜」

2020年
「新党に騙された!言ってることはよくわからんが、今度の新・新党なら、〜」

以下無限ループ

785 ::2012/11/21(水) 09:49:09.91
結局自民党なんだよ。この国は

786 :日本@名無史さん:2012/11/22(木) 00:56:22.69
>>783
薩摩を中心とする九州南部地域は、弥生文化が波及せず独自文化を保っていた。

そういう傾向は後代まで残っていて、
太閤検地のときには農業技術についてかなりの指導を受けてたらしい。

ってぐらいの規模で文明的な遅れがあったという現実はある。

787 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 07:32:16.33
一般的には武家は女も識字率が高いらしいが、薩摩は男尊女卑がきついことと
地域の独自性(ほかと隔離されてる)で、女に学問はいらん、という考えだったのかも。

近畿〜東海地方は、農村でも出稼ぎや奉公に行くことが多かったらしいから、
最低限の読み書き位は出来てあたりまえだったのかも。

788 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 12:22:48.19
ある本によると、文化的には九州は関東に近いそうだ。

鎌倉時代といえ、近畿、中国、四国は幕府の支配下にはならず、独自性を
保っていたことと関係があるんじゃないかな。

789 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 12:45:14.93
ある本って?

790 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 17:04:43.97
>>788
それって「飛行機」使うから山口県民の上京率より九州の
が高くなるっていう話?

791 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 17:53:18.73
>>788
九州には坂東八平氏が守護・地頭で下野してるだろ。
鎌倉時代に対モンゴル応戦部隊も行ってるし。

792 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 18:15:40.44
何気に日本史のメインストリーム上で中国とか四国は空気

793 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 18:55:50.82
何気にじゃなくて、普通に重要だろ

794 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 19:34:34.96
九州がメインストリームから外れてる期間って、江戸時代中期と近代ぐらいか?

まあ、さすがに幕末〜明治中期ぐらいのような重要さを持ち得た時期は弥生時代の早期と後半期ぐらいかもしれんけど。

795 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 19:45:00.22
>>792
神話の中や古代は中心だけどね

796 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 19:56:02.13
大宰府の存在がでかい

797 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 23:22:25.66
>>795
神話時代はともかく、古墳時代や古代には、中心的ではないな。
紀元1世紀後半には、早くも日本列島の中心的な立場から転落してる。

798 :日本@名無史さん:2012/11/24(土) 23:49:27.92
>>797
そうですね。ザッパに言い過ぎた。

799 :日本@名無史さん:2012/11/25(日) 00:13:44.56
まあ、それでも平安初期までは、重要な場所だったことには違いがないか。

平安中期になると、重要どころか、要人の左遷先扱いになっちまったけど。

800 :日本@名無史さん:2012/11/25(日) 17:16:25.50
鹿児島は東北みたいだな。
武家の力が強く、周辺地域で経済の発展がなく、商品経済化が遅れた。
在地武士が多く、惣村も発展しなかった。
辺境ゆえ、大阪などへの奉公人もあまりいなかった。
男尊女卑がきつかった。

こんなところかな。
武士も城下と在地とあったらしいし、在地は明治にも残ったけど、
城下にいた武士は、明治になって官地がなくなり食って行けなくなったのもあり、
東京へ出たみたいだね。

明治初期には、

801 :日本@名無史さん:2012/11/25(日) 22:31:23.28
>>800
薩摩の商売下手?
清との密取引・砂糖利権・蝦夷昆布の琉球販売
徳川通さず好き勝手に儲けてまんがな。

802 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 02:27:15.13
清との貿易で抜荷したり、琉球・奄美を使った黒糖プランテーション労働、
江戸時代の薩摩はなかなかのやり手だよ
最盛期には薩摩藩の人口の4人に1人が武士だから
もちろん地方の仮屋在住の郷士は普段は農民と変わらない生活だったらしいが

803 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 03:48:03.25
薩摩は日本の貨幣経済の発展の中で藩の財政が逼迫したのを特産品の開発や貿易で財政改革に成功したが、
薩摩の中で貨幣経済が発達してた印象は無いな

804 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 04:26:49.44
日本のブラック企業は現代でも欧米みたいに管理した搾取じゃないからね
管理して搾取するのではなく、よく言えばお客様は神様ですみたいな徹底した奴隷根性を経営哲学のように社員に与える
思想めいたもので洗脳して証拠を残さない

805 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 10:51:29.52
>>804
これなに?
もはやスレ完全に関係ないよね?

806 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 13:28:08.71
>>780
薩摩弁は日本語の中でもかなり特殊で、或る種、外国語みたいなものだから・・・・・・・

807 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 16:30:57.70
>>803
貿易で財政を健全化したとは言え、いわば国内経済じゃなく政府支出に限った話だよなあ。

藩それ自体だけじゃなく一部特権商人も潤ったわけだが、
国内経済だけで言えば、発展途上国と大差がない。


東北地方も似たような感じかな。
貿易じゃなく、商品作物(江戸向け)の生産・輸出に比重を移してたんだが、
現代東南アジアのプランテーションと一緒で、住民の生活を豊かにしなかった。

808 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 17:13:49.11
>>806
そうですね、その可能性もありそうな気も。

>>807
歴史スレで脈絡もなく経済方向に持っていって東北や薩摩を落としめる人多いけど、あれいったいなんだろうね?
なんでそこに執着するのか意味がわからん。

809 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 17:15:21.61
このスレのタイトル苗字なんですけどね。

810 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 17:29:21.77
薩摩厨

811 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 18:15:26.33
>>808
一応その話題も歴史の一部なんだが。
ただ、苗字スレと関係ないのは事実で、スレチなのは間違いない。

812 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 18:52:01.09
>>807
ただ稲作依存度の高い地域ほど飢饉の被害も大きかったという(米を江戸に売ることで成り立っていたから)

813 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 19:07:13.98
鹿児島の苗字が独特なのは、
隔離されてるが故の自然的なもの?
それとも、琉球や奄美に対する苗字政策のように人工的なもの?

