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もし関ヶ原で西軍が勝ったら?

1 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 16:57:58.00
豊臣の世は長く続いたのだろうか?
それとも戦国の世に逆戻り?
第二の家康が出て広島幕府でも出きた?

2 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 17:50:41.49
家康が腹を切る

3 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 19:22:51.12
豊臣の天下はどっちにしろ終わりだったと思う。
あそこまで表に出ない総大将では日本をまとめきれないよ。

4 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 21:24:46.75
関ヶ原時点ではまだ子供だから・・・
どっちにしろ淀をどうにかしないと話が進まんが

5 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 22:23:18.28
勝ったとしても結局三成が邪魔なんだが

6 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 22:51:10.93
三成に私心はあったのかなぁ

7 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 23:25:45.43
>>6
ただ、この人歴史に登場するときと、
歴史から退場するときに良いエピソードを残しているからな
本来なら、そういった良い話は徳川300年の間に
抹殺されそうだけど、そういった良いエピソードが残ったからには
それなりにしっかりした人物だったと思う。

8 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:32:34.17
家康は三成の息子生かしてんだよな。
100歳超える長寿を全うした。
三成が乱を起こした人間だと認定しなかったからだろう。
敗戦責任として三成の首を刎ねたにとどめた。
大坂の陣の後で秀頼の幼児を市中引き回しの上で処刑してるのと好対照だ。

9 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:53:28.62
担がれても反乱の首魁となりうる力がないからだよw

10 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 08:36:51.52
>>8
家康が豊臣恩顧武断派の三成嫌いを利用して関ヶ原に勝利した以上
あいつらの最大の要求であり怨念を晴らすべく首を刎ねたというだけだろ
家康は三成が自分のところに逃げ込んできたときにはあえて殺さず関ヶ原を誘発させているし
関ヶ原後には大津で三成本人にも会っている
家康にとって三成は自分に天下を取らせてくれた恩人に近いと思うわ

11 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 09:34:06.43
大坂の執拗な残党狩りや秀頼の息子の斬首は、晩年の家康の最期の仕事とみるか、秀忠の仕事とみるか

12 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 10:16:01.58
豊臣秀頼の自刃が慶長20年5月7日
このとき徳川家康が総大将として徳川軍を率いている
国松の処刑はそれから15日後の5月23日
国松の処刑は家康の命令だろ
勿論、秀忠も処刑派だっただろうが

13 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 10:21:38.59
>>11
関が原のときは
戦国の延長上、まだ戦国の価値観
(残党狩りはせいぜい一族程度までで、一般将兵は大目に見る)
が残っていたけど、
大阪の場合は、完全に体制固めになっていたから
この際一般将兵まで根絶やしにしてやれと、家康は考えたのだろうな

14 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 18:55:20.00
穿った見方だけど武家人口調整の一環かも。
改易によって発生した浪人はどうせ仕官の道は限られてるし
わざわざ一山狙って豊臣に属するような連中がおとなしく帰農するわけもなく
生かしておけば山賊になって暴れるくらいしか能が無いだろう。
それならいっそ殺してしまえと。

15 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 19:13:01.09
>>14
続く秀忠時代には豊臣恩顧大名を大量改易
浪人が出すぎて4代家綱の時代の文治政策になるわけだから
この時点で何も考えてないだろ

16 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 19:43:39.61
まあ、社会構成考えるような景気でもなかったんだろうし。
家光時代後期までは基本普請景気が続いて武家の出費多くて、人足的な労働需要は多かっただろうな。
そういう意味では、ヤバくなればトンズラして人足にっていう発想はそれなりにあったのでは?

兵士達は土木の基本作業や農作業や地域によっては籠編みなんかの技術を持っている場合がほとんどなんで、侍という身分にこだわらなければそれなりになんとかなった時代。
職人が工房徒弟の仕組みで動き出すのは江戸中期以降で、それまでは有象無象が色々やっていた模様。
それこそ大阪浪人達の成れの果ての生き方だったかも知れん。

17 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 19:47:58.61
小早川の死をみても祟りを恐れなかったのかな。
実際に秀忠の子国松は死んでる訳だが

18 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 19:57:16.74
武家が祟りとか本気で恐れだしたら政権崩壊の兆し。

19 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 20:03:16.95
>>17
死んだ秀忠の子は長丸だろ
国松は徳川が殺した秀頼の子

正室の江は順調に子を産み続けてたし
家康は爺になっても異母弟作りまくってるしで
それほど悲壮感はなかったと思う

20 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 21:32:22.34
國松って家光の弟の忠長の幼名だよ

21 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 22:06:49.63
ANHELING - AGAINST THE CULT SGI
http://www.youtube.com/watch?v=TFfTad0_Kpc

ANHELING-Fuck"DIE SUCK"You
http://www.youtube.com/watch?v=B3UC_a790Cc

ANHELING`'TvBreaksSociety-Subliminal Strike(TBS-SS)''
http://www.youtube.com/watch?v=o1YeFJtCbQA

22 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 22:10:22.36
>>17
上古から怨霊化を恐れて政敵の抹殺を躊躇した例はないと思う。

死後の大々的な鎮魂も南北朝くらいまでじゃね?

23 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 14:07:59.66
>1

もしそうなっていたら、淀の方が、北条政子・日野富子以上の権力者になっていただろう。

あの時点では、西軍が勝ってしまったら収拾のつかない政権になっているもの
唯一の求心力は秀頼(あやつる淀の方)だけだ。

24 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 14:39:58.58
東軍が負けていたら、お江は? お初はどちらが勝とうが負けようが同じだが


25 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 15:26:21.61
>>24
淀は江を殺しはしないだろ
江は豊臣家の養女として徳川に嫁いでいるから豊臣に返されるだけだと思う
別の大名と4度目の結婚をしたかどうかはしらんが

26 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 15:32:46.77
妄想花盛り

27 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 15:36:34.48
>>25 確かまだその時点じゃ男を産んでないから、姫はそのまま?尼?

28 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 17:25:41.68
>>27
江が豊臣に置いて行った完子すら淀は猶子にして摂家へ嫁がせた
江の娘を悪いようにはしないと思うが
(尼にすらさせずに豊臣家で養育し他大名に嫁がせるかも)

29 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 23:42:41.39
関ヶ原で勝っても、秀忠と秀康が来るんだけどね。上杉が参戦したら面白いが伊達もいるしなぁ

30 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 23:46:57.25
秀康が来れるわけねえだろ。
秀忠も敵中に孤立して進退に窮する状態だ。
こうなると兵士の逃亡とかが始まるのが当時の軍だ。

31 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 00:53:17.51
関ヶ原家康で負けると
伊達は上杉と手を組んで北に向かう
堀は西とも通じていたから寝返り
佐竹は空き家状態の江戸を占領
敵中孤立の秀忠は降服せざるを得ない
こうなると上杉と戦闘中の秀康も崩壊だな

32 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 00:59:50.65
>>30
秀忠の軍は徳川家の兵ばかりだろ?
そのまま瓦解はないだろう。

かといって真田そのままにして西へも向かわんだろう。
仕切り直して年明け早々にでも改めて東海道の諸大名まとめつつまた近江付近に進軍が可能性高そう。

その間西軍はどうするかだが、もう一度戦って勝てる確立が関ヶ原より高いとは思わない。
家康の豊臣切り崩しは更に広く行われるだろうし、それを抑えるほど三成に信望があればそもそも豊臣恩顧の大名が東軍につかなかった。

仮にもう一回戦っても家康側がより有利な状況作り上げて三成は負けると思うが。

33 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:04:40.80
堀は寝返るどころか越後から追い出されるよ。
関ヶ原で家康が負けたら最上と越後が上杉の手に落ちるところまではほぼ間違いない。
信濃勢も丸ごと西軍になるだろう。
家康が負けて越後が上杉の手に落ちたら信濃の小大名の生き残る道はそれしかないからね。
上杉が南下するかどうかは伊達の動向次第なのでなんとも言えんが、
佐竹は動けるから江戸をつくだろうね。

34 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:08:36.06
家康の豊臣切り崩しとか石田の人望とかに関係なく
関ヶ原で負けたら徳川は終わり
徳川家臣団は他家と比べて特別結束が硬い訳でもない
本拠地の関東が危うい状態じゃ秀忠が兵をまとめるのは無理

35 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:09:22.82
家康死亡とでもなると秀忠軍は常道からいってまず江戸に引き返すだろ
徳川家の兵だと言っても兵の生活基盤は関東にあるんだぞ

36 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:14:34.72
>>35
その江戸に引き返すのが簡単じゃねえんだよw

信濃路は戻れない。

東海道つかうしかねえが、関ヶ原の時点で東美濃という中途半端なところにいるからそもそも東海道に行くのが大変。
そうこうしてるうちに東海道筋の東軍の大名が西軍に寝返らんとも限らん。
その場合は秀忠の首は恰好の手土産になるから秀忠は修羅場だぞ。

こういう状況に追い込まれた軍ってのは大変な苦難を味わいのは戦国の歴史みたら腐るほど例がある。
そんな修羅場を統率できるような将才が秀忠にあるだろうか?

37 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:38:46.81
信濃路で秀忠の復路を妨害しそうな家は真田以外にどこかあるの?
東海道方面を突っ切るより来た道戻る方がまだ帰還の公算は高くなると思うけど

38 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 01:46:25.76
>>37
全部まとめて寝返るよ。
別に家康が好きで東軍になった家なんてないんだからな。
家康が勝ちそうだと思うから家康についたんで、負けて自分の生き残りが危うくなったら一斉に寝返る。
当時の武家なんてそんなもんだ。

39 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 05:46:08.21
>>38
同感だな
その真田だけでもあのあたりの地形だと
大変なことになる。
が、家康が生き延びたら、秀忠の軍を美濃で回収して
三河あたりに引っ込んで、しばらく情勢を見極めるのではないかな
九州だと、黒田如水が優勢だし、四国方面でも
必ずしも毛利が優勢でもないし、江戸は何とか持ちこたえそうだし、
三成の手腕しだいだな

40 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 06:13:42.24
家康が死んだら前田家が生き残りをかけて秀忠軍を追撃するだろうな。

41 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 07:03:16.15
強固な全国政権も生まれず、かといって後北条型の地政学的に安定した徳川氏の関東一円支配も別に崩壊せず
江戸時代より諸侯諸大名の独立性が高く
戦争もヨーロッパで近世に起こった程度には頻発し
進んだ造船技術で全世界で大名権力主導の倭寇さながらの私掠船活動が活発に行われ
海賊立国とでもいうような植民地主義以前な形態の状況が
江戸時代と今言われてる期間にながらく続く


とかそんな感じ?

42 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 09:17:48.87
>>40
前田は勝ち馬に乗るだけ
自ら戦はしないよ

43 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 09:22:52.52
前田利家って元々信長の母衣衆で武功自慢の家のはずだったんだが、
どうしてこうなったww

賤ヶ岳の裏切り以来世渡りの家になり果てたwww

44 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:19:49.13
秀忠は初陣だっけ? 真田に翻弄されて更に西軍負けの報せがきたら・・・泡くって江戸に帰るしかない

45 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:39:26.83
関東だけ結局日本から独立したら面白くね?日本の耕地面積人口が四分の一でほぼ利根川水系だけで平野を成してる関八州自治で。

46 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:48:27.03
日本の耕地面積人口の四分の一でまず日本国内の勢力に滅ぼされる恐れのない徳川王国が
小関東主義、関東地方だけで鎖国した独立国で行くか。
大関東主義、関東地方という日本の四分の一を占める国力で日本全土を統一する勢力に拡張路線で行くか。

二つの路線で揺れ動きながら結局今の時空線と同じく後発国民国家としてドイツイタリアの中間ぐらいの実情で民族主義ネイション化を迎えると。

47 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 11:44:23.34
>>45
関東だけ独立という話は無理だろう。
伊達や島津が同時に決起独立宣言するようや事態になれば、一時的に容認か放置される可能性はあるだろうけど。

48 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:25:31.03
>>46
当時の関東は辺境で人口の25%も無いだろう。
徳川王国が日本国内の勢力に滅ぼされる恐れが無いのだったら後北条だって滅びなかったはず。

49 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:31:54.95
>>48
関東地方以外もかっての豊臣秀吉政権みたいに一枚岩に近い統一政権の状態にはほど遠い領邦国家だらけのドイツみたいな状況だと普通に関東だけで四百万石でしょう。

50 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:50:01.82
当時の関東は伊豆、常陸込で342万3987石

常陸だけで75万3600石あるからそれ引くと267万387石

家康の石高のほぼ全部がそれに相当する。

400万石もないよ。

51 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:50:49.93
>>49
なぜ連邦国家だったら250万とされている石高が400万になるのか突拍子も無くて理解できないんだが?
まさか江戸時代末期の石高で語っている?

太閤検地では総石高1800万のうち家康の石高は250万石と言われているけど?
いや実高は400あったはずという反論も予想されるが、仮に事実だとしてもそんな事言ったら他国の
実高も上がって結局25%も無くなる。

そもそも江戸時代の天領の石高が400万石なのに天下取る前の家康に400万なんかあったという
発想自体おかしいと思うよ。

52 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:52:27.84
>>50
常陸と安房里見抜いた関東のほぼ全域が徳川領だったのか
他の北関東にも小大名結構いたけど既に家康の隷下だったのかな?

53 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:56:47.80
>>52
下野とか常陸の一部の組下大名入れたらほぼ全域といっていいね。
ただ、計算上家康の石高と正確に一致しないのは豊臣家の蔵入り領とかが点在してるからだろう。
常陸の佐竹も54万石だから似たような事情かと。

54 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:03:14.96
じゃあ秀忠が手勢引き連れてたまま取って返してとりあえず佐竹だけ吸収してそのまま関東で引き籠って350万石でいいよ。

55 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:05:57.74
関ヶ原で負け、ほうほうのていで関東に戻った秀忠がなんであっさり佐竹を吸収できるんだよw
全盛期の北条でさえ吸収できなかった佐竹を簡単に吸収できると考える発想がわからんw
バックには強大化した上杉も控えてんだぞ。

56 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:09:11.66
>>54
関ヶ原で負けたら北から上杉や佐竹がやってくるし西からは西軍が合流してそのままやってくる
あと相当数の東軍大名も寝返るから
秀忠軍が無傷で残っていても勝ち目無いだろ?

57 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:32:10.26
西軍の東上って事は当初計画だった毛利軍による東海道筋虱潰し作戦が再開されると思うんだけど
これに抵抗する東海道筋の大名はおらんのかな、手のひら返すの諦める家も出てくるんじゃないの

58 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 13:39:07.98
秀忠の手勢馬鹿にならないと個人的に思うし石田三成主導で毛利主力の関東攻め江戸攻めなんかはますます空中分解しそうな感じ。
自分的にはMUSASHI‐GUN道‐みたいな西軍勝利も家康生存なifでもいいぐらいだと思うが。

にしても人生で一番突っ込まれた感じがするわ。徳川憎し江戸時代アンチなスレ趣旨で事実上関東安堵なネタ突っ込みどころ多めで投入するとこんなにレス貰えるとわ(笑)

59 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:01:39.06
三成が挙兵せず関ヶ原が起こらなかったifを知りたいわ

60 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:06:13.61
家康が早死にしない限りすんなり家康の天下だろ。
上杉討伐は秀頼の代行という名目とはいえ、天下の諸将を指揮して天下の静謐をはかったという点で意義が大きい。
世界の歴史を見ても幼い主君の代行として軍事指揮権を行使した人間がそのまま天下の主になったという例は多いからな。
そもそも秀吉自身がそうだった。

61 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:08:28.64
関ヶ原は結果論からいうと家康の天下を早めたと言える。
だけど、あの戦いがどちらに転んでもおかしくなかった極めて際どい戦だったというのが後世からの検証結果だ。
家康は手順を踏んで天下をとろうとしてたのに、想定外の事態が発生して肝を冷やしたというのが正直なとこだろう。

62 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:15:25.05
いっそのこと秀吉死ぬ時に徳川に天下くれてやって秀頼は高位高官の100万石特殊摂家大名と
しておけば豊臣生き残れたんじゃないだろうか?
それでも史実通り家康が豊臣潰したかな?

6歳児の国松を市中引き回しの上斬首するくらいだから結局潰されたか?

63 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:19:24.59
広大な平野を持つ関東に大加増した時点で徳川の天下は決まっていた。
250万石の大大名のまま永遠に臣従とかありえん。
確か東海にいた頃は150万石だったか?
家康オタが関東移封は左遷とかって言ってるけど結果的には大栄転になってしまった。

そう考えたら尾張から家康旧領への転封断って改易された信雄は大馬鹿。

64 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:25:15.01
>>62
罪もないのに幼児を処刑なんて出来んよ。
謀反人の子だから國松は処刑されたんだ。
つまり謀反を起こさなくて済むような状況なら國松は処刑されてない。
密かに毒殺とかなら保証の限りじゃないけど。

豊臣家の滅亡は秀吉が秀次一族をあんな惨いやり方で滅ぼした時点で決まってたこと。
あとは秀吉が80歳くらいまで生きてりゃなんとかなっただろうな。
ただ、それって今の80歳の老人に100まで生きろというのと等しいことで真面目に願望出来ることじゃないからなw
そういう意味ではあの年齢の秀吉が秀次を殺してしまった時点で終わったというのが正解。

65 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:49:54.66
秀吉が織田にした事を思えばなぁ・・・
徳川からしたら同じこと

66 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 15:01:56.99
秀吉は三法師を殺していないだろ
あえていうなら柴田勝家と組んで秀吉を滅ぼそうとした信孝だが
これも信雄の命令で切腹ということになっている

67 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 15:04:47.39
政権だの何だの妄想をいだこうが無駄

68 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 16:12:30.34
え、関ヶ原で西軍が勝ったらって話だろ?

69 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 16:16:41.09
世の中すべてつながってるからな
長州閥とやらが自分らを被害者ぶって騒ぐのが落ちだ
歴史を利用してるだけの関連などなくてもな

70 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 16:21:29.62
南朝のご烙印というならwikiで見たが南北朝のときに北海道に逃れた南朝親王が新田義純
と名を変えてその子孫の血統がいるじゃん
南部家家臣新田家ってその子孫?

71 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 17:48:35.17
>>55
徳川家でオセロゲームに所領獲得できないなら他の小大名同士ならますます膠着状態で雪だるま式大勢力なんて誕生しないと思うが。
三成求心力なさすぎ。石田家の手勢で徳川家旗本を欠いた隠居家康の手勢壊滅寸前に追い込んだ指揮能力の方が凄いと思うわ。

72 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 19:38:33.09
>>70
応仁の乱の西軍のように、
石田は南朝末裔を奉じて挙兵すべきだった。

日野富子と淀殿は政治に口出しすぎた女性で、それぞれ大乱を招いたという麺では煮ている。

73 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 20:12:20.36
秀吉は三法師を岐阜13万石中納言といった特殊大名として存続させたし
庶流の信雄なんかに至っては100万石内大臣といった破格の待遇与えている。
20歳そこそこでその扱いだから年齢行ったら美濃を中心に100万石位貰えたと思う。

ただ三法師は物心付いた時から秀吉に従っていたのに対して淀秀頼ラインは徳川に
臣従する気ナッシングなので織田のような特殊大名として生きていけたかどうか怪しい。

74 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 20:57:00.74
徳川を臣従させるまでは分かるけどなんで力削ぐ事をしなかったんかな
しかも後見人を頼むなんて

75 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 21:34:34.87
徳川の力削ぐどころか秀次殺して豊臣家の力を回復不能な程度に削いでしまったからね。
秀吉の自滅としか言いようがない。

76 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 21:38:18.58
秀吉の織田家の処遇は乗っ取った側としては申し分ないよ。
これが前例になるから、豊臣家も秀忠が将軍継いだ段階で空気読んで諦めるべきだった。
そしたら大坂には居られなかったろうが60万石〜100万石程度の特殊大名として生き残れたろ。
戦って勝ち目ないんだから、同じ賭けるなら前例がある方に賭けるべきだった。

77 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:00:43.84
淀殿が伊達の母みたいに戦場の真ん中に輿で割って入ったらw
両軍から潰されるか

78 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:12:57.40
76
家光の時代までは武断の時代だから空気よむもなにもないだろ
空気よむとかなんとか芸人とヤクザの話なんかどうでもいいわ

79 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:16:45.43
>>78
武断の時代だからこそ脳味噌と嗅覚働かせないと死滅するんだがね。
武断の時代だから脳筋で済むと思ってる?ww

80 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:19:52.61
>>77
戦場の
ど真ん中で
喧嘩両成敗を叫び両軍を制裁する淀殿
軍師は前内府・織田信雄

突然の事態に混乱した小早川脇坂朽木小川赤座が淀殿に寝返り東西両軍は壊滅

81 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:26:37.42
だから芸人とヤクザの話はどうでもいいといってるんだよ

お前らのは単なるやらせなんだからさ

82 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 06:52:59.97
>>64 北条早雲は89まで生きた。

83 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 07:42:40.07
>>76
秀吉は織田家に深い恩がある

一方、家康は秀吉に恩がない
小牧長久手で家康は秀吉に勝利し天下人になれたにもかかわらず
負け将秀吉が母親を人質に出したために仕方なく秀吉に臣従し、
年取った妹まで押し付けられた
だから本来信長の後天下をとれた家康が
秀吉の系統を根絶やしにしても当然なんじゃなかったか

家康ヲタがそういう説明をしていたよ

84 :金吾秀秋:2014/08/17(日) 08:13:24.77
西軍が勝ちそうになったら、漏れ様がブチ壊してやる(´・ω・`)

85 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 08:46:15.45
>>83
いくら戦国でもね、大義名分がなかったら根絶やしなんて出来んよ。
そういうことやると足利幕府みたいに疑心暗鬼になってガタガタになるからね。
秀頼がもっと前に下りていたら少なくとも根絶やしになることはなかったろうよ。
豊臣家が根絶やしにされたのは天下の騒乱を招いた謀反人だからだよ。
家康の個人的怨恨とかでそんなことするほど家康は子供じゃない。

86 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:01:46.03
>>85
そこまでして秀頼が降りる必要もなかっただろ

家康の子孫・徳川慶喜は秀頼の失敗を教訓にしたためか早目に降りたから
本人は悠々自適な隠居生活を数十年送れたし子孫も大量に残った
それでも批判されてるからねえ

87 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:07:28.89
>>86
慶喜と秀頼じゃ政治能力が桁違いに違うからねえ。

滅亡期ってのは慶喜くらいの能力があっても滅亡を避けられないという好例だね。
個人の能力は時勢には勝てないんだよね。
それをよくわかってたからこそのあの決断だろう。
慶喜はあの状況に追い込まれるまでありとあらゆる手練手管を尽くしたから余計によくわかったのかもしれない。

88 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:16:05.71
>>87
慶喜は江戸城で切腹せずに辞官納地して徹底降伏
無位無官徳川宗家を他家に譲り完全隠居したのは正解だったと?

容保スレで会津を焦土にしておきながら切腹しなかった容保を叩いている奴がいるが
容保は正しかったというべきなのか

89 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:22:11.08
>>88
なんで切腹なんてせなならんの?

90 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:31:10.31
>>89
名誉のため
武士は負けたら見苦しく命乞いせず切腹

91 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:36:54.90
>>90
まあ戦国時代にはあまりなかった観念だよなw
戦国時代の武士は命を大事にしたからなw

戦をしなくなると命を粗末にするようになるというパラドクスw
実際は他人に名誉の死を押しつける例が多いんだけどね。

92 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 09:51:56.19
>>91 吉川経家や清水宗治みたいな人もいる。

93 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:02:04.36
>>91
下っ端大名は見苦しく命乞いして最後まで切腹せず
裏切りは世渡り術、主君も取り変えまくりだったが
天下まで狙った人はそうじゃないだろ

それでも小早川が叩かれてるな
小早川は秀頼が見習うべき君子だったわけか

94 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:02:36.10
>>92
あれは将兵の命と引換えですぜ。
自分と家の誉れのための死で、命を粗末にすることの正反対。
タイプが違うけど鳥居強右衛門の死も似たような考え。
結果、子孫が大切に扱われるんだよね。

95 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:07:01.78
>>93
長宗我部、島津、北条、天下とまではいわんけど一地方を制圧する程度の大勢力でもみんな降伏してまっせ。
北条は自ら切腹したんじゃないしね。
毛利だって秀吉と和睦交渉してたわけで切腹する気なんてなかったし。
大名クラスでも相手が絶対許さないような場合を除いて滅多に切腹なんてしとらんよ。

96 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:17:42.97
>>95
戦国時代の女は命が助けられたであろうケースでも
結構自害してるよな
お市の方しかり、北条夫人(武田勝頼室)しかり
細川ガラシャしかり

淀殿だって別に処刑はされんかっただろう
秀頼と国松はダメでも

97 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:27:19.45
>>95
秀頼は絶対許さんかっただろ、家康が

国松まで殺してるし

98 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 10:27:33.51
>>88
ある意味、
江戸幕府の終焉は会津戦争かもしれないな。
徳川松平一門で徹底抗戦したのは会津ぐらいだからな。

99 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 11:05:02.48
>>97
秀頼は二度も謀反してんだから仕方あるめえ。

100 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 11:27:43.81
お市は秀吉の天下が分かっててなぜ娘三人を遺して死んだのかな
勝家に愛情があった訳でもあるまいし

101 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 12:41:52.49
>>100
それは市に聞かねばわかるまいw

想像するに織田から嫁いだ浅井氏が滅び、再婚した柴田も遥か下っ端だった羽柴に負け滅びていこうとしている。
もう、嫌になったんじゃない?
死んだ時は50ぐらいでしょ?
まだ30とかなら違う判断したかもしれんが。

男も女も50ぐらいになると大抵軽い鬱になって、厭世的な面が出てくる。
お家滅亡なんていうデカイ衝撃があればそれが弾けて助かる状況でも助からない選択をするのは動物として奇異なことではない。
哺乳類は老齢になるた基本的に鬱になるのが確認されている。

102 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 12:46:26.47
秀吉が万福丸の処刑したってのが本当なら、秀吉にだけは降伏したくないという思いもあったかもしれんね。
とにかく当時の大名の妻女は人質とかじゃない限り助命されるのが普通だから、
死を選ぶのは死ぬ側にそれなりの理由があるんだろうな。
勝頼夫妻は夫婦仲が良かったというし。

103 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 13:03:40.81
>>101
お市の方亡くなったのって35くらいだヨ?
秀吉の側室としての立派に務まるbody持ってたと思うw

104 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 13:23:25.76
そう、投降しても秀吉の室になる位ならと死んだ。
秀吉は茶々に手を出し更に信長の妹にも手を出しる

105 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:28:36.51
>>102
万福丸は市の子じゃないでしょ

>>101
市が自害したのは数え37歳のときだな

106 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 17:54:49.06
恥を恥とわきまえられなくなれば、あとは鮮人のごとき生き恥を晒すだけ。
だから武士は潔く自決した。

今の世の中、鮮人みたいに浅ましく恥を晒すゴキブリが多すぎるわな。

自分が死ぬと理解できない順から、足元を削られていくわけだ。

上を支える気のないクソ庶民は、もちろん淘汰されるんだけどね。身内に。

107 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 01:13:07.99
>>59
オソレスだけど、
上杉は強いからな
上杉単独で、征伐軍と互角に戦えたのでないの?
で、そのうち上方のほうが動揺して、家康は江戸に引き返して、
上杉よりも、三成の方を先にたたく決断をするのでないかな?
結局関が原が2〜3年遅れただけだと思う。

108 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 05:40:39.53
幼児を引きずり回して斬首だと?徳川家康許せん!逮捕してやる!

