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【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート6

1 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 00:13:22.41
秀吉の朝鮮征伐を考察・議論するスレッドです

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前スレッド
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2 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 07:44:18.49
2get!

3 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 18:58:11.56
日本軍が連戦連敗w

4 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:26:56.19
朝鮮征伐は江戸時代からの呼称だな。誤解を招く表現だろ?

>豊臣政権時から江戸時代後期に至るまでは、この戦役が日本が明の征服を目指す途上の
>朝鮮半島で行われたものであることから唐入り・唐御陣、あるいは高麗陣・朝鮮陣など
>の呼称が用いられていた。秀吉自身は、「唐入り」と称していた(後述)。他、同時代
>のものとしては「大明へ御道座」という表現がある。

5 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:28:43.22
あからさまに言って史実に反してるだろ。

6 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:35:50.13
日本軍が連戦連敗w

7 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:40:44.59
「韓国戦争」みたいに「韓国征伐」と呼ばされんじゃねえの?

8 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 23:40:28.72
室町末期にタネガシマが伝来して、南蛮侵略の不安があった
時代に、天下取りは海外侵略も意味した。

戦国時代って言うと国内情勢の枠組みでしか評価されないが。

9 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 23:40:39.75
日本軍が連戦連敗w

10 :日本@名無史さん:2013/10/11(金) 23:55:20.90
南蛮が世界中で奴隷売買しながらあちこちの文明を根絶やしに
していた時代だ。かの麗しき自由と民主主義の世界じゃねえよ。

11 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 11:02:50.40
日本軍が連戦連敗w

12 :日本@名無史さん:2013/10/12(土) 21:21:05.53
日本軍は最弱w

13 :日本@名無史さん:2013/10/13(日) 13:49:57.49
?

14 :日本@名無史さん:2013/10/14(月) 08:40:28.54
ふぉ

15 :日本@名無史さん:2013/10/15(火) 16:35:44.27
日本軍が連戦連敗w

16 :日本@名無史さん:2013/10/17(木) 22:25:29.25
朝鮮征伐

17 :日本@名無史さん:2013/10/19(土) 08:34:41.81
?

18 :日本@名無史さん:2013/10/20(日) 11:35:30.88
七年にわたる朝鮮の侵略によって、
兵数十万と糜餉(戦費)数百万を失い、日本に勝算はなかったが、関白(秀吉)の死により戦禍は終息に向かった。

19 :日本@名無史さん:2013/10/20(日) 23:56:43.82
>日本に勝算はなかったが、
これって日本には勝算がなかったってことだろ(笑)

20 :日本@名無史さん:2013/10/21(月) 18:04:48.97
秀吉にも明の皇帝の臣下の自覚はあったと思う。

21 :日本@名無史さん:2013/10/21(月) 19:03:47.76
へげうもののの甥が戦士ww

22 :日本@名無史さん:2013/10/21(月) 19:56:25.73
漢字能力が以前に増してダメになってるなw

23 :日本@名無史さん:2013/10/28(月) 08:16:35.46
朝鮮征伐

24 :日本@名無史さん:2013/10/30(水) 20:38:13.78
>>8
南蛮の連中なんて当時は外征なんて不可能だから
アジアで占領できたのは文明の進んでないフィリピン北部と台湾原住民だけ

カンボジアにもインドネシアにも手も足も出なかった。
勿論くそ弱い朝鮮にすら勝てなかった。

25 :日本@名無史さん:2013/11/03(日) 16:09:59.25
伊達政宗も西洋諸国の力を過剰評価してたしね
当時のスペインの動員兵力って知れてるし
仮に国が傾く覚悟で日本に5〜6万送ってきたとしても伊達家+5万程度じゃジリ貧

26 :日本@名無史さん:2013/11/03(日) 16:35:18.84
インドのド田舎の港湾に拠点作ってただけだしな。

27 :朝鮮半島七本槍:2013/11/06(水) 22:49:24.91
小西行長
加藤清正
黒田長政
鍋島直茂
小早川隆景
立花宗茂

28 :日本@名無史さん:2013/11/07(木) 11:16:28.77
鄭成功に台湾から駆逐されたのってオランダだっけ?

29 :日本@名無史さん:2013/11/08(金) 21:54:28.86
>>28
それ以前に一地方政府の警邏隊に征伐されてるw

30 :日本@名無史さん:2013/11/09(土) 06:10:10.73
姦酷軍はシナの漁民にも負ける

31 :日本@名無史さん:2013/11/14(木) 17:08:33.31
倭寇が強い強いと言われてるけど実力的には
サムライ>>農民>倭寇だよね

サムライ=重武装、戦慣れしてる、忠誠心有り
農民=並みの武装、戦慣れしてる、忠誠心皆無
倭寇=軽武装、戦慣れしてる、忠誠心皆無、半数がシナ人

軽武装って言うか半裸に近い日中、日朝混成部隊の倭寇に、
いいように侵略されてた明沿岸や朝鮮の精鋭たちが弱すぎるだけでさ。

32 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 07:59:21.27
そもそも、後期倭寇の名のある頭目は、いずれも中国人で、
日本人(真倭)は半分どころか、2割か3割くらいだろう。
そんな、実質的には中国マフィアが平戸や五島を本拠地にして、
日本人を支配してたわけだが。
平戸や五島の領主や住民も中国マフィアの親分に臣下の礼をとり、
みかじめ料とか取り立てられてたわけだが、

33 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 09:28:24.10
>>32
頭大丈夫?

34 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 09:43:54.81
後期倭寇の名だたる頭目が中国人だったのは、紛れもない歴史的事実なんだが。
逆に日本人の頭目なんて、誰も歴史に残っていない。

35 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 16:18:24.41
>平戸や五島の領主や住民も中国マフィアの親分に臣下の礼をとり、
>みかじめ料とか取り立てられてたわけだが
ソースは?

36 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 16:46:50.64
>>35
そうであって欲しい

37 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 21:00:32.70
まあ、中国マフィアが牛耳ってる港なんだから、
現地人はマフィアに怯えて、ヘイコラしてたんだろ。

38 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 21:24:53.44
王直なんかは平戸の領主松浦隆信の庇護を受けて平戸に移り住んでるのに
いつの間に平戸領主が臣下の礼を取ったことになったんだよw

39 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 08:34:43.72
唐時代までは完全に属国
遣唐使廃止後も後白河法皇期のように属国扱いされても何も反論できなかった
室町あたりまで度々属国扱いされている
その後はシカト状態、第二次大戦後はアメリカが宗主国になる

40 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 10:32:29.93
映画『鳴粱―渦巻く海』(キム・ハンミン監督)

同作は朝鮮朝(李氏朝鮮)の丁酉倭乱(慶長の役)当時、
李舜臣将軍と朝鮮水軍が鳴梁海峡で13隻の船で
133隻の倭軍船を撃沈した鳴粱海戦をスクリーンでよみがえらせた作品。
2014年の夏に公開予定だ。

41 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 10:57:37.97
>>39
お前なんにも分かってないな。歴代中華王朝が属国扱いしなかった国なんてあったか?
対等な外交関係なんて概念のなかった国だぞ

42 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 10:58:11.74
>133隻の倭軍船を撃沈した

李舜臣当人の書いたもの(乱中日記)には、日本船133隻に取り囲まれて、
内31隻を撃破したとしか書いてないわけだが。

漢字を捨てたミンジョクは自国の記録すら読めなくなってるのなw

43 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 15:44:09.55
>>41
日本が属国となったのは明の一時期だけだよ
残念だったね

44 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 18:54:55.97
倭寇の頭目の王直は徽王と称し官府を開き、徐海と並ぶ倭寇の頭目となった。
このことについて司馬先生は、平戸の松浦氏あたりも王直から官位をもらってたのではないかと、
街道を行くの中で書いている。

45 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 19:52:04.04
司馬先生wwwwww
根拠が歴史学者でもない小説家の紀行で、おまけに推測ってw

46 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 11:04:58.34
豊臣秀吉「秀次に切腹強要」に疑義 国学院大准教授が新説
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131118-00000096-san-soci
産経新聞 11月18日(月)

えっ、何か新資料発見か!と思ったら、

------
 切腹に至る詳しい事情を物語る同時代の史料はないが、儒学者、
小瀬甫庵(おぜほあん)が江戸時代初期に記した太閤記は「切腹命令」という
文書を掲載。文書には石田三成ら五奉行が署名し、7月13日の日付がある。
 矢部准教授はこの日付について、「京都から約130キロ離れた高野山までは
坂も厳しく、歩いて3日はかかる。13日付の命令書を持って多くの兵を連れて赴き、
15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
 そこでさまざまな史料にあたり、秀吉が同月12日に高野山の僧、木食応其(もくじきおうご)へ
宛てた書状に着目。「秀次が高野山に住むにあたっては見張り番を付け、料理人や
世話係などを用意してほしい」と記されており、「数日後には切腹させる人に、料理人が
必要だろうか。秀吉は秀次を長期間、高野山に住まわせようと考えていたと思う」と推測する。
 また秀次切腹の情報を最初に朝廷へ伝えた「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」
文禄4年7月16日条には「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す」とある。
矢部准教授はこの「切らせられ」という記述は秀吉が「切らせた」のではなく、敬語の
「お切りになった」と読むべきだと指摘。「秀次は高野山での幽閉に耐えられず、身の潔白を
証明するために自らの決断で切腹した」とみている。
------

>「京都から約130キロ離れた高野山までは坂も厳しく、歩いて3日はかかる。
> 13日付の命令書を持って多くの兵を連れて赴き、15日に切腹させるのは難しい」

なんか、南朝鮮の学者並じゃね。(ノ∀`)

47 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 12:31:29.55
>>46
私には学術的な検討に見えるが?
どこが朝鮮的なのかな?

48 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 12:44:20.09
>>47
使者が大名行列並に供周りを仕立てて徒歩で出向いたという前提のようだけれど、
騎馬なら2日130kmは何ら無理はないし、また下の「御腹切らせられ」も
日本語解釈としては当然敬語表現であって、秀吉が「切らせた」なぞという
命令形の解釈がそもそも成り立つ余地はないだろう。

故に、物証はないが心証では確実だ、という手合いの説にしか思えない。

49 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 12:49:09.34
それに、まずスタート時点で太閤記の記述を鵜呑みにするのはどうなのよ、ってのがあるしな。

50 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 14:41:49.80
>>49
いや、いままで鵜呑みにして切腹させた、と解釈していたのだから。
スタートは俗説の方なわけで。

51 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 14:49:15.03
>騎馬なら2日130kmは何ら無理はない
多少の余裕はあるけど直線換算だよなこの数字

48は徒歩でもチャリでもバイクでも車でもいいから電車を使わずに高野山登ってこい
俺は車で行ったが一度でうんざりした
山野を車で走り回るのが好きであちこち出かけるけど高野山のヘアピンカーブの連続は癇に障る
あと、多分48は騎馬移動の知識が皆無なのだろうが、京都から高野山への騎馬ルートが整備されているというならソースを出してくれんか
脳内妄想でもかまわないが、何処から何処まで移動したら馬を替えるのか、その区間の凡その移動時間も併記してね
繰り返すけど、48は騎馬移動のプロセスについて知識ゼロじゃないというなら書けるよな?

52 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 15:08:32.30
車道と古道を比べてヘアピン連続とかドヤ顔の>51は
マジで頭にキムチでも詰まってんのじゃないのかw

53 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 15:13:49.43
新道とと旧道の突っ込みはおいといたのに…
冷静な突っ込みに対応できずブチ切れて終了って分かりやす杉


「四百年の時空を超えて新道のトンネルを駆け抜ける騎馬〜」と茶化してやろうと思ったのに残念w

54 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 16:03:18.76
>>50
公家の日記には秀吉の指示で切腹とある

55 :48:2013/11/18(月) 16:59:51.06
>>51
130kmが150kmだろうと180kmだろうと構わないんだけど、
高野山へは平安の昔から参詣道としてルート整備されていて、
また急使なら替え馬の2,3頭は当然初めから連れていくだろうし、
おまけに山城・大和・紀伊の殆どは豊臣家の直轄領・蔵入地で
自国内通行みたいなものなんだが、それでなお替え馬の確保が
困難と考える>51の素養の低さにビックリだよw
沿道の小領主や土豪は太閤様御用とあればこぞって替え馬くらい
差し出すだろ、フツー。
ちなみに本能寺の変の急報は翌日には秀吉に届いているし、
中国大返しの秀吉軍の先頭は1日に70kmの行軍をしているわな。

まぁ、なんにせよ、ドライブで語るようなようなレベルの人間に
馬の移動について無知とか言われる覚えはないよw


>>50
いやまぁ、それはそうなんだけど、後年の編纂物である太閤記は
事柄自体より、日付についてはさらにあてにならないんじゃないかと
いうことですわ。
この件は、新説としてぶち上げるには、あまりに、根拠が薄弱すぎる
ように思えるんですな。

56 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 18:42:38.05
>>54
風聞でしょそれ?

だから何年も前から学説の一つとして俗説に疑問が呈されていた。
三成悪玉説の一種としてね。

57 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:30:41.47
>48
馬に跨れば数百キロなんかカルイってレベルの奴が何時間考えても時間の無駄

>180kmだろうと構わないんだけど、高野山へは平安の昔から参詣道としてルート整備されていて、また急使なら替え馬の2,3頭は当然初めから連れていく
スゴーイモノシリサンだね。でもこれは脳内妄想であって現実の話じゃないという自覚もないよね?君が無知だってのは繰り返し発言しなくても皆よ〜く分かってるからw
取り敢えず思い込みや妄想で、斯くあるべき世界、を語りたいなら適当な板に移動すべきじゃねぃ?

あ、「平安の昔から」ってくだりは俺的にウケタ。ひょっとしてリアル小学生?

>山城・大和・紀伊の殆どは豊臣家の直轄領・蔵入地で自国内通行みたいなもの
馬鹿なのかと一瞬思ったが、織豊期のデリケートさなんかパンピーはフツー知らん罠

>替え馬の確保が困難
この時代の素養が全くないんだね、水戸黄門辺りのTVドラマを素養と呼ぶなら別だが…

>沿道の小領主や土豪は太閤様御用とあればこぞって替え馬くらい差し出すだろ、フツー。ちなみに本能寺の変の急報は翌日には秀吉に届いているし、中国大返しの秀吉軍の先頭は1日に70kmの行軍をしている
速達を配達する程度の認識ならフツーはそんな認識で問題ないんだろうな(ハァ

>ドライブで語るようなようなレベルの人間
日本の土木事業にかける税金は半端ないから、旧道・古道なんか全く使わず
ドライブ用の道は全部新規で造るくらいカルイゼ!(頭悪そうだから一応書いとくがこれ嫌味の類だから)

他人事だが、引きこもらず偶には外へでろよ

58 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:37:46.42
ファビョン状態だなw

59 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:38:12.95
>>56
それを風聞で片付けるなら御湯殿日記も風聞となる
そして標本数で比較すると、秀吉の命令とする史料のほうが圧倒的に多い

60 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:53:53.94
>>47
そいつ在チョンの成り済ましだよ
太閤殿下の株が上がるのが悔しいのだろう。
南朝鮮なんて呼称は北朝鮮出身者しか使わない

61 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:58:25.18
太閤信者=狂信者

62 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 21:28:00.12
>60は南朝鮮と呼ばれるのに我慢のならない民潭関係者か、
さもなければただの低脳嫌韓厨。

63 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 21:45:43.04
朝鮮族と韓族は元来血統も言語も文化も違う別個の民族
2つに別れているのが正しい姿
×南朝鮮×北韓○朝鮮国○韓国

64 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 21:49:18.19
同時代史料で秀吉の命令て言ってるんだったら
それで確定じゃないの

65 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 23:33:21.17
>>64
それ江戸時代の一次史料だから。

66 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 09:17:36.96
>>60
日本人が何て呼ぼうが勝手だろww

67 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 09:55:36.98
>>40
鳴粱海戦の結果、日本軍は侵攻が頓挫したからな。
鳴粱での決戦は慶長の役における日本軍が敗勢が決定的になり、以後守勢に転ずるしかなかった。
李舜臣がいかにすごい武将かがわかるな

68 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 11:08:50.70
>>67
さすがに釣りだよね?
海戦後の日本水軍は鳴梁海峡を抜けて全羅道西岸の掃討を続行してるし
陸路は言わずもがなで、結局は日本軍を止めることができず全羅道・忠清道全域が蹂躙されてるんだけど
一方の朝鮮水軍は右水営を放棄して全羅道北端まで逃走してる

69 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 11:18:24.24
あちらの国定教科書とかだと、稷山の戦いと鳴梁海戦の大敗北によって
日本軍は敗走し敗勢が決定的となったとか書いてあるんだよなw
稷山も鳴梁も規模の小さい局地戦に過ぎず、戦局には何の影響も与えてないんだけどねw

70 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 21:36:33.56
稷山も普通に日本の勝ちだぞ
明側は自軍の勝利にしてるが

71 :日本@名無史さん:2013/11/20(水) 00:00:20.64
>>68
日本の学者が書いてました。

72 :日本@名無史さん:2013/11/20(水) 02:03:14.25
日本人の学者ではなく在日本の学者ねw

73 :日本@名無史さん:2013/11/20(水) 17:32:20.03
>>70
明側の多くの文献はそうだけど、意外にも明史は稷山を勝ち戦とは書いてないんだよね
麻貴が青山(星州)と稷山の大勝利を報告したけど、軍監に
「青山でも稷山でもろくに合戦してないでしょ!それに敵軍は沈惟敬の手紙によって撤退しただけじゃん!」
とつっこまれたとかw

74 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 06:26:13.57
麻貴って蔚山城も勝利宣言してなかったっけ?

75 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 12:26:28.48
>>74
少なくとも、中央へは勝利宣言しないと更迭や処刑される体制ですから。

76 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 22:57:25.41
>>73
明史はさすがだな
年月かけて編纂しただけの事はある

77 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 23:46:39.07
まぁ、明史を編纂したのは清であって当事者じゃないからな。

78 :日本@名無史さん:2013/11/22(金) 06:14:03.77
>>75
あー、太閤殿下はなあ

79 :日本@名無史さん:2013/11/22(金) 08:21:32.66
明史には黒田家の記録を参考にしたであろう記述があるらしが
そういう日本側の書物て、海を越えて当時の中国で手に入るものなのか?

80 :日本@名無史さん:2013/11/22(金) 14:39:15.48
年間数千艘が交易で往来してたんだから
博多の中国人街にはお抱えくらい居ただろうし余裕じゃね

81 :日本@名無史さん:2013/11/22(金) 17:52:54.87
朝鮮の懲録だったかは1700年頃には日本にも出回って読めたそうだから。
逆のパターンも、まあ可能だろうな。

82 :日本@名無史さん:2013/11/23(土) 05:09:06.42
>>79
随分この分野に入れ込んでいるけど初耳だな。出典は何でしょう?

江戸時代の朝鮮出兵論は明の両朝平攘録や朝鮮の懲ヒ録の記述の影響を受けていたというる文献なら見かけるが?

83 :日本@名無史さん:2013/12/08(日) 20:36:59.56
>>19
んなこたーない。

@…日本軍の計画の成功と明軍の挫折
慶長の役は日本軍は始めから苦戦したという虚構が流布しているが、慶長の役は出兵以前に練られていた計画通りにことを運んでいた。

慶長2年2月21日に諸大名に発布した戦争計画によりますと、今度は「占領」を目的とはせずに、出兵を繰り返して明・朝鮮軍に打撃を与え最終的に屈服させるというもの
。これは、文禄の役で「占領」にこだわったために、拠点と拠点との間の兵糧の補給路の安全・確保に支障をきたし、慢性的な兵糧不足に陥った苦い経験から得た新たな戦略。

その戦略変換を基に具体的な計画が発布される。
@明・朝鮮軍の軍事拠点となっていた「全羅道」の
明・朝鮮軍を徹底的に撃滅し、忠清道の明・朝鮮軍もなるべく同様にすること
Aそれが、済めば撤収し、日本軍が補給の届きやすい沿岸部に築いていた倭城群を、
さらに拡大させ築城・補強し、防衛体制が整えば、在番を除いて日本本土に帰還し、新たな出兵計画に備えること

Bもし、明・朝鮮軍が日本軍の防衛網に侵入すれば、徹底的に撃滅すること(慶長2年2月21日書状 立花文書)

いざ慶長の役が勃発すると、全羅道の明軍が守る南原城を陥落させ、黄石山城も陥落させるなどして全羅道の明・朝鮮軍を一掃し、
忠清道に進んだ日本軍は稷山で明軍と遭遇するも、圧倒的兵力差で明軍を後退させ忠清道の掃討にも成功し、@は達成される。

84 :日本@名無史さん:2013/12/08(日) 20:37:43.88
ここで、@を達成した日本軍は、防衛網に撤収し、築城・補強を開始しました。しかし、築城中の蔚山城に明から大増援を得た明軍が襲撃を掛ける。
これに対して、日本軍は苦戦するも明軍六万のうち、二万もの兵を打ち取って大勝。
『明史』朝鮮伝「鎬不及下令,策馬西奔,諸軍皆潰。遂撤兵還王京,士卒物故者二萬」

ここで、慶長の役の作戦の成功を見た秀吉は、新たに明本土から増援された明軍の撃滅を計画し、
さらに明・朝鮮軍を疲弊させるべく、本土で休息をとっていた日本軍を1599年に再度朝鮮に派遣する号令を発する。
『島津家文書』によると、総大将は石田三成と福島正則、増田長盛を充てることを計画していたようだ。
さらに、再出兵の準備のため兵糧の備蓄などを朝鮮の倭城に命じ、着々と準備を進めていた(島津家文書、鍋島文書等)

そんな中、秀吉は死去し、1599年の再出兵の計画は流れます。秀吉の死とは関係なく、日本軍と決戦を計画していた明軍は
本土から大増援を得て、倭城攻略に動き出します。在番の日本軍の動きを抑えるため、三路に分かれて倭城に攻めかったが大敗。

理由A…明軍の疲弊
戦争末期には明側は極度に疲弊し、戦争を続行することは困難でした。三路の戦いで九州勢のみにより明・朝鮮軍に大勝した日本側とは
違い明側はすでに極度に疲弊していました。明側は三路の戦いを日本軍との決戦だと考え、数カ月かけて攻城具を大量に造り、
明各地から徴兵を実施するなど意気込みは相当なものだった

85 :日本@名無史さん:2013/12/08(日) 20:42:08.82
しかし、相当な意気込みで挑んだ明軍でしたが、九州勢のみの日本軍に敗退します。この時点で明軍に勝算はなかったと明側でも認識していた
例えば『明史』朝鮮伝によると「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、
百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」(
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息)とある。

また、明朝廷の国家予算が四百万両であるのに対して、明側がこの戦役で費やした戦費は780万両に及び財政も極度に悪化していた。
『明史』王徳完伝「寧夏用兵(ボハイの乱)、費八十余万、朝鮮之役七百八十余万、播州之役(楊応龍の乱)二百余万」

さらに、明軍の敵は日本軍だけではなかった。この頃には、満洲の女真族のヌルハチがたびたび明に侵攻を繰り返し、
対日本戦の明軍を割いてまで、ヌルハチに備えなければならない状況にあった。
『朝鮮王朝実録・宣祖実録』「西路?子, 與老乙可赤, 約與合勢, 開元、瀋陽、遼東、鴨壕齶謌ネ西等地, 欲爲搶掠云云。」 軍門已抄李芳春、牛伯英等撤送, 使之防守。 」

このように、戦争が続いたとしても日本軍が撃退される可能性はほぼ喪失していたため、日本軍は朝鮮に居座っただろう。
ただし、秀吉が朝鮮の制圧を目指していたかは別問題です。秀吉は文禄の役の講和条件に「勘合貿易の復活」を挙げており、
それを認めさせれば朝鮮から手を引いた可能性も十分ある。

86 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 01:40:18.33
慶長の役は日本側の戦略・防衛はあきらかなのに

小説なんかだと
明朝鮮の攻勢で日本軍が後退・逼塞させられた見たいに書かれてること多いね
出版社も小説家も朝鮮に気使いすぎじゃね?