814 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 23:43:06.69
>>812
いや、米など食料品を買い入れなければならない地域の方が、
飢饉による食料価格高騰で大きな被害を受けるだろ。

主食転用が効かない商品作物では飢えを凌ぐのが難しいから。

815 :日本@名無史さん:2012/11/26(月) 23:43:33.69
>>813
ここに色々と書いてあったよ

ありがちな姓/鹿児島
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A1%E3%81%AA%E5%A7%93/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6

816 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 00:07:42.37
>>815
のリンク先見ると

> これに対して九州北西部は「○本」が普通。特に顕著なのは熊本県(県名自体が「○本」と表記されている(爆)。)


こんな(爆)とか使う奴が書いてるから信用出来るか不安になった

817 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 00:25:45.14
>>816
ネットの情報は一次ソースの確認の取れないものは原則参考程度

818 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 01:24:47.51
>>814
正確には「冷害の危険性が高いところに限ってコメ偏重だった」ってオチらしいが
太平洋側はやませが吹くから、1993年の凶作でも特に被害が大きかった

819 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 02:27:33.79
>>788
逆だろ。
関東・東北の離反性が高まった。
手におえないから、自称清和源氏の頼朝に好きにさせた。

820 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 02:29:52.64
>>814
実際に、京、江戸、大坂で餓死者の出るようなことは無かったし、
飢饉の起きてる地方でも城下ではやっぱり餓死者は出てないし。

821 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 11:34:04.30
ほんと日本史スレってどのスレみても東北の冷害が〜とか、薩摩は〜とか経済ばっかだよな?
左翼の日教組の日本史の成果なんだろうなww
普通そんな辺境の地が歴史語る時に主題に
ならないもんな。
現代の政治で、人口と経済少ない鳥取県とかを現代社会の問題として延々議論するみたいなもんだろ。

822 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 12:23:29.47
近現代史で主に時間が割かれるのは明治維新だからだろ

823 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 22:58:18.28
>>820
幕府や大名が城下とか大都市を優先して対策したからじゃないの。

室町時代の大飢饉だと、京都の都市部でも十万人規模の餓死者が出たりしてるよ。
ただ、京都に元から住んでた人の餓死者と、元の居住地で食べていけなくなって京都に移住しようとしたけど結局餓死した人との内訳が不明。

824 :日本@名無史さん:2012/11/27(火) 23:35:12.35
>>823
私は820ではないが、恐らく言わんとしてるのは、餓死者の記録が誤りがあって、実際にはそんなにしんではないのでは説を主張では。
地方の藩は飢饉を理由に幕府に上米の減量(?)額(?)を申し入れる為に、餓死者を相当盛って報告なんて話しがあるだとか。

825 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 17:36:15.27
>>824
室町中期、長禄・寛正の飢饉のおりには、あまりにも行き倒れの死者が多いことに心を痛めた僧侶が
多数の木札をつくらせて、洛中(=京都の街中)で死者を見るたびに木札を置いて供養したんだと。
二ヶ月の間に木札は急速に減って、残り2000枚弱になったと書かれている。

作成数が、なんだったか、仏教関連の数にちなんで84000だったから、差し引き82000人の死体を供養したことになると記録されている。

まあ、見落としとか重複とかも考えられるのも事実だが。

江戸時代の飢饉と違い、公的な調査など行われていないし、信憑性のある数値とは言えないだろうけどな。
この飢饉での死者総数が10万に届かなかったとは考えがたい。

826 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 20:14:18.55
>>825
まぁ室町は江戸時代より、食糧生産高かなり低いし、社会整備されてないからね。
流通も確立されてなくて地方もまだほぼ時給自足経済だからね。ちょっとの地域的な飢饉でも、江戸期よりはかなり深刻なはず。

827 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 20:34:33.97
>>826
それは多少偏見が入ってるぞ

室町時代になると地方からの納税は貨幣が基本になってるし、
それなりの規模で流通が発達してはいる。

江戸時代の交通整備ごと比べたら,商品経済は一桁ぐらい小規模かもしれんけど。

物品流通(商品輸送)の船の数では、同時代のヨーロッパと比肩しうるぐらいだろ。いちおうは。
まあ、その時代のヨーロッパは、まだ先進地域じゃなかったけどさ。

828 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 20:43:54.08
>>827
流通ってのは食糧の流通のことです。地方の農産物が京都に集まる流通って事です。
飢饉にらついて考察なんで流通貨幣経済についての書き込みではありません。

829 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 22:28:22.00
食料品の流通とか、規模を大きく見積もらなくていいなら縄文時代でもそれなりの発達はある。

交換用、交易用に食料加工する風習ができていたからこそ、その加工跡として、大規模な貝塚が残っているわけで。

完全に食料を自給自足していたのは旧石器時代までですよ。

830 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 22:36:30.22
>>829
ww
そんな意味にとれるの?
もうちょとバランス考えて読んでよ?
それと書いてないものまで読んでんのw?

江戸時代に比べて京都が飢饉に弱かったって話しだよね?w

831 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 22:46:40.15
しかし日本史スレって経済の話しばっかだな。ここ苗字のスレですけど?
経済の話しはよそでしたら?
経済話ししかないなら苗字スレなんかにくんな。

832 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 22:49:35.47
たぶん)江戸時代に比べて京都が(というか、たぶんどこの街も)飢饉に弱かったって話、
だとは思う。

いや、話が極端から極端に行ってしまって悪かったとは思う。


でもな、京都へ諸国から、各地から物資を運び込む流通路だけは、室町時代以前に充分に発達してはいたはずなんだよなあ。
「兵庫北関」の、年間三千艘を超える貨物入荷も、京都へ運び込む物資の輸送が大半だったわけだしさ。

問題は、輸送路の充実度だけじゃなく、飢饉対策を行いうる権限を持った行政機関の有無とかかね。
室町幕府は財政規模でも権限でも、飢饉対策が充分にできるような政体じゃなかったし。

833 :日本@名無史さん:2012/11/30(金) 23:05:48.18
室町時代の関所は、関銭を徴収するのが主目的でした。
土地を支配する領主や地主が、勝手に関所を設け、
自分の土地を通過させる見返りに通行税を取っていました。
ですから他の土地に入る度に関所があり、
ひどいところでは、わずか1kmの間に数箇所の関所が設けられていた例もあったそうです。

上コピペだけど、この関所を含め主張してたんよ。戦国期の織田豊臣の関所の廃止と楽市楽座以降に流通が活発化するって主張だった訳です。

834 :日本@名無史さん:2012/12/01(土) 16:06:15.26
飢饉に弱いくせに、関所取っ払うこと、関所の通過条件をどこも同じことにすることに
反対しまくってる、日本のおかしなTTP世論