109 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 06:06:57.66
>>107 佐竹しだい。

110 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 07:47:10.72
>>107
上杉方はほぼ全兵力を白河周辺に集中させて罠仕掛けてたからな。
征討軍の先鋒が秀忠だろ。
征討軍としては楽観できる状況じゃ全然ないな。
膠着したところを横から佐竹が襲って来たら全滅の可能性すらある。

111 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 09:41:20.09
長期戦になったらDDが調停に乗り出してくるかもしれない

112 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 10:42:23.92
>>110 三成の挙兵が早すぎたですね。

113 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 10:45:25.05
戦国時代が再開してキリスト教で統一されるまでごちゃごちゃし続ける。

114 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 11:50:42.00
日本がどうやったら敗戦国にならず民主主義を手に入れるかが知りたい。
その為に徳川幕府の有り様は重要だと思う。

115 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 12:16:29.45
>>114
江戸幕府の末期は外圧に無力だったからなぁ・・・
日本国防のための幕府としては鎌倉幕府のほうが戦績良い。

悪い意味で儒教臭い江戸幕府では、朝鮮の両班政治なみに民主主義とは程遠い。

豊臣(貴族政治)徳川(儒教政治)に比べたら、
中世ならば織田信長が天下統一していたほうが、階層身分の固定化は防げて、
結果的に技術革新と民主主義を手に入れる近代は早かったかもしれない。

116 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 12:40:46.38
江戸幕府は階層というか士分とその他、その他の中でも年寄株持ちとそれ以外と職制とセットで管理したから安定した官僚制と家門継続ができ安定した。

逆にいうと応仁の乱以後、それが崩れていた。
信長が勢力伸ばして権力基盤安定し始めたらそれの再建か新たな秩序、ルールを定める必要があるわけでそれは当時の社会の実相に合わなければ成立しない。
つまり信長があのまま日本に統一政権作ったとしても江戸幕府の制度と大差ないところに収まるんじゃないかと思う。

海外へ遠征、鎖国政策の部分で多少違いは出ても世代を経て3代も経てばなんだ徳川幕府とほとんど同じじゃんという状態になるだろう。

117 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 14:26:54.38
>>114
ずいぶんとスレ違いの話題だなw

日本国内の好戦的な軍人をほぼ全部を満州へと人事異動。

関東軍の軍事政権だが満州独立(列強が多い大陸のため、軍備増強は正当化される)


一方で、日本国内は大正デモクラシー以来の民主主義と政党政治で。

これがベスト。
中国を見習い、一国二制度。

118 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 17:14:27.51
日本国内の地政学上関東地方は特別だと思うんだよな。
いっぺん関東地方統一されちゃうとほぼ利根川水系だけの大平野の一円支配で地政学的に安定しちゃうんじゃないかと。

119 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 19:47:34.05
なんで家康を信じたんだなんて言うけどさ、
仮に西軍が勝って毛利を追い落として石田が権力握ってたら、
同じようになんで石田なんか信じたんだろう?とか思うもんかね。

120 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 19:55:50.46
>>118
意味不明

121 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 20:25:41.69
>>117
関ヶ原の勝敗は現代の日本の立ち位置に繋がると思う訳だ。
薩長閥の勝てば官軍イケイケドンドンが、大きな敗戦と土下座外交に繋がっている。
それが長い徳川政権と鎖国による反動でな
島国根性だって鎖国で培われた精神なんじゃん

122 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 20:27:38.08
>>120
日本中を三成が検地して回って蔵入り地400万石はそこの現地勢力に接収されておしまいだけど
徳川家250万石は佐竹吸収し終われば箱根の山を筆頭に地政学的に守りやすい関東一円350万石直接直轄地で掌握できる。
っていいたいってこと。

123 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 20:35:45.95
>>119
たぶん秀頼にとって口うるさい只のじいやにしかならないと思う
「若、太閤様はこうでしたぞ」
「じいやまたその話か」

124 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 21:02:17.91
実は、家康は長い間「後継者がいない」状態だった。信康自害だが、
どういう経緯かは諸説があるが、その結果、慶長ぐらいまで「後継者がいない」
状態になってしまった。

秀吉は、家康のこのとてつもない弱点を知っておきながら、自ら同じ轍を踏んだ
点で、どうしようもない。ついでに、秀次事件で若御前も処刑されたことで、
不倶戴天の間柄の家康と池田輝政を結びつけることになったし。

125 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 21:05:44.91
もし秀次事件がなければ、家康と池田輝政は間違いなく片方が滅びるまで、
永遠に敵対していただろう。

126 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 21:06:21.90
秀吉の主観的に毛利輝元よりかよっぽど家康の方が頼もしかったってだけじゃね?

127 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 21:57:24.98
>>125
えっ・・・
若御前は処刑されずに池田に返されてるんだが

秀次事件では秀次の妻子すべてが殺されたわけじゃない
正室の若御前は不問で実家に返されているし
娘も秀頼婚約者だった長女以外は全員助命されている

128 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 22:00:18.08
>>124
実際に関ヶ原後、徳川が滅びるとしたら
後継者問題で家が割れることだろうな。

129 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 22:45:46.67
豊臣一門で現代まではっきりと子孫が残ってるのは、
女系だが、豊臣秀次の娘の系統と羽柴秀勝の娘の系統なんだよな。

一門を冷遇した時点で、秀吉と秀頼が豊臣恩顧からそっぽ向かれたのも仕方ない気がする。

130 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 00:15:57.88
娘自身は処刑されなくても娘婿を処刑されたら池田の心は遠のくわ。

ちなみに家康を押さえるために東海道筋に配置された豊臣大名のうち、
中村、山内、田中は秀次の家老で、池田は正室若御前の実家。
みんな家康に寝返ってるw
秀次生きてたらこいつらが裏切るはずねえわな。

131 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 00:20:43.63
おっと、堀尾も秀次の家老だったね。
まさに東海道筋全部じゃん。

132 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 00:40:21.32
徳川を江戸に飛ばして間に子飼いの部下を配置したのにみーんな徳川に着いたな。
内府殿うちの城を使ってくだされ〜

133 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 00:53:14.19
一番いいシナリオは家康と三成両方関ヶ原で戦死で秀忠が天下取り断念じゃね?

134 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:01:09.18
>>133
その後、そろばんはじきながら加賀からあの家が出てくるわけですね。

まいど!
いつもお世話になってます

135 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:01:24.35
>>119
ところで、東軍内では、三成は何を目的にしてたことになってたんだ?
まさか大大名でもない三成が豊臣を裏切るとは誰も思わないだろうし

136 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:33:25.02
>>134
秀忠を舐めていた福島正則と、
将軍になりそこねた結城秀康と組めば、
そろばん勘定で勝算ありますな。

第三極は、
九州で暴れてた如水や
みちのくで暴れてた独眼竜よりも、

やっぱり
あの御方ですなww

137 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:40:01.21
とにかく西軍勝っても三成と毛利元就じゃあ碌な新体制構築するの無理にしか思えん。

138 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:41:03.69
>>137
訂正:毛利元就→輝元

139 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 01:54:24.07
ダフ屋って大阪が起源だっけ?

140 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 06:24:24.87
>>134 前田はあきんどか?

141 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 07:07:58.00
>>135
総務経理担当で給料も安い係長クラスの三成が
秀頼の側近として社内で信任を得て
営業担当で高給取り課長クラスの加藤・福島らに
あれこれ指図するのは許せんということだろ

家康は専務、毛利は部長だな

142 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 07:32:45.81
兵站のスペシャリストではあるがな・・・西軍についた奴ら哀れ

143 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 10:31:45.76
>>142 小西も兵站のスペシャリストではあるが。小西の兵6000と島津
の兵6000とが変わっていたら西軍の勝ちだ。

144 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 10:47:38.25
西軍は、立花宗茂などの大津攻めの兵力を美濃の防衛戦に回して、
西軍本隊は中山道を走り、上田城攻めの秀忠軍の背後から襲いかかり、
そのまま江戸に突撃すべきだった。

帰り道の無くなった徳川本隊は福島正則の清州城で籠城戦。

145 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 12:54:14.66
お友達の直江は口説けなかったのか?
呼応して挙兵したのかなんだかよくわからんグダグダ

146 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 13:40:13.01
>>145
あの時代の情報伝達の現実考えたら東西で呼応してなにかしようなんて非現実的。
電話とかある現代の感覚で考えたらいかんよ。

147 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 14:13:18.69
>>137
三成は日本国初の官僚だそうだ

戦争でのし上がって来た豊臣の大名達には評価されなかった

後ろ盾も無いんで難しいだろうね

148 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 14:34:03.91
>>147
初の官僚なわけないだろ
律令で官僚が誕生して以来、歴史は長い
武家政権になってからも源頼朝のブレーンで政所別当の大江広元は官僚

三成は自力の軍隊を持ち出陣しているのだから完全な官僚でもないよ

149 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 15:01:18.23
吏僚なら信長も持ってただろ。
村井貞勝、武井夕庵、松井友閑、ここいらは出陣してないほぼ完全な文官。
席次も信忠の次とかで秀吉等の軍司令官クラスとかより上だったりする連中だぞ。

三成が日本最初の官僚とかどこからどう見てもおかしいw

150 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 16:40:42.91
三成も、
堀秀政のように文官と武官もできる名将タイプなら良かったのに。

151 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 17:20:04.09
名人久太郎生きていても豊臣家のために働きそうにないなw
生きてたら蒲生氏郷じゃなくて彼が会津で大大名になってた可能性高いしな。
いろんな事が変わるな。

152 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 19:33:27.49
>>149
彼らの役職名や組織図は、当時の古文書や文献などから確認、復元するのは不可能なの?

153 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 19:40:38.46
うまくいかないもんだなw

154 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 23:00:57.48
>>149
本能寺の変が失敗した場合、

村井貞勝、武井夕庵、松井友閑、森蘭丸、蒲生氏郷 が五吏僚で、
柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、羽柴秀吉、滝川一益 が五大将か、

外様大名では、
新発田重家は戦功で越後半国加増。
蘆名盛隆も三浦介を織田氏から承認されてるので、安泰か。
佐竹義重は信長から左京大夫の官職もらってるので、外様ながら同時期の他家よりも上席。

織田政権存命ならば、当然、
北条氏政は関東管領・滝川一益の下座。逆らった場合は小田原の陣。
真田は滝川の派閥に属するだろう。(江戸時代は末裔どうし仲良かったらしい)

島津義久、伊達輝宗は本領安堵。
知行割はこんなところだろうか・・・・・・・・

155 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 01:20:33.09
織田政権より石田三成首班の西軍勝利後の国割の方が気になる。

156 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 08:43:22.56
>>154
信長の場合は自分の息子が10人ぐらいいるので
こいつらに最優先で大封を割いてやらないといけない
あまり大名優遇はないと思うんだよね
御三家ならぬ御五家だか御八家だか知らんけどさ

157 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 08:48:59.61
信長が特別扱いしてたのは信雄、信孝、そして甥の信澄まで。
秀勝は家臣である秀吉の養子にしてる。
あまり細分化したら織田宗家の取り分が少なくなるから5家も6家も特別な家は設けないだろう。
織田家ってそもそも一族が物凄く多いから特別扱いし始めたらきりがないんだよw

158 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 09:10:32.40
そういう意味では跡継ぎ候補を出す家、藩屏になる家、お側衆という具合に一門に対する序列化が必要だな。

外様がお家断絶になりそうな時はお側衆の庶子送りこんだり、婚姻も分家から嫁出したりと。

159 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 09:47:02.11
>>157
信雄、信孝以下の男子はまだ幼くて元服してなかったりしたからだろ

家康も関ヶ原後に生きていた自分の息子には将軍秀忠以外の分家すら
概ね50万石以上の相当な配分をしているのだし(秀康・忠輝・御三家ら)
信長が特別扱いしなかったはずはないんだが

160 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 09:50:42.48
秀勝を家臣の養子に出した時点で以後の子の扱いが示唆されてるわけだろ。
勝家にも子がいないわけだから有力な養子先になっただろう。

161 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 11:15:30.06
西軍が勝ってたらか
まあ難しいとこだな

162 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 11:21:24.67
>>160
秀吉には子がなく娘を嫁がせられないからだろ

勝家は甥を養子にして跡取りに定めており
信長の子が養子に入る余地はない

163 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 12:06:31.48
>>156
紀伊+和泉半国 織田信張

四国 神戸信孝

伊勢・志摩・伊賀 北畠信雄

甲斐 織田信房

山陰の一部 羽柴秀勝(信長四男)

蹴鞠相手・管領 細川信良 

羽柴秀吉を太宰帥に任官、実権を持つ太宰権帥に堀秀政。
秀吉には減封された毛利と共に朝鮮出兵を命令。

盟友の徳川殿を名誉ある征夷大将軍任官の上で蝦夷地への派兵を命令。
蝦夷幕府0石(経済収益20〜30万石?)に転封。

信長は信頼厚い前田利家を征夷副将軍として徳川氏を監視。
現地の蠣崎氏は名将二人にあやかり松前氏に改姓

亀井茲矩には希望通りの琉球守に任官した上で、琉球出兵。
尼子再興をはたすこととなる。

164 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 13:11:13.56
蹴鞠相手には今川氏真殿を是非w

165 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 15:20:41.44
今川は織田ではなく盟友の武田に滅ぼされたというのも皮肉だよな

166 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 15:30:45.30
でも氏真は夫婦仲のいい奥方と添い遂げて長生きできたからね。
好きな蹴鞠や和歌三昧で信長や秀吉、家康にも粗略に扱われず、子孫は幕末まで繁栄してるし。
この時代の名家の人間としては割と幸せな一生のような気もするのが不思議だww

167 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 21:46:07.02
烏合の衆の西軍にとって
関ヶ原という一発勝負に持ち込めたことは実は相当な幸運だったような
問題は毛利家の誰もそれを理解していなかったこと。

168 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 23:54:53.01
>>167
ほんとそれにつきる。
三成は実にうまくやったと思う。
問題はほんと毛利家なんだ。
輝元は野望だけは大きいくせに小心者の無能だし、
策士を気取る吉川広家は非常に小型の田舎策士にすぎなかった。

あれ、元就が広家の立場だったら、関ヶ原の状況みたら絶対背後から家康を攻めるぞ。
黙って愚直に家康との約束を守ったあたり実に融通が効かない。
毛利家は本当に千載一遇のチャンスだったのに。

169 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 23:59:19.03
>>166
高家 >>>>>>>>>> 江戸から遠い田舎小大名
今川氏真は充分に勝ち組だな。

そういえば、織田氏も高家になった系統があったはず。
高家織田氏に前田氏分家大名が刃傷した事件があったはず。まるで赤穂事件みたいだな。

豊臣家は高家として残る道を模索すべきだったなw

170 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 00:29:16.60
>>168
@福島らが先に到着してて戦っていた場合、
西軍が勝つ可能性は大幅に上がるが徳川を潰すチャンスは無くなる。

A秀忠軍が先に到着していた場合、西軍が勝てる可能性はほぼ無くなる。

であれば、史実の組み合わせ(福島ら豊臣系大名+家康軍)の場合のみが
勝てる可能性がありなおかつ徳川を滅亡させられるチャンスだった。

171 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 00:34:59.42
>>170
元就クラスの武将だったら絶対にこんな千載一遇のチャンスを逃さないよね。
吉川広家はほんとダメ策士だった。
そしてこんな広家程度が家中一の策士だった時点で毛利家にチャンスはなかったというしかないね。

172 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 00:46:28.98
家康はその点違う。
負ける可能性も大いにあったが、
少なくとも「何もせずに負けるのを待つ」という
アホな真似はしない。

173 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 00:47:53.93
>>172
家康の判断力と度胸は凄いよね。
やはり「このクラス」の戦国武将は他とレベル違うんだ。

174 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 01:18:31.55
最強は漢字の文献史を残した孔子一族だろ

175 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 01:51:44.07
>>154
いくら織田政権が畿内中心主義&西国重視とはいえ、
そんなに東国の地付き連中を、そのまま地付きで安堵しまくるかね?

秀吉や家康が行った、「僻地への玉突き転封政策」の原型は、織田政権にあるという見方もできる。
織田政権も、新発田やら葦名やらの地付き連中は、
取り込みと辺境移封を繰り返して、在地性を除いていくんじゃないかね。
気がつけば、新発田も葦名も、秋田付近にいるような気がするw

ただ、織田政権の面白いところは、徳川家康との兼ね合いと、美濃&近江の地理的ポジションから、
織田直轄の攻略は東山道ルート主体になること。
関東最大の要衝は、南関東ではなく北関東、具体的にはグンマーのどこかに永続的に置かれた可能性が高い。

176 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 05:41:50.07
>>171 もし生きていたらを 吉川元春 小早川隆景 についてご教示下さい。

177 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 11:22:16.74
>>176
少なくとも、
関が原で負けたあとは、易々と大阪撤退はしなかっただろうな
秀元が主張するように、大阪城に立てこもってから
本願寺の再来を図ったのではないかな
実際あの時点では、上杉もがんばっていたし、
真田も健在、まして長宗我部の軍隊も
島津の軍隊も主力は健在だったのだから
三成の首をはねたところで、括弧撃破するには家康の軍は
少なすぎ、結局は室町幕府よりも少しはマシな程度の幕府になって、
明治維新が100年は早まったのではないかな

178 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 11:49:17.90
美濃の前線部において西軍が戦力優位になったのは一度もない

179 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 13:00:08.96
岐阜中納言・織田秀信は官位は高いが兵力が少ないからな。
真田昌幸クラスの籠城巧者が岐阜城にいればよかったのだが。

軍師両兵衛の子の竹中重門も黒田長政も結局は徳川方についたと思うと、時代の流れは早いものですな。

180 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 19:23:20.48
軍師は最終的にえらい差がついたな。
一方は国持の大大名で一方は大名にもなれずか。
秀吉って旧恩に報いるという考え方がないな。
まあ信長もその辺は同様だけど。
家康はしっかり覚えてて昔の知己を救い上げてる印象。

181 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 19:44:17.72
>>180
そりゃ親父が早死にして息子が凡庸だったから仕方ないんじゃないの?
織田、豊臣政権は親父の石高を息子がそのまま受け継ぐことが決まってるわけじゃないからね。
まだ臨戦態勢の時代だから、能力がない息子に能力があった親父の石高継承させて同じ兵力を任せるわけにはいかんのだよ。
兵力に穴が空いてしまってそれは即命取りになりかねん時代だったから。
家康だって酒井忠次の息子に最初は3万石しかあげなかったじゃん。
家次が忠次と同程度に有能だったらもっとあげてたよ。

182 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 20:13:02.61
江戸時代は、
竹中氏は美濃国に4000石ほどの大身旗本だったけか。
美濃が故郷なのだろうから、悪くはない気がする。

秀吉の九州攻めで島津方についてしまった秋月氏のように、
30万石から50石に減ったとしても故郷から離れたくない大名もいたようだし。
結果的に秋月氏は大名で残れたが。

わしは尾張から動きとうない といって領地没収されてしまった織田信雄の気持ちもわかる気がするw

183 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 20:18:23.25
>>182
多分それ、竹中家の代々の所領だろうね。

184 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 20:31:45.15
半兵衛は大禄を望まなかったかも知れない。

185 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 20:57:02.89
望んだかも知れない

186 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 21:04:21.50
江戸時代、

兵法の竹中家は小禄ながら大身旗本として残れた。

拷問法の竹中家は大名で長崎奉行だが島原の乱の責任で斬刑。

改易では、本多正純の例もあるし、参謀タイプは大禄じゃないほうが、
目立たなくて生き残りやすい。

187 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 21:18:18.88
黒田も関ヶ原までは13万石で目立たなかったしね。
子飼いの石田福島加藤が20万位だから評価低い。

188 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 21:32:54.85
>>187
これも官兵衛のかなり早い隠居が影響してるだろうな。
官兵衛が隠居したので、その後の黒田家の禄高はまだ幼いと言っていいくらいの年齢の長政の評価だ。
石田等よりさらに若いんだから13万石程度は妥当な評価じゃないかね。

189 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 21:59:55.84
小早川秀秋の旧領31万石をどう計算しなしたら黒田52万石になったんだ

190 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:01:05.78
13万石は官兵衛に対する九州攻めの恩賞だよ。
佐々成政は肥後一国50万石→加藤と小西で折半。

官兵衛の評価は佐々成政はもとより小西加藤よりも低いw

191 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:03:51.40
交代寄合でも4000石あれば食うにも困らないし大名みたいな大きな責任も生じないし
気楽に生きていけて却って良かったんじゃないの?

192 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:13:29.96
>>191
旗本によっては、大名のように、
参勤交代じたいが無かったりもするしな。
経済的な負担も少ない。

10000石を微妙に超える状態なら、領地を3人の子に分地して
わざと旗本暮らしをエンジョイしたほうがマシだろうなww

193 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:17:39.54
徳川家旗本かw
人数だけはたんといたが一度も実戦で役にたったことがない連中www

194 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:17:43.66
黒田の天下になる
それで、伴天連に乗っ取られるwww

195 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:18:49.67
江戸時代、本当に使えたのは、黒鍬ものなどの下部組織だけだ

196 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:21:43.45
幕末は実戦はともかく官僚として優秀な旗本はたくさんいたんだけどさ、
その多くが下級旗本や御家人上がり、あるいは株買ってのし上がった家とかなんだよなあ。
代々高禄食んでた旗本はほんとに役立たず揃いwww
こういう連中の人数を恐れて平和が保たれてたんだから江戸時代というのは実に奇妙な時代だよねえ。

197 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:23:37.32
それに都合よい、学者が幅を利かせていたからな

198 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:37:43.42
江戸時代の方が清廉で小さな政府かもしれない。

199 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:40:18.40
長崎だけ、二人正式の奉行がいたということですべてがわかるな

200 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:41:03.28
GNPの半分を収奪し人口の1割近くの公務員を抱える政府のどこが小さな政府よ?w

201 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:41:44.93
旗本の数は削減していくべきだった。
代を重ねるごとに禄を八掛けしていき、
両親の家を同時に継ぐのもアリにするとか

202 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:43:57.23
江戸末期の小普請組なんて、普請のふの字もなく、偽刀うって米代かせいでたくらいだからな
いまでいうところの、ぷあーわーかーだぜ

203 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:45:42.31
学問の限界がでてきたな〜
ちょっと現実の世界にでようか?

204 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:46:01.61
幕末が近づくにつれ、
士農工商よりも商士工農だしな。

そろばん片手に商人生活するのが一番良いぞw

205 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:47:04.53
>>204
だから、たかられるんだけどねwww

206 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:47:11.29
呼んだ?

まえだ

207 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:47:41.18
204
限界でてるのに何をいってるんだ?

208 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:49:34.54
結局、幕末の勝者は、勝海舟と慶喜公だなw

209 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:52:25.21
そういえば、庄内藩あたりは大名よりも本間様のほうが上でしたな。
山中鹿介の末裔も商人に転職して成功しましたし。

前田利家卿を見ましても、そろばんは大事な武器なのです・・

210 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 22:53:59.81
>>208
勝海舟の末裔は財務事務次官と世界銀行副総裁を輩出。
勝ち組過ぎますなw

211 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 23:14:40.07
>>209
そういうのが最初にのさばったのは日野富子かなぁww
応仁の乱を引き起こしながら
何せ、自分の陣営の大名どころか
敵対する大名にまで金を貸していたのだからww
淀殿に日野富子並みのバイタリティがあったなら、関が原の敗戦以降も
かなり踏ん張れたと思うのだが

212 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 23:30:36.92
徳川幕府が一番民を幸せにした政権だとは思うわ。

213 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 23:35:15.82
パクストクガワーナは実現されたな。

近世らしい治安の悪さまでは幕府のみの失政でもないし。
浪人が大量発生したのも戦がなくなれば当然。
むしろ、戦士達を調教して官僚にしたて直した手練れは称賛されても良い。

時代の移り変わりに適応した人々の凄さ。
その適応能力の高さの象徴がうっちゃりまえだ。

214 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 23:38:56.45
な、おかしな感じだろw

215 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:17:24.81
>>212
長い太平の世で近代化が遅れた。

216 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:41:00.09
>>211
室町幕府収入 山城一国10万石程度

日野富子の京の関所収入 100万石超

あれ、足利将軍家より日野家のほうが収入多いぞw

日野家は代々、この時代では、
朝廷では左大臣でNO.2の地位
室町幕府では将軍御台所でNO.2の地位

下手にトップに立つよりも傀儡先を見つけたほうが賢いという例。
応仁の乱後もしぶとい。淀殿よりも日野富子のサバイバル術は上。

217 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:51:49.56
日野家かトミコの実家は確か近江か伊賀あたりの守護代かなんかで、自領からの上がりと関所ビジネス兼金融業で暴利得てたんだよな。

アガリの巻き上げる元締めで政治的にも多重の婚姻関係結んで、政治軍事の情勢がどう転んでも儲かる仕組みを作ってたのが凄さw

218 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:56:11.33
まあそんなことやってるから足利幕府はガタガタになってしまいには何時お亡くなりになったかわからんような最期を遂げてしまったんだけどねw
日野家も含めて貴族たちも幕府に寄生してる存在だったから、
幕府がガタガタになったら領地がほとんど全部消え失せてしまったしなw

219 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:59:41.63
>>216
日野家の財布と、将軍御台所個人の財布は別だよ。

220 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 01:26:04.40
>>215
西欧化始めた時期はそれほど遅くはなかったが不平等条約と金流出は痛かった。

221 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 01:27:14.01
茶々丸ではじまり茶々で終わる戦国時代

222 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 01:29:47.13
>>216
日野富子はお金をためまくったのはともかく、
将軍擁立工作でも、実子が死んだら
そのあとの事まで手を尽くして、いろいろと工作をしているのだからな
マジで淀殿がそこまで気を使っていたら、関が原のあとからでも
婚姻関係等で、妹のコネとか、お金を使いまくって、閨閥関係等で
十分徳川と対抗できたのに、
何も世の中武力だけもないからな
現実に最後の足利将軍だって、ろくな武力もないのに、
信長と結構渡り合っているからな

223 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 01:56:26.72
222
なあなあ
日本から消えた戦国武将が海外の皇帝になってることなんてあるのかね?

224 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 02:01:27.37
なんで江戸時代は天皇の権限が封じられた?

225 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 02:11:06.74
>>223

世界史でも
そういった事例はムガル帝国の初代皇帝くらいしか
ないのでないの?
あとは鄭成功くらいかな

226 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 02:30:50.93
直江さんどこに消えたの?

227 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 03:14:31.48
なんで日本が鎖国している間に世界中の皇帝たちや帝政が消滅してるんですかね?
戦国武将たちの生き残りによる仕業?

228 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 05:31:44.23
>>1
最大勢力の毛利が勝ちに乗じて版図を広げようと動かないだろ、家訓だもん
そうなると、秀頼を本気で奉じるために必死こいた西軍て三成だけってとこに問題ありすぎ
豊臣のためというより、徳川政権で引き締めに合う大名が起死回生を願ったのであり、いちど自分の
領地に帰ればせっかく割れた天下の好機に邪心が出るに決まっている
さらに問題なのは、豊臣に代わり俺がって大名が西軍にいないこと
加増されるべき石高にこだわるが、天下を治める大事業に想像が及ばないのが西軍の諸将の特徴
例え関ヶ原で徳川が死んでも東には北条や伊達という地力を有した面倒なのが生き残るどころか息を吹き返す
秀吉亡き後は、徳川でないと天下を治められなかっただろうよ

229 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 05:50:43.09
>>228
だったら最初から西軍の総大将になんかならなきゃよかったんでね。
現実は毛利は四国とかあちこちに単独でも出兵していて版図広げる気満々だぞ。

230 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 06:56:11.59
 南宮山の毛利秀元が吉川広家を叩き斬ってでも山を降りていたらどうだろう?

231 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 09:28:56.34
>>222
関ヶ原の後では何をやっても遅い
関ヶ原後は天下がとれた気満々の家康が征夷大将軍になる、
それを秀忠に譲って徳川家による天下の世襲を世の中に公表する
で豊臣は何をやっても遅い
腐っても征夷大将軍という肩書を持ち続けた足利将軍家とは違う

姻戚関係でいうなら淀殿は徳川に気を使って秀頼の側室腹の子を妹の婚家の京極家に預けていたようだが
そこは秀頼に千姫を説得させて大坂城で育てるべきだった(できれば千姫の養子として)
そして女子の奈阿姫は千姫養女として家光と婚約させるぐらいはやるべきだったかなとは思うが

232 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 10:01:09.45
秀吉の朝鮮出兵が成功していた場合、
朝鮮では小早川・毛利の所領がかなり増えていたはず。

毛利小早川の日本本土の北九州と山陰山陽も合わせれば
合わせて400万石は超えるであろう

朝鮮王 豊秀秋 と 領議政 毛利輝元 ならば
江戸250万石を超える徳川を牽制できたかもしれぬ。

233 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 10:45:54.27
毛利って一門合わせたら家康に単独で対抗できる大名じゃないか?
小早川が一門かどうかは微妙だが

234 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 11:07:49.75
>>233 秀包が小早川を名乗っていた。もし、隆景が関が原時に生きていたらどう
だろう?

