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なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか3

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 22:22:18.94 ID:fucDu4wF0
過去スレ
第二次長州征伐を語る
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1003537751/
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1302410387/

第二次長州征伐参加兵力:幕府軍

総督:紀州和歌山藩主・徳川茂承

芸州口(先鋒 彦根藩・越後高田藩 約3千)
   (本隊 紀州藩歩兵、美濃大垣藩歩兵、幕府歩兵連隊 約5千)

石州口(浜田藩、福山藩 約7千)

大島口(幕府海軍:富士山丸、翔鶴丸、旭日丸、大江丸、八雲丸)
   (上陸部隊:松山藩、幕府歩兵連隊、幕府野戦砲兵 兵力不明)

小倉口(小倉藩・肥後藩、柳川藩、久留米藩、中津藩、福岡藩、唐津藩、千人隊 約5万)

補足:
 ・その他参加した藩(安濃津藩・安志藩・今治藩・徳島藩)
 ・富士山丸 (木造機帆軍艦 1000トン 幕府所有)  
 ・旭日丸  (木造帆走船  500トン  幕府所有)
 ・翔鶴丸  (木造外輪汽船 350トン  幕府所有)
 ・八雲丸  (汽船     トン数不明  松江藩所有)
 ・千人隊は八王子千人同心の流れをくむ幕府の部隊だそうです。

とりあえずこんなところでしょうか?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 10:20:32.88 ID:crar3YRW0
1825年の異国船無二念打払令って1842年廃止されていますが
長州の5月10日の攘夷決行は以下の流れのようですね。

1863年3月29日(2月11日)
後見職一橋慶喜、朝廷に将軍滞京10日、帰府後20日以内の攘夷期限を約束
http://bakumatu.727.net/kyou/3/032963-joikigen.htm

将軍歸府後、二十日の御宥免を蒙り、相違無く拒絶致させ候段、御受申上候。滞京之儀は十日限り 朝廷より仰せ出さるべき御都合之事

1863年4月21日(3月4日)
将軍徳川家茂、入京
http://bakumatu.727.net/kyou/4/042163-shogunjoraku.htm

1863年6月6日(4月20日)攘夷期限5月10日
攘夷期限の事、来五月十日相違なく拒絶決定仕り候間、奏聞及び候、猶列藩へも布告致すべく候事
http://bakumatu.727.net/kyou/6/060663-joikigen.htm

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 11:11:16.87 ID:Xy7+5TPTO
幕軍は大軍だったけど現地の藩兵しか戦ってないから勝てなかったんだな。
特に小倉、浜田方面は。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 12:19:57.95 ID:W/j5wwUJ0
>>172
小倉藩はそれまで寡兵で長州を一手に引き受けて戦ってたから、多少はね?

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 14:44:42.96 ID:Bly+e/mJO
小倉嬢しぶいよ。
パチンカス。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/30(火) 10:03:15.76 ID:jMAMcxR70
>>172
熊本藩の場合は不参加はやばいから前線にいちおう兵を引っ張って来ましたと言うだけの状態だからね。
幕府艦隊や千人隊も再三の要請にもまったく動かないし、
疑心暗鬼に陥った小倉藩とトラブったら逆切れして撤退
第2次長州征討は幕軍ですら「戦争にならないで終わる」と思ってたので近隣の譜代家門以外は戦意はゼロに等しい

それとなんだって?インフレの原因になるから民間船を砲撃していいって??
どんだけ愛国無罪な発想してんだよ。それこそが民衆暴動を裏で煽った清の官憲の発想だわ。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/30(火) 22:56:35.04 ID:m040N7kw0
>>178
そもそも熊本藩に長州藩の相手を押し付けて、熊本藩を助けないから熊本藩がやっとられんと言って帰ったわけ。
海わたってくる長州の船を沈めてくれと熊本藩が幕府に頼んでも、
船を失うのが怖いのか全く長州の船には近づかない、それどころか長州のしょぼい軍船に追いかけ回れる始末。
熊本だけ必死に戦わされるのに幕府はなにもしないから幕府は熊本藩に見放されたんだよ。
元々熊本藩に長州と戦う理由なんてないのにな。