835 :日本@名無史さん:2012/12/02(日) 08:56:13.11
室町後期は天皇や貴族は貧窮を極めたというな。

836 :日本@名無史さん:2012/12/03(月) 15:14:45.62
488 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] : 投稿日:2012/12/03 09:26:59ID:RC/vqUba0 [1/1回(PC)]
名前:可愛い奥様[] 投稿日:2012/12/03(月) 09:18:26.68 ID:Qt45Fz4s0
16 +4:名無しさん@13周年 ::2012/12/03(月) 02:18:01.01 ID: xm0FnEtg0 (1)
500 名前: イエネコ(西日本)[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 00:21:44.74 ID:9Ejy1hpx0 [2/2]

道路保全技術センター wikiより

財団法人道路保全技術センター(どうろほぜんぎじゅつセンター、英: Road Management Technology Center、現在は解散)は、
日本の国土交通省所管の財団法人。
道路および道路構造物の保全や調査研究、道路管理システムの提供、技術指導や資格制度の運営などを行っていた。
行政刷新会議による2010年5月の事業仕分けにより、2011年3月31日をもって解散[1]、同年11月30日付で清算手続きが終結した。

ちょw


道路保全技術センター
事業
・調査・研究および開発技術の提供
・レーダーを用いた路面下空洞探査、道路の防災管理、トンネルの保全、道路標識や路上工事削減に関する調査・研究などを行った。
トンネルの保全・・・

>行政刷新会議による2010年5月の事業仕分けにより、2011年3月31日をもって解散[1]、同年11月30日付で清算手続きが終結した。

837 :河村選挙対策委員長:2013/01/06(日) 21:45:55.29


838 :裁判負一声会さくら接骨院親分歌代英二:2013/01/07(月) 20:08:58.37
fbn

839 :日本@名無史さん:2013/01/07(月) 23:05:49.78
鹿児島って3文字の名字多いよな
元々農民で後に出世や正規兵として召し抱えられた家に多いらしい

840 :日本@名無史さん:2013/01/08(火) 16:59:41.84
本仮屋ユイカ

841 :日本@名無史さん:2013/01/17(木) 01:31:02.75
>>836
http://2logch.livedoor.biz/archives/4292923.html
>NEXCO中日本概算要求 修繕費 平成21年度をもって民主がカット
http://www.c-nexco.co.jp/corporate/ir/gov_assure/
平成21年度=2009年度
2009年度予算の概算要求は2008年の年末に出される
2008年の政権党は自民党
ネトウヨの嘘のつきかたってすげえな

842 :日本@名無史さん:2013/01/26(土) 15:15:44.00
きのこが聞く! 衆院選比例 あなたはどこに投票しましたか? 「日本未来の党」88.09%
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-3197.html

「不正選挙」を糾弾し始めたら、創価学会のヤクザから恫喝を受けました。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_359.html

2012年12月16日(日) 19時27分15秒 出口調査 三原じゅん子 自由民主党参議院議員
出口調査の結果があちこちから流れてきます。自民党、、、厳しいです。
マスコミの流した情報はなんだったのでしょう、、、、というくらい。全然違う(;゜0゜)
まだ、あと30分。どんな結果が出るのでしょうか。http://ameblo.jp/juncomihara/page-7.html#main

今度の不正選挙で一番ビビっているのは、当の自民党議員であると思います。
彼らは、国家丸ごとのとんでもない不正が行われたのを知ってしまいました。
出口調査ではどう考えても大敗だったのに、なぜか、大差で勝ったことにされてしまった....
ほかの同僚も同じことを言っている....こんな大規模な不正が日本で行われ、自分も当事者だなんて....。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_200.html

生放送でみんなの党代表が、これ違法選挙だとわかってて政府がやってるのは分かってますね。
これ選挙やり直しになりますよ、とはっきりとNHKで生放送した瞬間、全国一斉に放送が停止。
NHKもグルとは珍しいね。民法は言うまでもなく全部グルです。週刊誌は全て知っていた
https://twitter.com/Fibrodysplasia/status/280656150926602240

安倍政権が米国債(紙屑債)50兆円の購入を決定 
今回の不正選挙をしかけたムサシのトップはゴールドマンサックス 
これが安倍政権を無理矢理登場させた本当の目的だったのだろう http://enzai.9-11.jp/?p=13747
https://twitter.com/tokaiama/status/290942046171197440

843 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:56:39.54
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844 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:57:14.67
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845 :一世万系の天コロ:2013/04/04(木) 16:25:38.86
え?

846 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 13:54:12.62
>>1
あーたしかに
うちの名前も適当につけた名前だと思ってたけど、
江戸時代以前から苗字あったみたい
どうも中世には武士で、それが農家になったらしい
そういう家って今も本家筋はリーダー的な存在だよね
よほど酷い息子が後を継がない限りは

847 :846:2013/05/07(火) 14:21:20.76
>>58にまさに知りたかったことが書いてあって興奮
親はうちは大昔は京都の由緒ある家柄で武士だったと言うが
農家だし絶対嘘だと思っていた
江戸時代に献金をして武士と名乗っていいことになったらしいから
そのことを風呂敷広げてるんだと思っていた

848 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 17:52:58.64
中世の武士の生活って、江戸時代的な武士とは全然ちがってさ、
中規模以下なら、村の真ん中に(または要地に)住んで、村を経営する立場なわけよ。

大手の武士なら、そういう現地経営的な武士を束ねる立場だな。

本人は農作業に参加しないことが多いとは言え、のちの庄屋の仕事に近いことをやるわけ。
近代の地主業(在村)とか、不在地主とか、そういう業種形態でもあった。

秀吉時代に、農業に携わらないものは村を追い出せという全国命令が出たことや、
江戸時代の庄屋と村民との争いなど様々な理由で、そういう元武士の人たちも農民となっていったけど、
幕末ごろまでは、村役人は武士(下級武士)に準ずる地位・身分でもあったので、
農民だけど元は武士、なんてのはけっこう多いはず。

そのなかで、「京都の由緒ある家」となると、ハードルは上がるけどね。
ありえない事例ではないから、言ってみよう。なんて名前だったんだ?