87 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 02:14:51.40
外と喧嘩して内を固めるのは権力者がよく使う手管だ。

88 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 03:31:42.32
>>86
とにかく朝鮮関係になると嘘が多すぎるんだよな。


李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(文禄の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html

李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(慶長の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_9643.html

89 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 03:48:39.09
というか嘘だらけだよな
全羅道関連、梨峠、幸州山、晋州城、釜山浦、鳴梁海峡、李舜臣・権慄関連
徹頭徹尾嘘だらけ

90 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 06:55:17.37
世界征服計画が失敗して半島南部占拠まで後退した上に、
それすら出来ずに引き揚げたからなあ

91 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 23:23:16.71
>>90

半島南部を拠点にして活動していたのは立派な理由がある>>83-85
それが成功して、明と朝鮮は秀吉軍に歯がたたなかった。

92 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 23:44:36.42
秀吉は朝鮮征伐を「文禄の役」「慶長の役」の2回行った訳だが。

「文禄の役」後に日本軍の主力部隊は朝鮮半島から撤兵したけれども
釜山近郊の朝鮮南部には日本軍の残留部隊が駐屯していたって本当か??

93 :日本@名無史さん:2013/12/17(火) 00:55:46.07
>>92
バッチリ、押さえてる。

明との交渉は色々あるが1594年だけで西生浦で3回、1595の4月にも行われている。
咸安でも1594年11月に、熊川では1595年に2回行われている。

そして慶長の役の前年にあたる1596年8月の李氏朝鮮の記録に、
朝鮮人たちが気ままに日本の占領地に商売に行くが、これを取り締まるのは困難だと書かれてる。 
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcgggz3w9

94 :日本@名無史さん:2013/12/17(火) 02:28:57.50
>>92
韓国人的には信じたくないかも知れませんが
本当ですよ。(´・ω・`)

95 :日本@名無史さん:2013/12/17(火) 07:19:22.15
だから太閤殿下の世界征服大戦争を朝鮮征伐なんて矮小化して呼ぶなというに

96 :日本@名無史さん:2013/12/22(日) 22:21:09.50
【中央日報】倭乱当時に秀吉に連行された陶工・李参平を祭る日本〜なぜ朝鮮陶器は有田焼のように成功しなかったのかと先祖を恨む[12/20]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1387551491/l50

97 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 15:32:35.73
?

98 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 15:33:31.34
  

2000年以後に出た朝鮮征伐に関する学術書一覧

秀吉の対外戦争:変容する語りとイメージ
http://www.amazon.co.jp/dp/4305705516/

朝鮮の役と日朝城郭史の研究―異文化の遭遇・受容・変容
http://www.amazon.co.jp/dp/4792406153/

豊臣・徳川時代と朝鮮―戦争そして通信の時代へ―
http://www.amazon.co.jp/dp/4750332062/

李舜臣のコリア史: 秀吉の朝鮮出兵の全貌
http://www.amazon.co.jp/dp/4779119154/

文禄・慶長の役
http://www.amazon.co.jp/dp/4642063269/


以上を読んだ者は、amazonにそのレビューを投稿することを義務付ける

99 :日本@名無史さん:2013/12/24(火) 00:13:10.88
それらの学術書はこういう事実をちゃんと取り扱ってるんですかね?


フロイス『日本史』 1592-1593
・一部の朝鮮人は、生計に窮して、日本人のように月代を剃り、頭髪を結んで日本人を
装い、掠奪を目的として手真似や恐喝でもって同胞を襲った。


宣祖実録 1595年
・六月二十三日、日本軍に変装した匪賊四十余人が、晋州の陽全里に押し寄せて、
伏兵将李永寿と女児二人を拉致し去った事件があった。

100 :日本@名無史さん:2013/12/24(火) 09:14:44.50
>>99
まず読んで来い。
そして、amazonにそのレビューを投稿しろ。

101 :日本@名無史さん:2013/12/24(火) 10:32:33.19
>>100
読む前に知りたいんですよ
読んだあなたはこれらの史料を確認できましたか?

102 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 10:52:10.03
ソレ、軍板で全く相手にしてもらえなくて逃げてきた子だから
スルー推奨。リンクがアフィになんってんでしょ、たぶん。

103 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 10:53:50.49
おっと ×なんってんでしょ ○なってんでしょ

104 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 03:52:45.80
>>101
>>102
一番上のURLは貫井正之の著書ww 話にならない。

2番目は知らないから不明。

3番目はまたしても貫井ww

4番目は片野次雄
下のURLで別の朝鮮関係の本で黒田勝弘氏に手厳しい評価を下されてるw
http://realkid.exblog.jp/6417442

5番目は中野等 やたらとシンリャクガーと煩く、一部の資料を伏せたり、
鳴梁海戦で朝鮮水軍が勝利したことにより、日本水軍の西方展開頓挫させた
等とうそを書いている模様。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffct34y59u

鳴梁大捷!! しかし李舜臣は逃亡200km,
右水営陥落
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200802290000/

結論 いずれも朝鮮人や左翼が喜びそうな内容だな。

105 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 06:00:34.79
>>104
津野倫明の『長宗我部氏の研究』に収録されている論文は良いよね。

106 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 12:30:40.38
>>104も、自分では全く読んでもないくせに知ったかぶってる
みたいだなw

中野本は、軍事的な部分はほぼ参本の朝鮮役の引き写しなので、
鳴梁もそのままだだが、政治・経済含めて文禄・慶長の役を
概観するには良著だぞ。

107 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 18:20:13.01
>>106
中野さんに関しては、
>シンリャクガーと煩く、一部の資料を伏せたり
の部分があるから、話半分だなぁ。

>>98が卍と同類の抜き逝(貫井)を押してる時点で、なんかもうね・・・

108 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 19:03:21.78
>>67
>>106
教授という一般人より、様々な資料に触れられる有利な立場であり、
かつこれだけネットが普及して、一般人ですら外国の資料が読めるのに
下記の事実を隠してる時点で失格。

『宣祖実録』に見る鳴梁海戦後、日本水軍が全羅道西岸に進出していた証拠

慶長の役で李舜臣率いる朝鮮水軍が鳴梁海戦で日本水軍を撃退し、
全羅道西岸への進出を阻止したなどという主張がしばしば見られる。
しかし、これが事実ではないことは以前からyasoshima氏が明らかにしていた。
•鳴梁大捷!! しかし李舜臣は逃亡200km,
右水営陥落
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200802290000/

•鳴梁海戦@高山公実録
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200901120000/

•全羅道西岸の3朝鮮人の動向@1597年9月-10月
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200901140001/

109 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:00:36.03
>>108
>中野本は、軍事的な部分はほぼ参本の朝鮮役の引き写しなので、
参謀本部の編纂間違いは
当時としてはアレが編纂の限界なのだろうと思って、まあ納得・我慢できるにしても

中野さんの、昔より史料手に入れやすくなった今でも
間違い訂正しないのは、なにか意図的な物感じるよな

110 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:11:11.21
軍事的な部分は日本戦史の孫引きなんて軍事に無理解の日本史家はみんなやっている

111 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 00:49:21.23
>>110
故に信頼度・信用度が低下するわけで。

あと>>98の気持ち悪いリストの中に、中野本を入れてるのは、
アッチ系の人間には利用しやすいのは間違いない。

112 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 15:48:28.92
参謀本部編纂のはかなりの部分軍記物準拠だろ
もう時代遅れもいいところなのにいつまでもあの時代のその程度の文献が
重用されるなんてつくづくひどい分野だなあ

113 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 17:43:13.00
まーた知ったかぶりが出たなw 補伝を読んだこともないのがバレバレだろ。

114 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 20:11:26.41
朝鮮役は後期に編纂されたから、かなり関原役に比べてかなり一次史料を活用している

115 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 14:48:21.04
すこーし軍記物の割合が減りましたってか
当時の基準での史料批判が通用する甘い世界だね

116 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 16:10:30.90
戦闘経過は軍記を使用しないと描写不可能なのも事実

117 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 18:35:20.73
というより軍記物は列記とした史料

118 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 18:57:24.24
後代編纂の軍記物は仕方なく使うようなもんで自慢するようなもんではないわな
二級品以下で、常に軍記物ではこうなってると注釈をつけなきゃならない程度の情報

119 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 19:46:56.37
同時代編纂の軍記物も多数有る上
後代に書かれた良質な軍記物も存在する

120 :日本@名無史さん:2013/12/30(月) 22:05:29.26
>>89
幸州は以下の真相だな。

幸州戦の記録で、当時に書かれたという意味で、一番信頼できる朝鮮の乱中雑録1にはこうあります
(後代になるほど朝鮮側は潤色され派手になります)

矢や石を浴びせ、日本軍も三度進み三度引いたが、火が回り城の柵も燃え落ち、
矢も尽き、日本軍に切り込まれて落城寸前だったとあり、白兵戦の最中に
朝鮮の丁傑の救援の2艘が現れたので、日本軍は一旦引いたとあります。

小西、大谷、黒田ら8将が 秀吉に宛てた文禄2年2月18日発の、書状でも、
「この丸に責入数百人切捨、本城土居付而相戦申候へば、少少手負出来候間」とあり、

乱中雑録でも朝鮮側の戦果が130頸とあり、
現在言われているような派手な勝利?ではなく少なめであり、
そして日本側の数百人切捨と、乱中雑録1のあわや落城かという
双方の記録が一致しています。

121 :日本@名無史さん:2013/12/30(月) 22:07:23.26
ちなみに宣祖実録では、3度進み3度引いた後の
日本軍の死者は数十人、負傷者は100人 とあります。

朝鮮の記録だけで見ても、日本軍の死者は200人前後で、 負傷者は100人になります。

乱中雑録では、日本軍が引いたところで
記録が終わっていますが、同書状では、
諸将が城に対して夜責めでもしようと協議している間に
17日に朝鮮軍が城を焼いて逃げたとあります。
この書状は、権慄が城を焼いて放棄した翌日の18日に発せられているので、
日本軍は城の近くにいたことがわかります。

同時期の懲録も、この戦いについては簡潔にしているだけであり、
特筆するとすれば、幸山城の指揮官であった権慄が命令を出して、
日本兵の死体をズタズタにして、木に掛けたという箇所ですか。

http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffc8zt4wig

122 :日本@名無史さん:2013/12/31(火) 21:33:49.84
>「この丸に責入数百人切捨、本城土居付而相戦申候へば、少少手負出来候間」とあり、

へえ、こんな書状残ってたのか
本なんかに載ってる幸州城の戦いって日本軍が惨敗したの強調するのがほとんどで
日本側から見た幸州の戦いの戦況観たことないから新鮮

123 :日本@名無史さん:2014/01/01(水) 01:28:07.47
実録ですら幸州城で李朝軍が勝ったとは書いて無いんだが‥
ゴミ屑以下の価値しか無い本ばかりなのか

124 :日本@名無史さん:2014/01/01(水) 09:18:02.10
朝鮮水軍を水陸で迎撃しろって命令が、朝鮮水軍とは戦うな!になるからね。
これ北島大先生が言ってたんだけど、ミスリードさせようという魂胆が見えてしょうがない。

125 :日本@名無史さん:2014/01/01(水) 12:13:33.28
>>123
実録や一次史料は知らないけど
図書館で一般的に借りれる秀吉・朝鮮出兵関連の書物だと大体
幸州山城は日本側の敗退と書かれてるな。

126 :日本@名無史さん:2014/01/02(木) 03:07:35.94
>>89
少しはこの風潮も変わって欲しいんだけどな
最近週刊誌辺りが韓国を腐したり、おちょくる記事を書いたり
若干変化が出てきたのは嬉しい限りだが。

中韓、とくに韓国関係は歴史以外も聖域みたいな感じだからな
ドラマもマンガも中国人にはスケベオヤジや人間臭いキャラも居るんだが
韓国人はNHKに出てくる障害者みたいな模範的な人間ばかり(しかもイケメン率激高)
ゴルゴ13も欧州、米中の要人は殺しまくるのに韓国絡みはヤバすぎるのは全く仕事を引き受けないw

127 :日本@名無史さん:2014/01/02(木) 05:35:38.53
大方、韓国と仲良くしたいがために、日本の学者が迎合するためにいい加減な事書いてるんだろうけど、
小西、石田、.沈が共謀した欺瞞的な和平交渉が決裂した結果が慶長の役だったな

128 :日本@名無史さん:2014/01/02(木) 20:02:33.76
>ゴルゴ13も
去年初登場

129 :日本@名無史さん:2014/01/02(木) 22:17:02.79
>>125
>実録や一次史料は知らないけど
>図書館で一般的に借りれる秀吉・朝鮮出兵関連の書物だと大体
>幸州山城は日本側の敗退と書かれてるな。
3万もの大軍で攻めながら、総大将の宇喜多秀家さえ負傷して撤退してるんだから、
敗退でいいんじぇね(笑)

130 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 02:14:36.83
撤退したのは李朝軍な
攻撃を掛けた日の攻撃を一旦退けた後
包囲続行中に李朝軍がさっさと逃げた

131 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:18:11.22
>>130
>撤退したのは李朝軍な
>攻撃を掛けた日の攻撃を一旦退けた後
>包囲続行中に李朝軍がさっさと逃げた
へー、3万の大軍の包囲下にあって、無事
脱出できたんだ?
むしろそれの方がすごいね。(笑)

132 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 13:18:02.31
結果、漢城近郊にいた朝鮮軍は退いたわけか

133 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:05:32.55
>>132
元々は全羅道で孤立していた朝鮮軍が政府に合流するために北上している途中に起きた戦闘だからね。

134 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:13:34.38
>>130
>撤退したのは李朝軍な
>攻撃を掛けた日の攻撃を一旦退けた後
>包囲続行中に李朝軍がさっさと逃げた
へー、3万の大軍の包囲下にあって、無事
脱出できたんだ?
むしろそれの方がすごいね。(笑)
総大将の宇喜多秀家を始め、軍監の石田三成や大名の吉川広家・前野長康
らが負傷したのって案外このときだったりしてな(笑)

135 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:24:31.74
>>134

日本軍:目障りなので半日攻めてみたが、割に合わない被害が出たから一旦撤退。

朝鮮軍:たまたま天険に陣地を築いてみたが、このままここに居続けられないから撤退。

136 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:45:31.16
コンビニに売ってた 「戦国時代100の大うそ」に
明側の史料に 加藤清正が 秀吉への冊封に 「そもそも天皇という日本の王がいる 秀吉は出自が卑しい人間だ〜」
と秀吉を評したとかあるが これの出典元ってほんとにあるの?

137 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:55:23.12
無いよ、明側の資料は日本語ではなく漢文で書かれている

138 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:57:08.44
>>134
そもそも名前の挙がっている武将の率いていた軍勢は2万強
日本側が攻めたのはたった1日だけ
その日の夜に李朝軍は逃走して居なくなった

139 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:02:44.47
朝鮮征伐は間違い
秀吉は金やモンゴルまで見えてなかったんだろな。

140 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:09:40.78
>>135
なんか
それ見るとお互いともショッパイ戦いだな

141 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:30:19.35
秀吉も天下統一後、部下に恩賞を与えなければいけなかったから、
出兵って話。サル山論理。

142 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 23:07:45.54
>>135
>日本軍:目障りなので半日攻めてみたが、割に合わない被害が出たから一旦撤退。
>>138
>日本側が攻めたのはたった1日だけ
言い訳はいいから(笑)
総大将の宇喜多秀家を始め、軍監の石田三成や大名の吉川広家・前野長康
が負傷し、城を占領できずに撤退した事実はかわらんよ!
お前らサムライ厨は見苦しい奴らだな(笑)

143 :日本@名無史さん:2014/01/05(日) 12:14:57.87
>>127
韓国と嘘をついてまで仲良くするメリットが感じられないんだよね
大方「惨めで哀れな朝鮮人を庇護する平和の使者なり〜」って感じでラリッてるんじゃないかと思ってるけど
島耕作の漫画にも出てたけど、周囲の日本人に虐められてる哀れな朝鮮人を私(島耕作)だけは庇護してやった
って気持ち悪い美談が出てきてたし。団塊オヤジのセンズリだよ完全に。

144 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 21:04:07.30
>>142
戦闘が終わった途端に朝鮮軍が城を放棄して逃亡した事実も変わらないんだが(笑)
結局は戦術的にもギリギリの辛勝、戦略的には敗北しているんだが(笑)
だいたい、宇喜多も石田も吉川も前野もその後健在でキャリアに何の影響もなかったから、たいした負傷じゃなかったんだろ(笑)
城主を討ち取られた上に二度目で陥落した晉州城といい、たかだか1500人の脇坂隊をボコったに過ぎない閑山島海戦といい、
壬辰倭乱の三大捷(笑)といって朝鮮人がもてはやす戦闘なんて所詮はこんなもんだ(爆笑)

145 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 23:32:06.58
>>144
>戦闘が終わった途端に朝鮮軍が城を放棄して逃亡した事実も変わらないんだが(笑)
>結局は戦術的にもギリギリの辛勝、戦略的には敗北しているんだが(笑)
兵力が違うだろ、兵力が・・・
実戦経験の豊富さ、武具甲冑などの充実さ、100年近く前に築城された幸州山城の
防御力の乏しさ、そしてなにより10倍近い兵力差これらを考慮しなきゃ(笑)

146 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 00:35:07.52
実戦経験が乏しいのが悪い
武具甲冑を製造しないのが悪い
防御施設を整備しないのが悪い
兵力差は4倍程度

1日で逃亡するのはヘタれ過ぎる

147 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 00:39:05.22
>兵力差は4倍程度
具体的には?

148 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 07:40:17.62
漢城・平壌はあっさり占領されときながら幸州なんとかで自慢されてもな。
明いなかったらどうすんの?

149 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 13:47:21.22
>>145
>>兵力が違うだろ、兵力が・・・
>>そしてなにより10倍近い兵力差これらを考慮しなきゃ(笑)

そもそも、日本軍と朝鮮軍の兵力差は10倍もないジャン(笑)
城に引き篭もった2300人の他に城の周辺に配置された宣居怡らの後詰の軍があったし、
漢江から日本軍を牽制した丁傑らの水軍もあったんだが(笑)
李烱錫は「壬辰戦乱史」の中で、これらを合わせて朝鮮軍の参加兵力を1万人としているんだが(笑)
つまり兵力差は三倍程度に過ぎなかったってことだ(爆笑)

150 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:03:23.99
小早川秀秋が初陣で明鮮連合軍に勇猛果敢に突撃して敵兵の首級を上げまくった訳だが。

1、釜山守備を命じられていながら、蔚山の加藤清正救援に回った事
2、大将自ら敵軍に突撃するという浅はかな行為

を咎められてしまった訳だが。

秀秋は関ヶ原以降「腰抜け」「優柔不断」「卑怯者」「臆病者」と言われて来た。
ただ、朝鮮征伐の蔚山攻防戦を見れば、少なくとも「勇猛果敢」であったのは事実。

小早川秀秋が余りにも必要以上に悪く言われているけれども、再評価が必要ではと思う。

151 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 23:29:39.72
>>149
>そもそも、日本軍と朝鮮軍の兵力差は10倍もないジャン(笑)
>城に引き篭もった2300人の他に城の周辺に配置された宣居怡らの後詰の軍があったし、
>漢江から日本軍を牽制した丁傑らの水軍もあったんだが(笑)
>李烱錫は「壬辰戦乱史」の中で、これらを合わせて朝鮮軍の参加兵力を1万人としているんだが(笑)
>つまり兵力差は三倍程度に過ぎなかったってことだ(爆笑)
ホホ―、それで宣居怡らの後詰の軍や丁傑らの水軍ってどんな活躍をしたんだろう?

152 :日本@名無史さん:2014/01/08(水) 00:18:56.70
朝鮮人らしく、いつもの通り何も活躍しなかったよ

153 :日本@名無史さん:2014/01/08(水) 00:32:28.21
心から朝鮮人に産まれなくて良かったと思う。

154 :日本@名無史さん:2014/01/08(水) 18:02:42.01
>>151
ふーん、お前の中では直接戦闘に参加しないと参戦したことにならないんだ(笑)
だったら、日本側も小早川隆景らの軍勢(1万人)が最後まで戦闘に不参加だったんだが(笑)
渡辺刀水も「碧蹄戦史」で実際に城攻めに投入された兵力は1万人程度だろうと推測しているんだが(笑)
あと、丁傑らの水軍は船で矢を城に運び入れて城方の窮地を救っているし、
さらには李蘋らの水軍の増援到着が日本軍撤退の一因になったんだが(笑)
いずれにせよ、兵力差10倍なんて理屈はなりたたないわけだ(爆笑)

155 :日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:02:40.78
>>154
>ふーん、お前の中では直接戦闘に参加しないと参戦したことにならないんだ(笑)
傍観してた朝鮮軍が気になって城攻めに専念できなかったとかならわかるが、
そういうわけでもなければ頭数にはいれないな(笑)
>だったら、日本側も小早川隆景らの軍勢(1万人)が最後まで戦闘に不参加だったんだが(笑)
総大将の宇喜多秀家でさえ負傷している戦況で小早川は戦闘に参加しなかったって?
それについてもっとくわしく!
>渡辺刀水も「碧蹄戦史」で実際に城攻めに投入された兵力は1万人程度だろうと推測しているんだが(笑)
>さらには李蘋らの水軍の増援到着が日本軍撤退の一因になったんだが(笑)
彼の本は読んだことないけど、幸州山城攻めに参加した諸将の率いられる兵力は
開戦から10ヶ月たって3万から1万に減っちゃったということなんじゃねえの?
義兵闘争によって兵力が激減したって言う主張なら反対はしないけどな(笑)
>あと、丁傑らの水軍は船で矢を城に運び入れて城方の窮地を救っているし
>いずれにせよ、兵力差10倍なんて理屈はなりたたないわけだ(爆笑)
2艘の船で救援にきたってやつか!?
おおかた1艘あたり千人ぐらい乗ってたって主張したいのか?(爆笑)

156 :日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:37:20.74
>>155

>>傍観してた朝鮮軍が気になって城攻めに専念できなかったとかならわかるが、
>>そういうわけでもなければ頭数にはいれないな(笑)
お前さ、後詰・後巻の意味ってしってる?(笑)
開戦にあたって後詰として配置されている以上、頭数に入れないのはおかしいだろ(笑)
あと、お前の国のwiki幸州山城のページでも朝鮮軍の兵力は1万人になってるぞ(笑)

>>総大将の宇喜多秀家でさえ負傷している戦況で小早川は戦闘に参加しなかったって?
>>それについてもっとくわしく!

>>彼の本は読んだことないけど、幸州山城攻めに参加した諸将の率いられる兵力は
>>開戦から10ヶ月たって3万から1万に減っちゃったということなんじゃねえの?
>>義兵闘争によって兵力が激減したって言う主張なら反対はしないけどな(笑)

此所に掲げた兵数は、日本出発当時の数で、其後の減耗や守備の為め残留した者を
控除しなければならぬから、幸州攻撃に向った総兵力は、左程大なるものではない。
小早川の七番隊などは遂に攻撃には参加しなかつたのである。上記の県監申景禧の宣祖の間に
答へたものに「日本軍の兵数は三万に過ぎず」とあるのを見ても、日本軍の少なかつたことは分る。
攻撃をした地域から考へても、先づ一万以下と算してよからうと思ふ、吉見家朝鮮陣日記には三万余とある。
併し此の書は兎角兵数に掛値のある書き方がしてあるから、必ずしも證據とはならぬ。
渡辺刀水「碧蹄戦史」

城攻めまでの戦死・病死や守備兵の残置にくわえて、各部隊の2〜3割を占める水夫も当然城攻めには随行しなかったろうから、
渡辺刀水が言う通り城攻めに投入された兵力は「三万余」よりは遥かに少なかっただろうね(笑)
あと、減耗した兵のうち戦死した者はごく僅かで、大半が病死・凍死・餓死などの戦病死だとフロイスが記録しているから、
お前の崇拝する朝鮮義兵(笑)に殺された人数は全体から見ればほんのちょっぴりだったんじゃね!(爆笑)

>>2艘の船で救援にきたってやつか!?
>>おおかた1艘あたり千人ぐらい乗ってたって主張したいのか?(爆笑)

それとは別に全羅水軍の軍船40隻が来援していることも知らねえのかよ(爆笑)

157 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 00:53:41.65
〉お前さ、後詰・後巻の意味ってしってる?(笑)
〉開戦にあたって後詰として配置されている以上、頭数に入れないのはおかしいだろ(笑)
ご‐づめ【後詰め】  
1 先陣の後方に待機している軍勢。予備軍。後手(ごて)。うしろづめ。
2 敵の背後に回って攻めること。また、その軍勢。後攻(ごぜ)め。
g00の辞書にはこう書いてあるけどお前の主張する朝鮮軍は上記の1か2の行動を取ったのか(笑)
〉あと、減耗した兵のうち戦死した者はごく僅かで、大半が病死・凍死・餓死などの戦病
〉死だとフロイスが記録しているから、
〉お前の崇拝する朝鮮義兵(笑)に殺された人数は全体から見ればほんのちょっぴりだっ
〉たんじゃね!(爆笑)
お前には悪いがそれはないな(笑)
文禄元年11月10日の小早川隆景宛て朱印状によると「明年(文禄2年)春の(秀吉自身)
ご渡海後に義兵との決戦をするので城を固めておけ」と命令している。
文禄元年11月18日の朱印状によっても「明年(文禄2年)春の(秀吉自身)ご渡海後に
白国(慶尚道)赤国(全羅道)の仕置きを行う。」と命令している。
つまり開戦から半年ほどで秀吉の当初予想していた16万の軍勢による明征服のために
用意した30万の軍勢を投入することになったんだ。
義兵により直接殺された者は少なくても、義兵との戦闘中に病死、凍死、餓死した者は
多いだろうな(笑)

158 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 01:52:29.86
1人でレスしてんの?ねえ?

