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なぜ北西ヨーロッパは先進地域になれたのか

1 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:47:26.58 0
英仏+ベネルクス三国がなぜ先進地域になったのかについて考察するスレです

2 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:52:54.44 0
アイルランドさんディスってんじゃねーよ

3 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:56:47.33 0
アイルランドは華麗にスルー

4 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:57:04.34 0
アイルランドって一時期随分勢いあったのにね

5 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 23:15:20.32 0
なぜスレ禁止にしろよ
ウザすぎる

6 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 23:15:37.91 0
中世までは文化的後進地帯だったのに?

7 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 00:15:56.50 0
ドイツは?

8 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 00:24:21.89 0
>>7
スレ違い
ここは北西ヨーロッパのスレです

ドイツは東欧スレでどうぞ

9 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 00:33:41.83 0
ドイツが東欧? あたま大丈夫か?

10 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 01:20:41.22 0
>>9
東ドイツを東欧と括ることも不可能ではない、と苦しい弁護をしてみたw

11 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 02:08:27.46 0
西ヨーロッパでした
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91

12 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 02:09:24.51 0
アイルランドって今も英仏独より一人あたりのGDP高いだろ

13 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 02:11:32.09 0
世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキングを表示します(対象国:180ヶ国、比較年度:2010年)
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html

12位 アイルランド 45,688.76ドル
18位 フランス    41,018.60ドル
19位 ドイツ     40,631.24ドル
22位 イギリス   36,119.85ドル

14 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 02:14:27.98 0
ドイツは中央ヨーロッパだよ

15 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 03:17:23.05 0
>>1
古生代においてヨーロッパ北部が大森林に覆われていたから、かな

16 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/11/08(火) 04:06:49.74 0
ガリアとその後の大半を支配したフランク王国 → フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク

17 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/11/08(火) 04:08:20.05 0
が西ヨーロッパという定義もある。

18 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 07:30:45.92 0
ドイツ・オーストリアは後進地域だろ
フランスのような中央集権国家になれなかったし

19 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 07:59:51.12 0
>>7
ドイツ、北イタリアについてはこちらで

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1320673806/l100
都市国家・領域国家・分裂国家の比較


20 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 08:02:52.66 0
ネーデルラントの場合、内陸に向けてはライン川やマース(ムーズ)川、スヘルデ川によって
ドイツ、フランスなどと結びつき、また海外に向けては北海に面していることでイギリスや
スカンディナヴィアへのアクセスも容易であるという地理的条件によるものでしょう


21 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 20:54:59.61 0
イギリスはストーンヘンジ時代は文化先進国だったが、ケルト時代は没落してた

22 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 22:11:27.65 0
>>15
わかりにきーよ
石炭ってかけ

23 :世界@名無史さん:2011/11/09(水) 08:15:28.39 0
オランダは中世におけるハイテク産業の造船、織物で成功した。

24 :世界@名無史さん:2011/11/09(水) 11:20:51.04 0
>>13
まだアイルランド高いのか。ただし金融立国政策失敗でいまやPIIGS。

25 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 07:48:54.59 0
海に面していたからじゃないのか?

26 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 10:08:29.38 O
ビザンツよりもフランクの方が優れていたのかもしれない。

27 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 11:10:59.57 0
イギリスに石炭と鉄と王立アカデミーがあった。
そこへフランス革命から逃れてきたユダヤ様資本が流れ込んだ。以下略。

28 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 11:33:28.13 0
大西洋って絶妙な幅だよな

29 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 15:38:52.66 0
>>15
>>22
つか、石炭紀は海面がめちゃくちゃ高くて陸地面積が顕世代で最も少ない時代だから
気温そのものは始新世とかの方が高いけどそれらの時代はもう極地に永久氷があったから
海面高はそれほどでもなかった
あの時代に陸地だったところは全部石炭の宝庫


30 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 16:02:14.47 0
ネウストリアとアウストラシアを比較した場合、前者には王国の大部分の都市、
ロワール川以北の大部分の貨幣鋳造所があり、フランク人の進出もいちじるしく、
セナトール貴族が、トゥールのグレゴリウスのように、世俗官職よりも安定した
司教や大修道院長などの高級教会官職に就く例が多かった
一方アウストラシアでは都市が少なく、ローマ人の都市民による商工業活動も停滞し、
分国王たちは開発のために、ローマ人の多い周縁の地や、彼らが支配した
南仏のアキタニアやプロヴァンスから文化や技術を導入した
さらに王領地をランス、シャロン・シュール・マルヌ、ヴェルダン、トリーア、
マインツなどの司教座に寄進し、司教たちに援助を仰いだ
もうこのころからドイツが後に後進地域になる萌芽が出ていたのでは

31 :世界@名無史さん:2011/11/13(日) 15:41:30.29 0
>>29
前期(ミシシッピ紀)はな
後期のペンシルバニア紀も大部分はそうだけど末期の数百万年は氷河期だ
新生代の氷河期と比べ気温は比較的温暖だが間氷期のない分生命にとっては永遠に等しい冬

32 :世界@名無史さん:2011/12/11(日) 01:43:44.44 0
>>24
賃金というのは下方硬直性というのがあり、簡単に下げられない
下げると家計がみんな破綻してしまう
家や車などのローン払ってるから

だからこそアイルランドは身動き取れない状態

33 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:30:56.30 0
アイスランドは?

34 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:38:06.74 0
遊牧民が来なかったから

梅棹忠夫説を思いっきり簡略化するとこうなる

35 :世界@名無史さん:2012/01/02(月) 13:04:08.29 0
>>32
日本では簡単に下がるよ?

36 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 12:05:34.62 0
北西ヨーロッパ優位なのはアメリカが見つかってからじゃね?
理由はアメリカに近いからじゃないか

37 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 22:38:27.25 0
>>30
要約すると、「ローマだったから」ってこと?

38 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 20:25:06.64 0
先進性の定義とはなんだろうか。
文明の利器の進化だろうか。
ならばマンガ喫茶なんて先進性の集合体。渋滞の道路も九龍城も。

実際は、多少の田園地域でも、清潔で落ち着いた生活の方が、
より先進的にみえる。
だから21世紀のアジアの映像より、
19世紀を描いた欧米映画の方が先進的に見える。

39 :世界@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN 0
答えは簡単イギリスの近くだったから。

40 :世界@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN 0
なるほど、愚鈍なイギリス人を見て、反面教師として頑張ったから西欧は発展したのか。

41 :世界@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN 0
>>18
神聖ローマ帝国やオーストリア・ハプスブルグ帝国は強大な帝国だったけどな

42 :世界@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN 0
ドイツは分裂してたけどドイツ人自体のレベルは高かったから
ドイツ統一は周辺諸国にかなり脅威だった

43 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 00:56:41.24 0
過疎のブリテン諸島に上陸
これより侵攻を開始します

44 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:00:24.42 0
ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BE%B5%E6%94%BB_(%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D55%E5%B9%B4-%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D54%E5%B9%B4)

民族学的観点[編集]

カエサルは、ブリタンニア人をガリア人と多くの箇所で類似しているとし
「一夫多妻制や他の珍しい社会的な慣習を持ち、ローマ人に栄光を与えた勇敢な敵で、典型的な野蛮人」として定義している[50]。

「ブリタンニアの内陸部の住民は、ブリタンニア島より発祥し、その伝統を受け継いでいる、主張している。
一方で、沿海部の住民は、元々は略奪や戦争を仕掛ける目的で、ベルガエ地方から渡ってきた人々が居住している。

彼らのほとんど全ては、そこに到来した(大陸の)出身部族に由来する部族の名前で呼ばれる。
彼らはブリタンニアであちらこちらへ出征して戦争を行い、それらを繰り返し、やがて土地を耕し始めた。
ブリタンニア人の人口は数え切れない。そして、彼らの住居数も夥しい数である、その(住居)のほとんどはガリア人と大変似ている。
ブリタンニア人は野うさぎ、雄鶏そして鵞鳥を食することは不法と見做している。しかしながら、ブリタンニア人は娯楽と喜びのためにそれらを飼育している[47]。
これらの人たち(ブリタンニア人)の中で最も文化的なのは、間違いなく沿海地区のカンティウムの住民である。彼らはガリア人の生活慣習とほとんど大差が無い。
島の住民のほとんどは、小麦(トウモロコシ?)の種を蒔かずに、牛乳と魚で職を満たしている。また、人々は肌を覆っている。
全てのブリタンニア人が青みがかった格好を誘引する大青で自身を染めて、そのために戦闘時にはより恐ろしく見せる。彼らは髭を長く伸ばして、頭と上唇を除いた全ての体中を剃っている。
10または12人の妻を、特に同じ兄弟の間や、親子の間で共同で持っている。これらの妻に子供が生じたら、ブリタンニア人たちは処女の時に最初に娶った者との間の子供と評する[51]。」

45 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:02:37.12 0
>>44

軍事的観点[編集]

歩兵と騎兵に加えて、戦闘でブリタンニア軍はローマ人には見慣れないチャリオット(戦車)を用いていた。
カエサルは彼らの使用法について次のように描いている。なお、ガリアではすでに戦車から騎兵主体の戦闘方法へ変化していた、と考えられている[52]。

「彼らのチャリオットによる戦闘方法は次のようになる、彼らは戦場全体の周辺をチャリオットで駆け回り、武器を放り投げる。
大概の場合、馬の恐れや車輪の騒音で敵の隊列は崩れる。そして、騎兵部隊の間で働く時に、(チャリオットへ乗込んでいた兵士が)チャリオットから飛び跳ねて、徒歩(自らの足)で戦う。
暫くして御者は、戦闘から少しの距離を引き下がっていく、チャリオットと共に彼ら自身の場所、
彼らの主軍が敵の数に圧倒されそうであるならば、彼ら自身の分隊へ退却の準備をするかもしれない。
ブリタンニア人は、戦闘において馬の速度と歩兵の堅さを示していた。
すなわち、このような経験で獲得した日々の鍛錬と実戦によって、瞬間的にターンさせることや、柱や棒の間を走らせること、くびきの上に立たせること、
そしてその瞬間から、再びチャリオットを最大の速度で取り掛からせること、また、下り坂や急勾配の場所でさえ、全速力の馬を停止させることにも慣れていた、ということである[53]。」

クラッチなお、(2度目のブリタンニア侵攻から5年後の)前49年より始まったグナエウス・ポンペイウスら元老院派との内戦中に、
カエサルはブリタンニアで使っていた一種のボート(アイルランドのクラッチ(currach)やウェールズのコラクル(coracle)のようなもの)を活用して窮地を脱している。
なお、ボートの製作方法をカエサルは次のように述べている。

「竜骨と肋材は軽い木材で作り、船の残骸の残りは、小枝で細工して、更に皮革で覆う[54]

46 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:12:20.53 0
>>44
信仰・宗教[編集]

カエサルは「ガリア戦記」の中でブリタンニアの信仰・宗教について以下のように記している。

「ドゥルイデスの制度はブリタンニアに起源を持ち、ガリアへ紹介されたと考えられる、
今日においても、ドゥルイデスをより正確に精通したい者は、習得するためにブリタンニアへ渡る[55]。」


鉱物・経済的資源[編集]

カエサルはブリタンニアの経済資源を調べるだけでなく、貢物や交易貿易の豊富な源泉として、説明しようとした。

「家畜の数は多い。彼らは真鍮または鉄製の貨幣を使い、それらの貨幣は確かな重さで測定した。
内陸地区で錫、沿海地区で鉄が産出されるが、鉄の産出量は少ない。そして、ブリタンニア人は輸入した真鍮を使う。
ガリアでのように、ブナとモミ以外の全ての種類の材木がある[47]。」

「内陸地区」に関しての記述は、私たちが見る限りは正確では無い(錫の製造と貿易は実際にブリタンニア南西地方(現在のコーンウォールやデヴォン)で行われており、
ピュテアスや他の貿易商も描いていた。また、鉄も一定程度の産出量を有し、(真鍮の原料となる)銅も産出された[56])。

しかしながら、カエサルは現在のエセックス地方へ侵入しただけで、その間は交易の報告を受け取っていた。
内部からの交易を把握するのは容易であったであろう。

47 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:16:41.65 0
Yana RHS - Russia
http://archaeology.about.com/od/yterms/qt/yana_rhs.htm

The Yana Rhinoceros Horn Site (Yana RHS) is a group of six archaeological sites located on the Yana river above the Arctic Circle of northeastern Siberia (~70 degrees north).
At ca. 28,000 years old, Yana RHS is the oldest known human occupation within the Arctic Circle to date;

the next oldest widely accepted site discovered so far is Berelekh, at 13,000-14,000 years ago.