849 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 19:20:21.55
自分は名前変わってしまったけど旧姓が嵯峨
由緒は、「片田舎の平均値よりは高い」という程度だと思う
それすら本当なのか分からない
関西から流れてきたヤクザが戦国時代に経歴ごまかして
嘘をついて定住したのかもしれないw

ただ嵯峨山という人が苗字のことを調べたページがあって
家紋が同じだったから大昔は仲間だったのかもしれないと思った
うちは平凡な貧乏な分家の分家のまた分家みたいな家だけど
長男たちを辿っていくと町議や村長やそういったことをしていた
家系だったりする

850 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 23:41:24.79
日本の苗字七千傑ってサイトで検索したところ、
嵯峨という苗字は1752位、推定9000人前後らしい
オレの苗字よりずいぶんと多くて驚いた。(こちらは三千数百人と出た)

>長男たちを辿っていくと町議や村長やそういったことをしていた家系だったりする

庄屋とかの村役人の家系だな、きっと戦国時代までは武士だったんだろう。

851 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 01:00:18.78
そのサイトは見てたけど、公家や藤原じゃあないなと我ながら思った
流転の王妃のところも苗字同じだけど明治になってその名前になったらしいし
それより秋田に同じ苗字の肝煎家系の豪農がいるみたいで気になる
姓氏辞典の秋田版はないんだろうか

852 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 13:33:00.75
おとんに改めて確認したら中世は武士という部分勘違いしてましたゴメン
「もとは京都から来た由緒ある家柄」の伝承があるのは本当だった

853 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 13:38:07.65
名主ってどうやればなれたの?
そのとき金を持ってた人が選ばれたり、町内会長
みたいなオサーンが自然発生的に持ち上げられたのか

854 :日本@名無史さん:2013/05/09(木) 07:36:18.99
ノーベルに繋がる江戸時代の火薬の歴史

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/42/280_1.html

火薬と気象操作の関連疑惑でわかってきた。

855 :日本@名無史さん:2013/05/09(木) 18:59:44.06
金と名声を持っててスポットにふさわしい人がいなければなれるんじゃ

856 :日本@名無史さん:2013/05/09(木) 23:57:38.60
みょうしゅ(平安時代)ではなく、なぬし(江戸時代)のこととしていえば、
基本、中世以来の在村領主もしくはその系譜をひく親族あたりが主流だろう

もうちょっと範囲を広げて、村役人全体まで含めるなら、なぬしの横暴と対抗する村民代表、みたいな立場の人も含まれるみたい
一介の成り上がりから始まった家系はむしろ少数派ではないかと

857 :日本@名無史さん:2013/05/11(土) 04:42:50.01
才覚あるよそ者が認められるより、代々のリーダー役が継ぐ方が多かっただろうな
やはりそれなりの信頼がなければ

858 :日本@名無史さん:2013/05/11(土) 18:05:55.37
そもそも、土地だけじゃなく農具も、それに中央政界とのパイプも、
成り上がるために必要な要素のすべてが庶民に開放されないままだった時代だからな。

859 :日本@名無史さん:2013/05/11(土) 22:53:09.63
新規参入が頻繁な都会部はおいといて、人口減に悩む糞田舎だと
誰もそんなところすみたく無いから、元地主層はそのまま大昔の領主
だったかもしれないけど、都会にいる領主の土地を守る役目を仰せつかった
使用人みたいな家系だったのでは?

860 :日本@名無史さん:2013/05/12(日) 02:46:01.78
>>858
それ平安時代以前の話じゃね?

861 :日本@名無史さん:2013/05/15(水) 15:18:48.90
>>859
江戸時代は街の方が人口減に苦しんでたよ。
なかなか人口が増えない。

逆に、農村は人口余剰。
次男坊以下やら女やらが丁稚や女中に出されるけれど、そこから世代が重ならない。
一二世代で消滅してしまう。

862 :日本@名無史さん:2013/05/15(水) 18:40:25.47
都会で長く生活する人の間で脚気が多発したり
(特に江戸では脚気が多発したため、脚気のことを江戸患いと呼んだ)
かなり頻繁に疫病が流行って病死者が多発したり、
出会いの機会が農村部より少ないために独身世帯が多かったり、

様々な理由で都会では世代を重ねるのが難しかったんだよな。

大都市周辺のかなり広い範囲から人を(人口増加分を)飲み込み続けたんで、
江戸周辺や畿内では何カ国もの範囲で100年以上にわたって人口の増加が止まるほどだった。

そこから離れた中国地方西部やら九州南部は人口が増え続けたのにな。

863 :日本@名無史さん:2013/05/22(水) 18:25:03.83
3代続けば江戸っ子なんていうけど本当は首都圏2代目
(つまり父の代に上京した)が
一番多いのさ。

864 :日本@名無史さん:2013/05/22(水) 23:37:57.62
>>863
え?
一番多いのは初代(江戸生まれじゃない人、ようするに出稼ぎ者)だろ?

江戸生まれの人の中では二代目が最多だろうけど。

865 :日本@名無史さん:2013/05/23(木) 00:27:09.60
>>864
高度成長期に大量に上京したんじゃないか?

866 :日本@名無史さん:2013/05/23(木) 01:02:34.00
>>865
え? 863って江戸時代の話でしょ? そう思って、江戸時代のつもりで864を書いたんだけど

867 :日本@名無史さん:2013/05/23(木) 09:23:09.64
>>866
ごめん、俺は逆に>>863の内容を見て現代の話かと思った。

868 :日本@名無史さん:2013/05/24(金) 21:10:35.15
江戸ではみんなが子孫を残せる訳じゃないようだね。
都市蟻地獄というらしいけどさ。近隣から都市へ奉公に行って、病気で死ぬ
ってのが多かったらしい。江戸周辺と近畿は人口が増えなかったのはそのせいとか。
九州や四国、中国は江戸後期でも人口が増加してる。
特に薩摩や周防、芸州。明治維新がそのへんが中心になったのも、それと関係が
あるんだろうね。

ある本に長州藩の江戸末期の歳入が出てたんだけど、農業とそれ以外が半々くらい
で驚いた。
教わった(と思ってる)日本史の江戸時代は、ねじ曲げてあったんだな。

869 :日本@名無史さん:2013/05/25(土) 01:50:32.78
輪島塗を特産とする工芸の街たる輪島は、
江戸時代には行政的に村と区分されていたが、

なにぶん工芸の街だ、住民の多くは自作農ではなく小作(いわゆる「水呑」に相当する名称)と位置づけられ、
「住民の9割までが水呑百姓」と扱われた。

面積あたりの米の生産高より実収入の方が多い土地柄ゆえ、
村高にたいして「九公一民」という高い税率の税が課されたという。

(だが農村じゃなく街なのが実態なんだから、見かけと違い、実質の税率は普通だったと思われる)



江戸時代=暗黒時代 と見なす近代中心史観による捏造だわな

870 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 12:03:34.55
綿花を作り、米を買っていた農民。
綿花を繰り綿にしたり反物にする工場を持ち、10人以上の従業員を抱えていた水呑
そういう上場で働いていた「百姓」

