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【一門】御連枝【分家】

1 :日本@名無史さん:2012/10/07(日) 00:57:24.11
宮家、公方、御所、御一家、御門葉、御三家、御三卿、御家門…
天皇家や公家、将軍家の一門としての本質や家格、そこからの目線に迫ろう

2 :日本@名無史さん:2012/10/07(日) 21:51:16.13
御門葉て分家のくくりなのか?

3 :日本@名無史さん:2012/10/10(水) 13:05:25.32
たまに今川を足利の御一家扱いしてるが出典は何だろう
例の足利→吉良→今川の記述はあるがそれだけか?

4 :日本@名無史さん:2013/03/11(月) 13:29:57.23
御連枝

5 :日本@名無史さん:2013/05/04(土) 22:28:15.15
枝葉末節

6 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 16:58:18.33
徳川一門は枝葉の松平御連枝でも4位少将あたりと明らかに家格高かったが
足利御一家は他の大名と比べて官位高いとかなかったよね。
官位も領地も吉良でさえ、臣下筋の管領、斯波家に全く及ばない。

7 :日本@名無史さん:2013/05/07(火) 20:15:11.29
徳川家は公家と官位は別で
ある程度徳川将軍の意思で自由に与えることができただろ

そもそも朝廷の官位を武家の統治組織に持ち込んだのは織田信長あたりからで
鎌倉幕府や室町幕府では朝廷の官位はそれほど重要ではなかった

8 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 10:47:23.33
>>3
吉良家別家扱いかも。上総介を継承してるから特別待遇の家っぽいし。

9 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 10:51:07.29
>>3
上総介継承。
征夷副将軍任命。
武者頭の家。

でも官位はさほど高くない。

足利一門の中でも特殊。

10 :日本@名無史さん:2013/05/08(水) 10:56:47.18
御一家から蔵谷公方に養子にいれればよかったのにね。
なんで斯波から?

11 :日本@名無史さん:2013/05/14(火) 23:36:29.12
最近は御一家も将軍継承権があったて説が強くなってるらしいな
今川家は「吉良殿御一家」で吉良家の継承権があったそうだが
そうなると確かに足利→吉良→今川の見方も出来る

12 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 01:36:20.80
吉良は高家として残ったが同じ御一家の渋川や石橋の嫡流はどこ行ってしもたん?

13 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 07:45:23.12
渋川は嫡流が毛利のところにいたが断絶したんじゃ?
石橋は存在が薄すぎて実態がよくわからん。

14 :日本@名無史さん:2013/09/04(水) 11:29:48.17
陸奥の石橋(塩松氏)なら家臣の大内氏に滅ばされたよ

15 :日本@名無史さん:2013/09/05(木) 05:53:39.09
御連枝もなぜ3つが多いんでしょう?
4つじゃ縁起悪なのかね?

16 :日本@名無史さん:2013/09/05(木) 06:33:17.69
>>15
一つではスペアのスペアも必要になってくるし
二つだと肝腎な時に片方を選ぶと片方に凝りが残る
三つから一つを選ぶくらいなら残り二つの憤懣も解消される
ような気がするがわからん

17 :日本@名無史さん:2013/09/05(木) 21:51:31.14
関東公方の方の御一家は武蔵吉良と蕨渋川の二つだったそうだ

18 :日本@名無史さん:2013/09/05(木) 23:00:09.81
>>15
三つ巴の方がいろいろと安定しそうではあるね

実際に安定したかは言わないお約束

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 03:16:06.86
水戸家御連枝宍戸藩主が天狗党処理の不始末で切腹させられたのが不憫。
場合によっちゃ御三家継げるお家なのに。
その妹の子孫が三島由紀夫でやっぱり切腹した、歴史ってオモロイね。

20 :日本@名無史さん:2013/09/08(日) 03:39:28.41
神君の血引いてる御連枝といっても
時代が下ればそんなもんか

21 :日本@名無史さん:2013/09/08(日) 05:22:31.10
そもそも孫も切腹させられて

22 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 06:03:36.71
家康の孫で切腹させられたのって誰?

23 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 08:23:07.96
駿河大納言忠長

24 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 11:57:21.43
>>19

水戸は高松からしか養子迎えてないよね

25 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 12:38:58.13
>>24
ではその高松は?

26 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 13:37:21.71
高松と言えば英郎

27 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 15:16:04.18
高松って御連枝よりやや格上な気がする。
分家だけど独立しているみたいな。

28 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 15:26:39.28
>>27
他の連枝が御三家の弟を始祖にしている中
高松だけは兄だからね
将軍家光の格別の計らいもあって連枝の中でも別格の十二万石

29 :日本@名無史さん:2013/09/09(月) 15:33:55.27
宍戸、府中、守山藩は参勤交代無し。水戸藩と同じ扱い。だったよね?
高松は独立藩でしょ。
>>19逆に水戸家から貰う始末。

30 :日本@名無史さん:2013/09/10(火) 04:48:14.36
鞍谷御所の系譜は結局のところどうなってんだろうね
足利義嗣から嗣俊―嗣時―嗣知と続いたという系図があるけど
これだと年代に少し無理があるが、斯波義俊が養子に入ったとして
先の系図と合致させてみるに嗣俊―嗣時=義俊―嗣知になって
確かに年代的にも合うんだが、他にも奥州斯波からも養子をとったて
説もあるし、よく分からないな

31 :日本@名無史さん:2013/09/10(火) 12:43:36.50
頼朝にせよ、足利将軍家にせよ、徳川家に比べて同族の扱いが粗略だな。
本家に何かあった場合のスペア的な分家を、なんできちんと制度化しなかったんだろう?

御門葉なんて頼朝との血縁が遠い連中ばっかりで、結局誰も実朝の後継者になれなかった。
御一家もショボイ家ばっかりで、存在感なさすぎる。義嗣や鎌倉公方は滅ぼされてしまう。
なんか、本家以外の近親者に粗略なイメージが否めない。

32 :日本@名無史さん:2013/09/10(火) 14:55:02.10
そりゃ徳川家は先例を学べるからな

33 :日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:34:05.13
鎌倉将軍家にしても足利将軍家にしても、一門が少なすぎるな。
頼朝はなんで範頼とか全成とか義経にしかるべき処遇をしなかったのだろう?
義経もきちんとした処遇を与えておけば、あんな結果にはならなかったのに。

足利家は後継ぎ以外はみんな寺に入れて僧にしてたけど、あんなことするから、
坊主を還俗させてくじ引き将軍にしたり、義視や義昭みたいなことになった。

34 :日本@名無史さん:2013/09/15(日) 02:37:21.81
>足利家は後継ぎ以外はみんな寺に入れて僧にしてた

皇族公家は言うに及ばず今川にせよ斯波にせよ当時の上級武家はみんなそんな感じだよ

35 :日本@名無史さん:2013/09/15(日) 07:54:17.66
>>33
保元だの、平治だのの乱を見聞きしてたら身内なんて…

36 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 13:03:26.98
平賀朝雅って北条時政の後妻の娘婿になって、
実朝に代わる将軍候補に擁立されてたけど、
ぶっちゃけ平賀家って頼朝とそんなに血縁が近くないのに、
なんで御門葉として義経や全成より格上だったんだろ?

37 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 13:36:23.72
>>36
平賀朝雅の父・義信の功績によるところが大きい

平賀義信は平治の乱で源義朝の逃避行にまで付き随った7人の1人
信濃の佐久郡に潜伏していたんだけど、早い段階で頼朝に合流
これにより重要拠点を無抵抗で手に入れた頼朝は木曽義仲に対して終始優位に立てた
行政能力も高く、彼の統治は「国司の鑑」とされている

一番辛い時期を共に行動したという過去、裏切らないという信頼感、能力の高さ
これら義信個人の評価が反映された結果として御門葉筆頭の地位が与えられた

38 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 13:46:23.36
御門葉は血統のスペアというより同族の優遇だろ
平賀朝雅は牧の方と時政に乗せられて勘違いしただけでしょ

39 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 14:04:23.22
鎌倉右大将家に血統スペアは存在しなかった

40 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 19:23:19.72
御門葉って結局、足利と山名しか後世に残らなかったな。

41 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 19:27:42.39
水戸の連枝は無駄に四つとも幕末まで残ったのに
なんで尾張と紀伊は本家襲封の際に断絶させて一つだけにしちゃったのかね

42 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 19:46:50.10
水戸藩本家の石高少ない代わりに
連枝充実してるな

43 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 20:34:17.21
結局そう、水戸だけじゃなく越前とか鷹司を含めた紀州とかも含めて、
それぞれその系統の支藩も含めれば、
秀康>義直>頼宣>頼房の兄弟順になる
感じだよね。

44 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 20:46:15.92
秀康は津山と福井に分裂するが

45 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:38:47.71
>>41
尾張も紀伊も残したかったろうけど、残せるほどの子供がいなかった
のが実態だろうな。

46 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:21:33.94
上の兄二人に比べて
頼房子供作りすぎだな

47 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:26:33.79
>>45
藩祖系でなくとも養子を取って存続させようという考えは無かったのかね

>>46
兄より先に子供が居たんでは体裁悪いからって
頼重と光圀は殺したつもりで居たくらいだからなw

48 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:42:34.17
逆に言うと義直・頼宣は大大名の割に子供少ないね

頼房て子供多いせいか
子孫もクソ多い

49 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 23:15:32.66
>>47
家光の外孫の家だからか、高須だけはそういう形で残しているね。
ただ、そもそもが藩祖の血統の予備なんだから、赤の他人からの
養子は取る意味がない。
それに三家を継ぐ可能性がある家だから、養子を取るにも制限が
厳しいだろうし。

50 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 23:18:30.71
>>49
他姓の養子も辞さないって意味じゃないよ
秀康系を除く家康の男系からでも水戸系なんかは男子が余ってたし

51 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 15:17:26.44
御一家は鎌倉公方や斯波に対してお前らに
将軍継承権は無いと暗に示す為に作られた

52 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 16:55:02.08
>>48
マイク真木も、笑。
でもあの人家康・頼房の遺伝子継いでるとおもう。
好奇心旺盛で、自分で作ったりやったりしなければ気が済まない。
最近まで、先祖なんて知らなかったらしい。人に言われるまで。

53 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 21:20:24.39
越前松平家が一番繁栄したのでは?
糸魚川、津山、松江(支藩2)、明石…
でも秀康の直系は松江だけでしたっけ?

54 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 21:46:21.50
>>51
だから反抗するんだよ

55 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:00:01.44
>>52
作りすぎても困りもんだな
頼房の娘たちの多くは、神君の孫娘なのに家臣の妻に落ち着いてる
男子だとそれなりの所領分け与えないといえなし

56 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:40:06.75
母里藩は一時期新庄氏から養子を迎えていたけど、なぜ?

57 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 23:46:24.03
>>50
他家の養子なんてもらってももめるだけでしょう?
跡継ぎができたからと言って押し込むのも面倒だし、
何かの時にはお家騒動のたねにすらなりかねない。

58 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 00:43:14.67
>>56
あれだけは謎だよな。親藩なのに、家康の男系子孫じゃない養子だから。
幕末の押し迫った時期に川越=前橋松平氏が有馬家から養子を迎えるまで、
親藩の家はほとんど全部、家康の男系子孫の中で養子のやりとりしてたのに、
江戸前期の段階で全く無関係の家から養子を取ったのは理解に苦しむ。

厳密には、江戸前期に糸魚川藩が久松松平から養子もらったことが一度あるけど、
あれは家康の異父兄弟の子孫だから、新庄氏みたいな赤の他人ではないし。

59 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 07:00:59.56
>>58
外孫の系統とか正室の縁者とかでもない全くの赤の他人なんだっけ?

60 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 11:30:13.95
新庄家の祖新庄直頼は家康とマブダチだったからとか?

これは冗談だけど
新庄氏は能見松平や紀州藩家老水野家にも養子だしてるんだよな

61 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 19:39:56.11
幕末の頃になると、親藩とか連枝よりも、将軍家の近い血筋をひいていることの方が大事なのかも
家斉の子供が優遇されると状況が変わったから

62 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 21:11:00.87
家斉の側室のお美代の方は、娘の溶姫が生んだ前田犬千代(慶寧)を、
病弱な家定を廃嫡して、家慶の養子に押し込もうと画策してたらしいな。
あてにしてた大御所家斉の死で実現しなかったけど。

あと、久留米藩有馬家出身の松平直克が親藩の松平大和守家を相続したのは、
実兄有馬慶頼(頼咸)の正室が家慶の養女だったというのも関係あるかも。

63 :日本@名無史さん:2013/09/18(水) 23:41:10.02
>>62
ヒストリア俺も見てた

64 :日本@名無史さん:2013/09/20(金) 13:19:27.17
御一家は鎌倉時代には足利の名乗りが認められてたって話だが
吉良が名乗ったのは有名だし、石橋も斯波の分家と考えれば
まぁ分かる。だが渋川は本当にそうだったのか?

65 :日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:06:42.41
初代渋川義顕の母親は斯波氏と同じ名越氏
元々正室腹だった為、独立御家人扱い
鎌倉期当主は刈田・佐介といった二級とはいえ北条一門の娘を嫁に迎えている

66 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 07:04:54.93
御一家って、何か一門らしい優遇あったの?
吉良とか中央じゃ全然目立ってないし、渋川も九州探題で田舎に出されるし、
石橋にいたっては存在自体よくわからないし。

67 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 08:24:08.39
ないだろ
将軍との関係性や貴種性で被官を従えるのに有利な形容詞が付けられるだけ

68 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 14:26:40.60
加賀前田家から家斉外孫を将軍継嗣に迎えていたらどうなったか興味深い

69 :日本@名無史さん:2013/09/24(火) 15:11:27.38
石橋が御一家に認められたのは、斯波氏へのけん制だな。
斯波氏は何かと足利宗家に対して対抗心が激しいので
斯波氏を外すかわりに
斯波氏内部の庶長子家である石橋氏を
斯波氏の代わりに御一家に入れた。

70 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 07:48:01.06
南北朝室町初期はあまり目に目える待遇は無い感じだよな。
あとは将軍代行をしたりしてたらしいけど。
徳川御三卿が存在感が無いのといっしょかね。
幕府の役職じゃないし。

御一家・・・権威家
管領 ・・・実務家

みたいな。

71 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 09:17:27.25
御三卿は将軍家親族としての血脈プールとしての機能はある
足利将軍家の血脈は寺でプールするから
御一家は一族認定の名誉のみ
頼朝の門葉よりも価値はない

72 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 13:56:38.27
>>71
そうそう
足利のスペアは出家なんだよな
皇室や公家だと還俗して実家に復帰というのは無いから
鎌倉殿とも徳川将軍とも違うシステム
現実に御一家が相続するような事態になってたら
足利一族で群雄割拠になってただらう

73 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 22:16:52.67
【徳川家】御三家/御三卿/御連枝/御家門
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1380087325/

74 :日本@名無史さん:2013/09/25(水) 22:25:37.68
>>68
たぶん一代限りで次からまた普通に家康の男系男子に戻るんだろうな

75 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 06:53:19.55
前田慶寧は加賀藩主だったから子孫を残せたけど、
将軍だったら子孫を残せたかわからない。
しかも、慶寧自身、あまり長命ではない上、男系子孫は途絶えたし。

76 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 07:10:55.89
>>74
内乱しようず

77 :日本@名無史さん:2013/09/26(木) 22:29:48.81
高水寺斯波氏は御所を名乗ってんのに宗家筋と言われる大崎や武衛家は
御所を名乗らなかったのは何故なんだ?

78 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 12:28:04.39
足利将軍家の場合、還俗って裏技でいつでも後継者にできる近親の男子がいたから、
御一家なんて、何のためにあったのかよくわからんよなあ。

79 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 16:20:30.50
>>78
なんのためって言ったって
近親者にお前の代から一般扱いな、なんて言えなかっただけでは?

80 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 16:27:18.40
いや、むしろ一般レベルを、アンタのとこは身内だからヨロシク頼むよ、って懐柔した

81 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 18:56:41.13
>>78
出家してる以上、○○御所として数代続く事もないし毎度毎度
手頃な出家中の近親がいるとも限らないからその時のための保険だろうな
結局、足利将軍家はコンスタントに僧を出せるぐらい近親に恵まれて
そんな保険はいらなかったけど

82 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 23:02:14.66
コンスタントコンスコン

83 :日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:04:12.06
足利直義に権限を与えすぎて大変なことになったから、
近親にろくな権限を与えなかったんだろうね。
でも、唯一大きめの権限を与えた鎌倉公方は、牽制す
べき仮想敵国扱いになってしまった…。
やはり、分家は、徳川御三家程度の規模が最適だね。
単独で逆らうには無意味と悟らせる小ささだけど、家臣
たちとの関係では、充分に大きくて尊重される規模って
感じだ。

84 :日本@名無史さん:2013/10/03(木) 01:38:32.86
徳川も駿河家創設、
越前家処分、
御両典創設、
下馬将軍と親王将軍擁立問題、
越後家の混乱、
家宣後継、
吉宗の相続、
吉宗と宗春の対立、
御三卿創設、
家重が病弱、
家斉の血筋で再編成、
南紀派と一橋派から安政の大獄、
水戸天狗党の乱、
家茂の死と慶喜の相続、
津山と会津以外の一族のほとんどが裏切る、
と問題は多かった。

85 :日本@名無史さん:2013/10/03(木) 14:51:52.70
なぜ、尾張家は紀州家に敗れ去ったのか
尾張家が将軍を輩出する好機はなかったのか

86 :日本@名無史さん:2013/10/03(木) 15:51:20.31
子供が早世しまくって、藩祖義直の血統すら守れなかったからな

87 :日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:34:31.46
尾張家は、最初から警戒されていたからなあ。だからもともと許されたスペアが少ない。
そして、吉宗に始まる「和歌山幕府」によって、血統自体が徹底的に抹消され、
その上、何度も何度も、紀州の血でいちいち上書きされていく。

この過程で、尾張家中に溜まりに溜まった憤懣は、
メインストリームの日本史では、ほとんど取り上げられないが、
尾張の郷土史家に言わせると、相当なものだったらしい。

この「紀州系に対する尾張の憤懣」は、幕末史にかなりの影響を与えたように、俺にはみえるんだよね。
いわゆる「高須三兄弟」は、血統的には水戸系なのだが(そもそも尾張系はこの世にない)
紀伊系ではない、あの忌まわしい家斉の血がない、というだけで、尾張藩士の人望を集めまくっていた。
三人、それぞれ別の藩主として別々の行動をとるのだが、
結果として、「あの忌まわしい吉宗幕府を滅ぼす」という一点では、行動原理は一致している。
慶勝は早々に薩長に寝返り、新政府の正統性付与に寄与する。
残りの二人は、幕閣中枢として、執拗に徹底抗戦を叫び、幕府諸共「無理心中」を図る。
維新後、やけに清々しい顔で勢ぞろいして映った有名な写真があるが、
三人とも、本心では「紀州幕府を滅ぼした」という満足感があったのでは?と邪推すらしたくなる。

88 :日本@名無史さん:2013/10/03(木) 23:58:36.92
許されたスペアが少ないかな?万石以上の格で三家あったんだから
少ないということはないと思うんだが。

89 :日本@名無史さん:2013/10/04(金) 02:38:41.38
陰謀論が好きなんだろ
尾張も紀伊も連枝は三つあったが高須と西条しか残らなかったのはただの結果論
吉宗の画策とか証拠もないし関係ない
子供が居なければ血筋は絶えるそれだけのこと

90 :日本@名無史さん:2013/10/04(金) 12:57:38.91
光友が成人できなかったら、一代で絶家じゃないか。
ところで、領地がどこなのかわからない川田久保家とはなんぞや?