159 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 15:52:05.28
>>115
当時の基準の史料批判って、むしろ今の史料批判より厳密だろwww
あれがまだ第一線級の史料なのは、ある種の悲劇ではあるけどなwww

今の日本史学者は基礎知識なさすぎだから、
史料の信頼性の基準が無茶苦茶。
クラウゼヴィッツやクレフェルトすら読まずに軍事史研究者気取ってるし、
実際読んだところで頭が悪すぎて理解できないと思われる。

ま、今日び文学部入る奴は社会の残りカスだから仕方ないけどね。

160 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 16:21:48.79
餓死は多かったと思う
電撃戦の文禄の役と地味に橋頭堡の確保に重点を置いた慶長の役の戦略の差を見れば一目瞭然。

秀吉政権は朝鮮の土地を過大評価してた。
せめて東北並みの豊かで現地の食糧で15万の兵が駐屯できると思ってたんだよ、
アジアと言うか朝鮮を過大評価する風潮は今に似てると思う。

行ってみたら信じられない程の困窮な土地で戦線が維持できないほど餓死者が続出。
四川で起きた反乱には20数万の大軍を送れる明軍も朝鮮には10万しか援軍を送れない。
当時の朝鮮の土地は満州や蒙古と大差の無い荒涼とした土地だったんだよ。

161 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:54:52.36
朝鮮って当時700万(一説には1千万)くらい人口があったと言われている。
たかだか16万くらいの兵力の食料くらい問題にもならんよ(笑)
義兵の激しい抵抗にあって現地調達ができなかっただけだ!!

162 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:38:27.72
>>157

>>g00の辞書にはこう書いてあるけどお前の主張する朝鮮軍は上記の1か2の行動を取ったのか(笑)

ふーん、g00の辞書はともかく、世界大百科事典・第2版にはこう書いてあるんだけど(笑)

「〈ごづめ〉とも読む。用兵に関する術語として戦記物語に頻出する。
救援のため後方に控える予備部隊または援兵およびその救援行動をさす場合が最も多い。」

あらかじめ城の周囲に配置されていた宣居怡の部隊も邊以中の部隊も漢江の水軍も、上の定義にぴったり当てはまるな(笑)
だいたい、お前の頭では同じ部隊でも戦ったら後詰になって、戦わなかったら後詰じゃなくなるのかよ(笑)
まあ結局のところ、総兵力で比べる場合は1万人対3万人(最大推計)、
戦闘参加兵力で比べる場合にしても2300人+水軍42隻対1万人前後になるわけだから、
いずれにせよ兵力差10倍というお前の主張お主眼(笑)はとっくに崩壊しているんだが(爆笑)

>>お前には悪いがそれはないな(笑)
>>文禄元年11月10日の小早川隆景宛て朱印状によると「明年(文禄2年)春の(秀吉自身)
>>ご渡海後に義兵との決戦をするので城を固めておけ」と命令している。
>>文禄元年11月18日の朱印状によっても「明年(文禄2年)春の(秀吉自身)ご渡海後に
>>白国(慶尚道)赤国(全羅道)の仕置きを行う。」と命令している。
>>つまり開戦から半年ほどで秀吉の当初予想していた16万の軍勢による明征服のために
>>用意した30万の軍勢を投入することになったんだ。

まーたまた話題逸らしかよ(笑)
その話が日本軍の減耗に占める戦死者の割合と何の関係があるんだ(笑)
フロイスは百方手を尽くして調べた結果、日本軍の死者のうち敵に殺された者は僅かで、
大部分は病死・凍死・餓死などの戦病死だったと記録しているんだ(笑)
その僅かの戦死者から朝鮮正規軍や明軍との戦闘で討ち死にした者を差し引くと、
最強の朝鮮義兵(笑)に討ち取られた兵の割合なんてちょっぴりしか残らないんじゃね(爆笑)

163 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:39:09.71
>>義兵により直接殺された者は少なくても、義兵との戦闘中に病死、凍死、餓死した者は
>>多いだろうな(笑)

ホホ―、義兵との戦闘中に病死、凍死、餓死した者まで義兵に討ち取られた者としてカウントするのか(笑)
日本側の大名の負傷は戦死と紙一重だ!(笑)なんて言い出すところといい、
お前はずいぶんと都合のいい頭をしてるんだな(爆笑)

>>文禄元年11月10日の小早川隆景宛て朱印状によると「明年(文禄2年)春の(秀吉自身)
>>ご渡海後に義兵との決戦をするので城を固めておけ」と命令している。

あとこれだけど、嘘をつくのはよくないなー(笑)
文禄元年11月10日の朱印状には一揆原(義兵)を撫切にするとは書いてあるけど、決戦をするなんて書いてないジャン(笑)
一揆原を義兵とするのは妥当としても、「撫切にする」と「決戦をする」とでは全然印象が違うよねー(笑)

それと「文禄元年11月18日の朱印状」って「文禄元年十二月廿四日の書状」の間違いじゃねえのか(笑)
おおかた本文が「十一月十八日書状」で始まるから早とちりしちゃったんだろう(笑)
黄石山城350人の件といい、本当に成長のない野郎だな(爆笑)

>>161
×義兵の激しい抵抗にあって現地調達ができなかった
○占領地の統治に失敗して年貢米を徴収できなかった

だろうが(笑)
一つ聞くけど、義兵の激しい抵抗がなかったら現地調達を続けられたのかよ(笑)
百姓が逃げ出して田畑を耕す者もない状態じゃ官倉を暴いたり民衆を襲って乱取りするくらいしかないが、
そんなことで15万の兵をいつまで食わせられると思ってるんだ(爆笑)

164 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:53:22.18
>>150
いや、秀秋は日本にいて蔚山戦には参加していないよ。
残留した秀秋の家臣は戦ったけど。

165 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 21:31:11.24
>>161
日本と違って半島は慢性的に飢餓状態で慢性的に飢饉が頻発してるんだよね
人だけ居ても食べ物は無い、余剰食料は况て無い

166 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:05:09.54
文禄の役の頃、朝鮮が明軍の兵糧を切らして担当者が鞭でぶっ叩かれた事あったよね

167 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:18:53.04
>>161
朝鮮の年中行事たる春窮を知らんのか?w

平時でさえ余剰食糧がなく毎年春には飢餓状態になるのが常態なのに、
万単位の軍が駐留すればその地方の食料を食い尽くすのは、子供でも判る
道理だろ。おまけに、李氏朝鮮の道路網は踏み分け路程度で無いに等しく
他地域から融通するのも非常に困難という日本と比べるべくもない劣悪
インフラだったしな。

168 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 00:28:35.06
>>167
対馬は朝鮮から良質なコメを恵んで貰ってたろ??あ?

169 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 01:13:32.73
良質な米だったという記録はあるのかな?w

170 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 02:04:57.55
>>162
>>ふーん、g00の辞書はともかく、世界大百科事典・第2版にはこう書いてあるんだけど(笑)
>「〈ごづめ〉とも読む。用兵に関する術語として戦記物語に頻出する。
>救援のため後方に控える予備部隊または援兵およびその救援行動をさす場合が最も多い。」
幸州山城の後方に予備軍が控えていてなんか意味でもあるのか?
城内に入って一緒に防戦するなり、攻城軍の側面を威嚇や攻撃しなけりゃいる意味がない。
まったく野戦と籠城戦の区別もつかないのかよ、お前は(爆笑)
〉一揆原を義兵とするのは妥当としても、「撫切にする」と「決戦をする」とでは全然印象が違うよねー(笑)
そんなとこを突っ込んでも秀吉の当初戦略が義兵闘争によって崩れた事実は変えられないけどな(笑)
オメエのめでたい頭では秀吉が軍勢を率いてくれば義兵たちは「決戦」を挑まなくても無抵抗で、「撫切」にさせてくれるんだ(爆笑)
〉ホホ―、義兵との戦闘中に病死、凍死、餓死した者まで義兵に討ち取られた者としてカウントするのか(笑)
オメエのめでたい頭では日本軍の多くの将兵たちは、朝鮮半島に滞在してるだけで、病死したり、凍死したり、餓死したりするヨワッチイ連中なんだな(笑)
そんなヨワッチイ連中ならどうやっても朝鮮出兵は失敗する運命だよな(爆笑)

171 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 02:35:36.59
そのヨワッチイ連中を6年半も駆逐出来なかった連中の立場が無くなるから言ってやるなよww

172 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:22:07.37
>>170
>>幸州山城の後方に予備軍が控えていてなんか意味でもあるのか?
>>城内に入って一緒に防戦するなり、攻城軍の側面を威嚇や攻撃しなけりゃいる意味がない。
>>まったく野戦と籠城戦の区別もつかないのかよ、お前は(爆笑)

それは後詰として配置されときながら、ビビって意味のある行動を取れなかった最強朝鮮軍(笑)の戦術的失敗だろ(爆笑)
あらかじめ後詰として配置されている以上、総兵力に加えないわけにはいかないなー(笑)それはえこひいきってもんだ(笑)
まあお前がどんなに喚こうが、総兵力で比べても戦闘参加兵力で比べても
兵力差10倍なんて主張お主眼(笑)は成り立たずお前が完全に論破された事実は変わらねえ(爆笑)

>>そんなとこを突っ込んでも秀吉の当初戦略が義兵闘争によって崩れた事実は変えられないけどな(笑)
>>オメエのめでたい頭では秀吉が軍勢を率いてくれば義兵たちは「決戦」を挑まなくても無抵抗で、「撫切」にさせてくれるんだ(爆笑)

ふーん、一方的な殲滅戦という意味合いの強い「撫切」という表現を、最終的な勝敗を決する大会戦という意味合いの「決戦」と
すり変えるという卑劣な印象操作をやらかしたくせに、そんな風に開き直っちゃうんだ(笑)
いやー、俺は民族差別とは無縁の人間だけど、これにはつい「やっぱ朝鮮じんは厚顔無恥だな〜」と思っちゃったわ(笑)
あと、秀吉の当初戦略が崩れるのなんて当たり前じゃん(笑)
なにせ、秀吉は宗氏から「朝鮮は既に服属している」と聞かされ、祝賀使節を服属使節だと思い込んでいたんだから(笑)
だから朝鮮を兵站基地として速やかに「唐入り」するという文禄の役の無茶苦茶な戦略が成立したんだ(笑)
だからこそ、当初の日本軍は乱取りに厳罰を課して禁止し、田畑を捨てて逃げ出した百姓を必死に呼び戻そうとしたんだ(笑)
つまり義兵闘争(笑)があろうがなかろうが、朝鮮からの年貢の徴収が見込めなくなった時点で戦略は破綻していたわけだ(爆笑)

173 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:22:44.45
>>オメエのめでたい頭では日本軍の多くの将兵たちは、朝鮮半島に滞在してるだけで、病死したり、凍死したり、餓死したりするヨワッチイ連中なんだな(笑)
>>そんなヨワッチイ連中ならどうやっても朝鮮出兵は失敗する運命だよな(爆笑)

ナポレオンのロシア遠征や露土戦争を例に出すまでもなく、近代以前の外征は戦死者よりも
病死・餓死・凍死などの戦病死者の方が遥かに多いというのが戦史の常識なんだが(笑)
お前の理屈で言えばナポレオンの遠征軍も帝政ロシアの遠征軍もヨワッチイ連中だったってことだな(爆笑)

174 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 00:35:20.24
>>1702
>それは後詰として配置されときながら、ビビって意味のある行動を取れなかった最強朝鮮軍(笑)の戦術的失敗だろ(爆笑)
>あらかじめ後詰として配置されている以上、総兵力に加えないわけにはいかないなー(笑)それはえこひいきってもんだ(笑)
>まあお前がどんなに喚こうが、総兵力で比べても戦闘参加兵力で比べても
>兵力差10倍なんて主張お主眼(笑)は成り立たずお前が完全に論破された事実は変わらねえ(爆笑)
お前、それ真面目に言ってるの?だったらだいぶ重傷だな(笑)
攻城戦って籠城軍よりも攻城軍の方が圧倒的に優勢な状況で始められるものなのに。
籠城側に救援軍が来た場合は、たとえばアレシアの戦いのカエサル率いる攻城軍のように城攻めを後回し
にしても救援軍との戦いを優先するように、1万近い救援軍が間に合ってたら当然日本側もそちらを優先
しているだろ。

175 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 01:07:51.71
〉172
〉つまり義兵闘争(笑)があろうがなかろうが、朝鮮からの年貢の徴収が見込めなくなった時点で戦略は破綻していたわけだ(爆笑)
朝鮮からの年貢の徴収が見込めなくなった主原因だろ、義兵闘争は(笑)

176 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 01:36:46.39
>>攻城戦って籠城軍よりも攻城軍の方が圧倒的に優勢な状況で始められるものなのに。
>>籠城側に救援軍が来た場合は、たとえばアレシアの戦いのカエサル率いる攻城軍のように城攻めを後回し
>>にしても救援軍との戦いを優先するように、1万近い救援軍が間に合ってたら当然日本側もそちらを優先
>>しているだろ。

「間に合ってたら」って何だ?宣居怡の部隊も邊以中の部隊も、戦闘前に城の周辺に配置されときながら
ビビって救援できなかっただけのことだろうが(笑)それに李蘋らの水軍が来援して漢江から牽制した結果、
退路を絶たれるのを恐れて日本軍が撤退に踏み切っているんだから、お前の言ってることはまるで的外れなんだな(爆笑)

>>朝鮮からの年貢の徴収が見込めなくなった主原因だろ、義兵闘争は(笑)

なんで義兵闘争が主原因なのかな(笑)
義兵闘争があろうがなかろうが、占領地の民衆をうまく手なずけられていれば、年貢は徴収できるじゃん(笑)
あ、もしかして田畑を捨てて逃げ出すという百姓の行動が義兵的だったと言いたいのか(笑)

177 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 09:05:12.01
幸州山城は別に山城じゃなかったからねー。
例えれば、富士山の山頂に数百で立て籠もられたようなもの。
目障りだから攻めてみたが、長居できるような状況ではなかった。

結局攻めなくても落ちている。

178 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 09:19:31.73
>いやー、俺は民族差別とは無縁の人間だけど、これにはつい「やっぱ朝鮮じんは厚顔無恥だな〜」と思っちゃったわ(笑)
残念だけど俺は国籍的にも民族的にも日本人なんだな(笑)
それも先祖には幕臣をもつ武士の子孫なんだけどな(笑)

179 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 09:43:33.17
〉「間に合ってたら」って何だ?宣居怡の部隊も邊以中の部隊も、戦闘前に城の周辺に配置されときながら
〉ビビって救援できなかっただけのことだろうが(笑)それに李蘋らの水軍が来援して漢江から牽制した結果
城攻めの最中に1万近い兵力で側面から攻撃されたらやばいのになんで日本側は城攻より、そっちを優先し
なかったんだ(笑)

180 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:22:05.14
>>残念だけど俺は国籍的にも民族的にも日本人なんだな(笑)
>>それも先祖には幕臣をもつ武士の子孫なんだけどな(笑)

ふーん、今後はそういう設定でいくつもりなんだ(笑)
じゃあお前は先祖に幕臣をもつ武士の子孫なのに、あちこちのスレで

>>小早川隆景率いる第6軍1万5千人って、立花宗茂の3千人や小早川秀包の
>>1千5百人を擁してる当時の日本でも最精鋭の一つだろ。
>>その第6軍でも実戦経験もない武装農民である義兵に勝てなかったんだから
>>120年の戦乱に揉まれた史上最強の武士たちもたいしたことねえな。

>>戦国時代の戦乱を生き残った安土桃山期の武士って
>>千年におよぶサムライの歴史上「最強の世代」だろう。
>>その「最強の世代」のサムライにとっても朝鮮半島を征服
>>するには荷が重かったと思うと・・・
>>日本人としては何となく悲しいな(笑)

↑こんな風に武士を貶め朝鮮義兵(笑)を礼賛する発言を執拗に繰り返してるわけだ(笑)
だとしたらとんだ武士の子孫もいたものだな(爆笑)
それに日本人にしては「日本じん」だの「とり作ろう」だの「主張お主眼」だのおかしな言葉使いがやたら多いんだが(笑)

極めつけにはお前、【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート4で論破されたときに

550 : 日本@名無史さん [sage] 2010/12/15(水) 04:01:30 妄言おつかれです
お前ら日本猿は頭も悪くて、体も惰弱のクズしかいねえんだから。こんな無謀な戦争負けて当然
次はお前らの鼻と耳が無くなるから覚悟しておけ

↑逃げ出す前にこんな捨て台詞吐いちゃってるんだが(笑)
これってかなり致命的な発言だと思うんだが、それでもまだ自分は日本じんだと言い張るつもりなのか(爆笑)

181 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:24:27.19
>>城攻めの最中に1万近い兵力で側面から攻撃されたらやばいのになんで日本側は城攻より、そっちを優先し
>>なかったんだ(笑)

さー知らないなー、そんなことは宇喜多秀家にでも聞けよ(笑)
まあおおかた、日本軍の進軍中も攻城中も、縮み上がってびくびくしながら身を隠してたんじゃね(笑)
それに「1万近い兵力」ってお前はどういう理解をしてるんだ(笑)
1万から幸州山城の2300人と丁傑、李蘋らの全羅水軍を差し引いた数が宣居怡や邊以中の兵力になるんだが(笑)

182 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:25:01.10
>180
>ふーん、今後はそういう設定でいくつもりなんだ(笑)
そういう設定ってなんだよ(笑)
実際、旗本の末裔なのに(笑)

183 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:26:25.05
>まあおおかた、日本軍の進軍中も攻城中も、縮み上がってびくびくしながら身を隠してたんじゃね(笑)
結局推測なんだ(笑)

184 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 12:51:03.35
>>182
ホホ―、つまりお前は【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート5 において
上記の決定的発言をはじめとした過去の発言をつきつけられ、朝鮮人認定を否定もできずに逃げ出したのに、
今更になって武士の子孫だとか言い出すわけだ(笑)
あれほど血の気が多くて敵対者には噛み付かずにはいられないお前が、
何の反論もせずに姿をくらましたこと自体、ある重大な事実を指し示していると思うんだけどなー(笑)
まあ好きにすればいいんじゃね、俺は全く信じてないけど(爆笑)

>>183
うん、推測だよ(笑)
何から何まで文献にのこっているわけじゃないし、
俺は考証姿勢が慎重だから軽々しく断定するような真似はしたくないんだ(笑)
まあ幸州山城の戦いの兵力差が10倍には遠く及ばなかったことと、
お前がまたもや論破されて恥を晒したということは100%断定しておくけどな(爆笑)

185 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 14:20:29.78
>>184
>ホホ―、上記の決定的発言をはじめとした過去の発言をつきつけられ、朝鮮人認定を否定もできずに逃げ出したのに、
あー、お前誰かと勘違いしてるんじぇね(笑)
〉朝鮮人認定を否定もできずに逃げ出したのに、
ソースだせや(笑)

186 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:35:49.98
>>185

ほーれ、ソースだ(笑)
http://unkar.org/r/history/1309906282

なんで>>975以降姿をくらましちゃったのかなー(爆笑)
あ、気付いたらスレが埋まって書き込めなくなってた、なんて言い訳はするなよ(笑)
スレが埋まるまで十日以上猶予があったんだから(笑)

187 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 17:27:35.19
そいつ、武士は強盗と一緒とかなんとか云うスレで暴れてた
自称武士の子孫の在チョンだなww

188 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 21:31:00.60
>>186
>なんで>>975以降姿をくらましちゃったのかなー(爆笑)
バカバカしいからに決まってるだろ(笑)
なんの根拠もなく、議論に勝てないからって在日認定するような
馬鹿の相手をするのがバカバカしくなったからに決まっているジャン!!

189 :日本@名無史さん:2014/01/12(日) 22:21:16.65
>>187
てめえだけが勝手なチョソ認定してたんだろ糞がw
なら俺が知識バトルの相手またしてやろうか雑魚?w
何で俺がチョソなんだよ粕w
同胞認定必死こいてんなやw

190 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 01:24:26.60
目的は対スペイン防衛

191 :日本@名無史さん:2014/01/15(水) 01:50:24.03
>>190
俗説でしかねえw

192 :日本@名無史さん:2014/01/15(水) 19:08:30.45
>>188
ふーん、議論に勝てないから、ねー(笑)
議論でお前が俺に勝ったことなんてあったかなー(笑)
今回の幸州山城兵力差10倍の件もやっぱりお前の惨敗に終わったジャン!! (爆笑)

193 :日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:03:30.91
>>192
>ふーん、議論に勝てないから、ねー(笑)
>議論でお前が俺に勝ったことなんてあったかなー(笑)
>今回の幸州山城兵力差10倍の件もやっぱりお前の惨敗に終わったジャン!! (爆笑)
兵力差10倍じゃなければ何倍なんだ?

194 :日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:06:56.86
>>193
お前鳥頭かよ(笑)
上で三倍程度って言ってるジャン!!(爆笑)
残念だけど、李烱錫「壬辰戦乱史」にも北島万次「秀吉の朝鮮侵略」にも笠谷和比古・黒田慶一「秀吉の野望と誤算」にも
「歴史群像 文禄・慶長の役」にも朝鮮軍の兵力は一万と書いてあるぞ(笑)
もちろん、両軍とも正確な兵力は不明だから断言はできないが(笑)
少なくともお前の掲げる兵力差10倍という主張お主眼は逆立ちしたって成り立ちそうもねえな(爆笑)

195 :日本@名無史さん:2014/01/16(木) 23:39:20.05
>>194
>歴史群像 文禄・慶長の役」にも朝鮮軍の兵力は一万と書いてあるぞ(笑)
ホホ―、幸州山城に籠城した朝鮮軍の人数って1万人もいたんだ?
初めて聞いたよ(笑)
>お前鳥頭かよ(笑)
>上で三倍程度って言ってるジャン!!(爆笑)
お前的にも日本側の兵力は3万人でいいんだな(笑)

196 :日本@名無史さん:2014/01/17(金) 18:33:23.00
>>195
>>ホホ―、幸州山城に籠城した朝鮮軍の人数って1万人もいたんだ?
>>初めて聞いたよ(笑)

あのなー、今は総兵力の話をしているんだが(笑)
記憶力だけでなく理解力も皆無なんだな(爆笑)

>>お前的にも日本側の兵力は3万人でいいんだな(笑)

吉見家朝鮮陣日記の他に兵力が書かれた文献が見当たらないから、
とりあえずはこの文献に従って三万としておいたまでだ(笑)
まー、渡辺刀水が言うように実数は三万よりずっと少なかったと思ってるけどな(笑)

197 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 08:47:50.43
>>190
伊達政宗が東北と引き換えにスペインの力を借りようとしたって話があるけど
当時の為政者もスペインやポルトガルを過大評価してたんだろうね。
当時の輸送力じゃアメリカ大陸や台湾、フィリピンみたいな原始社会の支配だけで
ちょっとでも近代的な武装のある国は占領出来ずに、貿易会社を作るのが精一杯だったからね

198 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:48:48.10
現実問題として、万単位の軍勢を本国から送り込むのは不可能だしね。
現地人を傭兵として雇用しようにも、東南アジアで最強の傭兵は日本人傭兵だし。

199 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:37:55.16
全盛期の秀吉だったら調略だけで朝鮮を先鋒にして
明を征服していた。

200 :日本@名無史さん:2014/01/22(水) 10:33:32.48
服属してると思ってる国に調略かけるのかw?