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/58/East_Siberian_Sea_map.png

48 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:29:32.89 0
>>46

ドルイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%89

ドルイド(Druid)は、ケルト人社会における祭司のこと。日本ではドゥルイドとも表記する。
ドルイドという名称の由来は、Daru-vid(「オークの賢者」の意味。
Daruがオークを、vidが知識を意味する)というケルトの言葉である。
なお、vidはサンスクリットのvedaと同源である。

ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、
ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
しかし、ドルイドは文字で教義を記す事をしなかったため、その全容については不明な所が多い。
ガリアやブリタニアの各地に遺された遺物や、ギリシア・ラテン世界の著述家によって記された文献から、ドルイドの実態がおぼろげながら読み取れるに過ぎない。


カエサルの『ガリア戦記』によれば、ドルイドの社会的影響力はかなり大きなものだったようである。
争い事を調停あるいは裁決し、必要があれば人々に賠償や罰金を課した。ドルイドの裁決を不服とした者は、社会的地位や信用を失った。
ドルイドはこのような大きな権力を持っていたほか、兵役や納税を免除される等、特権的地位にあった。


ドルイドの宗教上の特徴の一つは、森や木々との関係である。
ドルイドはパナケア(ヤドリギ)の巻きついたオークの木の下で儀式を執り行っていた。
ドルイドはヤドリギに特別な力があると信じていたようだ。これについてはプリニウスが『博物誌』に記している。
また、近代になって発掘された古代ガリアの奉納物にはオークで作られた物が多い。
また、四葉のクローバー等といった希少な植物を崇拝していたという事も伝わっている。
なお、神木の概念自体はケルト人に留まらず世界中に存在する。

49 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:00:21.55 0
Bear(クマ)〔a[rktoV〕

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/bear.html

〔ケルト〕 ケルトの世界では、クマは、〈戦士階級〉のエンブレム、またはシンボルである。
その名詞(共通のケルト話語〈artos〉、アイルランド語〈art〉、ウェールズ語〈arth〉、ブルトン語〈arzh〉)は、
神話の君主アーサー王(〈アルトリス〉)の名やアイルランド語のMathgen(「クマから生まれたmatugenos)の人名に見られる。

対照的に、祭司階級のシンボルであるイノシシと対立する。
ウェールズの『キルフーフとオルウェンの物語』で、アーサー王は、トゥルフ・トルイスとその子供たちを追放する。

ところで、この動物は、白イノシシであり、(9日9晩の)長く続く戦いは、「教会と国家」の争いを表現する。
しかしながら、アイルランドの『トウイレンの子供の 死』の物語では、争いは逆である。
そこでは、王の領地を荒らすのは、もはや祭司のイノシシではなく、ドルイド僧のブタに変身して、ルフ神の父親、キアンを暗殺する戦士階級を代表する。

ガリアには、女神アルテイオ(ベルンでは、その名は、いつもクマの名だが)がいて、象徴的には、戦士階級の〈女性的性格〉を一層よく示している。
ウェールズ人が、「アーサー王の戦車」〈カルビド・アルスイル〉と名づける大熊座と小熊座の極の象徴的意味のある星座を注目することもできる

(GUES、177-183;CELT、9、331-332)。

50 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:09:59.31 0
>>48

叡智の禁書図書館<情報と書評>
http://library666.seesaa.net/article/259989065.html

「ガリア戦記」カエサル 講談社
こちらを読んだ時の抜き書きメモ。(P213以降)

ガリアのどこでも、いくらかその地位を認められ、尊重されているのは、二種の階層の人達だけである。一般庶民はほとんど奴隷と同然にみなされている。
・・・・
・・・・
先の二つの階層というのは、一つはドゥルイデスであり、もう一つは騎士である。
ドゥルイデスは神々の礼拝に立会い、公私の犠牲式を司祭し、宗教問題に関して教示を与える。
ドゥルイデスのもとに、たくさんの若者が教えを受けにやってくる。そして彼等はガリア人の間で非常に尊敬されている。
というのも、公私を問わず、ほとんどあらゆる紛争に決着をつけるのが彼らである。
もし何か罪が犯されたら、殺傷沙汰が起こったら、もし遺産相続や土地の境界をめぐって悶着が起こったら、これに判決を下し補償や罰則を指示するのも彼らである。

個人にせよ、部族全体にせよ、ドゥルイデスの下した判決に従わない者は、誰でも犠牲式に立ち会うことを禁じられる。
これはガリア人にとって、何よりも一番重い罰である。
このように立会いを禁じられた人は、不敬な罪人とみなされ、誰からも除け者扱いにされ、彼らが近づいて話しかけようとしても、人々は接触により身を汚されはしないかと恐れて、逃げてしまう。
彼らがたとい原告として出廷しても、その主張を認められず、いかなる名誉も他人と一緒に分け合えないのである。

ドゥルイデス全体に一人の主張がいて、ドゥルイデスの間で最高の権威をもっている。
この首長が死ぬと、もし残りの者の中の誰かが、威信の点で群を抜いておれば、その者が後を継ぎ、もしいく人かが同等な権利を主張すれば、ドゥルイデス全員の投票で首長が選ばれる。

時には、武力に訴えてすら、首長の地位を争う場合がある。

ドゥルイデスは、毎年定まった日に、全ガリアの中心と考えられているカルヌテス族の領土に集まり、聖なる場所で法廷を開く。

* カルテヌス族の領土内の聖地とは、シャルトル大聖堂の建つ場所のこと。
Chartresの地名は、「カルテヌス」に由来しており、聖なる泉が湧き出すサンクチャアリ(聖域)の上に教会が建てられた。

51 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:11:51.00 0
>>50

このとき、もめごとを抱えている人が、あちこりより皆集まって、ドゥルイデスの判決や審判を仰ぐのである。

ドゥルイデスの教義はまずブリタンニアで発見され、そしてそこからガリアに移入されたと考えられている。
それで今日でも、この教義をいっそう深く研究しようと志す者は、大抵ブリタンニアに渡って、修業を積むのである。

ドゥルイデスは、一般に戦争と縁の無い生涯を送ることになっている。そして税も他の人のように納めていない。
兵役義務の免除など、いっさいの義務から解放されている。こうした素晴らしい特権に魅せられ、多くの若者が、自発的にあるいは両親や親戚の人達に送られて、学校にやってくる。

そこで、修業者らは、膨大な教義の詩を暗唱するといわれている。それで中には、二十年間も学校に居残るものがいる。

彼等は教義を文字に書き留めることは、宗規で禁じられていると考えている
(もっとも、これ以外の場合には、大抵どんな目的にもたとえば公私の記録のようなものには、ギリシア文字を使う)。

このような習慣が成立した背後には、二つの理由があると思われる。
つまり、一つはドゥルイデスの教義が世間に広く知れ渡ることを欲しなかったためであり、もう一つは修業者が文字に頼って、それだけ記憶に熱中しなくなることを恐れたためである。
事実、文字に依存して暗唱や記憶を怠るという例は、よく見られるのである。

ドゥルイデスがまず第一に、人を説得したいと思っていることは、魂はけっして滅びず、死後一つの肉体から他の肉体へ移るという教えである。
この信念こそ、ガリア人をして死の恐怖を忘れさせ、武勇へと駆り立てる最大の要因と考えている。

これ以外にも、たとえば天体やその運行について、世界やその広さにつき、万物の本性につき、不滅の神々の威力や権能について、彼等は考察し、若い修業者に教えこむのである

52 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:26:12.92 0
キアン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%B3
アイルランド神話(神話サイクル)の登場人物。トゥアハ・デ・ダナーン神族(ダーナ神族)で、ルーの父親。妻ないし子をなした相手は、バロールの娘エスニウ。

概要[編集]

キアンは、同じトゥアハ・デ・ダナーン神族だが宿怨の相手であるトゥレンの子ら(トゥリル・ビクレオの息子たち)との対決を避けようと、豚(小犬)に変身し難を逃れようとしたが、見破られて殺された。
キアンの息子ルーは、殺害者から数々の財宝を賠償金 ('エレック')として求めている。
キアンがバロールの娘とめぐりあい、二人の間から子供(ルーとみなされる)が生まれたという物語は、口承文学(民話)により伝えられるもので、
アイルランド神話の再話版などの材料につかわれる。(宝牛グラス・ガヴナンにまつわるバロールの娘とキアンの民話を参照)。

ルーは『マグ・トゥレドの戦い』では、トゥアハ・デ・ダナーン神族の側に味方して戦い、投石器の石を放って、祖父にあたるフォモール族の「邪眼のバロール」を討ち取った[8]。

『アイルランド来寇の書』[編集]
デルバイス・マク・オグマは、トゥイレル・ピクレオと言い、その息子らは、ルーの父親[で]エスレン[の夫]、その名をキアンを殺した。
キアンが、ブルー(ナ・ボイニャ)に行くときのことであった」[6]。
ルーは賠償として、シチリア島の王の二頭の馬(アイルランド語: Gaine & Rea) 、アッサルの槍(アイルランド語: G?ei Assail )、仔犬ファリニシュ等々を請求した。


ルー (神)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC_(%E7%A5%9E)

ルー(Lugh, 古期アイルランド語ではルグ[Lug])は、ケルト神話の太陽神(光の神)[1]。
アイルランド伝承文学ではトゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)の一人で、「長腕のルー」[2]のあだ名で知られる。


んで、息子がクーフーリン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3

幼名はセタンタ(Setanta)。
灰色のマハ(Macha)と黒色のセングレン(Sainglain)の二頭の馬が引くチャリオットに乗る。

53 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 16:33:46.12 0
琥珀の道(アンバー・ルート)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%A5%E7%8F%80%E3%81%AE%E9%81%93
http://www.kuji.co.jp/amber/santi.html


古代の琥珀の交易路を指す名称。琥珀街道とも。
水上交通と古代の交通路として、数世紀の間ヨーロッパ=アジア間の往復路、北ヨーロッパから地中海までの往復路となっていた。

装身具の欠くことのできない構成部品として、琥珀は北海とバルト海沿岸からヴィスワ川とドニエプル川の水運によって陸路を行き、
1000年以上もイタリア、ギリシャ、黒海、エジプトへ運ばれていった。


ローマ帝国時代、主要路はポーランドのバルト海沿岸から南下してカリシア(現在のカリシュ市)を経由し、
シレジア地方の峠「モラヴィア門」を越え、ボヘミアとモラヴィアの堺を通ってアドリア海の先端へ到達する、南よりの道であった。
古代エジプトのファラオであるツタンカーメンの墓には、その副葬品の中にバルト海産の琥珀があった。
また、琥珀は依頼により北海からデルポイのアポロン神殿へと送られた。
黒海から、交易はもう一つの古代の交易路シルクロードを通じてアジアへと続いていった。

バルト海に面したプルーセン人の町カウプとトルソは、南へ向かう交易路の出発地点だった。
スカンディナヴィアにおいては、琥珀の道はおそらく、繁栄する北欧青銅器時代を引き起こし、地中海からヨーロッパ北端の諸国へと影響をもたらした。

ロシア・カリーニングラード州は、ヤンタルヌイ・クライ(Янтарный край)、琥珀の土地と呼ぶ場合もある。


北欧青銅器時代
http://en.wikipedia.org/wiki/Nordic_Bronze_Age

ウーニェチツェ文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%84%E3%82%A7%E6%96%87%E5%8C%96