91 :日本@名無史さん:2013/10/04(金) 13:19:40.96
>>90
内分分与だったから固有の知行地とか無いはず
川田久保は屋敷の所在地だから高須藩を四谷家って言うようなもんだな
てか封地が無いなら邸地とか官途とかで呼ぶしかないわな

92 :日本@名無史さん:2013/10/04(金) 23:16:41.37
>>高須三兄弟

ハブられた一人は誰だろう???
高須家のジャギと呼びたい

93 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 00:06:10.00
慶勝、茂栄、容保、定敬
順番でいくと、ジャギは容保だな

94 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 01:00:28.23
越前松平家は結局のとこ津山家と福井家どちらが嫡流なのだろうか
やはり家康言うところの長幼の序から見て津山家か?

95 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 11:35:29.65
でも、津山家は何度も改易されてるからなあ。
家斉の息子を養子にもらって名誉回復できたけど。

96 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 12:52:14.25
嫡流は津山
家斉による家門再編で家格の差がついた
松江、大和守、明石も独立して、幕末には福井は糸魚川に対する宗家でしかなくなる

97 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 12:53:19.67
ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DB/0039/DB00390R151.pdf

98 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 21:58:11.60
嫡家は津山、宗家は福井
だから余計紛らわしい

99 :日本@名無史さん:2013/10/05(土) 22:44:51.99
桂宮家とか清水家とか
血統がズタズタの家でも一応は本家のスペア
おかしなもんだ

100 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 14:34:37.33
福井は養子ばっかりだから、だめだな
藩祖の血が必要だ

101 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 15:35:58.35
福井も何回も改易されてケツの毛まで毟りとられたからな

102 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 15:41:56.42
何回も改易って、おい!

103 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 16:37:02.87
松平光通 発狂除封
松平綱昌 発狂除封

104 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 17:39:55.98
越前福井藩と越後高田藩の改易数多すぎ
呪われてるんじゃねぇの

105 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 23:53:04.11
>>99
スペアなんだからその家が連綿としてなくても良かろう
逆に伏見宮なんか始祖の血統続きすぎだろと

106 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 10:39:07.37
>>104
美作津山藩もなー

107 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 11:56:05.43
制外の家で並の外様以上に警戒されて、改易にすることで幕府のコントロール下に置こうという意図だったんろうね

108 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 13:48:53.10
>>99>>105
何代もかけて宗家との血が遠退くが権威そのままの連枝よりも
宗家の近親が養子入りして繋いでいく擬似的な家の方が
血のスペアとしては安心安定だな

109 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 14:30:38.09
家斉の血筋で一門が再編されたのがな

110 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:09:24.16
>>105
1456年に亡くなった貞成親王までさかのぼらないと今の皇室につながらない
からね。江戸時代の閑院宮家創設も、「伏見宮では遠すぎてスペアになら
ない」という理由だし。

111 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 22:41:08.30
>>110
皇室と伏見宮との血縁が遠くなっていたのは事実だが
よくいわれる閑院宮創設の理由というのはあたらないだろう
皇位継承資格や宮号を止められたりということもない上に
光格天皇の前に貞敬親王が候補として挙がっている

112 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:07:53.56
>>111
先々代の貞行親王が後桃園天皇の同母弟で、形式上は近いことに
なっていたのも影響していたのでしょうか。
いずれにせよ、確立した格式は簡単に停廃できないんで、
> 皇位継承資格や宮号を止められたりということもない上に
ということと、>>108の論は全く矛盾しないでしょう。
むしろ、
> 宗家との血が遠退くが権威そのままの連枝
そのものとして好ましからざる存在とみなされる要因ではないでしょうか。
いずれにせよ、自分に近いスペアを立てたいという皇室側の要望と、
天皇に近いスペアが必要だという新井白石の提言の趣旨が合致して
閑院宮家が創設されたという事情は、三家に対しての両典厩や後の三
卿にも通じるものではないでしょうかね。

113 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:23:40.90
>>112
貞行親王の一代限りで皇室と近縁になったけど形式を言うなら全員猶子で皇兄弟になってる
積極的に血縁の遠いスペアが好ましくないと考えられていたというのは根拠あるのかね
貞行親王の薨後も通常なら子弟の法親王が還俗して実家を継ぐことは無かったのに邦頼親王は認められているし
貞致親王に至っては落胤を吟味してまで継承させている
近いスペアは既に桂宮と有栖川宮があったわけだから
閑院宮を創設した最大の理由はスペアの数を増やすことだったのでは

114 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:36:47.83
>>113
血統の遠いものより近い方が優先と言うのは、後西院の時の
例でも明白だし、赤の他人に等しい伏見宮家は、スペアとして
は最後の最後だろ?
貞敬親王にしても建前上後嗣の候補に挙げられたというだけ
の話だ。
伏見宮家は、後花園院の実家として格別の優遇を受けていた
が、そのことと継承候補の順位は全く別の話だよ。
そもそも天皇が、自分の近親を置いて遠い遠い親戚の継承
を望むはずがないし、実際に望まなかったから閑院宮創設が
実現したのだから。

115 :日本@名無史さん:2013/10/07(月) 23:46:26.95
三卿にしてもスペアの数を増やすというのが最大の目的では
あろうけど、現実の運用は周知のとおり。
格式は高く継承権はあることになっていても、西條家が継いだ
紀州自体も含め血縁の遠い三家は実際には後回しというのは
世の常ですな。

116 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 00:01:08.34
>>113
> 積極的に血縁の遠いスペアが好ましくないと考えられていたというのは根拠あるのかね
と言われても解釈に困るが、後西天皇の継承時でもすでに後崇光院薨去から200年
経っているという状態では、「誰からも文句が出ない継承者」とは言い難いという、
消極的な忌避でしょう。
もっとも、この時にはそもそも宮家自体が断絶に瀕していて皇位継承どころではない
状態でしょうし、「スペアの数を増やすべきだ」という意識を強くしたんでしょうが。

117 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 00:03:31.04
まあどっちにしろ終わった話しですわな

118 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 00:05:46.12
こっちゃあちゃんと西暦400年代に古墳がいくつも作られてるんだから文句言われる筋合いないしな

119 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 00:42:16.09
>>115
三卿創設によって三家を遠ざけた
家斉が将軍家を継承したことにより、一橋家が三家三卿の筆頭格になる
家斉の息子を養子に出すことで一門を再編した

120 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 06:44:17.55
伏見一門が遠いっていうけど、もし幕末に孝明天皇に後継ぎがいなかったり、
明治天皇が夭折していたら、好むと好まざると有栖川か伏見しか後継者はいなかったけどね。
史実でも、幕末にブチ切れした孝明天皇は有栖川か伏見に譲位しようとしたし、
有栖川はその後断絶したから、結局、今頃は伏見博明天皇になってたろうな。

121 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 07:04:51.92
伏見博明天皇だったら戦後天皇制が廃止されていたかもしれんし
それは分からんだろ

昭和天皇だから天皇制が廃止されなかったというのはあると思う

122 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 07:33:33.49
>>121
根拠は?

123 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 08:29:14.29
>>122
マッカーサーが昭和天皇と面会して天皇制存続を決めたから。

そうでなくても、幕末に10代半ばの年若い明治天皇が薩長に従順だったから良かったようなものの
有栖川や伏見の成人した聞き分けの悪い天皇だったら抹殺されてた可能性もある

124 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 08:41:46.11
>>123
会見の内容が明らかでないのに?

可能性だけならなんとでも言えるね

125 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 11:34:44.90
>>124
そもそもが居もしない伏見博明天皇が実現したかという架空の話なので
可能性の話で問題ない

126 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 12:19:44.39
>>125
伏見博明天皇なんてのは仮想の話だからいいにしても
マッカーサーが昭和天皇と面会して天皇制存続を決めたというのは何に基づいているのか

127 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 12:35:43.19
>>126
マッカーサーと昭和天皇の会見により利害関係が一致したんだよ
アメリカの占領制作に迎合しない使いづらい天皇だったら天皇制廃止するだろ

128 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 12:40:03.49
>>127
だから何か根拠は無いの?

てか>>123ではマッカーサー個人が面会でのやりとりで存続を決めたみたいに読めるけど
>>127ではアメリカの国策というふうに表現してる
そのあたりの政策決定がどのように決められたのか史料を呈示してほしいんだけど

129 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 15:46:23.84
ウマとシカがやり取りしてんのか?

130 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 16:17:06.69
もはやスレ違い

131 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 16:24:54.58
なぜ、尾張家は上総家に敗れ去ったのか
やはり管領就任で臣下に成り下がったのが原因か

132 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 20:38:04.59
>>123
有栖川は使い勝手がよかったから、さんざん薩長政府に傀儡として利用されてるけどね。

133 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:09:02.30
そういえば、最近でも平民にとっても使い勝手がよかったらしい

>>有栖川識仁親王 事件

134 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:31:46.60
>>119
それで、血統は現役将軍に近づいたが、
「永続する家」としての、親藩家中の怒りは、それはそれは大変なことになったというw
尾張家の、江戸の宗家に対する人心離反の源泉は、明らかにこれ。
尾張家はさすがに大きく、宗家の系譜元の紀州家より格上とされていたから、
かく乱には成功しても、家そのものを潰すことは出来なかった。

スペアというものを、どう残すのか、という問題では、
この二律背反の問題は、常につきまとう。皇室でも徳川でも同じで、
サリカ的発想を取ると、さらに先鋭化する。
室町幕府のように、出家と還俗で、系譜を切断しながらスペアを用意する体制は、
意外に良く出来ているのかもしれない。

135 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:39:16.93
琉球みたくちゃんと連枝が降格するシステムを当初から作ってないとな

136 :日本@名無史さん:2013/10/08(火) 23:52:14.41
尾張は内心では格上と思っていたかもしれないが、幕府では
三家は同格、特に尾紀両家は互角という扱いだったし、紀州
はむしろ尾張より上だと考えていたという話だね。

137 :日本@名無史さん:2013/10/09(水) 00:01:26.13
家斉以後は一橋

138 :日本@名無史さん:2013/10/09(水) 00:06:56.05
>>134
そのくせ、男子をやたら付家老とか譜代大名の養子に出してるんだから矛盾している。
だから、19世紀の高須家なんて義直となんのつながりもない水戸系の子孫になってるし。

139 :日本@名無史さん:2013/10/09(水) 06:19:04.64
尾張藩主や連枝の高須松平家が、将軍家や水戸家の血筋になって、
藩祖義直の男系子孫が付家老の竹腰とか譜代大名の養子に出されているというのも、
何か不自然さを感じる。

140 :日本@名無史さん:2013/10/09(水) 08:28:38.59
時系列で歴史を見られないヤツ

141 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 19:39:29.77
義直の男系子孫って、一応、明治維新頃まで残ってたみたいだな。
それ以降は知らない。

142 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:06:12.62
尾張藩家老竹腰も紀州藩家老三浦も、ともに藩祖の異父兄の家系であるが、ともに藩主から養子を迎えました

143 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 00:14:00.07
三浦も?

144 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 00:21:42.62
>>141 下総高岡藩井上氏や大和櫛羅藩永井氏が義直の男系子孫として続いていた気が

145 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 06:01:55.20
そういう家系から義直の男系子孫を尾張家に戻すことはできなかったの?

146 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 08:38:40.33
>>142
頼宣に異父兄がいたのかい?
なぜ、竹腰のように付家老になれなかったんだい?

義直の実兄、仙千代が長命しておれば...

147 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 09:05:07.51
三浦氏は異父兄じゃなくて
叔父だったと思うが

148 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 11:53:48.02
紀州藩の家老の三浦氏って、
鎌倉時代の、あの三浦一族の子孫?

149 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:15:38.43
正木氏の先祖の三浦氏とある

150 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 12:44:42.92
正木氏って一応、相模三浦氏の直系子孫ってことになってるけど、
限りなく仮冒に近い感じだね。
まあ、傍系というか庶流の可能性はあるけど。

151 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 16:45:35.45
普通仮冒するなら自領の統治に都合がいいように当地の先達の子孫を称するもんだが
安房の正木氏がなんで相模の三浦氏を仮冒したのか良くわからん
中世の国人クラスの武家でちゃんと系図を伝えてるような家は殆どないから
或は本当に三浦氏の庶流だったけど系統関係はまるっきり忘失したから適当な繋げ方するしかなかったのかも

徳川一門スレが立ってるけどこっちも結局徳川ネタが多いな

152 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 18:53:59.90
まぁこのスレで事足りるのにあっちは類似スレ調べずにスレ立てたからな

153 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 08:29:17.80
天皇家や将軍家はスペアがいたが
摂家にはスペアを置こうという発想はなかったのだろうか。
近衛家は一度皇子を迎えただけで、戦後まで直系が続いたからすごい。

154 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 12:25:28.30
>>153
近衛以外の摂家は摂家同士で養子のやりとりやってるから、お互いがスペアみたいなもの。
確かに近衛家はすごいが、皇子を迎えた時点で藤原鎌足の血筋じゃなくなってる。

155 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 14:46:28.62
その皇子の生母は近衛家出身。
女系も可とすれば、近衛家は今日まで鎌足の血が残っている。

156 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 15:16:45.01
とはいえ、今の近衛はホソカワさんだけどね。

157 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 16:09:17.68
意外と面白い事実発見。
近衛家の現当主(日赤社長。細川元首相の実弟)の先祖を辿ってくと、
実家の細川はむろん、徳川・前田・島津・鍋島・池田・井伊……と錚々たる家系が絡んでくるが、
6親等遡っても藤原鎌足の男系子孫て居ないのな。(井伊の藤原姓を保留し、名も知られぬ母系が藤原男系であった可能性を除くと)
九条・二条家の現当主はそれぞれ家祖の男系子孫だし、一条家も五摂家分立前の摂関・藤原師実の男系子孫、
男系では鍋島の鷹司さんも外祖父が九条尚忠の孫だから、母親が鎌足の男系女子というわけですぐに藤原氏に行きつく。
なのに近衛家は……。
遺漏があるかもしれないが、ザッと調べた感じだと、近衛さんの先祖の中で一番近親にある藤原鎌足男系子孫って、
島津斉宣の母親・お千万(公家・堤代長の娘=勧修寺流の血筋)あたりではなかろうか。
まあもちろん、さらに遡れば、>>155さんの言うとおり本来の近衛家にも行きつくし、歴代天皇にも行きつくから、
「藤原氏」の人がうじゃうじゃ出てくることになるわけだけど、それにしてもちょっとビックリ。

158 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 16:41:42.92
>>157
父系・母系のどこを辿っても良いなら、
九世祖の堤代長より、七世祖の伊達重村のが近い。伊達の山蔭流も疑義はあるけど。

伊達重村―輪光院(池田治道室)―浄諦院(鍋島斉直室)―鍋島直正

井伊の藤氏が仮冒かどうかの前に、毛利千代子の生母が井伊氏かどうか確認できた?

159 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 16:48:02.27
話しを連枝に戻すと、摂家の場合、足利将軍家と同じで跡取り以外は出家させてたから、
連枝にあたるような家がない。
まあ、公卿には藤原北家の道長の子孫がうじゃうじゃいるけどね。

160 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 17:03:57.14
>>158
鍋島斉直の室は側室の所生じゃなかったでしたっけ。ちと調べてきます。
DNA鑑定出来るわけじゃないですが、歴史板ですんで一応資料上の話をしますと
千代子母が井伊氏なのは昔何かで見ました。

>>159
話は連枝に戻してもらって結構です。

161 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 17:17:48.15
>>160
前に千代子母について確認とろうとした時は分からなかったんだ。
もし資料の名前を思い出したら是非教えてください。

>>159
脱線してすまんかった。

162 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 17:25:28.78
>>160
浄諦院の母は輪光院じゃないみたい、ごめんなさい。

163 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 18:38:32.54
>>162
>>160ですが、どういたしまして。浄諦院母は佃氏となってましな。
千代子母については、何か紳士録みたいなものでした。
父親である毛利高範の項があって、家族構成が書いてあったと。
ちと探してみます。

164 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 19:49:58.23
>>159
公家にはスペアという意味での分家や連枝って無いんじゃない?
武家でいう惣領制みたいのも発達しなかったし同族間で嫡流争いばっかしてるイメージ

165 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 20:10:05.41
>>161
探せばもっと確実な資料があるのでしょうが、一応貼っておきます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908965/26

話は連枝に戻してもらって結構です。

166 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 20:30:13.71
>>165
ありがとうござざいました。
ただこの手の書物は、妾腹だとしても妾腹とは記さないんじゃないか、という疑義は残ります。

続けて脱線して申し訳ない、これで終わります。

167 :日本@名無史さん:2013/10/15(火) 08:10:50.09
庶子は出家させる → 跡取りがいないから還俗させる
節操がないと思うんだ
部屋住みにでもしておけ

168 :日本@名無史さん:2013/10/15(火) 18:06:23.37
>>153
>摂家にはスペアを置こうという発想はなかったのだろうか
結局君主の家ではないからだろうね
摂家は皇室とセットで権威を有するものだからだろうね

169 :日本@名無史さん:2013/10/15(火) 18:16:35.78
スペアを飼う財力がないから
寺に入れる方が安い

170 :日本@名無史さん:2013/10/16(水) 13:09:02.88
>>164
藤氏長者や源氏長者みたいなものがあるから
大きな同族意識はあったでしょ
だいたい家格が定まっているのに例えば近衛から公卿が何人も出たら
あぶれる人が出てくるし得することは何もない
基本的に嫡男だけ残して後は出家

171 :日本@名無史さん:2013/10/16(水) 13:27:23.37
分家、門流に養子に出したりしないの?

172 :日本@名無史さん:2013/10/19(土) 05:55:56.93
江戸後期に鷹司家(閑院宮からの養子)から徳大寺家に養子が入ってるから、
その後の徳大寺家が東山天皇の男系子孫になっている。

ただ近世の摂家は、近衛家以外は摂家同士で養子のやりとりが多いから、
幕末あたりだと、近衛家以外はほとんど一体化した感じになってるな。

養子以外の男子は、ほとんど寺に入れてるが、京都や奈良は大寺院が多いから、
門跡の口には困らない。

173 :日本@名無史さん:2013/10/19(土) 21:50:05.18
>>171
跡継ぎのない家に養子を出すことはあるだろうが
食い扶持のために、他家へ押し付けることもないのではないか。

食い扶持なら、家族が増える心配のない門跡の方が合理的だろうし

174 :日本@名無史さん:2013/10/19(土) 22:22:34.44
>>173
寺に子供を入れるにも金がかかる

175 :日本@名無史さん:2013/10/21(月) 19:31:15.95
>>174
出家すれば生涯未婚なので確実に一代限り
その程度の扶持はたかがして入れている
しかし分家や門流を作るとなれば子孫(養子にしろ)が続いていくことが限定なので
子々孫々まで食べて行けるだけの恒久的な扶持が必要
江戸幕府からギリギリ生活押し付けられていた公家にそんな財力ないよね

176 :日本@名無史さん:2013/10/25(金) 08:08:02.10
寺に寄進>養子に出す

177 :日本@名無史さん:2013/10/28(月) 21:07:59.86
北畠の御所号は幕府から賜ったの?
それとも朝廷から?はたまた自称?