「生かさず殺さず」高い年貢を課せられ、米も食えずに麦や雑穀を食べ、ボロを
まとい、飢饉があれば餓死したり娘を売ったりした水呑が多数だった・・

ま、おかしいんだよな。人口の95%の百姓がろくに米も食えないって・・
作った米は捨ててるのか?いくら金持ちでも米である限り10倍は食えんから。
こんな計算も出来ないやつが作った教科書。

商人が大儲けした。--誰が商品を作っていたのか?
百姓は安く買い叩かれ・・--商人は他にもいるだろ。

度重なる贅沢禁止令で庶民の暮らしは制約を受けていた・・
 禁止するってくらいだから、贅沢してる奴がいっぱいいたはずだよな。

871 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 16:07:41.46
いや、米は納税用の擬似通貨でもあったからさ、
人によっては米を買って年貢に充ててたってことだろ


もっとも。
江戸時代=暗黒時代 史観ってのはあるからなあ。
明治維新を正当化するために、近代になってから(特に昭和頃か?)色々な与太話が創作された。

872 :日本@名無史さん:2013/05/27(月) 19:55:02.19
>>870
酒の醸造分が多かったとか
あと南部や島津などはそういった実態なのでは?

873 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 03:50:09.02
納税だろうが、米である限り食べなければ役に立たないよ。
米は毎年取れるんだから。

酒って、米さえ食えない庶民が酒を買って飲むのかい?
それとも武士だけが飲むのか?酒の生産量は制限されてるよ。
大半を酒にしたらとんでもない量になる。作る人間はどうする?
米を食わずに酒を作るのか?

綿花を作ったり織物をやってた「水呑」は米を買っていたらしい。
納税用と食べる分と。

「百姓」ってのは、「米作り農民」と言う意味じゃなくて、武士と
城下に住んだ職人・商人以外の、すべての人。
綿を作り、米を作り、織物を織り、菜種油を作り、燃料を生産し、輪島のような
漆器を作り、瀬戸物を作り、それらを各地に輸送をしていた。
時国家も百姓だった。蝦夷からにしんや昆布を大阪に運び、道中で商いもし。
造り酒屋も百姓だ。オレの先祖も百姓だが造り酒屋だった。

874 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 11:40:36.41
日本史も世界史も勉強したことのないアホだから全く参考にならないが…

もともと技術とか文化は世界的な権力者から派生したものばかりだよね
プレステも車もみんなそうだよね
個人や団体の利益に直結する分野に関しては古代から世界的な取扱いが厳しく敷かれていたと思うね
そう考えると、その権利や技術や文化を扱う武家や商人や工人を選ぶに当たっても絶対的な基準があったんじゃないかな

それからあと一つ
権力者から見てそこらへんを歩いている人物がどこの誰なのか、それを知る情報は常に必要だったと思うね
親が自由に苗字をつけれる熊五郎とか田吾作だけじゃ身分を保証する基準が全くない
移動制限がきっちり地域の村々で行われていれば個人を保証する身分は全く必要ないけど、移動制限が比較的緩やかならそういう訳にはいかない
どこの地域のどこの誰なのかは絶対に必要になってくる(相手の縄張りである権力者が困るという意味で)

まして全国に移動(旅行などでも)できるような立場や身分であれば尚更必要だろう
特に海からの交易移動が広域で比較的頻繁に行われていた古代にあっては、
(苗字か刺青かは知らないけど)どこの地域のどこの誰なのか、個人を認識するコードは絶対に欠かせないはずだ

ただ、最初でも話したように武士や商人や工人になれる条件を考えていくとある疑問に行きついてしまう
結果的に義務教育でここに時間を割かない理由もそこにあるような気がしてならない
そもそもこの世を創造し作ってきた側から見れば、その権利を与えたものに対して自分の身分を脅かすような情報をひけらかすようなことはしないだろう
そう考えるのであれば、人間を管理するうえで貧乏人こそ苗字が必要なのであって、高貴な人ほど表向きの苗字が必要ない
そんな気がするな…

ただの低学歴の戯言だから全く的外れな意見で申し訳ない

875 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 14:39:56.36
「納税用に米を買い入れる」とは、石高に計上されてるけど自分では米を作っていないって意味だ

つまり、名目上の石高より実際の米の生産高の方が低い可能性はないのかと言ってるわけ


>>874
移動の自由がなくて領主の管理下から離れない人には苗字は不要
管理者の元を離れられないのに、それ以外の管理者による識別の必要なんてあるのか?

876 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 16:15:28.04
>>875
領主の管理下から離れないからって…人間はそんな動物じゃないと思うな
自分の知らない外の世界を覗いてみたいという本能があるからね
どれだけ御触れがあろうとも押さえつけてもどこかに旅行は行きたがるものだよ
地域に年がら年中いるようにしたらそれこそ暴動が起きる訳だし(特に若い子はそう)

まして女の子なら年頃になればどこかの村に嫁がなければならない
あんたはだれの子?って聞かれて、隣町の田吾作の娘でございます、って言っても知らなければ話が全く通じない
名前だけだと誰と親戚でどこの地域の出身なのかも全くわからない
まして近親的な結婚も恐れていただろうしね
だから苗字だけは遺伝的な観点からも絶対にあったと思うな 

そして領主も村の担当者も時代によって変遷するだろうし
下々のものが誰が誰だがわからないような名前の管理じゃ村の帳簿や管理そのものが成り立たない
誰がどこの息子でどこの関係者かわかるようにしておかないと相続の際の帳簿もわかりづらくなる

そもそも苗字がダメなら地域や系譜を記号(数字など)であらわすことも可能なわけでね
それをしなかったということは古代から苗字があったと見る方が自然だよ

877 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 20:12:28.10
ひとつ。
一般庶民は移動の自由を剥奪されている。
勝手に移動すると違法。
まあ、それでも移動する人間が少なからず居て問題になったのは事実だが。

もう一つ。
あらゆる生活基盤(というか生産手段)が、領主から領民に貸与されるものだった。
つまり、社会人であることをやめてる明にならないと移動することができない。
(もっとも、移住先で奴婢になることで生産手段を確保する道があったのも事実だが)