54 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 21:48:52.64 0
インド・ヨーロッパ語族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AA%9E%E6%97%8F
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6d/Indo-European-languages.gif


ゲール諸語 - ケルト祖語の[kw]をそのまま保っている語族。このためQケルト語族とも呼ばれる。
 古アイルランド語
 アイルランド語(アイルランド・ゲール語)
 スコットランド・ゲール語
 マン島語(マンクス語、1974年に消滅したが、人為的な努力により復活)

ブリソン諸語 - [kw]が合体して[p]に変わった語族。このためPケルト語族とも呼ばれる。
 古ウェールズ語 - ウェールズ語
 カンブリア語
 古コーンウォール語 - コーンウォール語 (一時消滅したが、人為的な努力により復活)
 古ブルトン語 - ブルトン語(ブルターニュ語)

大陸ケルト語
 ガリア語(ゴール語)
 ガラティア語(ガラテヤ語)
 レポント語
 ルシタニア語(英語版)+
 古代リグリア語(英語版)+
 ケルト語碑文の諸言語

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/IE5500BP.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/IE4500BP.png

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/IE3500BP.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/01/IE2500BP.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/IE1500BP.png

55 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 21:52:06.99 0
>>54

系統樹と年代[編集]

ニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレーとクェンティン・アトキンスン (Russell D. Gray, Quentin D. Atkinson)[2]の言語年代学的研究によれば、
インド・ヨーロッパ祖語は約8700 (7800?9800) 年前にヒッタイト語につながる言語と、
その他の諸語派につながる言語に分かれたという結果が出て、アナトリア仮説(英語版)が支持された。

グレーとアトキンスンは、この語族の87言語の基本単語2,449語について、相互間に共通語源を持つものがどれほどあるかを調べ、
言語間の近縁関係を数値化し、言語の系統樹を作成した。

この系統樹によれば、まずヒッタイトの言語が登場、その後、7,000年前までにギリシャ語を含むグループ、アルメニア語を含むグループが分かれ、
5,000年前までに英語、ドイツ語、フランス語などにつながるグループができたという。

Gray & Atkinson 2003[2]による、系統樹と、祖語の年代を以下に示す。年代の単位はBP(年前)。
( ) 内はブートストラップ値(グループの確実さ)で、不確実な分岐も図示されていることに注意。
とくにいくつかのブートストラップ値は50未満という低い数字となっており、系統分岐の仕方そのものが正しくない可能性を示している。
また、死語のほとんど(トカラ語派とヒッタイト語以外)と一部の現存言語グループ(ダルド語派、カーフィル語派)が解析対象となっていない。

また、この方法では2つ以上の言語の融合(例:プロト・スラヴ語ないしプロト・バルト=スラヴ語の、インド・イラン語派の諸言語の影響によるサテム語化)は正しく解析されない。
そのため、ブートストラップ値次第では語派の祖語の年代は図の年代よりさらに古くも新しくもなりうる。

56 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 22:08:22.69 0
>>54

ゲール語
http://en.wikipedia.org/wiki/Goidelic_languages
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/25/Scots_lang-en.svg/500px-Scots_lang-en.svg.png


ブリソン諸語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3%E8%AB%B8%E8%AA%9E

歴史・起源
現代のブリソン諸語は、「ブリトン語(British)」「共通ブリソン語(Common Brythonic)」「古ブリソン語(Old Brythonic)」「ブリソン祖語(Proto-Brythonic)」
と呼ばれる祖語を起源に持つと通常は考えられている。これはケルト祖語、もしくは初期の島嶼ケルト語が紀元前6世紀までに発展してきたものと考えられている[2]。

代替仮説は数多くあるが、広く受け入れられているものはない。
マリオ・アリネイ(en:Mario Alinei)はケルト語の前身となる言語の存在を否定し、ケルト語は旧石器時代に成立したと語っている[要出典]。
シュテフェン・オッペンハイマー(en:Stephen Oppenheimer)は紀元前1世紀のベルガエ族の侵略によってゲルマン語派がブリテンにもたらされた可能性を指摘している。
テオ・ベンネマン(en:Theo Vennemann)は、島嶼ケルト語の基礎になる基層言語をセム語系だとしている。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Britonia6hcentury.png

57 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 00:01:03.64 0
ブリトン人の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

『ブリトン人の歴史』(ブリトンじんのれきし、ラテン語: Historia Brittonum)とは、英国アングロサクソン朝の七王国時代に編纂された、
ケルト系ブリトン人が国を支配していた時代についての歴史書。原書は828年後まもなく成立。
伝ネンニウスの著。アーサー王伝説に関する最古級の資料として重視されている。

作中では、ブリテン島の開拓が トロイアからの渡来人によっておこなわれたとし、ブリテンの国名も、アイネイアースの子孫ブルートゥスにちなんで命名されたと説く。
また、「ジェフリー・オブ・モンマスが、『ブリタニア列王史』を創作するときに使用した一大資料」[3]でもあり、
こうしたトロイア起源説などブリテン先史の部分は、そのまま中世の英国の史書(例:Brut of England こと The Chronicles of England, 1400年頃)に引き継がれている。


ブリテンの先史時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3

後期旧石器時代

クレスウェリアン文化は、ブリテンの人類最初の文化といわれる。
12,000年前ごろに現れたこの文化は、動物の骨や歯・貝殻そして象牙などから道具や装飾品を作っていた。
さらに彼らは、こうして作った道具・装身具を、かなり遠い地域にまで運んでいた。
デボンの洞穴で発見された石器は、160km離れたソールズベリー産であったことが確認されている。
このほか、石器などの往来はスカンジナビア半島にまで及んでいた。

58 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 00:09:14.84 0
>>57

後期旧石器時代

最後の寒冷期は、7万年前から1万年前にわたるディヴェンシャー氷期である。
この間人類の痕跡はまばらであるが、同時に陸続きとなった大陸から少ないながらも人類がわたってきていた。
15,000年前ごろから気候は温暖になり始め、しだいに落葉樹がブリテンを覆うようになっていった。
温暖化にともない海面が上昇し、ブリテンが島になったのは8,500年前もしくはそれ以前と考えられている。


当時の人類が、かなり遠くまで移動し、道具を作るための「キット」を常に持参していたであろうと言われる。
当時食料となる動物は、野生の馬やアカシカなどが主流で、それがいなければ野ウサギからマンモスまで、何でも狩猟の的になった。
彼らの埋葬方法は、死体の皮を剥ぎ、骨ごとにばらばらに分割して洞穴に葬るというものだったと推測されているが、証拠は十分ではない。
一方で、化石の発見のされ方から、食人習慣が存在した可能性も指摘されている。
彼らはまた、骨を削って描いた絵も残しており、精神文化の発展を見てとることができる。


Creswellian culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Creswellian

The Creswellian is a British Upper Palaeolithic culture named after the type site of Creswell Crags in Derbyshire by Dorothy Garrod in 1926.[2]
The Creswellian dates from c. 13.000 to 11,500 BP[3] and was replaced by the Ahrensburg culture.[4]


Devon
http://en.wikipedia.org/wiki/Devon
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/52/Devon_UK_locator_map_2010.svg/200px-Devon_UK_locator_map_2010.svg.png

59 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 00:17:32.99 0
Creswellian culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Creswellian

>>58

Description

Other finds from Creswellian contexts include Baltic amber, mammoth ivory and animal teeth and bone.
These were used to make harpoons, awls, beads and needles.
Unusual bevelled ivory rods, known as sagaies have been found at Gough's Cave in Somerset and Kent's Cavern in Devon.

Twenty eight sites producing Cheddar points are known in England and Wales though none have so far been found in Scotland or Ireland,
regions which it is thought were not colonised by humans until later.

Most sites are caves but there in increasing evidence for open air activity and that preferred sources of flint were exploited and that tools travelled distances of up to 100 miles from their sources.
Some of the flint at Gough's Cave came from the Vale of Pewsey in Wiltshire whilst non-local seashells and amber from the North Sea coast also indicate a highly mobile population.
This matches evidence from the Magdelanian cultures elsewhere in Europe and may suggest that exchange of goods and the sending out of specialised expeditions seeking raw materials may have been practised.
Analysis of debitage at occupation sites suggests that flint nodules were reduced in size at source and the lighter blades carried by Creswellian groups as 'toolkits' in order to reduce the weight carried.

60 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 01:41:11.74 0
ヒッポカムポス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%9D%E3%82%B9

ギリシア神話に登場する半馬半魚の海馬である。ヒッポカンポスとも表記される。
英語で hippocamp(ヒッポキャンプ) または hippocampus(ヒッポキャンパス)。 sea-horse (シーホース、「海の馬」)と通称されることもある。

ヒッポカンポスの前半分は馬の姿であるが、たてがみが数本に割れて鰭状になり、また前脚に水掻きがついている。
胴体の後半分が魚の尾になっている。ノルウェーとイギリスの間の海に棲んでいて、ギリシア神話に登場する。
ポセイドーンの乗る戦車を牽くことでも有名。その姿はワイト島とニューカッスル・アポン・タインの紋章の両側に見られる。


http://en.wikipedia.org/wiki/Hippocamp

Phoenician and Lydian[edit]

Coins minted at Tyre around the fourth century BCE show the patron god Melqart riding on a winged hippocamp and accompanied by dolphins, as seen in the Yizre'el Valley silver hoard.[3]
A gold sea-horse was discovered in a horde from the kingdom of Lydia in Asia minor, dating to the sixth century BC.[4]


Etruscan[edit]

Hippocamps appear with the first Orientalising phase of Etruscan civilization: they remain a theme in Etruscan tomb wall-paintings and reliefs,[11]
where they are sometimes provided with wings, as they are in the Trevi fountain.
Katharine Shepard found in the theme an Etruscan belief in a sea-voyage to the other world.[12]


Pictish[edit]

The sea-horse also appears in Pictish stone carvings in Scotland.
The symbolism of the carving (also known as "Pictish Beast") is not known.
It is similar but not identical to Roman sea-horse images, and it is not clear whether this originates from images brought over by the Romans, or had a place in Pictish mythology.[13]

61 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 23:29:08.54 0
お、これはもしかして

でも、その前にちょっとまとめとくか

62 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 23:56:56.67 0
こっちはとりあえず貼っておきます

A Genetic Atlas of Human Admixture History
http://www.sciencemag.org/content/343/6172/747.abstract?sid=736c3d26-56ca-4f23-930f-1fdf773fd92d
http://dienekes.blogspot.jp/2014/02/human-admixture-common-in-human-history.html


Abstract

Modern genetic data combined with appropriate statistical methods have the potential to contribute substantially to our understanding of human history.
We have developed an approach that exploits the genomic structure of admixed populations to date and characterize historical mixture events at fine scales.
We used this to produce an atlas of worldwide human admixture history,
constructed by using genetic data alone and encompassing over 100 events occurring over the past 4000 years.
We identified events whose dates and participants suggest they describe genetic impacts of
the Mongol empire, Arab slave trade, Bantu expansion, first millennium CE migrations in Eastern Europe, and European colonialism,
as well as unrecorded events, revealing admixture to be an almost universal force shaping human populations.

63 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 00:33:53.10 0
>>62

Fig. 3. Multiway admixture in Eastern Europe.
http://www.sciencemag.org/content/343/6172/747/F3.small.gif
http://4.bp.blogspot.com/-jm__QU8yqpA/Uv0dUckCRzI/AAAAAAAAJfs/IDE2cFcgasY/s1600/easterneurope.png

Mixing percentages (pie graphs) and dates (white text) inferred by using the strongest admixture “direction”
for six eastern European groups?Belarus (BE), Bulgaria (BU), Hungary (HU), Lithuania (LI), Poland (PO), Romania (RO),
analyzed when disallowing copying from nearby groups?and Greece (GR), analyzed by using the full set of 94 donors.