178 :日本@名無史さん:2013/10/28(月) 22:03:42.69
自称だろ

179 :日本@名無史さん:2013/10/29(火) 04:16:52.23
まあ北畠家も一応将軍家だから…

180 :日本@名無史さん:2013/10/30(水) 19:18:15.23
北畠は分家がやたら多いな。
そしてみんな御所号を名乗ってるから、インフレ状態で有り難みがない。

181 :日本@名無史さん:2013/10/30(水) 20:45:56.17
>>176
寺は別途、寺領を持ってただろ

182 :日本@名無史さん:2013/10/30(水) 21:17:42.82
>>181
ハァ?
寺に入れるなら、それ相応の寄進名目で持参金を積むだろう
ましてや檀那寺ともなれば並大抵の額では済むまい
そんな出費よりも、門流に養子に出す方が遥かに安上がり

183 :日本@名無史さん:2013/10/30(水) 22:17:23.73
>>182
門流への養子入りも支度金要るだろ
檀那寺へは別に息子をやらなくても寄付は必要

184 :日本@名無史さん:2013/10/31(木) 06:47:03.15
京都、奈良の門跡寺院は天皇家や摂関家の子息の指定席みたいなもの。

185 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 21:31:22.79
徳川の支流スレで附家老の話が出たけど
諸藩でも分家にそういう家臣を附けたりはしたのかい?

186 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 22:40:02.43
>>185
藩にもよるし支藩の形態にもよるけど、附家老という役はないと思う。
○○新田藩とかはそもそも形式的に独立した藩でも実質的には
藩邸もなければ家臣も本藩から出向してるだけとか。
ちゃんと独立した支藩でも本藩の影響力は非常に大きいんで
わざわざ附家老とか置く必要がない。

187 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:28:10.06
>>186
新田藩は、自前の行政機構を持たず、本藩の収納のなかから支給されてた
つまり家臣と言えば用人以下の家政系の役人が主流。

188 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:16:29.03
>○○新田藩
たとえるなら子会社ではなく支店みたいなもん?

189 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 04:53:09.35
>>188
御三卿と一緒で部屋住み枠だから、
社内分社してるが実態は単なる一事業部みたいなもの

190 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 12:41:28.42
新田藩主も参勤交代したの?
江戸の屋敷は本藩を利用ですか?

191 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 17:35:24.44
>>190
ほとんどが江戸定府

192 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 03:12:29.80
斯波と吉良は席次争ってたらしいけど実際はどちらが偉かったの?

193 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 06:54:52.46
斯波は開幕後に臣下にされた
吉良は御一家

194 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 10:21:25.41
吉良なんて初代は義氏の庶長子で母は家女房なのに
よく足利直冬のように寺に入れられて
父親や嫡子である弟康氏から粛清されなかったなあ
同じ家督を継げなかった兄でも北条氏(名越氏)の母を持つ
斯波初代のほうがよほど血統はいいものね

195 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 14:17:19.40
>>192

元々斯波は足利一門筆頭だったけど、臣下がなる執事職、守護になることによって権力勢力を得た反面、一門筆頭の名声を失った。

吉良は臣下に落ちなかったことによって名声だけは保持できたが管領や守護など臣下が就くべき
幕府の要職に就けなくなり家は衰亡した。

196 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 16:36:11.81
>>194
足利一門における斯波氏と北条一門における名越氏はそっくりだね。
嫡流になるべき血統だったはずなのに誰も将軍、執権になれなかったという意味で。

197 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 17:25:58.63
>>196
宗家から名声は虐待されたイメージ強いけど斯波はそれなりに優遇されていない?

198 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 19:12:24.94
じゃあ吉良と同じ御一家の渋川や石橋より斯波が下なの?

199 :日本@名無史さん:2014/01/23(木) 19:41:06.05
足利将軍家の御一家は名誉肩書きみたいなもので、実質は伴ってないから、臣下でも細川、斯波は正解

200 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 01:20:25.92
江戸幕府で言えば、斯波の管領が50万石の大老家、御一家が御三家連枝の3万石家といった程度の認識でオケ?
ところで鎌倉公方って宗家継承権あったの?

201 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 06:29:59.20
鎌倉公方の初代は義詮
義詮が将軍家を継承することになって基氏が下向

202 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 09:53:34.70
家女房の吉良家と足利義清の細川家と両方おにーちゃんの家だよね。
何が違うの?
家女房って北条氏の娘に匹敵するほどすごいの?

203 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 10:40:25.08
細川は足利幕府草創で大活躍した家来筋の同族

204 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 18:00:18.10
>>200
鎌倉公方には継承権があったからこそ
永享の乱なんてのが起こってる

205 :日本@名無史さん:2014/01/24(金) 21:58:06.70
「ある」と鎌倉側は主張していたようだね。
実際にあったかどうかとか公方から相手にされていた
かどうかはともかくとして。

206 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 10:14:32.90
将軍の方と鎌倉公方の方と合わせて足利将軍家だからか。
そりゃとうぜん継承権もあるよね。

207 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 14:21:15.51
吉良ですら、あまり存在感がないが、それ以上に渋川と石橋は存在感がない。
本当に「御一家」として尊重されていたのだろうか?

208 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 14:41:13.93
御一家って官位も五位中心で高くないよね?
確実に四位にはなれる管領家に勝っているのは席次の様なものだけ>?

209 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 21:13:41.80
渡辺家や朽木家みたいに本家が旗本、分家が大名という場合には正月とかに大名の方から挨拶に出向いたりしていたのかな?

210 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 21:51:45.28
していたらしい

211 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 22:37:51.49
管領と御一家でも吉良≧斯波>畠山>細川=石橋=渋川
こんな感じだろう。その下に御相伴衆と今川が来るのかね

212 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 23:00:36.14
実権では細川の圧勝

213 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 03:03:03.40
>>200
勢力でなく成り立ちからの権威で見れば斯波家は越前松平家っぽいな
御一家が御三家、今川は葛野藩松平頼方(吉宗)みたいな感じで御連枝かな

214 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 03:17:23.05
斯波が管領家筆頭と言われるけど、室町末期は細川が管領をほぼ独占してるんだよな。

215 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 05:39:54.84
斯波は高経の本家(と言うか高氏)への対抗意識が強かっただけに感じる

216 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 14:06:04.17
関東公方家以外の足利分家は宗家から血統が遠すぎるよなあ
徳川幕府なら一門扱いされないほど・・・・

217 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 18:35:32.79
>>215
斯波は足利宗家と同格と言ってたしな。
一方、大崎も武衛家と同格と言って
さらには高水寺斯波も大崎と同格と言ってたらしいし
斯波一族は名門意識が高いんだろうな

218 :日本@名無史さん:2014/01/26(日) 21:28:42.56
>>217
斯波流めんどくせえw

219 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 09:31:24.20
赤松氏にも御一家衆があってそっちも本宗家と同格がづらづらあるらしいから
そいうのを聞いて俺たちも同格みたいな感じなんだろうな。

220 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 13:14:11.34
新田本宗家、世良田、岩松、里見、山名は同格w

221 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 13:52:41.02
斯波一族の有料大名として江戸時代まで生き残った最上家も名門意識強かったのかな?

222 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 18:27:22.65
>>221
当然、そうだろうね。
綱吉のときには、交代寄合から一代限りで高家に任用されてるし。

223 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 23:20:18.17
東北は鎌倉以来の名門が多すぎなんだよな

224 :日本@名無史さん:2014/01/29(水) 23:22:38.53
>>223
政宗が暴れるまで大名家の存亡自体を賭けた大合戦というものが無かったからね。
取り潰された名門大名は秀吉〜徳川の天下人による一方的な改易ばかりだしね。

225 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 02:09:07.07
渋川と石橋なんて斯波初代の同母弟と庶長子の家系だろ
斯波への当てつけ凄まじいな

226 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 07:58:52.10
結局、御一家というのは斯波に対する牽制というか、
「お前のとこには将軍継承権ないぞ」ってだめ押し的なものだったのか。

227 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 16:39:00.68
斯波も管領にならなかったら御一家筆頭じゃね?
就任した斯波が悪いw

228 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 17:07:19.07
将軍にオスガキがなければ、普通に政治的なせめぎ合いでしかなくなる。

血統は政治の材料でしかない。サルにとってはな。

229 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 18:12:59.13
細川清氏が失脚した後、次の執事には斯波以外にどんな選択肢があったのかねえ

230 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 18:59:50.29
御一家って守護にもなれないのか?

231 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 19:46:16.67
そんな卑職は家人にやらせる。

232 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 21:19:27.42
御一家は将軍家の家族同然だから

233 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 21:50:05.89
斯波、細川、畠山、それと一色って、江戸時代の諸侯で言えば、支藩や旗本じゃなくて、家老や上士になった系統だよね。
江戸時代に一門でも臣列の家系から主君の後継になった例ってあったの?

234 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 22:48:52.65
伊達吉村

235 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 23:19:49.37
遠藤胤親
西尾藩増山家家臣→大垣藩主戸田家養子→郡上八幡藩主遠藤家相続

236 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 23:27:59.77
黒田長貞
福岡藩家臣→秋月藩主

237 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 23:29:19.75
仙石政房

238 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 23:39:28.61
森長継

239 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 23:52:33.55
松平綱國

240 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 10:22:31.29
浅野長勲 臣下の分家安井氏から分家浅野氏を経て広島藩主

241 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 10:30:03.32
高氏が死んで高経も老い先短くなって臣下の地位に妥協したってことか

242 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 00:11:52.00
> 就任した斯波が悪いw
格下げのために管領を受けさせたのでは?

243 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 07:58:35.81
一色氏久 足利義嗣の次男である足利直明(一色直明)の嫡流

子供たち、一色刑部、根岸五郎左衛門、山野金右衛門はなんで鎌倉公方家を
継がなかったのか。

244 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 12:39:30.59
>>242
絵に書いただけの家格、継承権にしがみついて御一家のまま先細りして自然消滅するより管領になって多大な権勢を得たほうが結果的には良くないか?

245 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 12:53:14.36
://www11.ocn.ne.jp/~square.h/kituregawa-negisi.htm

なんで商人なんだろうな?

246 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 19:38:52.46
>>244
だが、実際に消滅したのは斯波で、生き残ったのは御一家の吉良。
吉良家自体が忠臣蔵騒動で没落しても、男系の血統は米沢藩主上杉家として存続したし。

247 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 20:49:15.45
まるで松平本家のような細く長い歴史w

248 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 21:56:03.92
>>246
つまり一番の勝ち組は庶流が肥後熊本54万石の大大名になった
細川ということだな。

249 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 06:12:07.01
>>246
上杉での吉良の血統はすぐに途絶えてる。
むしろ東条家やら蒔田家やらに言及すべきだろ。吉良に復してる家もあるし。

250 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 07:23:03.02
っ、吉良頼康の実子ってどうなった。

251 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 14:38:29.41
当時の書札礼とかの扱いからすると「御一家>斯波」とはあんまり考えられない気がする。
お世辞に見ても「斯波=吉良>その他」。

252 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 22:22:35.43
>>251
戦国時代になってもあんまし斯波姓で呼ばれないものな。
大抵「武衛」か「勘解由小路」みたいに唐名か小路名で呼ばれてる。

253 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:44:32.06
吉良ってそんなに実力あったのか?

254 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 00:48:57.07
御一家は足利宗家に対抗心ありまくりの鎌倉公方や斯波にお前らは将軍にさせねえとアピールするために作っただけだろ。

255 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 01:02:56.56
>>253
御一家という虚名以外は単なる三河の国人領主。
たまたま同じ三河の家康に拾われて高家になっただけ。
他の御一家はどうなったのかすらよくわからない。

256 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 04:57:47.31
>>253
斯波と同じで南北朝の頃まで足利姓だったし他の足利庶家よりは上だろうね

257 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 07:52:11.80
実力は比べられないよね。斯波も吉良も南北朝初期だけすごくてそれ以降は力も糞もないだろ。
家柄だけがすごくて。

258 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 16:07:36.50
>>257
斯波 畠山は応仁の乱までは最有力大名でしょ?
戦国時代になって傀儡化したけど。

259 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 19:19:07.28
吉良は三河に土着して松平氏と縁組みして、家康に保護してもらったからよかったが、
石橋や渋川は本家がどうなったのか判然としない。

260 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 23:06:43.67
そういえば義政が渋川氏出の義廉に斯波氏の家督を相続させたことが、
応仁の乱の一因だったりもしたな。

261 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 23:44:10.19
>>258
戦国期まで斯波は特別扱いの家だよ。

262 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 00:00:21.21
仁木や石塔のスピード没落に比べたら、斯波や吉良は格段に栄えたほうだよ

263 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 06:33:48.38
>>259
松平清康、廣忠に偏諱を与えてる

264 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 06:55:23.56
言われてみて、やっと気づいた。
清康、広忠って吉良持清、持広からもらった偏諱だったのか。

265 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 07:04:19.51
信長が若い頃、斯波と吉良が同盟したときに石橋義忠って人物が関係したらしいが、
系図上のつながりやその後の消息が全然わからない。

266 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 17:06:39.68
戦国時代、吉良は分家の今川配下だからなぁ

267 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 17:36:30.41
石橋家ってのは、斯波家の庶長子家だろう?

268 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 12:46:46.26
子孫はどこに消えたんだろう?

269 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 15:47:08.89
吉良(西条・東条)や渋川(京都・九州)みたいに「分派」している家は両方とも「御一家」に列したの?

270 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 17:57:50.84
蕨渋川と武蔵吉良は将軍家の御一家でなく関東公方の御一家になってる

271 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 20:53:27.90
東条と西条はどっちが本家で、御一家?
渋川本家は結局のところ、どうなったんだ?

272 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 21:03:36.40
斯波は宗家に警戒され過ぎたな
それほどその家格は義教の頃まで宗家にとって脅威だったのだろう

273 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 21:17:00.05
吉良は西条が嫡流。でも東条も御一家に含めるんじゃない?
渋川は・・・どうだろ?九州探題のが正統っぽい気もしなくはないけど、御一家に列したのは関東執事になった京都渋川だったと思う。

>斯波は宗家に警戒され過ぎたな
義淳が義量死後の将軍候補に噂されたり、朝鮮国使からは日本国王に次ぐ地位の人物と目されていたりして、幕府内では相当高い地位だったんだろうね。
管領在職中は将軍の義教とも徹底的に対立するぐらいだから、かなり将軍から危険視された可能性はある。
だからこそ義教は義淳死後に御一家を作ったり、斯波家中に介入したのかもね。

274 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 22:32:28.98
斯波は東北で大崎、最上、斯波御所、塩松と繁栄を見た所を見ると
武衛家自体が名乗り上げて奥州に乗り込んでれば
関東公方みたく東北公方様扱いされたifもあったんじゃないかと思う

275 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 22:47:51.15
自分にすぐに取って代われる権利を持つものが、権力の中枢No.2にいるのは、トップにとって脅威なんだろうな。
徳川幕府が大老、老中を将軍継承権のあるものにやらせなかったのも同じ理由か。

276 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 23:31:26.82
>>274
武衛家が奥州へ出向くまでも無く、大崎斯波氏自体が「東北公方」になっちゃいそうだったからこそ、
奥羽が鎌倉公方の管轄下に置かれたり、篠川・稲村の両御所が派遣されちゃったんじゃないかな。

何にせよ斯波一族は足利本家にとって扱いを間違えると惣領の座を追われてしまう厄介極まりない一族・・・
ぐらいの認識はあったのかもな。

277 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 14:37:02.24
>>275
斯波は足利一門筆頭ではあるけど、御一家とともに実際に宗家継承権があったかは
甚だ疑問。

実際、宗家が天下を取った後は足利性を名乗れなくなり宗家が絶えても現将軍の最近親の者が還俗して継いでるし尊氏の男系子孫
ですら無い、これらの庶家は実際に宗家のスペアとして機能した後世の徳川御三家とは全く異質だと思う。

278 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 15:15:04.44
斯波→酒井
御一家→十四松平

279 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 18:38:11.44
>>277
御一家にも本当に将軍継承権があったかは疑問。吉良も渋川も石橋も室町期に足利姓を名乗っているわけじゃないし。
例えば渋川義鏡は関東執事になっているけど将軍継承権があるような家柄の人間を鎌倉公方(堀越公方)のしかも執事風情なんかをやらせるかね?

280 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 21:35:24.59
現実的には将軍家や鎌倉公方が断絶したなら
御一家なんて吹けば飛ぶような家じゃなくて
斯波や細川が管領の権勢を背景に覇者になったと思うけどね

281 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 22:06:09.24
三好や松永が台頭しなかったら、京兆家が取って代わってた可能性はあるかもな。

282 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 22:15:35.14
幕府の終期は足利政権というより細川政権だったしね
信長の頃でも義昭放逐後の昭元に一定の権威があったし
義銀がもっとうまくやってれば信長の上洛後に将軍や細川に取って変わる権威になれたかも

283 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 22:26:02.19
足利一門スレかよ

284 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 22:31:18.98
本来なら徳川が一番多いはずなんだがそっちは別スレがあるからな
結果的に次に話題が多い足利の話ばかりになる

285 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:15:26.39
細川は斯波畠山と比べたら遥かに家格が低いと聞いたことがあるが一番管領になったのは細川だよね。
後期以降は細川でほぼ独占してたし。

斯波といえば支流が東北で独自の発展を遂げたけど大崎と最上、どちらが嫡流だったのだろう?

286 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:26:26.32
斯波も畠山も家督争いで勢力を落としたからね。一族がまとまっていた細川が漁夫の利を得た感がある。
でも結局その細川も家督争いが原因で勢力を落とすけど。

奥州斯波の嫡流は兄系の大崎のほうじゃないかな。というか本当に「羽州探題」って役職は存在したのか?