そして愛国無罪とかじゃなくて、商船そのものが民衆から恨まれていたって話。
商船だから攻撃すべきじゃないなんて理論は基本的にありえん。
そもそも日本に来ているのは商船ばかりだろうが。
商船攻撃ダメとかいう奴なんてそれこそ異端のキチガイ。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/30(火) 23:32:31.03 ID:6ogMT+Tk0
幕府艦隊は動いている、大島方面から攻めようとした。
大村は大島方面は無理と捨てようとしたが、高杉が小船で夜襲しかけ退却。
その後小倉でも艦砲射撃で渡ろうとしたが、これも奇襲受け戦意失った。
熊本藩は強かった分けで、それまで奇襲と退却繰り返し大軍を切り崩そうとしてた高杉が、一挙に勝負決めようと攻めたが守り堅く損害受けた。
毎晩夜襲仕掛けると見せかけ、追い払った。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 09:15:24.82 ID:jVtylc550
関門海峡の封鎖は外国の圧力でできなかったんじゃなかったっけ?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/04(土) 07:40:01.68 ID:YJ6ZEiOF0
パークスから関門海峡を渡って下関に攻め込むのは勘弁してくれと暗に要請があったね。
その前から、艦の損耗を恐れて戦意の乏しかった幕府艦隊はまったく出撃しなくなった。
芸州口では退却する長州藩兵に艦砲射撃を加えて脅かした幕府艦隊が、奇襲程度で戦意を喪失することなんてあり得ない。
芸州は外国公使から「どこが非戦闘地域なのか」などと言われなかったし、艦の損耗を恐れる必要もないから適当にぶっ放して長州藩を苦しめてる。

>>179
その前に熊本藩が持ち場を守ると称して動かなかったのが小倉藩の疑念を買ってるんだよ。

愛国無罪だよ。民間船砲撃は諸藩の有志からあるまじき振る舞いとか、諸外国の侮りを受けると強く非難する者が多かった。
実際に長州のこの砲撃事件が伝わると、対日強硬派の議員たちが日本に対しては軍事力行使のほかなしと言う風潮に流れて、
それまで好意的だった米国や英国のメディアも日本軽侮の論調に転じていった。

底辺の野次馬町人レベルは知らないけど、まともな教養のある人間からは支持されてない。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/04(土) 07:52:56.92 ID:YJ6ZEiOF0
まあ長州はこういう愛国無罪の底辺層を動員しなきゃいけないから、
軍艦よりはむしろ商船を砲撃する必要性があったんだよな。
もともと攘夷戦争は攘夷が目的で始めたわけではなく、単に藩内総動員体制の確立のために始めたので。

しかも攘夷の矛先はこの後、国内、特にライバルの薩摩にも向けられている。
文久3年12月に薩摩藩御用の長崎丸を砲撃沈没させる事件を起こし、速攻土下座したものの、
翌月に再び薩摩藩御雇商船の加徳丸を襲撃すると言う重ね重ねの不祥事を引き起こしている。

さらに、引き渡すべき襲撃犯の上関義勇隊士が「薩摩は外国と貿易してるぜ」と大坂で捨て札残して切腹した事件で薩摩は完全に面目が潰れ、
同年の禁門の変では最終段階で長州入京に熊本・久留米・土佐などとともに強硬論を唱えて会津に同調している。