Mixing percentages indicate percentages for three geographic regions:
“N. Europe” (Northwest Europe and East Europe from clades of table S11; blue),
“Southern” (South Europe and West Asia; red), and “N.E. Asia” (Northeast Asia and Yakut; purple, also given above each pie), plus other (gray).

All groups except Greece show evidence (P < 0.05) of multiway admixture involving sources along the approximate directions show by the arrows.
Coancestry curves (black lines) for Bulgaria, fitted with an exponential decay curve (green lines), exemplify this multiway signal.

Each pairing of the three donor groups, each a proxy for the admixture source from a different region
(Norway, northeast Europe; Oroqen, Northeast Asia; and Greece, South Europe and West Asia),
exhibits negative correlation (a dip) in ancestry weights at short genetic distances,
implying at least three identifiably distinct ancestral sources mixing (approximately) simultaneously (9).

64 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 07:53:00.82 0
カエサルの頃にイギリスに住んでた人

>>44>>45>>46

【食文化】

鶏を飼っているが食べない
ウサギもガチョウも食べない

ほとんどの人は種を蒔かず、牧畜と漁撈で生活している
とりあえず、牛乳は飲んでる


【風俗】
大青のペインティング
髭を長く伸ばしているが、体毛をそっている
妻は家族内で共同所有(父系社会)

【軍事】
見慣れない(古風な?)チャリオット
訓練された馬

【宗教】>>48>>50>>51
ドルイドの中心地(Daru-vid(「オークの賢者」vidはサンスクリットのvedaと同源)
口頭伝承
階級制度(祭司階級、騎士階級、生産者)

【経済】
貨幣経済

65 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 19:53:45.40 0
>>62
へー、やっぱケルトとアングロサクソンは影響でかいのか。

66 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 00:40:49.71 0
>>63
Figure S13: FineSTRUCTURE tree results

へー、上側(アフリカ枝)はサンから最初に分岐したブランチの中に
エチオピア、イエメン、モロッコ、アラビアの分岐が入ってるけど残したのはエチオピアだけと。
モロッコのはアラブのやつかな。

そんで、下側(出アフリカ枝)はざっくり東西に分かれてる。

東の枝でアメリカ大陸への移住組と枝を同じくするのはパプアの人で
この辺りは過去のやつと一緒だった気がするな。
フィリピンとか東南アジアの少数民族も前はこっちと同じ枝だった気がするけど
これでは大陸組みでまとまってるね。

67 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 00:57:47.60 0
>>66
西の方は

リビア、チュニジア、モロッコのブロックがとりあえずある。

それと分かれてアラビア、近東のブロックがあるけど
ベドウィンとパレスチナはかなり細かく分岐してるね。

残りは北欧や地中海からインドまで幅広い

68 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 01:17:12.83 0
>>67
おおまかに

インドのブロック
中東のブロック
地中海のブロック
東欧のブロック(たぶんスラブ)
西北ヨーロッパのブロック

最後のブロックの中に
バスク、フランス、スペイン、ノルウェー、オークニー
の全部が別々のブロックに分かれて存在

そしてブリテンだけいろんなものが混じってて
イングリッシュ、フレンチ、ドイツオーストリア、アイルランド、スコットランド、ウェールズ
これが全部一つの枝になってるね

この中ではドイツオーストリアだけいまいちわかんない。しかも2名だけだし。
オークニーの枝が二つに分かれてるのは、島別なんだろうか、それとも、、、
まぁ、ブリテン全部がノルウェーの下に分かれてるのは同じ。

69 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 01:29:23.42 0
>>62
とりあえず項目はヨーロッパに関係なくても全部貼る


S6.3.1 summary of nine strongly signaled events

@Colonial-era European and African admixture in the Maya and Pima
AAdmixture in Cambodia dating to the period of the decline and fall of the In-dianised Khmer empire
BMongol era admixture in Eurasia
CShared admixture events in Eastern Europe in the first Millenium
DSub-Saharan African admixture in populations bordering the Mediterranean Sea,Arabian Sea and the Persian Gulf dating to the period of the Arab slave trade
EWaves of admixture in Southern Africa
FShared ancient and diverse modern admixture in Central Asia
GAdmixture in populations situated near the route of the Silk Road
HAdmixture in North-Eastern China


S6.3.2 additional events: Africa

S6.3.3 additional events: Europe

S6.3.4 additional events: Asia

70 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 02:06:25.71 0
>>69
全部貼りたいが自制、、、


S6.3.1CShared admixture events in Eastern Europe in the first Millenium

FineSTRUC-TURE did not fully separate groups from Eastern Europe so we repainted them, excluding
each other as donors (\East Europe I" analysis; see Note S7.6).

The two most easterly groups, the Russians and Chuvash, show similar signals of inferredadmixture between two sources,
one with ancestry related to Northeast Asians and one relatedto Europeans (Table S16).

There is evidence in both groups (p<0.05) that this occurred at more than one time (Figure 2D), with very ancient East Asian ancestry prior to 500BC,
in the case of Russia at least, and a recent event, consistent with approximately Mongol-empire era admixture, together contributing 10% of DNA in Russians and 35% in the Chuvash.

Six other Eastern European populations show highly shared events (Figure 3).
In con-trast to Central Asia, none of these populations shows evidence of multiple admixture times (p>0.5),
but all six independently show evidence for admixture between more than two groups (p<0.02).

For example in Bulgarian genomes, DNA chunks more closely related to those carried by
present-day Greek, Norwegian and Oroqen people tend to be separated in the genome
so that each pair of curves shows a dip at short genetic distances (Figure 3), implying these segments must occur on three different ancestry backgrounds.

The clearest admixture signal in each population predates the Mongol empire but involves the minority source group having
at least some ancestry related to Northeast Asians (e.g. the Oroqen, Mongola and Yakut),
with2-4% of these groups' total ancestry proportion linking directly to East Asia, lowest in our Polish sample and highest in Hungarians.

71 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 02:16:48.32 0
>>70

A second signal in each group involves admixture
between distinct European and West Eurasian groups

- one more southerly (sharing more DNA segments with e.g. Greece and W. Asia) and
one more northerly (sharing more DNA segments with e.g. North and Northwest Europe)

- at approximately the same time as the East Asian admixture,
and with each group inferred as contributing relatively similar amounts of DNA (though the fraction is uncertain).

Inferred admixture dates fall within a relatively tight range(440-1080CE),
earliest in Poland, with groups more distant from Poland generally having more recent dates.

Because this signal is subtle, we constructed one of our coalescent-based admix-ture settings to incorporate simultaneous three-way admixture
between similarly differentiated groups, and at a similar time (36 generations), to those inferred here
: encouragingly for our method's power, GLOBETROTTER accurately determined all three groups
given appropriate source populations (see Notes S5.4-S5.5).


S5.4 Details of \coalescent-based" simulations
S5.5 Results of \coalescent-based" simulations

72 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 02:36:09.54 0
>>71

These results are consistent with our detecting a genetic legacy from invasions of peoples
from the Asian steppes (e.g. the Huns, Magyar and Turkic Bulgars) during the first millenniumCE (31; 38), and afecting all six groups.

We speculate that the second event seen in our six Eastern Europe populations between northern European and southern European ancestral sources
may correspond to the expansion of Slavic language speaking groups (commonly referred to as the Slavic expansion) across this region at a similar time,
perhaps related to displacement caused by the Eurasian steppe invaders (38; 58).

Under this scenario,
the northerly source in the second event might represent DNA from Slavic-speaking migrants (sampled Slavic-speaking groups are excluded from being donors in the EastEurope I analysis).

To test consistency with this, we repainted these populations adding the Polish as a single Slavic-speaking donor group ("East Europe II" analysis; see Note S7.6) and,
in doing so, they largely replaced the original North European component (Figure S21),
although we note that two nearby populations, Be-larus and Lithuania, are equally often inferred as sources in our original analysis (Table S12).


Outside these six populations, an admixture event at the same time (910CE, 95% CI:720-1140CE) is seen in the southerly neighboring Greeks,
between sources represented by multiple neighboring Mediterranean peoples (63%) and the Polish (37%),
suggesting a strong and early impact of the Slavic expansions in Greece, a subject of recent debate (37).

These shared signals we find across East European groups could explain a recent observation of an excess of IBD
sharing among similar groups, including Greece, that was dated to a wide range between 1,000 and 2,000 years ago (37).

73 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 20:33:58.74 0
>>64
ここから遡る


ブリタンニアは錫の産地として遥か古代より知られており、前5世紀にはカルタゴの航海者ヒミルコ(en)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Himilco_the_Navigator

前4世紀には古代ギリシア時代のマッシリア(現:マルセイユ)出身の地理学者ピュテアス(en)がそれぞれブリタンニアへ到着し、探検したと伝わっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pytheas


あやふやな記憶によると
カルタゴが興隆するより前から
アイルランドが青銅貿易に組み込まれていた気がする

74 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 20:58:02.75 0
ピュテアス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A2%E3%82%B9

マッシリアのピュテアス(古希: Πυθ?α? ? Μασσαλι?τη?、紀元前4世紀)は、ギリシア植民都市マッシリア(現在のマルセイユ)出身のギリシア人地理学者、探検家。
紀元前325年ごろ、北西ヨーロッパへの冒険航海に出た。グレートブリテン島各地を訪れている。
白夜や極冠[1]、ゲルマン人について最初の記録を残した人物であり、フィン諸語種族と見られる民族についても最初の記録を残している。
遠いトゥーレの伝説を地理的想像力に導入した人物でもあり、潮汐の原因が月だということを最初に述べた人物でもある。



トゥーレ

トゥーレ(ギリシャ語: Θο?λη, ラテン文字表記は様々ある: Thile, Tile, Tilla, Toolee, Tylen, Thula, Thyle, Thylee, Thila, Tila など)は、
古典文学の中で語られる伝説の地で、通常は島である。古代ヨーロッパの説明や地図によれば、
トゥーレは遥か北、しばしばアイスランドの[1]、恐らくはオークニー諸島、シェトランド諸島、スカンジナビアにあると、
また中世後期やルネサンス期にはアイスランドやグリーンランドにあると考えられていた。

またそれとは別に、バルト海のサーレマー島のことだという考え方もある[2]。

中世地誌におけるアルティマ・トゥーレは、「既知の世界の境界線」を越えた、世界の最果てを意味することもある。
「アルティマ・トゥーレ」をグリーンランドの、「トゥーレ」をアイスランドのラテン名として使用する人もある。

75 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 22:26:01.22 0
>>73
アイルランドもそうだけど、ブリテン島のほうが先史時代においてよりインパクトのデカいものだったね
ストーンヘンジのちょい後の前1500年ごろには、コーンウォールなどで錫採掘が盛んになって輸出されてた
結局、コーンウォールとかデヴォンとかの錫鉱は近世に至るまで世界で最大規模のものであり続けた
あと銅についても、ランカシャーあたりだったかで先史時代から大規模に採掘されてた気がする

76 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 00:11:00.92 0
隕石
http://www.passc.net/EarthImpactDatabase/Europe.html


>>75
コンウォールの方が開発自体も規模も大きかったんだ、へー
なんでアイルランドのばっかり取り上げられてるんだろう?
遠いイメージでもあるんだろうか

77 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 00:38:24.64 0
>>75>>76

記述の通りですけど、微妙に情報が古いかも
http://en.wikipedia.org/wiki/Tin_sources_and_trade_in_ancient_times


Ceremonial giant dirk of the Plougrescant-Ommerschans type, Plougrescant, France, 1500?1300 BCE.
Wheelpit at a medieval tin mine in Dartmoor, United KingdomEurope has very few sources of tin.
It was therefore of extreme importance throughout ancient times to import it long distances from known tin mining districts of antiquity,
namely Erzgebirge along the border between Germany and Czech Republic, the Iberian Peninsula, Brittany in France,
and Devon and Cornwall in southwestern England (Benvenuti et al. 2003, p. 56; Valera & Valera 2003, p. 11).