287 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:41:27.34
足利宗家は頼氏が継いでから一門内での地位が軽くなってきたな
斯波から対等に見られてたし吉良や渋川らもj細川や仁木のように主家とは見てなかったのでは
宗家が将軍家となってから意識は大きく変わってきたけど

288 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:43:29.57
斯波家兼の家系で奥州管領を世襲した大崎の方が本家
最上は奥羽のうち出羽を分掌されたにすぎない
羽州探題は大崎が奥州探題に任命された1400年以降の自称だろうな
それまで名乗ってた出羽国按察使だって朝廷関係なく自称してたんだろうし

289 :日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:51:54.84
一応、源氏の分家がなくて鎌倉将軍が速攻滅びた事を教訓にして御一家なるものを作ったの?
まあ、源氏に血のスペアとしての分家があったとしても一萬がヤラれた様に北条が速攻始末するだろうけどw

290 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:02:59.29
血のスペアを利用しなかった(出来なかった)から断絶した源家将軍。
血のスペアを利用しなくて済んだ足利将軍。
血のスペアを利用して存続した徳川将軍。

そんなイメージ。

291 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:10:56.74
>>287
頼氏よりも家時が継いだ時からじゃないかな。徳宗家どころか北条庶家の所生ですらないし。
母が徳宗家じゃなかったからという理由で嫡出から外された斯波や渋川からすれば「なんだアイツ」って目で見そう。

292 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:20:35.46
足利は奥州に斯波、石塔、畠山、吉良、大崎、石橋と一門を大量投入しすぎ
しかもそれぞれに奥州は任せたって扱いだからよけいに混乱する
ところで斯波義将の頃に足利の名乗りから斯波に改めたらしいが、それまでは
足利高経の弟・斯波家兼や長男・斯波家長も実は足利家長や足利家兼だったりするのか?

293 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:48:33.19
古典の太平記では斯波の奴等は揃いも揃って「足利〜」とか「尾張〜」って書かれてるからそうなんじゃないかな?

294 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 01:54:41.72
>>285
鎌倉時代は斯波、畠山は足利宗家同様、鎌倉幕府直属の御家人だったのに対し、
細川は足利宗家の家臣に過ぎなかった。
でも細川もさかのぼれば、家祖の義清が、水島の合戦で戦死せず、かつ源義仲が天下をとっていれば、足利宗家になったであろう家系ではあるけどね。

295 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 10:53:20.85
>『尊卑分脈』に拠れば重房の娘(妹?)が足利頼氏の家女房となり、その間に生まれた家時は足利家の当主となる。

吉良長氏の母もやっぱり公家なのかな?

296 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 11:10:44.85
三河の小領主にすぎない吉良がどうやって生計を立てていたのか興味あるな。

297 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 12:17:35.07
家時の母親が上杉氏だからってなぜ長氏の母親も公家出身って思うの?

298 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 13:23:52.85
足利義氏の主君、藤原頼経のお供で下向してきた人の誰かまたはその娘が長氏の母、家女房
とある女性の可能性を探ってみた。

299 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 14:31:31.50
なるほど御供の公家か。ありえそうな話。

しかし上杉氏は見事に武家に転身できたね。
そういえば御一家って上杉氏も入ってるって聞いた事あるんだけど、実際どうなんかね?

御一家は吉良・渋川・石橋・上杉・仁木

って二木謙一の本に書いてあったけど。

300 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 16:23:00.31
世襲親王家は、
今上に近い血筋だけ残して、臣籍降下させちゃえ、という動きはなかったの?
伏見宮は遠くなりすぎた

301 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 16:48:57.91
>>300
明治初期にそういう動きもあった。
有栖川宮熾仁親王をはじめとして世襲親王家の維新勲功が考慮されて
一括して皇族に残ることになったと思われる。
叙爵内規には当初から家長である皇族の臣籍降下を意図していたと思われる規定も残ってる。

302 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 16:50:22.22
>>299
そうなると御一家は相続権云々ではなく、
単に足利氏の親族に認定されただけの存在だな

303 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 17:47:48.27
上杉、仁木は御一家と同じ日に将軍に対面できる事から
御一家と勘違いしたんじゃないかとどっかのスレで見た

304 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 18:25:05.64
そもそも御一家なんか忠臣蔵で吉良の知名度があるだけで、将軍連枝としての知名度は限りなくゼロだろう。
将軍連枝の家で知名度があるのは関東公方だけじゃないか?

305 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 18:26:08.44
御所が絶えたら吉良→今川ってのも今川の自己満足

306 :日本@名無史さん:2014/02/12(水) 10:22:43.25
御一家=親戚って意味しか無かったりして。初期段階。
あとから各種親族内権限が付随されたとか。

307 :日本@名無史さん:2014/02/12(水) 17:52:09.56
>>306
尊氏〜義満の初期の方が御一家は近親として重きをおき斯波は宗家に対抗しうる存在だったんじゃね?
御一家は早々と没落して斯波だけが戦国時代まで残ったけど後期末期は斯波も空気だなw

308 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 07:40:04.49
>>304
知名度っていってもな。当時の知名度は同じじゃないのかな。
鎌倉公方も吉良家も。

今はどっちも空気だけどw

309 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 10:42:48.37
足利氏の一家と伊達氏の一家とでは、同じ一家でも意味合いが異なるのかな?

310 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 16:00:33.75
>>309
尊氏の男系子孫ですら無いのが致命的だと思う。
かといって足利宗家も分家らしい分家といえば鎌倉公方家だけだし、他の男子は
出家させているし・・・・

311 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 16:35:35.98
>>310
結局、義教が還俗して将軍になった時点で、御一家は勿論、血のスペアとしての鎌倉公方の存在価値は無くなったよね。
「俗体の後継者がいない→僧体の近親者を還俗させる」って構図が出来てしまったから。
義教・義澄・義昭の3人はみんな還俗将軍。瞬間的に事実上の室町殿になった義視もいれたら4人か。

312 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 17:31:32.34
御一家の成立は義教が将軍になった後だよ
義教死後に吉良が将軍の代行してたらしいが
かつては足利宗家の代行をしてた斯波や関東公方の
実力を伴い将軍に取って変わられる可能性のある両家を
排除するために権威だけの存在として御一家が出来たんだろう
それこそ次の将軍が決まるまでの間に斯波や鎌倉殿がその隙に入り込もうとしても
「その間は御一家が代わりを務めてくれるんでご心配なく」
ってのが御一家の体制の本質で血のスペアてのは後付けなんだろうな

313 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 18:41:33.75
御一家にもめいもくとしては
継承権あったんかね?
足利なければ吉良がつぎそれもなければ今川なんていうけど
御一家より格下の今川に名目でもそんなこというなら
御一家にも継承権一応あるよって呈だったのかな?と気になる

314 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 18:49:07.89
ないだろう

315 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 18:57:04.22
>>314
足利→吉良→今川なんてよたばなしが生まれたんだろうね
御一家からすりゃなんでだって
文句の1つもいいそうだけど
今川家が勝手にいい始めたら
誰かとがめてんじゃない?

316 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 18:59:52.09
ポイントはいつ頃から言われたのか、という点にある
応仁の乱の後、足利将軍家が没落らくして、細川が内部抗争するようになってからかな?

317 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 19:07:03.70
>>316
応仁の乱で幕府一門落ちぶれてからならお公家さんなり敵対国の守護あたりが嫌みの1つでも書き残してそうだなーと思って。

無根拠だけどもっと前からいってたか言われてたのかなーと思ってるんだけどね

318 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 19:38:41.53
みんなが言ってるように御一家に継承権なんてなかったと思う。
たまたま家康に一番近かった足利一門が吉良であり今川であっただけで・・・継承権云々は江戸以降の後付っぽい気がする。
斯波武衛・西条吉良・畠山金吾・細川京兆。この四氏が儀礼的に室町諸侯の頭に位置した・・・程度のものじゃないかな。

319 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:12:52.10
今川は曲りなりにも、「副将軍」を出したとされてるから。
鎌倉公方も管領もなった事のない地位に就けるというのは、
特別な意識を今川家に持たせるのに充分だったと思う。

320 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 23:11:07.54
よく今川を征夷副将軍に任じられたというけどさ・・・本当に律令官職としての征夷副将軍に任じられたの?
また軍記物語以外で今川が副将軍になったって記録はあるの?

321 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 00:28:15.68
律令下の職だと、征夷大将軍に限らず

大将軍ー将軍ー副将軍

だろ

322 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 00:47:37.17
副将軍は足利直義だけじゃないか? 今川は疑わしい
この時代の今川って本家の吉良より既に強かったのか?

323 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 00:49:31.79
>>319
「副将軍」が「朝廷の官職」であって「幕府の役職」で無い以上、「管領」や「鎌倉公方」とかの地位と同列に考えられないんじゃないかな?
比較対象は「左兵衛督」とか「左衛門督」、「右京大夫」とかになると思う。まぁ当時の「副将軍」の位階がどの程度は知らないけど。

324 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 04:04:15.24
足利義昭が副将軍か管領を信長に任命しようとした所を見ると同列でいいんじゃないか

325 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 06:31:17.16
そんな先例のないものに任命しようとした話自体に疑問が残る

326 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 09:18:58.00
遠征した後に任官だから在京の官職はうまってたのでは?
そんで空きがある副将軍に任官とか。
将軍の近親者と公式に認めるみたいな意味合いで。

327 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 11:45:34.27
副将軍任官説は信長周辺筋か後世の捏造だろうな
実際には管領代への任職がいいところ

328 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 11:47:14.81
任職の推任な

329 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 12:45:29.32
田村麻呂とか朝廷に任じられる征夷副将軍と信長が任じられようとした副将軍は別だろうね。
信長のは管領と同じ幕府内の役職。

330 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 13:03:45.88
自分も官職の「征夷副将軍」じゃなくて幕府役職としての「室町幕府副将軍」だと思う。「征夷副将軍」じゃ幕府再興の功労者への恩賞としては低すぎる気もするし。
そしてそれまで幕府副将軍という役職は見当たらないから信長のために新設したんじゃない?
でも「管領or副将軍」と言っているから両職の地位は大して変わらないと思う。

それよりも義昭が信長に斯波家の家督を継がせようとしていたのが気になる。
長尾景虎が上杉家を継いで上杉輝虎なったように、義昭も信長を斯波義信(義長)にしようとしたのかね。

331 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 13:19:41.47
室町幕府や足利義昭の先例に拘る性質からすると、副将軍職の新設は考えられない

332 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 13:31:18.92
でも義晴期に幕府は陸奥守護職とかいう役職を新設してるからなぁ。
まぁ当の稙宗本人は奥州探題職の方が欲しくて陸奥守護みたいな新設職はあまり嬉しがらなかったらしいけど。

333 :日本@名無史さん:2014/02/14(金) 13:38:12.08
信長への副将軍打診は朝廷も義昭の要請で動いてた記録なかったっけか
それ考えると今川範政も朝廷の官職としての副将軍だったんじゃないかね

334 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 19:29:22.90
朝廷の官職としての征夷副将軍では大した恩賞では無いように見える。
字面から副将軍は幕府のナンバー2とイメージしがちだけど、実際の官職としての副将軍ってだいぶ低い官位だよね。
今川が代々任官した上総介とか治部大輔のほうがよっぽど高位なんじゃない?

鎮守府将軍とか秋田城介のが恩賞として相応しそう。

335 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 22:27:05.58
室町時代の有力武家の極位極官ってどの程度だったの?
三管四職御一家あたり、有力守護は四位は貰えてたみたいだけど。

336 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:08:38.92
織豊以前はそう。

337 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:20:51.15
三管領四職あたりは基本従四位だけど
政所の伊勢氏なんかは従四位上だな
でもだいたい従四位内でおさまってるのかしら

338 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:24:01.13
せっせと朝廷に献金した大内とかは例外としてね

339 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:29:24.12
江戸時代の大身国持ちー四品も起源はそこかな?

340 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 00:10:47.89
>>334
征夷副将軍も征夷大将軍と一緒でもはや官位うんぬんでない地位だったんだろう
まあ実権も無い名ばかりな事は確かだけど凄い名誉ではあるんじゃないかな
極端な話になるが副将軍と管領は自民党の副総裁と幹事長みたいなモノだと思う

341 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 00:25:59.91
○○方面軍司令官ー将軍
自民党幹事長ー管領

342 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 09:24:54.29
三職の官歴は
斯波が従五位下治部大輔→従四位下左兵衛佐→左兵衛督→三位
畠山が従五位下尾張守→従四位下左衛門督→三位
細川が従五位下右馬助→右京大夫→従四位下→武蔵守
ってパターンが多い。

大納言・中納言まで昇る徳川御三家、御三卿ほどではないけど、譜代の大老・老中クラスの大名や外様の国持大名と比べてもそう遜色は無いね。

343 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 11:57:27.96
>>441
自民党幹事長なんて比喩を使うと、スレの品位が一気に下落するな。
なんか成り上がりの政党政治家ふぜいと武家の名門を一緒くたにしてほしくないわ。

344 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 12:18:27.98
>>342
従四位からいきなり三位って隠居後とか死後贈官?
四位と三位じゃ雲泥の差があるけど?

345 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 12:33:48.14
もしかして
従四位下→従四位上→正四位下→正四位上→従三位

って順番どおりに昇進すると思ってる?

346 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 16:27:39.73
>>342
官位に関しては細川が家格同様低めというだけで斯波が優遇されていたわけでは無いみたいだね。
後期に細川が管領職独占したのは政争に勝ったから?それとも斯波畠山が臣下筋の就任する執事になるの嫌がったから?

347 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 17:35:07.06
>>346
斯波が優遇されていない・・・というより、畠山が思ったより優遇されているって感じかな。
鎌倉公方ですら従五位(従四位)左馬頭→左兵衛督→従三位だし。

三位を超える足利一門となると、二位で大納言になった満詮、義嗣、義視みたいな将軍実弟ぐらい。

細川が管領独占したのは斯波畠山が内訌で自滅したってのが大きい。
斯波畠山両家とも最終的に京を離れて在国するようになるしね。

まぁ結局細川も内訌を起こして三好にやられちゃうけど。

348 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 19:56:14.34
従五位下征夷大将軍源義栄

349 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 21:31:12.75
義教時代に御一家が出来た頃って筆頭の吉良あたりは沢山所領持っていたの?
既に三河の小土豪?
確か序列は
吉良>斯波>他の御一家=他の管領だよね?

350 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 22:16:05.34
弱小国人吉良を持ち上げることで三管領を抑えつけた

351 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 12:15:34.98
>>347
在位が短いというのもあるけど10代以降は将軍の官位もしょぼいよね。
従三位あたりが良い所

352 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 12:54:41.40
徳川将軍家の将軍任官時の最低ラインが正二位内大臣(例外が慶喜の権大納言)が高すぎだな。

353 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 13:13:35.19
>>351
足利将軍家の財力低下、影響力低下、家格低下にも起因

354 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 16:33:21.44
>>353
それでも摂家は将軍家の家礼やってるんだよね。
偏諱貰ってるのばかりだし

355 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 16:35:12.67
>>352
初任大納言、家督相続で内大臣といった考えられない昇進ルートを取る徳川将軍家の武家官位は特殊
従来の官位感では表現できない歪なもの

356 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 17:19:45.04
江戸幕府は公家の官位と武家の官位を分けてしまったからね。
一概に江戸将軍と室町将軍の官位の上下は比べられない。

357 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 19:09:41.87
>>356
武家官位を分けるのは良いけど昇進過程が滅茶苦茶じゃん。
江戸以前なら、どんな名門武家でも五位から始まって従三位とかに昇進するのに
将軍以外の武家でも初任が従三位だ四位だとか異常に高すぎる。
国持大名の初任従四位下侍従→極官従四位上少将なんて初任が高過ぎるのに
対して極官が低すぎるw

358 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 20:36:52.39
まぁその滅茶苦茶な過程が武家官位というものなんだろうね(笑)
位階をみても従五位下の次はいきなり従四位下とかだし、官職も侍従とか少将・中将、参議、中納言・大納言とかぐらいしかないし。

359 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 21:50:45.37
江戸時代の喜連川家は右兵衛督だっけ?
官職はあるのに、なぜ無位?

360 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 22:01:43.73
官途受領名

361 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 22:19:56.94
秀吉が従一位・関白、太政大臣か。
誰でもここまではいける可能性はあるということか。

362 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 22:28:53.87
秀長や秀次は、いけませんでしたがw
秀頼は若くして死んだから仕方ない

363 :日本@名無史さん:2014/02/18(火) 22:55:46.03
関白ダジョウ大臣までは尾張中村の日雇でも金と捏造出自でなれるという意味だろ

364 :日本@名無史さん:2014/02/19(水) 19:46:34.76
>>361

武家で天下を取って朝廷を保護したら大臣にはなれるって位じゃない?
征夷大将軍&大臣コースと秀吉が新設した関白大臣コース。

でも鎌倉室町幕府創設者は大納言止まりだったね。

365 :日本@名無史さん:2014/02/20(木) 13:08:11.14
>>359

官名名乗り 公式に名乗ることは許されているが朝廷から正式に任命された訳ではない

366 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 00:01:24.11
四職の筆頭はやっぱ足利一門の一色家なのかね?