235 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 11:18:10.20
家康に変わって毛利幕府作って豊臣詰む。

236 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 11:37:44.18
広島幕府大本営

内府   小早川秀秋

参謀総長 毛利輝元

参謀次長 毛利秀元
     小早川秀包
     吉川広家

237 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 12:50:51.24
隆景時代は文字通りバリバリ毛利系だろうが秀秋時代は家臣の顔ぶれ見ても毛利分家とは言えないんじゃね?
吉川よりも小早川を優遇したのは結局秀秋が継ぐのが前提だったからじゃね?

238 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 14:23:50.88
>>237 小早川分家の秀包家が毛利分家でしょう。

239 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 14:28:12.73
小早川隆景に37万石与えたのは九州征伐の時だから秀秋が養子入りする5年以上前だよ?
兄の吉川元春との待遇差が激しすぎるなw

240 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 14:43:25.28
>>239
前スレでも書いたけど、秀吉のやり方は他人の家の有力な実務担当者を事実上引き抜いて自分の腹心にすること。
そうしたら、そいつを通じて他家を自分の統制下におけるからね。

上杉家の直江、島津家の伊集院、宇喜多家の長船、そして毛利家が小早川隆景なんだよ。
伊達の片倉や徳川の石川に粉かけたのも同じ延長線の話。
片倉は断り、石川は出奔してしまったんでしくじったけどね。
秀吉のとこに来た石川数正に秀吉が冷淡だったのは、徳川家中に居てこそ意味があるんで、
出奔されたってクソの役にも立たんからねw

241 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 16:05:36.91
秀吉が引き抜きだと、
丹羽氏から引き抜いた長束正家は出世頭のひとりだな。
財務大臣みたいなもの。

242 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 20:33:11.37
>>239 元春の嫡男元長も夭逝したからな。

243 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 21:02:43.87
>>240
にしても陪臣に中納言に40万石近い領地、挙句は大老職って気前良すぎだろ?
直江山城は30万と喧伝されているけど実際の石高は6万石で五位だし他も官位も石高も小早川と比較できないほど
低いだろ?

244 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 21:15:34.31
隆景は伊予に封じた時点で独立大名。秀秋を養子にしたことで清華成。

245 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 21:28:04.59
お友達人事とは違うが
小早川隆景とは中国攻め以前から書状のやり取りや音信とってるんで
秀吉にとって大名の中でも特別だったんじゃないの

246 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 23:11:58.11
中国大返しの時に信長ノシを知っても追撃されなかった恩義とかかなぁ?

247 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 23:19:04.22
それもあったろうし、毛利分断の狙いもあったろう。

一つの事にいくつもの意味が込められた人事や政策が普通かと。

248 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 04:05:11.47
>>247 毛利は分断されないだろう。元春や元長が早々いないんだから。後は、
隆景の独壇場だから。輝元も彼には頭があがんなかったし、彼も宗家第一。
秀秋も秀吉は毛利への養子を望んだが、隆景は自家への養子とし秀秋が毛利へ
入り込むことを阻止したから。

249 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 04:15:19.69
いや、立派に分断されてんじゃん。
広家や福原とかの譜代層は主流の小早川系と疎遠になってた。
それが関ヶ原での毛利家のあんなみっともないふるまいの原因になったわけで。
毛利家の分断が秀吉が意図したのとは逆に全く豊臣家のためにならなかっただけでw

250 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 05:09:29.27
どっちが勝っても豊臣家ないがしろにするに百ルピア

251 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 08:10:12.08
>>249 それを、やったのは秀吉じゃなくて家康だろう。それに隆景が関が原
時に生きていたらどうなったろうか?

252 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 09:22:04.17
野球バカ達に教えてやってくれ

【東軍】VS【西軍】
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/hsb/1408083351/

253 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 09:38:26.36
>>251
家康は秀吉によって家中が分断されてる各家の状態をうまく利用したんだよ。
そこは流石だ。
明らかに家康が利用したふしがあるのは、毛利家、上杉家、可能性が高いのは宇喜多家。
島津の伊集院に関する紛争は家康と無関係と思うが。

254 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 10:15:57.96
>>253 前田利長と利政はプロレスですか?

255 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 10:27:37.90
>>250
とは言っても西軍が勝てば徳川みたいな突出した奴がいないので
形の上では豊臣を立てざるを得ない

256 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 10:32:31.65
毛利と上杉は大幅加増だろう>>255
豊臣傀儡の有力大名により共同統治って感じじゃね?
室町時代に近い統治形態。

257 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 10:57:06.37
まあ上杉は徳川の兵を多数関東にくぎ付けにしたという功績があるな
それがどう評価されるかはわからんが

258 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:20:51.56
西軍が勝った場合は上杉は最上領と越後を併呑してるのは間違いない。
都合60万石分だが、この切り取りの追認は間違いないだろう。
毛利の場合伊予と、秀秋上方転任後の筑前はもらえるだろう。
筑前は秀元あたりの領土だな。

259 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:21:49.20
じゃあ徳川軍くぎ付けの功績はそれらの所領安堵ということになるな

260 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:25:40.84
>>258 四国3カ国は長曾我部?

261 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:36:06.60
中国の戦国時代や五代十国の最初みたいに
各地域がそれぞれ国家として自立する形になるな

262 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:57:41.38
徳川 前田 毛利 島津 上杉 伊達 黒田 で合従連衡

周王の立場が豊臣。

263 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:07:04.91
すでに指摘されてることだけど、
毛利は本来広島ではなく「晋州400万石(数字はテキトーw)」を前提に、はじめて勝機が出るんじゃね?
だから大老連名の全面撤退命令が出た段階で、毛利は負けてたことになる。
それでも関が原までもっていったという、西軍側の初期の政治的駆け引きは大したものだと思う(これも既出)


直江ヲタに過小評価されてるが、関ヶ原の本当の鍵は最上義光だよ。
別に強かったわけじゃない。でも「駒姫の恨みで、何を提示されても何を言われても、絶対に妥協しない」
これが、周辺諸侯も含めて常識として浸透していたから、
景勝や兼続は、ものすごくやりにくい戦いを強いられることになった。
この時点で、東北はまだ中世的気質が残っていて、策謀こそ本体のようなところがある。
でも、駒姫の恨み骨髄の義光だけには、策謀は一切効かない。

264 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:18:54.63
>>263
最上は関ヶ原がたった1日で終わったから助かった口だろ。
伊達の援軍なんて国境に3000人送っただけであれは上杉軍が伊達領内に入って来ないようにするための牽制でしかない。
その辺をよくわかってるから義光は家康が引き返したら嫡男を人質に出すとまでいって必死に上杉に媚び売ってたじゃねえかよw

265 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:20:37.93
>>263
ちょwwww
晋州400万石かよw

かつて百済王族末裔を称した、
              大内氏 が

                    うらめしそうに見ていますぞ!



いまおもったが、
豊臣秀吉が徳川家康も連れて漢城にでも拠点動かしてれば、大坂の陣は無かっただろう。

大坂城代は、野心の少ない前田家にでも任せれば良いw

266 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:38:01.69
>駒姫の恨み骨髄の義光だけには、策謀は一切効かない。

これよく言われるけど
最上義光は娘の恨みや意地だけで一族家臣危険な目に会わせて家滅ぼす馬鹿じゃないよ。
>>264が言ってるとおり家康引き返した後は自分達だけでは数倍の石高持つ上杉に対抗しえないから辞を低くして先鋒かわそうと必死な訳で
それでも最終的に上杉軍に大勝したのは流石だが

267 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:44:04.79
応神天皇は朝鮮半島遠征を成功させた将軍が
そのまま引き返して朝廷をのっとったと見る向きも多い。
成功しても失敗しても、大陸遠征で
大きく国内の勢力図が変わったわけだ。

268 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:46:21.26
最上義光、伊達政宗、上杉景勝、佐竹義重・義宣、ここいらはリアルの戦国大名生き残りだから感情や好き嫌いに左右されるような甘ちゃんじゃないよね。
ただ、秀吉が秀次を始末していなかったら当然最上も伊達も豊臣方だよ。
ほんと、豊臣家は秀吉が自分でおったてて、自分でぶっ壊したんだw

269 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:04:10.95
豊臣秀次が存命の場合

伊達・最上・池田・前野・堀尾・中村・山内・六角
場合によっては前野と戦友な蜂須賀あたりも、

このあたりは関ヶ原で味方だったかもしれない。
石田三成も諸説と違って秀次助命に動いていたともいわれるので、派閥で淀殿とは一線を画していたかもしれない。

270 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:04:53.44
むしろ関ヶ原の戦いにならないかと

271 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:06:37.70
東海道筋の元秀次諸将が寝返らないとすると、

東西決戦は、天下の険・箱根決戦となる。

272 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:07:06.74
落ちぶれてもいない有力大名の娘を側室に召し出すって豊臣家って結構ヤバイよな

273 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:12:40.76
>>272
ヤバいなw確かに。
ちなみに信長って自分の女の調達に関しては悪い話皆無なんだよなw
秀吉と信長はその点物凄く対照的だ。

274 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:15:37.38
小牧長久手のリベンジ戦として、

勝ち負けはともかく、
豊臣秀次なら喜んで出陣しそうな気がする。
千成瓢箪を掲げながら。

これで小早川秀秋は寝返られなくなる。

あと、百姓の子に武将が勤まるかと秀次に暴言はいたとされる福島正則には陣替えを認めずでw

275 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:23:19.98
そもそも秀吉が百姓の子だろうにw
福島正則自身だって百姓の子だろww

276 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 13:46:22.99
>>266
感情に身を任せて…というのとは、ちょっと違うんだ。

慶長5年段階では、家康も含めて、日本国の統治の実質的正統性の源泉は豊臣政権にある(形式的にはもちろん皇室)
家康だって、この時点では、あくまで「豊臣政権の適切な維持・承継」を建前として、関が原を戦ってる。
義光以外のすべての大名にとって、これは自明の理だった。

ところが、義光だけはこれが全く通じない。1600年段階では、大名では唯一と言ってもいい。
弱小だから、現実的な義光として、謀反を起こすことはあり得ないのだが、
それでも、東北の片隅で、かたくなにレジームの原則を肯んじない大名がいる。
このことは、戦闘より策略で重大な問題をもたらす。
豊臣レジームの中での利益供与の約束が、いかなる意味でも、義光だけには全く通じない。
義光相手には、裸の利益供与をするしかないし、それは外道だ。(現実に一切行われていない)
日本は原則のない社会だと言われるが、それでもこういうところで、原則論は必ず生きてくる。

277 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 14:10:37.38
酔ってるのかこいつは

278 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 14:40:08.05
なんか歴史小説の義姫の弟くんの方のテルの人物像に酔っちゃってるっぽい。

279 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 15:04:08.44
>>275
福島正則は元・桶屋さんでしたっけ?

風が吹けば桶屋が儲かる。
関ヶ原という戦乱の風は、福島正則を川中島の小大名にしてしまた(後に改易)
もはや川中島合戦ごっこでもして戦国時代を懐かしむしかない心境だろう・・・・

280 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 15:06:37.34
幕末まで大名として福島氏が残ってれば
川中島 藩 か

なんだか強そうだw

281 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 17:17:09.62
でも、感情はバカにできんよ。
池田輝政は、父兄の敵である徳川家康を憎み、秀吉を仲介とした家康の娘との
縁談を、一度は不倶戴天の間柄の縁談はいかなる理由があっても受け入れられ
ない、と拒否した。

しかし、秀次事件で妹が連座し処刑され、輝政も大幅減俸にあってから、家康と
急速に接近し、秀吉の死後は一度は潰れた縁談を成立させ、五大老の間で
騒動になっている。この時、両者はこの縁談は潰れてはおらず交渉中だった、と
明らかな嘘をついて誤魔化している。

282 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 17:38:15.32
そういや輝政は黒田とともに
関ヶ原では数少ない、家康が信頼する外様武将だったみたいだ。
福島と先陣争いしてたな。

283 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 17:48:41.74
>>282
輝政は西軍の中枢部(石田三成、淀君、増田長盛など)に対する憎しみが半端出なかったから、
絶対に裏切らないと自信があったんだろう。秀次がいた頃から三成との仲は良くなかったし、
秀次事件で不仲は決定的になった。

事実、池田輝政らは関ヶ原後も佐和山城を攻撃し、石田三成の三族を本人より先に根絶やしに
している。

池田輝政は優秀だが、物凄い粘着質で、恩も恨みも簡単には忘れない人物だったと言われている。

284 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 18:24:31.27
>>233
都合の良いセフレ

285 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 18:34:22.21
妹は処刑されてないし家康娘との婚姻も文禄年間でだろ

286 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:12:05.44
>>255
徳川も、豊臣より強いとはいえ
多数の外様を抱えていたから
天皇家の地位は奪えなかった

287 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:24:38.61
督姫の出来がよほどよかったのかネェ
誰が言ったか知らんが、
あの時代の政略結婚はSEXを伴った外交官だと
言っていたが、本人同士はともかくおつきの女官や家臣との
揉め事もうまくまとめていたようだからな

288 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 22:48:58.84
>>283
輝政って味方と揉め事ばかり起こしてるもんなw

289 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 23:47:10.54
平成になって池田は鳥取も岡山も断絶?
親族とかが継げばいいのに。
黒田と同じで藩祖の血はどちらも継いでいないけどな。

290 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 08:50:28.52
大きな大名家は政局で他家からの養子入りもあるからな。

あんがいと、支藩や幕府高家や幕府旗本などに残った大名分家筋のほうが血筋は濃く現代に伝えてるかもしれない。

291 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 11:52:29.46
>>288
喧嘩しつつも福島正則とは仲良しやで

292 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 11:57:21.22
>>291
あの2人の諍いみてると不良高校生の乗りだww
輝政は築城に民政に有能な手腕発揮する人物なんだけどねえw
同じく有能なんだが子供っぽい性格なのが細川忠興に黒田長政。
この2人は陰で悪口言い合ってるww

293 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 12:13:32.57
>>216
>日野家は代々、この時代では、
>朝廷では左大臣でNO.2の地位

左大臣になったのは、勝光だけやろ。
しかも、左大臣になったのは死ぬ直前やし。

294 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 14:22:03.20
日野なんていう平公家が内大臣以上になるのも異常事態なんだけどな

295 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 14:34:43.86
だけどなんで日野なんつう中級公家から代々御台所もらったんかね。
義満から応仁の乱までなら足利将軍家って皇室や公家を養ってやってるくらいの力あったってのに。
将軍本人だって大臣には当たり前になる格だろ。
五摂家で将軍から偏諱もらうやつだっていたのに。

296 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 15:11:03.64
倒幕の時に味方だったから?

297 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 15:44:17.60
紀元前700年 生国魂神社 日本列島の神そのものを祀る神社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子の四天王寺(大阪市) 後に奈良の法隆寺
難波宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)
大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われ それは大化元年~平成26年
の現在も続いている
難波津
住吉津 渡辺津(大阪市)(国際都市 貿易都市)商業都市として栄る
石山本願寺の影響で商業が更に発展
石山本願寺跡地に大阪城 難波津 渡辺津(船場)の商業が更に発展
645年難波宮
710年平城宮
794年平安宮

298 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 16:03:59.05
>>295
上の方でも出てたけど金。

299 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 16:13:06.76
どうみても宗教絡み
金とかほざいてるのがいるが銅銭の回収、商家の支配
基本的に当時は自給自足だから金というのは必要なし
旅をするのに必要だったくらい

300 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 18:47:12.91
徳川忠長が天下人になった場合、
織田信雄の系統は日野家のように繁栄したかもしれない。

宮廷政治で外戚は強い。

ついでに、加藤忠広が加賀藩に代わり外様トップだっただろう。

301 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 18:59:22.23
>>295
日野家から有能な女官が出たから
後光厳上皇の寵愛受けてて義満も色々世話になった
一度縁ができるとそれ以降は周囲の勧めで正室が決まる

302 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 12:36:45.09
>>295
皇族や五摂家を正室に迎えた場合、
足利将軍家は彼らの権威にすがっているとみなされる。

だが義満が望んだのは、足利を自立的な権威として確立すること。
そのためには、日野との縁組の方がよかったんじゃないかと思う。
日野は足利の家礼で、足利にとっての日野は皇室にとっての摂家みたいなもんだから。

303 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 13:15:03.54
>>302
なるほど。
それは凄く納得行く考えだ。
義満らしいね。

304 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 16:16:31.39
つか、足利将軍も五摂家から正室迎えてるよね
足利義晴・義輝の正室は近衛家出身
このうち義晴正室の慶寿院が義輝・義昭の2人の将軍を産んでる

305 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 16:20:07.30
>>302
日野は足利の家礼ではない
あくまでも朝廷に仕える公家
将軍の家臣として室町幕府内での役職に就いていた事実もないよ

306 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 22:47:57.12
>>305
朝臣が大臣クラスの家の家令になるとか普通の事だ。
だいたい極官が納言の家とかがそれに相当する。
藤原定家とか九条家の家令だったろ。
将軍家は摂関と同格か、時代のよってはその上に家なんだから日野家とかを家令扱いするのはごく自然のことだよ。
実際日野家は足利将軍家の家令的地位を得ることであそこまで繁栄した家だろ。

307 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 23:40:07.00
というか日野どころか摂関家が足利の家礼化しているじゃないか?w

308 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 23:51:02.24
偏諱もらってるからなw

309 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 23:55:42.07
ということでそこまで落ちぶれてでも豊臣毛に生き残る可能性があったかを考えてみるイフスレです。

310 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:12:54.81
だから出来るだけ早い段階でバンザイしてたら生き残れたよ。
関ヶ原が終わって家康が所領の宛行を行い、豊臣家の全国の蔵入り地がなくなって摂河泉だけになった時点で勝ち目は消えてんだ。
それでも家康は慎重さを忘れず、豊臣家との並立体制状態という段階を踏んでいる。
しかし、これは実は豊臣家にとってもっとも危険な状態なわけだよ。
武家政権だから最終的に並立なんて無理なんだから。
誰かが早い段階で豊臣家の江戸参勤を決断しなきゃならんかった。
家康に声かけられて二条城で会談した時点でもう遅かったと思う。
そもそも家康に声かけられるまで並立体制で行ける考えてる時点で豊臣家に人材が居ないとしかいいようがない。

311 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:24:03.42
>>309
日野家を見習えば、
朝廷に強固な人脈を持った上で、大坂を関所だらけにし、
徳川将軍家に代々に豊臣縁の姫を輿入れさせれば安泰。

ついでに、
母方の姓を名乗り浅井秀頼とでも名乗っていれば、幕府の警戒も溶けただろう。

312 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:26:57.31
>>311
織田政権以後は関銭目当ての関所の新設なんて無理だよ。
下手するとそれ自体が討伐の名目にされる。
戦国大名の一円支配というのはそういう関所を廃止するのもセットで、その行きつく先が織田、豊臣政権で徳川政権だ。

豊臣というのは氏だから、名字をもらうというのはいい手だ。
松平をもらえばよかったのさ。

313 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:28:49.67
姓だの氏だのめんどくさいね

314 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:45:33.79
関ヶ原で毛利に抱っこしてもらい馬に千成ビョウタンひっさげて西軍についたら徳川滅亡

315 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:52:38.26
摂関家の鷹司信平が松平氏を貰って上野国主格で大名。
参勤交代の負担無し。

似たような立場だが、
公的には無位無官の喜連川氏よりも良いポジションかもしれない。


しかも、鷹司松平氏は江戸城内では御三家と同格の待遇受けてたのだから、
秀頼も、安房国主格で、このポジションを狙うべきだったね。

316 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:55:17.05
そのまま長門へさらわれなければ…
そんな大それたことする毛利なら出陣してるか。
しかし、毛利輝元が手勢を率いて関ヶ原まで繰り出したら三成が采配振るうわけにはいかんのか。
立場的に。

317 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 00:56:25.51
>>315
豊臣が前田より下の格ってことはあり得ない。
大廊下上の間、つまり御三家と同格には成れたよ。
大坂に居続けることは流石に無理だったと思うけど、家が続く方が大事だしなw

318 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 01:00:05.34
格か
どうみても造語ですな

319 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 08:32:28.19
>>317
家康は豊臣の前政権で自分の同盟者でもあった織田を
まったく厚遇していない
危険な豊臣を重用することなどありえないよ

織田並みに領国5万石
秀頼は江戸に軟禁で隠居
千姫の養子として家康の息子の一人を豊臣家に送り込み
その家康の男子に豊臣宗家を継がせる(後見人は千姫)

という条件でなら家のみは存続できたかも

320 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:02:32.82
>>319
織田はいったん滅びた家だろ。
信雄系を再び大名にした時点で厚遇だよ。
例えば今川なんて高家になってるじゃないか。
滅びた家なんてそれが普通だ。
長益系なんてもともと傍流だからあんなもんだろ。
そして秀信には公式には子孫はいなかった。

321 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:15:05.65
江戸幕府は御三家・連枝・親藩・譜代・外様や国主・城主・陣屋や
幕府からの武家官位によって序列決まってたらしいが、
大和に5万石もらってた織田信雄の系統は一応は国主だったものを、
遊びで江戸城攻めを藩士たちがシミュレーションしていたのを公儀隠密に見つかり、国主剥奪の上で奥州天童に3万石だったかで減封されたと本で見たな。

322 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:17:12.37
>>321
信長の野望とかプレーしてるのがみつかったら大変ですな

323 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:34:36.73
>>306
藤原定家は九条家からパトロンになってもらって和歌の師やってたってだけだろ
むしろ最大の教え子は式子内親王なわけだが

それと家令は全然違うんだが
日野家は足利家に対してどういう風に仕えていたのか説明になっていない

324 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 09:37:50.35
>>320
織田は滅びてないが?
宗家の秀信を関ヶ原で改易して高野山へやったのは家康だろ
信雄は豊臣政権下でも大大名だったのに徳川が冷遇した

豊臣だって一度は滅ぼすのが当然だろ
徳川が天下を略奪しておいてそのままというわけにはいかない
元主君の恩を忘れず織田一門を厚遇していた豊臣政権が異常だったんだよ

325 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 10:14:46.85
木下延由が豊臣国松という説があるが、
本当ならば、江戸時代は立石5000石として残れたということか。

大名より気楽じゃないか? 
交代寄合とか旗本は。

趣味に時間を使えるぞw
しょっちゅう温泉にも行けるぞww

326 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 11:10:25.42
そして憧れの島原へ!

327 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 11:24:40.30
天草四郎も秀頼の落胤説あったな。
でも天草側が勝ったら、豊臣再興の代わりに、日本はキリスト教の植民地になってたかもしれないな。

江戸幕府から見れば一番しぶとかったのは小西残党か。
小西勢が一向一揆のようにキリシタン一揆を5万人ほど関が原に出陣させてれば西軍勝てたな。

その代わり植民地化されそうだがw

328 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 12:18:49.16
しかし キリシタンと豊臣の残党が手を組むとは
やはりゼウスより
太閤の威光のが大きかったのかな

329 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 18:55:39.35
>>323
定家は九条家の家司

>>324
信雄は秀吉に改易されてんだろうが。
秀信は家康に敵対して落城して切腹せずに済んでんだけありがたい話で冷遇もへったくれもねえだろw

330 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 21:58:30.89
>>328
古代豪族のように、豊臣家は大きな神社の宮司等を務めたりすれば良かったかも知れないな。
政権から遠ざかっても歴史と威厳は保てる。

331 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 22:14:03.55
巨根神社みたいな子孫繁栄のみを祈願する神社ならみんな笑ってくれるし、徳川もさすがにそれまで突っ込むわけにはいかず生き残れそう。

332 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 22:14:42.68
いっそ公家になってしまえばよかったかもね。
実際公家だったし。

333 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 23:01:25.49
>>331
生き残った秀頼の娘は縁切り寺の住職になったらしい。

よりによって豊臣恩顧の会津藩主・加藤明成が攻めてきそうになったが・・
(結果的に加藤氏は大幅減俸)


秀頼は神社・寺社への寄進が巨額だったし、武家でも公家でも居場所が微妙な場合は、
神社の宮司か寺社の別当になればよかったかも。

豊臣教団をつくれたかもしれないw

334 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 23:36:07.62
秀次の次が幼い秀頼しかいないんじゃダメだよな
秀長が頑張って男子たくさんつくればよかったんだが
豊臣の跡取りは子沢山の若い秀次で安心しちゃったのかな

335 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 00:19:55.11
最上は駒姫の件で反豊臣になって東軍に付いたとよく言われるが、そのように認識されていたなら
親豊臣でなければいけない加藤福島等、秀吉子飼いの大名は何故家康に付いたのだろうか?
三成嫌いというだけで東軍いくとかありえないだろ?

336 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 00:42:29.77
石田は豊臣家から罷免されたんだから
豊臣恩顧が豊臣家の筆頭大老につくのは筋が通っている

337 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 00:42:44.70
>>324
家康から見れば、秀信は、「いちど東軍側といったのに、裏切った挙句、関ヶ原の手前で進路を塞いだ」
しかも、岐阜というのは、まさに祖父信長が見込んだ地理的要衝だ。
これでは、関ヶ原東軍勝利の後は、改易の道しか無かろうよ。

>>335
最上は「鉄板の東軍一択。絶対に裏切らない」という点がポイントで、
東軍と言いながら、すぐに裏でぁゃιぃ蠢動を始めていた伊達政宗との比較上、
この点が、駒姫がらみで強調されるということだろう。
各地の大名についても、実際には伊達に近い感覚のところが大半で、
最上的な立場の大名は珍しかった。それで、最上・駒姫・東軍がクローズアップされてる。

338 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 01:03:34.79
家を滅ぼすかどうかって決断の時に肉親の情に溺れてる余裕ねえよ。
最上の立場を冷静にみてみろ。
東軍につくしか道ねえぞ。
上杉領の庄内は飛び地になってる。
上杉にしてみたら最上は潰すしかない相手なんだよ。
伊達なんて全くあてにならん以上、
最上は上杉に降伏するか上杉に抗戦するかしか選択肢がない。
もちろん最上なんて信用してない上杉が最上の降伏を受け入れるわけがない。
最上は必死に戦う以外なにが出来るっていうんだよ。

339 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 01:35:34.18
秀次関白が長期政権の場合、
三管領は最上・伊達・池田だっただろう・・・・

五大老は免職。

340 :302:2014/08/27(水) 07:05:35.09
>>323
戦国時代くらいのどっかの古文書に、
「日野は足利の家礼」って書いてあったような記憶があるが、
どこだったかは失念してしまった、スマン…(*_*;

ただ、「日野=足利の家礼」説を基盤にして研究してる人は、何人かいるよね。
その妥当性に関するこれ以上の議論は、ここだとスレ違いだから、やめときたい。

341 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:26:40.65
>>334
豊臣家は皆不妊ぎみなんだよ
秀吉は周知のとおり種無し説が根強いし
朝日姫は3度結婚したといわれるが子供なし
秀長は娘が2人いたとされているが頑張ったができなかった可能性も高い(娘2人に子孫なし)
ともだけが高齢出産で(最初の子を35歳、最期の子を45歳で産んでる)男子3人産んでるが
全員ともより先に死んでる

342 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:39:21.09
とは言え、佐和山城攻城戦は思いっきりみんな感情が爆発していたけどね。
石田正澄が一度自身の切腹を条件に降伏を試みているが、池田輝政が
「降伏は認めぬ。皆殺しあるのみ。」と言って撥ねつけている。

事実、石田三族、部下、城兵、その他老若男女問わず皆殺しになり、佐和山城は
徹底的に破壊されているけどね。いかに石田三成が憎まれていた証拠だ。

343 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:50:04.70
>>342
三成がそんなに嫌われてたら上杉が一緒に挙兵せんだろw

秀吉子飼いで家康に付いた七将は武功もなく重用される
三成が我慢できなかったんだろうが(三成を殺すためだけに家康の天下取りに加担したという皮肉)

佐和山城は皆殺しになったわけではなく、三成の息子や娘は全員助命されている

344 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 08:11:42.51
官吏は嫌われ役だからな。それを理解しなかったのか総大将とか火に油

345 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 08:36:41.30
>>344
総大将は毛利なんだが

346 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 13:48:57.18
>>343 三成は佐竹義宣とよかった。7将に襲われた時、家康邸まで三成を届けたのも、
佐竹。

347 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 17:57:07.26
家康邸w

348 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 18:04:07.95
三成は伏見城内の自分の屋敷にいたことはもう考証済みだろw

349 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 20:20:30.70
>>242
同感だな
と言うよりも、これだけの戦を企てることすらできないだろう
それに三成の残された逸話を見ても、
歴史に登場するときと、退場するときの逸話はすがすがしいものだろう?
多分付き合ってみたら、かなりいい奴じゃないかと思う。

350 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 20:35:08.86
わかりやすいw

351 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 22:10:43.90
まあ、三成は残された逸話がすがすがしいものが多いのだよな
三成の悪口を言いふらしたであろう
清正に福島正則にしても、領民思いの部下思いの好人物だったのだけど、
普通なら、清正や福島正則あたりが徹底的に悪口を言いふらしたら、
アレだけの好人物が悪く言うのだから、三成はとんでもない奴だとの
評判だけが残りそうなのだが、

352 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 22:32:12.94
関ヶ原で西軍が勝ったら、
大坂城内は奉行石田と側近大野による謀略合戦となるだろう。

淀殿の寵愛の厚い側近大野が有利。

奉行石田は片桐且元と同じ運命となる。

353 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:25:07.10
今は三成は清廉潔白な忠義の武将というイメージも強くてファンもいるけど
江戸時代は逆臣の象徴として忌み嫌われていた。
三成の官位である治部小輔までもが忌諱されて江戸時代に任官した武家は
いない。
明智光秀の日向守すら江戸後期には名乗られていたし吉良の上野介も
広く名乗られていたから石田の嫌われ方は尋常じゃない。

354 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 23:58:24.59
>>351
実際に当時から現代に至るまで相当嫌われ続けているが。但し、内部の証言はない。
石田の一族、部下は、関ヶ原で散ったか、佐和山で根絶やしにされたかのいずれかだから、
内部証言者が残っていないし、誰も何も言わない。ある意味、内ヶ島一族(帰雲城)と同じ。

>>353
石田は明治以降も嫌われているよ。堺屋太一がいなければ、今でも嫌われ続けていただろう。

355 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:03:34.16
石田は結構助命されてるし家系も残ってるよ。
嫡男ですら出家、次男の家系は津軽で杉山を名乗り家老職として現在まで続いている。

356 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:06:45.14
そうなんだ?
助命したのは誰なんだろ??