Another minor source of tin is known to exist at Monte Valerio in Tuscany, Italy.
This source was exploited by Etruscan miners around 800 BCE, but it was not a significant source of tin for the rest of the Mediterranean (Benvenuti et al. 2003).
The Etruscans themselves found the need to import tin from the northwest of the Iberian Peninsula at that time and later from Cornwall (Penhallurick 1986, p. 80).


Tin was first mined in Europe around 2500 BCE in Erzgebirge,
and knowledge of tin bronze and tin extraction techniques spread from there to Brittany and Cornwall around 2000 BCE
and from northwestern Europe to northwestern Spain and Portugal around the same time (Penhallurick 1986, p. 93).

78 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 00:41:00.78 0
>>77

Brittany has significant sources of tin which show evidence of being extensively exploited after the Roman conquest of Gaul during the first century BCE and onwards (Penhallurick 1986, pp. 86?91).
Brittany remained a significant source of tin throughout the medieval period.

Iberian tin was widely traded across the Mediterranean during the Bronze Age, and extensively exploited during Roman times,
but its tin deposits were largely forgotten throughout the medieval period and only rediscovered in the 18th century and only re-gained importance during the mid 19th century (Penhallurick 1986, pp. 100?101).

Devon and Cornwall were important sources of tin for Europe and the Mediterranean throughout ancient times,
but began dominating the market during late Roman times in the 3rd century CE with the exhaustion of many Spanish tin mines (Gerrard 2000, p. 21).
Cornwall maintained its importance as a source of tin throughout medieval times and into the modern period (Gerrard 2000).

79 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 01:08:29.38 0
>>60
できれば全てコピペで済ませたい、、、


フェニキア人(世界の古代民族シリーズ)

アッシリアの宮廷で前9世紀以降に作成されたいくつかのレリーフには、何種類かの異なるタイプのフェニキア商船が描かれている。
一つは船首と船尾の反り上がった小型のガレー商船。
もう一つは大型で船底が丸く広がった帆船で、直立した船首材と船尾材が対称をなしている。

前者はウマの頭の船首飾りからヒッポイ(ウマ)と呼ばれ、主に地元沿岸や河川での輸送に使われた。
後者のタイプは古代にはガウロス(たらい)と呼ばれ、深くて広い船倉にたくさんの荷物を積むことができた。
全長でふつう20〜30メートル。船体中央に頑丈なマストがあり、フォアステーとバックステー(前支索と後支索)で1枚の大きな横帆を支え、帆の上部は長い帆桁に固定される。
船尾のほうに後甲板があり、乗組員の避難所やキッチンにもなった。
船体が幅広で頑丈な造りのフェニキアのガウロスは、外洋へ赴く遠距離交易にむいていた(たとえばソロモンの「タルシシュの船団」のように)。
最近、地中海でいくつか難破船が発見され、おかげでフェニキア人やポエニ人の商船とその構造については、以前よりいくらか情報が増えている。



http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-44.html

 また、この事実との関係で面白いのは、ギリシャ人の海神ポセイドン信仰であろう。ポセイドンは、海神であると同時に、ウマの神格化でもあった。
ヘロドトスは、ギリシャの神々のほとんどすべての系譜を、エジプトに求めている。ところが、ポセイドンに当る神は、エジプトの神々の中にはいない。
そこで彼は、リビア、つまり、この場合、北アフリカからサハラにかけてのアフリカ大陸に、ポセイドンの起源を求めている。ヘロドトスは、こう書いている。

 「ギリシャ人がポセイドンを識ったのはリビア人からである。本来ポセイドンなる神をもっている民族はリビア人以外にはなく、リビア人は昔からかわらずこの神を尊崇しているのである」(『歴史』、2巻、p.50)

80 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 02:29:51.20 0
>>60

エポナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9D%E3%83%8A

エポナ (Epona) は、ケルト神話、ローマ神話における、馬・ロバ・ラバなどの女神。

その名前は「ウマ科の動物」を指すケルト語 Epu から派生している。
馬の守護神であり図象では横に乗った乗馬姿か馬の間で玉座に座った女性の姿で表される。
図象にはコルヌコピアや果物の籠を持った姿や子馬を従えた姿もあらわされるため、豊かさや多産といった豊饒の女神の側面も指摘される。
エポナは馬や騎手、馬丁のみならず旅人や死後の世界の旅の守護者でもあり、死後の世界との関係も指摘される。

エポナはケルトにおける馬や騎兵の社会的位置から厚く信仰され、ガリアだけでなくイベリア半島やグレートブリテン島、イタリア半島北部、ドナウ川流域などでもその信仰はみられた。

そもそもは馬の姿であったものがガリアへの古代ローマの影響の下で人の姿をした女神として信仰されるようになったといわれる。
女神エポナはローマ軍の補助軍の騎兵たちの間でも信仰され、12月18日の祭礼の日はケルト由来の神では唯一ローマ暦に取り入れられた。

図象は現在のフランス東部で多く発見され、このあたりが信仰の中心であったと考えられている。
ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征においてウェルキンゲトリクスとの決戦の舞台となったアレシアもこうした宗教的中心地であった。

エポナの影響はマビノギオンの「リアンノン(リアノン、フリアノン、ライエノン)」の中にも見ることができる。

81 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 06:28:33.74 0
ガラマンテスの要塞を発見、リビア
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111114001

James Owen for National Geographic News
November 14, 2011


 リビアで繁栄した謎の文明の遺跡が素晴らしい保存状態で発見された。サハラ砂漠の複数の衛星写真に、リビア南西部の“失われた文明”によって築かれた100を超える要塞集落が写っていたという。

このコミュニティーは高度な文明を持つ謎多き民族ガラマンテス(Garamantes)が作り上げ、紀元前後から500年ごろに存在したと推測される。
リビア中部のフェザーン地方を支配していたガラマンテス人は、紀元前2世紀から紀元7世紀ごろにかけて繁栄した。

 研究チームは石油業界で使われる高精細な写真を含む最近の衛星画像と、1950〜1960年代に撮影された航空写真を詳しく調べ、
壁で囲まれたガラマンテスの町や村、農場を発見した。

 そして2011年に入り、現地調査でガラマンテスの陶器を収集、首都トリポリから約1000キロ南の地点で要塞の存在が確認された。
現地では42年に及んだムアンマル・アル・カダフィ政権の崩壊へとつながる内乱が始まり、調査は日程の短縮を余儀なくされた。

 プロジェクトを率いるイギリス、レスター大学のデイビッド・マッティングリー氏は、「泥レンガの保存状態に驚いた」と振り返る。
「風食などの影響で少し崩れていたが、壁が3〜4メートルの高さで残っている箇所もある」。

82 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 06:29:56.12 0
>>81

◆“驚くべき”構造物

「正確に設計された直線的な構造は、古代ローマが国境に築いた要塞と勘違いしてもおかしくない」とマッティングリー氏は話す。
「しかしここは、ローマ帝国の国境から遠く離れている。遺跡はアフリカの民族が築いた強大な王国の証拠だ」。

 さらに、マッティングリー氏らは、墓地や農場を含むこれら遺跡の密集度に驚愕した。
例えば、4平方キロの範囲に村のようなコミュニティーが少なくとも10個集まっている場所もあった。
「異常なほど密度が高い」と同氏は話す。

 ガラマンテスに関する歴史的な手掛かりはそれほど多くない。
今回の遺跡から北西に200キロほど離れた彼らの首都ジャーマ(Jarma)の発掘や、古代ローマ、ギリシャの文献に限られている。

「非常に洗練された高度な文明を持つ民族というイメージだ」とマッティングリー氏は述べる。
「彼らは冶金技術やとても上質な織物、文字を持っていた。組織化された国家レベルの社会だったことを示している」。

 オックスフォード大学の考古学者フィリップ・ケンリック氏によれば、資金不足のリビア当局は現地調査ができなかったので、ガラマンテス文明の解明が進んでいなかったという。

 欧州連合(EU)の欧州研究会議から340万ドル(約2億6000万円)の助成金を得たマッティングリー氏のチームは、
「かつてないスケールで新事実を発見している」とケンリック氏は見ている。なお、同氏はこの研究に参加していない。

83 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 06:32:19.81 0
>>82

◆サハラに緑を生み出した古代文明

 見つかった遺跡は、ガラマンテスが高度な灌漑技術を持っていたことも示している。
砂漠に緑のオアシスをつくり出していたという。「サハラ砂漠の真ん中は極めて乾燥している。
地下水を利用し、この環境を変えられるのは人間しかいない」とマッティングリー氏は説明する。

 ガラマンテスは地下に用水路をつくり、先史時代から貯留されていた水を掘り起こした。
そして、コムギ、オオムギ、イチジク、ブドウといった地中海の作物や、サハラ砂漠以南のモロコシ、トウジンビエ、綿花などを栽培した。

◆水を使い果たした?

 ガラマンテスの末路は謎のままだ。
しかし、マッティングリー氏らは地下水が枯渇し、砂漠のコミュニティーが衰退したのではないかと見ている。

 また、ガラマンテスはサハラ砂漠を越えた周辺国との貿易に依存していた。
オックスフォード大学のケンリック氏によれば、ローマ帝国が崩壊し、地中海地域で紛争が増えた結果、貿易に深刻な影響を受けた可能性があるという。

84 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 06:36:02.04 0
ラクダの家畜化は紀元前10世紀
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140212004

Mairav Zonszein for National Geographic News
February 12, 2014


 イスラエル、テルアビブ大学の2名の考古学者が発表した最新の研究結果によると、
地中海東岸部では、ラクダが最初に家畜化された時期は紀元前10世紀ごろまで遡ることがわかったという。
旧約聖書に記述された推定時期より数世紀遅いことになる。

 聖書が編纂された年代についてはさまざまな説があるが、今回の調査によると、通説よりもかなり後という可能性が高いという。
以前から歴史的資料としての信憑性に乏しいという研究結果が発表されていた旧約聖書だが、それを改めて裏付ける結果となった。

 今回の研究では、イスラエル南部、アラバ渓谷の銅精錬所でラクダが家畜化されていたという記述に言及している。

 聖書には、ヒトコブラクダが47回登場する。また、ユダヤ人の始祖アブラハム、ヨセフ、ヤコブといった人々が登場する物語には、家畜のラクダに関する記述がある。
例えば創世記24章11節は、「彼はラクダを町の外の、水の井戸のそばに伏させた。時は夕暮で、女たちが水をくみに出る時刻であった」となっている。

 専門家はその時期について、創世記の内容や、シュメール人の都市ウル(現在のイラク)の遺跡で見つかった考古学的情報、
または都市国家マリ(現在のシリア)の遺跡で出土した粘土板の記録などに基づいて、紀元前2000?1500年の出来事と判断している。


 しかし、研究を主導したイスラエルの考古学者エレズ・ベン・ヨセフ(Erez Ben-Yosef)氏とリダー・サピル・ヘン(Lidar Sapir-Hen)氏は、
放射性炭素年代測定法と発掘物の調査から、この地域(地中海東側の沿岸国)でラクダが家畜化された正確な年代を特定。
聖書の記述は、想定よりさらに後の時期に書かれたという事実を突き止めた。

 ベン・ヨセフ氏は、「アラバ渓谷の銅精錬所跡で見つかった考古学的な証拠から、
家畜化された時期を世紀単位ではなく数十年単位の精度で特定した」と、テルアビブ大学が先週発表した声明で述べている。

 サピル・ヘン氏は、「紀元前930?900年の30年に絞ることができた」と語る。

85 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 06:37:43.16 0
>>84

◆銅とラクダの関係

 アラバ渓谷は、死海から紅海のアカバ湾まで伸び、イスラエルとヨルダンの国境を成す。
紀元前14世紀?9世紀後期ごろまで、同地域では銅の精錬が盛んだった。

 研究チームは、渓谷の遺跡で見つかる動物の遺骸に興味深い傾向があることを発見。
大量のラクダの骨が、ほぼすべて紀元前930?900年代のものだったのだ。

 紀元前925年、古代エジプト王シェションク1世が同地域を侵略した時期とも重なっている。

 研究チームは現在、この史実とラクダの関係性について調査中だ。
エジプトがユダ王国とイスラエル王国を征服した後、銅精錬事業を再編、
その過程でそれまで利用されていたロバやラバよりも効率的な輸送手段として、ラクダが導入された可能性がある。