367 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 04:33:46.92
京極

368 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 07:57:24.05
            _. ‐''"^``丶、
          ,r'"         `ヽ、
        ,r'"            `';i,
       ,i;'´  二  ̄   ‐ --    ';i,     ジャムリン容疑者の人相
       ,i;'       ‐ --       ';i,
       ,i;'  _ -‐-       -‐- 、   ';i,
       i;'  /‐''" ̄`       ̄`ヽ\ i;i     特徴@ 頭頂部がハゲてる
       n    __       _...._    i;h      
       | | : = <●\    ∠●>-=: i| |       特徴A 後頭部もハゲてる
         ト|:    ` ̄        ̄´   : | |
        l」:      /   ヽ       lノ      特徴B 全体的にハゲてる
        l     (__   __)ヽ    l       
         l   ( ';';';';`ー'´;';';';',';   
           l: .   r‐===‐ 、';i   /
        ∧:: : .  ヽ士土±ノ : . : :/
      /{  \;: . `二二二´. : ::/ト 、__
    /\二\  ヽ、;';';';';';';';';';';'/   `iニヽ ヽニヽ
  /   \ニニ\ ヽ`二二二´   /  |ニヽ \ニ\
/三\    \ニニ\  ヽ      i  ノニニヽ  \ニニ\

369 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 15:31:01.82
鎌倉殿の御門葉、六分の一殿、西軍総大将の山名こそ筆頭

370 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 17:25:27.61
本家の新田は源姓すらなのれない御家人なのに庶流の山名や里見は優遇されてるんだよね

371 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 18:55:17.82
鎌倉殿御門葉・六分の一殿云々が理由かは定かではないが、確かに相伴衆では山名が筆頭に位置している気がする。
純粋な足利一門の一色や能登畠山、阿波細川、大野斯波よりも。また赤松・京極・大内は相伴衆の中では下位だったと思う。

372 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 21:56:35.41
天正年間に徳川家康が山名禅高(豊国)を供に斯波義銀の屋敷を訪れた際、
禅高の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、
後に禅高は家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利の分家に過ぎない。
お前(禅高)は新田家の嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。
何故、足利の分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている

373 :日本@名無史さん:2014/02/21(金) 23:37:00.42
家康は新田支流の徳川を仮冒してるからな

374 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 01:47:24.86
>>372
この話のポイントは家康が新田嫡流と認識してたのかって所なんだよな

375 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 07:22:51.63
>>374

あと禅高自身は三松のほうが格上、つまり天正時代においても斯波>山名であると思っていた所も興味深い。

376 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 07:25:20.90
斯波は分家じゃなくてむしろ本家だから
って高経あたりまでは思ってそう

377 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 07:35:43.26
その辺りの斯波の嫡流意識ってのは、北条における名越家にすごく似てるよね。
まぁ実際斯波と名越は血が繋がっている訳だけど。

378 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 12:12:00.67
極位極官で言えば鎌倉公方、斯波、畠山が従三位で突出してる。
他は四位止まり。
江戸期の前田に準ずる官位。

379 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 12:46:58.87
 
             _,,..--――--,,..
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       ノ∧  丶、 ` `二´'      }ィ´`フ
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380 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 16:55:36.31
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

381 :日本@名無史さん:2014/02/22(土) 16:57:16.87
三河国 碧海荘


平安末期〜室町期に見える荘園名三河国碧海郡のうち矢作【やはぎ】川中流の沖積低地で,豊田市南部の旧上郷町から岡崎市西・南部の旧矢作町・六ツ美村に比定される
三河国所出の犬頭糸について記した「兵範記」仁安3年7月6日条に「近年以後三条女御々領碧海庄立券之中」とあり,犬頭糸60勾を年貢とした三条女御とは鳥羽天皇女房で斎宮研子母の参議藤原家政女とみられ
鳥羽院政期の寄進地系院領荘園の一例寄進者は不明であるが,あるいは藤原氏系熱田大宮司一族か荘名は郡郷名によるものであろう
承久の乱後足利義氏が地頭となり(瀧山寺文書/岡崎市史6),子泰氏・孫家氏(斯波氏祖)を相続し,鎌倉期を通じて斯波氏が地頭職を保持したとみられる
禅僧義堂周信の詩の序に「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」とある(空華集/大日料7‐13)
領家職は,永仁3年8月日の碧海荘米配分状案では熊野社領で,占部・中・村高・下青野・宇禰部・薬師寺・橋良(柱)・津々針(筒針)・下渡・長瀬・宿石神・小針・榑戸(暮戸)・南小(尾)崎・牧内・
上戸・大友の17郷から御供米409石5斗が納入されていた(紀伊続風土記附録十四本宮社家二階堂蔵/鎌遺18898)
他方元弘3年の内蔵寮領等目録には「碧海庄犬頭糸七十七両・用途二百文……持明院中納言家知行之」とあり,これは本家職か(宮内庁書陵部所蔵文書)
室町期にはさらに領有関係は錯綜する年月日未詳の観勝寺寺領目録に宣政門院(後醍醐皇女懐子,光厳後宮)寄進地として碧海荘内上戸・中曽禰(中園)・牧内・市摩・本一色が見え(大覚寺文書上)
建武4年5月13日に松殿(中山)家領として「碧海庄三木・今一色」が安堵されている(堤文書/岡崎市史6)
その後嘉吉元年11月には近江葛川明王院領とみえ,享徳2年9月15日に「碧海庄領家方」が同院領で,他方地頭代官島田参河守の名が見えるので(国会図書館蔵明王院文書/葛川明王院史料),それ以前に下地中分が行われていた
この地頭方が寛正4年に宗成喝食(斯波松王丸)へ「助成之所領」として将軍義政から与えられた「三河国近江庄」で(蔭涼軒日録寛正4年12月20日条など),それまでは将軍料所ということになる
荘内には前出の各郷のほかに,浄土真宗本願寺派の絵像裏書類に見える中之郷・赤渋・和田・牧御堂・中島・矢作・渡刈郷があった

382 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 11:19:22.36
最後の尾張守護だった斯波義銀だけど、信長に傀儡として利用された挙げ句、追放され、
その後、天下人になった信長に仕え、弟の津川義冬は信長の息子信雄の家老になってしまった。

いくら戦国の世とはいえ、主従逆転を屈辱的に思わなかったのだろうか?

383 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 18:04:01.85
>>382

まぁそんな事を言ったら、その織田家だって結局家来の秀吉に主従逆転されてるからね。
信雄は臣従したし、三の丸殿は身体を差し出し、信孝至っては殺されてる。
栄枯盛衰は悲しいもの。

384 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 18:17:26.02
斯波なんて最初からお飾りだし主従逆転なんて意識はないだろ。
信雄や氏真のほうが屈辱感あるだろう。

385 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 18:32:26.11
斯波は尾張の大名としては意外と粘ってるよ。
傀儡といって差し支えないのは義統と義銀ぐらいでしょ。
応仁の乱後〜信秀台頭までの間、尾張の主導権を握っていたのは織田よりもむしろ斯波。
守護が守護代を返り討ちにしているぐらいだもの。

もちろん三職家として見れば衰退著しいけど。

386 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 18:49:43.34
ああすまん。
斯波って書いたらまずいな。
義銀個人のつもりだった。

387 :日本@名無史さん:2014/02/23(日) 18:59:54.12
義銀はな・・・
実際はどうなんだろ?
吉良や石橋と内通していようがしていまいが・・・どのみち信長にとっては邪魔だったろうしな・・・
でも足利義昭と同じで、殺せない存在(殺す必要もない存在ともいえるが)だったんだろうね。

388 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 07:26:28.44
しかし、武衛家の息子が織田ふぜいの次男の家老やってたってのは、
どういう心境だったんだろうな。
しかも、その主君というのがバカ殿の信雄さんだし。

389 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 07:29:29.97
信長の妹婿として、織田の連枝に準じる扱いだった京兆家の昭元。
信長の次男坊の家老になった武衛家の義冬。

この差はどこでついた?

390 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 09:59:38.58
細川氏が政権とった時点

391 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 10:12:33.84
>>382
主従逆転して斯波を名乗ることをはばかったみたいだし、吉良と席次争い
で譲らなかった人物なんだから屈辱的だったんじゃないの。
でも戦国時代だし、旧主筋ということで助命されただけでも恵まれてると思うが。

392 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 10:22:24.27
昭元と比較するなら、義冬じゃなくて義銀のほうだろう。
信長の甥の岳父になってるし、それ相応の待遇はされていたと思う。

後に義銀と昭元は2人とも秀吉の御伽衆になって・・・そして仲良く一緒に捕縛されてるよ。
なんだろうこのコンビは(笑)

393 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 11:55:00.89
まあ大名に拾ってもらって上級武士として存続できただけでもラッキーかと思う

394 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 12:57:14.15
加賀前田家の大聖寺城代、津田家は、斯波義銀の子孫だとか。
1万石の家老職なので、明治に男爵を貰ってる。名族斯波氏で華族になったのはここだけかな。

395 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 13:54:55.60
津田って織田庶流の苗字だよね
なんで斯波家が津田に改姓したんだろ?

徳川家の外様への松平賜姓と一緒で織田の一門格といった感じ?

396 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 14:21:09.04
394
堀姓奥田氏がいるがね

397 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 18:13:30.52
斯波男爵家も奥田子爵家も蜂須賀侯爵家も、正直斯波一族であるかどうかはかなり疑わしいけどね。

ただ気になるのはわざわざ斯波蕃があの時代に斯波姓に改姓していること。
南朝の司令官・新田義貞を討った斯波高経の後裔をわざわざ名乗るメリットってあんまりなかった気がする。
シンプルに津田姓だから織田一族・・・ってしていたほうが見栄えも良かったような気がする。
そこを斯波姓に改めているんだからやはり何らかの関係性があったんでは無いかと疑ってしまう。

398 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 18:38:30.91
蜂須賀になんのあやしさを疑えるほどのものがあるのよ?

399 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 19:01:12.35
津軽伯爵家が近衛家の分流であるのより信頼性が低いな。
津軽家の場合は近衛家公認だしw

400 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 19:10:27.75
蜂須賀が斯波の支流って、確かに疑わしいが、
全くの土民あがりということはないだろうから、
なんらかのしかるべき氏族の出ではあったんだろうな。

401 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 20:59:23.96
おいおいおいおい
川並衆だよな?
川原の賊だったわけだが、しかるべき氏族の直系レベルはここまでになるのはザラなのか?
因みに庶流なんて名乗ったもん勝ち

402 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 21:11:58.75
川並衆つっても国人の一種だしなぁ。
国人に名門の裔がいる(or名乗る)のはよくあるパターンだし・・・。

403 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 22:57:47.11
>>402
>川並衆つっても国人の一種だしなぁ。
>国人に名門の裔がいる(or名乗る)のはよくあるパターンだし・・・。

南北朝時代の赤松・名和のことか

404 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 23:04:23.69
川並衆が国人だったソース出せよ
お前国人の意味かってんの?

405 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 23:06:17.49
訂正
国人の意味わかってんの?

406 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 01:32:50.97
>>404
ちょっとずれてないか?
川並衆は国人じゃないけど首領の蜂須賀は国人だろ?

407 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 21:20:55.25

こいつ馬鹿なの?
だから蜂須賀が国人領主だったという室町期のソース出せって

408 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 21:35:28.15
>>407
調べたらすぐに出るのに予想される答えに反論もしないで罵倒とは頭の構造が人と少し違うの?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%B0%8F

409 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 21:38:44.25
蜂須賀さんは蜂須賀郷の土豪だから国人だと思っていたのだが違うのか・・・

410 :408:2014/02/25(火) 22:28:06.07
国人かどうかは俺も知らないけど調べたら蜂須賀は国人と出てきた。>>409
当然>>407>>404が蜂須賀が国人ではないソースを出してくると思ったが無かったので>>408
で問うてみたんだけどね。

蜂須賀=野盗と思っている様なDQNだったら問題外だけど他人を馬鹿とか罵倒出来るだけの
人間である教養の持ち主であることを証明するようなレスを期待している。

411 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 22:42:56.73
ウィキがソースとかラリってんのか?
野党じゃないソース出せよ。室町期の書物で蜂須賀が国人領主すなわち地頭層だったというソース出せよ

蜂須賀は明らかに職人や技術的集団の首領だったのは活躍と河原を根城にしてたことからも分かる。
これら職能衆が戦国時代に武装化した集団に過ぎない。
根来衆や有名な雑賀衆も職能集団(猟師、木こり、山伏等)が戦国時代に武装化した集団
これを土豪というなら土豪なんだろうが、国人領主すなわち地頭層出自だなんて文献はウィキ以外イッサイナイ

412 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 22:48:35.81
戦国時代の成り上がり大名の武士団がやたら強かったのは、
本来の中世的武士形体、すなわち中世的な土豪地侍、地頭層ではなく、
特殊性のある技能技術的集団の階層が大量武装化し、
後の戦国武士として秀吉や徳川の中核に
なってたからだ

413 :日本@名無史さん:2014/02/25(火) 23:18:26.76
>>411
とりあえずは君が鎌倉期の地頭以外は国人じゃないという定義を出してからだね。
ウィキが嘘だというのなら具体的反論も宜しく。

まあ俺は蜂須賀が国人だと言い張る気は全く無いので君がきちんと論理構成された
自説を述べてくれたら納得する。

414 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 06:55:29.91
有力国人に旧地頭が多いのは承知してたけど国人の条件として地頭が必須だという意見は初めて見た。
そもそも国人って土着の武士程度の認識で、そこまで大層な身分では無いだろ?

415 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 07:53:52.83
えっ?

416 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 19:16:47.95
まあ蜂須賀小六はあの近隣の木材関係の職人集団の棟梁だったのは間違いないだろうな

417 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 19:33:21.84
前近代の支配層って、上層部は流動的だけど、全体としては固定的なんじゃないのか?

弥生時代の首長層→地方豪族(国造→郡司)→開発領主→荘官・地頭→国人→大名・上級武士or豪農

418 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 20:47:48.69
要するに中世の土豪も、大体は古代の何らかの氏族の系統であると。
まあ、一介の土民から這い上がったのは秀吉一門とその子飼いの加藤・福島くらいだろうな。

419 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 21:11:16.72
島津の惟宗をはじめ、織田も忌部、松平も賀茂とか在原とか言われてるしね。
源氏や平氏が詐称だとしても、たいていの武家は古代氏族の系統には属してるだろうね。

420 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 21:19:54.57
親氏は言われてもいないが?

421 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 02:53:41.89
徳川は系図をいじくり過ぎたせいでかえって氏素性がわからなくなってしまった

422 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 03:18:53.38
宇都宮氏も本当の出自は藤原じゃなくて古代豪族の毛野氏ではと

423 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 13:38:36.40
国人と言っても斯波や伊達みたいな鎌倉期からの大大名から土豪に毛が生えたのまで様々だろ?
蜂須賀が国人というのなら後者なんだろうね。

424 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 15:32:51.24
守護斯波氏の末裔が職能集団になるのか
斯波を仮冒してるんだろう?

425 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 18:16:51.51
>>423
その土豪も、たいていは古代の地方豪族などの氏族の流れをくんでて、
一介の地べたの土民から這い上がったような奴は皆無に近いけどな。

秀吉ファミリーはマジ奇跡。

426 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 18:49:03.02
>>425
日本全土の勢力持った者は全部氏族の流れ組んでるとか馬鹿なの?
在地で氏族じゃなきゃ地侍や土豪クラスにはなれたなかったという事なんだよな?
その根拠は?
地元で、現代のような&amp;#11093;&amp;#11093;商会みたいなのが財力を蓄え、室町期辺りに土豪化してるのは腐るほどあるだろうが、
全部氏族の近接庶流ってか?
馬鹿じゃねーの?
そんだけ氏族が半端ねーなら、源氏と平氏の直系はさぞかし半端ねー形でごろごろ武家にいるんだろうな?
古代氏族のリアル直系はさぞかし半端ねー武家にうじゃうじゃいるんだろうな?

秀吉一門も大層な藤原や清和源氏のまつえいのようでw
蜂須賀も源氏様だとさ、目薬やの黒田も宇田源氏佐々木氏族だそうだw
これがお前のいう土豪という単なる武装集団なら100発百中源氏やらそれこそ伝説の氏族毛野氏族という事なのか?

笑わせんなよていのう

427 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 18:54:38.41
そもそも土豪とはなんだよ
蜂須賀のような、河原しきってた職能工人系が大量武装化して
戦国時代という治安が完全に崩壊した北斗の拳のような世紀末の世界に武装化した武力のみで
地域を押さえてただけの集団も土豪というのかよ?

428 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 18:55:25.10
近代以前に土民から這い上がるのは無理だね。

429 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 19:01:44.37
戦国時代の下剋上系武士団なんて
雑賀や根来ではっきり分かるとおり、元は大半が職人層だろが。

そら猟師に鉄砲持たせて戦わせりゃつえーわ
山伏に傭兵やらせりゃそらつえーわ
秀吉一門みたいな失うものは
皆無の、ただひたすらハングリー精神と下剋上根性のみで一発成金目論む成り上がりは半端ねーだろ

これが江戸時代からの武士層の源だが?

430 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 19:08:49.38
>>425
氏族というよりは浮囚や蝦夷の末裔が圧倒的に多いのだろう
その蝦夷らが仮冒したというのが正解に近いはず

431 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 21:31:09.01
足利義嗣の子孫を名乗る鞍谷御所は本物だったのかね?
元々ただの斯波の分流の様な気がするんだが

432 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:34:35.64
>>401
尾張や斯波の事はよくわからないけど、遠州今川は寄子層まで落ちぶれてるのがかなりいるから、
戦国時代の遠州と駿河で職人や商人になってる今川貞世の子孫がいてもそう不思議じゃない。

433 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:57:13.82
職の体系って知ってる?

434 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 13:54:48.01
>>432
最上級の武家や公家でも主流から外れたら2−3代で庶民層まで落ちるからね

435 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 16:57:16.60
>>431
自分も気になってた。
鞍谷御所ってどうなんだろうね。もともと今立郡に斯波の分流がいたらしいからその流れっぽい気がする。
足利義嗣の流れとかも後付けじゃないかな。足利一族の名門の流れってだけであって。

あと斯波義俊と斯波政綿の関係も気になる。同時期に鞍谷にいた両者だけど共存できたの?それとも同一人物?
むしろ「斯波義俊」て人物は存在しなくて単に「斯波義敏」の書き間違いとか。どちらにせよ鞍谷斯波は不明な点が多すぎる。

436 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 18:54:22.83
>>432
商人は庶流レベルならうじゃうじゃいるだろうが、職人はあり得ないに等しい。
いても全国的にごく少数か、庶流といっても義経みたいな母親が遊女とかだろ。
現実的に見ても、職人という稼業がとても当時のリクルートとして条件がいいとは思えない。
逆に過酷だったはず。
他に選択肢はいくらでもあるはず。
オーソドックスで言えば坊主になること、
下層武士としてもあるが、徹底的服従を要求されるため、
プライド高い近接庶流なら、逆に豪農名主や商人、出家を選んだ可能性は疑い様はない。
何せ豪農名主や豪商の生き方は下層武士層の生き方より遥かに豪勢で不自由なく、武士より支配者らしい生き方も可能だからだ、
現実にいるしなうじゃうじゃ。
だが職人はない。いても全国的にごくごくごくわずかレベルの希レベル

437 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:04:51.88
>>436
庶流全てがその豪勢で不自由ない職業に就ける上に、
その職業に就いた人の庶流もその職業に就けるならいいんだけどね。

時代が下るけど伏見宮の子が鍛冶屋の養子になってるし、
守護の庶子が地頭になって、地頭の庶子が嫡子の寄子になって、寄子の庶子が商人や職人の縁者になって、
これってそんなにあり得ない事かな。

438 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:15:55.46
>>434
勿論その通りだが、解釈は少し違うと思うんですよ。
落ちぶれると庶民層階級になったというより、
確かに庶流に成る程、血統的価値は激減していく。
その自身の市場価値の存在を理解した上で、自身のそのなかでの最上の形をリクルートをしていった結果という事なんですよ。

中世の武家層は戦国以降と違い、ごくごく少数。
その中で血統的価値が下がれば必然的に生き方を模索していかなければならない。
だから、庶民に落ちたという側面のほかに、その生き方が可能な範囲での最も最上級の リクルートなんだということ

豪農名主になったら、落ちぶれた憐れさだけが目立つが、実際には当人が可能な範囲での最上級の生き方がそこにあったからその身分や階層を選んだんだろ。
だから当人は落ちぶれて悲壮感のなか甘んじた生き方というよりは、当人がその当時の自身の市場価値の中で
最も最上級の生き方を選んだ結果という事だろ

439 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:30:44.92
弥生時代の首長層→地方豪族(国造→郡司)→開発領主→荘官・地頭→国人→大名・上級武士or豪農

で、明治以降の名望家・地主層がこれに続く。明治以降、国会議員や官僚を出したのも、この階層。
近代まで支配者の系統は連綿として続いているんだな。

440 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:40:39.39
>>437
あり得ない事というよりは、仮にその庶流に、当時ですら血統的価値、もしくは市場価値が存在しないからそうなるんでしょ

〜〜の庶流なのに加治屋の養子、、ではなく、
そのレベルの価値しか当人の血統に価値が存在しえなかったからでしょ

そう当時評価されてたからそこに甘んじる他なかっらんでしょ。
他に大名や豪族レベルに甘んじられる価値が存在をしてたのに加治屋の擁ヨウシになったわけじゃないでしょ

本当に価値が血統として存在してたなら頼朝や三法師のように祭り上げられる。

もし大量に君のゆう例があるなら、そこに血統の因果関係など存在しない。
血統に価値を見いだされてないからそうなるんだろ当時ですら。

441 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:45:16.42
例えば俺が戦国武将になれば先祖は底辺農民だったはずなのに
歴史研究者がそれらしい氏族を見つけ出してその末裔ってことになるわけ。
係累を辿っていけばどっかで名のある氏族に当たるだろうから間違いではないんだけどね。

442 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:59:31.92
>>440
ごめん、あなたが何を主張したいのかよくわからない。
>>401がしかるべき氏族の子孫が賊になるのはザラかと疑問を呈しているから、自分が>>432で蜂須賀の主張する尾張の斯波は知らないが、
遠州今川はすぐに落ちぶれたから商人や職人になっていても不思議ではないと書いたら、>>436で職人はありえないとの反論があり、
>>437で誰もが望む地位に就けるわけではない(即ち職人になる事もありえる)と反論、
それを受けての>>440だと思うのだけど、あなたは何に対して反論しているの?
自分は血統の価値なんか興味はないし、ただ斯波がどうか、蜂須賀がどうかは別として足利庶流の守護の末裔が賊になる可能性はあったかもしれない、
少なくとも小作とは言わないが領主でない階層に戦国時代の時点で落ちていた例はあると主張してるだけなんだけど。

443 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:09:27.36
>>441
その通りだ
それこそ直系を二十代遡り、そのどれかの庶流まで遡れば、どんな水飲みだろうが、
それこそ秀吉ですら氏族にぶち当たる。
そらそうだ。傍流までいきゃ日本国民総源氏庶流で通るだろ

蜂須賀が仮に千歩譲って斯波の庶流の源氏だとしても
そこになんの価値も有益も存在してなかったから川賊なんだろ
しかし川賊でも小六に戦国時代の市場価値が
存在し出したから、そんな川賊が大名になった。

そこに、仮に斯波家庶流だったとしても、その斯波家庶流という言ったもの勝ちの価値は介在してないから川賊だったわけで、
それで成り上がれば、斯波家庶流出に関係なく大名になれる。

それこそ秀吉のように関白様々どころか第五の
賜姓までてに入れられる。秀吉に
出自は関係ないだろ?
その通り、秀吉のような最下層でも本人に千年に一人の才能あればここまでの偉業になれる

少なくとも駿河守護の今川が徳島藩主になったわけじゃなく
川賊のがなったというものに斯波の血筋なんて一切関係ないだろ。
小六の功績のみが評価されての徳島藩主ということなんだから

444 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:33:40.22
>>442
いやだから庶流傍流までいきゃどんな階層でも庶流程度はいるんだから、
その尺度での成り下がりは、血統的因果関係とは一切関係ないという話なんだが?