357 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:15:49.97
>>356
嫡男は家康。
徳川家は戦後に石田家を根絶やしにしようとした気配はない。

358 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:24:04.19
そうなのか。
武家として存続は認めないけど、命を取るほど子に責任はないという判断だったのかな?

359 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 00:29:11.25
乱の首謀者という判断だったら一族まで責任問われたと思う。
実質的には三成は豊臣家の身代わりになったという判断なんじゃなかろうか。

360 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 06:15:50.67
>>359
関が原は幼少の秀頼は勿論、淀殿も北政所も絡んでいないのだから
豊臣の身代わりはおかしい(そもそも豊臣家は何もしていない)

三成処刑は豊臣恩顧七将の意向だろう
加藤や福島は三成を殺すためだけに家康についたわけだから
家康としても彼らの恨みを晴らしてやらねばならなかった
しかし西軍総大将毛利すら生き残っている状況で
三成の子の命まで奪うほどではなかったのだろう
そこまでするには三成は小粒過ぎた
(秀頼の子国松レベルになれば幼児でも処刑なんだが)

361 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 08:52:06.72
>>360
何言ってんの?
輝元が大坂城の西の丸に入り、秀頼に拝謁して家康討伐の総大将に任命されてるじゃんよw
西軍に人が集まったのはそのためでしょ。
豊臣家は思いっきり絡んでるじゃねえかよw

362 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 09:09:22.66
上杉の立場から見たら、
上杉追討令を淀殿も支持した以上、

もしも上杉が徳川に勝利して、そのまま大坂攻めしたとしても、
誰も文句は言えないな。

最初から上杉を総大将に担がなかった西軍がヲワタ

毛利輝元と豊臣秀頼は大坂城で蹴鞠している方が似合う。

363 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 09:14:18.96
上杉討伐を家康に命じ、その家康討伐を輝元に命じた。
そのいずれも豊臣家がしたことだ。
つまり関ヶ原の責任者は誰がどうかんがえても豊臣家。
ただ、関ヶ原の時点ではまだ家康に豊臣家を処罰するだけの権威がなかった。
それどころか輝元すら簡単には処罰できなかった。
それで当たり障りのないところで煽動者の三成等を首謀者っぽく扱ったんだよ。

364 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 12:42:18.55
三成子供は嫡男は寺に逃げて出家したが家康に見つかっても不問。
次男は姉の嫁ぎ先である弘前に逃げて名前を変えて津軽藩に仕官。
女子はそのまま大名等に輿入れして天寿を全うしているが弘前に嫁いだ
三成娘は藩主がその後、家康養女と結婚したため側室に格下げ、
しかし次期藩主を産んでいる。

365 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 12:51:53.67
戊辰戦争は、
薩長(毛利・島津)と
奥羽越列藩同盟から寝返った弘前津軽(石田)・出羽久保田(佐竹)が西軍に揃った。

関ヶ原のやり直しか。これは。

366 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 13:00:20.84
>>365
東北の西軍総大将だった上杉は幕府側に付いたけどなw
関ヶ原での幕府への恨みより保科正之に改易の危機救ってもらった恩義を尊重したみたいだね。

367 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 13:17:07.39
家紋の似とる伊達と上杉が同じ東軍陣営というのも凄いな。
なんだか豪華だ。

368 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 14:04:46.51
>>367
似てるもなにもあの家紋は上杉から伊達に贈呈されたもんですがなw
もっとも上杉といっても長尾上杉になる前ですがね。

369 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 22:02:41.08
>東北の西軍総大将だった上杉は幕府側に付いたけどな
上杉家って、中の人は養子で途切れてなかったっけ?
うえすぎようざん って元秋月藩だよね

370 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 23:27:36.33
◆関ヶ原合戦東軍勝利
徳川幕府成立⇒江戸時代へ

◇関ヶ原合戦西軍勝利
豊臣関白政権⇒大阪時代へ
毛利、上杉、宇喜多が三大大老と成るか、西国・東国菅領に成る

371 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 00:48:52.70
>>369
鷹山は女系で景勝の子孫。
上杉定勝ー富子(吉良上野介妻)−上杉綱憲ー豊姫(黒田長貞妻)−春姫(秋月種実妻)−上杉鷹山
その後も女系の景勝の子孫で幕末まで続いている

372 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 01:30:09.31
へぇー、吉良から上杉への養子が赤穂浪士の時代にあったという話は聞いてたけど。
その後も娘の血縁で繋がってたんだね。

373 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 01:50:37.19
上杉鷹山は間に入っただけで先代に実子が産まれたら先代の子に家督譲ってるよ。
少なくても幕末時点で上杉は吉良の男系子孫。

374 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 09:44:39.71
>>373
幕末の上杉もやっぱり吉良と上杉富子の間に生まれた上杉綱憲の子孫なので
男系は吉良だが女系で上杉の血を引いている

上杉定勝ー富子(吉良上野介妻)−上杉綱憲ー上杉勝煕ー上杉斉定ー上杉斉憲

375 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 21:04:44.87
戦国時代は振るわなかったけど、
鎌倉南北朝から続く吉良の血筋は凄いな。

376 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 22:50:16.66
江戸城内で徳川一門の次に高い官位だからな・・
高家吉良は。柳沢より上。

377 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 00:52:47.53
成り上がりの分家の赤穂浅野ごときに家潰された挙句後世に悪名を伝えるとはなんとも可哀想だよな、吉良w
でも血筋は上杉家の嫡流となって現在に至るんだからよしとすべきだな。

378 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 00:54:37.06
ところで豊臣家はどーなりますか?

379 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 00:57:40.29
どーですかねえ。
秀頼が足利義満クラスの怪物でもない限り展望は暗そうですな。
豊臣家本体にはろくな家臣が残ってないし。

380 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 01:41:59.04
>>379
でも吉良家だって
三河の一向一揆では一向宗のほうについていたのを最終的には
許されたのだからな
再び天下人に返り咲くならともかく、公家筆頭くらいの家になって
有職故実を伝える家になるならどうにかなったと思うぞ。

381 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 10:58:34.38
吉良家 源氏嫡流に近い無害天然記念保護対象物
豊臣家 成り上がり劇物危険物

保護するのはどちらかと言われたら自明w

382 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 11:39:23.87
>>380
379書いた者だが、これって西軍が勝った場合の豊臣家のお話ねw
一応そういうスレなんで。
東軍が勝ったら出来るだけ早い段階で家康の傘下におさまるしか生き残りの手段はなかったと思うよ。
その場合、参勤交代は当然で、人質の江戸に置いて、領地も東国に転封くらいを自ら希望するくらいする必要があるな。
仙台でも希望したらよかったんだ。
そしたら政宗を四国かどっかに飛ばしてしまえばいいわけで幕府としても一石二鳥w

383 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 12:07:13.65
伊達は江戸に近い仙台に大藩を構え、
仙台城の他にも要所に要害(要塞)を多数築城。

四国にも飛び地を持つ。

勝ち組すぎる。

江戸外様大名三大藩で、
文化水準も 

 伊達 > 前田 > 島津

教養と実力を兼ね備えた大藩、それが仙台藩。

384 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:05:00.42
豊臣家国替えするなら畿内じゃなくて
秀頼を駿府に入れて大阪城に家康自ら入って
江戸と大阪、東西から挟み込んで監視すれば良くないか

385 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:08:07.57
駿府は家康が住みたいとこだから無理だろw

386 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:10:27.58
人間、年取ると子供の頃住んでたところが懐かしくなるもんな。
岡崎は忌まわしい信康事件とともに忘れられたん?

387 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:29:52.37
最後の地を駿府に選んだ家康って今川のこと恨んでたのかな?
氏真は1000石だから決して優遇されたとも言えないけど。

388 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 13:35:58.96
>>387
今川時代は楽しくてしょうがなかったんだと思うぞ。
田舎の岡崎に比べて当時の駿府は洗練された都会だし、気候も景色も最高。
義元からは一門扱いされて高等教育までしてもらうくらいの待遇の良さ。

孕石主水に仕返ししたけど、逆に言えば他に仕返ししてないから孕石が例外だったんだろうね。

389 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 14:12:48.27
>>388
孕石主水は、降伏したときに面子向かって裏切り者と罵声を
浴びせたのではないかな?(もっとも記録には残していないけど)
記録では直接声をかけたみたいだから

390 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 15:51:01.25
>>388
今川スレの今川厨がやってきてるが人質時代が楽しかったわけないじゃん
家康は今川を裏切ってるんだぞ?
そのせいで義元の姪である正室築山殿の両親は自害、
築山殿は人質交換で家康のもとへ来たものの別居させ、
最期は家康が殺してる

家康は豊臣秀吉の城・伏見城に秀吉死後わがもの顔で居座り
征夷大将軍時代は伏見城から天下に号令していたほどだから
今川時代が楽しかったから駿府に住むという問題ではない

391 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 16:14:00.20
>>390
裏切ったのは幼年時代の好き嫌いと関係ねえだろw
あの時代だから自立できるチャンスを逃さなかっただけのこと。
そしてそれだけの器量があったってだけの話だろ。

392 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 16:45:04.23
>>390
まあ江戸(東京)と比べたら、駿府(静岡)のほうが、
はるかに気候は温暖で暮らしやすいからな

393 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 18:19:30.35
駿河取ったら本拠地をすぐに浜松から移してるしな

394 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 18:53:07.22
松平家自体
勢力伸ばすにつれ本拠地移転してた家だから
家康もあんまり一個の土地に縛られる思い入れ薄そうな印象

395 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 19:08:41.61
よく居城を頻繁に移転したのは信長だけみたいに言う人いるけど、
松平家は家としてどんどん本拠地移転してた家だからな。
ただ、家康はともかく、他の松平一族は分家があちこちに散って、
結果として家康の家が主流になったというのがほんとのところかもしれんけど。

396 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 19:36:23.22
年齢で、
関白までの任官の道のりは長い。
年齢が幼少でもなれる将軍は魅力。

秀頼は征西大将軍でももらって肥前名護屋幕府を開くべきだった。

唐入り成功するまで軍事政権の体裁を保てる。

397 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 21:00:52.70
同じようなこと考える奴はどこにでもいるんだな。
【大阪】豊臣が負けていなければ…? 「大坂の陣から400年」テーマに 有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが対談★3
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1409325732/

398 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 23:15:57.10
>>396
秀頼成人まで八条宮宇喜多小早川結城あたりで
関白繋げてりゃ何とかなったかもな
まー秀次殺したのが間違いなんだけど

399 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 00:06:06.68
>>396

豊臣の威勢が凄いうちはすぐに関白になれたと思うよ。
実際秀頼は4歳でいきなり従三位だし7歳で中納言になってる。
12歳位に元服して五位から段々出世して早くて20歳過ぎ位に内大臣になれる
摂関家の昇進ルートを逸脱してる。

400 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 00:13:16.74
13歳で右大臣だもんな。
笠原は摂関家豊臣家と言ってるけど、摂関家で13歳で右大臣とかありえんよw
完全に天下人豊臣家としての昇進ルートだ。
そらどこかでこのルートから外れて徳川に恭順示さないと対決必至にもなるわな。

401 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 05:33:20.23
>>398
結城がお飾りとは言え関白になったら
気づいた時には徳川の世になってそうだがw

402 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 08:11:22.05
大坂の陣の後に福島正則は結城秀康に、
あなたが将軍になれば秀頼の世に増す良い世をつくれますぞいつでもご助勢するみたいなことを秀康に言ってたという。

豊臣恩顧も抵抗感少ないか・・・・も

403 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:04:54.25
それは本気でそう思っていたんじゃなく、徳川家中に豊臣よりの動きをしてくれる人がいたら色んな面で便宜図ってくれたり情報を漏らしてもらえたりを期待したぐらいなんじゃないの?

404 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:24:34.95
関白でも太政大臣でも征夷大将軍でもないのに天下に君臨している
秀吉死後の豊臣家って何なんだろう?

405 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:30:45.23
武家の棟梁にとって官位ってのは後付けだからね。
関白、征夷大将軍になったから武家の棟梁なのではなくて、
武家の棟梁だから関白や征夷大将軍になったってことだから。
秀頼は秀吉の正嫡だから秀吉が死んだ時点で武家の棟梁で官位は関係ないんだね。
関ヶ原で家康は豊臣家を倒したわけじゃない。
なので、武家の棟梁が2人居る状態になってしまったわけだ。
その変則的状況が大坂の陣まで続いたということだね。

406 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 15:38:36.09
近い時期で龍造寺と鍋島が二頭体制だったが
それまで龍造寺が家中で君臨していたのが、家康の征夷大将軍就任で鍋島の優位が確定した
龍造寺に大坂屋敷はあったが江戸屋敷が無かった

407 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 16:20:37.03
龍造寺嫡流は会津藩士として召し抱えられたんだったか・・・・

幕末で
肥前佐賀 VS 奥州会津 の戦いになったのは運命か・・・・

408 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 16:37:40.55
会津藩は以外に九州の名族と関わりあるね
大蔵高橋氏とか江上氏・原田氏とかの子孫も会津藩に使えてる

409 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 16:50:09.20
森蘭丸の末裔や信濃小笠原氏や足利将軍落胤?一色氏とかも会津に居たらしい。

会津藩は名族コレクターだったのか?

豊臣家も名族コレクターな藩に巡りあえていたら助かったのかも。

410 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 16:59:58.84
龍造寺の大坂屋敷は今の大阪市中央区龍造寺町であり大坂城の直近にあったわけだが
鍋島側は伏見に鍋島屋敷(現在の京都市伏見区鍋島町)が別にあって外務は専ら鍋島屋敷側で行われていたようだ
政権奪取側がまずやることは被簒奪側を徹底的に実務から遠ざけることか

411 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 19:21:41.12
豊臣が安定して代を重ねるためには、秀吉は少々無理してでも家康は討ち取っておくべきだった。
時期としては、九州に兵を進める前だろうな。
その場合、家康と北条が同盟を組んで、荒れ狂って刃向かうだろうが、それでも十分に勝算はあった。

まぁ、秀吉が家康を政治的に懐柔し、臣従させた頃の家康はかなりの武辺者で、
後年のような高い政治能力は秀吉との交流によって学んだものとも言えるから、
臣従させた時点では、秀吉には家康を十分御していけるとの目論みと自信もあったのだろうけど。

412 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 19:35:14.45
>>409
そもそも無理。豊臣家の男系は秀吉直系のみ。
(女系を入れても+秀勝のみ)

弟秀長や妹朝日姫は子孫を残していない。
秀次は族滅し、子孫を残さなかったし、秀保も秀次事件に連座し族滅。

その他、弟妹も大勢いたが、徹底的に秀吉が族滅したので、全く残らなかった。

413 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 20:49:11.39
関ヶ原でどっちが勝つにしても豊臣の公儀権力を温存する為には国割の時に豊臣一族が主導権を握るのが必要条件だが
肝心の一族を秀吉が滅ぼしているので状況が最悪

414 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 21:31:20.69
家康が座る席が無いように、
もう関白秀吉が福島正則を征夷大将軍にでもしてれば、
豊臣家は残れたなww

脳筋な福島幕府だ。

415 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 07:04:15.65
それだったら、文武両道の清正の方がいいだろ

416 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 09:55:48.40
福島と加藤はどちらも一門なのに、福島のほうが豊臣姓ももらって優遇されていたのだっけか。

比べれば、清正のほうが品格を感じるよな。

417 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 12:56:12.80
豊臣姓は大名クラスは叙任の時に全員貰ってなかったか?
濫発し過ぎて有り難みがない。

松平姓は一部の大大名だけだったけど豊臣姓はほぼ全員貰えている。

418 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 14:06:27.49
>>417 主な連中だけ、豊臣で、後は、羽柴でいいのに。

419 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 14:19:52.49
羽柴姓は、主な有力大名もらってたけど
豊臣姓は秀吉のお気に入り人物いがい、あんまりあて得てないような

420 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 15:54:28.66
>>418>>419
羽柴は苗字
秀吉配下大名が朝廷から叙位叙官するときは
すべて豊臣姓だよ

421 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 16:15:42.22
つうか、秀次一家を討滅した時点で豊臣の未来は消えたな。
あれで秀次ageだった外様大名が一気に離れて家康に走ったし。
関ヶ原はきっかけにすぎない。
たとえ西軍が勝っても関東まで攻め入れず群雄割拠状態で豊臣家はお飾りになっていったと思うよ。

422 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 16:42:44.18
秀勝とか秀保が生きていたら処刑されたのかな?
でも補佐役として秀次生かしておいたら絶対秀頼から簒奪するだろうし、どちらにせよ秀頼の前途は真っ暗だなw

423 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 16:43:50.50
秀頼が生まれて秀吉が秀頼を後継としようとした時点で豊臣は終わりだろう。

424 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 17:06:10.09
秀次は秀吉生きている時は大人しくしていても死後はどうなるか分からないからな。
秀吉死語に家康とかの振る舞い見ていたら公式な天下人の立場にある秀次が増長しないとは誰も言えない。
鶴松が死んで後継者を秀次に決めた時点で秀頼と秀次の並列はありえない。

425 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:25:10.77
秀吉は「譜代」という概念があまり無かったんだと思われる。
元々、成り上がり者の秀吉には、譜代はまったくいないわけだが、
若き頃から苦楽を共にした蜂須賀正勝のような武将や、清正、正則などのような子飼いの武将を、
今後何代にも渡って豊臣の「譜代」として固めていくための、政治的配慮が欠けていたと思う。
加えて、「一族」も少ないのは致命的。

やはり、政権中枢の結束を固めるためには、何代にも渡って主家を支えた(支えていく)譜代や一族は欠かせない。

426 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:28:03.43
>>421
外様どころか、織田家以来の豊臣家の中核がごっそり豊臣家から心が離反したわけだよ。

中村、山内、堀尾、池田、田中、ここいらの離反は大きいぞ。
しかもこいつら全員東海道の配置してた徳川東上防止要員なのに居城まで家康に献上しちまったんだからw
これって実に決定的だったんだぜ。
こいつらが使命を果たしていたら家康は東上するのに何か月もかかってしまうわけで。
その間に西国は反家康一色になる時間があり、東では上杉が最上や越後を落としてしまう可能性が高かった。

関ヶ原という戦いそのものが秀次族滅とストレートに因果関係がある。

427 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:28:44.74
秀頼後継は無理ゲーってやつだな。
唯一の頼みが前田利家だったのだろうが、寿命が尽きてな。。

普通は後から見れば「○○すればよかったのに」的な案が出てくるが、
秀頼に関しては無理。

428 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:31:20.87
とりあえず秀次が生きていたら、家康の天下は無かっただろうと思う。
家光ぐらいの時代になって、徳川を中心とした戦乱の動きが出てくる可能性はあるが、
あっさりと徳川に政権が移行するようなことはないだろう。

429 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:31:33.52
勝家裏切った利家を頼みにしてるん段階で終わってるよw
一度裏切った男は何度でも裏切る。
実際すぐ死んだからあまりみんな重要視しないが、
利家って死ぬ直前に家康と勝手に手打ちしてたじゃんw

430 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:55:11.91
>>417
そんな乱発しすぎた豊臣姓を、
秀吉が生きてるうちに貰えない清正ちゃん。

431 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:56:27.99
>>429
そらそうだ。
利家もそれなりに裏切ってるんだったw

432 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 18:57:52.37
この、「西軍が勝ってたら?」という議題が既にありえないよw
その前から政治的に、既に勝敗は決着していた。
晩年の秀吉の政治や、秀次の成敗あたりから考えないと、豊臣家継続の可能性を見出せない。

433 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:07:14.11
利家が勝家を裏切ったというのは、あくまで実情を知らない人達から見た第三者的な見方であって、
現実には、利家は最初から秀吉と繋がっていた。勝家に従軍したのは義理でしかない。
秀吉から見れば、裏切者という感覚はあまり無かったと思われる。
厳しい見方をしたとしても、利家は最初から双方と繋がっていて、最終的に秀吉を選んだ、と見るのが正確だろう。

後世の俺達は、既に歴史を知っているわけだから、必ずしも、当時の第三者から見るような大義名分的な意見を主とした見方をする必要はない。
この時代の大名間の信頼関係は、それぞれ当人同士が築いた独特の感覚もある。

434 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:16:03.35
西軍が勝った、のがどのレベル、どの段階かによるしな。
全て史実通りに進行して、最後の最後で、何かの間違いで、
なぜか東軍が乱れて僅差で西軍優勢勝ち、とかの場合、
勢力図はほぼそのままで秀忠軍と西軍が間髪入れず
ガチ勝負してたらどうなってたかな、というのが一番興味あるんだが。

435 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:44:47.75
>>432
いや、軍事的には関ヶ原は西軍が勝って全然おかしくなかったよ。
東軍はかなり際どいとこを凌ぎ切ってやっと勝ったというのが実情。

関ヶ原の勝敗と豊臣家の継続とは一致しない。
西軍が勝ったところで豊臣家安泰ってわけじゃない。

豊臣家安泰はどちらが勝ってもあり得ん状況なのは間違いない。
だから秀吉が死ぬ間際にあんな醜態さらしたんだよ。
思いっ切り秀吉がまいた種なんだけどねww

436 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:03:49.97
太閤秀吉は後継者を早々と決めずに、
関白は木下家定(中継ぎ)にしておいて、


秀次を大将として征西大将軍か異国征伐大将軍に任じて、
小早川秀秋を鎮西探題、
羽柴秀勝を九州探題にして、

この若さあふれる三枚看板で唐入りさせるべきだった。

秀吉没後の豊臣家の後継者は、清須会議で決定。

437 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:06:24.93
>>435
まあでも家康の首が落ちない限り「西軍勝ち」というのはないだろうね。
光成の佐和山は関ヶ原の隣だから西軍負けで光成即死だが、家康は江戸。いざというときは逃げ帰って箱根で守ればいい。
あそこで東軍が潰走してもどこかで立て直してグダグダの戦を続けてただろう。

438 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:11:45.66
>>437
家康負けたら四面楚歌だぞ。
伊達なんてあてになりゃせんし、上杉は領土増やして佐竹と一緒に北から圧力かける。
信濃の小大名もみんな西方に寝返り真田は上野あたりにちょっかい出してくるぞ。
箱根守ってりゃいいなんて余裕来いてられんぞ。
家康も若くないし、後継者争いだっておきかねない。

439 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:15:35.96
最近の研究じゃ関ヶ原に集結した西軍の兵数は小早川や南宮山方面を合わせても
東軍に相当劣勢だったらしいから実情は東軍の順当勝ち
西軍の優勢とかいう局面はおそらくなかった

440 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:29:01.21
>>438
まだ中山道から上って遅参した秀忠軍がいるよ。
どっちかというとこっちが主力。
後世から見たら「天下分け目の関ヶ原」なんだが、
家康としてはこの一戦で勝負つけなきゃいけないわけでもないわけで、
勝ったか負けたかよくわからないくらいで撤退できれば四面楚歌にはならないと思う。

441 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:55:25.53
>>440
前スレでもその検証してんじゃんよ。
西軍も丸々3万人なんにもしてない軍が居る。
東軍が敗走した段階でこの3万人も加わったのが来るんだから秀忠軍の優位性なんてないぞ。

442 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:00:44.53
その段になってやっと前田がヤル気だしてなw
我が家は先代利家が亡き太閤様に合力したことにより大邦を得た!
ここが鞍替えどころ!もとい、ご恩義への奉公のしどころ!

ぱちぱちっとな。

443 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:16:18.48
関が原の、薩摩の退き陣(のきじん)って、何回想像しても面白いなw

まとめれば・・・
わずか数百人の兵で西軍(豊臣方)に参加して、いくさの最中にはなにもせず、
勝敗が決しかけたら、敵味方関係なく斬り捨てながら東軍(徳川方)に突っ込んで行き、
途中で折れて街道に出て、そのまま薩摩本国に逃げ帰った

444 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:31:30.88
>>422
秀保は処刑されているよ(実際には暗殺だけど)。秀勝もアウトだっただろうね。
そうなったら、豊臣完子もアウトだったね。

>>426
特に豊臣秀次のナンバーツーの池田輝政を完全に敵に回したからね。
主君と妹を殺された恨みは物凄い深く、本人によって佐和山城(石田一族、部下)が、
弟によって水口城(長束正家及び一族部下)がジェノサイドされた。
池田輝政は、石田正澄の降伏嘆願に対し、「皆殺しあるのみ、最後まで戦って死ね」と
追い返している。しかも、佐和山で裏切って開場して手引きした長谷川守知を、不忠者と
して車裂きの刑に処している。

445 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:40:58.05
秀保は病死。妹の若御前は実家送りで殺されてない。
でたらめかいてなにが意図があるのか。

446 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 22:00:20.00
>>441
それ、石田三成の手兵じゃなくて毛利でしょ?
思い通りに動くか甚だ疑問。
関ヶ原でもそうだけど、毛利の動きの鈍さが西軍の障害になってる。

毛利はあの戦役で何をしたかったのかがさっぱりわからん。

447 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 22:06:49.21
>>446
西軍が勝ったら天下取り 
負けても本領安堵
極めて都合のいい絵図を書いて日和見しながらホルホルしてたら
家康に所領召し上げられましたとさw

448 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 23:05:22.04
以前から若御前が処刑されたと書き続けてる人がいるけど、
何がやりたいの?