201 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 15:13:00.33
>>198
そもそも東南アジア、東アジアで荒らしまわってた倭寇ですら農夫より弱いからな。
黒沢明の七人の侍に出てくるような弱っちくてウブな農民、農村は存在しない。

202 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 15:25:44.71
>>38
こうやって歴史が捏造されるの典型だよな
王直なんて大内財閥内の松浦商事海外浙江支店の支店長なのに
いつの間にか松浦党の親分だと言い出すんだよなw

日本に王子を人質に送ってた百済も何故か日本を支配してたって
間抜けな事を言うのが居るし。

203 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 01:32:17.46
>>199
そこまでうまくいかなかもしれないが、
お得意の分断工作や重臣引き抜き工作を派手にやっていたはず。

204 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

205 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 14:14:22.96
平安時代も最初の百年は唐の家来だ。
奉公要員に選ばれた道真さんが逆切れして絶交を国の方針にするまでは。
戦国桃山も明冊封は繋がっているから足利〜秀忠までは明の倭国だ。
894年〜1401年と1639年〜1945年が独立期間だ。

206 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 15:44:35.32
秀吉にも明の皇帝の臣下の自覚はあったと思う。

207 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 18:48:57.42
>>205
おまえら冊封国下民と
朝貢国だった我々の祖先は全く地位と立場が異なる

208 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 20:39:33.59
>>206
自覚があったら、「汝を日本国王とする」で激怒しねえよ

209 :日本@名無史さん:2014/02/03(月) 16:54:00.55
>>203
秀吉の分断工作や重臣引き抜き工作の犠牲者
柴田、信雄、毛利、長宗我部、島津、北条、徳川、その他多数
秀吉はバケモノ

210 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 00:47:39.75
朝鮮を内部分裂させるなんて国内より楽だろうなw

211 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 01:29:00.97
別に分裂させるまでもなく、戦中だろうと東人派・西人派で
党派抗争しとるだろw
 
李舜臣が講和協定を無視して順天勢を妨げたのも、
あのまま何の手柄も挙げなけりゃ柳成龍の道連れで
失脚するのが目に見えてたからだろうし。

212 :日本@名無史さん:2014/02/05(水) 17:16:54.52
>>209
ここで粘着している頭でっかちで理屈ぽっくて世間知らずの2ちゃんねらーは、
世故に長けた秀吉の甘ーい言葉にはひとたまりもないであろう。

213 :日本@名無史さん:2014/02/09(日) 18:04:17.77
>>203
倭人を心底見下してる異民族だから無理、議論の余地なし
相手は生来、中国からの使者を天使と言い、日本を猿扱いしてるような連中だしさ。

下士官クラスならともかく、華夷秩序に伴う差別心を幼心に叩きこまれてる上位層は徹底的に潰すしか道は無い。

214 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 20:52:13.49
>>209
家康の秀吉死後の行動を見ると
信長よりも秀吉に学んだほうが多いような気がする。

215 :日本@名無史さん:2014/02/11(火) 22:47:16.52
大河ドラマが始まる度に金策として武将本が出るけど、それの朝鮮出兵関連で李舜臣が補給を絶ったって書く奴少なくなったなw
そのかわり、日本水軍を各個撃破したと書いて、いかにも戦果が戦争に寄与したように書いてるけどw

216 :日本@名無史さん:2014/02/12(水) 03:15:45.02
>>213
はいはい、馬鹿チョン乙

半島政権には貴族と奴隷しか存在せず下士官の様な高度な軍制も存在しない
奴隷には何の忠心も無かったよ

217 :日本@名無史さん:2014/02/12(水) 23:26:05.98
両班とために戦って生き残っても、奴隷の待遇は良くならなかったんだっけな。
それなら、日本軍に協力したり、火事場泥棒的に暴れた方がマシだなw

218 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 00:09:26.49
「世界で最も暮らしやすい都市ランキング」【大阪】が12位にランクイン、ちなみに東京が18位にランクインした
http://gigazine.net/news/20110222_osaka_the_worlds_12th_liveable_city/
「世界を代表する20の建造物」国内から唯一選ばれた大阪の梅田スカイビル・空中庭園
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20130902-OYT8T00817.htm
「世界の偉大な25の建造物」日本からはスカイツリー、明石海峡大橋、関西国際空港
http://blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/67910987.html
「世界スカイライン都市ランキング」7位は梅田・中之島(大阪)、13には新宿がランクインした
http://www.asahi-net.or.jp/~nm6f-nkmc/sekai-city-skyline-rank.htm
「世界でもっとも美しい都市トップ25」に【神戸】がランクイン
http://gigazine.net/news/20070518_world_cleanest_and_dirtiest_cities/
「世界の人気観光都市ランキング」で【京都】が5位にランクイン
http://www.yomiuri.co.jp/otona/tripnews/13/etc/20130817-OYT8T00365.htm
「都道府県の居住意欲ランキング」1位は『京都』47都道府県のうち、最も「住んでみたい」地域に京都府が選ばれた

畿内人ではない自分が思いつくものはこのくらいしかないね。
しかし東京マスゴミは隠すために意地でも報道しないが、近畿は世界から評価が高いみたいね

219 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 01:05:32.61
.                .∧政∧
    .        ,ハiヽミ⊂(^∀^? ) <セヤー!
           /"・,, ミミOニ )<;;;>
    ブヒヒーン!>(。/ )   ミlミliii|(ヾゝ'⌒ヾミミミミ彡
              ノ  。 .|_|_|(__) "    ) ≡ = = -
           ,( 、  ,,)_.||_彡(  ,,ノ ≡ = ―
           //( ノ."    ,ノ.ノ, (  ≡ == パカラッ パカラッ パカラッ…
     ∧_∧ //  \Yフ  , '/  い  三 ≡ = ―
     (`Д´;)くノ ガッ! "  くノ  //"三 ≡ = ―
     と,,___,,つ         くノ ,,, , .,,,  ,,, , .,,,
       ↑シナ畜

220 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 13:01:01.82
>>215
嘘を書かないで如何に褒め称えるかだな

221 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 20:24:40.86
秀吉も明の皇帝の臣下という自覚はあったと思う。

222 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 20:45:04.02
相変わらず壊れたレコード盤だなw

223 :日本@名無史さん:2014/02/15(土) 21:46:47.13
実際の歴史が悲惨過ぎるからなチョンはw

224 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 01:24:37.53
なのに歴史に興味津々なんだろ
で、事実を知ったら慌てて捏造に走るという

225 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 08:32:49.36
>>221
本心から心服していたという意味ではなく、
客観的な認識として中国が東アジア世界の中心的存在で、
明の皇帝が中華の主であるという認識はあっただろう。
そういう客観的認識として、「明の皇帝の臣下」という自覚はあっただろう。
それを納得していたかどうかは別問題だが。

226 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 08:43:05.25
まぁ、明国皇帝こそがアジアの支配者だ、って認識はあっただろうね。
だからこそ、明国をぶっ潰して、天皇陛下に中華皇帝になっていただこうとしてたんだし。

227 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 09:05:31.77
だが、それはあまりにも無謀すぎた。
肝心の天皇が消極的だったし・・・
京都のオッサンが縁もゆかりもないペキンくんだりに行くのはハードル高すぎる。

228 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 15:14:26.87
◆支那大陸
中華皇帝(北京)→後陽成天皇
中華関白(北京)→豊臣秀次

◆日本列島
日本天皇(京都)→政仁親王or智仁親王
日本関白(京都)→羽柴秀保or宇喜多秀家

◆朝鮮半島
朝鮮国王(漢城)→廃絶?→日本へ併合?
朝鮮総督(漢城)→羽柴秀勝or宇喜多秀家

三国総統括者(杭州)→豊臣秀吉

229 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 15:41:51.33
日本は昔、自国の事を中国と自称してただろ

日本列島→中国列島(将軍豊臣秀次)
中国大陸→華夏大陸(関白豊臣秀吉)
日本支那回廊(代官片桐勝元)

230 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 16:22:51.11
中華皇帝ではなく東洋皇帝だろ
事実上天皇は北京遷都するだろうが
ここに

事実上東洋全域天下統一することになるから東洋皇帝
豊臣家は東洋王と名乗ったと思うよ
そして日本は、日本鎮守府となるに決まってるだろていのう

231 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 18:11:46.31
>>228
もし文永の役が成功していたら…

◆支那大陸
中華皇帝(北京)→後陽成天皇
中華関白(北京)→豊臣秀次

◆日本列島
日本天皇(京都)→後水尾天皇(政仁親王)
日本関白(京都)→豊臣秀保

◆朝鮮半島
朝鮮国王(漢城)→廃絶→日本へ併合
朝鮮代官(漢城)→宇喜多秀家

◆東亜
東洋鎮撫大将軍(杭州)→豊臣秀吉

232 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 18:45:19.13
                スッ
            i⌒i スッ
      ./ ̄\  | 〈|    @日本史板住民がジャムリンを攻撃する
      | ^o^ | / .ノ||
      ,\_//  ii|||| グチャーン!!
    / ̄    /  iii||||||  グチャーン!!
   / /\   / ̄\ii|||| ・;`.∴.'
 _| ̄ ̄ \ / 从,;,・从//`i⌒i スッ
 \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:;・,‘;`.∴:;・< | 〈| スッ
  ||\      ヽ、' ^q^  ノ.'/ .ノ||
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ \ l / / ii||||
    .||     / ̄   / iii||||||
         / /\   / ̄\ii||||      .'  , ..
       _| ̄ ̄ \ /  ヽ  ・;`.スカッ'     
       \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)   スカッ   Aジャムリンはなぜか部外者を攻撃する
        ||\          \
        ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
        ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||   
           .||            ||

233 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 20:02:45.98
>>231
鎌倉時代へ帰りたまえ

234 :日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:46:49.38
>>233
>>231の訂正
×文永
○文禄
大変スマソ…

235 :日本@名無史さん:2014/02/17(月) 18:25:23.06
test

236 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 21:35:17.84
朝鮮はともかく、明に勝てるわけなかろうに。
まず補給路が長すぎるわ。確実に朝鮮併合してからじゃなきゃ無理や。

237 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 09:33:45.19
だから当時補給路なんて存在しないっつーの。
当時の機械力では膨大な物資を母国から運び込むなんて無理。
現地調達が戦略の基本。
問題は北朝鮮が不毛すぎて大軍が通過できないこと。
だから慶長の役では朝鮮南部を固めて、越冬の後、明軍を誘因撃滅する計画だった。
越冬までで終わったけどな。

238 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 16:18:10.71
朝鮮取るくらいで満足せにゃいかんよな。
明までは無理や。

239 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:02:53.71
秀吉をドン・キホーテ級の妄想家、ホームラン級のヴァカと思ってるようだが、
あれは大名向けのビッグマウスで、本心では明の皇帝の臣下って自覚はあったよ。

240 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:02:43.84
とは、妄想症で本塁打級の馬鹿でトンスル臭い在日精神障害民辱の便

241 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:18:30.65
雇用対策でやむをえず大陸侵攻するしかなかったらしいが。

242 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 04:15:57.45
文禄の役の頃、朝鮮から兵糧を徴発してた明軍が、兵糧を切らした朝鮮人の担当者を殴りつけたとかあるなw

243 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 10:56:05.54
>>237
いや補給路はあるでしょ
小田原攻めで清水港に兵糧20万石を集めた話は有名

244 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:00:10.91
それは、外征戦である朝鮮役でも、釜山には集積物資があったというのよりも
低レベルの話。

245 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 14:11:14.06
すべて現地調達じゃあ現地人の食うもんなくなり反乱になるよ。明攻めどころじゃない。

246 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 14:39:07.50
>>245
「諸人ににくまれながら念入りに収納したので心配いりません」
島津義久の手紙な。
現地人のことなんて誰も気にしてねーよ。

247 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 14:41:39.52
>>243
で、清水港から小田原城までどうやって運んだの?

248 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 17:30:33.86
>>245
起きてたじゃん反乱。朝鮮王朝の支配地域でも頻発していたわけだが?
李夢鶴とか首都を攻撃しようと押し寄せたり。

249 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 17:34:44.39
>>247
馬を泳がせて運んだ

250 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 17:39:42.53
ツマンネ

251 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 17:52:58.41
>>243
いや、朝鮮役でも釜山周辺の城に米を集積し、祐二に備えた備蓄量の管理をしていましたが?
あなたの言う小田原役と何が違うのでしょうか?

違うと言えば関東と朝鮮の再生産能力や混乱再生能力でしょうかねえ。耐え難きを耐えられたか、耐えられないのか顕著な差がでた歴史事例もあるし。

252 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 21:57:43.31
>だから当時補給路なんて存在しないっつーの。
>当時の機械力では膨大な物資を母国から運び込むなんて無理

ゲームにルール化されていないから存在しないという程度の想像力しかない低能だろこいつ
人でも馬でも維持するのに一部を代用することは可能だが全てを置き換えるのは無理
何より当時の朝鮮では武具の消耗品に対する代品が存在しない
237は刀や弓矢が野山に生えていて、何もしなくても刀・弓・矢の状態は維持できると思い込めるバカでなきゃ
ここまで頭の悪いことは書けないw

253 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 22:30:09.80
火薬は絶対、後方から運ぶ必要があるね

254 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 22:47:25.38
実際運んでたしな
李舜臣は一度壊滅させられてからはビビって何も出来なかった

255 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 00:54:23.52
むしろ>252が頭悪すぎだろ。

朝鮮役でも、一応、漢城までならつなぎの城のラインはあるんだからら、
>237の言わんとするのは武器弾薬に限定すればともかく、遙かに物量が
多い糧食・場量の確保は無理っつー話だろ、常識的に考えて。

ナポレオン戦争の時代でも、ロシア遠征で馬車による補給をしようとすれば
前線に至るまでに運んでいる物資を御者と荷馬とで食い尽くすというのが
いい例だわな。

256 :255:2014/03/02(日) 00:56:08.95
おと、 ×糧食・場量 ○糧食・馬量

257 :255:2014/03/02(日) 00:59:03.05
   コソーリ
|∀・;).。oO(  ×馬量 ○馬糧

258 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 01:43:58.06
>237=255は秀吉軍の糧食も知らなければ、馬は草だけ食わせておけばすむというゲーム能だと自分で説明してどうすんだw
ついでに言えばレスの大半が誰も主張していない「全ての物資を日本から運んだ」という仮定の敵を設定して攻撃しているんだから

バカや低能ではなくキチガイと呼ぶべきかもしれない
これは訂正する

259 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 01:44:42.21
>>255
古代から必需品は輸送、食料は現地調達が基本

260 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 01:45:57.06
そして現地調達するのに半島は貧し過ぎた

261 :255:2014/03/02(日) 02:00:54.40
>252=>258はもう既に全てが敵に見えてるみたいだなw


>>259-260
国内戦基準で考えたのがそもそもの蹉跌なんだろyねぇ。
文禄の役で地方城邑を確保した諸将は、蓄えられていた
米穀を秀吉に献上したりしてた訳だけど、その冬にはもう
糧秣が欠乏したという有様だから。
必要なら金に糸目を付けさえしなければ、他域からいくらでも
買い付けらたというのが、当時の日本の国内流通だし。

262 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 02:47:32.16
>>252
>何より当時の朝鮮では武具の消耗品に対する代品が存在しない

当時の武具の消費スピードは遅いから再補充は通常問題にならない。
一番問題になるのは弓矢だが、
その発射速度が遅いのは知ってるよな?

>237は刀や弓矢が野山に生えていて、何もしなくても刀・弓・矢の状態は維持できると思い込めるバカでなきゃ
ここまで頭の悪いことは書けないw

頭の悪いバカ乙。

263 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 03:00:19.11
>>258
>馬は草だけ食わせておけばすむというゲーム能

馬は人間の6倍食う。
だからこそ食料を後方から補給するなんて無理。
現地調達でどうにかするしかない。

264 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:00:56.85
現地調達じゃあ数十万人分の食料賄いきれんし、海上での馬の大量輸送などそもそも無理。
元寇が失敗したように朝鮮攻めも失敗するのは必然。
元寇も神風のおかげとか言ってるが、あれもモンゴルの馬の海上輸送がうまくいかなかったから、
得意の騎兵戦術使えず鎌倉武士の奮戦に苦戦してたとこ嵐でやられた。

265 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:32:43.08
>>264
えー?元寇のモンゴル兵は五百人ぐらいでしょう?
数十万の兵の殆どは口減らし要員の朝鮮兵と江南兵で。

ある意味、元寇と朝鮮役は攻めた側から見れば政権安定策としては、実施した時点で成功。

266 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:43:05.55
>>264
ナポレオンは普通に数十万現地調達で養ってたけどな。
方法よりも「どこを攻めるか」が大事。
既に述べたように北朝鮮が不毛すぎて数十万は生活できないのが問題。
慶長の役ではその反省をもとに「南を掃討して越冬の後、
春に明軍を誘引撃滅」という作戦に変更されている。

無論、秀吉公は、数十万を根拠地からの補給で養おうというような
物理的限界に挑戦するバカではなかった。

267 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:46:36.72
>>265
元寇が口減らしとか、単純に「元が惨敗した」というのを認めたくない
馬鹿学者の妄想だろ。
日本史はマジでバカしかいないよ。偏差値低いし。

朝鮮征伐の補給については中野等の論文があるが、
あいつの論文で価値があるのは原典からの引用部分のみ。
本人の考察には一片の価値もない。
「現地調達は稚拙」とか言ってるノータリンだからな。

268 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 14:06:23.52
旧任那を領土回復出来てたとしたら誰が領有する事に成っていたのかな?
加藤清正かな?

269 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 14:27:14.24
>>267
妄想とも切り捨てられまいよ。派遣軍が勝っても負けても安定支配の一助になるのだから。
支配へ繰り込まれた新参は次の戦争の先鋒という図式は割と一般的な拡張サイクルだと思うが?
朝鮮のじいさん大将も元の軍監の監視下でだいぶ苦労していたし。

この構図は日本でも事例たくさんあるでしょ?

270 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 18:01:32.80
>>268
国割は全部決まってた
咸鏡道:加藤清正
平安道:小西行長
黄海道:黒田長政
江原道:毛利吉成
京畿道:宇喜多秀家
忠清道:福島正則
全羅道:小早川隆景
慶尚道:毛利輝元

271 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 18:37:43.19
>>269
南宋からせっかく接収した海軍が完全に失われたんだが、
どこが安定支配につながってるの?
14万の納税額もバカにならんし。

>支配へ繰り込まれた新参は次の戦争の先鋒という図式は

先鋒かどうかは全く問題になってないんだが。
お前の脳内では先鋒は使い捨て要員なの?
14万人をまるごと喪失したのが
「安定支配の一助になった」とかいうバカげた話の根拠を聞いてるんだよ。

272 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 18:55:11.81
南朝鮮とるまでで満足しとくべきだよな。
明に勝ち続け中国全土を統治など無理すぎるし身のほどわきまえないと。

273 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 19:00:18.78
そもそもこの「口減らし」説の根本は
鋤鍬を持って行ったのを「農耕目的だ!」だとかほざいた事による。

こんなの工事道具に決まってるだろって感じ。

つーかさ、よっぽど特殊な状況じゃないと農耕とかやらんよ。
農耕やってたら戦う暇がなくなるからな。
学者どもは戦争も農業もなめすぎなんだよ。

274 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 19:06:35.07
どうも日本史学者どもって、
「戦争には陣地構築や敵陣地の破壊に備えて工事道具が必要」っていう発想が
ないみたいなんだよね。驚くべきことに。

琉球征伐時にも薩摩軍は当然鋤・鍬もってってるんだが、
「農耕に備えたものだ!(何育てるんだよって感じ)」とか
「刈田のためのものだ!(鋤と鍬でどうやって刈田するんだ?
ちなみに鎌はリストに載ってない)」
とか馬鹿げた妄言をほざいてる。

275 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 19:12:33.58
ちなみに琉球征伐では薩摩軍は刈田も農耕もやってない。当たり前だけどな。
あいつら「史料に基づいて考える」ということができないみたい。

276 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 19:17:19.28
つーか食料の現地調達を「稚拙(by中野等)」とかほざくわりに、
14万人もの人的資源の喪失という大惨事を
「口減らし」とか言える神経が分からん。
食糧より人間の補充の方が大変だろ?

アホ学者どもは徴発・窃盗・掠奪で生活することを考えると
卒倒しかかるわりに、14萬人死ぬ事は許容できると考える不思議な性質がある。
しかし実際には食料は現地調達でどうにかなるが、
人間は常に根拠地から補充しなければならない。

277 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 20:00:20.83
陣夫なんかは現地で雇用して痛い目に遭っています

278 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 21:44:05.08
どの大名家でも夫丸は誰でもOKだが
足軽は厳しく条件が決められていた

279 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:02:44.42
>>271
少なくとも中央政権への反抗力は削がれているよね?
納税っていっても近代じゃないから中央にそんなに入ってこない。

基本はお手伝い普請や参勤交代と同じ地方政権への負担だよ。

280 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:07:20.41
>>276
ちょっと待て。14万人の人減らしって何だ?
元寇の話か?何なんだ?
俺は人減らしは一つの要素だと思っているが、そんな極端なことは言ってないぞ?

ちなみに薩摩も現地工作はやっている。城内に耕地を作って朝鮮人に耕させたり。

281 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:09:09.56
たかだか10万やそこらの軍勢で中国に勝てるかいな。

282 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:14:30.97
>>279
>少なくとも中央政権への反抗力は削がれているよね?

おいおいwwww弘安の役後、南宋で反乱が頻発してるの知らないのかよwww
ちなみに頼みの海軍力は弘安の役で壊滅いたしましたので、
反乱鎮圧にも手こずる有様です。

>納税っていっても近代じゃないから中央にそんなに入ってこない。

お前のいう中央ってどこ?

283 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:18:16.39
>>279
あなたさ、思考パターンが日本史学者そっくりなんだけど、
(まず結論ありき)
そういうのやめた方がいいよ。
史料に基づいて考えたほうがいいよ。

284 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:25:16.56
>>283
史実に藻とっいているでしょ
他の遠征や徳川の大名統制と同傾向だよ。

285 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:26:23.33
>>282
豊臣政権や北京政権だよ

286 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:31:17.01
>>284
ほうほう。徳川政権とか豊臣政権がいつ、
14萬人も失っといて「計算通り(キリッ)」とかやったの?
別に古代から現代までいつでもいいよ。
そんな事例がこの世にあったなら紹介してくれよ。

287 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:32:53.63
>>285
北京さえよければいいなら、
南宋も日本もいらないよね。
何で南宋征服とか元寇とかやったの?

288 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:36:16.29
ちなみに関ヶ原では伏見城の鳥居隊が明らかに使い捨て要員にされてるが、
その数はたった2000.まあそれくらいが常識的な数字でしょ。

他方、遅参した秀忠隊3万8000は、家康にブチ切れられてるよね。
到底14万も使い捨てにできるような余裕があるようには見えないがね。

289 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:40:19.53
>>288
誰が自勢力の人減らし云々言ったよ。鳥居隊の例は明らかに的外れ。

290 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:44:32.91
>>287
朝鮮使って日本攻めたり、華南使って越南攻めるためじゃね。
つーか、征服やってあそこまで成った勢力がそんな簡単に征服止められるかよ。

拡大中の企業に来年は営業をするなってのは無理な話。成功しているならなおさら。

291 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:45:49.53
元寇における北京政権(笑)の被害
(この呼び方がまたいかにも日本史学者っぽくてマヌケwww)
・莫大な戦費がパァ
・人員もパァ
・二度と大規模な渡海遠征はできなかった。
・疲弊した江南の沿岸部では反乱が頻発
・でも鎮圧もろくにできない。海軍はまるごと喪失したから。
・ボロボロになった権威=プライスレス

現代のマヌケ
・地方の反抗勢力は削がれた(キリッ)
・地方でいくら人が死のうが、中央へは納税してないと思うから
納税額には影響ない!
・北京政権(失笑)は損してない!

292 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:45:59.48
大友を潰せただけでもかなりの利益では?

293 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:46:50.07
>>289
俺はお前だけを相手にしてるわけじゃないからな。
文句あるならコテハンつけて自分の意見まとめてくれる?

294 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:48:48.23
>>292
三十万石分ぐらいの征服?

無能な人材をふるい落とすのにも役立っているのでは?