血統に価値を見いだすなら、そこに比例した財力や権威がなければならないわけ。
先祖を遡ると〜〜庶流のxとyがいたとする。
xは財力もあり親は代々見解議員で一流大卒
yは無宿無頼

分かる?
yまで落ちぶれていたのがいてもおかしくないが、そこにはもう〜〜庶流との因果関係など一切存在しないから無宿無頼なわけで、
君の言う落ちぶれてこうなったと言う概念は違うと言うこと

因果関係など存在しないからどこまで落ちぶれたんだから、
そうなってるものもいるだろうという概念があり得ないよ言うことなんですよ

445 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:45:03.53
小難しい議論ぶった切って横レスするけど、
蜂須賀も土豪のはしくれである以上、土民あがりってことはまずない。
斯波の庶流とか有名氏族の直系なんてことはありえないけど、
新撰姓氏録に出てるような有象無象の中小豪族のはしくれの子孫だろう。
関東の武士だって、そういう地方豪族が源平を詐称、仮冒してるわけで、
蜂須賀レベルの土豪も、古代の郡司くらいの子孫だろう。

上記の弥生の首長→郡司→開発領主・・・って流れだろうな。

446 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:52:52.57
>>445
だからそれは君の願望だろ?

なら蜂須賀なんぞ敵じゃない秀吉は土豪の端くれじゃないのか?
木下、杉原、小出、浅野などもみんな土豪の端くれか?

蜂須賀は土豪だったんだろう的な話は、まさに江戸武士どもの成り上がり史観だよ

なぜ蜂須賀だけ土豪だろうというはなぢになるのか、
そんなんだから江戸武士どもは必死に家系図捏造に躍起だったんだろうがw

447 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:58:34.63
目薬やの黒田が、大名になった後、佐々木神社への寄進はすさまじかったなあw

黒田は土豪じゃないのか?w
宇田源氏気取ってる黒田は蜂須賀となにがちがーんだ?w

448 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:12:56.90
弥生時代の首長層
 ↓
古墳時代の地方豪族
 ↓
奈良時代の郡司
 ↓
平安時代の大名田と・開発領主
 ↓
平安後期・鎌倉時代の荘官・地頭
 ↓
室町時代の国人・地侍層
 ↓
兵農分離で大名・上級武士になる者と名主・庄屋層になる者
 ↓
前者は華族・士族、後者は明治の名望家・地主層

449 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:14:02.40
因みに蜂須賀は、本来の意味での土豪ではないでしょ
土豪は職能的成分は構成を成す比率として限りなく少ない。
だが川並衆の構成する成分は明らかに九割が職能集団的性質

蜂須賀はその職能団体が勝手に戦国時代に乗じて大量武装化した武装集団
これは中世以前の土豪ではいっさいない

腕っぷしの強い職人たちが川の利権を奪い、その資金力で武装化した武装集団

どこが土豪なのよ、、

450 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:35:25.35
>>446
小出で思い出したが、秀吉の伯母の旦那(大政所の妹の旦那)小出秀政は、
確か秀吉より2つか3つ年下なんだよな。

どんだけ熟女好きだったんだよ。

451 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:41:58.41
因みに土豪とは、職人団体が公共物(川や海)などを不法にどくせんした武装化した集団ではなく、
簡単に言えば、土地に寄生した大地主が私的な不動産から上がる利権でヒカンなどしながら武装化していった一門で、
血族関係のない一団が武装化してるのではなく、一門衆での団結的武装でしょ

452 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:45:32.46
何を取っても蜂須賀が中世的土豪という成分は皆無に等しいんだが?

453 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:54:48.61
>>448
その通りや。真髄や
上級武士クラスが名主庄屋豪農層

我らこそが真の日本の良民階層

454 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:54:50.14
>>444
いやだから血統的因果関係とかどうでもいいんだが。
微妙な階層の人間でも先祖は実は名家だった、
この場合は戦国初期?の時点で室町初期の足利庶流探題の子孫が微妙な階層にもいたってケースはあったよってだけの話。

足利庶流故にそういう階層でも指導的な地位に立てたとかそういう話は自分は一切していない。

455 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 19:34:09.70
頼むから御連枝関係について語ってくれ

456 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 09:13:53.47
清盛に比べて頼朝って兄弟親族に冷淡すぎるな。
そのくせ平賀みたいな他人同然のやつは厚遇してるし、
何考えてたんだろうな。

457 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 09:51:06.19
>>456
一門一族以外からの広い御家人の支持がポリティカルソースだから、何の不思議もないだろ?
頑張れば出世できる源氏、頑張っても門が閉ざされている平家という構図なら大成功。のだから。

458 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 11:01:58.18
>>456
自分の地位をおびやかされないように、したんだよ
頼朝の鎌倉殿の地位は、実力で勝ちとったもの 単純な世襲ではない

平賀を重用したのは、甲斐源氏武田や信濃源氏木曽への牽制だろう

459 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 11:17:57.72
>>458
実力というか、巧く担がれてやったことで取った天下。
実力がないから家臣の均衡統制が必要だから平時は粛正が必要になる、

仁義なき戦い、みたいなもん。

460 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 11:52:43.97
でも、範頼、全成、義経と弟が3人もいたのに、
全部家臣扱いで御門葉の待遇も与えなかったのはなあ。

秀吉だって秀長を重用してたのに。

461 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 14:33:44.02
>>458
平賀vs加賀美は足利vs新田と同じ構図

平氏政権時、新田義重が足利荘領主職を獲得していた時期は新田義重が足利義兼を庇護していた。
また、新田義重が加賀美遠光の烏帽子親であり、平賀盛義の子・義澄と平賀盛義の弟・実光の子・義隆が新田義重の義子となっていた。
鎌倉開幕後、平賀氏・足利氏が北条氏と結託して勢力を伸張するなかで、新田氏と加賀美氏は没落していった。

462 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 05:19:21.52
鎌倉将軍家って、連枝を作る気がなかったのかな?
御門葉って、実質、他人同然の連中ばっかりだしな。

範頼や全成くらい将軍実弟として処遇してやれよ。

463 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 12:29:37.98
>>462
弟どころか頼朝、ヨリ家の子でさえ殺したり寺に入れているのだから連枝なんか作る気ゼロだろ

464 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 16:59:53.34
>頼朝、ヨリ家の子
それ、だいたい北条の仕業

465 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 19:07:44.40
頼朝は自分の戦力持ってなかったからな。
神輿は一つあれば十分。

466 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 21:51:27.03
頼朝の弟排除は家康みたいに自分の子孫のみを将軍とするつもりだったんだろ
そりゃあ義経なんかは邪魔で仕方ないわな
結局さっさと北条に阻まれ取って代わられたけど

467 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 01:29:46.06
政子の嫉妬が癌だな。側室抱えて子作りに励めなかったからな。
あと、短命だったと言うのもある。糖尿病で水を大量に飲みながら死んだと言う説もあるな。

468 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 12:44:59.74
こちらへどうぞ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1351337985/

469 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 14:00:35.02
462
連肢って考え方自体が江戸以降くさいけど

470 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 14:37:46.56
>>460
範頼は『吾妻鏡』文治5年(1189年)7月19日条(頼朝軍が奥州へ発向した記事)で
平賀義信、安田義定の次に名前があるから、門葉ナンバー3と考えてもいいのでは?

471 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 14:49:55.21
朝鮮通信使は、供応の宴に出された蒔絵の塗り膳や床の間の陶磁器から
夜具まで盗んでいったため、見かねた新井白石は通信使の接遇を簡素化し、
宴にいい器を出すのを禁じたという

472 :日本@名無史さん:2014/03/21(金) 18:44:02.07
久留米藩主の有馬氏って、本当に赤松氏の一門なの?

473 :日本@名無史さん:2014/03/21(金) 21:37:35.88
>>472 摂津有馬氏の始祖は赤松円心の孫だぞ

474 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 08:08:18.12
応仁以降、織豊期までの系譜がちょっと怪しい気がする。
江戸中期に有馬家に養子を出した旗本石野家ってのも、本当に赤松一門なのかな?

475 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 17:55:10.96
おみさの方ってどこの松平の出身?

476 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:25:07.93
>>475
家茂の生母実成院のことなら、桜井松平家血統の久松松平家。
浜松藩主松平忠頼の三男で、松平定勝の養子となった松平忠勝が
駿府城にいた頃の徳川頼宣に引き取られて創始した家で、
後に紀州藩の寄合組高家之列となった。


4代目の忠英(六郎右衛門)は紀州藩大番頭、1000石に昇進。

477 :475:2014/03/25(火) 20:41:16.98
わざわざありがとうございます。

478 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 14:24:55.49
徳川将軍家は、家綱・綱吉の頃は生母の実家を大名に取り立てていたのに、
吉宗以降は旗本に取り立てるか、はじめから旗本の娘や養女を側室にするかで、
かつてのように外戚を大名にしなくなったな。
家茂の生母の兄も紀州藩士から旗本に取り立てられただけ。

479 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 18:59:44.84
ない袖はふれないというのと生母の地位が大幅に下落したからな。

480 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:34:08.21
家宣や家継の生母の実家も、大名に取り立てられなかったな。
やはり、家綱、綱吉のときがバブルだったのか。

家光が江の実家の浅井家を再興してやらなかったのは、
やっぱり親子の確執があったからなんだろうな。
浅井一門が族滅して、後継者にふさわしい人材が枯渇してたからかもしれんが。

481 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:49:32.59
>>480
再興可能な人材が居たら恐妻家の秀忠が浅井を再興してたんじゃないか。
織田家は少大名として存続してたわけだし。

482 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 14:33:49.68
そういう意味では逆に増山・本庄氏ってのは
そのなり上がり度ってのが当時でも半端なかったのだろうと

483 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 17:10:13.69
浅井の再興?
忠長に継がせるしか無いんじゃね?

もっとも当の本人は御三家待遇の徳川を捨てて浅井なんて没落大名の名跡なんか継ぐのはまっぴらだろうけど

484 :日本@名無史さん:2014/04/15(火) 18:09:07.58
秀忠生母の西郷家も
不行状で改易だっけ

幕府は将軍の母の生家だからって特別考慮しない

485 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 20:48:10.80
鳥取の池田と岡山の池田は仲は良かったんすか?

486 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 00:20:23.11
>>485
仲いいわけが無いだろw
鳥取は宗家に対して対抗心ありすぎw

ところで鳥取は断絶確定したけど岡山はどうなるんだろね?

487 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 00:56:23.67
岡山池田は元皇族の方がいるけど、養子継承なければそのまま断絶。
徳川慶喜家・蜂須賀家断絶確定。
京都の上冷泉家も断絶寸前(どうするのか不明)

488 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 08:30:13.17
岡山ー宗家↔︎鳥取ー嫡家
福井ー宗家↔︎津山ー嫡家
仙台ー宗家↔︎宇和島ー嫡家

489 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 09:36:28.49
秀頼に浅井の名籍を継いでもらい、当時残っていた長浜城にでも移ってもらえば、大阪の陣を防げたかもな。

490 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 13:15:14.52
>>489
淀の江戸移住、秀頼の大阪城退去を鼻にもかけなかったんだから浅井継いで近江に転封なんて受けるわけ無いだろw

491 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 13:34:00.41
慶喜家は家としての跡取りはいないのかもだが
きちんと当代の子供は居るかと

492 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 18:37:39.42
秀頼の息子を処刑せずに、徳川家で江のもとで徹底して洗脳教育して、
浅井の名跡を継がせて、高家にでもしておけばよかった。

493 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 18:45:03.50
家の格から言って
豊臣>浅井
なんだけどな

494 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 18:48:00.39
浅井て元は近江の小国人だろ
なぜか名門扱いされがちだけど

495 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 16:47:58.66
自分の知り合いの水戸系の松平さんは男子が複数いたんだけど、
全員離婚して母方の名字になっちゃってる。どうするんだろ。

496 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 06:45:39.34
いまの時代に「徳川」とか「松平」なんて名字を一般人が実生活で名乗るのは、
恥ずかしいし、勇気がいるからな。

497 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 08:31:39.61
徳川宗家と慶喜家は今も徳川

498 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 17:33:08.70
>>495
守山松平家で元奥方は千家家のかたですか?

499 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 18:56:44.30
>>498
どこかは言わないが幕末の時点で藩士になってた家系。

500 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 23:43:56.08
長倉松平氏かな

501 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 08:51:17.32
>>496
プレッシャー半端無いだろうね
家名の重荷に耐え切れず
落ちこぼれになる奴って一定数いると思う

502 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 10:42:48.97
寿美花代は旧姓松平のようだが?

503 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 22:13:21.09
ちょっと前のミス東大の徳川さんは関係あんのかね

504 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 22:35:13.27
>>503
確か、尾張の分家

505 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 03:20:00.67
>>504
http://b.wondernotes.jp/misstodai2012-tokugawa/2012/08/16/
ググればすぐに解るのになんでそんな大嘘つくんですか?

506 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 12:11:00.87
いまの時代に徳川とか松平なんて名乗るのは相当恥ずかしいよな。
徳田とか徳永とか松田とか平松に改姓したい人も多いんじゃないか?

507 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 12:13:19.52
いまの時代に日本人で日本人の苗字なんて名乗るのは相当恥ずかしいよな。

508 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 16:09:32.61
確かに。なんか韓流スターみたいな名前超カッコいいよね

世界的には絶対通用する
日本人だけど本当に日本の苗字ダッサイワ
すごく恥ずかしい
外国人からは絶対ぱかにされるわ

509 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 19:24:53.76
>>497
将軍コーヒーの人の子どもが母方の姓名乗って、家名を継ぐ者がいなくなったのは、
なんだかんだで、この名字が現代社会を生きていく上で負担になるからなんだろうな。
イヤでも悪目立ちするし。

510 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 01:25:39.92
単なる離婚では?

511 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 09:35:18.61
徳川慶○とか徳川家○なんて名前、さすがに恥ずかしいわ。

512 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 09:42:02.07
変なキラキラネームよりはよっぽどいいのでは?

513 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 11:55:13.59
織田信●なんて名前、さすがに恥ずかしいわ。

514 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 13:12:15.53
某スケート選手のアンチか

515 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 15:18:08.51
前田とか浅野とか池田みたいな平凡な苗字で、
下の名前も普通の今風の名前なら全然恥ずかしくないけど、
徳川家○だの織田信○は、さすがに気恥ずかしいよな。

516 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 15:48:17.81
確かに。
太郎とか一郎の方がお坊ちゃんに最近は聞こえるよな
麻生太郎とか

517 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 15:55:49.27
仏教由来の話くせえな

518 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 16:16:43.20
なにいってんだこの馬鹿

519 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 16:21:08.29
何怒ってるの?

520 :日本@名無史さん:2014/05/08(木) 14:27:06.11
徳川なんとかって人、化粧品の通販の番組にでてたな。消費者で。

521 :日本@名無史さん:2014/05/08(木) 19:20:23.14
その通販のCMみたいなのは見たことがあるが、
一般消費者といいつつ、実は役者なんじゃないかな。
だから偽名というか、CM上での仮名の可能性はある。

522 :日本@名無史さん:2014/05/09(金) 02:59:05.51
徳川で思い出したけど。
創氏改名で「徳川」を姓にした朝鮮人が居る。幾ら何でも凄い姓を選んだなと思ったら、現在の北朝鮮に徳川市という所があって、そこ出身の人なんだな。

523 :日本@名無史さん:2014/05/13(火) 20:09:27.31
>>522
そういえば漫画家?の根本敬が
「実家の隣の家が徳川っていう苗字なんですけれど、実は北朝鮮出身の在日なんですよ」
って雑誌に書いていたな。

524 :日本@名無史さん:2014/05/15(木) 06:49:20.58
徳川将軍のせいで正真正銘の「新田流得川家(徳川家)」の子孫の肩身はきっと狭いだろうな・・・

525 :日本@名無史さん:2014/05/15(木) 07:47:47.24
岩松氏に吸収されたから問題なし

526 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 08:55:53.89
肥前佐賀には徳川将軍家とは無関係の徳川氏がいたらしい。
江戸時代、どんな気持ちだったんだろう。

527 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 09:00:45.72
もともとの引用は新田源氏の得川氏だからね
藤原一門でも徳川を名乗ったのいなかったっけ?
源氏朝臣にする前は藤原朝臣の徳川氏だったはずだ

528 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 09:03:34.81
524
得川姓自体は二代くらいで絶えてるけどな

529 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 09:05:44.96
その前が加茂朝臣だっけ?