449 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 01:18:17.15
>>446
さすがに家康が敗走したら
毛利は今までの埋め合わせをするべく
必死で秀忠軍と戦うはず
でなきゃ、大将やったくせに領土も名声・発言権とも得られずに終わる

450 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 01:29:37.60
そら、わからんぞ。
関ヶ原で合戦見ながら弁当食い続けた連中だしw

451 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 01:33:26.91
宰相どのが、
どんなに旨い弁当食ってたのかレシピが気になるww

452 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 01:48:42.32
>>443 義弘は東軍に参加しようとしたが、家康に相手にされず。仕方なく、
西軍に参加。三成に家康への夜襲を進言するが、受け入れられず、西軍の
敗戦を予期。最初から、逃亡を意図。兵を損なわないように逃げる時期を
探っていた。正面突破が一番確実とそれを遂行。兵を10分の1に減らす
が鹿児島に到着。

453 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 10:41:48.91
>>451
時代は下ること江戸城中で、毛利侯持参の弁当に焼鮭が入っていて、
諸侯は大変羨ましがったそうな。

どうやら毛利の弁当は美味いとみえるw

454 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 11:05:31.00
山口の駅弁で「毛利秀元弁当」を売り出したら、
ってさすがに怒られるか。

455 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 11:26:41.50
>>454
中身が空なのか?w

456 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 11:40:51.60
お前ら
空弁は毛利家の歴史の中でも恥ずかしい黒歴史なんだから
あまり弄てってやるな。

457 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 14:48:35.24
>>455
いやいや、鮭の切り身がちゃんと入ってる弁当。
謳い文句は「合戦も忘れる程美味い!」「お殿さまの垂涎の的!」とか。

458 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 16:30:18.70
>>454 岩国で吉川広家弁当だろう。

459 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 16:57:08.19
徳川と密約して動かず西軍が勝っちゃったら毛利はどうなるの?改易?

460 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 17:41:11.25
西軍勝ったら、
毛利輝元の代わりに

毛利勝永を西国筋の守りに置こう。

周防・長門は毛利勝永
安芸一国は温情で、毛利秀元
出雲・石見は安国寺恵瓊でw

461 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 17:42:50.58
>>459 それに、秀秋も裏切って。

462 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 19:15:04.44
>>461
開戦当初から秀秋が裏切るのか?
開戦当初から裏切ると、西軍
は完全逃亡モードになって
大阪城で決戦になっていたのではないかな

463 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 19:22:24.61
まあ裏切ったのが現実ですから

464 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 23:39:39.47
西軍が勝ったら、俺は石田将軍が誕生していたと思うな

465 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 01:57:27.04
西軍が勝ってたら、
今頃、家康は最後の最後で大ポカをしたって評価だろうな。
五大老の家格を保ってれば良かったのにとか言われてそう。
小早川秀秋は、最後まで西軍の味方だったものの東軍への内通が露見して、裏切り者のレッテルは同じように貼らるwww

そして、2chに
もし関ヶ原で東軍が勝手たら?
というスレが立つ。

466 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 06:21:56.84
まあ、毛利元康と小早川秀包は真面目にやっているんだから、他の連中を隠居させて
彼らに知行が行くんじゃないか。

467 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 10:12:54.12
名前が似とるので、
徳川改易で、
江戸30万石ぐらいで、松平姓に改姓させた毛利元康を置けば良いw

468 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 11:20:01.76
関ヶ原は前哨戦だよ、家康にとっては。
石田三成が全力投入で勝負に出て完敗したから「天下分け目」になったけど、
あそこで西軍負けなかったら小牧長久手みたいにグダグダになって
手打ちになったんじゃないかな。

西軍の完勝は家康が討死しないとダメだが、多分それは無理。

469 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 11:23:31.71
まがりの陣で足利義尚が忍者に打たれた説があるように、

西軍は長期戦+甲賀忍者で暗殺がベスト。

470 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 17:05:24.89
俺は西軍が勝ったら、大方の世間の予想を裏切って足利将軍家が復活していたと思う

471 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 17:10:38.74
西軍が勝つ。つまり家康を天下を取れなかったら、徳川家は、平安期の奥州藤原氏のような存在となって、
上方から独立した王国のような状態がしらばく続いただろう・・・と予測する。
まぁ、上方から再三に渡って軍隊を派遣され、いずれは討伐されるだろうけど。

472 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 17:11:22.10
幕府復活の場合

管領は細川幽斎

関東管領は上杉景勝ですな。

関白で豊臣家が格上だから、空位の将軍職は
足利将軍(飾り)を存在させてたほうが徳川将軍就任は難しかったと思う。

473 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 18:24:33.40
幕府は隠岐あたりで開いてもらおう。

474 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 19:02:52.39
まあ朝廷自体、過去の遺物だからな
実質1000年前に滅んでいるとも言える

475 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 20:43:06.14
い、いきなりどうした?
反天皇の朝鮮人みたいなのが突然湧いてびっくりした

476 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 21:50:28.71
朝廷まで話題に出てきたので、

西軍が八条宮を征東大総督に奉じて、
錦の御旗を掲げて進軍してきたら東軍に勝てると思う。

大坂新政府の
太政大臣または内大臣を豊臣家が勤めればいい。

477 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 09:29:33.56
いやあ、この時代朝廷にそこまでの権威はないよ。
幕末に錦の御旗が効いたのは国学とか尊皇論が知識として浸透してたからでさ。

478 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 11:54:54.30
秀頼の正室を朝廷から迎えていれば、
完全にマロ摂関となり、
生き残れたかも。

秀頼卿も2chでzip収集に専念できたw

479 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 11:59:17.29
まあ上で散々書かれてるけど秀次が生きていれば全く違っただろう。
北条得宗みたいに秀吉直系の実の権力者ラインとピンチヒッター的な
血縁者のラインを作る。これが何故出来なかったのか・・・

480 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 12:05:48.73
藤原氏は五摂家で摂関職を回り持ちしていたから、空位を防ぎ、年齢適齢期の者が任官できた。

豊臣氏は秀頼が幼少すぎて空位の間に摂関職を藤原氏に再びとられた。

摂関を豊臣一門でうまくまわし、
豊氏長者と藤氏長者と左近衛大将あたりの官職は幼少でも秀頼系統が常に持ってればよかった。

481 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 12:29:53.36
>>480
豊臣秀吉の関白就任以降、豊臣以外の藤原氏に再び摂関職を取られるのは関ヶ原後
明らかに徳川家康勝利で家康の命令により豊臣家が摂関から外されたためだよ

あと秀吉すら豊氏長者と藤氏長者の兼任はなかったから
それを秀頼がやるのは無理だったと思う

482 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 13:01:34.16
>>477
でもそれよりだいぶ前の承久の乱のときでも、もし朝廷軍が錦の御旗を掲げて進軍して来たら、いかに自軍が有利な戦況でも
鎧を脱いで弓を切って降伏するように北条義時は全軍に徹底していたというじゃん
この時代の朝廷でも、一定の権威とか影響力は有ったとみるべきじゃないかなぁ

483 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 13:47:01.91
>>482
承久の乱は、モロに皇族と・・・だから。単に錦の御旗を同じ武士が持っているだけとは又違うんじゃない?

484 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 14:57:43.56
>>482
ないよ。
そんなに権威があるなら後醍醐天皇が足利幕府を潰してるはず。
君だって「会社辞めて天皇に奉仕しろ。ただし無給。」とか言われたら断るだろ。
人間は領地とか金とか生活の保証してくれる相手には弱いのよ。それはいつの時代でも同じ。

関ヶ原やそれ以降で、徳川についていく大名が多かったのは「徳川は割とまとも」と判断した大名が多かっただけでしょ。

485 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 15:12:12.29
>>484
いや,自分が言ってるのは「錦の御旗が効くか」って事ね
誤解を生んでしまって申し訳ない
>482では,錦の御旗は効力があるって事が言いたかった

486 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 15:55:42.28
>>484
足利は特殊だ。

南朝に対抗して北朝をつくり、
朝廷VS朝廷の戦いにしてしまった。

徳川も、西国大名に担がれた場合の朝廷に備えて、関東で輪王寺宮を大事に推戴した。

朝廷は政権から離れていても、信仰も含めて、一定の影響力がある。

487 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 17:55:18.66
>>486
やはり徳川が朝廷をトップに置いたのも
秀忠遅参に起因してるかもな

488 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:14:15.40
鎌倉以降の朝廷って一般的理解の「権威」とはちょっと違った権威なんだよな
権威付けとでもいうのかな
まさしく「君臨すれども統治せず」を地で行ってる感じ

489 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:27:14.43
お前らは何の研究してるの?

490 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:29:31.59
ここは考古を考える場であって現代社会に置き換えて妄想する場じゃないけど?

ほんとに変な毒されたようなのが増えたな

491 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:36:26.14
誰のこと言ってるの?

492 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 18:49:38.44
>>486 足利義栄と足利義昭も似てるな。

493 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:15:17.84
>>479
北条家みたいに賢い一族じゃないからな、豊臣一族はw

元々武家であったわけでもないから家の維持の仕方に関する共通の知恵なんてなかったろうよ。
その道では日本でも最上級の北条家と比べるのはかわいそうですらあるw

494 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:22:31.92
鎌倉北条氏は一門の結束が比較的固かったな。

鎌倉源氏や足利氏や豊臣氏は、
内乱で力弱めて自滅していったイメージ。

495 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:52:52.92
>>494
それは言えてる
豊臣なんて、秀吉が秀次を切腹させ、さらに一族郎党まで全て殺したせいで続かなくなったと言われてるもんな

496 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 19:55:39.80
>>477
権威はあるよ 武力が無いだけで

497 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:04:25.66
>>484
朝廷に権威が無いなら、秀吉が関白を欲するわけがない
我が国において、権威と権力は別のベクトルのものだ

徳川幕府の時代を通して、高家や足利(喜連川)家が幕末まで存続し得ることが出来たのも、
それらの家柄に一つの権威性があったからだろ
徳川家は朝廷や高家のような権威を利用することで権力を固めたわけだ

498 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 22:08:32.32
>>479
当たらずといえども遠からずというか。
戦国武将で天皇担ぎ出したのは織田信長で
なんでかと言うと足利幕府潰した自分を正当化するため。
それと同時に天皇の権威を高めるよう努力してる。
つまり天皇を自分で持ち上げといて、「その天皇から承認された自分は正統な権力」という論法。
逆に言えば織田信長が持ち上げなければ「天皇?なにそれ?」が下剋上でなりあがった当時の田舎大名の限界。

で、秀吉も信長路線継承してるだけ。じゃないと信雄から権力奪い取った自分が正当化できない。

499 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 22:46:36.57
>>498
家康は豊臣家の大老という地位を合法的に誤魔化すために朝廷を利用したな。
これも信長路線の延長だな。

500 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 22:53:08.74
>>482
でも乱が終わったら当の院たちは流罪にしてるし、
乱の最中でももし本当に院が出てきても降伏なんてしてたか疑問だなあ

乱の後も『朝廷』が続いていたように、『朝廷』には権威も必要性もあっただろうけど、
中の院なり宮なりは、例え錦の御旗持ってきたって
そこまで大局を左右できるほどの力はなさそうな気がする
錦の御旗は後でなかったことにしてもらうとか賊軍認定してもらうとかどうとでもできるし

501 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 00:46:25.91
>>498
「天皇?なにそれ?」とな?そんなことはないない。
田舎だろうが上方だろうが朝廷の権威性は確実に諸大名に浸透していた。

当時の戦国大名は、誰しもが京都に上洛して覇を唱えるのが夢だったんだよ。
信長だけではなく、信長の父もそうだった。
今川も、信玄も、上杉も、領土拡大をやってた武将は、みんな上洛を夢見て戦をやってたんだよ。

502 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 01:02:36.82
>>501
上杉や武田が夢見てたのは「将軍家を助けて覇を唱える」だよ。
三好だの松永だのを追っ払って自分が代わりになること。
朝廷ではない。

織田信長は将軍家を追っ払ってしまったから、代わりに朝廷を使ってたわけ。そもそも信長も最初は足利義昭を担いだだろ?

503 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 08:43:58.21
>>498
毛利元就が朝廷への献上金で右馬頭と菊と桐の模様をゲットしたのそれより前だし
なにそれレベルってほど低くはなかったんじゃね

504 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 08:58:58.56
毛利家は大江広元の子孫だしな。
後付けじゃなく、歴とした家系だからその辺の夜盗あがりとはちょっと性格が違う。

505 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 09:06:37.09
>>498
田舎大名にとっては最低限の権威はまだあった
だが京の住民には舐められてた

506 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 10:33:56.39
>>498
なにそれ?だったら、後奈良天皇の即位式にわざわざ守護大名が献金してくることはなかっただろうし、
そもそも権威が全くないなら、猟官運動をして官職をゲットしたり、ましてや自称なんて意味のないことする奴なんかいなかっただろう
まぁ幕府が健在で官職の任命権持ってる内は割と存在が軽かったし、幕府の代わりになるかっつーとそんなでもなかったが

507 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 11:51:17.76
大喪の礼も即位式もままならないほど皇室財政が逼迫していたのは聞いたことあるな
近所の餅屋から餅恵んでもらって餓えをしのいだとか信長が京都を制圧するまでは
皇室、朝廷、公家は貧乏の極みだった。

売位で一生懸命献金を呼びかけても彼らを食わせるほどの献金は無かったって事だよ。

508 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:10:15.69
禁裏御料が信長秀吉時代で7000石、家康時代で1万石だからね。
江戸中期以降でやっと3万石。
子飼いの武将に50万石とかすぐにくれてやるのに朝廷にはこの程度しか与えない。

武家にとって天皇とは所詮この程度の存在。

509 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:36:52.62
公家個人で貰ってる所領は、
摂関家が5000石ぐらいだっけか。

よくわからないが、
禁裏御料3万石と公家たちの総石高を合わせた収入が、
一応は朝廷の規模か。


かつてのライバル?
足利(喜連川・家臣含め総石高7000石ぐらい)には収入で圧勝だろう。

510 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:43:23.33
禁裏御料     三万石
仙洞御料     一万石
四つの宮家 合計 四万石
公家    合計 三万石

らしいな。

ということは、
朝廷は実力十一万石か。

朝廷は儀式に費用かかるから大変だが、
都会の京都で十一万石だから弱くはない。

511 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:46:08.41
樺太で100万石より嬉しい!^o^

512 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:46:44.61
>>509
摂関家は
近衛の3000が最高で鷹司の1500石が最低

513 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:48:17.58
>>510
宮家も最高で3000石だよ
4つ合わせても1万石くらい

514 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:51:01.92
蒲生氏郷あたりならば、
京都3万石に転封と言われたら喜ぶかもしれないw

515 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:59:48.08
朝廷領の場合、幕府で知行代行して税金入ってくるだけだから知行経費いらないしね
公家にかかる経費は家の中のことだけだろ?

516 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 15:23:04.47
>>502
そういう意見そのものより、どうしてそういう意見を主張するのか、そっちの方が問題

反天皇なの?

517 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:33:46.32
>>498
かと言って、信長が天下統一したら
天皇も臣下にされそうで困る。
秀吉と違って、
他大名との連立じゃないからね

518 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:55:50.74
>>517
それはない
信長は無神論者であるかのように言われてた時期もあったが、実際には熱心な神道の信徒だし

519 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:56:18.23
>>517
信長が天皇を臣下にしそうにしていたなんて妄想に過ぎない

信長は本能寺の変の前日も公家たちを接待して茶会をやってたし
美意識の高い信長は芸術に憧憬の深い天皇も公家も大好きだったよ

520 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:57:34.63
信長は安土城の最上階に天主(天守ではなく)を作って、そこへ天皇陛下を下向させるつもりでいた
神道にも異常に熱心だったようだし、天皇を神として祭り上げるつもりだったと思われる
信長の死がなければ300年早い明治維新を達成できていた可能性すらある

本能寺の変で立ち消えたが、安土城の地下には仏像を設置する予定だった
これは仏より自分の方が偉いということを誇示するためである
天皇が下向する座を信長の座より上に置き、仏像を下に置く
つまり信長の信仰の理論は、仏教→自分(信長)→神道 という順位だったのだろう

ちなみに信長は安土城の城下に、自分を神格化した神社も作っている

521 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:06:03.37
信長は開明的で先進的だったから、生きていたら維新のようなレジームチェンジはありうるな

当時の信長の格好がおもしろいw
ソンブレロを被り、赤いマントに刺繍入りのズボン、皮のブーツなんて格好で行列の先頭に立っていたこともあるようだ

522 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:06:04.13
>>520
あの時代神様になるのが流行っていたのかねぇ
秀吉だって、大明神だし
家康だってアズマテラスダイゴンゲンだからな
もし西軍が勝っていたら、たとえ石田三成と毛利が激突して、
西軍政権が20年後くらいに潰れていたとしても、
秀吉の大明神信仰は、東照宮よりも広がっていたのでないかなぁ

523 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:14:43.58
>>520
天皇の安土行幸なんてどこにも一次史料が残ってないんでしょ

安土城の本丸御殿が清涼殿に似ていると言い出した人が勝手に言ってるだけ
そら当時の清涼殿だって信長が寄進しているのだしね
当時の建物は皆似ているよ
もっと具体的な証拠を上げてほしいわけ

524 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:16:32.91
家康は、生前に朝廷に奏上して、死後に自分を神格化させてる。
秀吉も神格化させたのは自分の死後だよ。
人は皆、死ねば仏様だから、当時の感覚としては別におかしくはない。
領主の死を惜しんで、領民達が勝手に祀る場合もある。
清正は、死後に領民達が神として祀った。

信長は生きてる時に、自分で神社を作ったので珍しいw

525 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:18:21.40
>>520
天主は信長の私邸
最上階は黄金の部屋、瓦に怪人面を貼りつけた奇抜なデザイン

526 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:19:01.18
>>523
信長が熱心な神道の信徒だったっていう説明では不十分?

俺はいつも思うんだけど、意見そのものより、
どうしてそういう意見を主張するのか、そっちの方が問題に思う

527 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:19:07.39
>>524
信長が造った神社って何?

528 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:24:14.16
>>518
神道信仰者=天皇崇拝、ではない

529 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:28:56.90
>>528
皇室には仏教徒もいたから、完全にイコールではないけど、密接に関わってるのは事実だよ

530 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:30:33.23
天皇の話から宗教の話になったなw

治世には牧民的に使える宗教が必要だったとみな考えてるのかな?
徳川幕府は儒学を秩序維持に利用したが、仏教や神道はどういう位置付だったんだろ?

三成方が勝っていた場合、宗教はどういう形で残ったり迫害の対象になったんだろ?

531 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:30:54.28
皇国史観だなんだのと、皇室を否定的に見るような連中が、戦後の日本史研究を歪めてきた
もうそういうのは、うんざりだな
日本の歴史とは皇室を中心とした歴史なんだよ

532 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:35:59.67
>>530
誰が天下人となろうとも、キリシタン弾圧は行われただろうな

533 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:39:09.08
信長が生きてたら、家康も利用価値がなくなった時点で、さっさと滅ぼしてただろうし
西軍VS東軍みたいな戦いもなかっただろうな

534 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:44:13.61
>>530
逆にその儒学的な価値観を強めたことによって、徳川は滅んだとも言えるな
そりゃそうだよな 将軍の上には天皇陛下がいらっしゃるんだから
水戸学なんてのも、研究を進めれば進めるほど、皇室の存在が無視できなくなる

535 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 18:55:27.18
>>533
だから、天皇をそのまま崇拝したか極めて怪しいよね
なんせ、自分が来るまで京童にも完全に舐められていた存在だし

536 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:09:42.07
お前らが言ってる儒学ってなんだあれ?
儒学は学問としてはとりいれたが儒教なんて日本は
取り入れてはいないぞ
しかも武家限定のものだってのお前らは分かっているのか?
ほんと希望だか妄想だか願望だか知らないがいい加減にしておけよw

537 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:14:44.70
>>536
徳川は儒学的な君臣関係を強めた その程度の意味
べつにシナのような本格的な儒教社会になったと言っているわけではない
あまりムキになるな

538 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:18:21.23
むしろ仏教を介して儒教と道教を取り入れたみたいやね

539 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:22:34.12
やはり歴史ってのは人を見るのが一番楽しいな
戦国武将しかり、歴代天皇しかり

540 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:25:45.81
だから儒教なんてのは取り入れる気はないからよ
ほんと企業関係はそういうのがお望みみたいだけどな
舐め切ってんなあほんとによ、武士道だなんだ変な妄想
に取り憑かれたジジイはいるしな

541 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:27:58.98
>>540
日本語で頼む

542 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:30:57.93
武士道ってのはあれは江戸時代の武家の儀礼慣習のことだぞ
なんで日本人のイメージがそれになってるんだお前らはよ?

543 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:31:34.09
>>535
それはお前が、人を見る時に画一的な見方しかできないことに原因があるんじゃないか?
いかに信長が諸大名に対して、鬼神の如く、情け容赦ない男であったとしても、
万事に置いて、そのような姿勢で接したわけではない。

544 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 19:33:42.27
ちゃんと日本語で話してるだろうがよw
お前が分からないのは心当たりがない事柄だからだよ
やたら主張してるチンク韓虫なら分かる話だあなw

545 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:09:04.06
キリスト教か儒教なら儒教選ぶかなあ。

546 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:13:22.61
今の大河ドラマと去年の大河ドラマは、
キリスト教マンセーしすぎてる面がキモい。

儒教も、もはや宗教というよりも権力者の秩序のための形式張った暗い面が多い。


日本が神道と仏教や自然信仰などの多神教の国で良かったよ。
狭量な一神教は日本の風習に合わない。

547 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 20:24:34.72
>>546
そうそう 儒教ってのは統治学だね

548 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 00:02:14.58
>>516
歴史を語るのに尊皇とか反天皇とか思想を挟むことがおかしいと思うが。>>507が真実でしょ。そんなに天皇が好きなら自分の領地につれてきて10万石くらいの御料くれてやればいいのに、
それをやった大名はいないわけだ。
足利将軍を引き取って上洛しようとした人はいたけどね。

549 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 00:13:43.95
>>539
奈良時代と平安時代の天皇上皇は確かにおもしろいが、その後はおもしろいか?

550 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 00:33:37.04
幕末の尊皇思想の隆盛は水戸光圀が始めて連綿と続いた水戸学とか、
本居宣長や平田篤胤による国学の発展とか、
なにより識字率の向上による読書階級の増大とか
江戸時代前期から続く長い過程があるのに、
それらを全て無視して最初に尊皇思想ありきみたいな歴史観だしてる奴って馬鹿じゃないの?

551 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 00:57:55.05
王朝が交代してしまう中国の皇帝と違い、
権力を持たず権威が弱体化した時代を経ても、
日本の朝廷は細く長く長年続いてきている。

この事実を見ても、
潜在的に日本人から好かれていると見て良い。

552 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 01:18:55.89
>>548
その歴史を語ってるお前が、尊皇とか反天皇とか言ってるじゃんw

553 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 01:39:42.75
まぁた反日のクソ野郎が湧いてんのか
皇室は古代から日本の象徴だろ どうしてそれを軽視しようとすんだ?

尊皇思想が江戸を通じてどうたらとか言ってる奴がいるが、
だいたい、言葉がなければ概念もないと考えるのは間違いだぞ
父親という言葉なくても、父親は必ずいるだろ

尊皇的な考えは水戸学で急に始まったわけでなくて、その前から素地があったということだ

554 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 06:25:21.93
知識層だけが概念持ってる状態と、庶民が共有してる状態とは違うだろ。
尊皇思想は末端まで刷り込まれなきゃ利き目ないよ。

555 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 06:57:08.92
>>554
それはお前が、インテリ志向すぎて、学術的な体系や形式にこだあるあまり、
水戸学から連なる厳密な意味での尊皇思想と、もっと漠然とした尊皇的な感覚を一緒にしか見れないからだよ。

御所の前で「ありがたや ありがたや」と手を合わせて拝む庶民は尊皇的とは言えないのか?
俺が言いたいのは、時代を問わず、日本の中心であった皇室を敬う人々が支配層に限らず沢山いたということだ。
だいたい、武士も農民も一緒くただったような時代に、支配層と庶民の間にそれほど大きな学問的なレベルの差なんてない。
特に鎌倉時代以前は、明確な知識階級なんてほんの一握りの人間だろう。

お前も、神社に参拝したり、寺に参ったことあるだろう?その時に神聖な気持ちになったこともあるだろう。
それを初めて感じた時のお前は、宗教の体系などを理解できるほど熟成された知識があったか?

556 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 07:51:52.26
>>555
庶民は他の大名や将軍も同じように拝んでたんでは

557 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:18:50.26
むりやりたとえると
天皇は神社機関の要職。日本の神道の日本人代表。
神代からの八百万の神々を祭祀する御役目もある。

宗教違うが、立場は、
ヨーロッパでいう教皇に近い。

将軍は軍事政権の代表。大名は地方軍政の代表。
ヨーロッパでいう各国の王に近い。

庶民から拝むのニュアンスが違う。

558 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:20:42.15
大名行列を避けるのは法だから。一部の名君以外は有難がられてたかなぁ?
そういう意味では、天皇が浮世の実権から遠ざかって、神や仏みたいな精神的な何か的なものまで権力的な意味では零落してたとも言える

559 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 09:57:29.48
まあ、天皇は浮世の実権から遠ざかって精神的な崇拝対象の立場になったから、王朝が長続きしているとも言える。

中華王朝やヨーロッパの王朝よりも、王朝期間は最長寿。

スレの趣旨に沿った発言もすれば、豊臣家は天皇家を見習うべきだった。
浮世の実権から遠ざかっても崇拝対象になれるような・・・・・・・・

560 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:13:33.62
東京奠都の詔なんか読む限りは将軍より偉い天皇陛下の事は東国人知らんやろ?って意識がありありと伝わってくる
水戸学とか平田の評価はそれに対する東国人の反論としてのもので、尊皇思想が醸成されたのは水戸学からというのは言い過ぎだろう

561 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 13:08:12.97
本来天皇家とは縁も所縁もない神社が多数あると言うのに
時の権力者にとって利用価値が有ったから残っただけ

562 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 13:47:21.63
本居宣長の祖が北畠氏に仕えていたので、

もう伊勢北畠氏か浪岡北畠氏が天下統一してれば、
このスレが天皇・反天皇の不毛な争いにならなかった。

563 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 14:31:06.98
>>558
そこらへんの認識はどうかわからん
ただ、中国の皇帝(溥儀とか)やフランスの王(ルイ16世)は
民衆からは神のように扱われていたな。

564 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:14:40.14
左右に関わらず、ウマしかは現在の政治思想や価値観で何百年も昔の事を解き明かせると思っている。
故にウマしかと呼ばれる。
「大楠公は忠義のお方」とか、もう勘弁して下さい。

565 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:26:38.20
>>564
人間の考えることは何百年経っても変わらない部分があるからねぇ

566 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:35:10.97
>>565
そう思っている事が案外、100年前に政府が意図的に作った事だったりするんだよ。

567 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:37:17.03
関ヶ原から脱線しすぎだろw

568 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 15:58:58.06
>>556
大名には、ヘヘェーと、土下座して頭を地にすりつけることはあっても、拝みはしないだろw

569 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:03:09.25
>>564
「大楠公は忠義のお方」に反発するのも、現在の価値観、とりわけ戦後左翼的な価値観なんだけどな
皇国史観だなんだのと、歴史をねじまげるのは勘弁してもらいたいものだ

570 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:31:21.44
東西分裂となった場合海外勢力の動きが怖いな。
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス各国が虎視眈々と
日本を植民地化しようと動いていた訳だし

東西分裂となったらそれぞれに自国の武器を売り、内戦状態になった
所を一気に列強諸国が掠め取る事態もありえたかもしれない。

571 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:34:12.46
>>569
反発はしないけど「アホなネトウヨやな〜」とは思う。

572 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:45:31.69
>>571
はいはい、朝鮮人乙

573 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:56:27.76
半島人って近頃は嫌儲だけじゃなくてどこにでもいるんだな

574 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 17:44:07.93
>>570
禁教令で日本を植民地化から救った太閤殿下は英雄。

唐入りは失敗してしまったが、
ヨーロッパの植民地化は防げた。

575 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 17:44:36.70
尊皇なんてのはいつの時代にもある考えだ
例えば今の俺も尊皇だ

べつに幕末の勤皇の志士だけの特権ではない

576 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 17:51:39.71
>>574
んだんだ 太閤殿下は英雄だよ
キリシタンの侵略を防ぎ、いくさに勝利することはできなかったが、朝貢をせまる明の圧力をはねつけた
光栄の太閤立志伝で、殿下に興味を持ったおれだが、今ではすっかり殿下のとりこさ
偉大なる太閤殿下を批判するなんて、どこのテョンモメンだよ

577 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 17:58:12.95
俺は戦国時代の武将なら誰でも好きだな
信長も秀吉も家康もみんな好き
甲乙なんてつけられないよ

578 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:02:32.15
>>569
忠義か忠義で無いか知らないが
何よりも現天皇家の敵では。

579 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:04:18.26
ところで太閤さんは何宗なの?
ひいきにした坊さんはいたとは思うのだけど、
家康は浄土宗で、天海が得体の知れない宗派を作って日光東照宮に
祭られることになったけど
もし西軍が関が原で勝ったら、真言に吉田神道が加わって、
これにキリスト教が絡んできて、靖国神社とキリスト教と真言が
書け合わさった、○○大明神が各地に作られることになったのかなぁ

580 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:08:35.54
正成自身は北朝との和睦を進言していたが、武家のたわ言と扱われた

581 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:10:37.43
>>578
歴史と現実を分けて考えろよ。
南北朝時代の物語において、心情的には南朝。
しかし皇統の支持は北朝。なぜなら今上天皇が北朝の系統であらせられるから。
それでいいだろ。

582 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:13:37.44
>>581
徳川家が江戸城に石田三成の像を置くようなもんだな

583 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:15:21.07
ついに南北朝時代まで話題に・・

石田三成は西陣南帝の末裔を探してきて象徴として挙兵すればよかった。
西軍勝利の関ヶ原合戦後は石田の守護国を合わせると六分一殿に。

584 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:19:39.00
でも考えようによってはややこしいよな
反日サヨクは南朝や楠木正成を応援すると皇国史観だと決めつけて批判的な目で見る人が多いけど
昭和天皇や今上天皇は北朝の血統だから南朝を応援するのは反皇室的な考えとも取れる

結局、南朝が評価されているのは南北朝どちらが正統という問題はあまり関係なくて
楠木正成をはじめとした南朝の武士の生き方が侍の鏡のように思われたんだろう
侍とは「仕える者」を意味する 私心にとらわれず侍の生き方をを貫いたところが評価された

585 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:23:33.66
話を南北じゃなく東西に戻そうぜ

586 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:36:57.33
そういえば遭難して家康に命を救われたオランダ人の船の武器が
関ヶ原の戦いでも使われたようだけど

587 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:43:41.00
勘違いしてるようだけど、南北朝どちらが正統か?という問題は、
南北朝に別れていた当時の、二通りある系譜のどちらを正統とするか?という問題で、
現在の皇統が北朝であろうが南朝であろうが関係ない。

588 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 19:16:58.45
>>584 正成だけが有名で、全九州を平定した 菊池武光がそんなに有名になって
ないのもおかしなもんだ。

589 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:25:36.48
>>559
だが中世以降の天皇の地位も、
奈良時代平安時代の絶対君主としての天皇の遺産みたいなもんだし。
さらに、信長が来るまでは天皇も京人から完全に舐められていた。

590 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:48:23.87
>>589
そういう意見よりも、どうしてそういう意見を主張するのか、そっちの方が気になるわ
戦後左翼思想に脳を侵されすぎてるんじゃないのか?