295 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:49:29.10
>>293
一人だけで頑張ってご苦労なことで

296 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:50:35.79
>>291
損失がゼロなんて言って ない って(笑)

297 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 23:30:03.56
>>290
江南も半島も元の直轄領
態々無駄に兵士を失う馬鹿は居ない
その証拠にクビライは三度目の日本遠征を準備してる

298 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 23:32:15.99
>>294
損失でしかないよ、親豊臣の大名を失った
当主がチョンの様な精神錯乱の無能者じゃ早晩改易だっただろうけどね

299 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 23:36:05.68
ま、関ヶ原なら伊達が上杉と戦って敗送したような感じ?

300 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 23:41:44.72
なんか勘違いされているが、それぁあ成功した方がいいに決まってんだぜ。
当然そこを押さえてから、失敗しても良いことはあるってこと。

朝鮮役で言えば、九州への支配権が広がり、外征中に島津領国に立ち入ってまでの直接見地が可能となった。
徳川でもできなかったような外様支配権への介入を深めることができた。

301 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 23:55:20.90
>>300
それは朝鮮成敗とは何の関係も無い。

朝鮮成敗は軍事的政治的に成功する条件は十五分に揃っていたが
惜しむらくは半島が貧し過ぎた
日本と同程度に肥沃だったならば、豊臣政権の行政力があれば
十分に遠征した全部隊の糧秣を調達する事は可能だった

302 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 00:04:49.46
朝鮮軍は焦土作戦したらしいぞ
だから、明軍の兵糧も切らすという失態を犯したのか(適当

303 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 07:44:07.42
>>302
明軍は馬が多かったから飼料調達のほうが大変だっただろう

304 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 12:42:40.04
>>129 >>131 >>134 >>142 >>145


朝鮮の大勝とは程遠く、 日本の再攻撃準備中に逃げた真相。
こんなのがあったので参考に↓

俗に言う朝鮮出兵の戦いで、朝鮮側の三大大捷
と呼称されている勝利のひとつに、幸州山の戦いがあります。

幸州戦の記録で、当時に書かれたという意味で、一番信頼できる朝鮮の乱中雑録1にはこうあります
(後代になるほど朝鮮側は潤色され派手になります)

矢や石を浴びせ、日本軍も三度進み三度引いたが、火が回り城の柵も燃え落ち、
矢も尽き、日本軍に切り込まれて落城寸前だったとあり、白兵戦の最中に
朝鮮の丁傑の救援の2艘が現れたので、日本軍は引いたとあります。
小西、大谷、黒田ら8将が 秀吉に宛てた文禄2年2月18日発の書状でも、

この丸に攻入り数百人を切り捨て、本城の付近で相戦い、少々の手負が発生したとあり、
乱中雑録でも朝鮮側の戦果が130頸とあり、
現在言われているような派手な勝利?ではなく少なめであり、
そして日本側の数百人切捨と、乱中雑録1のあわや落城かという
双方の記録が一致しています。

305 :304:2014/03/03(月) 12:43:58.97
>>304の続き。


乱中雑録では、日本軍が引いたところで 記録が終わっていますが、
同書状では、 諸将が城に対して夜責めでもしようと協議している間に
17日に朝鮮軍が城を焼いて逃げたとあります。

この書状は、権慄が城を焼いて放棄した翌日の18日に発せられているので、
日本軍は城の近くにいたことがわかります。

同時期の懲録も、この戦いについては簡潔にしているだけであり、
特筆するとすれば、幸山城の指揮官であった権慄が命令を出して、
日本兵の死体をズタズタにして、木に掛けたという箇所ですか。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffc8zt4wig

306 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 15:47:11.67
秀吉も、自分が明の皇帝の臣下だという客観的認識や自覚はあったけどな。

307 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 20:13:21.19
明に仮に勝てても秀吉の寿命尽きるし、清も台頭してくるし、結局大陸侵出失敗で終わるだろう。

308 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 20:17:35.14
正直、16世紀の世界地図は日本が大きく描かれているから、それに幻惑されて
秀吉は明の大きさを勘違いした可能性がある

309 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 21:39:30.57
都合の悪い史実>>304-305を提示された途端
連投>>306-308する、現実を受け容れない在チョン

310 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 22:37:03.57
>>301
何の関係もないことはない。一連の征服行動は政権の拡大再生産のサイクルの一つだったということ。

後半は同意だね。

311 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 22:46:43.64
>>300
>徳川でもできなかったような外様支配権への介入を深めることができた。

まるで「外様支配権への介入を深めなければならない!」とでも言わんばかりだが、
外様支配権への介入を深めたら何かいいことあんの?

なんかおバカな日本史学者どもって、
中央集権化に病的に執着してるみたいだけど、
地方分権が叫ばれる現代に生きといて何言ってるんだろ。

312 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 22:53:53.99
大事なところでこっちの言う事聞かせれば、
普段は勝手にやってもらった方がむしろ楽だと思うけどね。

例えば上杉鷹山のときの米沢藩は、
支配権の介入どころか返上すら検討してたわけだが、
あんなところの支配権をもらってリストラとか借金返済に取り組むのと、
史実どおりに上杉家が支配権を保持して自力更生するのと、
どっちが徳川の得かって言ったら明らかに後者だろ。

で、外様支配権への介入を深めなければならない必然性がどこにあるの?

313 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 22:54:03.68
日本史学者って研究者というよりオタクに近いよなw
知識が偏ってるから

314 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 23:11:05.94
日本史学者にも色々あるけどな
しかし朝鮮史屋や南チョン人は皆知識が誤ってるが
そこまで酷いのはそんなに居ない

315 :日本@名無史さん:2014/03/04(火) 23:14:28.93
話はちょっと後代になるが、1623年に仁祖がクーデタを起こして光海君を追放に成功。
ところがすぐに論功行賞に不満を抱いた李活が反乱を起こすが、
この反乱軍の先頭にたって奮戦したのが降倭(朝鮮に降伏した日本兵)数十人だったという。
仁祖はソウルを捨てて南に逃げるが、釜山の倭館に頼んで日本の援兵を乞うことまで考えたという。
とにかく実戦での日本兵の強さは文禄慶長のずっと後でも
朝鮮では際立っていたようだ。

316 :日本@名無史さん:2014/03/04(火) 23:23:08.09
唐の支援で統一し、モンゴルの力で三別抄を駆逐し、日本にも援軍を頼もうとしたのかw

317 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 00:50:23.19
明の全面的な参軍で滅亡の淵から助け上げられ、が抜けてるw

318 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 07:48:54.15
明攻めなんてアホなこと考えず、南朝鮮だけでも日本のもんにしとけば今のうざい韓国もなかったものを。

319 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 12:23:23.77
当時の日本にそれが何の意味がある

320 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 17:03:08.23
武功を上げて領地が欲しい大名が居たんだからしかたない
秀吉天下では、日本に居ても領地増えないし
昔は生産性を増やす=戦
な訳で

321 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 19:20:23.62
>>320
生産性が減るじゃねーか

322 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 19:53:43.98
チェジュ島とウルルン島とコジェ島だけ取っておけばよかった。
この3島くらいは完全に日本化することが可能だったはず。

323 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 20:33:15.27
だからそれが当時の日本に何の意味がある

324 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 21:27:48.37
今の日本にも意味無いよなw

325 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 21:49:14.09
それにしても、日本は豊臣政権がこれでおかしくなり、明国も援兵を
出したお蔭で滅亡へ向かう。もちろん朝鮮も多大な損害を蒙った。
結局この朝鮮征伐とは何の意味があったのか。膨張主義の秀吉、腐敗
の極みの明、党争に明け暮れる朝鮮、みんな滅亡して新しい時代を
開いたということか。

326 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 22:18:53.25
朝鮮は前後で何も変わってないだろw

327 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 22:46:34.90
>>324
チェジュ島とウルルン島が日本領なら排他的経済水域が広がる。
しかも、チェジュ島は「東洋のハワイ」だ。
ウルルン島まで確実に日本領なら竹島問題など、はじめから存在しない。

コジェ島が日本領なら、まさに「東洋のホンコン」「東洋のジブラルタル」。

328 :日本@名無史さん:2014/03/05(水) 23:20:10.18
>>327
日本から見た排他的経済水域は、いくらも広がらないって。
朝鮮的にはエライ違いだろうけどw 

離島の維持は大変だし、半島に近くなる分、抱え込まざるを得ない
面倒の方がはるかにマイナスだろ。竹島問題を引き合いに出すなら、
有人島問題になって余計にもめていた可能性の方が大きいと思うぞ。

しかし対馬と同緯度の島を真顔で「東洋のハワイ」とか、あっちの人?

329 :日本@名無史さん:2014/03/06(木) 17:33:52.36
漫画の擬音みたいな名前だと覚えられないから日本語読みでお願いww

330 :日本@名無史さん:2014/03/06(木) 17:58:29.54
日本語読みといえば、よく朝鮮役関連の書籍でハンソンだのペクチェグァンだの、
地名にわざわざ朝鮮語の読み仮名ふってることが多いよな。あれって意味あるのか?

331 :日本@名無史さん:2014/03/06(木) 18:06:02.06
>>330
編集者や著者が反日民辱なんだよ

332 :日本@名無史さん:2014/03/06(木) 21:20:21.96
普通の日本人にとっては意味はないし気持ち悪くもあるわな。

発音が今とそうは違わないであろう朝鮮役関連ならまだしも、当時の
呼び方が全く不明の百済や高句麗とかに、わざわざ現代朝鮮語の
読みを中高の教科書で振るのはどうなのよ、と思うわ。

333 :日本@名無史さん:2014/03/07(金) 03:39:37.61
近隣諸国条項と害務省の方針を盾に
在チョンと帰化族が好き勝手やったからな

334 :日本@名無史さん:2014/03/07(金) 21:38:32.10
NHKとかは朝鮮人名をカタカナ表記で統一してるよな

335 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 08:36:51.34
韓国も北も漢字表記を全廃してるから、ハングル読みで統一するのは当たり前。

中国がこの点に関して何も言わないのは、漢字を使用してるのに加えて、
自国の中ですら北京語と広東語のように方言の差が激しく、発音が全然ちがうから。
日本での漢字の音読みも、漢字音の日本訛りでしかないので、方言と同じ感覚。

336 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 14:09:46.60
>韓国も北も漢字表記を全廃してるから
はい、又嘘吐いちゃいました。在チョンは息する様に嘘を吐く。
南チョンですら漢字表記は全廃されていない上に
大多数の姓名は漢字で名付けられる

337 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 14:48:16.55
何必死になってんだかw

南朝鮮では公教育での漢字教育は実質全廃状態で、南朝鮮人の多くは
自分の名前もろくに漢字で書けないっつーんだからお察しw

338 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 18:01:35.02
日本人でも、いまでは漢文やくずし字の読めない人間が大半だけど、
漢字そのものが読み書きできない現代の韓国人は、歴史研究が難しくなるだろうな。
歴史や古典の研究のために、ほとんどゼロから漢字習得するってのも大変な話だ。

まあ、漢字を捨ててローマ字化したヴェトナムにも同様のことは言えるが。

339 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 06:45:21.09
漢字辞典は高級な家庭の本棚にしか置いていないのが国情らしいよ?

家庭用百科事典ののりかな?

340 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 08:36:55.01
>>311
中央集権化して大きくなったのが豊臣政権をはじめとする勝ち組のシステムで実際にそうやってきた。
なんの不思議もない。中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された。

341 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 11:17:56.79
>>340
あれ?上里隆史によると薩摩は「中世的」なまま近世を迎えたらしいがwww
全然取り潰されてないよね?

342 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 16:44:44.75
封建制自体が中間支配全開の社会体制だしな
江戸時代には代官支配が進むとはいえ

343 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 18:58:59.21
>>341
君は全然意味が分かってなかったんだな。

344 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:24:55.31
>>343
@「鉢植え化」の意味が分かりません。
A鉢植え化しないから取り潰された、という御説の根拠が分かりません。
そんな奴一人もいないけど?↓

小早川秀秋 備前岡山藩51万石 1602年 無嗣断絶
武田信吉 常陸水戸藩15万石 1603年 無嗣断絶 遺領は異母弟の徳川頼将が相続
堀鶴千代 越後蔵王堂藩4万石 1606年 無嗣断絶 遺領は後見人堀直寄に還付
松平忠吉 尾張清洲藩52万石 1607年 無嗣断絶 遺領は異母弟の徳川義利が相続。後に藩庁を名古屋に移転
天野康景 駿河興国寺藩1万石 1607年 殺人犯引渡しの拒否・出奔 子天野康宗が旗本として存続
稲葉通孝 豊後国内1.4万石 1607年 無嗣断絶 遺領は兄稲葉典通に還付。子稲葉通照が旗本として存続

345 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:28:05.89
愚劣な日本史学者
@日本語もまともに使えないくせに新語だけは作りまくる(表現力の欠如)
鉢植え化wwww
Aニートのくせにやたら天下国家を語りたがる。
鉢植え化できない奴が改易されたニダ!

現実の改易理由
@子供がいない
A犯罪
B戦に遅参

346 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:37:22.00
>>340
>中央集権化して大きくなったのが豊臣政権をはじめとする勝ち組のシステム

中央集権
国の中央政府に政治*1上の権限・能力が集中していること。地方分権、分権の対義語。

地方に伊達正宗とか徳川家康とかいるけど、
豊臣秀吉の頃の日本って中央集権なの?

347 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:59:08.87
>>346
もしや「中央集権化」の意味や戦国大名と近世大名の領国構造についても認識されていないのですか?

348 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 21:03:00.00
>>344
織田信雄や城井鎮房とか知りませんか?
それに近世化の意味も。

349 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 21:07:48.28
>>345
つうかですね、大名の鉢植え化もスコープに入っているわけですが、
それ以前にまず近世化を考えないといけないのは家臣団の鉢植え化でしょ?
豊臣の軍役や普請に対応した体制に近世化しないと。

350 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 23:49:30.48
>>347
@あなたは「中央集権化」をどういう意味で使ってるんですか?一般社会的な意味は以上の通りです。
A「戦国大名と近世大名の領国構造」妄想乙。
B織田信雄も城井鎮房も改易にあたって「鉢植え化」なんていう珍妙な言葉は出てきません。
C近世化の意味なんて知りません。そもそもあなた方の「近世」の定義が正しいかどうかすら怪しいですね。
鉢植え化(爆笑

>>349
@またまた「鉢植え化」wwあなたも好きですね。
ていうかスコープって言い方がキモいです。
スナイパーか何かですか?

351 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 23:54:59.33
改易理由
織田信雄:関ヶ原で日和ったから。そんだけ。
城井鎮房:九州征伐で日和ったので転封命じられたが拒否。
実際には日和ったのが根本原因だと思うが、
ま、これを「鉢植え」と考えてもだ、

ようやく一例でちゅね〜www

>中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された。
あなた方の言う「近世化」の定義には一例しか当てはまらないんですが。
あなた方の「近世化」って本当に実在するんですか?

352 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 00:13:49.38
質問を整理しよう。「分かってないんでちゅか〜?」とか言われてもさ。
分かりません。日本史学の常識は社会の非常識。
@鉢植え化の意味ってなんですか?
つーか笑える響きですよね。
Aあなたは一体「中央集権化」をどういう意味だと考えているんですか?
あなたが「中央集権」として例示している
豊臣秀吉や徳川家康の日本は明らかに地方分権です。
Bとりあえず城井鎮房を
「中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された」
の例として受容してもたった一例。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%98%93
改易理由の9割は鉢植え化とは何の関係もありません。
Cあなた方の言う「近世化」ってほんとに実在するんですか?

353 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 01:08:50.35
馬鹿チョンの常識は宇宙の非常識

354 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 05:47:31.70
>>351
織田信雄の改易はそのときのことじゃねえだろ、話題的に?

355 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:16:05.10
宗氏は朝鮮国王の臣下の自覚があった。

356 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:49:10.95
秀吉も明の皇帝の臣下という自覚があった。

357 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:54:23.42
んじゃ、朝鮮王も明帝も、オマイラ攻めて来ちゃダメ、と命じれば
それで済んだんじゃね? Oo。( ̄。 ̄ )y━~~~~

358 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:13:55.95
明帝国は日本が李朝を服属させてる旨を了承してたんだよね

359 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:36:07.02
>>352
まあ、現代と比べたら地方分権状態か?バカだろ君?
中央集権化と現代の中央集権の区別が付いてない。
大名の領国構造の変化を知らないせいか?

一例ってあんた、織田信雄の例を無視すりゃ一例になるが・・・
無視しちゃダメでしょ?

360 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:39:24.27
>>359
>中央集権化と現代の中央集権の区別が付いてない。
中央集権は現代の言葉です。
日本史学で独自の定義を与えているならそれでいいから説明して?
もしかして定義せずに議論してるとか言わないよね?

>織田信雄の例を無視すりゃ一例になるが・・・
無視しなくても2例ですね。
「近世大名」の9割は「近世化」してないみたいだなwww

361 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:46:50.68
>>359
>バカだろ君?

バカはお前だろwwww
日本史学者みたいな低偏差値のゴミの戯言を真に受けるとはwww

>大名の鉢植え化もスコープに入っているわけですが、
言い回しまで人文系臭丸出しでキモいwww
鉢植えの植物より頭わるそwww

俺は疑問点を明確化してるんだが、
いつになったら返事がかえってくるのかな?
議論が一向に具体性を帯びないのが低能人文系の特徴だなwww

362 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:51:28.53
どうでもいい。

秀吉が明の皇帝の臣下の自覚があったことに比べれば、そんなことはどうでもいい。

363 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:51:46.83
在チョンがいつもの如く自演で流してるけど
都合が悪いレスは>>328-333かな?

364 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:57:26.15
妄想→「中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された」
あがった例はたった2例。

現実→関ヶ原で西軍につくか日和った大名が取り潰された。これだけで90例。

365 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:24:25.67
秀吉さんは、ちゃんと身の程をわきまえてるよ。
自身が示した講和条件の中で「勘合貿易の復活」を要求してる時点で、
明を宗主国とする東アジアの国際秩序の中での日本の地位を自覚してる。
勘合貿易=朝貢貿易、明への臣従だからね。

秀さんが激怒して講和が決裂したのは、小西が小賢しく立ち回って、
秀さん自身の示した要求が全然反映されてなかったから。
国王には任命するが、朝貢=貿易は認めないっていうんじゃ旨味がない。
しかも、明の皇女の降嫁、南朝鮮の割譲などもことごとく無視されてるし。

上記の条件が満たされてれば北虜のアルタン・ハンが順義王に封ぜられたように、
秀さんも大人しく日本国王に封ぜられて、平和的な貿易で満足したよ。

366 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:02:55.25
小西って、外交上の大事で主君を欺くようなことをやったのに、
よく極刑にもならずに、その後も重用され続けたな。

やはり、堺商人の財力とコネクションのおかげか。

367 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:23:08.25
スコープはビジネス用語などに使われているからオコチャマには理解できないかも。

知らないのは恥ずかしいことではない。しかしその無知を自慢する馬鹿さ加減は問題。

368 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:34:31.57
>>364秀吉の移封命令を拒否して無事だった例はまれでは?
伊達だって上杉だって徳川だって中央政権に従うしかなかった。

島津の場合は義弘、義久、久恒に分割されて更に家臣の伊集院の封地まで中央から指定されてしたがった。
家康の代になって元に戻ったが。

369 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:35:09.58
スコープ:プロジェクトが受け持つ範囲のこと。
「その案件て今回のスコープに入ってる?」

>大名の鉢植え化もスコープに入っているわけですが、
どこでプロジェクトの話してるの?

バカな日本史学者の特徴
@言葉の定義を知らずに濫用する
A観念的な思考遊戯に終始して、具体的現実的な話ができない。

中央集権化の意味まだ〜?
近世化の意味まだ〜?

370 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:37:03.12
>>368
秀吉の移封命令を拒否して取り潰された例を挙げてください。
関ヶ原の戦いで取り潰されたのは90例です。
どっちが取り潰しの要因として主要なものか、事実を明らかにしましょう。

数字を基に話しましょう。

371 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:37:20.95
>>364
反論になってないが?
関ヶ原の改易と豊臣への服従になんの関係が?

372 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:41:42.96
>>371
反論になってないのはお前。
お前は「近世」という時代区分の話をしたんじゃないの?
いつから豊臣への服従の話が始まったの?

妄想→「中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された」
現実→近世大名の取り潰しの原因は関ヶ原で西軍についたこと/日和った事
あるいは後継者がいないこと。

373 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:43:16.79
>>369
スナイパー用語だと思ってたようですが、認識を改めましたか?

当然意味で話題にしていた豊臣軍役体制への対応プロジェクトですよ。
土木工事で城を建てろ、軍勢を遠征に出せ、とこれに対応するには独立した封地を持っていた戦国的家臣の力を削いで集権化する必要があった。
後進的で当初の動員に対応できなかった島津は日本一の大遅陣と面目を失い、改易されかかって方針転換した。

374 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:44:35.52
妄想→「中間支配を廃して鉢植え化されずに近世化に失敗した大名は取り潰された」

実際には近世大名の取り潰しには中間支配も鉢植え化も9割以上の確率で無関係。
このことは、日本史学における「近世化」の定義が間違っており、
根拠のない妄想であることを証明している。

実際の「近世化」の主要な要因は「関ヶ原で勝つ」ということである。

375 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:45:20.78
>>372
豊臣体制で生き延びるには不振や動員に耐える体制が必要だから。
論文の一つも読んでないのかなあ?

376 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:46:29.94
>>370
いや、取り潰しの最大要因の話なんてしてないわけだが?
どのレスでそんな話をしていたのだね?
具体的に?

377 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:48:00.90
>>373
>当然意味で話題にしていた豊臣軍役体制への対応プロジェクトですよ。

豊臣軍役体制への対応プロジェクトと鉢植え化の話の脈絡が分かりません。

>独立した封地を持っていた戦国的家臣の力を削いで集権化する必要があった。

あれ?徳川家康や加賀百万石のどの辺が力削がれてるんですか?www
前田家なんて秀吉配下で力を削がれるどころか大出世してるじゃんwww

378 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:48:15.93
>>374
関ヶ原で勝のが近世なのか?個人の感想ですか?

379 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:49:25.51
>>375
ほーう。じゃ、徳川家康がいつ近世化したか教えてくれますか?

380 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:50:10.27
>>377
戦国大名的な体制では家臣の独立が強く、動員が不可能だから。
中間支配を排除して大名に集権した体制が必要だった。

381 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:50:39.46
>>376
>>364秀吉の移封命令を拒否して無事だった例はまれでは?

稀な例を挙げて「近世化ニダ!」とか言われてもねぇ。

382 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:51:19.09
>>379
関東移封時が契機とされているよね?

383 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:51:32.16
>>380
あれ?戦国時代の北条氏や上杉氏は万単位で動員してるけど?

384 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:52:20.05
>>381
はあ?希な例など挙げていないわけだけど?

385 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:52:44.47
>>382
関東移封時に具体的に何をどうしたんですか?

386 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:01:17.25
>>384
はいはいwww
鉢植え化に失敗して取り潰された大名→たった2例www

例えば岩屋城の戦いに薩摩軍が動員したのが2万から5万。
関ヶ原の戦いの際に薩摩軍が動員したのも2万。
戦国から近世にかけて薩摩の財布の中身は全く変わってないんだから、
動員兵力が同じなのも頷ける話。

それを「近世化すれば動員兵力が増えるニダ!」
とか言ってるのがバカな日本史学者www
近世化するとどこから金が湧いてくるんでちゅか〜?

しかも実際には動員力は全く変わってないwww

387 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:02:05.36
>>383
万単位で動員したらなんなの?
瞬間風速で動員しても息切れしていますが、何か?

豊臣時代のペースじゃないでしょ?

388 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:04:39.06
>>386
さつまの財布の中身が変わってないってことはないだろ?
領国構造は激変したし。石田や細川が派遣されて領主権力が強化された。

389 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:05:39.57
>>386
島津の石高はずいぶん変わっているんだが

390 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:05:43.91
>>387
はぁ?アレクサンドロス大王の3万の軍隊が息切れするのには10年かかったけど?
現代まで、軍隊は、戦争をもって自分を養っていたので、
移動し続ける限り食っていける。
一か所に留まろうとすれば飢える。
これは豊臣だろうが家康だろうが同じ。

391 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:06:47.38
>>390
は?あなたのあげた上杉や北条の例でしょ?