530 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 13:55:05.87
本当に捏造家系だよな成り上がりわ

531 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 17:18:39.10
もし、尾張の徳川茂徳とか紀伊の徳川茂承が家茂のあとを継いでいれば、
連枝の松平が御三家経由で将軍位についてた可能性もあった。

532 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 18:02:32.13
>>531
でも孝明天皇の将軍宣下がなければ無理っしょ。

533 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 06:11:15.67
史実の慶喜は、まず宗家だけ継いでるから、将軍宣下は絶対必要というわけではない。

534 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 12:38:24.48
>>533
徳川慶喜は天皇から将軍宣下受けてるんだが

535 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 16:19:45.14
どの将軍もまずは家督継いでから将軍宣下だよ。室町も一緒。

536 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 16:21:47.62
どうでもいいっす

537 :日本@名無史さん:2014/05/24(土) 19:54:45.15
尾張や紀伊の連枝は小大名なのに、水戸だけ高松藩みたいなそこそこの中堅大名なのはなぜ?
しかも、高松以外にも小規模な連枝が3つくらいあるし。

538 :日本@名無史さん:2014/05/24(土) 20:42:44.46
高松藩祖だけ御三家当主の兄だから。しかも同母兄。
尾張も光友の庶子は全員別家しているし、紀伊も頼宣と光貞の庶子は別家している。

539 :日本@名無史さん:2014/05/24(土) 21:46:04.07
光友の庶子が別家できたのは千代姫の猶子だったからだし、光貞の庶子はの場合は、世子綱教の正室が鶴姫でその義弟を取り立てたからだろう。
将軍家から妻を貰うと大変だが、メリットもあった。

540 :日本@名無史さん:2014/05/24(土) 23:35:39.85
紀州ー水戸の関係とか紀州ー吉井の関係とか不雑だな

541 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 14:28:04.86
吉井って本当は家光の義弟の家柄なのに、気がついたら紀州の事実上の分家になってたって感じだな。

542 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 19:21:19.85
紀州光貞の義弟だろ

543 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 19:22:52.10
家光は正室鷹司氏を否定してたからな

544 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 20:18:31.30
王政復古で天皇中心の世になったのに、なぜ吉井松平は鷹司に復姓しなかったんだろう?

545 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 20:54:32.29
もはや鷹司の本流ではないからな

546 :日本@名無史さん:2014/05/30(金) 19:05:50.52
しかも、紀伊徳川からの養子が多く、鷹司系と紀州系でたすき状の相続だった上、
明治維新の頃は上杉から養子だったから、もはや鷹司の片鱗はどこにもなかったな。
それでも、あえて鷹司に復姓するくらいの厚顔さを見せてほしかった。

547 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 03:14:00.84
>>546
その上杉からの養子は女系で鷹司家の血を引いているお

548 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:29:27.26
やはり、鷹司の血統へのこだわりはあったのか。

549 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 20:58:28.71
鷹司家そのものが血統が途絶えてるというか、
当主不在の時期があったじゃないか。
幕末なんか、皇統だし。

550 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 00:11:46.44
近衛とかの皇別摂家の方が藤原摂家より上な印象あるけど間違い?

551 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 00:28:42.94
間違い

552 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 19:10:51.93
初代が鷹司出でしかも家光肝いりな感じの武家な訳だから

553 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 19:12:58.88
@途中スマソ

後に面倒を見た紀州家が気を利かせて(血をなるべく薄くならぬよう)
配慮した?ともとれるし、単に分家扱いが故という感じ??と

554 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:51:48.64
足利将軍家の一門ってイマイチだな。
鎌倉公方は仮想敵国みたいだし、持氏滅亡後は分裂・抗争でgdgdだし、
吉良・石橋・渋川の「御一家」はショボすぎる上、何やってたのかよくわからんし、
歴代将軍の近親者は、将軍に反旗ひるがえすヤツが多いし。

555 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:59:13.69
本家がイマイチだからな
足利家の身内で将軍位争いばっかり

556 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:27:31.25
南北朝の後半あたりから
同じ足利一族内で主導権争い
広い意味での兄弟喧嘩ばっかりしてる印象。

557 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 00:41:41.71
戦国時代ですらそれなりの勢力築いた今川があのザマだからな

558 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 20:13:17.86
今川勢をスルーすればよかった戦で、敵の総大将の首を取った信長が非常識なだけだろ。
最終決戦でもなんでもない、あんな戦で敵の総大将の首を取ったりしないだろ。
あれは信長のスタンドプレーだ。

559 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 22:46:47.33
戦国時代の合戦って、いつも敵の大将の首を取ってるわけじゃないからなあ。
もともと織田と今川って親父の信秀の代から小競り合いを繰り返してたわけで、
今に始まった戦というわけでもないのに、義元の首を取るなんて突飛すぎるというか、
売り出し中の若い893のスタンドプレー以外の何物でもないな。

560 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:32:03.32
足利将軍家よりも、頼朝の一族の方がヤバかと。
弟追放頼朝、息子殺し政子、おじ殺し公暁、連枝も分家もあったものではない。

561 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 09:24:44.81
>>560
源氏なんて頼朝以前から血族殺し合いをいつもやってるじゃん
戦国大名もたいがいのことやってるし家康だって妻殺し息子殺しだし

562 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 09:38:11.78
奪い合うものが存在するからそうなるだけだよな

563 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 09:42:25.41
北条は得宗を中心によくまとまっていたな

564 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 10:42:17.24
>>563
まとまっていたというか仲良く一門滅んだな

565 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 11:02:04.32
>>564
北条が平氏かどうかは分からんが
平氏は宗家も割と結束が固く一門仲良く滅んでる

源氏はあれだな、どうもまとまり悪い
一門皆一緒に滅ぶということがない

566 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 11:48:47.04
>>565
平頼盛

567 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:00:17.16
>>566
頼盛はもともと平氏宗家から外れていた上に
自身が率先して平家追討軍に加わったわけではない
平家が滅亡するとその直後に頼盛は出家隠居をしており
平氏宗家を完全に裏切っていたわけでもないだろう

源氏は自分で自分の同族を攻めているから訳が悪い

568 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:02:37.99
平頼盛の子孫っているの?
もし、いるのなら、いわゆる平家は滅亡したわけじゃないよね。

569 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 21:52:50.26
池大納言家は断絶するが、池大納言家領は源氏長者久我家に伝領
血脈は武士の池河内守家が室町時代まで存続

570 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 23:16:12.24
>>566
頼盛は平家都落ちの時、宗盛から声かけてもらえず、取り残されてたしな。

571 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 16:23:55.84
東国における平氏同士の生存競争から脱落した筈の平氏の一流が、伊勢を拠点としてさらに都で想像以上立身を遂げ、それを妬んだ坂東に残っていた平氏によって滅ぼされた・・・ってのが源平合戦のイメージ。

572 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 16:29:17.97
平氏ってのは東海勢力だろ
どっちにしろ海人系が元だわ
清盛も西国において水軍衆と手を組んでるしな

573 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 16:33:17.27
伊勢に拠点を持ち関東南部にも勢力を持ってたのがそれを表しているわ

574 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 09:12:47.97
毛利元就が倅を送り込んだ吉川や小早川も、毛利の連枝と言うのかな?

575 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 09:56:14.05
>>574
阿川、大野、右田、厚狭、吉敷

576 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 05:29:06.58
>>573
清盛の出生地が今の三重県の多気郡多気町となっている。何故?

577 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 17:30:11.03
幕府の役職には就かないのが信条の御一家のはずなのに、
執事、しかも関東公方の執事に就任した渋川義鏡はなんなんだろう。
やっぱり「御一家」なんてもんはそれほど特別なものでは無いんじゃ・・・

578 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 18:41:52.40
いや九州探題とかなってるでしょ、渋川氏は。

579 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 18:49:05.83
吉良も幕府の評定衆でしょ

石橋も評定衆とかやってたが早期に家系が絶えた

580 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 19:26:07.17
渋川探題も御一家に列してるって事でいいの?

581 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 19:56:18.31
御一家は、名門意識が強く、宗家に対抗心を燃やす関東公方と斯波を将軍の後継候補から排除するために作っただけだろ?

582 :日本@名無史さん:2014/08/05(火) 00:13:03.31
渋川って渋川市と義詮正室の出身ということしか思い浮かばない

583 :日本@名無史さん:2014/08/05(火) 00:41:41.76
>>568
確か後堀河天皇の母親陳子の母親は頼盛の娘だったはず
陳子には同腹の兄弟がいるのか知らないけど

584 :日本@名無史さん:2014/08/05(火) 01:14:18.72
九州探題の渋川家は戦国期まで綾部やら姪浜で地味に残っているよ。

585 :日本@名無史さん:2014/08/07(木) 14:06:46.84
喜連川家の家臣にも渋川なんたらっているけど、関係者?

586 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:44:38.51
石橋氏の本流は南北朝のドサクサで没落したように言われてるけど、
室町中期でも京都に石橋なんちゃらというのがいたり、
戦国時代には尾張で斯波や吉良とアンチ信長の工作やってるんだよな。

細々と続いてたんだな。

587 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:17:08.52
>>585
関東公方御一家の蕨渋川氏の系列なんかね
似たように足利一門の名字を称する臣下は鞆公方や阿波公方の
元にもひっそりと居たらしいし。

588 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:29:01.05
忠輝が勘当されてなかったら御三家と同格にはなってたかな?
その場合、水戸はどうなってたかな。

589 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:47:10.30
他家継いだ越前と同じ扱いだろう
石高がたとえ多くても格式は御三家の足元にも及ばない

590 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:47:50.42
なんでそうなるの??

591 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 23:04:12.08
徳川家の人間ではなくて長沢松平家の人間だから。
御三家は徳川姓のままで臣下に落ちていない。

592 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 23:43:24.14
御三家が御四家とか御五家とかになるだけじゃないの

593 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 07:17:28.47
越前は扱いが大身外様並だよな

594 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 10:32:02.53
水戸は結果的に御三家なれただけだし

595 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 13:29:32.88
>>592
そしたら、昭和のアイドルも御三家ならぬ、御四家、御五家になってたかね。

596 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 21:29:12.07
家綱時代には御三家に御両典
家重時代以降には御三家に御三卿
があったしな

597 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 21:45:56.97
御両典のほうが家格低いのに御三家に優先して将軍継承したしね

598 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 21:55:02.78
そら、家格より、将軍との親疎の差でしょうに。

599 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 22:02:07.83
御三家と御三卿もおなじこと。
家茂が継承できたのも、家斉の孫だったから。

600 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 22:10:58.09
>>599
そんなに単純だったら、一橋派が形成されるわけないじゃん

601 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 22:12:54.27
吉宗以降は
御三卿>御三家

602 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 23:37:05.27
>>601
いや一橋慶喜が紀州家茂に負けているんだが?w

603 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 20:30:14.50
>>602
自分のレスを読み返してみなよ

604 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 22:33:56.07
家斉以降は家斉の血筋がスタンダード

605 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 21:44:05.08
吉宗以降は吉宗の血筋がスタンダード

606 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 01:06:56.50
家康以降は家康の血筋がスタンダード

607 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 07:44:15.64
平成以降はフィリピンの血筋がスタンダード?

608 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 12:47:58.96
ヴェトナムと書かない間抜け

609 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:04:39.34
徳川宗家って、現当主で実質滅亡みたいなもんでしょ。
尾張の人に比べて、現当主の息子って歴史や伝統に愛着や関心なさそうだし。
HP見比べたら、尾張の人は尾張家の当主って自覚が伝わってくるけど、
宗家の息子のは徳川色というか徳川臭が全然しない。

衣冠で東照宮に参拝するのも、現当主で終わりだな。

610 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:13:42.73
尾張家は男系だと鍋島さんだし
紀伊は女性当主
宗家が断絶しそうなら水戸が正統で良いな。

611 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:25:22.40
大名家としての紀伊家は、先代で実質的に断絶している。
いまは日系人のナントカ剛さんの娘が独身で建築家か何かやってるらしいけど、
宗家や尾張や水戸みたいに財団も資産管理会社もなく、事実上終わってる。
ただ子孫が残ってるというだけ。それも現当主で終わりだろうけど。

612 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:26:05.61
公爵慶喜家

613 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:28:54.52
将軍コーヒーの人の子どもは離婚した奥さんのほうの姓を名乗ってるらしいから、
慶喜家も断絶確定。

614 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:30:11.70
日本最大の名家も遂にか

615 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:32:57.70
本当なら江戸城総攻撃で滅亡していてもおかしくなかったんだから、
よくここまで続いたとも言える。
まあ、公爵ですらなくなった第二次大戦後は蛇足みたいなもんだが。

616 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:49:50.44
昔の常識なら、慶朝氏の家が耐えれば、慶喜家別家が後を継ぐんだろう。(靖国神社宮司の徳川康久氏の家。)
紀伊家も西条松平とか、紀伊系の血筋の田安家とかが候補になるんだろう。
この時代には考えにくいから、断絶しやすい時代になってしまったね。

617 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:53:26.98
名門だの閨閥だのも 普通の会社とそんなには変わらんな〜
潰れる時は潰れる

618 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 23:40:44.26
>>609
当主次女は財団の学芸員やってて、展示物の解説とか書いたりしてるんだけどな。
世の中うまく行かんなw

619 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 00:14:44.42
徳川を名乗っている家が大杉。
慶喜家とかも必要ないだろ。
当主以外は松平名乗れよ。

620 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 08:45:09.50
慶喜家は、公爵いただいてるからな。

621 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 09:09:35.06
せいぜい400年ぐらいの徳川なんてどーでもいいだろ

622 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 11:46:27.27
何度となく断絶して復活してきた藤原系がいたな
ありゃいつになったら滅ぶんだ

623 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 11:58:34.07
>>616
西条松平も娘しかいないようです
あの本のあと婿養子を迎えた可能性も否定できないが

624 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 12:05:59.68
>>618
美人スッチーだった母上の寺島嬢にこれっぽっちも似ず曽祖母の野ブタに似た稀にみるドブスだと聞いたが本当か?

625 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 12:39:36.19
伏見家こそ存続させよ

626 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 12:43:11.05
560年ほど前に亡くなったご先祖様までさかのぼらなきゃつながらない
家は、親族というよりも赤の他人に近いな。

627 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:14:08.15
70年前は皇族だったんだぞ
今上天皇の母方は伏見家の系統だぞ

628 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 14:46:35.59
もう共和でよか

629 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 23:00:41.64
>>627
> 今上天皇の母方は伏見家の系統だぞ
傍系の傍系だけどね。失礼ながら、初代が朝敵だったのを皮切りに、歴代が
皆問題児ぞろいという札付きの家だ。
宮中某重大事件でも、皇后に言上書を渡して自分の主張を言い立てただけ
でなく、第三者にまで見せた挙句、民間人を使って怪文書をばらまかせたり
しているし。しかも、後でそいつらに金を要求されて泣きついた先が皇室なん
だから、呆れるほかない。
おまけに、「婚約破棄は人倫にもとる」と主張していたのに、自分の息子が
一方的な婚約破棄を言い出した時にはそのまま聞いてやる親ばかぶり。
他にも臣籍降下した息子の爵位に特例を求めるなど、「不良皇族」の典型
だから。

630 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 08:15:42.44
天オタの長文はいらないから。

631 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:03:29.52
伝統ある世襲親王家ほど時の天皇からは血統が離れていき
皇位継承順位も下がるという当然であり不思議でもある話。

632 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 15:02:31.79
江戸時代に、伏見宮家じゃ血統が離れすぎると言うことで、閑院宮家、有栖川三宅を立てたのに、こちらは断絶してしまったからな。

633 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 20:00:53.28
伏見宮家自体が、もう数百年も世襲親王家として続いた名門なんだから、
天皇本家が断絶したら伏見宮の系統に移行してもかまわないけどな。
どっちも持明院統=北朝の皇族家系であることに変わりないんだし。

これ以上はスレ違いだから、ここでやめておくけど。

634 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 20:17:55.90
別にスレ違いじゃあないだろ

635 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 08:34:52.42
>>629
それでも粉屋の娘よりは遥かにましだが

636 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 09:47:36.80
この際だからその辺をさまよってる日本猿さまにでも皇位についていただいてはどうでしょうかあ

637 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 18:54:12.16
もうAKBみたいに総選挙で毎年センター変えればいいよ。

638 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 20:16:43.61
兄の国韓国から迎えるがよろし

639 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 12:33:30.47
今の韓国と三韓時代の朝鮮とでは 全てが違いすぎだよ
アジアの元首は中国の総督にしろって論理やん

640 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 08:37:37.75
なぜ家光は浅井家を再興させなかったのだろう?
忠長を改易したとき、浅井姓を与えて高家か小大名にするとか、
京極家から養子を入れるとか、やり方はあったろうに。

641 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:45:49.41
そんな必要性がなかったからじゃん?
秀忠、江が生きてる間はそんなことできないだろうし、
死んだ後は、ねえ?

642 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:11:16.17
>>640
家光自身は外祖父の浅井長政に中納言を贈ったくらいで良いと思ったからでは?
家光の妹東福門院は母江の位牌を養源院に納める際に
皇室・徳川・豊臣の紋を入れさせており江の実家は豊臣家であるという認識も強かったらしい
(江は豊臣秀吉の養女として徳川に嫁いだ)
江自身、浅井家滅亡の年に生まれていて父祖父のことは記憶になかっただろうし
浅井家ゆかりの人々の庇護に勤めていた2人の姉(淀殿・初)らに比べると
浅井家への愛着は低かったかもしれないね

643 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 13:19:25.79
家光は、忠長推しの母親との関係がよくなかったろ
秀忠の息子ではなく、家康の孫であることを誇っていたくらいだ

644 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:50:11.72
浅井再興より斉藤氏が大名になれなかったのが不思議。

645 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:21:40.69
なんで?

646 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:57:14.53
春日局の生家だから。
稲葉や堀田は大名になったのに兄は旗本どまりというのは不思議。

647 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 23:07:49.55
斉藤道三の斉藤家と春日局の斉藤家って、何か関係あるの?

648 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 00:02:30.31
今もそうだが、大抵は

夫•子供>>>>>>兄弟
じゃないの?

649 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 05:59:36.07
>>643
江自身が忠長に浅井を継がせようとしてないから意味ないだろ

江が忠長押しというのもどの程度か分からん
取りあえず家光跡取りの決定に納得して
家光の正室まで用意してるし

650 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 06:15:43.33
忠長推しって、徳川の後継者としてでしょ?

浅井を継がせるより、徳川のまんまが良いに決まってんじゃん。

651 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:18:38.57
>>650
諏訪勝頼の例もあるし、浅井を継いでいたら徳川を継げないということはない
家康の息子たちだって他家に養子に行ったのにいつのまにか松平に戻ってる奴多い
(豊臣秀次も三好家の養子だったのに秀吉の養子になって関白についている)
浅井家復興の希望があるのならばとりあえず継がしておくだろ
家光が失脚なり子なしなりで系統が続かなければそれから戻してもいい

652 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:30:22.18
部屋住みならいざ知らず駿府もらってんだよ?
なら、徳川の方が格上だよね?
浅井は旧家じゃないしね。
そして、後継については徳川は秀康の前例があるから厳しいんじゃないの?

653 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:35:37.77
そもそもなんで家光が浅井を復興させなきゃならんのか。
まったくメリットがないだろうに。

654 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 09:37:14.41
結城も東條も武田も長澤も遺臣を吸収することが出来たが、滅亡して久しい家系を再興する合理的な理由はないな。

そういえば、駿府の前に甲斐貰ったんだっけ?