 地中海東側の地域では、ラクダの家畜化によって経済的、社会的に大きな変化が訪れたはずだ。
活動範囲も、広大な砂漠地帯を越えてかつてないほどに広がったとみられる。

 アラバ渓谷の発掘現場からは、新石器時代(紀元前9700年ごろ)の骨もみつかっている。
しかし野生種と推定されており、銅の塊を背負っていた痕跡はないという。

 今回の研究結果は、「Tel Aviv: Journal of the Institute of Archaeology of Tel Aviv University」誌で昨年末に発表されている。

86 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 14:49:11.72 0
土地生産力が貧しく、所謂先進性に頼るしか生きる道が無かった

87 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 15:44:35.67 0
>>85
ソロモン何処に逝っちゃうんだろうなww

88 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 20:38:09.43 0
>>76

http://en.wikipedia.org/wiki/Phoenicia


Trade

From elsewhere, they obtained other materials, perhaps the most important being silver from the Iberian Peninsula and tin from Great Britain,
the latter of which when smelted with copper from Cyprus created the durable metal alloy bronze.
Strabo states that there was a highly lucrative Phoenician trade with Britain for tin.
It was once thought that this was direct trade but it is now believed to have been indirect.
Professor Timothy Champion, a specialist in this period found it likely that the trade of the Phoenicians with Britain was indirect and under the control of the Veneti of Brittany.[24]


The Phoenicians established commercial outposts throughout the Mediterranean, the most strategically important being Carthage in North Africa, directly across the narrow straits.
Ancient Gaelic mythologies attribute a Phoenician/Scythian influx to Ireland by a leader called Fenius Farsa.
Others also sailed south along the coast of Africa.

A Carthaginian expedition led by Hanno the Navigator explored and colonized the Atlantic coast of Africa as far as the Gulf of Guinea;
and according to Herodotus,
a Phoenician expedition sent down the Red Sea by pharaoh Necho II of Egypt (c. 600 BC) even circumnavigated Africa and returned through the Pillars of Hercules after three years.
Using gold obtained by expansion of the African coastal trade following the Hanno expedition, Carthage minted gold staters in 350 BC bearing a pattern,
in the reverse exergue of the coins, which some have interpreted as a map of the Mediterranean with America shown to the west.[25][26]

In the 2nd millennium BC, the Phoenicians traded with the Somalis.
Through the Somali city-states of Mosylon, Opone, Malao, Sarapion, Mundus and Tabae, trade flourished.

http://en.wikipedia.org/wiki/Maritime_history_of_Somalia

89 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 22:23:40.57 0
ああ、あのヴェネティ族を通じた間接交易が主だったんだな・・・たしかカエサルにガリア戦役でやられた部族
ブルターニュとコーンウォールなら海峡わたってすぐだし、継続的な錫交易ルートがすでに構築されてたんだろう
フェニキアも用が足せればブリテン島まで行く必要もないし、すんなり納得できる説だな

90 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 02:56:49.84 0
>>89

ウェネティ族 (ガリア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E6%97%8F_(%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2)
があるけど、こっちはあんまりおもしろくない

アルモリカ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%AB
>>56

http://en.wikipedia.org/wiki/Veneti
あと、そこに載ってないもう一つのウェネティ族

91 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 22:48:31.38 0
>>75

結局あの辺りって産業革命の口火を切る役割を果たした訳だし
つまるところ地質がパクス・ブリタニカを支えたんだろうか


>>89
結構、海の難所みたいだね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B5%E3%83%B3%E5%B3%B6
古いブルトン語のことわざに「ウェサン島を見る者は己が血を見、サン島を見る者は己が終わりを見る」というものがあり、
これは島の周辺が、多くの岩と10ノットを超す潮流がある航海の難所であることを意味している。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E5%B2%AC
北部ヨーロッパから地中海へのルート上の突出した陸標であることから、フィニステレ岬の海戦と呼ばれる戦いが付近で何度か行われてきた。
またこの地の海岸は、数多くの船が難破したことから、地元では「コスタ・ダ・モルテ(Costa da Morte)」すなわち「死の海岸」と呼ばれている[3]。
1870年にはイギリス海軍の甲鉄艦「キャプテン」が遭難し、約500名の死者を出した。

92 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 23:39:03.23 0
>>79

>>88にあった、しかもまんま

Phoenician ships[edit]

The Greeks had two names for Phoenician ships: hippoi and galloi.
Galloi means tubs and hippoi means horses.

These names are readily explained by depictions of Phoenician ships in the palaces of Assyrian kings from the 7th and 8th centuries,
as the ships in these images are tub shaped (galloi) and have horse heads on the ends of them (hippoi).
It is possible that these hippoi come from Phoenician connections with the Greek god Poseidon.


カルタゴの建国神話で
ティルスの入植者がウマの頭を掘り出した
って話は見つからない

93 :世界@名無史さん:2014/02/22(土) 00:43:08.78 0
ぉ、またきたっぽい


http://dienekes.blogspot.jp/2014/02/aims-and-fine-structure-in-15-european.html
http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/full/ejhg20141a.html


European Journal of Human Genetics advance online publication 19 February 2014; doi: 10.1038/ejhg.2014.1

Using ancestry-informative markers to identify fine structure across 15 populations of European origin

Laura M Huckins et al.

The Wellcome Trust Case Control Consortium 3 anorexia nervosa genome-wide association scan includes 2907 cases from 15 different populations of European origin genotyped on the Illumina 670K chip.
We compared methods for identifying population stratification, and suggest list of markers that may help to counter this problem.
It is usual to identify population structure in such studies using only common variants with minor allele frequency (MAF) >5%
; we find that this may result in highly informative SNPs being discarded, and suggest that instead all SNPs with MAF >1% may be used.
We established informative axes of variation identified via principal component analysis and highlight important features of the genetic structure of diverse European-descent populations, some studied for the first time at this scale.
Finally, we investigated the substructure within each of these 15 populations and identified SNPs that help capture hidden stratification.
This work can provide information regarding the designing and interpretation of association results in the International Consortia.

94 :世界@名無史さん:2014/02/22(土) 00:46:27.02 0
>>93

http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/images/ejhg20141f2.jpg

Fine structure between the 15 European populations studied.

(a) Fine structure across all populations: PC1 versus PC2.

(b) The distribution of samples is shown for each population.
Outlying samples (deviating in location by more than 3?SDs from the mean) were excluded.
A three-point moving average filter was used to smooth outlines.

(c) Fine structure across all populations: PC2 versus PC3.

(d) The distribution of samples is shown for each population, calculated as in (b).
CA, Canada;
CZ, Czech Republic;
DE, Germany;
ES, Spain;
FI, Finland;
FR, France;
GR, Greece;
NIT, North Italy;
NL, Netherlands;
NO, Norway;
PL, Poland;
SE, Sweden;
SIT, South Italy;
UK, United Kingdom;
USA, United States of America

95 :世界@名無史さん:2014/02/23(日) 02:01:44.99 0
>>94

さて、とりあえずFig(a)は前にあった
農耕民と先住民を別けたものと似て見えるけど、
面白いのは(左)FIN⇔(右)NLに別れてるところかな。

だから今回のはPC3が記入されたFig(c)を確認してみる。

三つに分かれるけど
1つはFinのまんま。ただし→ES→FRの系列(サーミ人のやつかな?)
2つ目は真ん中で、GR→NIT→SITで、アイスマンの流れだよね。
3つ目は上のラインで、PO→DE、CZ

センターにNO、SEってところか。
とすると反対側に、UK、NLの流れが見えてくるっと。


色が見づらいから間違ってるかもしんないけど
めんどくさいことは他の人がやってくれるだろうと信じている

96 :世界@名無史さん:2014/02/23(日) 16:21:48.84 0
そのスレに移動していたのですか。
ざっと読ませていただいてます。
94は最近の論文によく出てくる表ですね。
まだ理解が追いついていない段階です。

97 :世界@名無史さん:2014/02/23(日) 18:53:22.19 0
レナ川とは別らしい

>>47

ユカギール諸語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%9E

ユカギール諸語(ユカギールしょご)とは、シベリア東部のコリマ川流域に住むユカギール民族が話す言語の総称で、古シベリア諸語の一つとして分類されている。
現在ほとんどの人々がロシア語やサハ語を使うようになって、話者は200人以下に減り(1989年)、絶滅の危機に瀕している。
現在残っているのは2つの言語だけである。


北部ユカギール語(ツンドラ・ユカギール(英語版)、部族名としてはヴァドゥル):
話者は30ないし150人。
コリマ川下流部で使われるが、かつてはさらに広く、西のレナ川付近でも使われた。

南部ユカギール語(英語版)(タイガ・ユカギール、部族名オドゥル):
話者は10ないし50人。コリマ川上流部で使われ、サハ共和国とマガダン州の方言に分けられる。
孤立した言語であり、他言語との関係は明らかでない。ウラル語族と遠い関係があるとの説もあるが、一般に支持されてはいない。
文法的にはウラル語に似た膠着語であるが、名詞には接尾辞がつくのに対し動詞には接頭辞がつく特徴がある。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Uralic-Yukaghir.png

98 :世界@名無史さん:2014/02/23(日) 23:03:59.70 0
>>96
大丈夫、俺も全然わかってないww

この先、続々と古人骨の分析がでるっぽいので
まったく追いつかなくなりそうだね


ここ4000年程度の遺伝子プールの変化を追いかけたかったら
>>63のサイトのやつが良さそうだけと、
ウチはブラウザが対応してなくてほとんど見れてないww

99 :世界@名無史さん:2014/02/24(月) 00:13:30.97 0
>>95
間違ってるのと勘違いがあるので修正

1つはFI→ES→FRの系列
2つ目は真ん中で、GR→NIT→SIT
3つ目は上のラインで、PL→DE、CZ

FRとDEとCAの範囲が広いってことは、それだけ流入があったってことなんだろうね

http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/images/ejhg20141f1.jpg

100 :世界@名無史さん:2014/02/24(月) 22:50:37.87 0
>>85
ラクダの家畜化はいつで
乳糖耐性の獲得はいつなのか?

アラビア半島が人を寄せつけないほど砂漠化したのは
ざっくりサハラと同じタイミングだった気がするんだよな

101 :世界@名無史さん:2014/02/24(月) 23:28:55.41 0
>>74
スズの交易[編集]

コーンウォールの原住民はスズのインゴット(鋳塊)を生産していた。
鉱石を掘り、溶かして指の骨のような形の塊を作っていた。
そしてそれを干潮のときに Ictis の島に運ぶ。
商人がそこでスズ鋳塊を購入し、馬に乗せてローヌ川河口まで運んだ。
ディオドロスは、コーンウォールの人々は商人とのやり取りに慣れているため、文明化されたやり方で余所者をもてなすとしている。


http://en.wikipedia.org/wiki/Ictis

Ictis, or Iktin, is or was an island described as a tin trading centre in the Bibliotheca historica of the Sicilian-Greek historian Diodorus Siculus, writing in the first century BC.

While Ictis is widely accepted to have been an island somewhere off the southern coast of what is now England, scholars continue to debate its precise location.
Candidates include St Michael's Mount and Looe Island off the coast of Cornwall, the Mount Batten peninsula in Devon, and the Isle of Wight further to the east.