って、しまった、江戸時代じゃなく古代律令制時代のことを言ってたぜ、すまん

もっとも、律令時代には庶民だけじゃなく奴婢でも苗字(と言うか、姓)をもってたわけだが。

878 :日本@名無史さん:2013/05/31(金) 22:54:47.53
>>877
>一般庶民は移動の自由を剥奪されている。
>勝手に移動すると違法。

わかったようなことを書くと深く考えなくなる恐れがあるから注意した方がいいよ
その意見は、ある意味時代劇のシーンを見過ぎというか、物事の一面しか捉えてないように思うね

そもそもお金が一般市民まで流通してることを考えれば、権力者は売上を最大限伸ばす努力を迫られる
経済的に考えるのであれば、きるだけ人の往来を多くする施策を取るのが普通だよ
ただ、その観光よりも儲かる産業(絹織物、鉱石、酒造、塩…など)などがあればそっちの経済を優先しただけに過ぎない
人の移動制限を加えたのも街道筋の馬の運搬量と移動時間が決まってるから運搬ロスを生じないようしただけ
もちろん密輸経済や経済独占権の絡みもあるんだろうけど…

ただ、そういう場所であっても冬場になれば作業効率が悪くなり運搬ロスも生じやすい
だから冬季の間だけは休業して、一般人の往来を認めていた場所も数多くあったと思うけどね

何でも鑑定団を見てたらよくわかると思うけど、なぜ時代を問わず贋作がよく出回ってるのか、普通ならありえないんだよねw
そこが経済の本質というか何というか…まあそこが経済の原点になってるような気がするんだよね

だからね、最近はこう考えるようにしてるんだ 一般に出回ってる情報はなんでも鑑定団同様すべて贋作なんじゃないかとw

879 :土屋左近太夫信弘:2013/06/01(土) 04:19:44.80
脱藩は違法だったから移住は出来なかった。
しかし移動はしまくりだったでしょ!今でしょ!

880 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 09:57:35.61
>>878
疑問を持つことは結構だけど、文書で証拠が残ってることまで疑い出したらキリがないだろう。

881 :日本@名無史さん:2013/06/01(土) 10:11:37.98
>>880
否定をしたらキリがない? そう思うから考えなくなるんだと思うな
大事なのはちゃんと学問で習ったことを活用すること
それが本当の学問だと思う

882 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 11:53:44.72
>>881
学問で習ったことを否定するだけなら活用しているとは言わないだろう。
認めることも必要だ。

883 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 15:08:45.89
>>882
例えば5+5=10って習うけど、これは正しいものと一般的には考えるよね

でも、真面目に考える子は、もしかしたらもっと別のアプローチがあるんじゃないと考えていくと思うんだよね
例えば右辺と左辺に虚数をかけてみたり文字や記号いれたり分解したりグラフかいたり…
どれだけ単純と思われることでもあらゆる角度から見つめなおす そんな作業してるんじゃないかな
数学だけでなく、国語も社会も理科も英語も音楽もみんなそう
別にはなから否定してる訳ではなく、ものを造ってくれた人に対して感謝してるから深く知ろうと努力してるんだと思うよ

ちなみに原爆が落ちたことによって今の若い日本人が偶然この世に生を受けたのだとしたら、
君は原爆が間違っていると言えるかい?
それと一緒で物事の見方というのは、たくさんあることを知っておいてほしいんだよ
これが正しい、これは間違っている、信じる、疑う、そういうものの考え方は脳的には簡単かもしれないが、
現実社会ではそれは全くナンセンスだと早く気づくべきだと思うな

884 :日本@名無史さん:2013/06/02(日) 20:22:24.65
>>883
深く知ろうと努力した結果が>>878であるならば、それは無駄なのではないか?

885 :日本@名無史さん:2013/06/03(月) 00:12:28.75
>>884
ここの知的レベルに合わせた考察だからな もっと低質なレベルに落とせばいいのかな?

886 :日本@名無史さん:2013/06/08(土) 22:07:43.74
>>868
多いな、農業収入。
山口県なんて全うに平らな地面は少ないぞ。

887 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 12:21:01.28
米食えなかったのは、寒冷地か山間部の一部だけだろ。
平地の大半が水田。稲は水があれば単位面積当たりの収量は他の穀物を圧倒する。
米が食えず粟稗黍ばかり食べていたとかいうのは、相当に無理があるわな。

888 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 15:40:33.21
>>887
平地の大半が水田なんて状態になったのは明治以後

江戸時代までは水田と畑はせいぜい半々ぐらいだぞ

889 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 17:42:39.85
そんなに畑作って、何植えてたの? 菜種や木綿は水はけのいいところにしか育たんし。

890 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 18:29:56.52
何を植えてたかは調べてみろ

こちらは畑の面積が広かったことを示す土地台帳(を集計したもの)しか見てないんだから、
作物の内訳までは調べてない

891 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 19:28:56.69
土地台帳wwww

892 :日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
畑中と申します。なんの由緒もない家系です。

893 :日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
>>892
御先祖さんの家は畑の中にあったんですね
由緒ある御家柄じゃないですか

894 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
僕は小石です。高貴な名字なのです。

895 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
高貴と言えば、三国志で高貴郷公ってのがいたな

896 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>889
今では輸入で済ませるようなものでも植える必要はあるだろうし、
その場所によって「特産品」は異なるもの

897 :日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
河内や大和は木綿の産地で、今はたんぼで米を作ってるけど綿を作っている
ところが多かったらしい。一面が綿畑だな。
吉宗は米価が下がって幕府の収入が減ったことに難儀をしたそうだが、
庶民は安くなった米は買って年貢にあて、高価で売れる綿を作ったらしい。

所によっては生糸の生産で桑を作ってたかもしれん。
菜種の畑もあっただろうね。
江戸と大阪の貿易のトップは繰り綿だったそうな。

今だと北海道や野菜産地の専業農家が多いところ以外だと、農業って
米と自家製の野菜畑くらいしか見ないけど、昔は違ったんだろ。

おれは田舎出身だが、小さい頃は田んぼの比率は半分くらいで、
桑をつくり蚕を飼い、菜種油を作り、山で炭を焼く人もいたのを
覚えている。豆類の畑も多かった。大豆や小豆、黒豆なんか。
麦畑もあったな。
1960年代半ばに、プロパンが広がり、炭焼きはなくなり、
生糸は競争力を失い、桑畑もなくなった。

明治のはじめの輸出品はダントツで生糸だから、桑畑が多かったんじゃないかな。
経済成長以前の日本の農村って、江戸時代とそんなに違ってない気がするよ。
輸出品になった生糸とお茶の生産は増えただろうけどね。
今じゃ畑は耕作放棄で山に還ってるよ。

898 :日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
明治期に米の増産を進めて水田が増加(畑から水田への転換が進んだ)

しかし明治末から昭和初期までの間、米価がどんどん落ち込んだので水田が減少

そして日中戦争が始まった頃から再び水田への転換を進めたはず、政府の政策としては。

899 :日本@名無史さん:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
庶民は移動の自由がないって教わった気がするけど、専門家によると
違うらしいな。
宗門人別改帳で確認すると、江戸や京大阪への出稼ぎや奉公がすごく多い。
江戸の武家屋敷だって奉公人がいなけりゃ困るからな。
九州、四国、東北はほとんど出してないらしいが。

900 :日本@名無史さん:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
完全に自由ってわけではないが全く不自由ってこともないってことだろ


村の身元保証を受けた上で移動することは可能

身元保証の通用範囲が狭くないのと、
就業あっせんみたいな業種があって奉公先を探すことが可能だったってことじゃないの?