392 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:07:41.71
>>388-389
>領国構造は激変したし。石田や細川が派遣されて領主権力が強化された。

それが妄想なんでしょうなwww
あるいは財布の中身に影響与えるほどではないと。
大体石田や細川が派遣されたらますます人件費増えるだけだろwww

つーか戦国時代だけ見ても、30年前の島津と義久の頃の島津は全然違うだろwww

393 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:08:35.05
>>391
ちなみに小牧・長くての豊臣軍も速攻息切れしてますなwww
まさに一か所に留まろうとすると飢える一例。

394 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:08:36.66
>>366
小西行長が秀吉に対して明らかな背信行為を行ったの、とくに処罰されたわけでもないのは、
やはり秀吉自身が現実を理解していたからでしょうね。
気持ちの上では腹が立つけど、もはや明征服など夢のまた夢状態。
それでも日中戦争当時の日本軍部同様、ある程度の戦果をあげて自尊心を満足させないことには、
矛を収めることができない。
だからこそ、形式上、明に臣従する小西の現実主義外交を頭ごなしに否定することはできなかったが、
戦争も続行せざるをえないというジレンマに陥っていました。
そして、結局、秀吉本人が死ぬまで、そのジレンマは解消されず無益な戦争が続行されたのです。

395 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:11:05.13
>>392
>領国構造は激変したし。石田や細川が派遣されて領主権力が強化された。

日本史学者の結論!
領主権力が強化されたら収入は増える!
石田や細川が派遣されたら収入は増える!

あのさぁ、人件費って知ってる?
石田や細川がどんな商売考えてくれたっていうのよ。

396 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:14:04.00
ちなみに黒田如水が関ヶ原で連れまわした1万の「近世軍」は、
しこしこ貯めた貯金で雇った傭兵軍ですなwww
権力構造とか領国構造関係なしwww

権力構造が変われば動員力も増える!(キリッ

397 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:18:53.29
>>393
話題そらさないでいただけますか?

398 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:21:52.69
>>395
その人件費を減らしたのが近世化じゃない?意味分かってない?
戦国大名的豪族連合では中間マージンを取る既得権益者がたくさんいたわけだ。
それをなくして土地から引っ剥がして給人比率を高めたのが近世化。

399 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:21:56.12
あと第二次川中島では上杉は8000率いて200日も陣を維持してるな。

ちなみに琉球征伐では、「近世的」薩摩軍は、
上手くいかなくても3〜4か月で撤退するよう命令されてますwww
たった3000なのにwww
ただし3〜4か月でも十分長いぞ?
日本史学者はバカだから短期扱いしてるがwww
第二次川中島が異常なだけ。

本当に「近世化」すると経済力アップするのかなぁ〜
どこから新産業が湧いてきたのかなぁ〜

400 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:23:36.32
>>392
だって領主か把握できている石高が全然違うシャン?

401 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:24:41.81
>>398
意味が分かりませんね。
実際動員力は変化ないし。

むしろ個別にみると下がってる事例も見受けられる。

>戦国大名的豪族連合では中間マージンを取る既得権益者がたくさんいたわけだ。
>それをなくして土地から引っ剥がして給人比率を高めたのが近世化。
その話の根拠を聞かせてくれますか?
具体的に何人の既得権益者を減らしたんですか?
給人比率は何パーセントから何パーセントにアップしたんですか?
史料的根拠はありますか?

薩摩の動員力が変わってない
むしろ個別にみると下がってる件についてはどう説明してくれますか?

402 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:25:33.68
>>399
も、と言われましても。息切れしてますし。

403 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:25:49.39
>>400
領主の把握してる石高が増えると、国力が増えるの?
合計は変わらないじゃん。バカじゃない?

404 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:26:35.03
>>401
島津の動員は文録と慶長では激変しているわけですが?

405 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:26:41.24
>>402
そういや小牧・長くての豊臣軍は2か月で息切れしましたねwww

406 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:27:44.24
>>401
八千から一万二千だっけ?

407 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:28:09.85
>>404
そんなの作戦の規模に応じて変わるに決まってるじゃん。

祖国防衛戦の関ヶ原では2万しか動員してないよね。
岩屋城と同じか、史料によってはむしろ減ってる。
岩屋城より本国に近いのに。

408 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:33:01.04
慶長の役の在番薩摩軍は4000しかいないよね。
これは当時の軍隊は現地調達で生活しなければならないため、
一か所に留まろうとすると少ない人数の方が楽だから。

領国構造の変化とかは、戦国大名と近世大名の動員力に何の影響も与えてない。

409 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:36:12.29
>>408
残留軍と帰国軍の数量は豊臣政権の指示だからね

410 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:39:09.39
>>403
だから動員力が変わるでしょ?家臣といえども独立しているのだから過度の動員には逆らうし。
そもそも検地すら許さないから戦国的領主では生産力が把握できていない。

411 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:39:53.21
実際の薩摩の事情を知らないのか?
義弘が板挟みになって苦しんでいたのはなぜ?

412 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:41:22.24
整理。
@領国構造は激変したし。石田や細川が派遣されて領主権力が強化された。
権力の増大と国力は無関係。石田や細川が来てもいらん人件費が増えるだけ。

A戦国大名的豪族連合では中間マージンを取る既得権益者がたくさんいたわけだ。
それをなくして土地から引っ剥がして給人比率を高めたのが近世化。
「たくさん」「給人比率」抽象的言辞を弄して具体的数値を挙げられない。
根拠にならない。現時点ではただの妄想。

B万単位で動員したらなんなの?
瞬間風速で動員しても息切れしていますが、何か?

実際に200日もの動員継続を果たしたのは戦国上杉軍。
むしろ「近世軍」の方が息切れが早い。人数が多いから。
しかしそれは領国構造の変化とは無関係。
大名一人当たりの動員力は戦国時代と同じかむしろ落ちてるが、
「大名連合」を形成して軍隊の頭数を増やした。

413 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:42:34.12
秀吉がやったのは検地と石高による数的管理の浸透。
管理値に相応の負担をかけて対応できない無能から取り上げ。
既得権益を持つ地主権力を改易で分離して生産者と支配層を分離した。

414 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:43:12.09
>>410
>家臣といえども独立しているのだから過度の動員には逆らうし。
独立してなかったら逆らわないんでちゅか〜?
お家騒動なんて近世でも腐るほど起こってまちゅよ〜?

実際には未曾有の「過度の動員」に耐えたのは、
お前のいう「独立」している上杉家とか武田家の家臣団だよ。

415 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:43:47.86
>>413
だからそういう根拠のない社会批評はいらないって。
具体的数値出して。数値。

416 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:47:22.36
そういえば大阪の陣では伊達政宗が盛大な同士討ちやらかしてるなwww
大した「近世軍」だwww
大名が「鉢植え化」されて「独立」しなくなって
言う事聞くようになったんじゃないんでちゅか〜?

417 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:50:24.65
>>411
近世化すると板挟みになって苦しむ人がいなくなるの?
バカじゃねwww

418 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:53:53.76
「近世化」するとあれもこれも解決する!
マジックワード「近世化」!

素晴らしい!願わくば抽象的な形容詞ではなく数字を出して語ってくれ!
動員力は何%増えたんだ!

419 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:13:20.83
>>412
数値なんざ、関連文献読めばいくらでも出てくるはずだが?
朝鮮役関係でも島津関係でも検地関係でも豊臣政権論でも。
なにも読んでないから脳内でそんなことがいえるのか?

420 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:14:34.11
>>418

>>418
数値もなにも、数値化したのが近世化だろうに。

421 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:15:21.21
>>417
朝鮮役前後の島津義弘の悩みも知らんのか?

422 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:23:42.80
>>419
だからその関連文献から出してみせてくれよwww

>朝鮮役関係でも
まさにその中野等の論文読んだよwww
「現地調達は稚拙」「現地調達してると相手をグレーゾーンと考えていることになる」
とか主張してるトンデモ論文だったよwww
アホな先入観に囚われてるから数字が全然読めてないwww
数字が証明してるのは、「中世的」軍隊も「近世的」軍隊も本質的には
全く変わってないってことだよwww

>>420
だから四の五のいわずに数字出せよ。

>>421
古代でも中世でも近世でも近代でも現代でもみんな悩みはもってます。
現代のそれは人文系のカスどもの根拠不明な戯言wwww

423 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:34:19.63
中世的軍隊は息切れする!近世的軍隊は息切れしない!

現実→第二次川中島では両軍200日にもわたり陣を維持。
小牧・長久手では豊臣軍、たった2か月で息切れwww

朝鮮で越冬した薩摩軍はたった4000に抑えられている。
当時の補給は古代から一貫して人力、家畜による
「徴発・窃盗・掠奪」で変わってないんだから、
近世になった途端息切れしなくなるわけねーだろwwwアホか

424 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:49:58.11
戦国時代の数字は管理されていない数値だからな。
検地後は程度の差こそあれ裏付けのある数字になった。

425 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:51:02.10
崩壊した時の武田みたいに戦国大名の動員は不安定

426 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:53:16.64
>>424
>検地後は程度の差こそあれ裏付けのある数字になった。
戦国時代も程度の差こそあれ裏付けのある数字です。

>>425
>崩壊した時の武田みたいに戦国大名の動員は不安定
崩壊した時の豊臣は動員は安定してたの?

427 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:56:55.49
>>426
どんな裏付けがあるんだい?
家臣の生産力なんて大名が把握していないのに。

428 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:58:12.02
>>426
傭兵はともかく。支配地に相応する動員はしていたが?

429 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:59:28.18
島津の領地に行った石田と細川の人件費って何だ?
この時に直轄地は確実に増えたな。

430 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:08:45.39
>>427
近世も程度の差こそあれ把握できてないのは同じだよね。

>>428
武田も支配地に見合う動員はしていたよ。

>>429
直轄領が増えたら国力が増えるんでちゅか〜?バカじゃね。合計は変わりません。

431 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:11:14.41
島津氏の直轄領になると、突然生産力が上がったりするの?
よく考えて物を言った方がいいよ。
重ねて言うが、薩摩の動員力は中世でも近世でも変わってない。
上限は2万。つーか史料によっては近世でむしろ落ちてる。

432 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:15:14.59
さらに言えば逆の意味でも安定してないよね。
関ヶ原では黒田如水が1万の員数外の傭兵軍をひねり出してるからね。

どこが「安定」してるんだろうねwww
つーか誰も「安定」なんて求めてないように思うがねwww
朝鮮征伐でも薩摩は土地を餌に、兵員を募集してるからね。
そもそもそういう事やってる時点で、
人員整理した!とかいう妄想の中の「近世化」に逆行してるというwww

433 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:25:07.81
ここまでいろんな「近世化」の定義を聞かせてもらったけど、
根拠が一つもないどころか、すべてに反証あげちゃったんだけどwww

434 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:39:53.33
そういえば朝鮮征伐で薩摩が何でそんなに必死に動員かけてたかっていうと、
「石高に見合った」動員ができずに頭数揃えられなかったせいなんだよね。

あれ?「日本一の大遅陣」のあと、薩摩は「近世化」したんじゃなかったんでちゅか〜?
「近世化」すると、経済的産業的問題は全て自然に解決され、
石高に見合った(笑)動員が「安定(爆笑)」してできるんじゃないですか〜?

435 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 03:15:37.14
今日も馬鹿在チョンが自演流し

436 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 06:50:06.16
>>434それ順番逆

437 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 18:10:11.74
>>436
そうすると豊臣の軍役や普請に対応した体制に「近世化」する必要はないってことですね。

妄想↓
>それ以前にまず近世化を考えないといけないのは家臣団の鉢植え化でしょ?
>豊臣の軍役や普請に対応した体制に近世化しないと。

言ってることが支離滅裂だなwww
数字マダー?

愚劣な日本史学者の特徴其の1
・抽象的思考遊戯に終始して、一向に議論が具体性を帯びない。
言葉の定義もいい加減。

438 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 18:17:37.27
近世化ってなに?

439 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 18:22:44.73
>>394
秀吉も、あの時点である程度、現実を直視するようになってたとは思う。
とはいえ、秀吉は朝鮮南部4道(でよかったっけ?)の割譲と朝鮮からの人質を要求してるわけで、
それが完全スルーされたことは面子丸つぶれじゃないの?
だから対明戦争再開になるわけだけど、主君を騙したペテン師小西行長への対応が甘くないか?
あの時期の「暴君」秀吉なら切腹や改易を命じられてもおかしくない所業なのに。

440 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 18:35:32.81
>>438
全く分からん。「定義を説明しろ」って言ってるんだが、
誰一人まともな説明ができない。

441 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 18:56:09.78
>>439
小西を処分できない弱みでもあったんだろうか?
堺マネー?

442 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:48:33.11
利休は切腹させたのに詐欺師小西は処分できない。
わけわからん。

443 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 20:16:47.04
豊臣政権論を読まずに議論か
逝かれてるな

444 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 22:35:52.35
必死に自演流ししてた馬鹿チョンも流石に疲れたかw

445 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 00:41:08.72
>>443
その「豊臣政権論」を読んだお前は、
根拠のない妄想しか述べられないわけだから、
ここから導き出せる論理的帰結は以下の二つに限られる

@「豊臣政権論」の日本語がひどすぎてお前が理解できてない
A「豊臣政権論」も根拠のない妄想

どっちなんだろうな?www

446 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 02:09:12.47
>>441
まだ使える武将だと判断したからじゃないの?
交渉で下手こいたとはいえ、第1軍率いて快進撃みたら
殺すより、こき使ったほうが良い

447 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 05:54:53.69
小西は売国奴

448 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 07:03:50.75
>>270
>全羅道:小早川隆景
>慶尚道:毛利輝元
この辺の領地宛行が、山口・島根や北九州を領有する毛利一門なのは理解できるが、
>咸鏡道:加藤清正
>平安道:小西行長
>黄海道:黒田長政
>江原道:毛利吉成
>京畿道:宇喜多秀家
なんて机上の空論というか、妄想以外の何物でもないな。
リアリストの小西にしてみれば、噴飯物だったろう。
秀吉の誇大妄想と明の板挟みで、小西の心労は察するに余りある。

449 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 18:29:05.45
農民から関白とかすごすぎだろ。

450 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 18:44:44.95
無謀な戦争って良く書いてあるけど、日露戦争の方がよっぽど無謀じゃねって思ったわw

451 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 23:05:30.29
小牧・長久手では豊臣軍、たった2か月で息切れ←はっ?意味不明。
貨幣政策で失敗した織田の税制は崩壊し、兵站概念も生まれず軍政改革もできなかったが、
貨幣政策に成功した武田や北条は貫高制を維持して、税収と徴税と労役賦課と兵站の確立を土台に軍政改革してるな。

452 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 23:30:06.25
朝鮮四道割譲が成ったとした場合、大陸最前線の朝鮮四道と九州の
武将・領土配置を固める事が豊臣政権にとっては最重要に成る訳だ。

中国は毛利領
四国南部は長曽我部領
四国北部は吉川領
九州北部は小早川領
九州南部は島津領
朝鮮・全羅道は小西領
朝鮮・慶尚道は加藤領
朝鮮・京畿道は宇喜多領
朝鮮・江原道は黒田領
で。

453 :日本@名無史さん:2014/03/12(水) 23:37:13.46
>>451
いかにも頭の悪い妄想だなwww

>兵站概念も生まれず

兵站:戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの。
戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、
また実施する活動を指す用語

マジ意味不明www軍隊の移動と支援の計画がなかったら
軍隊はどうやって移動するんでちゅか〜?www

あとお前ら「改革」って好きだよなwww
武田に勝ったのは織田なんだから「軍制改革」なんてのがあったとしても
「改悪」だったんだろうなwww

史学科にしか受からないウスノロの分際で
いっちょまえに天下国家を語るんじゃねーよwww

454 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 20:21:08.01
南朝鮮だけでも日本領にしとけば今の韓国はなかったものを。何やってんだよ

455 :日本@名無史さん:2014/03/13(木) 20:40:42.88
>>454
そんなことしなくても、チェジュ、ウルルン、コジェの3島領有と日本化だけで十分。

456 :日本@名無史さん:2014/03/14(金) 00:41:12.36
何もメリットねえだろそんな島を領土にしてもww

457 :日本@名無史さん:2014/03/14(金) 02:47:34.15
327の人工無能だからスルー推奨。

458 :日本@名無史さん:2014/03/14(金) 08:36:28.62
「やらなかった」じゃなくて
「出来なかった」だからな

459 :日本@名無史さん:2014/03/14(金) 21:44:53.24
「やらなかった」じゃなくて「出来なかった」であって欲しいニダという願望
出来無かったのではなく半島に魅力が無くやらなかった現実

460 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 10:37:40.34
>「やらなかった」じゃなくて「出来なかった」であって欲しいニダという願望
> 出来無かったのではなく半島に魅力が無くやらなかった現実
ソースは(笑)

461 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 10:44:53.63
チェジュとウルルンだけで十分だった。

462 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 12:47:16.58
>>460
明史、李朝実録

463 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 12:51:13.16
>>461
>明史、李朝実録
なんて書いてあるんだ?

464 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 13:41:22.19
済州島と鬱陵島に派遣された武将の名前はわかってるの?
どの大名の担当領域?

465 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 15:33:29.71
>>463
日本軍には全く歯が立たず、太閤豊臣秀吉殿下の死によって稍く危機を脱した。

大日本軍様の神の如き軍勢には手も足も出無いニダ

466 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 17:06:03.73
> 出来無かったのではなく半島に魅力が無くやらなかった現実
についてのソースを求めたら
>日本軍には全く歯が立たず、太閤豊臣秀吉殿下の死によって稍く危機を脱した。
日本側が主張について聞きたいのに・・・

467 :日本@名無史さん:2014/03/15(土) 21:19:56.37
今度は漢城も落とせずに南部に後退したって、戦国史の権威、小和田テツオ大先生様が仰ってたから負けだろう

468 :日本@名無史さん:2014/03/16(日) 00:39:24.06
小和田哲男が何か1つでもまともな発信したのを見た事が無いな
国内でも国外でも常に間違ってるというチョンの様な歴史学関連者

469 :日本@名無史さん:2014/03/16(日) 12:16:32.77
>>464
ウルルンド>黒田長政
チェジュド>小西行長

470 :日本@名無史さん:2014/03/17(月) 13:51:51.43
>>448
小西さんは有能でリアリストだけど花畑
宋氏や松浦氏みたいな現場の最前線にいた連中の声を無視して何度も明軍に騙されてるし
本人も国際港に住んでたので海外に対する知己も有ると自負があったのか
本場の連中の汚い所も見てる叩き上げの連中の忠告を無視してさ。

味方の声を無視して、敵国の主張を信用するって
なんか社会党の先生みたいな人

471 :日本@名無史さん:2014/03/17(月) 19:36:28.62
>味方の声を無視して、敵国の主張を信用する
公明党、自民党、民主党、共産党、社会党の事か

472 :日本@名無史さん:2014/03/17(月) 21:06:08.41
小西はチェジュの経営に専念してた方がよかったな。

473 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 17:44:15.08
そもそも、後期倭寇の名のある頭目は、いずれも中国人で、
日本人(真倭)は半分どころか、2割か3割くらいだろう。
そんな、実質的には中国マフィアが平戸や五島を本拠地にして、
日本人を支配してたわけだが。
平戸や五島の領主や住民も中国マフィアの親分に臣下の礼をとり、
みかじめ料とか取り立てられてたわけだが。

474 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:37:31.61
いつも通り
倭寇の頭目が松浦本家当主に臣下の礼取ってた事も知らない
馬鹿チョン

475 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 12:42:53.66
これ以降は夏の陣では凌辱祭りになるのか

476 :日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:56:47.58
>>473
平戸や五島の領主がみかじめ料を納めていたというソースは?
今度は逃げるなよ

477 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 07:11:34.72
宣祖実録 34巻  1593年  1月 11日

崔遠4000 權徵400 金千鎰3000 禹性傳2000 
權慄4000 高彦伯2000 李軼600  成泳3000 
洪季男300 李沃2800 平澤県等の将官義兵5000 
韓孝純10000 朴晋25000 成安義1000       
辛碑1000 金誠一15000  金時敏15000       
鄭仁弘3000 郭再祐2000  金沔5000       
李舜臣5000 李億褀10000 各処分屯措備軍10000  
成允文5000 鄭文孚5000  金友皐100       
金信元100  姜紳2000   李鎰4400       
鄭希雲2000 李柱300  曹好益300      
金應瑞7000 李思命1000  金億秋300      
李時言1800 金敬老3000  李廷馣4000     

合計165300  
軍馬合計172400

478 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 07:16:30.45
宣祖実録 36巻 1593年 3月 8日

薊遼兵7万
宣府兵3万
大同兵3万
苗蛮兵8万
天津留鎮軍6万
山西兵3万
陜西兵3万
浙江砲手7万

合計40万

479 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 23:04:04.65
明国が40万も動員できたの?

480 :日本@名無史さん:2014/03/27(木) 00:51:01.06
>>477
あれ、金時敏1次晋州城戦後に死んでたはずが・・・

481 :日本@名無史さん:2014/04/02(水) 18:19:09.44
>>479
これは日本側に送るために明・朝鮮側が作った
ハッタリ文章の内容の数字。
事実とは違う。

482 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 18:04:58.69
もともと中国は三国志の時代から兵力を誇張する国だからな。
「兵○○万と号す」という場合、実際の兵力の数倍以上の誇張した数字。

483 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 19:31:29.94
>>479
永楽帝のモンゴル遠征や土木の変の時にも号して50万動員してたから
その気になれば出来るだろ

484 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 20:49:50.74
現地徴発前提で穀倉地帯や食料備蓄地の場所を事前に完璧に把握しているのでないのに五十万・百万の集団を数ヶ月維持できるかどうかは
WWUの米軍が教えてくれている

船舶のような大量運搬が可能な食料庫がなく、輸送の全てを人馬に頼る内地では策源地から離れれば離れるほど軍の維持が困難になる
食料を運搬する最中での事前計算が(悪意の有る無しに関わらず)意味を成さなくなるから

ちなみに米軍の、数百人の人員で数ヶ月掛けた事前計画はノルマンディ上陸後半年保たずに破綻した
一方独軍はソ連に攻め込むとき、作戦開始前から完璧な補給計画を放棄したw
この辺の経緯は『補給戦』に詳しく書かれてある

485 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 21:00:19.82
ナポレオンは50万の兵を率いて遠征を開始し
人口密度が低く農産物の蓄積が少ないロシアを突っ切ってモスカウまで到達した
(辿り着いたのは1/3くらいではあるけどw)

秦と趙或は秦と楚の戦いでは数十万の兵を数ヶ月から1年以上に渡って投入している
第一次欧州大戦でも同規模の軍勢が動員されている
つまり、文明社会の中で行われる戦争では数十万の大兵を動員する事は困難では無い
但し、半島は貧窮に過ぎた

486 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 23:51:08.80
>>483
だからその50万が実数とは違うという。
白髪三千丈の国だから、その辺を考慮に入れて
中国史関係は読まないと。

487 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 23:57:40.29
独ソ戦の例を挙げているのに、モスクワ到達前に兵站が崩壊したナポレオンってorz
何所まで降りていけば485のオツムでも理解してもらえるのだろうか…

>秦と趙或は秦と楚の戦いでは
本国から延延と補給戦を繋いでるとか幻想を押し付けてくる前に自分で調べる気は全くないのだろうか
そもそも説明してやる意味があるのだろうか…戦史に何の知識もなく大兵が動員された戦争をググってコピペするだけの頭の悪い子のために…

>第一次欧州大戦でも同規模の軍勢が動員されている
戦争期間中の大半が塹壕に篭っていた戦争が何で出てくるんだろう…頭が悪いんじゃなくて頭が弱いんだろうか…

>文明社会の中で行われる戦争では数十万の大兵を動員する事は困難では無い
後先考えない動員は国家経済を破綻させるだけというのが文明社会の常識
ユトリ世代の「文明」の意味を知るには多分専用の辞書が必要なのだろうが

488 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 19:47:39.16
>>486
いや、実数だよ。
公文書の記録を元に書いているからね
勿論、チョン王朝と違い公文書その物が偽造だらけでは無く信憑性は非常に高い
>>487
反論出来無いからといって誤魔化しては駄目だよ。

秦と趙或は秦と楚の戦いでは数十万の兵を数ヶ月から1年以上に渡って投入している
第一次欧州大戦でも同規模の軍勢が動員されている
つまり、文明社会の中で行われる戦争では数十万の大兵を動員する事は困難では無い

但し、半島は未開未発達であり加えて搾取が酷く
現地調達する余力が無かった、つまり文明社会とは到底呼べない世界だった

489 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 22:05:46.42
>数十万の大兵を動員する事は困難では無い
内陸での大軍維持は難しいという争点を摩り替えている

>秦と趙或は秦と楚の戦いでは
↑が念頭にあるということが読み取れていない
>>484
穀倉地帯や食料備蓄地の場所を事前に完璧に把握している

>>488
反論出来無いからといって誤魔化しては駄目だよ。

490 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 22:27:53.11
秦と趙或は秦と楚の戦いでは数十万の兵を数ヶ月から1年以上に渡って投入している
これらの戦争は内陸で行われ、現地調達も盛んに利用された。

第一次欧州大戦でも数十万の兵が数年に渡って動員されている
この戦争は内陸で行われ、現地調達が食料調達の基本となっていた。

補給官や補給部隊は当然ながら現地状況を完璧に把握しては処らず
計画段階での行軍や戦闘に便な都市や穀倉地の想定に従い
行軍占拠に伴って現地調査を行い割り当てや宿泊地設定等の調整を行った
つまり、文明社会の中で行われる戦争では数十万の大兵を動員する事は困難では無いが
半島は未開未発達であり搾取も酷かった為、現地調達するだけの貯蓄が備わっていなかった

491 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 08:50:29.27
>>472
小西は講和のとき、秀吉を欺いた罪を償うため、率先して戦わなければならなかった。
でも、そういう状況に追い込まれたら、豊臣政権に愛想を尽かしてもおかしくないのに、
なんで秀吉死後も内府さまに着かずに、治部ごときについたんだろう?