長州の「攘夷」の対象は外国どころか、国内の商船にも向けられたから、諸藩の有志の支持が得られるわけもなかった。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/04(土) 08:09:33.98 ID:YJ6ZEiOF0
長崎丸事件の場合も、長州は外国船と間違ったと主張したが、これもあやしい。
かりに間違えたなら、翌月に再び同じ事件を、しかも同じ藩の船舶に対して引き起こす理由がない。
薩摩は灯篭をちゃんと並べて見間違えないようにしておいたじゃないかと抗議しており、
現場の暴走の疑いが強い。
これが文久4年の1月2日。薩摩はすぐ糾問使を発しようとしたが、参預会議で一橋慶喜が薩摩を宥めてこの時は収まった。
しかし2月8日の評議では幕使中根の殺害とともに長崎丸砲撃の一件を長州に尋問することが決定されている。
どこが「国内の支持を受けていた」じゃ。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/05(日) 05:18:49.59 ID:+c1tJ4F40
幕府艦隊は芸州口でも艦砲射撃で活躍しているじゃん?
対抗手段のない長州軍は海岸に手を着けられなくなった。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/05(日) 06:55:40.60 ID:OTwklCdy0
当時尊王攘夷は普通。
新撰組なども清川の非常の士論で尊王攘夷目的で上洛した。
幕府側と深くなったんでそっち側になっただけ。
破約攘夷が目的だったのである。
長州も朝廷幕府の了解取り付け実行したが、途中で外交方針変わった為ああなった。
禁門前の平野の神武必勝論とか見ても清が敗れた原因知ってるわけで。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 00:38:36.23 ID:XYF9/vfr0
>>181
関門海峡封鎖したら北前船が全部止まる。できるわけがない。
また当時の下関は多くの大名の札差商人の蔵屋敷があるから、
戦火に巻き込むのは長州幕府ともにできない。だから長州は防衛戦ではなくて、
難しい渡航攻撃をした。馬関戦争でも連合軍は城下町には砲撃できなかった。

>芸州は外国公使から「どこが非戦闘地域なのか」などと言われなかったし、艦の損耗を恐れる必要もないから適当にぶっ放して長州藩を苦しめてる。

幕府が欧米の犬だったのは事実だが、それは違う。
ただたんに長州の艦隊が下関に渡航護衛で移っていたので広島方面には長州の海軍がいなかったので動けただけ。
とても悲しい事実がそこにはある。そして関門では長州のしょぼい軍船に追い回される程度しかない。

>その前に熊本藩が持ち場を守ると称して動かなかったのが小倉藩の疑念を買ってるんだよ。

熊本藩の持ち場には長州の軍勢が押し寄せて来ているのに、また押し寄せてきていない時も、
押し寄せる可能性があるのに持ち場開けるとかねーよw
そして長州の奇兵隊の相手を熊本だけに押し付けて引きこもっていた連中が熊本藩の批判をする資格などない。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 00:47:17.25 ID:XYF9/vfr0
>愛国無罪だよ。民間船砲撃は諸藩の有志からあるまじき振る舞いとか、諸外国の侮りを受けると強く非難する者が多かった。

そんな奴いねーよ。いてもそいつは貿易利権で肥え太っていた幕府の閣僚のみ。
もしくはなにも知らない馬鹿だけだ。

>対日強硬派の議員たちが日本に対しては軍事力行使のほかなしと言う風潮に流れて、

だからもともとそういう事を目的に打ち払っているんだが?
夷狄を打ち払えというのが当時の日本人の基本的な考え。
そして英米の論調なんて元から軽視だよ。

>底辺の野次馬町人レベルは知らないけど、まともな教養のある人間からは支持されてない。

なら当時は孝明天皇以下教養のある人間は日本にはいませんなw
残りは利権で反対している連中だけだから。
なんで当時開港に反対運動が起こったのかお前は全く理解していない。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 01:00:57.85 ID:XYF9/vfr0
言うまでもないことだが、外国船に砲撃して反撃されるのが怖いよー。
っていうチキン藩のは民間船だから反対していたわけじゃないからな。
その違いくらいはわかっているだろうなw

>>186
そゆこと。当時において攘夷は当たり前。
外国船打ち払えってのも国民の多くが望んでいたもの。
>>184
当時は冬で、天候は雨で、時間は夜だぞ。ほぼ真っ暗だ。
街灯すらない時代の曇天の夜。船籍の区別なんぞつくわけがないだろ。
長州はレーダーでも持っていたのかw