591 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:49:15.53
>>556
そういや本願寺の門主が入った風呂の水を飲もうとしてた田舎ババアがいたって話を司馬がかいてたな。
とりあえず立派な格好してれば田舎者は拝むんじゃないか?

592 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:55:00.24
>>590
君は竹田某の思想に毒されてるのでは?

要するに史上天皇を担いで天下を狙ったのは長州藩のみ。
これが現実。

593 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:55:53.72
なんだかんだ言って、尊皇と反天皇の争いになってるな

594 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:56:38.47
>>592
そういう意見よりも、どうしてそういう意見を主張したがるのか、そっちの方が気になるわ

595 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:59:12.51
信長は、「天皇の家の屋根に石を載せるな」とか
「じろじろ覗き込んむな」とか言ってた

596 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:59:47.48
>>592
ウソつけw

597 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:02:46.23
朝鮮人にとってみりゃ、日本の偉い人物は叩く対象でしかないんだよ
秀吉だろうが信長だろうが天皇だろうが、奴らから見れば憎むべき日帝の支配者である

598 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:03:41.43
近代史しか興味なさそうな薄っぺらい発言だなww

599 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:07:01.17
とりあえず朝鮮人が竹田氏に反感を持っていることはよく分かった

600 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:10:52.00
そりゃ千年の恨みとか言ってるからな

601 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:13:03.22
もし関ヶ原で西軍が勝ったら?
朝鮮征伐が再開されたって可能性はある?

602 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:18:01.18
尊皇なんてのはいつの時代にもある考えで、とりわけて珍しい考えでもない
例えば今の俺も尊皇だ

尊皇はべつに幕末の勤皇の志士だけの特権ではない

603 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:23:45.89
>>601
朝鮮出兵で、
黒田官兵衛は南朝鮮地域までの防衛線ならば維持できると考えていたそうな。

任那日本府を復興させて、長官に豊臣家から誰かを任官してれば良かった。

604 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:25:38.23
日本史の議論で朝鮮人が混じると自虐的な方向へ引っ張られるのがイヤなんだよな
こういう話題って皇室、官職、武将、合戦などが好きな人が多いはずなんだけど、
彼らが混じるとそれらが嘲笑気味にコキおろされる方向へ進むことが多い

605 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:30:51.96
>>604
かつ江さんとかもな

606 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:37:22.79
>>603
同感だな。
早めに府なり探題なりを設置して、田畑の開発や統治を強めていけば、切り取った領土を維持できた。
当時の明兵は装備も戦闘も弱かったから、南朝鮮程度の支配領域なら楽に維持できただろう。

607 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:48:08.08
>>601
西軍が関が原で勝って秀頼やその息子の国松の時代までもっていたら、
鄭成功の時代に大陸に介入していたと思う。
あのときだと海を渡るのはそんなに難しくないだろうからな

608 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:58:21.89
これは当時の明側の記録にも残っていることだが、
当時の日本軍が大量の銃を持って行ったにも関わらず、
明兵が一番恐れていたのが日本刀だったというのがおもしろいよな。
熟練した日本兵は、首や胴体を一刀で切断するらしい。

609 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 23:04:06.07
豊臣とヌルハチの抗争も面白そうだな
鉄砲主力の日本と騎馬主力の金
どっちが勝つかな

610 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 23:10:15.54
中国の刀は鋳鉄だからな
鍛鉄の日本刀なら中国刀も切れたんじやないか

611 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 23:11:29.53
地形次第

612 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 00:38:14.99
西軍勝利で西日本エリアの豊臣と深い大名達が主導権を握った場合はもっと貿易に力が入った国になっていたかもな。

>>604
好き嫌いでは無く、物事を客観的に見れる能力って社会人としてかなり重要なんだけどご存知っすか?

613 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:03:34.25
>>612
ネトウヨは仕事してないから社会人じゃないよ

614 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:16:42.96
>>612
要するにお前は日本の歴史的な人物達を嘲笑気味にコキおろしたいわけなの?
結局、歴史というものは書物の記録や考古学的な事実があったとしても、
それを通して見る歴史は、その人の立場や主観によって大きく変わってくる
日本の歴史上の人物をコキおろしてばかりいる連中が歴史を客観的に見ているなんてとても思えないけどな

615 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:21:05.11
>>612
嫌いだから秀吉や天皇を叩いてる朝鮮人はスルーですか

616 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:42:34.19
>>612
考え方が古いよ。
歴史学とは、現存している情報を主観的に見て、意見を述べることであって、
見る人の主観は絶対に入るわけだから、客観的に見るってのはありえないな。

おまえが客観的な歴史学を信奉しているのなら、それはそれでいいが、
それならもっとロボットみたいな淡々とした意見を書けよ。
「もっと貿易に力が入った国になっていたかもな。」なんて、お前の主観が入りすぎだろ。

617 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:46:14.09
朝鮮人がネトウヨネトウヨと連呼するのも客観性を欠く行為だな

618 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:51:37.83
西軍が負けたのは豊臣家恩顧の大名の多くが東軍についたのも原因だと思うけど、なんで東軍についたの?

619 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:59:33.78
ネトウヨを相手にしないのがチョン、常にチョンの幻覚ばかり見えてるのがネトウヨ
都合よく捏造するのがチョン、都合よく在日認定するのがネトウヨ
日本から出て行かないのがチョン、実家から出て行けないのがネトウヨ

620 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:01:40.91
>>619
もういいよ 日本人のフリしなくても
ネトウヨっていう朝鮮人用語を浸透させたいのは分かるけど

621 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:04:50.19
なんで朝鮮人って自分のことを「チョン」と差別用語で呼称するんだろw
日本人に差別されてます〜みたいな演出をしたいのかね
嫌儲で得たテクニックか

622 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:07:20.38
テョンモメンww

623 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:17:07.21
コンプで日本叩きをするのがチョン、コンプを紛らわすために在日叩きをするのがネトウヨ
うんこが大好きなのがチョン、存在自体がうんこなのがネトウヨ
火病なのがチョン、糖質なのがネトウヨ

624 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:22:40.01
朝鮮人は議論に行き詰ると、荒らすことしか能がない

625 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:23:03.83
>>602
別にいいんじゃないすか?
あなたがどんな思想持ってようが、それは自由だ。

626 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:23:53.80
>>625
どうした?いきなり

627 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:25:38.80
パニック起こすなって事だよ尊皇の志士様

628 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:25:50.55
>>618
なんでって、「家康なら安心」と思ったからだよ。
後世から見ればぜんぜん安心じゃないんだが、1600年の時点では篤実で公正で律儀と思われてた。

629 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:28:30.40
>>616
学問てのは客観的に見るから学問なんじゃないか??

630 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:34:57.76
>>606
まあ、そうできない理由もあったんだよ。
清正とか戦闘的な連中が功を焦ってたからな。
文治派は「とりあえず占領地域の守りを固めて内政」といってたはずだが、
この文治派と武断派の争いが関が原に繋がっていったわけでね。

631 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:37:01.16
>>629
学問?何の学問のことを言ってるのか知らんが、昆虫学とかなら客観的に見ていいんじゃね。
写真を取ったり、サイズを測ったりして取った記録は、誰がどう見ても客観的だよな。

ただ、歴史はどうしても、書いた人間と、それを評する人間の主観が入るからな。

632 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:40:30.27
好き嫌いだけで語るのは学問じゃなくて、ただの感想

633 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:43:22.92
>>632
意見が極端なんだよ そのお前の意見自体が既に客観性を欠いてる

634 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:45:48.14
>>631
だから書いた奴の主観を排して考察するのが歴史学だろ?
その考察に私感が入ってるようなのは価値が低い。

おまえ、大学出てるのか?
小学生の読書感想文じゃねえんだぞw

635 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:49:32.20
>>634
だからお前の考え方は古いんだよ。いつの時代の歴史学だよ。
どうやって主観を廃するんだ?主観を廃するのもまた主観だろう。
歴史を見るのが人である以上、主観を廃せるわけがない。
お前みたいな既成の概念に捉われて旧態依然とした価値観から抜け出せない輩が大勢いるから、
戦後の歴史学は進歩がないんだよ。

636 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:49:43.49
どうみても高卒でしょうw

637 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:51:49.47
低学歴は書き込むなよ。
スレの無駄使い。

638 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:52:22.38
主観を排してといっても、朝鮮人やサヨク系学者は都合のいいときは主観を押しつけまくって
都合の悪い時は客観視を主張して、批判的な意見を取り除こうとするからなぁ

639 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:53:48.60
現代のインテリ気取りの人間は、富貴を欲しいままにしてた貴族よりタチが悪い

640 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:56:28.96
歴史を客観的に見ようという姿勢は大事だけれど、歴史の議論はどこまで言っても双方の主観を排することはできないよ
だいたいこういうスレは半分は趣味のスレだよな
学会じゃないんだから、なにゆえ主観を排する必要があるのか

641 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:03:28.06
曲がりなりにも学問板だろ、ここ?

642 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:04:11.77
日本は言論の自由があるよな?

643 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:06:27.26
>>634
ガリ勉君に、こういう人が多い
歴史を自然科学や数学と同じように考える

644 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:08:29.22
>>641
学問板だからどうした
学会で論文でも発表するような形でやれってのか?

645 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:12:52.24
>>644
少なくともゼミの発表とか卒論は主観だけでは駄目だ
大卒ならわかるだろ?

646 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:13:32.29
前田さんがそろばんはじきながらつまらなさそうにしています。

ええねん、ええねんむつかしいはなしは。
肝心なんは勝ち馬見つけたら必死でしがみつくことやねん。
嫁はんもそこのところ心得た人で一か八かの掛けに怯まんおなごがエエ。

俺?
学問や戦や政治は分からんよ。
ただくらいつくだけや。
あっ、向こうに内府さんがおるわ。
ちょっと行ってくる!

647 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:20:28.09
>>645
そうは言っても、歴史に主観は絶対入るからな
主観が入ってるかどうか判断する人間にも主観はある
今の教育現場ってのは、要は、繰り返し教えられてきたようなサヨク的な意見が書かれてあれば、
主観が入っていないと判断されるだけのこと
主観を完全に排そうと思えば、年代と起こった出来事しか書けないはずなんだがな

648 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:28:43.21
>>647
だよなぁ。特に日本の歴史なんて歌詠み一つでも様々な意見が出てくる。
結局は時代背景や他との繋がりを考えながらそれを書いた人の心を読む作業になる。
エスパーじゃあるまいし、超能力でもない限り、それを仮定するのは自分の主観ということになる。

649 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:41:51.11
だから結局、歴史学において主観を排すというのは
先人の歴史学研究者が決めたことを鵜呑みにするということだよ。
余計な考えを持つな、と。
今の日本はアメリカの決めた自虐史観が主流だから、お偉いさんから見れば別な考えは邪魔なんだろ。
教科書通りの答えが書いてあればそれが正解。

650 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 03:44:31.70
客観性がどうとか大学卒業すりゃ関係ないだろ
なんでそんな歴史哲学みたいな話になるんだ?

651 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 07:04:06.94
ある歴史的事実の評価が人によって異なるのは当たり前
主観だ客観だ言ってるのは、相当頭が悪い
その評価の基準が好き嫌いなら、さらに頭が悪い

652 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 07:20:28.95
左翼って基本的にインテリしかなれないからな
右翼は学歴とか関係ないから国粋的になる

ってここのスレタイって何だったっけ?

653 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:04:15.04
>>649
世界史を学ぶのに高校以下で学校教育中の生徒はかわいそうだな。

アメリカや中国や韓国の顔色をうかがう記述や内容な教科書を使い続けなければならないようだ。

変に古代から自虐史観摺りこむ教育させてるより、
国が、資料が揃ってる各地域の大規模図書館で学生を自習させて論文で単位認定したほうがマシじゃないかw

654 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:22:34.42
西は島津・毛利で主導権争い。
東は上杉・伊達・佐竹の三つ巴。
三成では押さえが効かない

655 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:29:38.66
>>652
まあヨーロッパのフーリガンみたいに
街で暴れないからマシじゃね

656 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:55:09.74
石田三成の祖は蘆名一族との説があるようだな。

西軍勝利の場合は、
三浦半島と会津を加増で。

657 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 09:52:11.06
>>656 中央にも、一族が欲しいだろう。

658 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 09:59:46.91
上杉景勝の代わりに石田三成が会津120万石ならば西軍勝てたかも。

(上杉景勝は越後+佐渡+米沢で100万石で)

合戦が始まれば、
なんとなく隣の佐竹の動きが優柔不断で微妙そうだが・・・・・・

小早川を関白職でつったように、水戸の佐竹には副将軍職でつろうww

関越道 東北道 常磐道 を
三道併進して関東に突撃すればきっと勝てるぞw

659 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:18:15.30
>>658
そうすると近畿で乱起こす役がいなくなるぞ。
会津で乱起こしても攻められてどん詰まり。
大和50万石ならなんとか。

660 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:34:13.26
五奉行の増田と石田をポジションチェンジすれば勝てる。

石田が大和20万石ぐらいで太閤蔵入地200万石規模を管理で。

これならば布石で、

近畿で実質的な石田200万石と関東徳川250万石との戦いで、
地合いで良い勝負。

あとは終盤のヨセの力だけだ。

661 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:36:50.68
>>659 大谷では駄目。

662 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:37:04.73
んな専横が許されるなら石田が挙兵する動機が無くなるだろ

663 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 14:04:09.51
石田が200万石持ってたら、関ヶ原のまえに妬まれて攻撃目標にされるだろ。

664 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 14:08:49.91
増田長盛はよく妬まれなかったな。
預かってた領地の収入は150万石は超えてただろうに。

大久保長安とか天下の総代官は妬まれやすそうだが・・・・・・

665 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 18:33:32.18
上杉120万石が存続したとしたら官職は権大納言、
伊達62万石、佐竹54万石は権中納言か。

666 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:28:01.50
そして前田内大臣な。

667 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:36:28.92
前田は家康寄りになっていたから減封だろう。
逆に西軍総大将毛利が加増されて200万石超えで右大臣。

668 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:42:51.46
毛利さんが右大臣ならば、
こ、小早川さんは左大臣以上ですよね?

669 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:47:24.88
>こ、小早川さんは左大臣以上ですよね?

余裕で御家断絶w

670 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 19:57:32.77
ちょwwww

豊臣家を支える一門では最大の軍勢持ってますぞ。
昇進・加増すれば、きっと秀頼君のお役に立ちますぞ!

671 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:02:36.22
大谷刑部直々に手討ちだろ

672 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:03:31.69
木下勝俊 太政大臣

小早川秀秋 左大臣

浅野長政  右大臣

杉原長房  内大臣

福島正則  大納言

北政所さまの機嫌をとりましょう

673 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:05:43.90
宇喜多は?」

674 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:07:54.76
>北政所さまの機嫌をとりましょう
淀が閉門させるので無問題。

675 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 20:42:04.10
>>669
関ヶ原で西軍勝ちということは小早川の裏切りはなしだろw
だから御加増。

福島、黒田、加藤、細川、藤堂の辺りの西に領地のある大名はおとりつぶし。
徳川は生き残って日本を二つに割って対峙続ける。

676 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:20:07.27
徳川はよくて応仁後の山名コースじゃないの
徳川自体の求心力低下と家中の重心が無くなって勢力が四分五分

677 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:21:07.70
北に上杉佐竹がいるのに対峙できるか?

678 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 21:36:27.00
徳川は領地も家臣もまとまってるからな。三河尾張の境で防戦でしょ。
会津上杉は背後に伊達最上がいて出られない。中仙道は上田あたりが全線かな。

とにかく西国の豊臣系東軍を潰すのに忙しくて徳川に攻め込めんだろう。

679 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:18:19.81
西軍が勝てば伊達は減封で力が半減するだろう。

680 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:21:23.73
徳川は減封で250万石
宇喜田は加増で100万石
毛利も加増で200万石
上杉も加増で150万石
前田は減封で50万石
伊達も減封で30万石
佐竹は加増無しで54万石
島津も加増無しで77万石

681 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:28:11.57
島津は琉球含めないから-20万石せなあかんよ

682 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 22:38:43.90
250万じゃ減封にならないから
徳川は家康自害で120万石に減封か

683 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 23:51:35.22
>>675
いや、家康軍三万が壊滅したら
連鎖的に秀忠軍も負ける可能性が高い
そうなると、一気に徳川家の存続自体が危うくなる

684 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:06:23.23
>>678
関ヶ原で東軍負けたら家康は捕らえられるか明智の二の舞だろ
筆頭大老の徳川が負けたら東軍豊臣恩顧は大義名分を無くして終戦
敵中孤立の秀忠軍は兵が離散し降服せざるを得ない
伊達は上杉と戦う気はないし佐竹も動く
家康が運良く関東に戻っても対峙はあり得んよ

685 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:11:05.98
>>683
あの「家康軍」は外様が多かったんだよ。譜代なのは井伊家と本多忠勝に息子の松平忠吉。
つまり、福島とか藤堂とか黒田とか外様が壊滅したら、
家康は本多忠勝に殿戦やらせて退却して、徳川本体を温存すればよろしい。

まあ、井伊家は先鋒だから福島が壊滅するなら一緒に壊滅したかもね。

686 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:16:32.76
関が原で決着が付かずに戦乱が長引けば、毛利あたりが勢力を伸ばし、京を押さえる可能性もあるな

687 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:20:38.07
あと勢力伸ばすのは、黒田の親父な。
あの黒田の親父でさえ一発の会戦で勝負つくと思ってなかったようだしな。

688 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:25:35.29
>>685
家康が率いてる3万は家康の自前の兵だぞ。
当時の家康は7万5000人〜8万人の動員可能だからおよそ半分の戦力だ。
それを失っただけで大打撃だよ。

689 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:30:40.87
>>688
だからその自前は殆んど動いてないでしょ?
最初から外様に戦やらせてヤバかったら逃げるつもりだったのだろうよ。

690 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:32:17.60
>>689
旗本で弱いから迂闊に動かせない

691 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:33:16.52
黒田の野心を知った清正や
石田憎しで関ヶ原静観した島津が
大人しく黒田に付くとは思えないし
瀬戸内の制海権は毛利が押さえている
黒田が中央に影響与えるほど勢力拡大するのは難しくないか?

692 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:40:40.46
つうか、東軍先鋒が壊滅したとしても家康三万をぶち破れる勢力がないじゃん。
西軍はてんでバラバラに動いてるのに西軍が勝つって前提が無理だ。

693 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:41:47.50
>>687
お前の親父みたいな親密な言い方だな
まぁ確かに黒田のおやっさんは間違いなく出てくるだろうな

694 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:43:44.85
東軍先鋒壊滅する状況ならさすがに吉川動くだろ
家康は袋の鼠

695 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:44:47.42
>>693
黒田は息子が関ヶ原にいるから区別しないとw

696 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:51:57.97
>>694
どうだかな。。
吉川は安国寺と関係悪かったから、西軍勝利したら内通ばれて粛清されることは想定できるわけで、
意地でも秀元に弁当食わせ続けてただろう。

安国寺が独断で動いたら秀元はどうしたのか、というのは気になる。

697 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:59:38.63
>>696
多分弁当追加で発注。
西軍のみなさんに差し入れ。


上手いですぞ!
あまりの美味さに戦の際中に戦を忘れてしまいもうしたw
次の合戦ではそれがし共弁当食う前に先駆けにて馳走致す!
何卒、我らに先鋒を!

笑いにして謝って、次の合戦で挽回してお家安堵狙う他ないだろう。

698 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 04:53:42.36
>>692
家康の背後には吉川毛利長宗我部が無傷で居眠りしてたんだが。

699 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 04:58:22.80
そもそも東軍先鋒が壊滅した状態って、秀秋が西軍についたこと前提だろ。
秀秋の軍は1万5000人超える精鋭なわけで、こいつらが加わった西軍は単独で家康の本陣潰すのに十分な戦力だぞ。
家康の本陣は旗本しかいない弱兵で、対して小早川軍は朝鮮で散々戦慣れした精鋭だからな。
家康の本陣が壊滅しそうな状況で吉川も毛利も家康と心中するほどお人よしじゃねえだろ。
手柄横取りされんためにも家康に向かって攻めかかっていくわ。
それが戦国時代の武者ってもんだ。

700 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 07:18:39.52
小早川の兵力は8000

701 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 11:11:24.51
>>699
家康の兵が弱兵かどうかはわからんだろ。
戦ってないんだから。

702 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 11:28:05.51
>>699
毛利には一応池田と浅野が抑えでおいてある。
この辺は戦慣れした連中だし、 東軍が敗北したら真っ先に打ち首なるから
相当働くかと。

後世からみれば関ヶ原は家康の天下取りだが、
当時の人にとっては豊臣政権内の主導権争いという認識だったわけで、
浅野、池田もその中心人物。

703 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 11:45:12.18
>>702
いくら戦慣れしてても東西から挟み撃ち状況じゃできることは知れてるぞ。

704 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 12:30:57.12
池田、浅野の敵は当座の毛利だけだろ?
西には家康の本隊がいるから挟み撃ちはない。

705 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 12:40:33.20
そこで登場するのが三好正解入道

706 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 12:52:25.45
毛利、長曽我部は周辺の小勢合わせて28000人。

池田、浅野等は合わせて14000人。

しかも毛利は山から攻め降りる形だから最初に戦う池田はまずひとたまりもねえぞ。
池田、浅野等は西に追いやられて家康の本陣に逃げ込む形になる。
逃げ込まれた家康本陣にしてみたらいい迷惑の挟み撃ち状況になるよ。
だからメッケルが布陣図見て西軍の勝利と断定したわけで。
余程の力量差がない限りこの布陣で東軍が勝つのは難しい。

707 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:01:43.62
鍋島の一万を長島に置かず無理やりにでも連れてくれば徳川隊に突撃してくれたんじゃない

708 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:09:20.59
毛利と長曽我部が息を合わせられる可能性は低いってか、
長曽我部はもともと参戦不能なくらい陣地遠くなかったか?

709 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:11:16.19
>>707
そういえばそんなとこにも1万転がってたんだなw
東軍も秀忠軍の合流に失敗してるが
西軍も大津に1万5000、丹後に1万5000、そして長島に1万と都合4万5000も戦力を無駄にしてんだよな。
秀忠の場合は仕方ない要素が大きいけど、西軍の場合は総司令官が事実上不在だからこんなバカなことになってんだよな。

710 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:13:56.95
>>708
参戦不能ってことはないよ。
あの辺は実に狭いから地図で多少距離が離れていても実際は割と近い。
毛利が池田陣に襲い掛かって戦いが始まってから動きだしたらちょうどいい具合に戦場に到達できる。

711 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 13:47:11.84
>>709
効率悪すぎる用兵だなww
秀忠軍が間に合ってたら、さらに絶対勝てない。

石田は政治書よりも兵法書を学習すべきでしたな。

712 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 15:19:19.59
なぜ長島に兵を置いたんだろ?
東海道から秀忠が西上してきた場合の足止め?

713 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 15:39:27.35
毛利水軍と九鬼水軍で江戸に直接上陸すれば西軍の勝ちだ!

朝鮮出兵の技術を活かすべきでしたな。

714 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 16:48:21.76
>>712
西軍はあっちこっち落とさんでいい城を落としてた。
落とすことによって烏合の衆に連帯感を与えようと考えてたのかもしれんが、
ツケがでかかったな。

715 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 16:57:25.45
>>712
長島城の福島正頼に対する抑えという事だが、三成が指示してやったなら過剰戦力だし遊兵生んでる失策

716 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:20:20.65
>>714
戦術的勝利の積み上げで優位性を作りたかったのか。
それもバラけた遊軍ではお互いの疑心暗鬼しか生まないだろうにね。
やるなら全軍集めて美味い弁当食って相撲大会でもやった方が盛り上がるだろうし、内通が疑わしいような奴はそういう催しで大抵毒を吐くからあぶり出しも出来ただろうにね。

家康の上杉征伐と正反対の仕切りで烏合の衆にしかできなかった三成では関ヶ原に勝利しても、家中まとめられず第二第三の家康が政権簒奪か。

717 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:28:40.29
史料では南宮山の毛利軍は15000強ぐらいで30000弱もいない

718 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:52:04.48
>>716
地域国家が並立し、
日本人という民族意識が史実より幾らか希薄になりそう。

719 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:25:17.67
250の小藩林立状態より幾つかの領域国家並立の方が行政効率は良さそうだが

720 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:38:24.07
>>716
第二第三の家康どころか、第一の家康仕留められなければ家康復活あるで。
リーダーシップ取れるのが西軍にはいないからな。
秀長が生きてればちょうどよかったのだが。
もっとも秀長がいたら家康も戦起こさんか。

721 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:41:20.63
>>719
足利幕府体制の守護大名は比較的大きな領地を持ってたが、
戦争ばかりしてたよな?

やっぱり日本は中央集権のほうがいいのかも。

722 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:44:43.78
>>719
それがみんな参勤交代してたわけ?

723 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:56:19.70
秀長ってどう優秀だったの?
ドラマや小説では調整役として政権内外で信頼を得てたという感じだけど。
秀吉の肉親でその立場で調整役だからこそ意味があったとかかな?