901 :日本@名無史さん:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN
・苗字の禁止--公的書類には禁止だけど、私的なものは勝手
・移動の禁止--田んぼを放棄(納税放棄)は禁止だけど、余分な人間が届けを
       出せば奉公はOk
・鎖国-------窓口が狭められたけど、他国と貿易をしていたし、大量の生糸、綿の
      輸入、陶器・漆器・銀等の輸出もしていた
・生かさぬよう殺さぬよう---飢饉の時や災害の時は、米を配給したり
      御救小屋を建てたり、救済していた。「殺さぬよう」していた
      だけ現代よりマシな面もあった。
・重税だった--税金をコメに換算して決めていたから、所有する田んぼを見ただけでは
       そう見えるだけ。交易、商人、商品作物生産者、加工業者、奉公人には
       そうではない。そもそも、「百姓」とは農民ではない。

902 :日本@名無史さん:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN
鎖国については、貿易に従事する人間が本土に上陸できない
(出島のような特殊な土地以外の出入りができない)だけだったんだよな。

オランダ船は出島で中国船はどこでとか決められてたはず

税率は(平均をとれば)実のとこ現代と同程度だったと言うしな。

903 :日本@名無史さん:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN
>>901
御救米を中抜きする糞役人はいたけどな
指摘して訴えたら首跳ねられた

904 :日本@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN
ぼくの高祖父の父の話だけど満13歳で奉公したし
この年、村の名主の養子になってたりしてる。
もちろん江戸時代に苗字があった。

905 :日本@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN
>>899
出稼ぎ奉公は、あくまでも、次男坊三男坊女だろ。
今みたいなふうに「農家よりも、勤め人の方が稼がるから、田畑はほったらかして一家総出で町に出て働く」とかはできない。
田畑に縛り付けられてる耕し手があるから、余剰分が出て行くことが黙認されてるだけ。
耕さなければ戸主なり隣組なりが逃散の咎で厳しく罰せられたり、出て行ってた三男坊が連れ戻されてきたり、してたんだし。

906 :日本@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
3男が家を継承するケースが多い。長男は早死で2男は養子にいってのこった3男
が家を継ぐという。

907 :日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
本腰入れて調べてるわけじゃないけど
この一週間、自分の家を調べはじめてこのスレに辿りついた。
親もよく自分の家の家系についてよく知ってないみたい
親戚づきあいも途切れてる
だけど、どこの村出身ってのははっきりわかってる。
町はずれの峠の集落が点々としてる村。自分と同じ苗字だらけ。
今住んでる場所から遠いからすぐに行けない。
仏壇にある位牌をみたところ、1818年になくなった先祖の位牌に
藩主ヨリ○○姓(2013年今名乗ってる姓と同じ)ヲ賜フってあった
長州藩の話だけど、こういう場合ってどういうことなんだろう。
1818年まで苗字がないということは農民で間違いないかな。
その当時に長州藩で何か農民たちに苗字を与える改革でもあったのかな。

908 :日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
江戸時代の農民にも、苗字を持ってるけど公式に名乗ることができないだけの人は少なくなかった

手柄を立てたか何かで苗字を名乗る権限を得たとき、従来から持ってた苗字を公認してもらって使う例も多かった。
んだが、そういう話じゃなさげだな


なんかの手柄によって新しい苗字をもらったといっても、それ以前に苗字がなかったとは限らない
従来の苗字にかわって新しい苗字をもらったかも。

909 :日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
>>908
なんなんでしょうね。
位牌っていっても20センチ5センチぐらいの簡素な木の板にですけど。
新しい時代の人が捏造で作ったのかもしれない。
そんな気がするw
やっぱ村の歴史を調べてみるのが一番早そう。
あたってみます。

910 :日本@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN
前に何処かにも書いたけど、御殿様が百姓に苗字を与えるというのは有りましたよ。
新潟市での例ですが、御殿様が百姓に御褒美として「苦労津」という苗字を与えたことが有ります。
「苦労をかけたな、感謝しておるぞ」ということらしいです。
でも、現在その家族は「久朗津」と改姓しています。
一生、苦労しっぱなしの人生になりそうで、縁起が悪いからだそうです。

911 :日本@名無史さん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN
>>909
江戸時代の位牌ならなにもおかしなことは無いんだけど。
10枚程度入る繰出位牌というやつだろ。
入れ物が無くて、むき出しのままの木の板だけならおかしいけど。

912 :日本@名無史さん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN
>>907
大名だって将軍さまから苗字や名前をもらってるよ。
柳澤氏が松平とかさ。もっとも、こういうのは明治に元に戻してる。

苗字がないからもらったというより、手柄か村のために何かをして殿様が
褒めてくれて「公称してもいい苗字」をくれたってことだろ。

913 :日本@名無史さん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN
>>911
位牌に疑問を持ってるんじゃなくて、位牌に書いてある文章に疑問を持ってるんだろう

914 :日本@名無史さん:2013/09/01(日) 00:57:20.37
ああ>>907>>909は同一人か。

そもそも捏造するなら位牌には書かずに、普通に紙面に書くんじゃないかね。

今みたいに仏教がただの形式になってる時代ならともかく、当時はまだ
科学的な考え方が無い時代だし、位牌に捏造した文言を入れるなんて
怖いこと出来ないだろ。

本当に何らかの功績があって、褒美として貰ったと思うけど。

915 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 17:11:36.78
915

916 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 20:53:51.33
俺の名前も極めて珍名で名前名乗るのが恥ずかしい
電話ではまず一発では聞き取ってももらえないし、三文字なんだが、自分でも発音し難くて、いつもどもりそうになる