バルト海発見

大プリニウスの『博物誌』には次のように記されている[2]。

ピュテアスによれば、ゲルマン人の民族 Gutones が Mentonomon という海洋の入り江沿いに住んでおり、その領域は6000スタディアにも及ぶという。
その居住地域から1日の帆走で Abalus という島に到達し、その海岸には春に打ち寄せる波によってコハクが打ち上げられる。
このコハクは海の産物であって、住民はこれを燃料として使い、近隣に住む Teutones に売っている。

それより前に大プリニウスは、スキタイの住む海岸から3日の帆走で Xenophon of Lampsacus が Balcia、ピュテアスが Basilia と呼ぶ大きな島に到達すると記している[36]。
これは一般に上述の Abalus と同一の島だと解釈されている。コハクが産出する島だとすると、ヘルゴラント島、シェラン島、グダニスク湾の海岸、サンビア半島、クルシュー・ラグーンが古来からコハクの産地として知られていた。
なおこの一節は Germania という語が使われた初期の文献である。

102 :世界@名無史さん:2014/02/24(月) 23:40:16.87 0
>>101

テウトネス族
http://es.wikipedia.org/wiki/Teutones
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/Cimbrians_and_Teutons_invasions.svg/500px-Cimbrians_and_Teutons_invasions.svg.png

テウトネス族(ラテン語:Teutones)とは、古代ヨーロッパに存在した部族の名称である。
古代ギリシアおよび古代ローマの2人の地理学者であるストラボンやウェッレイウス・パテルクルスは
テウトネス族がキンブリ族と近い関係にあったとし、民族的にはゲルマニア系またはガリア系であったとしている。
テュートン族(Teutons)とも呼ばれる。

クラウディオス・プトレマイオスの地図によると、テウトネス族はユトランド半島が原住地とあり、ポンポニウス・メラ(en)はスカンディナヴィアに居住していたとする。
いずれにせよ、現在のデンマーク北部がテウトネス族の領域であったことで一致している。

紀元前113年頃からテウトネス族はキンブリ族と共に大挙して、ダヌビウス川(現:ドナウ川)の谷を南と西側より渡った。
テウトネス族らはやがて、ローマの領域へと侵入、ガリアを通過して、イタリア本土を攻撃するに至った。
テウトネス族は幾つかの戦闘で勝利を収めたが、紀元前102年にローマの執政官ガイウス・マリウスが率いるローマ軍とのアクアエ・セクスティアエの戦いで大敗を喫し、テウトネス族の王テウトボド(en)はローマへと連行された。

世界大百科事典内のTeutonesの言及.
【チュートン人】より
…狭義には古代ゲルマン人の一派テウトネス族Teutones,Teutoniをいう。彼らはユトランド半島に住んでいたが,
浸食や高波による土地荒廃のため,隣接するキンブリ族Cimbriとともに南方移動を開始,
前110年ころまでにはヘルウェティイ族Helvetii(スイス中部に住んでいたケルト系部族)の一部も加えてライン川に達し,ガリアへ侵入した。…


Abalusはない
http://sv.wikipedia.org/wiki/Abalus
http://en.wikipedia.org/wiki/Baltia

103 :世界@名無史さん:2014/02/25(火) 00:02:29.74 0
エーレクトラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC

ギリシア神話に登場する女性である。長母音を省略してエレクトラとも表記する。同名の女性が数名いる。

オーケアノスの娘。
アトラースの娘。プレイアデスの1人。
アガメムノーンの娘。
ダナオスの娘。
ここでは主にアガメムノーンの娘について述べる。


アガメムノーンの娘[編集]
ミュケーナイ(ミケーネ)王アガメムノーンと王妃クリュタイムネーストラーの娘。心理学用語「エレクトラコンプレックス」の語源となった。
Elektraという名前は琥珀(elektron)に由来し、「琥珀の目のエーレクトラー」とも呼ばれる。

104 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 01:59:43.83 0
Recent radiation of R-M269 males in Europe
http://dienekes.blogspot.jp/2014/02/recent-radiation-of-r-m269-males-in.html

Recent Radiation within Y-chromosomal Haplogroup R-M269 Resulted in High Y-STR Haplotype Resemblance
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/ahg.12050/abstract


Y-chromosomal short tandem repeats (Y-STRs) are often used in addition to Y-chromosomal single-nucleotide polymorphisms (Y-SNP) to detect subtle patterns in a population genetic structure.
There are, however, indications for Y-STR haplotype resemblance across different subhaplogroups within haplogroup R1b1b2 (R-M269) which may lead to erosion in the observation of the population genetic pattern.
Hence the question arises whether Y-STR haplotypes are still informative beyond high-resolution Y-SNP genotyping for population genetic studies.
To address this question, we genotyped the Y chromosomes of more than 1000 males originating from
the West-European regions of Flanders (Belgium), North-Brabant and Limburg (the Netherlands) at the highest resolution of the current Y-SNP tree together with 38 commonly used Y-STRs.
We observed high resemblance of Y-STR haplotypes between males belonging to different subhaplogroups of haplogroup R-M269.
Several subhaplogroups within R-M269 could not be distinguished from each other based on differences in Y-STR haplotype variation.
The most likely hypothesis to explain this similarity of Y-STR haplotypes within the population of R-M269 members is a recent radiation where various subhaplogroups originated within a relatively short time period.
We conclude that high-resolution Y-SNP typing rather than Y-STR typing might be more useful to study population genetic patterns in (Western) Europe

R-M269は、the R1b1a2 (R-M269) branch of R1b でwikipediaと異なってるね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1b_(Y-DNA)
しかし、読む元気なし。ここは好きな人が。

105 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 02:19:50.59 0
Ancient DNA from Upper Paleolithic Lake Baikal (Mal'ta and Afontova Gora)
http://dienekes.blogspot.jp/2013/11/ancient-dna-from-upper-paleolithic-lake.html
http://2.bp.blogspot.com/-Atc-yykaT1c/Uo0Tyu_EB_I/AAAAAAAAJZ4/kZHJkoNpey0/s1600/treemix.png



Ancient DNA from Tianyuan Cave
http://dienekes.blogspot.jp/2013/01/ancient-dna-from-tianyuan-cave.html
http://3.bp.blogspot.com/-81x-N7FJNOo/UP7cYYc6jpI/AAAAAAAAIVA/8Y3uNLVuM-k/s1600/treemix.jpg

http://intl.pnas.org/content/early/2013/01/17/1221359110.abstract


ちなみにあっちのスレで最後の方で間違い云々言ってたけど大して問題なかった。
>>62 >>63に関して
この辺りを見たらわかる。
>>70 >>71 >>72

モンゴルなんかの影響を低く見積もり過ぎちゃったのかと心配したんだけど
やっぱ、ほとんど遺伝子プールに貢献してない。

106 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 02:38:31.27 0
>>105

http://archive.ethnologue.com/15/show_country.asp?name=RUE

Avar
[ava] 556,000 in Russia (1989 census). Population total all countries: 600,959. Southern Dagestan ASSR and Terek and Sulak river areas.
Also spoken in Azerbaijan, Kazakhstan, Turkey (Asia). Alternate names: Avaro, Dagestani.
Dialects: Salatav, Kunzakh (Xunzax, Northern Avar), Keleb, Bacadin, Untib, Shulanin, Kaxib, Hid, Andalal-Gxdatl, Karax (Karakh), Batlux, Ancux (Antsukh), Zakataly (Char).
Classification: North Caucasian, East Caucasian, Avar-Andic, Avar



Mari, Eastern
[mhr] 525,480 in Russia (1993 UBS). Population total all countries: 534,569.
Ethnic population: 604,000. Mari ASSR, east of the Volga, Bashkir,
Tatar, Udmurt ASSR, Perm, Sverov, Kirov Oblasts. Capital is Yoshkar-Ola, 500 km east of Moscow. Also spoken in Kazakhstan.
Alternate names: Cheremis, Low Mari, Mari, Mari-Woods, Meadow Mari, Lugovo Mari. Dialects: Grassland Mari (Meadow Mari, Sernur-Morkin, Yoshkar-Olin, Volga).
Classification: Uralic, Mari


Mari, Western
[mrj] 66,000 (1993 UBS). Mari ASSR, south of the Volga, Gorno-Mariy, and some in Bashkortostan.
Capital is Yoshkar-Ola. Alternate names: Cheremis, Gorno-Mariy, High Mari, Hill Mari, Mari-Hills. Dialects: Kozymodemyan, Yaran.
Speakers have difficulty reading Eastern Mari because of lexical differences.
There are also phonological and morphological differences.
Classification: Uralic, Mari

107 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 20:36:27.53 0
青銅器時代の森林跡が出現、ウェールズ
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140227005


Simon Worrall for National Geographic News
February 27, 2014


 イギリス、ウェールズ地方の西海岸、ボース村の人々は先月、嵐が去った跡の異様な景色に目を瞠った。
砂が吹き飛ばされて、浜に埋まっていた数百本もの切り株が姿を現したのだ。

 故事を知る村人は、数千年前に海中へ消えたと信じられている、神話上の王国「グワイロッドの百戸村(Cantre'r Gwaelod)」の一部だろうかと疑った。

 大半はオーク(ナラ)やマツで、青銅器時代にさかのぼる切り株と推定されている。
6000年から5000年前に泥炭に埋まり、やがて海面が上昇して水没していたが、今冬の激しい嵐で泥炭や砂がはぎ取られた。
酸素が少ない環境で、ほぼ完璧な状態で保存されていたという。

 枝が折り重なった“歩道”も発見されている。4000年から3000年前に、上昇した海面の上を渡るために造られたようだ。
歩道を見つけたディアナ・グルーム(Deanna Groom)氏は、「ボース村の周辺が大嵐に見舞われると、考古学的な発見につながる場合が多い」と話す。
同氏はウェールズ古代歴史遺跡王立委員会(Royal Commission on the Ancient and Historical Monuments of Wales)で、海岸部を担当している。

 先月の嵐がきっかけとなり脚光を浴びた古代遺物は、ボース村の森だけではない。コーンウォールのマウンツ湾でも水没していた森が見つかり、
ドーセット州とデボン州東部にまたがる海岸線「ジュラシック・コースト」では魚竜の骨格が発見された。
北海沿岸、ノーフォークのヘイズバラでは、硬化した堆積物の表面に85万年前の人類の足跡が顕わになり、アフリカ外で見つかった最古の足跡として話題になった。

108 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 20:43:13.12 0
>>107

 しかし、人々の想像力をかき立てるのは、やはり「グワイロッドの百戸村」の伝説だろう。
初めて登場した文献『カーマーゼンの黒本』は1250年頃の作で、ウェールズ語で書かれた最も古い写本でもある。
6世紀のウェールズの王国で、海面より低い豊饒の地を囲む堤防が決壊、海に飲み込まれたというアーサー王物語群の1エピソードだ。
浸水のきっかけは、メレリッド(Mererid)という娘が、自分の井戸を溢れさせたからだという。

 また、「サーンバドリッグ(Sarn Badrig)」という防潮堤の水門を管理していた王国の王子が、酒に酔いつぶれ閉じ忘れたせいで水没したというバージョンもある。

 語り継がれた物語に科学的な証拠は乏しく、ボース村の周辺で居住地の形跡が発掘された例もない。サーンバドリッグは実在するが、氷河によって運ばれた堆積物の洲にすぎない。
しかし、多くの民話や神話の揺籃の地、ウェールズでは、事実がどうあれ誰もが言い伝えに一目置いている。いつの日か、グワイロッドの百戸村が海中から復活するかもしれないのだ。


http://en.wikipedia.org/wiki/Cantre'r_Gwaelod

109 :世界@名無史さん:2014/02/28(金) 01:05:03.82 0
>>53

Beaker culture
鐘状ビーカー文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98%E7%8A%B6%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%96%87%E5%8C%96

鐘状ビーカー文化(英語:Bell-beaker culture、あるいはビーカー文化 Beaker culture、広口杯文化、さらにはビーカー民 Beaker folk/Beaker people)は
紀元前2600年ごろから紀元前1900年ごろまでの、後期新石器時代から初期青銅器時代にかけて広がっていた、鐘状ビーカーと呼ばれる独特の大型広口杯の水平分布域(cultural horizon)。
「文化」とつくが、単一の文化圏ではない。

ケルト語派の諸言語やその社会の初期の発展段階と非常に密接な関係があると見られている。

名称[編集]
これよりはるかに古い時代(紀元前5千年紀―紀元前3千年紀)に漏斗状ビーカー文化(英語版)(略称TRBまたはTBK)が、
別の地域である中央ヨーロッパ北部に存在していたため、これと明確に区別する際に「鐘状ビーカー」(Bell-beakerないしBell-shaped beaker)とする。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Bellbeaker_map_europe.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Beaker_culture_diffusion.svg/500px-Beaker_culture_diffusion.svg.png

110 :世界@名無史さん:2014/02/28(金) 01:35:42.97 0
>>63
ブルガリアとギリシャの比率の逆転はなんでだろうな?