イマイチどう重要な人なのか分からん(。-_-。)

724 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:58:30.48
>>717
毛利15000、吉川3000、長曾我部6600、安国寺1800、長束1500、足したら27900。

725 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:02:02.51
>>723
一族の少ない秀吉にとって、長年忠実に側に居た実弟ってだけで重要無比だろ。

726 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:04:14.64
確かに西軍が勝っても、必ずしも権力が豊臣家に帰すとは限らないな
毛利もいれば島津もいる
家康の力が弱まれば、伊達も後背の虎と化す

727 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:10:18.98
>>721
守護大名領と豊臣政権下の大名領だと国境の明確性とそれを守ろうとする厳格性が全然違うだろ

728 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:10:23.63
豊臣家の権力の継承は秀吉があの年齢で秀次一族を粛清した段階であり得んからね。
秀吉は秀頼が20歳くらいになるまで、つまりあと20年は生きなくちゃならなかったが、
あの段階で60近いよぼよぼなんだから今なら80歳くらいの病気がちの爺だろw
あと20年の生存なんて不可能な状況だったんだからな。
まあ心身ともの惚けてたんだろうな、あの時点で。

729 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:12:10.92
>>728
意見は肯定するが、トゲのある文章だな
いつもの朝鮮人か?

730 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:14:53.17
>>724
問題はそれが一緒に動くかってことなんだが。

東軍の素晴らしさというのは井伊が抜け駆けしようとして、
気づいた福島が「俺が先鋒の筈だ!」と激怒して突撃開始して
結果的に戦力を分散しないで大軍を宇喜多にぶつけられたあたり。

この辺はさすがに上手いと思う。

731 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:20:31.64
>>727
どうちがう?
国境争いは江戸時代でさえ普通に争乱の種だが。

732 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:22:35.50
>>730
東軍の先鋒が壊滅して西軍が家康の本陣に襲い掛かったら動くよ。
遅れをとったら手柄がなくなるからね。
日和見してる連中は家康が好きだからそうしてんじゃない。
家康が勝つと思ってるから日和見してるだけ。
家康が負けると思ったら自分の利益になる行動をとるだけだ。

733 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:32:19.06
>>732
いやだからそういうことじゃなくて、もっと戦術的な話。
三万を一気にぶち当てれば池田と浅野が一瞬でふっ飛び家康本陣に迫れるけど、
誰も音頭とってないから、偶然が重ならない限り攻撃は分散的だよな?
そういう分散攻撃は家康に逃げる隙を与え、
逃げられたら西軍の勝利条件がなくなる。

734 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:34:13.68
>>731
守護大名だと麾下国人領の総体が守護大名領で、この国人の所属変更で境がコロコロ変わるしその境も曖昧
豊臣政権で一度公儀権力の裁定が入っていて国人領の大部分が解体されている状態での紛争は形態が全然違う

735 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:36:04.75
あと、一万以上の毛利軍を地上に下ろすのに小一時間はかかると思う。
臨機に投入するには時間かかりすぎだろう。

736 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:44:44.64
西軍勝利
加増
毛利 120万石→200万石
宇喜多 57万石→100万石
上杉 120万石→150万石
小西  20万石→52万石

減封・改易
徳川250万石→100万石
前田108万石→50万石
伊達 62万石→30万石
加藤・福島・小早川→改易

佐竹・島津は増減無し

737 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:45:23.12
>>735
小早川軍が山下りるのに小1時間もかかってねえんだからそんなにかからねえよw

738 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 20:57:32.55
小早川の登った山と毛利の山は違うよ。
毛利が南宮山登った時点で「毛利やる気なし」と西軍に動揺走ったのだから。
そもそも秀元の陣地から主戦場見えないし。
一方小早川の松尾山は主戦場の真上だ。

739 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:02:22.48
>>738
主戦場が大変なことになってることの情報くらい見えなくても物見がいれば十分だろ。
そんで慌てて池田や浅野は西に向かうわけで、それを追いかけて後ろから襲うには多少時間が掛かっても十分なんでね。
東軍の先鋒を壊滅させて家康に襲い掛かった西軍を家康といえども鎧袖一触ってわけにはいかない。
激戦の最中に後ろから無傷の3万弱に襲い掛かられたら勝つの無理だよ。

740 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:06:55.49
だから南宮山の麓にいて、その物見やってるのが吉川広家w
弁当お代わりだな。

741 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:07:12.35
8月初旬の佐竹、真田宛の石田書状より伊勢侵攻の毛利軍は1万余(吉川含む)
長宗我部は島津義弘書状より5千
長束は1千 安国寺は兵なし
8月下旬の毛利鍋島長宗我部が主力の安濃津城攻めは3万
鍋島は伊勢に残留したから美濃に進出した軍勢は2万
毛利1万5千長宗我部5千長束1千というのが南宮山方面の西軍の兵力

742 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:18:10.61
>>740
でも広家は秀元から相当せっつかれてたんだぜw
さすがに家康本陣に異変が生じてる状況で弁当おかわりは無理だろうww

743 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:23:09.34
いや、まだ足り申さぬ。
お重追加で5000いってから!

744 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:30:56.70
しかし、関ヶ原でお笑い大賞なら毛利家がダントツで他の追随を許さんよなあww
小早川も一応毛利一族だしww

745 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:47:16.05
金吾に弁当、大坂退城

毛利は関ヶ原のアイドル☆彡

746 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 21:54:46.05
戦況把握できてないのにせっついても意味ないでしょ。
それに毛利秀元は吉川広家にとって主筋だが、
まだ世子なので厳密には主従関係にないし
出自からいえば広家の方が上なので
秀元は強く出れないというのもあっただろう。

747 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 22:06:55.59
元就はあの世で子孫の体たらくを嘆いていたろうなw

ちなみに秀元は元就と容姿がそっくりだったらしいな。

748 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 22:07:07.77
>>718
日本国内での交流が薄くなり、
代わりに
毛利は朝鮮と、立花や鍋島はヨーロッパと
島津は南中国と活発に交流しそう

749 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 22:31:29.51
>>746 というより、小早川秀包はその2人の叔父さんでしょう。

750 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 23:18:36.09
>>749
なぜそこで小早川秀包がでてくるのかわからんが
吉川広家は毛利元就の正妻の子で次男の吉川元春の子、
毛利秀元は庶子で四男の穂井田元清の子。
本来、広家の方が毛利輝元の世子になるべき家柄ということ。

だからこの二人の関係は微妙なわけよ。

751 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 23:20:21.90
家康は短期決戦で終わらせることが重要だな。
ハリボテだと見破られたら小早川も吉川も西軍として戦うだけ。

752 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 23:33:46.31
ハリボテでも良い、生き残れるなら。
まぁるしん、まぁるしんハンバーグ!

753 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 23:34:11.29
西軍勝利後は筆頭大老に毛利を持ってきて、三成は次席に控えて
島津・上杉・佐竹に徳川・前田・伊達を減封した上で平大老にすればある程度落ち着くんじゃないか?

754 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 00:50:07.90
>>750
秀包の母ちゃん、つまり元清の母ちゃんは側室じゃなくて後妻らしいんだよね。
なので、元清も秀包も庶子じゃないわけ。

てことで、広家、と秀元、秀包は嫡出子の系統って意味で同格ってことになる。
秀包は年齢は若いが元就の嫡出子だから一門の中でも格が高い。

なので、この3人の関係は余計にややこしいんだよ。
元清、秀包の母ちゃんは小早川家の出身だけに小早川隆景に近く、秀吉にも近い。
秀吉に冷遇された吉川系と微妙な関係なわけよ。

755 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 01:07:56.13
一門内の序列は余計揉めるわな。
秀頼誕生で豊臣もそれでややこしくなったんだし。
徳川だって3代以降も跡継ぎ争いは常にあって、泥沼化しないように跡継ぎになれる家とそうでない家をハッキリさせたわけだ。

足利義満なんかは守護の力を削ぐのにこの後継者争いの火種をあちこちに振りまいてな。
むつかしいのぅ。

756 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 01:15:15.99
大坂城からは逃げてこそ生き残れる。

例) 毛利輝元 徳川慶喜


豊臣秀頼も熊本に逃げるべきだった。

757 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 01:21:46.37
>>756
冬の陣の後でも秀頼にはまだチャンスあったかもなw
牢人どもを打ち捨てて江戸に下向したらよかったんだよ。

758 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 06:51:26.26
>>754  秀包は年少ゆえ発言権なかったんだね。

759 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 06:54:04.71
>>757
冬の陣まで行ったらもう駄目じゃないの

江戸へ下向しても出家・隠居・どっかの寺で監禁は避けられない

760 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 07:36:17.28
命くらい助かったろ。
一応秀忠の婿だし。
20年くらいたったら捨扶持1万石くらいもらえたかもよ?w

761 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 08:55:14.56
>>760 宇喜多もそうだったね。断ったけど。

762 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:13:18.15
>>754
全然同格じゃないよ。
長幼の区別は武家の鉄則でしょ。家政が乱れる。
毛利元就も四男以下は家来同様に扱ってよろしい、と遺言してる。

母親の実家が権力者、例えば徳川家康の次女で池田輝政の後妻の子とかだとまた扱いが違うけどさ。

763 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:21:08.87
>>755
やり過ぎて嘉吉の乱で殺された足利義教もいたしな。
他家を引っ掻き回すのは足利将軍家の伝統芸だな。

764 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 10:30:22.70
>>762 輝元や秀元にはそうであっても、広家や安国寺恵瓊には物が言える
だろう。広家だって元春の長子じゃない。

765 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 12:00:10.15
だからどういう流れで秀包が出てくるのかと。
関ヶ原にいなかってだろ、この人。

766 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 12:31:50.98
>>764
武家では長子でなくても兄が戦死病死廃嫡で世子にくりあがったら
過去はチャラにして、生まれながら世子だったかのように扱われる。
それがルール。

767 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 13:12:18.48
江戸時代なるまでは長幼の序よりも嫡庶の序が重んじられていなかったか?

768 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 14:16:53.49
江戸時代でも庶嫡は大事だよ。
正妻の子は庶出の兄を差し置いて後継ぎになりやすい。

769 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 15:10:14.37
>>765 毛利軍の割り振りを誰がやったの? 輝元がやるのが真っ当だがそんな
ことないでしょう。石田がやるわけないし。安国寺もやらんでしょう。秀元が
やったとしたら、広家よりは元康とか秀包を選んでるでしょう。ということ
は、毛利軍を動かさないために広家がやったんでしょう。広家はそんなに
毛利家で重きを置かれていたのか?

770 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 15:23:42.20
体重が重かったか、弁当食べ続ける

771 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 15:32:02.58
毛利は図体だけデカイだけのデブかw

筋肉質デブの内府殿を見習いなさいw

772 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 16:26:42.63
毛利は元就と隆景がいなきゃ滅びていたね。

773 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 16:59:35.54
>>763
まぁそうでもしないと強大な守護大名たちを制御できなくなりますしおすし

774 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 18:51:04.02
>>769
>広家はそんなに毛利家で重きを置かれていたのか?

重きを置かれてたでしょ。「両川」のうちの吉川の当主なんだから。

775 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 19:26:37.04
両川のうち小早川は秀秋がついで断絶
吉川は広家の工作裏目に出て宗家からは逆臣扱い、ゲジゲジのように嫌われ
江戸時代も諸侯扱いされず陪臣のまま。

どっちもろくでもない

776 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 19:28:44.40
>>774 世子の秀元も小早川隆景の家臣を引き継いだ秀包もいるんだけど。だいたい、
毛利を切り盛りしてるのが、広家はまあいいとして、安国寺とか福原なのがおかし
い。

777 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 19:34:38.88
いやマジで馬鹿でしょm(_ _)m

778 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 19:43:09.77
また朝鮮人臭いのが沸いてるな

779 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 20:04:26.40
>>776
小早川本家は秀秋にのっとられてますがな。
秀包は秀吉に贔屓にされて久留米に別家立ててるんだけど、
その分毛利とは距離置いてたんじゃないかね?

秀元は調べてみたら関ヶ原の時期は輝元の実子の秀就が生まれてて
元世子というか名代みたいな立場だったから更に微妙なのかも。

780 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 20:09:41.75
>>778
豊臣家が失敗した朝鮮統治は
薩長政府が成し遂げた
初代韓国統監は長州出身

戦国から近代までの長い天下取りレースは
毛利の勝ち

781 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 20:46:22.78
>初代韓国統監は長州出身

自前で統治できるようになれ、という立場で併合には否定的だったというぞ。

782 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 20:47:27.76
>>776
小早川秀包は吉川広家の叔父だけど、吉川広家より6歳年下ってのはOK?

783 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:07:27.87
>>779 隆景の旧臣は秀包が引きついだんじゃないか。桂とか。秀秋家は名前
だけ小早川で毛利の臭いもへちまもない。まあ、輝元には男兄弟がいないし
。吉川家は嫡男が死に三男が後を継ぎ。小早川家は養子だし、それに秀秋だし。
無茶苦茶ですわ。

784 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:14:10.74
秀秋は取り潰しで吉川預かり、毛利は200万石+石見銀山、
上杉も伊達から分捕って150万石+佐渡金山
小西は加藤潰して52万石、宇喜多も福島から分捕って100万石、
島津と佐竹は加増無し。

785 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:41:03.90
秀包は事実上豊臣大名だったんじゃないの?
立花宗茂が大友家臣でなく豊臣傘下の大名だったように。

786 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:46:43.85
>>784
島津は義弘独立させて本家は減封だな
西軍が勝つなら佐竹は江戸を落とす大殊勲あげんじゃね?
南朝の新田みたいな地位についてもおかしくない

787 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:07:07.48
>>785
確かに筑後で旧草野領加増された時にも
輝元も隆景も経由してないし秀吉の直臣扱い

この手の取り立てられ方すると矢鱈に有能扱い受けるけど
本来の主家からしたら堪ったものではないし
素直に受けてたら戦国時代的な見方だと間の抜けた話

788 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:21:34.27
秀康も豊臣の直参大名で秀康自身もそれを誇りに思ってたけど
何事もなく徳川大名になったよな

789 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:35:07.34
御恩を押し売り奉公を強制回収するのが秀吉のやり方だからな
若年者を釣り上げ誉めそやしてエリート意識を植え付ける

790 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:58:24.56
三成が天下を取る可能性はないの?

791 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:00:48.25
上杉はガチでやる気満々だったが、佐竹は臨戦態勢になく風見鶏なので西軍勝利だとしても
加増は無い、三成が失脚すれば減封すらあり得る。

792 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:02:50.68
>>780
中国地方は朝鮮と縁が深いな
大内と宇喜多は朝鮮系だし
島津もだが、都経由だから少し違う

793 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:42:10.05
西軍勝てば慌てて江戸に攻め込むよ佐竹は

794 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:55:19.69
西軍勝てば
遅参を責められるのは秀忠じゃなくて佐竹か

なぜかその後に水戸幕府をつくり将軍就任へw

795 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 00:15:35.78
佐竹は代々関東管領を立ててるから
適当な奴を鎌倉公方に据えて
上杉が関東に独立政権を樹立ってこともあり得る

796 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 00:32:37.19
関東管領は上杉

(自称)関東副将軍を徳川についた里見から剥奪で佐竹

鎌倉公方は結城秀康で上杉佐竹の傀儡予定で

797 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 01:07:47.55
上杉景勝は関東へ転封後、関東菅領職へ

798 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 01:42:22.98
>>788
何事もなくないでしょw
本来二代将軍になってもおかしくない立場と器量なのに
ろくに戦働きしてない弟たちの御三家より家格低いし
子孫は将軍の継承権ないし、はめられて越前家はバラバラにされるし。

799 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 03:09:10.55
徳川家康が市中引き回しですな。石田三成は大阪を都に
して朝鮮出兵、文禄の役、慶長の役を続ける。家康は朝鮮
出兵しなかった=関ヶ原の戦いに明とか ソウル軍を味方
にしてたはず。理由は簡単。采配では秀吉の直属光成のが
上手。家康は三方原の戦もあり信長無しではどうにも
ならない捨て扶持の三河 遠江 駿河 甲斐 信濃 は単なる
今川討伐と長篠合戦の従軍報酬やけんね

800 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 07:26:37.44
>>785 毛利元康は?

801 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:06:10.56
>>798
秀康は家康が種を疑って長らく認知してなかったからでしょ
本来なら次男である秀康を跡取りとして手元に残して
三男の秀忠が秀吉の人質に行くべきだったのに
家康が順番取り変えたんだから

802 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:41:04.36
いろいろ言うけど、毛利は輝元がしっかりしてたらなんの問題もない家だよ。
輝元は元就の嫡男の隆元の嫡男で誰がどう考えてもこれ以上正統な当主はいない。
その輝元が無能だったから一気に毛利がめっちゃくちゃになってるわけでね。

803 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:46:58.29
覇者の三代目でも
お、織田秀信よりはマシだぞ!
長州藩は最後に天下取ったど!!

804 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 09:07:15.27
豊臣は二代目で詰んだわけだしな

805 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 10:01:07.55
秀次を二代目と数えれば、
秀頼は三代目・・・・

806 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 11:50:49.22
>>801
家康が「後継ぎをだれにすべきか?」と聞いたとき、大久保忠隣以外は「秀康」と答えてる。
まあ、関ヶ原絡みでの武功見たらそうなるだろうな。

その秀忠推しの大久保忠隣が失脚して秀忠の時代も全く浮かばれないのは皮肉たが。

807 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 12:07:13.62
でも大久保忠隣って重要なんだよ。
大久保党って三河譜代の中核だから背後には徳川譜代の本流が控えている。
当時の家康の側近って、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、本多正信だろ。
この中で古くからの譜代の家系って本多だけで、正信は本多でも出戻りだから浮いた存在。
家康が秀忠を後継ぎにしたのはまあ当然なんだよね。
家康が後に忠隣を排除したのもその延長上のお話。
大久保党が力持ち過ぎたんで家中のバランスが崩れかけてたんだよね。

808 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 13:17:07.18
東軍が勝ち
大久保氏改易だが
本多正純失脚

大久保氏は
大名復帰したり
天下のご意見番になっとる

西軍が勝ったら
福島氏改易だが
石田三成失脚

後に
天下のご意見番福島正則が
武勇伝を秀頼に語り余生を送ることになるだろう・・

809 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 15:20:14.20
秀頼「正則、その話はもう1000回は聴いたぞ」

正則「殿下!1000回とも話の脚色は変えてあります!」

秀頼「いや、そういうことではなくだな」

正則「だまらっしゃい!それがしが殿下の年頃には唐入りで辛酸を舐め尽くし…」

秀頼「飲むか?伏見の清酒じゃ」

正則「さすが殿下!この正則の心をよくご存じじゃ!」

秀頼「そちは酒が飲みたくなったら顔出すからなw」

正則「ふふふっ、これも徳川を打ち破ったからこそですわいw」

秀頼「全くw」

810 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 17:41:44.03
>>807 忠次没後酒井氏は疎んじられたの?

811 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 18:19:17.37
家次に忠次程の能力がなかったんじゃねえの?
井伊は新参で榊原は陪臣で正信は帰り新参。
ここいらが重用されてるってことは当時の家康は能力本位で登用してたんだろ。
後に左衛門尉家は15万石程で要地を任されてるし、雅樂頭家も優遇されてるから疎んじられたわけじゃないだろう。

812 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 18:45:34.15
酒井左衛門尉家は江戸時代通してぱっとしないんだよな。
譜代の中ではトップの家柄とされてたけど、
格だけで老中は一人しか出てないし、三方領地換えのターゲットにまでされてる。

813 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 18:51:44.03
老中を出してないこと自体は不遇ではないんだよね。
井伊、酒井左衛門、榊原、本多(宗家が一度途絶える前まで)の溜間グループは徳川宗家の客分扱いだったらしい。
なので老中等の役職者を出すのはあまり歓迎できる話ではないらしい。
井伊だけは溜間の代表としてたまに大老になるくらいが標準的な姿。

初期の頃の大老職は老中の中の実力者がつくみたいな感じがあったけど、
安定期の大老職は溜間の代表である井伊しかついてないから名前は同じだけどちょっと違う役職と考えてよさそうだ。

814 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 19:24:30.03
>>813
でも実際役職ついてないと老中若年寄連中に好き勝手やられて転封させられたり
意見が幕政に反映されなかったりするからなあ。
その点は御三家も一緒だけど。

関ヶ原と関係なくなってきたけどさ。

815 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 01:23:22.21
西軍勝利だと上杉と毛利が東西の雄として並立する

816 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 07:05:53.43
>>815 小早川裏切り、毛利 島津 動かず。 宇喜多 石田 小西 大谷 だけで
勝っちゃったら?

817 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 08:04:53.29
>>816
その面子だけで勝ったにしても
吉川らが動かなければ家康に逃げられる
毛利は家康追討に名乗りを上げるが
上杉佐竹もしかしたら伊達も関東に侵攻する
家康を討った奴が主導権を握る

818 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 08:24:20.45
そもそも勝てるわけない

819 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 09:01:45.82
>>817 >>818  家康と松平忠吉と小早川秀秋が流れ弾に当たって死ぬとか。

820 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 09:25:31.32
黒田隊が島左近の分隊を見失って島隊が徳川本陣に横槍いれて家康死亡

821 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 09:26:19.15
設定がどんどん無理になってるw

822 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 09:42:12.40
というか、大谷が 脇坂 小川 朽木 赤座 の4将の裏切りを見抜いて
いたら勝機はあった。

823 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 10:10:01.34
朽木は地味だが室町幕府の時代より陣替えの達人。

細川・三好 → 足利・六角

浅井 → 織田

西軍 → 東軍


これぞ職人芸

小川・赤座とか格が違うのだ

824 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 10:22:26.93
>>789
豊臣大名エリートアカデミーって面白いな。海外にも余り、例が無いんじゃない?

825 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 12:39:00.90
>>813 あの、世渡りの下手さで柳生は。

826 :825:2014/09/11(木) 12:54:54.63
>>823 すいません823でした。

827 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 16:35:44.26
>>825
柳生は世渡り上手いだろ。
たかが剣術使いであそこまで登りつめたんだから。
でも剣なら多分小野忠明の方が強い。

828 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 17:56:09.54
>>827 徳川に仕えて逆転ホームランを打ったようなもの。
石舟斎は戦国時代に、松永久秀に仕えたが、その久秀が織田信長と争って滅亡し、
代わって大和を守護した筒井順慶にも従わず、縁の深い十市遠長と結託した
(多聞院日記)。さらに豊臣秀吉の太閤検地によって隠田の罪で2,000石の所領を
没収されるなど、さんざんだったじゃない。

829 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 18:01:10.00
なんかもう江戸時代上げしかできなくなってんだね

830 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 18:13:49.40
柳生は宗矩だけが上手いんだよ。
息子の十兵衛も酷いもんだし。

831 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 18:33:32.60
>>830  宗矩も柳沢や間部や田沼みたいに加増されなかったからね。

832 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 19:07:05.86
>>831
さすがにその辺と比べては。。

833 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 19:36:04.61
もし西軍が勝ったら、その後の政治の乱れの機に乗じて、伊賀の忍軍が天下をうかがう可能性はないか?

834 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 19:57:59.19
>>832 大岡忠相の処遇がいまいちですね。

835 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 20:12:17.59
>>831
田沼ほどの権勢でも5万石なのに、
柳沢の15万石は江戸時代では破格の待遇

井伊・酒井・堀田・稲葉 に混じって5大老家かw

それにしても
小早川さんは見たら羨ましがるだろうな、稲葉さんの出世ぶりを
幕末は淀城に徳川軍を入場させないという寝返りもしたし
さすが小早川軍の家老だっただけはあるw

836 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 20:34:03.09
脇坂は老中にもなれる家格だったわけだが、幕末はどうだったんだ?

837 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:26:42.83
西軍勝利の場合
大老:毛利・上杉
老中:島津・佐竹・宇喜多・小西・吉川
奉行:石田・大谷・真田・立花・片桐

838 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:32:29.18
ぶっちゃけ,関ヶ原の戦いで西軍が勝つ見込みはあったの?

839 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:43:41.51
>>836 イケメンで頭脳明晰だったため家斉に気にいられ特別に譜代扱いと
なった。同時期に真田幸貫という老中もいたがこちらは松平定信の子である
ゆえ。

840 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:43:55.23
双方が勝てる見込みを見出さないと戦闘なんて発生しようがない

841 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:46:16.39
毛利が大幅加増なんて、
他の西軍大名は納得できるのだろうか。

842 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:48:08.53
>>836 イケメンで頭脳明晰だったため家斉に気にいられ特別に譜代扱いと
なった。同時期に真田幸貫という老中もいたがこちらは松平定信の子である
ゆえ。

843 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:52:41.72
むしろ、大内の末裔を探して名目上の当主にするのはどうか。
朝鮮との関係も修復できるし。

844 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:34:43.94
大内氏を任那日本府王に任官すべきでしたな

845 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:49:42.74
>大内氏を任那日本府王に任官すべきでしたな
大内「お断りします」

846 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:27:32.42
大内氏庶流が牛久藩主1万5千石になってるけど
たとえ朝鮮半島で100万石もらうより
日本で暮らしたほうがいいよなw

847 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:35:11.06
いや、毛利輝元と吉川広家を隠居させ、
大内の末裔を名目上の当主にし
朝鮮との貿易で食っていく

848 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:53:27.39
貿易なんて概念あったのか?

あと半島の儒教概念では貨幣とか等価交換なんて無いだろう
両班なんかが「孔子祭り」「ご先祖祭り」の名目で収奪するだけで
土地農民を守るって概念も無かった

安土桃山期戦国大名武装農民の土地命精神と、
かけ離れすぎ

849 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 00:11:58.26
>>848
あったよ
土地の農地開発を進めていたのは両班だったし

850 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 00:13:46.74
朝鮮は木綿を貨幣の代わりに使っていたのか。

851 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 00:18:07.33
>>847
高麗人参の交易権ならば美味しいかもしれないな
当時の高級品だろうし

ただ
強制隠居させられる毛利と吉川が反乱起こすぞw

852 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 00:19:52.98
北陸も統一したいね。
越前、加賀、能登、越中、飛騨を統一したら
何万石位になるかな

853 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 01:58:57.02
大内支配で朝鮮に導入された水車がウリジナルになっていたな

854 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 07:54:30.36
 赤松も島津も秦氏の裔?

855 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 08:33:15.90
島津は比企の子孫。
赤松は祖先不明。

856 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 08:46:53.47
秦氏→惟宗氏→島津氏

島津初代忠久の母親が比企尼の娘

857 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 09:25:55.78
大内氏は系図上で百済王氏の末裔ということで、
史実で、李氏朝鮮に一部の領土割譲を要求してた時期があったらしい。

大内氏の立場だと、
朝鮮の一部を手に入れて、室町幕府の勘合符を毛利氏から没収して清国とは交易というのがベストか?

858 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 10:11:36.54
>>856
しかし大内と違い、一度公家になってるから
渡来人意識はあるまい

859 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 10:24:41.53
秦氏ってのは渡来人てので結論でたのか?
でこいつらはけっきょく何者なんだよ?

860 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 10:28:38.83
怪しいといえば三菱あたりか?
こいつらが過去に秦氏を名乗ったやつらと関係あるか知らんが
創業は明治だよな〜

861 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 12:14:34.94
>>835
稲葉とか脇坂とか関ヶ原の裏切り者がいつの間にか幕府の老中に潜り込んでるんだよな。
三河以来の連中が怒るはずだw

862 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 12:18:21.56
>>859
秦氏が渡来人と言ったって5世紀とか6世紀だろ?
そもそも弥生人だって渡来系だろが。

863 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 12:22:40.62
>>846
さあどうだか。
豊臣秀吉は「朝鮮と明国を占領した暁には朝鮮を上様に献上して明国を頂きます」と織田信長に言ってるけどな。
織田信長がジョークだと思ってただろうが、本当にやろうとしたからなw

864 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 13:03:37.86
DNA分岐とか言語学分岐でも
バイカル湖周辺から一万数千年前に日本列島移動
稲作は大陸華南から来て半島経由ではない
漁労はインドネシア方面からきて半島経由ではない
仏教文化は大陸へ留学、半島経由ではない

弥生人=渡来人 ⇒ 半島人
どっから出た説なんだろう?