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/07(火) 05:47:57.12 ID:Sjfnw8XA0
ID:XYF9/vfr0の主張のほうが筋が通っている。
ID:YJ6ZEiOF0は脳内ソース多すぎ。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 16:37:52.05 ID:XASSgfMZ0
>>2
馬関戦争って長州の勝ちなの?バカなの?w

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/16(木) 00:05:16.18 ID:t8nxmBYg0
開国したから植民地免れたって云々ってすり替えと日本史観点からだけで
世界史だと開国してどこも植民地なってるわけで
元々攘夷論から発したのが封建制の国内不一致による攘夷失敗内政問題優先なっただけ

193 :名無しさん:2013/06/09(日) 00:22:46.47 ID:S13jS5jY0
吉田松陰

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 20:54:27.85 ID:eFfYvCtZ0
>>116
江戸幕府末期が舞台の、時代劇の漫画である
「明楽と孫蔵ー烈風隊編」

「天狗党の乱」がモデルだと思うが、北関東の宿場街を占拠した
100人にも満たない、尊皇攘夷ゲリラと、
1000人近い江戸幕府討伐軍が戦う。
平和ボケしていて、
なおかつ、脳筋バカな江戸幕府軍の指揮官は、
敵の尊皇攘夷DQNゲリラに、煽りみたいな感じで、ちょいとライフルを適当に数発撃たれただけで、キレる。

尊皇攘夷ゲリラに占拠された、
宿場内にいる、江戸幕府側スパイから
「敵が、狭い場所に引きづりこんでの攻撃すると言う罠を仕込んでいる」
との情報があるにも関わらず、
頭に血が上って全軍攻撃を開始してしまう。

で、「突撃じゃあ、突撃じゃあ〜!」と命令を出し
突っ込んだ江戸幕府軍は、狭い路地に誘い込まれて、
狙撃や、大砲の水平撃ちや、
崖をよじ登っていた幕府軍の側面攻撃部隊は、よじ登ったところを、即席地雷の攻撃で見事に死体の山を築いて、敗走させられるw

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 07:11:24.32 ID:2ApafpiI0
フランス革命に対する日本の執着心

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/32/207_1.html

それは、ロシアと江戸幕府の接触にあった。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 20:39:00.26 ID:RWDqXZKo0
『幕長戦争』読んだヤツって居ないのか

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 23:40:14.79 ID:rKlAoc4f0
会津兵が長州征伐へ出陣したら、その隙に薩摩兵が御所を占拠するよ
実際に薩摩兵が京都へ押し出してきたじゃん

岡山・広島などの各藩も停戦を求める意見書を幕府に出してたし、
打ちこわしが起きるし、明らかに世論は長州征伐中止を求めていた

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 04:22:28.60 ID:/QZh2/l30
>>196
読んだよ

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 10:04:21.81 ID:Wa3kHIdK0
>>198
あれ読むと、長州がいかに腹を据えて対幕戦に臨んだかわかるよね
武器購入と洋式訓練の徹底で自主的に動ける兵を育成、
それと同時に諸隊の再編と指揮系統の中央への一元化
暴れ馬みたいな諸隊を相手によくやったと思う
高杉が勝手に行ったと伝説化されてる大島への軍艦派遣も、
実際には高杉も山口にいて、指示を受けて三田尻から出航してるし

諸隊の統御にあたっては、徹底した「正義は我にあり」戦略も
効果が高かったろう
自国の農民にも他藩にも京都の民衆にも長州の正当性を訴えかけ
開戦も相手が手を出すのを、幕府特使に再伏罪拒否りつつ待つ徹底ぶり
国内にはぶれが少なく指令の納得度が高くなり士気も上がり、
相手陣営には「え?マジで戦やるの?もう済んだことじゃね?
 長州詫びたやん?幕府横暴じゃね?」感を蔓延させ士気を下げさせた