一番恥ずかしいのは、電話とかで他人が俺の名前を紹介する時で、何度繰り返しても相手が聞き取ってもらえてないことが辛い

仕事で毎日電話で名乗らないといけないから恥ずかしいし、転職や結婚でも不利になってる気がする

こんな名前付けた先祖恨むわw
あほかww

917 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 20:55:41.07
高杉、桂、坂本、武市、西郷、勝、榎本、土方、沖田あたりの名前やったらかっこいいのにと毎日妄想している

せめて大久保、岡田、近藤でも良かったわ

918 :日本@名無史さん:2013/09/05(木) 19:29:59.44
同じ名前の有名人が出てくれたらいいのにね。
御手洗なんて、キャノンの社長で有名に成るまでは知ってる人そんなにいなかった。

919 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:31:48.96
百姓は文字道理百種類の姓=沢山の人の意味。
この人たちに姓が無い訳ないだろ。
もし姓が無ければ百姓ではなく、無姓と呼ばれた。

920 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 23:34:32.71
この中で氏と姓が別なことも知らない人の書き込みが結構あるけど、
名前の事話すなら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E7.8A.B6.E6.B3.81
ここに書いてあるくらいの常識は知っとこうよ。

921 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 15:24:25.50
通りをとうりと読んじゃうのは恥ずかしいね

922 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 20:52:37.74
>>918
御手洗って40年前から知ってた。
テレビで6大学野球見てたら、東大の投手が御手洗さんだったな。
キャノンと関係ある人だったのかな?

923 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 22:31:57.23
文字書けなくても、自分の名前位は誰でも書くような気がするけどな。
字知らなくても習字に通って、3時間目とかにもう自分の名前とか位は書けるしさ。
識字率云々より
村に1人でも読み書きできる人間がいるかどうかの方が大きい気がする。

924 :日本@名無史さん:2013/12/03(火) 20:06:42.47
>>923
庄屋は大抵読み書き出来るだろう。

925 :さいたま市民:2014/02/21(金) 13:15:35.42
925

926 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 21:48:52.55
ペニスが一番憎い

927 :saitama:2014/03/04(火) 13:59:10.14
ageo

928 :地家ヤスマサ:2014/03/04(火) 19:46:20.77
http://web.archive.org/web/20010807010839/http://www.amovideo.com/cream/ct40.JPG

929 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 18:07:54.30 ?2BP(0)

海外に隠密を江戸時代から送り込んだ日本

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/34/225.html

マネーロンダリングが目的だった。

( http://music.geocities.jp/jphope21/0102/5/180.html )

930 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 16:24:25.07
930

931 :日本@名無史さん:2014/04/07(月) 10:23:01.57
931

932 :日本@名無史さん:2014/04/07(月) 17:59:47.17
俺の実家も江戸時代は百姓だけど、ちゃんと苗字があって
その家の本家筋はその村の地主で
墓も天正の年号がうってあるものからある。
近くの藩の藩主がよく遊びに来ることもあったそうだ。
家紋は二つ引きだったので、足利氏と関係あるのかなと思って調べたら
足利氏と遠い親戚だった。

933 :日本@名無史さん:2014/04/07(月) 22:55:42.97
>>932
それはすごい、なんていう苗字?

934 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 12:57:07.92
天正ぐらいだと後に(江戸中期くらいに)作り直したものだろう
現在の様な墓の形態は江戸初中期以後のものらしい
それ以前は五輪塔で墓に彫刻はないはず
 まあ、その頃の墓があるだけでも普通の家ではないだろうけどね

935 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 17:46:17.11
形で時代が判ればいいのにな。
うちの墓は、読めるのが享和くらいなんだけど、その向こうにもずっと
並んでいる。さらにもっと古いらしいのが隅にたくさんまとめてある。
伝承に寄れば、墓地が少なくなったので古いのをまとめたとか・・
今は結構余裕があると思うんだけど、もしかすると反対側を拡張したのかも
知れない。墓参りの道はそっちがメインで古い方は使っていないし。

936 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 21:43:00.71
墓は地方差が大いよ。庄屋でも院号居士から信士まで、幕府の統制で院居士
は禁止されてるはずが有名無実化されてるとこも多いし
 

937 :日本@名無史さん:2014/04/25(金) 09:58:39.44
古い氏神さんを調べていてお寺も読んだんだが、信長は石山寺だけじゃなくて
あちこちで寺を焼いたらしいな。

寺は戦国期に真言宗から宗旨替えをしたらしい。近隣の寺もそれが多い。
織田・細川に焼かれたんだとか。

938 :日本@名無史さん:2014/04/25(金) 10:27:24.69
> 寺は戦国期に真言宗から宗旨替えをしたらしい
って書くと全ての寺が宗旨替えをしたように捉えられるが大丈夫か?

939 :創価fromにしごり:2014/05/04(日) 20:41:31.03
錦織は素晴らしい当然
貴族系苗字だから
証拠http://www.cnet-sc.ne.jp/nisigori/nisigori.htm

貧民系の苗字のヤツなんなの?生きてて恥ずかしくないの?

錦織な僕はかわいい彼女とお風呂wwwうらやましがんな貧民の皆さん
http://i.imgur.com/j6UOrwN.jpg

940 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 17:43:18.15
>>937
寺の系列関係って、信仰の都合っていうより領有関係が主だろ

941 :日本@名無史さん:2014/06/06(金) 17:21:03.54
あげます

942 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 11:15:38.01
>>938
937の寺はって読めるが。
うちの地方の寺も、戦国末期に宗旨変えしたという伝承が多い。
何故なんだろう?と思ってたけど、937と同様なのかも知れん。

943 :日本@名無史さん:2014/06/20(金) 09:26:57.28
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944 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 10:08:47.47
国定忠治は国定村の忠治さん、宮本村のタケゾウさんが宮本武蔵だけど
国定忠治の子孫の苗字は国定じゃなかったな・・・グンマーに生息してるけど。

東大の先生か國學院の大先生、スレ1000が迫っていますので
ここらで正解をお願いします。

945 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 19:06:41.55
>>924
関西のど田舎のある村だけど、戸数60戸のうち一割以上は読み書きが出来ているはず。
交代で村役を勤めてるし、領主へ訴状を書いたり、礼状を書いたり、戦国の終わり頃には
そういう状態。
村に酒屋(造り酒屋のこと)がいたり、大工の棟梁がいたりするから、もっと多いかも。

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