865 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 13:32:26.34
>>863
これで決まりだなw
太閤殿下が唐入り成功したならば
朝鮮王は織田秀信でw

866 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 14:14:23.28
>>862
ヤマト政権の成立の前か後かで違うのかなと。
宇喜多も渡来系

867 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 17:39:02.54
そういえば、明智光秀も渡来人という説もあったなー。

868 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:47:32.53
渡来人?それを言うなら移民か帰化人だろ

渡来人ってのは、縄文期における朝鮮からの大量移民のことだが、
そんなものは無かったことが、DNA研究によってハッキリしている

869 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:49:06.19
いい加減に脱線やめれ。

870 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:50:04.66
渡来人ってのは、政治的な意図を持って朝鮮系学者が作ったタームだからな。
単に外国からやってきた移民という意味ではない。

871 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:32:44.19
明智光秀の帰化人説は信憑性があるの?

872 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:03:13.70
明智一党は源氏土岐家の流れ

帰化人ではっきりした系統は薩摩焼の沈家ぐらいじゃないか

あとは当時の文化先進?気取りの系図デッチ上げ

873 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:33:42.12
長宗我部も秦

874 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:43:08.56
明智光秀は若狭の刀鍛冶の息子。

875 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 22:12:07.79
明智光秀が帰化人とか、どうせイチローとかと同じで
「日本の有名人は全部韓国人ニダ!」ってゆうノリで韓国人が言い始めたウリナラファンタジーでしょ

876 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 22:35:10.88
つうか、今の半島人と1500年前の半島人は人種違うでしょ。
元寇のとき北方の騎馬民族に民族浄化されてんだから。

877 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 23:09:24.41
>>876
言葉はそのままだが

878 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 23:28:18.39
福島らは裏切り者なので斬首、
残りの東軍は浪人になるが、
中国で満州族と戦う。
日本人軍の大将はもちろん家康。
満州族を追い返した後は東軍の武将たちは中国の各地に分封される。

879 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 23:45:58.30
それぞれが地域国家になれば
江戸が異常に肥大することもない
末期の江戸は不潔で病気が流行ったりしてたが
地域国家の首都ならもうちょいコンパクトになる

880 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 00:04:54.61
中国よりも台湾ルソンが面白そうだ
スペインもオランダも本国が大変で
東南アジアで日本と戦う力はないぞ

881 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 00:07:26.28
>>878
関東都督は徳川殿で
朝鮮総督は小早川殿にw

882 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 00:34:18.09
諸所の事情で朝鮮征伐が中断されたのは惜しいな
継続されてたら、占領した朝鮮半島は、そのまま日本の版図に組み入れられて
幕藩体制の一部として機能していただろうな

883 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 01:25:50.44
朝鮮総督は清正か島津が相応しい
彼らが鎮座すれば、平壌あたりに居城と大要塞を構え、城下に大都市を築いて、末永く繁栄していただろう

884 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 03:14:00.58
島津「沖縄出兵の為朝鮮に兵は出せません」

885 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 05:57:25.80
>>884 義弘を独立させればいい。

886 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 11:07:13.82
東軍武将は朝鮮追放の刑でいいよ。
切り取り次第本領安堵みたいなかんじ。

887 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 11:13:14.15
実際九州の武士はそういう感じで唐入りに駆り出されたのが大半だった

888 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 12:01:59.46
福島らが「俺達が寒さと餓えで苦しんでいたころ、
お前らは安全な所から命令を出してた」
石田らは「お前らが不甲斐ないから撤退したんだ」
という感じで起きた対立がそのまま関ヶ原につながったからな

889 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 13:37:43.51
> 義弘を独立させればいい。
島津「ゴダゴダいうならあんたが自分で逝かれればよろしい」

890 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 14:44:33.22
島津三兄弟って仲良かったのかい?

891 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 15:24:20.03
本当はどうか分からんがそう見せるようにそれぞれ頑張った感はある。

892 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 17:22:53.84
>>890 義弘は義久のことを「しかたがない兄者」だと思ってたが、弟の家久とは
よくて甥の豊久を可愛がった。

893 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 18:06:29.19
義弘は義久系から家督奪った簒奪者だろ?

894 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 19:10:53.72
関ヶ原
http://say-move.org/comeplay.php?comeid=608443

895 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 20:17:41.83
>>893 義久には男子がいない。義弘の息子を娘婿に貰った。話は変わりますが、
、義久が途中でへたれなく、秀吉軍を薩摩に引き込み、得意技の釣り野伏せを
噛ましてやればどうだっただろうか? 秀吉軍が朝鮮 明 連合軍のごとく
壊滅していたら歴史は変わっていただろうか?

896 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 20:56:47.51
金吾大納言が誕生しただろうな

897 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 23:15:53.68
島津が勝ちならば、
後北条が常陸、房総を
伊達が会津を確実に維持

徳川殿は関東に入れず

898 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 23:22:29.71
結果的に徳川の関東異封は成功だったのか?
東海地方の大大名のままだったらどうだったんだろ?
三駿遠甲信の五カ国の太守と関東250万の太守だったらどちらが動員兵力上?

武田が甲信駿の3国で120万石と言われているから200万石近く行くと思うんだけど?

899 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 23:51:07.28
どう考えても三河にきまってんだろ馬鹿

しかも武田は120万石ねえし

知恵遅れなんか?

900 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 23:56:56.34
>>899
意味不明、とりあえず自分の日本語改めて読んでみたら?

901 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 00:00:01.10
>>898
毛利でも最大石高150万石、徳川の中部時代で150万石と言われてる。
関東250万石は破格の大加増。
根拠もなく三河の方が上と言って知恵遅れ呼ばわりする>>899みたいな
輩は自らが知恵遅れと告白しているの等しい愚人だと思う。

902 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 00:04:15.21
関東は大平野、中部は面積は広くても山地が多いし関東の方が動員力、石高も上だと思う。

903 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 00:13:46.19
徳川が三河のままなら、婚姻関係・同盟関係でも
後北条が主で、徳川が従だな。

904 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 00:40:13.03
信濃・甲斐・三河・遠江・駿河と中山道と東海道を押さえているから
石高は低くても経済的・政治的には北条より有利じゃないか?

905 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 00:58:52.39
>>895
変わんないよ。
豊臣軍は後から後から湧いてくるんだから、
消耗戦での挙句島津が負ける。

日本対米軍みたいなもの。

906 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 01:09:10.15
>>901
関東は当時は荒地が多かったけど、開拓すれば石高が上昇するポテンシャルは高かっただろうね。
秀吉の腹積もりとしては家康に関東を開拓させてる合間に朝鮮を奪い取って財力つけたところで
圧倒的な武力で家康から開拓済みの関東を奪う予定だったのかもしれんな。

朝鮮出兵が失敗に終わったから散々なことになったけど。

907 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 01:09:35.25
>>899
お前が知恵遅れというか煽ることでしかレス貰えない乞食だろ?
知識も何もない人間の末路の典型的なサンプルを見た気がして、こっちが恥しいわ。

908 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 01:11:43.25
>>906
北条ゆかりの地で統治失敗から国人一揆、改易を狙ってたと思う。
家康が来た後の関東国人ってどうだったん?
肥後とか九州や土佐の国人一揆は有名だけど東国では全く聞かないね。

909 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 01:17:14.18
>>908
国替えで大名が変わるタイミングは徳政一揆的に現地民の放棄あるもんね。
そういわれてみれば関東入りでどうだったのか知らないわ。

910 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 01:51:53.85
北条氏政も本腰入れて上杉三郎景虎を救援していれば、
越後も勢力下に置けただろうに

甲斐駿河の武田勝頼と三河遠江の徳川もいずれは傘下

小田原幕府が完成した

史実を見ると
やはり味噌汁二度かけな戦略しか無かったのかもしれない

911 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:52:35.88
>>905 島津は、朝鮮で6000の軍勢で 12−3万の首級 20万の戦死者
の戦果を上げている。秀吉は死んでいたかもしれないし、命からがら九州から
撤退してたかもしれない。秀吉がうまく逃げおおせたとしてそのあと、どう
なっていたろうか? 信長の金ヶ崎撤退後のような巻き返しはあるのかな?

912 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:58:46.26
>>899が叩かれる理由がよくわからん
徳川的に三河の方がよかったのかは別として
武田が120万石も無かったのは妥当なところじゃないの

913 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 10:45:57.45
甲斐23万石
信濃40万石
上野25万石
駿河15万石
遠江12万石
美濃5万石

信玄の最盛期なら120万石くらいあるでしょ。
まあ信濃は一部上杉領だし、上野の支配の流動的なので、固いのは100万石くらいだろうけど。

914 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:15:04.65
>>913
駿河遠江は実際もっとありそうだな。

915 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:27:04.63
太閤検地で駿河15万石遠江25万石。
元亀4年侵攻前の武田の遠江支配領域は半分もない

916 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:35:42.21
>>913 >>914 >>915  甲斐が多いような?

917 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:39:48.73
武田は石高制前に滅んだのだから貫高の方が実態的
石高は政治的な恣意性が多分に介在するから絶対指標とするとのは気が引けるわ

918 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 14:23:08.53
甲斐は金山あったし

919 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 15:28:04.98
>>918 じゃ 上杉領も相当あるね?

920 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:30:14.50
佐渡金山は江戸時代になってから開発

謙信時代は、佐渡は本間一族支配

921 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:34:42.48
チェックシャツ+ジーパン+バンダナ+頭陀袋の姿で
博物館に戦国時代の金品質を調べたいから開けてくれ
っ押しかけるなヨ

922 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:37:59.06
918
甲斐の金山を掘り尽くしたから飛騨の江間一族が支配してた飛騨金山に手を伸ばしているしな

920
謙信の収入は魚沼の上布の京との取り引きによってもたらされたのが多いんだってさ
それとは別に守護権による道路支配はしていたから阿賀北の金山もあったしな

923 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:42:30.52
上杉も水軍はないようでいてあったからな
謙信の上洛も水軍によるものだしな

924 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:06:31.69
>>923 柴田は水軍もっていたの?

925 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:14:08.57
923
持ってないと思ったけど?

926 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:19:22.35
柴田が越前を領地化したのは1578年ころ
本能寺が起こったのが4年後、そんな暇はない
事実、4万の兵でこのころは越中出陣中

927 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:49:52.75
>>925 >>926 謙信が1578年に死んでいたから助かったな。そのうち、上杉が
北陸道 吉川が山陰道 から織田を挟み撃ち。

928 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:58:28.50
この時代は利害なんだよな。御恩と奉公じゃない。
三成が正義を振りかざす限り勝利はない。幼君では勝ったあとの領地分配、政治運営に無理ある。
徳川が不正義なんて皆分かった上で、味方してるんだからどう考えても裏切り続出で無理。
見込みあるなら、秀頼が小早川秀秋が布陣した場所に着陣すれば勝てた。それ以外無理。

929 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:06:19.05
納得
ご恩奉公なんて、上の奴らと上に阿る連中だけ、

930 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:10:24.36
裏切りの背景には朝鮮出兵が一番絡んでる。三成の人望云々より朝鮮出兵の恩賞など秀頼成人後とした時点で豊臣家に未来はない。
関ヶ原で勝っても成人後なの?って大名達はなるよな。

931 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:11:11.92
いや徳川が勝ったのは結果論てとうの家康自体が認めてるんだけどなw

932 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:13:02.11
家康を神君に祭り上げたのは家光だしなw
どう転ぶかなんて分からんさ

933 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:21:48.53
>>928 その時代にも、類は友を呼んだんだね。大谷吉継 平塚為広 戸田盛政。

934 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:34:43.46
>>933
俺は三成と家康なら、三成の方が好きだよ。惹かれる。利害だけで動かない人間がいたことが関ヶ原の戦いの魅力なんじゃないかな。
天下分け目じゃない。豊臣恩顧と家康擁立組の戦い。

935 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:36:30.75
三成に120万石くらい独断で専制できる図太さ、あざとい性格があれば勝てた。

936 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:46:06.69
>>934
家康も秀頼を今川氏真みたいに、とにかく殺さずに、
高家の旗本にでもしていれば、ここまでボロカスにいわれずにすんだので
ないの?
家康の悪事は、正直8割がた豊臣家をむごいやり方で滅ぼした
事に集約されているのだからさぁ
鎖国とかいうのは、後継者がやったことだからさぁ

937 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 18:49:09.91
>>934 でも、この連中不思議なんだよね。徳川と上杉の和解を試みようとしてたんだ。
まあ、あまりにも小物過ぎる嫌いがあるがね。大谷が三成位 後の2人が大谷位の
身代があれば屁の突っ張りぐらいにはなるかもしれなかったが。

938 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:10:33.44
>>908
家康は旧勢力の懐柔が恐ろしく巧かったのかもな。
そういや本能寺後のどさくさに旧武田領併呑したけど、
このときもわりとすんなりいってる。

939 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:12:23.65
典型的な包囲殲滅戦陣形なのに
もし、純軍事的力学で東軍壊滅したなら

義を重んじ、仁義礼智忠信孝悌、儒学を徳川政権より奨励する
東夷西戎南蛮北緯蔑視、鎖国マンセーの
半島以上に遅れた国になった。     


カモ

940 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:23:40.56
>>936
今川は服従したけど豊臣はそうでなかったからな。

941 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:41:13.34
三成の性格どうこうじゃない。朝鮮出兵に関する全ての鬱憤の標的が三成になった。

942 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:49:52.67
その朝鮮からの撤退を決めたのはろくに戦っておらず朝鮮役での恩賞にはありつけそうに無い大老衆なんだけど
無駄骨折られた連中のヘイトが大老達に向かなかったのは何故

943 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:01:13.42
会社働いてたりしたら、自分に直接人事権あるような大権持ってる連中に言えないのと一緒。
自分でも張り合える人物に標準あわせた。実際直接秀吉の命令を遂行し、讒言もしてただろうし秀吉は既に死去。秀頼は何話しても通じない幼君。

944 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:03:11.70
秀吉の傍で意見していたのは三成で、
秀吉の権勢を嵩に小坊主の癖に威張りやがって、
という反感が諸将の間にあったのではないか

945 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:04:11.89
豊臣被官とそうでない者との違いかな。

946 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:14:22.41
>>928
ニヒリズムかよw
人間不信なら精神病院でも行って治療しろ

947 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:23:11.54
>>946
ニヒリズムの意味ウィキで調べろ。知ってて使ってんなら精神科いけ

948 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:25:17.34
>>928の意見も面白い。

美濃を制するものは天下を制す。

秀頼と淀殿が千成瓢箪を掲げて
松尾山城で豊臣復興の狼煙をあげるのはインパクトあったかもしれない。

小早川秀秋軍も豊臣直轄軍に吸収してしまおうw

949 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:45:35.89
>>928はちょっとアスペっぽいな
おせっかいかもしれないが、0か100かみたいな、二者択一的な両極思考は敵を生み易いので注意したほうがいい
〜は無理〜は無理と、やたら無理の言葉が多いし、こういうタイプの人間は、この手のスレには向かない

950 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:49:19.31
>>928みたいなのは、典型的なニヒリズムだろ

951 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:57:34.26
こいつらって精神科の先生とかなの?なんでニヒリズムとかアスペルガーとか普段使わない言葉知ってるの?
928の見ても無理とか書いてるけど、別に何とも思わないってのが一般的だと思うけど。こういう板って自分の知識ひけらかしたい奴ばっかなんだし。

952 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:57:48.23
>>942
朝鮮で得ることなく帰ってきたから豊臣家は恩賞は出せなかったわけだが、
主君として家臣の武勲に応えるにはなにがしかの恩賞をゲットしないといかんわけだ。

で、三成と交渉しても埒があかないから残る選択肢として徳川家康が浮上したんでしょ。

朝鮮従軍組の大半が東軍に付いた理由はそんなとこだと思う。

953 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 23:12:18.81
>>951
二者択一的で、両極思想なのは事実だろw

954 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 04:23:30.20
>>953
他人の考え方読んでも、自分の考え方を事実だろ!とか肯定しちゃうお前が、、、まさに。

955 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 09:02:17.50
さあ、いよいよ関ヶ原検定だ。
いざ出陣!

956 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 15:50:27.99
秀次粛正と朝鮮出兵の失敗で財政破綻寸前の豊臣恩顧の連中を裏から救済したのが家康、ってのも
三成憎しと同じくらい大きな要因じゃ?

957 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:27:02.22
>>956
それもあるんだろうな。
江戸殿は大身な上にケチだから、必要な時にばらまく金は相当あったに違いない。

958 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:31:15.74
>>928 ←こいつを擁護するかしないかで揉めてるわけだよな?
こんな奴を擁護する必要はなかろう。

ご恩と奉公のような中世的価値観をアッサリ全否定しちゃう人って、
中世の歴史を勉強してて楽しいのかな?って思う。
人が利害で動くことが多いのは事実だが、その他の様々な価値観や要素が組み合わさって、
人の行動が決定されるわけで、君臣の情とか、忠義とか、そういうモノを否定的に見る姿勢は、如何なものかと思う。
少なくとも我々とはソリが合わない人種だろう。歴史談義には向かないタイプだ。

959 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:32:05.46
という幅のない人間の言う忠義w

同じ時代であっても価値観には人によって色々あるんじゃないの?
自分を取り立ててくれた人への恩義が第一でそのためなら全て捨てるという人はどの時代でもいるかも知れないけど、江戸時代でもそこまでの忠義を求めてはいないという。
数奇者だって自分の数奇にこだわるより忠義を見せるタイミングがあっただろうし、その反対もあっただろう。
主家ではなく自家存続のために動く者もいただろうし、その反対も。

豊臣から徳川へ政権が移っていく過程で、秀吉子飼いの清正や正則が石田憎しだけで徳川に付いたわけでもないだろう。
そこには様々な打算もあったと思うがね。

置かれた状況でどんな判断基準で何をどう選択するか一つの価値観だけで出来るともするとも思えない。

人間だもの。

960 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:51:51.03
吉川広家と家康の密約を反故にして毛利が攻めたら面白かったのにな

裏切ることを裏切るわけだけど、世間一般からすれば
西軍の総大将が普通に戦ってるだけで、何も後ろめたいことはなく
毛利に背後を取られるように布陣した家康が悪いだけ…。

なんで、弁当食ってたんだろ

961 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:53:24.01
>>959
>>958と同じことを言ってるだけなのに、なぜ反発的なの?

962 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:07:45.63
>>958
つうか、「御恩と奉公」がギブアンドテイクの利害関係そのものなんだが?
争点がさっぱりわからん。

963 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:29:41.23
御恩と奉公は倫理観の問題でもあって、それを行動原理とした利害関係もあるだろう
中世的な価値観と実質的な利害は、必ずしも相対する概念ではない

964 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:37:07.37
中世的な価値観と個人的な利害をギブアンドテイクと考える人は
西欧やシナのような性悪説的な考えが根底にあるんじゃないの?
人は皆、基本的にずる賢く自分のことしか考えていないもの、という思いがどこかにある
そこにハマればハマるほど、古来から続く日本人の自己犠牲的な精神は理解できなくなる

965 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:38:43.37
>>964
そんな古来の精神が発露されたのはいつ?w
ないからたまにそういう変わり者が出たら神様扱いなんでしょうよ。

966 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:41:41.47
昔の日本人は己の損得だけでは計れない動きに出ることも多いからな
宗教や思想的な感覚も密接に関係する
サラリーマン的な感覚では読めないだろうな

967 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:44:49.20
>>965
こういう嘲笑気味の発言こそ、まさにサラリーマン的な感覚w
歴史小説でも、最近書かれたものがつまらないものが多いのは、そういうところに理由がありそうだな

968 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:51:39.53
時代が下れば下るほど、人の持つ純粋な部分は退化する
仏教のお釈迦様は既にニ千年も前に、そのことを説いてる
特に最近の歴史学は、実証主義やらなんやらで、人の心を軽視する向きが強い

969 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:55:07.31
「御恩と奉公」以外に個人的な感情による君臣関係はあるだろ、ってのならそりゃあるだろうけど、
「御恩と奉公」は純然たる利害関係による主従関係を表した言葉で、幕末まで続く封建時代の基本原理。
つまり家来の側からいえば「戦時には味方するが恩賞くれ。平時は忠誠つくすが収入は保証しろ」ということ。

意味勘違いしてなくね?

970 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:00:08.08
聞いてみたいね、このスレに何人の成功者と言われる人がいるのかをw
失敗者が集まって精神的なものがどうこうと言いあってるようにしか思えないんだが。

971 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:11:51.32
>>970
まぁサラリーマン感性の人はそういう見方しか出来ないだろうね
話しているのは昔の歴史の話なのに、すぐに今の自分の出世や境遇に結びつく

972 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:18:27.26
>>969
だから単一の価値観のみで、行動に移ることはほとんど無いということじゃないですかね。
「御恩と奉公」なんてのは、精神的なバックグラウンドとして、当時はどんな武将でも持ってた感覚のわけで、
それ+αとして、様々な価値観が折り重なってくるわけでしょ。
忠誠に対して恩賞の欲しさが絶対的な価値であれば、命を捨ててまで斬り込む人なんて誰もいないですよ。
最初から一族郎党、命を捨てると決めて陣取る武将も多くいたわけで。

973 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:20:08.68
だから朝鮮から帰ってきた大名は焦ってたわけ。
家臣が奉公してくれたのに手ぶらで帰ってきたから「御恩」が与えられなくて、
「御恩と奉公」の原則がまもれないまま放置すると家臣団が崩壊するからね。
だから領地を加増してくれそうなものわかりのいい相手に接近する必要があったし、
恩賞のネタにするための血祭りにあげる人間も必要だったわけ。

要するに秀吉が死んで、重武装した戦慣れした連中が成果なく帰ってきた瞬間に大乱は始まってた。

974 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:28:41.35
>>972
人間の行動原理は単純じゃないからね。
ただこの時代には「自分が活躍して討死にしても、
子孫が加増受けて繁栄すればそれでいい」みたいな
我々にはよく理解できない利己的(?)な行動原理もあったのだよね。

975 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:41:15.12
両方の価値観を見ないとダメだね
単純に利害だけでは動かないし、利害を無視しても行動は読めない

976 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:45:47.79
まぁ清正は恩賞よりも、秀吉に曲がった報告を重ねて清正の失脚を計った三成を恨んでいたようだがw
東軍加担は明らかにそれが理由だろうな

977 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:49:56.73
大型ショッピングセンターのベンチでたこ焼き食べてるデブ女がいたんだけど
一人でしかもフードコートじゃない普通のベンチで食べてる所が笑えた
見て目って中身も表すんだなw

978 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:52:57.22
で現代の政治に使えそうなネタでも見つかったのか?

979 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:55:56.72
「御恩と奉公」は、鎌倉幕府の北条時宗の頃からある、一種のジレンマだな。
蒙古の襲来の際にも、幕府の号令のもと、鎌倉武士達が団結して蒙古を撃退したものの、
敵は外国勢力だから恩賞として配られるべき土地が無かった。
結局、それがズルズルと尾を引き、鎌倉幕府弱体の遠因となったと言える。

しかし、武将達には、「侍魂これにあり」と恩賞などほとんど望まず死ぬと決めて戦った勇敢な者もいれば、
積極的に戦いに出ず、これといった武功も無いにも関わらず、
戦いが終わるや否や、再三に渡って鎌倉に恩賞を催促した者もいる。

980 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:58:21.44
>>978
歴史は繰り返す。
どれもこれも、見ようによっては現代の政治を判断するに足る貴重な情報だよ。

981 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:00:14.60
元寇は仮に江戸時代に襲撃を受けて撃退したとしたら
幕府は大名たちにどういう報酬を与えたのだろう…・

982 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:12:04.38
参勤交代免除

983 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:13:20.32
>>982

そもそも参勤交代やらお手伝普請で財布をコントロールしてるんだったな

よく出来きた統治システムだわ

984 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:35:40.56
まぁ参勤そのものは、実態としては鎌倉の頃からあったけどね。
秀吉がその制度を参勤として確立し、それを引き継いだ家康が参勤を交代制として、「参勤交代」を確立させた。

985 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:36:31.61
>>981
鎌倉幕府は金山を抑えていなかったけど、
徳川幕府は金山を抑えているから、
お金でかなりカタをつけたのではないかな

986 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:39:31.52
>>976
清正は実際突出しすぎたからな。
適当なところで手打ちにして領土分捕ろうとしてたのに、
清正が和平交渉ぶち壊しだしな。

987 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:44:20.26
>>981
撃退は無理。
実際黒船来襲で15年後に幕府潰れたじゃないですか。
攘夷とか言ってマジに働いたの長州と薩摩だけだし。

988 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:44:22.28
>>986
明&朝鮮は、日本軍の将兵を暗殺することばかり考えていて、
まともに和平なんてするつもりなんて無かったけどな。
明&朝鮮軍が、マトモに和平に応じたのは、日本軍にボロボロにやられて惨敗を繰り返した後だよ。

989 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:46:40.92
>>987
どういうこと?兵員的には余裕で撃退できると思うけど、
その前に幕府が潰れて維新のような事態が起きるってこと?

990 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:55:41.24
>>989
恩賞がないと動かない人達がいて、
でもやっぱり国は守らんといかんとなる。
で、江戸時代みたいに識字率があがってると
ナショナリズムが形成されるじゃないですか?
ナショナリズムが形成されるとその力は封建制度の崩壊へと向かう。

991 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:56:42.06
三成ってかっこいいよな!純粋に旧体制を守っていくんだっていう気概。でも何故か秀頼と淀からの信頼を得てた事実が見当たらないんだよな。
三成が全幅の信頼を得れていたら歴史は変わったのかもしれない。

992 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:00:01.19
あ、でも幕府が潰れるかどうかわからんよ。
幕府が防衛戦本気でやるなら小栗上野介が目指したような
幕府中心の中央集権国家ができたかもしれん。

993 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:16:50.99
>>991
かっこよくねぇよw
極めて官僚的で、兵糧輸送など行政能力しかなく、いくさは武勇も無ければ知略も無い。
秀吉亡き後は、大名間を小ズル賢く立ち回っていただけで、豊臣政権の安定化もろくに果たせず。
戦いたくもないのに、家関にイヤイヤ関が原に引きずり出されて、体のいい敵の大将役にされて、
負けた後は、逃亡して、各地を転々とした挙句捕まって、六条河原で斬首。
どこに、かっこいい要素があるんだよw

994 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:22:37.46
三成は雰囲気が格好いいな。秀吉を影で支えた優秀官僚のイメージ。
いくさは華が無かったが、地味で淡々と君主を支え続ける、優良なる臣。

辞世の句もいい。
「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」

家康に捕らえられ、京都へ護送中のエピソードもいい。
三成という武将の静かな最後の一時をうかがい偲べる。
興味ある人はググってみてね。

995 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 00:27:00.05
>>990
まぁなんだかんだ言って、日本人は自己犠牲の精神が強いから、
敵が攻めてくれば、恩賞が望めない状況でも戦うんじゃね?
徳川幕府が潰れたのは恩賞は関係ないし

996 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 00:38:23.27
>>995
個人的には自己犠牲が強くても
組織のトップである大名は勝馬を見極める能力が求められる

997 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 00:57:14.92
>>995
いや実際、薩長以外あまりやる気なくて
一方で全国に自己犠牲的な攘夷志士が出て
脱藩したり外国人に斬り込みかけたりしてたじゃん?
志士には百姓身分なのもいたし。

これは封建制の崩壊を意味するんだよ。
崩壊後の体制が天皇か徳川かはともかく、体制の変革が起きて中央集権的になる。

998 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 01:14:42.63
まぁ時期によるよな
幕末に近い時期なら>>990の書いてるように識字率の向上で博学な人間も多いだろうし
維新のような事態に発展することはあり得る

とりあえず、江戸時代の人口と動員可能な兵力数で考えれば蒙古は撃退できると思うが
それより、片手間で蒙古との戦争をやりつつ、>>997の言うような動乱に発展していくほうが大きな争いになりそう

999 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 01:17:02.00
もし幕末に蒙古が来て維新が起きれば、黒船が来た時点で追い返せたかもしれないね

1000 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 01:17:27.90
1000なら大日本帝国復活

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