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 18:11:39.70 ID:qlqJ78fc0
>>198

そうした状況で第二奇兵隊事件、倉敷浅尾騒動が起きたから山口政庁はびびった。

「やっぱり長州藩は野心があんじゃね?」「藩内で分裂すんじゃね?」「相手にすんのよそうぜ」。危険は幕府と広島で交渉していた長州使節団からも「とにかく藩の暴発だけはやめて。ぜ〜んぶひっくり返しだから」と言ったんだが。

原理主義を火遊びに使うから、過激派が暴発する。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 21:16:11.85 ID:U4igDPtA0
>>200
「ぜっったいこっちから手ェ出すな」と厳命してたのに暴発した連中がいた件だろ?
ありゃとっつかまえてやらかしたことに応じて処罰して浅野側にも詫び入れて
筋通した決着着けただろ?
だいたいこっちの正当性を明確にするためにも先に手を出すなって
言ってるのに聞く耳持たない連中の暴挙を、
「藩庁の原理主義のせいだ」と言われてもなー

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 05:53:03.51 ID:q/noyIND0
諸隊にすれば広島の団交中に小倉藩が下関が入れば苦戦を強いられらる。海軍は幕府優位。諸隊の幹部に不満があるのは当然。

かつて高杉が蜂起した際には小倉から数万の征長軍が下関に入ろうとして、西郷が止めに回った。当時の諸隊は長府の日和見派を含めても750以下。しかも補給はうけられず完全に孤立無援。

なぶり殺しになる危険があった。勿論、高杉は絶対に自信はあったが万一失敗してもいざとなれば仲間を見棄てて上海へ逃げる腹はあったはず。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 07:52:53.53 ID:xVeSyLMo0
わけがわからない
小倉口は暴発してないだろうがw
叩きたいだけなのが見え見え

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 12:41:53.68 ID:pOqcu9UB0
>>203

かつて高杉がと書いたが。つまり第一次長州征伐のタイミングで起きた元治の内乱の話だが。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 20:25:54.87 ID:rEyMFT2W0
いや、それが最初の1行に関係あるかよ、ってのも含めてなんだが

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 21:24:49.04 ID:36aCrnbr0
>>194
実際の指揮官の田沼は諸藩に対し幕府の権威を嵩に威張り腐っているだけで
自分自身は絶対に陣頭に立たない有様で諸藩だけでなく幕府歩兵達からも評判が悪かった。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 23:06:01.00 ID:pOqcu9UB0
>>205

第二次長州征伐は長州側が小倉の田ノ浦なんかに上陸、そのまま南下したが。

これは逆に小倉側から長州が攻められる危険があった。指揮官が方針をしっかり打ち出さなかったのが失敗だったが。

長州側にすれば「第一次長州征伐でもしかしたら死にかけたんだから、今回はこっちから攻めなきゃ」というのが諸隊にあったのが普通だろう。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 23:36:49.65 ID:pOqcu9UB0
>>205

連投になるが。

ここで話になっているのは多分、何故に諸隊は第二奇兵隊事件に喝采を送ったかだと思っていたが。つまりオタクの言う聞く耳持たない連中が諸隊の隊士に多かった理由を話していると思っていた。つねに諸隊の幹部は隊士に引きずられている。

まあ、多かったと言えば、少なかったと言う人も出てくるだろう。俺は山県が藩庁に対して「轡を噛ませるのも結構だがやり過ぎだ」って発言しているのに注目して多かったとしている。

違うなら返事は要らないので。

オタクの考え方は知らんが、第一次長州側は長州側が袋のネズミ状態にあった。しかも長府の諸隊は萩政庁と反目していたから孤立無援。幹部が高杉の挙兵に反対したのは当然だった。高杉が暴発すれば小倉側から攻められる。萩からも攻められる。絶対絶命。