春日局の実家は寛永6年に召し出されて常陸真壁郡内5000石の旗本寄合で再興した

655 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 11:30:44.97
>>652
秀康だって結城のまま越前65万石を貰っている
どう考えても養父の結城家よりも格上だろ

その結城だって2代目からは松平に苗字を戻し親藩扱い
忠長だって家康から跡取りを否定された以上
将軍を継ぐことはなくなったのだし叔父たちの御三家もある
駿府から常に将軍を狙ってたわけじゃない

656 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 12:24:16.36
バカがしつこく食いさがるスレですか?

657 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:01:50.88
>>647
同族だよ。
春日局の曽祖父と道三の義理の曽祖父が兄弟で、共通の高祖父は美濃守護代。
明智はご存じ美濃守護の庶流。

658 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 15:41:47.15
足利義氏を抱えているのが水銀燈演じる亀鶴御前(家女房)です。
足利義氏の義理の兄妹にして側室という設定でした。
彼女の子供たちが吉良氏や今川氏などの後の世で高家(こうけ)と
よばれる人々の祖となっていきます。

本当か?

659 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:26:53.75
でも、江の息子が浅井の名前を継ぐような事があったら本人は嬉しかっただろうね。パンピー相手にも美談になる。

660 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:52:03.62
忠長に切腹させる代わりに、1万石で浅井家を継がせ、官位も一旦剥奪して四位少将くらいにしておくならありかもな。

661 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:18:40.44
長七朗が大名か・・・胸熱

662 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:57:36.57
クソみたいな大河ドラマを放送した悪影響がここにも...

663 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:11:38.24
浅井なんて継ぐメリットないじゃん。
殺されるよりマシかも?
でもさ、殺す時は他家に行ってても殺されちゃうぜぇ〜

664 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 06:58:51.57
豊臣家も徳川の子どもを代々養子にもらう感じにしておけば家としては残ったのに。

665 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 20:53:49.42
徳川にメリットがない

666 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 01:02:46.33
鎌倉公方や大崎氏には関東や奥羽の守護や国人が伺候してたみたいだが
九州探題にも九州の守護や国人は伺候してたのかね?

667 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 09:39:12.04
このスレとどんな関係が?

668 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 11:09:41.76
足利将軍家分家の今川貞世が就いてたからでしょ。

669 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 11:50:31.32
九州探題は今川は南朝と戦に明け暮れてそれが終わると解任
続く渋川は少弐との戦に明け暮れてるからな
ようやく少弐を滅ぼした時には既に大内の支配下だし
九州探題として安定した権威は持てなかったんでないかな

670 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 17:00:03.59
満頼探題以降、多少マシなのは教直探題の時ぐらいかな。
あとは貴種性はあっても国人領主にすぎない。それでも戦国中期まで残存したのだから粘ったほうか。

671 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 05:43:56.88
言っても関東公方と大崎は
始祖は関東管領・足利基氏と奥州管領・足利家兼で
共に公方とあがめられており渋川とでは格が違う

672 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 11:19:04.69
http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任


斯波家兼
父:斯波宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)


空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした


永源寺

中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

673 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 11:21:11.48
安達泰盛
・三河国小松原荘地頭

東観音寺(豊橋市小松原町坪尻14)
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/018/018.htm



小笠原長房 (幡豆小笠原氏)
・足利尊氏の近侍
・天龍寺落慶供養随兵
・若狭国、三河国守護代
・尾張国知多郡の守護代


小笠原氏庶流の幡豆小笠原氏の出身と言われている。
幡豆小笠原氏は小笠原長清の子伴野時長の系統に属し、弘安8年(1285年)11月17日の霜月騒動の際、時長の孫である長泰、その子盛時らが戦死、残された一族が安達氏の領地であった三河国太陽寺荘(元は小野田荘、愛知県豊橋市)に逃れ、
その後、足利氏・吉良氏との結び付きを強めるため、吉良氏領地に隣接する西方の幡豆郡に移り住んで成立した

674 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 11:03:16.84
足利一門の武家って数は多いけど、将軍家連枝=公族としての待遇を与えられてる家は、
鎌倉公方と一代限りの門跡を別とすれば、例の「御一家」しかないのだろうか?
武衛家とか今川家は、結局、どういう扱いだったんだろう?

675 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 19:03:30.70
今川は副将軍

676 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:05:37.63
奥州斯波御所とか鞍谷御所とか山形御所とか御所号を賜ってるとこは
それなりの格式と見られてたんでない
武衛家は管領家として臣下に成り下がったようだが

677 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:47:09.27
明や朝鮮から日本国王とみられていた足利将軍に対し、
斯波は「武衛は王の次人なり」(王の次に偉い人)
と日本を訪れた使節が記録してるから、そういう立場だったんだろ。
御一家の渋川なんか斯波の分家みたいな家系だし。

678 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:35:55.61
それは幕府ナンバー2の管領って意味として記したワケではないの?

679 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:33:46.73
管領=将軍家の執事なんだけどな・・・

680 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:17:50.57
>>678
1420年に朝鮮使節として日本に来た宋希mの記録から。
当時の将軍は足利義持、管領は細川満元。武衛家当主は斯波義淳。

”日本の法、王より武衛、管領および殿々に至るまで土地を分受すること、
或いは12州、多きは45州に至る。”

とか管領は別に書いてるから管領を意味してたわけではない。

681 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 18:52:32.80
足利家一門で江戸時代も大名として生き残った家って無いよね?
最上が最後まで健闘したくらいで・・・

682 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:48:41.18
かなり格下だが細川家が足利の支流だな。
江戸時代の大名では、最も由緒正しい部類だ(系図偽造なしで)。

683 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:53:17.25
斯波は文書等でも大抵名字で記されない。

684 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:54:29.79
喜連川は大名じゃないのか?

685 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:13:38.76
細川は確定として、仮冒っぽいが老中とか幕閣を多く排した板倉氏が渋川の傍流を称してる

686 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:05:23.18
榊原

687 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 23:07:35.44
斯波・吉良・畠山・渋川・細川・一色・今川・仁木・桃井、、、、
室町期には掃いて捨てるほどいた足利一門系大名。
れっきとした足利一族で近世大名に成長できたのは家格の低かった細川奥州家のみ。
三職・御相伴衆・国持衆・御一家の本流の家で近世大名になったのは皆無。

688 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 00:16:15.94
大名は細川だけだったが、高家に取り立てられた家は多い。
家康の名門好きの結果かな。

689 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 00:34:16.07
>>687
最上も江戸時代の大名に入れてやれよ。

690 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 00:42:18.00
斯波の支流の支流の最上家と
細川の支流、肥後細川家だとドッチの方が各として高いんだろう?

691 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 01:11:48.46
肥後細川家って本当に細川の支流か?
最上はバリバリ斯波の支流だが。

692 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 01:26:51.01
>>691
細川といっても管領になれる家柄ではないが、代々和泉守護を世襲した由緒正しい家系だよ。

693 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 01:27:29.78
さすがに羽州探題として東北では大崎に次ぐ家格の最上が上だろう

694 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 04:53:29.87
もとは長岡

695 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 08:39:08.56
細川藤孝の父三淵晴員が、細川家(和泉)の二男で母方の三淵家に養子に出て、子の藤孝を実家細川家の養子で戻してるから、細川家は男系で続いている。
三淵家は、足利庶流(義満庶流)の奉公衆だし、藤孝には将軍義晴の落胤説もある。

696 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 11:01:24.34
>家康の名門好き

三河好きの間違いだな、三河縁者は優遇される
高家の京極氏も所領をもっていた

足利義満年表

【1379年】三河国額田郡下和田郷(愛知県岡崎市)と三河国渥美郡(愛知県田原市)を、京極高秀に還付する
【1399年】三河国額田郡菅生郷(愛知県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る



■上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か



■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。

697 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 17:19:51.97
>>684
微妙なところなんだよね。徳川の隷下にあったわけではないし、それでいて十万石格だし。
明治になってからは男爵でなく子爵だし(実高10,013石と記録があるから、足利氏でなくても華族にはなれた)。

698 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 18:51:20.17
ひそかに斯波氏が前田家の重臣として生き残って明治に華族になってるな。

699 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 20:33:37.20
明らかに 信長や秀吉より 家康の方が
抹殺した大名の数が段違い何だが

700 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 20:50:20.54
落胤説と言えば
常陸の小田氏治は関東八屋形の名門小田家の当主で足利義教の曾孫という、やんごとお血筋

小田原合戦のときに上手く立ち回って生き残ってたら
近世大名で一番の良血だったのに

701 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 23:40:14.53
>>697
侯爵になった肥後細川が足利一門では最高?

702 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 12:52:45.56
細川から見れば喜連川なんてゴミカスだろうな

703 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 15:25:20.26
>>702
でも足利宗家は喜連川って扱いだよ

704 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 17:48:39.74
足利の宗家は断絶しただろ

705 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:13:58.32
残っていれば徳川にとってみれば 豊臣以上の脅威だもんな
足利

706 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:24:49.52
喜連川がゴミカスとか、
どこの阿呆の寝言だよ

707 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:45:26.02
wiki見たら、今の喜連川の当主は細川出身なんだね。

708 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:53:34.46
義昭の子孫じゃ残っていても屁でもないだろう。
義昭は、秀吉のお伽衆だからな。
あと、阿波公方家が生き残ってたな。

709 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:59:39.52
>>707
細川は、近衛、足利を乗っ取ったからすごいな。

710 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:49:41.26
>>708殆ど全滅したか残りは秀吉が骨抜化
その上 新田姓に源氏長者

家康の足利対策も完璧だったか

細川とも仲良いし

711 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 01:38:11.03
江戸幕府の典礼は、細川幽斎が指南役になって、室町幕府の典礼を伝えているから、高家の元祖みたいな感じだな。

712 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 00:58:25.37
足利宗家滅亡後、足利の宗家扱いになったのが喜連川。
何度か養子が入り足利の血統では無くなったものの足利嫡流家として10万石格、4品格で明治時代には子爵となっている。
血統は平島公方の方が宗家に近いが、こちらは蜂須賀の客分から浪人を経て明治時代に晴れて平民になってる。

713 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 01:01:20.89
>>709
五摂家嫡流近衛という天皇家に並ぶ日本を代表する名家が女系の平の武家に過ぎない細川だもんな・・・
少し前なら文麿の弟の血筋から養子迎えるものを母系の孫からって・・・

714 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 07:31:44.81
近衛家は、前にも女系の甥を養子にしたことがあるよ。
近衛信尹は、後陽成天皇の第四皇子信尋(母は、信尹の妹で女御の近衛前子)を養子にしているので、近衛家の男系は、ここで断絶している。

715 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 09:12:12.00
皇子を養子にするのと、大名華族から養子を入れるのとでは、全然意味がちがう。

716 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 09:37:15.06
>>715
記紀にも登場する古い氏族だが物部や大伴がついた大連には一度もなれなかったんだし、皇別氏族の源氏の流れをくむ細川なら言うことなしだろ。

717 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 11:06:22.23
一条は皇別摂家じゃなくなってる?

718 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 18:55:54.48
英彦山神宮宮司家の高千穂家とか江戸期の天皇の男系子孫じゃなかったっけ?

719 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 20:01:34.00
高千穂家は徳大寺家や住友家と同じで、東山天皇の男系子孫だよ。

720 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 20:18:10.45
世襲親王家が天皇家御連枝の扱いなんだろうけど
宗家からの独立性が高いうえに血が遠すぎるな。

721 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 20:33:16.43
江戸時代に立てた、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家(伏見宮家から養子が入ってその後断絶)がいずれも断絶したのが痛い。

722 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 20:37:17.16
江戸時代の天皇は、
実質的に一人っ子みたいな感じだったからなあ

723 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 21:01:52.15
日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)

公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子


武家(No.1、No.2)
・喜連川家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)



細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46


大給松平家菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46

724 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 21:14:52.19
鷹司は大給松平というより鍋島だよ

725 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 21:34:33.41
三河厨楽しい?

726 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 21:36:47.21
江戸時代、天皇の庶子手当たり次第に出家させて根絶やしにしたからな。
結局残ったのは伏見宮という他人同然のカス血統。
根絶やしにするくらいなら公家で養子のやり取りしてたんだから近衛、一条、鷹司だけでなく、
清華家位まで皇統で埋め尽くせばよかった。

727 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 23:18:15.55
金では買えないステイタスが尾張ドン百姓に理解できるわけがない


崇仁親王妃百合子
・旧名、高木百合子
・高木家は河内国丹南藩1万石の大名
・母・邦子は入江為守子爵の娘


寛仁親王 http://blog-imgs-53.fc2.com/t/o/r/toriton/koushitu892b6.jpg
高円宮憲仁親王 http://livedoor.blogimg.jp/yamato26840/imgs/e/3/e352c4c5.jpg


高木氏発祥の地
http://kikakubito.cms.am/modules/gnavi/index.php?lid=60
高木氏は安城市高木町の出身で、三河一向一揆で家康に味方し戦功がありました。天正18(1590)年家康の関東移封の際、相模国に5千石の領地をもらい、
その後加増を経て河内国丹南1万1千石の大名となりました。
三笠宮崇仁王に嫁がれ、ヒゲの殿下・三笠宮寛仁親王の母上である百合子妃はその子孫です。


三河高木氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/m_takagi.html


高木氏菩提寺
栖岸院(東京都杉並区永福1丁目6−12)
http://www.tesshow.jp/suginami/temple_eifuku_seigan.html
栖岸院はもと三河国村高庄(現愛知県安城市)にあった長福寺という浄土真宗の寺で、天正19年(1591)麹町八丁目に寺領を拝領して江戸に移り、
寛永16年(1639)に安藤重信の子重長が中興開基となって、父重信を開基、妙誉秀慧を開山に招聘、浄土宗の寺として改めて開創、大正9年に当地へ移転しました。

728 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 10:57:34.97
現代ネタはウザい

729 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 14:11:55.91
現代というより、現代の皇室ネタに結びつけたがるのがウザイ。
天オタはすっこんでろと言いたい。

730 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 14:26:05.88
>>727
お前は理解できるのか?

731 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 17:02:53.92
源頼朝が近親者を冷遇して、他人同然の連中を御門葉などと持ち上げたのが理解できない。

732 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 19:52:33.44
源頼朝の曽祖父は元豊田市民→岡崎市民、祖父は岡崎市民、長男の正室(辻殿)は豊田市民
長男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁

・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている


・源頼家
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁

・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁


■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)

木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。

733 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 00:14:58.48
>>731
ライバルになり得る兄弟は抹殺。
御門葉といえどライバルになり得ない他人は優遇。

734 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 00:36:44.01
>>731
河内源氏の歴史調べてみ。
時間がないなら源義光のwikiだけでも読んでみ。

735 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 21:53:48.47
御一家の石橋義忠家は今も存続しています。
利休の娘を娶り、次男は石見小笠原長秀の娘を娶り
を娶り、島根県の浜田市市木で浄土真宗のお寺の住職を
してます。長男は富永氏の娘を娶り岩国の吉川家に行き
極楽寺を頂くも、明治時代に断絶。

736 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:37:22.52
断絶してるのに存続してるのか?

737 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 19:26:46.25
次男系が続いて長男系は断絶という意味かと。

738 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 23:41:59.92
そう言う事。岩国の極楽寺は現在は藤山家が
継いで下さった。小笠原の娘を次男が娶った段階で
吉川家と毛利家と縁組が出来た訳。鞆に始まり鞆に終わる
足利一門としては、一番身を潜めるに都合が
良い地域。

739 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 00:59:59.90
それ10年程前に話題になった明智光秀の子孫と和解した
なんちゃって織田信長の子孫の僧侶と同じ匂いがするんだが

740 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 23:55:52.93
石橋良叱?

741 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 08:18:34.10
今だにその良の字を用いる場合と、政とか正とか、まさとかを名前に
入れてる。長島の戦い以前からの付き合いで顕如上人から頂いた法号
正誓の正と良叱、良似の良を使うみたいです。吉田好寛(石橋彦四郎修理清六)
の岩塚屋敷の場所と川の反対側かわ戸田の
石橋屋敷は隣だが、あれが生きてる時は石橋は
不味いよね。

742 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 18:03:27.97
石橋良叱(昌叱)が石橋忠義の家というのはあってる?

743 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:48:29.18
その石橋って堺の町衆なんじゃないの?

744 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 23:35:49.60
延徳3年に堺の徳人・石橋之藤右衛門尉が見えているから、その流れだろう
足利氏一門ではないような気がするけど

745 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 00:34:27.82
御嶽山に関連する事。
後白河天皇に繋がる山との事。(1161年、後白河天皇の勅使が登山参拝したとの事)
後白河天皇は今様を好み,梁塵秘抄で有名である。(舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん)
そこで、かごめ唄(秘儀)を中心に調べてみた。(あまりにも内容が濃くなってしまうので詳細は省く)

かごめ唄=竹堂随筆+戻橋背御摂+月花茲友鳥+幼稚遊昔雛形+俚謡集拾遺+大南北全集+鶴屋南北全集+大南北全集+鶴屋南北全集+行智+持明院+冷泉家+本居宣長
+後醍醐天皇+真言密教+空海+屍林+荼枳尼天+伯家神道+後白河天皇+今様+梁塵秘抄+檜垣嫗+かぐや姫+竹取物語+観月祭+中秋の名月+延喜式+七夕+新嘗祭
+白川伯王家+花山天皇+御冷泉天皇+大嘗祭+死生観+珍しい鳥+鶴+日本三代実録一巻+秋篠+神武天皇+辛酉年1月1日+辛酉76年3月11日+東日本大震災
+式年遷宮+カケコー+鶏+朝+夜明けの晩+心柱+床柱+天照大御神+岩戸隠れ+長野県戸隠+三重県伊勢岩戸+長野県諏訪+真言密教立川流
+足利義満+厳子+貞子+御円融天皇+御光厳天皇+閨事+源氏物語+古事記+712年3月9日+前震+高天原+推古天皇+日本書紀
+和同開珎+和銅元年+元明天皇+多治比真人三宅麻呂+羊太夫の謀反訴え+誣告罪+冤罪+島流し+三宅島+伊豆諸島+噴火
+穂積朝臣老+佐渡ヶ島+多胡碑+長野県浅間山+御嶽山。


※籠目(囲め)(籠女)♪籠目(囲め)(籠女)♪籠の中の酉は(籠の中の鳥居は)(籠の中の女は)(加護の中の酉は)♪
何時いつ出やる(何時いつ出会う)♪夜明けの晩に(夜明けの番人)♪鶴と亀が滑った(鶴と亀が統べった)(鶴と亀が契った)♪後ろの正面誰(後ろの少年だれ)♪

※かーごめかーごめ♪かーごのなーかのとーりーは♪いーついーつでーやーる♪よーあけのばーんに♪つーるつーるつっペぇつた♪なべのなべのそこぬけ♪そこぬいてーたーぁもれ♪

つっぺ=穴に詰める事
つるつるつっはいた=つるつると入った
等など。
詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81

※詳細はこちらのスレッドで。
【速報】御嶽山噴火
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1412157860/

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