492 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:25:19.61
欧州大戦を比較することで中国の戦争史が現実的かどうか比較してんのか?
まあ公文書書いたのどうみても過去の坊主どもだからなw

493 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:30:36.27
491
家康の地位なんて定まってないだろ
いつ謀反起こされるか分からない状態が続いてやっと安定したのが
家光のころだから30年後だぞ
豊臣政権イコール小西の地位だから崩壊すれば土着性のない小西は
国人によって地位を追われる
まして文官だろ?

494 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:33:28.96
武士団の形成みれば分かるが一国を支配するのに普通は百年以上かかるもの

495 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:35:55.26
東北の大崎葛西なんて三百年争ってきたもんな

伊達政宗が仙台入りする前

496 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:36:35.11
>>491
清正の方が早かったから

497 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 09:43:21.70
>>493
とはいえ、本能寺の変の後、織田政権の諸将や吏僚の多くは、
比較的アッサリと秀吉についたけど。

498 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 10:51:55.59
あっさりでもなかろ
四道軍団の争い、柴田は敗れ滝川は自滅、明智はあれだし

499 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 11:07:57.42
小西の場合、清正との確執が大きいのかな。
秀吉に特別恩義を感じるようなタイプでもないし、逆に秀吉の逆鱗買ってたくらいだし。

500 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 11:37:41.08
朝鮮の役で疲れ果てて、流されるままにという感もあり

501 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 11:38:23.28
幾らだよw >秀吉の逆鱗

502 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 11:44:26.57
いくらって資本主義の世界じゃねえぞ
お前らカネいくら〜ってんで勘定するクセついてんだろ
見りゃ分かるぞ

503 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 13:08:46.79
(ノ∀`)アチャー 逆鱗は触れちゃダメなモノであって、ましてや買うモノじゃないだろ。これだからユトリンはw

504 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 16:49:08.77
不興は買う物

505 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 17:57:52.20
蒙る物だろw

506 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 19:33:25.36
現代も朝鮮征伐すべきだろ

507 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 19:38:10.86
お前はバカだ

508 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 19:48:11.99
サルフの戦いで朝鮮軍は紙の鎧着てたって女真人の記録があるけど
紙に防御力あるの?

509 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 20:34:34.92
>>508
北条氏の足軽胴も紙製
和紙系統の紙は長い繊維が絡むので丈夫

510 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 23:06:55.26
火に弱そうだけど、重ねて着ればそれなりの防御力ありそうだな

511 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 23:26:18.15
朝鮮の紙鎧ってのがどんなシロモノなのか不明だしな。

一目で素材が紙とは判らない、日本の足軽胴のように
重ねて漆で固めたようなものではなく、綿襖甲の紙版の
ようなものと考えるのが妥当なような気がするんだが。

512 :日本@名無史さん:2014/04/05(土) 23:50:42.34
サルフの戦いには降倭を基にした鉄砲隊がいたとされるから、
日本式の装備をしていた可能性も否定出来ない

513 :日本@名無史さん:2014/04/06(日) 00:13:57.21
ほとんど戦いもせずに降伏したからな、朝鮮軍
鉄砲なんかクソの役にもたたないんじゃないか?

514 :日本@名無史さん:2014/04/06(日) 02:05:30.41
>>492
なんか三国演義の曹操軍100万とかも信じてそうだよな。

515 :日本@名無史さん:2014/04/06(日) 03:26:09.93
>>514は三国志演義と三国志の違いも解りたくないんだろうな
願望と妄想が真実

516 :日本@名無史さん:2014/04/06(日) 08:53:04.18
>>513
鉄砲で迎え撃ったけど、大風で視界を遮られた所に騎兵突撃を受け壊乱
赤兵(火力)は日本から手に入れたけど、白兵(接近戦)の能力は無理だったのであろう
まぁ、自分から好き好んで突撃する兵なんて、世界史的に異常な存在だから

517 :日本@名無史さん:2014/04/06(日) 20:21:01.84
側だけまねた所でしっかり活用できるとは限らないなw

518 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 15:07:35.24
官渡の戦い 曹軍1万 vs 袁軍10万
夷陵の戦い 蜀軍4万 vs 呉軍 5万
ファンタジーの100万とか83万とか75万とか信じるなよ

519 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 15:08:57.33
それは内戦だし

520 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 15:10:40.28
しかし、挑戦の農民は解放軍が来たと始めは好意的だったのに、
うまく懐柔すればねえ・・

521 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 18:51:21.44
明の自国の興亡に関わるサルフの戦いですら15万程度しか動員出来ない
しかし四川貴州の田舎豪族楊応龍の反乱には20万以上投入してる。

実際に当時のレベルじゃ補給なんてカスなレベルでしか行えないから
古来からの戦の伝統に則り乱取り(食料もオマンコも現地調達)がメインになる。
現地調達が可能な肥沃な場所なら大軍の展開も可能
逆にサルフ周辺や朝鮮のような貧しい土地じゃ大軍の展開は不可能
朝鮮を過大評価した秀吉軍は文禄の役じゃ餓死者が大量発生してる

522 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 20:48:43.58
問題は海岸部から内陸へ物資を運ぶ人員なので、
現地で協力があれば可能かと

523 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 21:43:47.99
>>518
官渡の曹操軍は2万強な
長平の戦いは双方全力の40〜50万

524 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 12:16:31.57
>>522
自軍だろうと現地民だろうと、搬送人員が
運んでる食料をあらかた食い尽くすから同じ。

525 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 16:33:05.53
>>524
ならばそれを上回る数を送れば良い
それにあらかた食いつくすというのは誇張

526 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 18:40:39.30
いくら集積しようが、人一人が担送できる量、
馬一頭が駄載出来る量は一緒なので同じこと。
担送で補給が出来るかは旧陸軍がポート
ダーウイン攻略で検討し、不可能にも関わらず
強行済み。
 
ちなみに、馬は休息時にそこらの草を喰わせて
おけばいいというわけではないので、馬糧も当然
運ばないといけない。

527 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 18:43:02.22
おと。
× ポートダーウィン攻略
○ ポートモレスビー攻略

528 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 22:18:23.51
日清戦争の時に現地の連中に運ばせてエライ目にあったじゃん日本軍www

529 :日本@名無史さん:2014/04/10(木) 23:45:30.50
そこで現地勢力のバックアップがあるかが問題なのだが
というと朝鮮王朝なんて糞の役にも立たないと断じられて先に進まないのだよね

530 :526:2014/04/11(金) 18:52:57.57
書きっぱなしもなんなのでざっくり試算してみた。

釜山−ソウル間が高速で420km弱なので、当時の道を辿れば
少な目に見て500km、ソウル−平壌間が直線距離で200km弱なので
ちょっと多めかもしれないが300kmとして、釜山−平壌間を800kmとする。
米1俵(60kg/当時では2俵相当)が作業員が一人で担げる重さと
一般にされているので、担送員がそれを釜山から漢城経由で平壌まで
運ぶものと仮定。
担送員の消費分は、旧軍の1日あたりの配給量は6合(900g)だが、
担送員は少な目で1日5合(750g)として、1日に20km(旧軍歩兵の
1日の標準行軍距離)を歩くものとする。

とすれば、漢城までは25日、平壌まではさらに15日で都合片道40日。
担いでいる米を1日あたり750g消費する計算なので、漢城までで18.75kg、
平壌までで30kgを消費し、ちょうど半分になる計算だが、復路の食料を
考えれば平壌に残せるものは実質ゼロ(笑)。途中でリレーするとしても
全行程での必要量自体は変わらないので、漢城等の備蓄がその分
減るだけという算段だな。


>>529
地元有力者を調略して、雑草よりは高カロリーのまぐさをつなぎの城等に
集積できれば、馬匹の輜重隊である程度効率的に運送できるかな、と
いう感じですな。
本質的には漢城保持のためには西海岸に回船ルートを設定できないと
どうしようもなかったとは思うけれど。

531 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:25:58.84
>>530
もうそういう計算をした論文ならあるんだよね。

532 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:28:30.13
だからなに? w

533 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 09:10:54.96
食料にも乏しい上に汚水しかない朝鮮
こりゃ普通に厳しいよ

534 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 11:45:48.84
数で上回っていたにも関わらず、李舜臣将軍に制海権を抑えられたのが最大の誤算だな。

535 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 14:15:28.94
当時は制海権なんていう概念はないよ。陸上を支配されたら
鳴梁後の李舜臣のように水軍は逃げるしかない。

536 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 20:13:15.65
李舜臣は不意打ちで二度勝ち逃げしただけで
戦役全体には全く影響を及ぼしていないけどな

537 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 02:34:09.90
抑々輸送路を脅かせて無いもんな

538 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 13:51:19.99
そう言えばだが、李舜臣の行動範囲って陸の見える範囲、ほぼ沿岸だよね。
まあ、全羅左水使任官が1年前だっけ?
それで装備や人員、特に航海技術のレベルアップなど出来るわけもなく。
同時代のバカニーアのような真似は無理。
多島嶼の全羅道南部で全羅道に侵入してくるのを待ち伏せしか出来んわな。

ただ、それを現実的な対策として、迷将李舜臣が狙っていたかと言えば疑問符が付くと思う。
その後に、調子に乗り、たった一つ有利だった地の利から出てしまい、
釜山攻撃にしろ熊川攻撃にしろ日本に撃退されているから。
半島の殆どが戦場で中央からの支援も少なく、尚且つもともと貧しい朝鮮で、
損耗した人員船舶武器を簡単に補充出来るわけでもなく、結果としてその後は何も出来なくなる。

党争の余波、元均の妬みなどがあったとしても、
そもそもその水師抜擢が党争の結果、実績無く有力者の引きによって得た地位で、
その戦績も、文禄の役の結果としては、他の朝鮮軍のように壊滅しなかったのが功績と言うくらいだしねえ。
元均との中傷合戦も、李舜臣側から贔屓目に見なければ、中央の党争も絡んだ単なる泥仕合だし。

539 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 22:08:18.00
なんでこんな奴が、教科書にデーンと写真付きで載ってるんだww

540 :日本@名無史さん:2014/04/20(日) 10:36:07.85
載せてもいいけど、それなら日本側の代表として
加藤清正なんかもそれ以上のページを割いて載せるべきだろう。
日本の教科書なんだからw

541 :日本@名無史さん:2014/04/20(日) 22:39:40.47
まさかの32歳までニート

542 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 22:40:25.34
朝鮮人のくだらねえ自尊心のためにウソばっか流されるのはたまったもんじゃないな

543 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 23:16:35.91
ネトウヨは下らない自尊心の為に、負けた事実をねじ曲げようと必死だけどね。

544 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 23:39:37.65
敗戦国民のチョン奴隷民族は
下らない虚栄心の為に歴史的事実を必死に捏造しまくりだけどね。

545 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 23:02:16.97
はあなんか?俺がネトウヨ認定されてんだけど心外だわ〜
こういう根拠が無いレッテル貼りってのは、犯罪者はみんな在日って言ってるのと一緒だよなw
朝鮮関係で異論を唱えたら右翼?

546 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 22:48:54.20
小和田君まーたウソ書いてる・・・
慶長の役の目標が漢城の制圧ってw

547 :日本@名無史さん:2014/05/07(水) 17:07:36.56
小和田オワタ\(^o^)/

548 :日本@名無史さん:2014/05/15(木) 12:45:24.96
>>543(>>545)
は〜い これ日本の武各種記録 朝鮮の宣祖実録、
中国の明史に載ってることねw↓

慶長の役は全羅道と忠清道の討伐して、
1599年の夏の攻勢準備のために、
半島南部に移動して防衛するのが目的。

日本軍も稷山の野戦、南原、黄石山の攻城戦で勝利を収めている。
また朝鮮水軍の基地も占領・破壊している。

第一次蔚山では少なくとも17000以上の損害を明・朝鮮軍に与えているし、
11万人以上を動員した明・朝鮮軍の3路の一斉攻勢も大破している。

そんな状態で秀吉が死去したので秀吉軍は撤収した。
戦略・戦術ともに秀吉軍主導で進んでいて、
李氏朝鮮の終戦後の記録に、わが軍は倭軍の陣営を一つも落とすことができなかったし
このまま秀吉軍が半島にいたら、もう打つ手はなかったと総括している。

明の将軍も朝鮮王・宣祖に日本軍は秀吉が死んだから帰っただけで、
また強力な軍勢でやってくるから防備をしたほうが良いと進言している。

明・朝鮮側は勝ったとはこれっぽっちも思ってないのであった。

日本の負けにしたいのなら1〜2万の日本軍を殲滅させたか、
或いは大きな城を2箇所ほど陥落させたかがないと説得力を持たない。
実際は上に書いたようにそのようなことはなかった。

549 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 02:41:11.31
せいぜい釜山の陥落くらいさせんと勝利とはいえんな
エア日本軍を掃討して城を陥落させた!なんてウソ報告してるけどなw

550 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 05:57:59.06
明に攻め入るどころか、半島南部で停滞し、何も得ることなく帰国した戦争なんて敗北以外の何物でもない。
ネトウヨは明史の記述とか持ち出すが、単に「あのまま続いてたら危なかった」程度の意味に過ぎない。
サッカーの試合で、ポゼッションで優勢だったけど負けたチームが「ロスタイムが10分あれば負けてたと相手が言ってる、つまり俺たちは負けてない」とか言うレベルで恥ずかしい。

551 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 13:56:44.68
>>546-547
そんなオワタ大先生の新しい御本

知れば知るほど面白い 戦国の城 攻めと守り
小和田哲男 監修(オワダテツオ)
■第5章 天下人たちの攻城戦
・・・/ 蔚山(ウルサン)城の戦い/・・・

おれは買わないし
立ち読みする気もしない

だれかレポよろしく

552 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 16:00:40.61
>>536
よく指摘されるけど
鳴梁海戦にしても局地戦で先手叩いただけで
とても戦略的に朝鮮側が有利だと思えないんだよね

553 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 16:25:52.26
>>550
李朝は全土を略々失陥し、明の救援と半島の貧しさに因って
漸く日本軍が日本からの荷揚げ地点である釜山を中心とした半島南部へ撤退したんだよね
無理矢理サッカーに例えるなら5-0夢スコしてたが、監督が逝去なされたので試合中止になった様な物

554 :日本@名無史さん:2014/05/17(土) 05:45:04.50
秀吉が生きていた頃ですら明に攻め込めず撤退してる訳だか

555 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 02:30:07.10
半島から撤退したのw?

556 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 06:19:02.90
いくら太閤殿下の世界征服大戦争が大失敗したからって
半島ごときに矮小化するとか

557 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 10:04:29.40
上見て暮らすな下見て暮らせ、これ日本の伝統な

558 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 01:25:36.30
>>551
卍もオワタも小遣い稼ぎしてねえで、終活でもしとけってのw

559 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 12:13:57.72
>>138
121のその記事は後日に追加されているようだ。
少し前の記事のせいか、主が忘れているのかわからないが
朝鮮関係のまとめに入っていないよう模様。

それによると漕船40隻が現れて声援を
送ったので秀吉軍は引いたとある。

文禄の幸州山の戦いについて の補足
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcphoh3ct

その漕船の人員は不明だが、漕船と称していることから、
それなりの収容数が推測が可能。
板屋船より少なめに見積もって、
戦闘員30名と計算しても1200名ほどになる。

乱戦さなかで敵情も不明の中で、一旦、
引かせた日本将の判断はきわめて妥当。

まとめとして攻城軍が息切れしたとか、ましてや城の朝鮮軍が日本軍を
追い返したということはありえないというのが真相。

560 :日本@名無史さん:2014/05/28(水) 01:44:21.60
そして漢城周辺の朝鮮軍拠点が無くなったわけだがw

561 :日本@名無史さん:2014/05/28(水) 14:53:26.95
>>546
あっちのテレビでこの耄碌爺さんも言ってるわ
http://youtu.be/7gXZubhsRpk?t=2m22s
漆川梁海戦後、陸上軍と水軍がソウルまで目指すってよ

562 :日本@名無史さん:2014/05/28(水) 18:14:09.37
とりあえず、李舜臣の戦果を針小棒大に書けば、不敗神話は揺るがないな(棒)

563 :日本@名無史さん:2014/05/28(水) 22:39:06.86
秀吉の軍令
一 赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。

一 右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割符、丈夫ニ可申付事。

漢城の制圧なんてどこにも書いとらん

564 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 14:26:54.65
文禄記にも水軍衆は陸に上がって戦ってたり、
停泊したりして、西方の海域への進出なんて図ってなかったしな。
当然、そんな指示書もない。

李舜臣を神格化させるためのありもしない妄想。
で日本の左翼学者や朝鮮に媚びている人間がそれに乗っかっている。
例として 北島万次 貫井正之 中野等 のような反日左翼学者。

565 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 15:08:26.15
中野等は前二者とは違うだろ。

566 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 18:00:55.21
中野等はむしろ北島卍の著作の内容を鵜呑みにしてるだけって感じだな
その他の部分はマトモだし、北島や貫井なんぞと比べるとよっぽど公平な歴史観の持ち主だと思うよ

567 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 19:51:26.07
北島や貫井の捏造を正面から反論してるわけではない

568 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 19:52:16.49
ところで最近中野は論文や本を書いてないな

569 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 12:23:10.72
まだ中野は学者な感じだが、あとの二人は政治的な取引とかしているからな。
いわば朝鮮主張の輸入業者だな。

570 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:10:28.67
中野も朝鮮主張に反論しないからダメ

571 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:13:51.93
朝鮮宗教っていった方が正解だけどな

572 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 06:31:46.31
日本の対朝鮮関係って基本
朝鮮=絶対善と考える連中と(左翼)
朝鮮=哀れで惨めで俺様が庇護してやらないいけない弱い生き物(右翼)って考えてる
2種類の連中の織りなす気持ち悪いハーモニー
最近ネトウヨ(右翼ながら反中、反ソより嫌韓最優先)って新興勢力が表れて三つ巴だけどさ。

573 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 13:28:17.62
大陸の覇者として、寧波を本拠地に、
大ハーン・ヒデヨシが誕生した場合、

秀次が大唐関白
秀秋が朝鮮関白
秀家が日本関白
秀信が九州探題 の予定だったらしい・・・・

574 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 19:50:15.59
>>573
適当なこと書くなよ。誤解する奴が出ないように、ちゃんと元ネタを確認して書け。

575 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 22:13:04.37
>>572
北朝鮮か韓国かで変わってくるから、そういうの
お前の日本における憶測に基づいた的外れな朝鮮関係観なんてどうでもいいよ
スレ違いだから、そろそろ首でも吊って死んで良いよ

576 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 03:13:10.09
馬鹿チョン工作員は国へ還ろうなw

577 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:28:12.19
>>566

>中野等はむしろ北島卍の著作の内容を鵜呑みにしてるだけ

じゃあダメダメじゃん・・・

578 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:24:08.73
現状、軍事史のみを書いた論文を学術誌が受け入れない現状では無理

579 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 21:49:28.97
侵略=悪なんだぁぁぁとか言っちゃうバカ学者も自殺でもしろアホ
戦国の時代なんだから、領土を増やす事は褒められるべき事であって
それが国内であろうが、外国であろうが関係ないわな

北島なんて、秀吉の遠征と韓国併合と一緒にして考えてるからアホすぎて閉口するw

580 :日本@名無史さん:2014/06/06(金) 13:58:35.39
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/23/7145744
日本の学界、言論界では韓国側の歴史観に近い発言をする左派やアジア主義者ばかりである。
せっかく国民意識の目覚めを学術的に支えるべき実証的研究者がいないのでは話にならない。
このままいけば、結局は、韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない。
事実を述べる学者が滅びれば、真実もまた滅びるのである。(54〜55頁)

マルクス主義幻想に支配された学界は、史実に目を閉ざし、虚構の歴史を追い続けた。やがておかしいと気づく研究者も現れた。

いまもマルクス主義者たちの虚構の歴史観、そこから生じた韓国の民族主義史観に加担する日本の学者は絶えることがない。(63頁)

日本の朝鮮統治を検証する上で欠かせないのは、贖罪意識を排し、事実に即したレベルの高い実証研究である。

581 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 16:37:13.02
×日本の学界、言論界では韓国側の歴史観に近い発言をする左派やアジア主義者ばかりである。
○日本の学界、言論界では韓国側の歴史観に近い発言をするのは属米右派と在日である。
×国民意識の目覚めを学術的に支えるべき実証的研究者がいないのでは話にならない。
○国民意識の目覚めを学術的に封じる為に属米売国右派の御用研究者が存在する。
×韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない。
○米国が望み南韓の捏造した日本自虐史観が本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない。
×事実を述べる学者が滅びれば、真実もまた滅びるのである。(54〜55頁)
○真実を隠蔽する為、事実を述べる自主独立主義の学者は職を追われる。
×マルクス主義幻想に支配された学界は、史実に目を閉ざし、虚構の歴史を追い続けた。やがておかしいと気づく研究者も現れた。
○対米追従、米軍の覇権の為の日韓関係に支配された学界は、史実に目を閉ざし虚構の歴史を追い続け、研究者はおかしいとすら言わない。
×マルクス主義者たちの虚構の歴史観、そこから生じた韓国の民族主義史観に加担する日本の学者は絶えることがない。(63頁)
○米国の政略が生んだ南韓民族主義史観に加担する属米右派御用学者たちの虚構の歴史観は絶えることがない。

582 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 01:48:32.59
韓流時代劇と朝鮮史の真実
朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏
宮脇 淳子 (著)

「いい加減に日本は、中国や韓国に対する過剰な気兼ねは捨て去るべきです。“日中友好"
や“日韓友好"といったお題目も結構ですが、ハッキリ言って、こちらが譲歩すれば中国
や韓国と友好が築けると思うのは大きな勘違いです。特に歴史問題で妥協してきたことが
最悪の結果を招いています。中国人や韓国人にとっての“歴史"は、『今の自分たちに都
合がいいように書き換え可能の過去』という意味しか持たないので、日本人がいくら真実
を追究し証拠を出しても、それを取り入れる気持ちなど全くありません。日本人から見て
ウソとしか思えなくても、彼らが考える歴史というのはそういうものなので、彼らと団結
できるわけがないのです。

583 :日本@名無史さん:2014/06/27(金) 19:28:10.66
>>479
無理。

文禄の時に、明が必死にかき集めた結果が5万程度。

慶長のときに明国中から集めて10万。

584 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 17:50:02.79
>>583
そもそも朝鮮の支援どころか、明国の興亡に関わるサルフの戦いにすら12〜3万程度しか動員出来てないからな
ただ糞貧しい朝鮮の土地ってのが大きいと思うよ
土地の肥えてる四川で起こった楊応龍の乱なんかじゃ二十数万の大軍を動員してる

585 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 22:21:57.88
たかだか4万の援軍の兵糧を切らすような場所だしなw

586 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 11:14:26.60
>>584
こういう意見が出る時点で,
2chのレベルは日本史学の最先端をはるかに上回ってると思う.

日本史学者はせめてクラウゼヴィッツくらいは読んでから話をしてほしい.
略奪が「稚拙(by 中野等)」とかナイーブすぎだろ.

つーか中野等が秀吉より成熟してたら,
史学科みたいなゴミ学科には入らんだろwww
史学科風情が知的エリートきどりってマジで笑えるwww

587 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 11:26:23.98
583
つうか朝鮮自体が日本軍がきたとき朝鮮王朝に対して民衆蜂起が起こってなかったか?