こうした死線をくぐった諸隊はやるなら先制攻撃と考えるのが普通ではないだろうか。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 09:26:20.71 ID:y/3Ppa2R0
天狗党の大量処刑を耳にした長州藩では
降伏しても虐殺されるだけなのが分かり、
藩論が拮抗していた恭順論と抗戦論は一挙に徹底抗戦に傾いた

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 07:09:51.50 ID:EfUOYqDR0
>>209

武備恭順派の形成条件はそうですね。【広島の国泰寺で永井尚志が宍戸たまきへ天狗党みたいに降伏させて騙し討ちみたいにはしないから安心して欲しい】と発言しているあたりは、世間が幕府のやり口をどう見ているかを端的に示しています。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 07:28:46.54 ID:nW9ZHftK0
ああ、>>208>>200じゃないんだよな?
じぶんはそっちの
>原理主義を火遊びに使うから、過激派が暴発する
に反応してたんだ
諸隊が攻撃したくてたまらなかったのも、
幹部連中が隊士を御しきれずにいたのも、そりゃそうだと思うよ

しかし、藩中枢だって何も主義主張を玩んでいたわけじゃない
それまでの経験から、自分たちより大きな力に勝つためには
世論を味方につけるのがどんなに重要かを痛いほど学んでいた
身内の士気を上げ、庶民を協力的にするのはもちろんだが
従軍命令が出ている各藩が幕府の方針に懐疑的になり
士気が下がる、あわよくば長州に心を寄せるようになる
それは戦争だけでなく、戦後の最重要の目的のひとつである
藩侯父子の、ひいては長州藩の名誉回復にもつながる

暴発した連中の行為は、幕府への攻撃ですらなく
幕長交渉の舞台であり長州に好意的・同情的な安芸を
怒らせるに決まっている行為
自分等のやってることわかってんのかよってレベル
そりゃそこをわからせることができなかったのが悪いと言われりゃ
それまでだがね

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 08:14:01.35 ID:EfUOYqDR0
>>211

>>200>>208も同じです。

確かにまったく同意。ただ、諸隊隊士に分かろうとさせたかは見方が別れるかも知れない。諸隊は軍隊であり、同時に思想集団としての勉強をさせていた。

中身は分からないが、その場合はよりラジカルな方向付けがされると推察する。60年代の過激派のイメージから連想するのだが。

共産ゲリラの分派はより急進的に進むという方式が、この場合も当てはまるのではないだろうか。その意味で「(月性を生んだ)周防は(吉田松陰を生んだ)長門より恵まれていない。利用されただけ」という言葉が連想される。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 08:29:47.54 ID:amVVac7G0
>天狗党みたいに降伏させて騙し討ちみたいにはしないから安心して欲しい
こんなこと言ったって信用できるわけないだろ。六角獄でも大量虐殺されてるし。
殺りたきゃかかって来い!って腹を決めて迎え撃つしかなかった。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 09:40:20.43 ID:nW9ZHftK0
>>212
まあ諸隊はもとはといえば、ばらばらに成立した義勇軍だからね
戦争に参加する独自の理屈がそれぞれあったわけで
幹部連中集めて勉強会したり林半七や槇村なんかが駆けずり回って説諭したりしても
「総論賛成各論反対」の域を出るのは難しかったのは想像つくね
軍規が身についてる「武士」じゃないんだから
実際品川ヤジあたりだって、薩長の話し合いに同席させられ
薩長連携の最前線に投げ込まれるまでは思いっ切り跳ね返ってたわけで
理屈を戦わせるよりも、木戸の「粛然夜の如し」みたいなフレーズの方が
伝わりやすかったかもしれん
逸る気持ちはわかるが抑えろよ、と
最終的には暴発兵への厳罰でわからせることになっちまったが

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 05:59:15.62 ID:xjKdtZGD0
>>214

開戦前夜の山口藩庁と諸隊の構図、意識の差とすれば正しいと思う。勿論、長州側が戦意が高く団結していた。ただ藩庁と諸隊の間にズレはあった。当たり前だが。

これは藩庁というより封建家臣団と民兵のズレであり、下のレイヤーに行けば教育体制の違いに入る。民兵の側でも豪農豪商層とそれ以外の階層にズレはある。

ただ、そうしたネジレのエネルギーを対幕府に振り替えた藩庁の巧みな操縦に対する評価は好みにより異なりそうだが。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 19:45:25.32 ID:GBU9kjQy0
ねじれのエネルギーってのがどういうもんかはよくわからんな…
身分によっても個人によっても諸隊参加の動機は違ったのは当然として
自分は政治的意義という観点から見てしまうから
藩庁は雑多な諸隊を戦えるようまとめあげるの苦労したろうな、という見方になってしまう
「対幕府に振り替えたたくみな操縦」っていうけど、
諸隊の目的だって本質的には身分制の破壊ってより世直し&対外対幕危機打開だろ?
まあ食いっぱぐれてたから参加したってのもいたろうし
身分について考える者が出るのも当然だし、実際取り立てやら名字許すとかあったけど
一方で戦いが終わったらもとの身分に戻してくれっていう維新団みたいのもいたしね
あと、再編を始めてからは諸隊を増やすことを禁じているので
使える者はだまくらかしても使え的なやりかたをしてるわけじゃないし

諸隊の多くは暴発するだけの理由を持ってたかもしれないし
実際暴発に喝采を送ったかもしれないが
最終的にはちゃんと自重してるのがほとんどなわけで
情の部分では哀れとはおもうが、正直いってこの件とか脱退騒動とか
「やっちまったな〜武力を持っちゃうって怖いな」としか思えない

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 12:27:23.85 ID:jxxFfXhv0
同和の奴の研究でだが、第二次征長のときに海岸警備に駆り出された被差別部落部隊の隊員のうち、
オラも馬関での戦いに参加するだ!って言って馬関に馳せ付けた奴が処罰されたって話があったな
まあ色々と士気は高かったんだろう
その研究だと差別によって処罰がどうたら〜とお決まりの文句が続いてたが、いくら戦に参加したいからって
部隊から無断で離脱したら、そりゃ差別とか関係無く誰でも処罰されるわなw

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 21:36:34.95 ID:sEb4ccfp0
朝廷は長州討伐の勅を出しておきながら
長防解兵の勅宣を出したのはなぜでしょうか?

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 20:22:35.63 ID:e9k1vWV/0
頭の度量のちがいだなw
慶喜最後は、江戸に逃げる。

毛利の殿さん、開き直りお前らに任せた。

毛利の殿さんが気がコマければ、松陰一派は粛清されていたことは
確か!
度量の差だろうなwww

220 :諸橋 嘉久:2013/10/29(火) 09:08:38.72 ID:eaxkoX5J0
そうせい候は松下村塾の過激派に逆らって居たら、
暗殺されたか、良くても座敷牢に入れられただろう。

高杉晋作は殿様を引っ担いで上海に亡命する予定でしたよ。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 08:55:14.30 ID:t6PQWUGni
村塾生で藩侯ぬっ殺してどうにかなると思うほどアタマぶっ飛んでたのいるんか
君側の姦を討つ、ぐらいがせいぜいだろwある意味美化しすぎw
高杉のは個人的に藩侯ダイスキっつーのもあるが、これも一種の玉の取り合いっしょ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 07:40:15.76 ID:ViLa1HbC0
やる価値なし。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 13:53:36.33 ID:MMVY58690
松下村塾の過激派って・・・
長州の過激派って報国隊とかだよ
村塾生は逆に大攘夷だから
開国の仕方を模索しながら
倒幕のエネルギーとしての藩内過激攘夷派の利用
長州藩としては桂になんとかしてもらうっていう考え

高杉なんてその報国隊から攘夷の裏切り者って
命を狙われてたじゃん、伊藤も井上も
井上は実際に斬られたけど

あと殿さま一番のお気に入りが高杉で
ある種意図的に牢屋に入れたりして
命を救ってる感すらある

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