588 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 11:28:12.22
最初は一緒に暴れていたが途中から変わったようなのどこかで見たぞ

589 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 11:30:27.01
明が滅んだのも清のせいってよりほとんど内部崩壊だからな

590 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 15:22:40.59
殆どじゃなく完全にでしょ
内部崩壊で滅亡してから清が山海関越えたんだし

591 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 20:03:49.91
皇帝が死んだだけでは滅亡じゃないだろw
最終的に明朝(南明)にとどめを刺したのは清。

592 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 14:55:42.78
2chのスレでヌルハチが明滅ぼしたと勘違いしてる戦国ヲタが結構多くて驚いた
李自成さん涙目

593 :日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:43:33.72
2ちゃんではなんでも話せる匿名性と引き替えに、
頭も人生もからっぽの名無しになることを要求されるのさ。



違うか。
もとからからっぽの奴が2ちゃんにたむろして愚痴ってるのか。
くだらないな。
俺もお前もくだらない。

594 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 14:02:19.91
>>584
だからこそ明本土の侵攻は相当厳しいだろうなと思う
明も日本も朝鮮や万里以北の満州の土地には大軍を展開出来ないけど、明も本国じゃ大軍を動員出来るからね。
それに比べて日本側は明本土を攻略するには朝鮮や遼寧省辺りを拠点にしなきゃならないからね

飢餓に陥らないように、寡兵でしか攻めれない、そのうえでその寡兵で山海関を超えて北京を制圧する必要がある
内輪揉めで内乱状態じゃない限り、占領するのはムリゲー

595 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 15:54:00.46
山海関越えが必須なのは北方の国家群の場合だよ。
日本がそれを真似る必要は全くない。

文禄の役の反省に立てば、慶長の役が既にそうであったように
地道に勢力圏を広げ、半島に地歩を固めてある程度兵站拠点として
使えるようになれば、これも明朝が想定していたように山東半島づたいの
主攻軸と、中国南岸へのヒットアンドランで倭寇的に荒らしまくるような形との
併用だな。

596 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 16:41:52.06
その前に日本の国力が息切れしそう

597 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 23:26:20.43
ま、国力の前に秀吉が息切れしちゃったんだけどね。(・∀・)オアトガヨロシイヨウデ

598 :日本@名無史さん:2014/07/26(土) 15:41:27.24
>>595
難攻不落の橋頭堡(倭城)を山ほど築いてジリジリ進軍するって万全な方法だと思うけど
朝鮮半島北部に行った頃には相当キツい
貧しい半島のことなんだから日本から兵糧の補給が必要なんだしさ
当時は輸送力じゃ荷駄なんてオマケみたいな物で基本は乱捕り、けど半島には取るものは金目の物も食糧も女も何一つない

599 :日本@名無史さん:2014/07/26(土) 15:43:37.45
海路から山東半島を攻めるのも相当キツイだろ、相手は弱卒揃いの朝鮮じゃないからね。
倭寇の群れで徐々に弱らすってのなら分かるけどまとまった軍で渡海、上陸して敵を迎え撃つなんてそれこそ元寇の二の舞。
瞬間築城キット鳥羽城とか今治城とかでもあるなら別だけど

600 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 01:19:25.83
明の海軍は南蛮人や紅毛蛮の海軍なんざ屁でも無い水準だったしな

601 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 13:42:55.82
>>600
よく明軍(朝鮮軍含む)の海軍力が強いって話を聞くけど
実際に日本側と比べてどうなの?なると大したことないだろ。
露梁海戦じゃ待ち伏せの伏兵で夜襲、挟み撃ちに成功し正規水軍じゃない混成輸送船団相手に
力負けして五分かそれ以下の戦況に持ち込まれて李舜臣、ケ子龍と打ち取られる散々な内容だし

小説とかじゃ明海軍が大軍で朝鮮に来たら日本側は壊滅してたなんて与太話が書かれたりするけど

602 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 19:40:53.59
港に逃げ込めば壊滅はしないよ、当時の兵器じゃ無理

といっても明海軍の艦船がスペインのガレオンより
速度、積載量、操作性、安定性で上回ってたのも事実

603 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 21:15:48.02
>といっても明海軍の艦船がスペインのガレオンより
>速度、積載量、操作性、安定性で上回ってたのも事実

ガレオン相当の明水軍の艦船って何よ。諸元もロクに判ってないハズだが。
明朝後期の対倭寇戦は陸上迎撃主体だし、水戦にはもうサッパリ自信は
持ってない。

604 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 22:44:31.71
>>603
解って無いんじゃなく、オマエが無知なだけなw
宝船、福船、広東船、沙船、車輪船
明海軍と比べたら英海軍蘭海軍は雑魚でしかない

605 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 22:54:57.85
マジ馬鹿?w

ま、一生懸命ググったんだろうけど、劉テイの吹かしをまんま
引いた船種名前じゃなく諸元を上げろよっつー話なんだがw

ガレオンより速度、積載量、操作性、安定性で上回ってた、とドヤ顔で
言った以上、その裏付けの数値上げられるんだよな、当然。

606 :605:2014/07/28(月) 23:00:48.35
あ、書き忘れたけど、宝船と福船は同じものな(笑)。

607 :605:2014/07/28(月) 23:16:50.04
>明海軍と比べたら英海軍蘭海軍は雑魚でしかない

さらに加えれば、車輪舸は人力の内水面用の外輪船だし、
対馬海峡は到底無理だろうけど、山東半島から島伝いでも
果たして黄海渡れるのかね。

英蘭海軍相手には、スワンボートで戦列艦に立ち向かうような
もんだろw

608 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 23:47:00.63
>>605
宝船と福船は別物なww
恥ずかしい知った被りをしない様にwww

宝船というのは西洋への交易船から派生した外洋大型船全般を指す呼称で船種じゃあ無い
福船というのはそのままズバリ福建で建造された船

車輪舸は外洋船、河川沿海用の艦船は戦船や巡船や哨船と呼ばれたんだよ

609 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 23:51:41.41
>>605
南蛮人や紅毛蛮がインド以東の海では主に中国船を使ったのは有名な話
更に蒸気船が生まれるまで切支丹帆船は中国船に速度競争で一度も勝てなかった
これも有名な話

610 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 00:04:04.10
おいおい、福建省産の船の大型船(大福船)が鄭和の遠征で有名な
寶船にちなんで宝船とも呼ばれるんだよw
 
また、手漕ぎクランクの車輪舸で外航に出るとかもう自殺行為だろw

611 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 00:07:02.74
>>609
それは上甲板なしの商用ジャンクだろ。>605は明の軍船がガレオンより
性能が上だと主張しているので、それは一体何なんだという話だよ。

612 :611:2014/07/29(火) 00:09:24.17
おと、 ×>605は ○>602は

613 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 00:29:28.09
>>610
違うよ、宝船は外洋大型船全般を指す呼称で
ググるだけじゃなく本も読まないと駄目だよw

元々は工部直轄の南京龍江造船廠で造られたのが宝船
福建じゃないよw

車輪舸は船底の深い外洋船、残念だね

614 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 00:31:53.69
>>611
甲板無しの商用西方切支丹帆船はジャンクよりノロノロだった現実
しかも安定性や耐波性でも下回る駄目っぷり

615 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 04:41:27.34
喫水の深い船を朝鮮沿岸で運用すると座礁するよね。
だから明水軍もわざわざ川船を本国から回航してきた。
当時の水戦はその程度のレベル。舟艇機動で陸兵を運んで投射兵器や焼夷攻撃で戦闘するスタイル。

616 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 13:25:53.89
>>613
めんどくさいヤツだなw 何を読んでドヤドヤしてるのか知らんけど、
中国伝統船の四大分類の一つである福船は、突船底の海船であって、
宝船はその一類型とされている。
福船といっても、何も福建省だけで作られていたわけではなく、
確かに鄭和の乗船他の超巨大宝船は南京の宝船廠で作られたと
されているけれど、鄭和艦隊の船舶の大半は福建〜江蘇の
沿海部で作られていて、南京は現在の江蘇省の省都な。

それから車輪舸は明代の武備志にあるのがコレだが、
ttp://baike.zhige.net/uploads/201006/1275979333wgMkj2LO_s.jpg
全長が13m弱で日本で言えばせいぜい大きめの小早か小関船程度。
帆装もなく、肝心の車輪の水掻き板が約30cmだから、こんなもので
外洋に出られるわけがないのは自明。
宋代あたりは帆装も持つもっと大型の船もあったようだが、超トップヘビーな
船形をみればやはり内水面用だろう。

617 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 14:53:53.56
>>616
福船の特性はその通りでも、それは宝船の定義とは違うよ
宝船は100bを超える大型外洋船に対する呼称
福船は何種類もあるけど外洋船でも沿海用

南蛮人の帆船を見て同様に造ったのが呉公船だけど
性能が良くない為に10年程度で建造を中止してる

618 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 12:06:13.78
朝鮮征伐

619 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 20:14:23.39
朝鮮兵は逃げ足だけは達者で2万の加藤軍だけで平穣を占領
明が来なかったら2カ月で朝鮮を占領できた

620 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 20:21:45.76
朝鮮の歴史=日本と中国にレイプされた歴史

621 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 03:04:44.51
日中にとっては、朝鮮なんか「場」でしかないからなw

622 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 06:28:42.50
>>620
朝鮮の歴史:日本と中国に股を開いて食いつないできた歴史

623 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 17:28:47.29
おかげで日本の底辺がホルホルしていられる

624 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 19:52:46.05
分かりやすいレスだな。
この不景気じゃあ、日本人の大方は底辺に属してるだろうけど、
底辺じゃない連中が反日を指導しているってことだな。
こういう何気ないレスによって、貧乏人を「底辺」と見下して差別している連中が反日派ってことがハッキリする。

625 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 22:00:50.62
>>603
よくよく思い出しても
迫りくる倭寇を海洋で迎撃って話も、逃げる倭寇を海洋で追撃して壊滅させたって話もあまり聞かないよね
場合によっては副都南京で籠城戦までしてる有様だし
別に明海軍が倭寇以下とは言わんけど、最強明海軍って誰が話し始めたのか

626 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 22:25:43.00
倭寇は基本海で戦わ無かったんだよね

627 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 05:46:10.21
>>625
戚継光や兪大献(漢字うろ覚え)の倭冦退治の成功事例からじゃないの?

628 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 11:56:26.98
外輪船は人力が有ったのですね。
色々調べると現代でもその人力の船が有りますね。

中国も南宋時代の戦船として、中国人民戦争博物館みたいな処に当時の船の模型が有って画像が出てる。
なんか大っきい梃子を利用したクランク式外輪船でしょうか?
画像アップしたおじさんの足がケースガラスに反射して良く見えないのがね、残念ですが。

中国うん千年の歴史ですから、戦闘用船も多種多様に有ったでしょうね。
今は中国に学ぼうとしない雰囲気が有りますが、

古代では中国も結構知恵を使った発明を沢山だしてるから、何も西欧が賢いと信心するのも如何かと思いますけどね。
顔形は中国人と同じなんだし、それを毛嫌いし、成れもしない紅毛人に憧れる。
https://www.youtube.com/watch?v=689NUVzRpWs&amp;feature=youtu.be

629 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 12:32:53.17
>>628
結局は顔立ち云々で説得しようとしているところがクソレスです。

630 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:55:48.50
>>479
宣祖実録40巻に「大將提督李總兵, 二萬駐王京, 郭揔兵、陳總兵、李總兵, 領兵二十萬駐遼東, 吳副將領兵二萬, 與諸將分布平壤、開城者, 十萬有餘」という記述がある。
40万といのは討伐軍全体の兵数で朝鮮半島に一度に展開していた兵力は十数万程度だったっぽい。
遼東辺墻という巨大兵站基地が背後にある分、物資に関しては日本側より恵まれていただろうね。

631 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:38:25.96
>>630
でも当時の技術ではそれを半島に運び入れるほど輸送力がなかったから。
半島に大兵力を貼り付けられるのは一時で、いちいち遼東まで引き上げるか、減員して駐兵するしかない。

注目すべきは決戦以外の時期は両軍はほとんど近接していないんだよね。

632 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:50:07.52
明清決戦のサルフ戦では
明軍が9万朝鮮軍が1万の10万だが
号して40万

633 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:40:15.19
中国の軍隊は兵力の誇張が大きすぎて、実際の兵数は三分の一にも満たないことが多い。
例えば、三国志の頃の、赤壁の戦いは、曹軍100万などと呼称してたが、
実際の兵力は20万前後だったとするのが有力な見方。

40万なんて数は明らかにおかしい。
討伐軍全体どころか、明全土の兵を合わせても、そんなにいないと思われる。
四方八方から異民族が侵略され、兵力が分散していた当時に、40万もの軍隊を一地方に派遣できるわけがない。
>>630の言う通り、多くて十数万だろうな。俺は10万もいないと思うけど。

634 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:47:11.69
日本のいくさは、2万7千を3万と言ったり、8万7千を10万と言ったり、かわいいもんだけど、
シナ王朝は5千を3万と称したり、数の感覚が無茶苦茶だもんな

635 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:55:06.38
「皇明九辺考」に嘉靖年間に甘粛から遼東までの長城ラインにある九辺鎮で行われた兵員点呼の記録が百人単位まで載ってるけど
少なくとも大体90万人はいたようだ

636 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 22:23:35.73
>>635
それを信じるかどうかは、その人の立場によるな
中国人もしくは中国贔屓の人なら、信じたいだろうし

637 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 01:18:08.30
>>633
誇張は殆ど無いよ
誇張の多い日本の軍記物と違って公記録と公文書から史書を編纂するから
馬鹿チョンは誇張以前の問題だが

638 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 14:48:04.02
>>637
そんなことはない
シナの記録は、公式なものでも誇張だらけだよ
三国志とか、シナ王朝の話が好きな人が、そう思いたくない気持ちは分かるが

639 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:29:16.37
90万でも少なすぎるように感じるが
長城を整備維持するだけでもかなりの人数が必要だろ

640 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:52:04.26
むしろ三国志好きから中国史好きになると誇張が凄まじくて当たり前
劉備が呉に進行したのは70万とされるが実際は4万程度だそうで
史実はそんなもんだろうと思うわ
人口的にも兵糧的にも

641 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:34:13.66
>>640
三国志にそんな記録は無い
マンガや演義小説は史書では無い、それ位解るよね

642 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:36:16.23
誇張なら未だ許容出来るが
捏造三昧なのが半島王朝のウリナラ歴史本、捏造は問題外
李朝はまともだが史実を残し過ぎたせいか、何故か本国人は嫌っているw

643 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:49:57.38
まぁ確かに、朝鮮の想像を絶するウリナラファンタジー史観に比べれば、
どこの国のどんな歴史書だって誠実に見える

644 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 23:50:39.76
朝鮮史も中国の例に倣って書記官を置いて起居注を記録して
それを元に編纂してるんだから同時代の他の国と比べたら相当正確な部類だろ

一番誇張がひどいのは東南アジアの年代記の類
敵兵力が20000000000000000人とか平気でてくる

645 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:33:22.15
>>644
性格でないという点で正確だな。管理値でないからな。
秀吉が画期的なのは管理強化して総動員化したところ。
日本近世の開闢者。

646 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:58:07.59
江戸幕府は元に戻しているからマイナス面の方が多かったんじゃない

647 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:54:32.87
秀吉は島津領国に直接竿を入れて検地したり家内の領国配分を決めていた。
家康にはできなかったこと。

648 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:07:22.90
どの大名にも、優れたところがあったってことだな
天下統一を成し遂げた秀吉や家康が並々ならぬ器量才覚の持ち主であったのも事実だろうけど、
島津、毛利、伊達、前田、どれもこれも凄い武将だよ

649 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:13:20.75
>>646
何を戻したの?

650 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 17:34:45.10
>>647
する気がなかっただけかと
>>649
具体的な兵数の指示

651 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:03:56.11
>>644
制度がしっかりしてたのは認めるけど、だからといって数字が正確とは限らない

652 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:11:53.86
>>644
そもそも朝鮮は度量法が骨抜きにされて統一されていなかったんだから。

653 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:14:35.40
もし秀吉が明を征服していたら、どうなっていたんだろう?

654 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:05:29.13
大日帝国が出来てその後は中華人民共和国日本省と成り
米国を上回る超大国の一部に成ってたよ

655 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:23:12.06
明治維新も起こらず、どっかの列強に植民地にされてそうだよなw

656 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:03:39.59
清代を通じて技術停滞を続け
最期は皇太后が改革を潰して滅亡した満族と違って
日本人統治者なら維新が起きたのは確実だよ
明治維新に必要な要件は産業技術と政治行政技術なのだから

半島生物が日本人か中国人かは時の運だがw

657 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:53:24.70
>>654
意味がわからん どういうこと?
秀吉の力で日本の帝国ができて、中華人民共和国ってのは日本人が作るわけ?

658 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:05:42.22
いかなる紆余曲折があろうと、共産国家が出来ることは必然アルという
中共の“正しい歴史認識”を説いてるんだろw

659 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:20:50.88
>>657
大日帝国が大清帝国に替わると
満族は軍事と政治にしか関心が無く
科学や技術、更には行政効率にすら丸っきり無関心だったから
大日帝国の場合は工業化が達成されただろうって事。

藩幕体制か豊臣家の皇帝独裁のどちらにしても
中華人民共和国日本省に成るか、北元みたいに日本へ戻るかは別として
蓋し中国は洋務運動より効率的に工業化され、民国内戦や毛沢東の大乱も発生しない。

半島が朝鮮省に成るか任那県に成るか
或は本来の民族区分通りその2つに分かれるかは時運次第かなw

660 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 06:54:35.56
>>656
維新の原動力は限空気読めだから無理

661 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 15:18:47.86
>>659
話が堅いから分かりにくいな
ようするに、その大清帝国ってのは日本人が作ることを想定しているんだよね?
で、誰が支配者になろうが、易姓革命のようなシナ思想に取り込まれてしまって、そこはシナになる
そして結局は中華人民共和国が誕生すると

662 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:21:58.38
>>659
清のほうが日本より100年も洋務運動が早かったし康熙帝自ら宣教師から洋学の講義受けたりしてたんだけど

663 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:12:49.17
>>662
バカは書き込まなくていいよ
話がややこしくなる

664 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:53:36.47
>>662
洋務運動を始めたのはフランス軍にボッコボコにされてから
日本の工業化や明治維新と略々同時期。
康熙帝が聞いてやった洋学は同時期の蘭学と同じで未だ低レベル

665 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:25:52.73
>>664
乾隆帝の治世には新大陸由来のジャガイモ、とうもろこしを輸入して人口を爆発的に増やしたりしてますけど

康熙帝の洋学が聞きかじりねぇ・・
フェルビースト、カスティリオーネ、ブーヴェ、ペレイラ、パルナン、レジスetc・・
とヨーロッパ各国から招いた学者からの直輸入物なので蘭学とは比較にならぬ

666 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:58:16.58
進講する方がその道の碩学でも、受ける側が
その全部を理解できるわけでもなかろー

667 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:32:26.52
洋務運動なんて、その後の歴史に何の影響も与えてないだろw

668 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:26:03.72
>>665
タイ米や緑豆を導入して人口が激増するのは科学の進歩とは関係無い

康熙帝時代の西方キリスト教諸王朝の学者自体が低レベルなんだよ

669 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 18:35:34.10
いやいやこの時代の西洋科学の進歩は目覚ましいぞ

清に限らずイランやトルコ、ジュンガル、トルコ、タイも18世紀から19世紀にかけて
軍事や工業面での洋務運動を行ってるけどいずれも芳しくなくて後発の日本に後れを取ったのはほんと謎

670 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 20:47:24.61
謎も糞も、識字率始めとした庶民レベルの教育水準の差だろ。

671 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 23:26:06.29
>>669
清代のそういう発展は、ごく狭い範囲の、一部の知識階級の間だけの話だけど、
日本は維新で国民全体が一気に底上げされたからな

672 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 13:02:02.54
>>669
この時代といいつつ150年以上も後代の話に摩り替えてる時点でお察しだよ
康熙帝時代の西方キリスト教諸王朝の学者自体が低レベル

673 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 18:25:56.16
中学の理科の教科書でも開けばわかると思うが近代科学の祖と言われる人物は康熙帝どころか
いずれも日本でいえば戦国時代の人物
エウスタキウス、ヴェサリウス、コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイetc・・

これは顕微鏡で観察した葉緑体を素描した1590年代の頃のもの
http://i39.servimg.com/u/f39/17/29/99/40/cork_m10.jpg

674 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 22:34:28.02
>>627
戚継光は名将だとは思うけど、倭寇対策って言っても
数に物を言わせて一人の倭寇に対して3〜7人で囲んでフルボッコにするのが戦術だからな

同兵数で戦わないと行けない朝鮮の地じゃ無理な戦い方だし
そもそも中国人混じりで武装も貧弱で農民より弱いであろう倭寇と、ガチガチの侍集団じゃ戦闘力が段違い。
中国水軍が強い云々と言っても朝鮮の地で活躍できたかは疑問。

675 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 04:18:47.06
朝鮮征伐の頃の日本の侍の勇猛さや戦闘能力は凄まじい。
日本人はそれが普通だと思ってたから、それをわざわざ記録に残してないが、
日本軍と交戦した明側の資料に、いかに日本軍が凄かったかが分かる記録が多く残ってる。
まるで戦闘マシーンであるかのような記述が多々散見される。

数百人の兵で、1万5千を敗走させたりしてたからな。
その数百人は、最初から死ぬと決めて円陣を組んで突撃し、絶対に逃げないわけだから、
明軍がこれを破ろうと思えば、最後の一兵まで打ち倒すしかない。
結局、それが出来ずに、死に物狂いで戦う日本兵を恐れて、逃げ出す兵が相次ぐわけだ。

676 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 09:12:18.21
あまり知られてないけど戚継光が編成した戚家軍は文禄の役にも参戦している

677 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:37:34.67
キンペーがテロには1対多を実現し勝利した戚継光に学べって言ってたな

>>676
雇い主が晩年不遇だったみたいだし当時はとっくに死んでるし
ホームじゃない朝鮮じゃ他の明兵同様にどうせ大した活躍してないだろ

678 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:44:57.98
>>669
>軍事や工業面での洋務運動を行ってるけどいずれも芳しくなくて後発の日本に後れを取ったのはほんと謎
何が謎なんだよw
失礼ながら清だけじゃなくて、他の国々の今の民族的な資質を見ても成功しなかったのはお察し。

江戸の識字率は当時のロンドンより高いし、欧州以外では数少ない庶民が旅行や奢侈品を楽しめる国でもあった。
食糧事情は縄文時代に次ぐ最悪の状態だったけど。

679 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:01:03.04
>>673
近代でも無いし、未だ科学でも無いよ
それ処ろか近世ですら無い
17世紀後半に成って漸く崩壊期の明に追いつくレベルでしか無い

680 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:26:27.18
映画「鳴梁」を刑事告訴…“歴史歪曲、浅はかな商法”とペ・ソル将軍の子孫が主張
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140915-02003632-kstyle

681 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:09:38.71
そういえば今日は9月16日で鳴梁海戦の日だ

682 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:28:45.23
ま、寒流推しのころなら、宣伝兼ねて朝から晩まで
カンコクカンコク言ってたんだろーけどね。

683 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 20:53:06.65
「米軍が平壌で北進止まっていたら…中国、韓国戦に参戦しなかった」
http://japanese.joins.com/article/137/190137.html
壬辰倭乱に関連して彼は「李舜臣(イ・スンシン)が水軍を組織して補給路を攻撃し、海岸線に沿って繰り広がる戦闘で日本軍の戦力を分散させて進撃を遅らせた」と、李舜臣将軍も取り上げた。

キッシンジャーがアホなこと言っとる。

684 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 21:16:48.27
キッシンジャーは只の詐欺師だから嘘を吐く事に抵抗無いよ

685 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 09:56:54.23
>>676
戚家軍が強いんじゃなくて戚継光が現実主義者だっただけ。
まぁ名将の元では弱卒も次第に洗練されていくんだろうけど。

兵法書を色々書いてるみたいだけど、狼筅ってヘンテコな槍を発明したり、日本の陰流を研究したり
戦略家と言うより良い意味で臨機応変な現場臭のする人だとは思う。

686 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 03:55:38.04
秀吉が十年長生きしていたら、300年早い日韓併合が実現していただろう

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