アナトリアからブルガリアやポーランドに
継続的に侵入したからだとしても疑問が残るよね

111 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 08:53:25.28 0
ケフィア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2

ケフィア(ロシア語: Кефи?р、kefir)とはカフカース地方を起源とする、発酵した乳飲料である。
他の表記はkeefir, kephir, kewra, talai, mudu kekiya, milkkefir, bulgarosなど。日本では「ヨーグルトきのこ」として知られる。ロシア語名に従ってケフィールとも。



概要
ケフィアグレイン(Kefir grains。ケフィア粒とも)という種菌を用いて、ワクチンなどを接種していない牛やヤギ、羊の乳で作られる。
かつての伝統的なケフィアは、ヤギ皮の袋の中で作られていた。
ミルクとケフィアグレインはその袋に入れられて戸口の近くにぶら下げられ、戸口を通る際に袋と接触することで中身がよく混ざり続けたのである[1]。
ケフィアグレインは酵母や真正細菌の結合体である。この共生母体は、カリフラワーに似た形状を形作っている。
今日において、健康に利点があるというその新たな調査により、ケフィアは段々と人気が高まってきた。
他にも、異なった多くの真正細菌や酵母がこの微生物の複合体であるケフィアグレインから見つかっている[2]。

伝統的なケフィアは概して一晩を要し、常温で発酵する。
ラクトースの発酵は、薄いヨーグルトの濃度と同程度の酸・炭酸・そして僅かなアルコールを生じさせる[3]。
ケフィアは20世紀初期にバターやチーズ等の小規模な製造場で1パーセントから2パーセントの間のアルコール濃度に発酵していたが、
近代的な製造方法で商用に作られたケフィアは1パーセント以下のアルコール濃度で作ることが可能となった。
これは発酵時間が減少したためと考えられている[1]。しばしばカスピ海ヨーグルトと混同されがちだが、酢酸菌類の有無などから別物である[4]。


ケフィアの製造
慣習的なケフィアの製造には、真正細菌と酵母のゼリー質の集合体であるケフィアグレインが必要とされる。
このケフィアグレインには糸のような質感で口の中でもそれが感じ取れる、「ケフィラン」として知られる水に溶けやすい多糖が含まれている。
ケフィアグレインは発酵の中で成長し、さらなるグレインが産出されるのである。
グレインは白色から黄色に見え通常はクルミ大の大きさであるが、米粒と同じくらいの大きさの場合もある。

112 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 15:54:33.09 0
「いいえ、ケフィアです。」

2014年02月28日 12時14分04秒
紀元前1600年ごろに作られた世界最古のチーズが発見される

http://gigazine.net/news/20140228-oldest-cheese-found-on-mummies/

ゴーダチーズの熟成期間は3〜5年、チェダーチーズには10年以上熟成させるものがありますが、それらとは比べものにならないほどの熟成期間を経たチーズが中国のミイラから発見されました。

Great Gouda! World's oldest cheese found - on mummies
http://www.usatoday.com/story/tech/2014/02/25/worlds-oldest-cheese/5776373/

チーズを発見したドイツにあるマックス・プランク分子細胞生物学研究所のAndrej Shevchenko教授は、
「我々は初期のチーズを発見しただけではなく、古代においてチーズがどのように作られていたのか、という直接的な証拠も得たのです。
チーズを作る方法は簡単かつ安価で、一般の人々にも広まっていたと考えられます」と語りました。
ミイラの首と胸の中から発見されたチーズは、紀元前1615年ごろに作られたと考えられており、ラクターゼが含まれていないタイプのものでした。


ミイラ自体は1930年にスウェーデンの考古学者によって中国北西部にあるタクラマカン砂漠で発見されていたもの。
青銅器時代の人々は親類の遺体をボートのような木製の入れ物に入れて、現在は存在しない川近くの砂丘に埋葬していました。
この時、入れ物は牛皮できっちり巻かれ、見た目はまるで真空パックにされたようだとShevchenko教授は語ります。

砂漠の乾いた環境と塩分を多く含む土によって遺体は腐食を逃れ、フリーズドライの状態になります。
発見されたミイラは明るい茶色の髪で、フェルトの帽子をかぶり、ウールのケープとレザーブーツを履いていました。
墓に入っていた植物の種や動物の組織を分析した結果、埋葬は紀元前1450年ごろから1650年ごろに行われたと見られています。

113 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 15:56:13.46 0
>>112

レンネットを使ってチーズを作るには若い動物を殺す必要がありますが、ケフィア作成と同じ方法を使うとその必要はありません。
Shevchenko教授は、この方法が中東で生まれ、その簡単さと低コスト故にアジア全体に広まったのだと主張しています。
ケフィアはラクターゼが少ないことから、乳糖不耐症が多いアジアの人にも受け入れられたのだ、とのこと。

これまでに、ポーランドでは7000年以上前のチーズこし器の破片が発見されており、
デンマークではチーズ作りに使われた可能性がある5000年前の容器が発見されていますが、
実存する最古のチーズを発見したのはShevchenko教授らのチームが初めて。

しかし、ヨーク大学のOliver Craig教授は、
「タンパク質は腐食が早く、レンネットよりも早期にケフィアと同様のチーズ作成方法が取られた、と結論づける証明は難しい」と考えています。

114 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 18:00:32.32 0
楼蘭の美女
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BC%E8%98%AD%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%A5%B3

で英語のページを見ると

http://en.wikipedia.org/wiki/Tarim_mummies
に転送される


タクラマカン砂漠から大量に出土中国最古のミイラ群
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_2.htm
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_3.htm


あと殷王朝の戦車は有名だよね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Chariot_spread.png

115 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 22:45:24.70 0
>>112

http://www.rheinbruecke.de/new_page_3.htm
http://www.rheinbruecke.de/new_pa1.JPG

116 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 10:14:40.97 0
>>114
高校生の時から不思議だった楼蘭の美女も、
遺伝子研究の進歩でコーカソイドの移動が確認されたため解明された。
あとはトカラ語派との関連だろうね。

117 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 23:06:18.29 0
>>114

船の埋葬は今思い出せる範囲だとヴァイキングかな


英スコットランドでバイキング船発掘、史上最高の保存状態
http://www.afpbb.com/articles/-/2836233?pid=7956404
英考古学チームがスコットランドで、1000年ほど前に埋められたとみられる非常に保存状態の良いバイキング船が発掘した。
英国内でここまで完璧な状態のバイキング船が発見されるのは初めてという。
 アードナマーカン(Ardnamurchan)半島で発掘された全長5メートルの船には、高位のバイキングの遺体が剣やおの、やり、金属製のびょう200個とともに収められていた。
盾の一部や銅製のリングピン、砥石、陶器なども見つかった。


ゴクスタ船
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E8%88%B9
ゴクスタ船(ゴクスタせん、ノルウェー語 gokstadskipet)は、ノルウェーのヴェストフォル県サンデフィヨルドのサンダーに位置する、
ゴクスタ農地の古墳で発見された9世紀後期のヴァイキング船。ゴークスター船等と伸ばして称されることもあり、ゴクスタ号として表記されることもある。
船葬墓と見られ、1880年にノルウェーの考古学者ニコライ・ニコライセンにより、当時まだサンデフィヨルドに合併されていなかったサンダーで発掘された。


オーゼベルグ船
http://www11.atpages.jp/te04811jp/page1-1-1-1.htm
ノルウェーのオーゼベルグで1903年に発見されたオーゼベルグ船で、9世紀終わりごろヴァリャーグたちが使ったと思われる船です。
ここでは墓として用いられ、内部には馬12頭、犬6頭、牡牛2頭の骨が発見されていました。
舷側で二人の女性の遺体が見つかっており、副葬品の豪華さと、船の装飾の豪奢さから、女王が葬られていたのではないかともいわれています。

118 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 23:38:34.62 0
>>117
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1354

ゴトランド島の舟形古墳 | 歴史・古代文明と世界のミステリー
チェルバールの舟形古墳はその典型的なもので、大きさは、長さ18メートル、幅5 メートル。中から石棺と火葬された骨、壺の破片が発見されている。
当地の伝説によると 、これはバルト海で初めてゴトランド島を発見したチェルバールという人物の墓で、
紀元前750 ...http://historyholic.blog114.fc2.com/blog-entry-115.html
死者の魂を冥界に運ぶ石造遺構
ゴトランド島といえば、バルト海に浮かぶスウェーデン最大の島である。
首都ストックホルムの南南東160キロに位置し風光明媚な土地柄で知られる。
また、同島は「船の墓」と呼ばれる船の外形を石でかたどった舟形古墳が、約350ほども点在していることでも有名だ。
チェルバールの舟形古墳はその典型的なもので、大きさは、長さ18メートル、幅5メートル。中から石棺と火葬された骨、壺の破片が発見されている。
当地の伝説によると、これはバルト海で初めてゴトランド島を発見したチェルバールという人物の墓で、紀元前750年ごろのものだとされる。

これら舟形古墳は、青銅器時代であった紀元前1500〜前500年ごろに、同島に導入された。
島の住人にとって、船は単なる海上交通の手段ではなく、当時の天体運行のシンボルでもあった。
さらに、彼らの信仰では死者の魂を冥界に運んでくれるものでもあり、舟形古墳はそうしたものの象徴だったのだろう。

なお、ゴトランド島に人類が住みついたのは、旧石器時代のことといわれている。海上交通は当時から盛んで、このころすでに、スウェーデン本土との交易が盛んだったらしい。


もとネタが見つからないけど、俺も上のが記憶にある
http://en.wikipedia.org/wiki/Ship_burial

なお、中国でもかなりありそうだね
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%88%B9%E6%A3%BA%E5%A2%93&lr=lang_ja

119 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 23:42:42.36 0
イブン・ファドラーン「ヴォルガ・ブルガール旅行記」では船ごと火葬にしてたからちょっと違いがあるな
時代や地域によって多少の相違が生じたのかな

120 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 23:45:50.21 0
>>118
これだね

http://en.wikipedia.org/wiki/Stone_ship

The Stone ship or ship setting was an early burial custom, characteristically Scandinavian but also found in Northern Germany and the Baltic states.
The grave or cremation burial is surrounded by tightly or loosely fit slabs or stones in the outline of a ship.
They are often found in grave fields, but are sometimes far from any other archaeological remains.

Ship settings are of varying sizes, some of monumental proportions.
The largest known is the mostly destroyed Jelling stone ship in Denmark, which was at least 170 metres long. In Sweden, the size varies from 67 metres (Ale's Stones) to only a few metres.
The orientation also varies. Inside, they can be cobbled or filled with stones, or have raised stones in the positions of masts.
The illusion of being ships has often been reinforced by larger stones at the ends. Some have an oblique stern.

Scattered examples are found in Northern Germany and along the coast of the Baltic States.
Excavations have shown that they are usually from the latter part of the Nordic Bronze Age, c. 1000 BC - 500 BC (e.g. Gotland) or from the Germanic Iron Age, the Vendel Age and the Viking Age (e.g. Blekinge and Scania).

Scholars have suggested both that the stone ship developed out of the desire to equip the dead with everything he had in life, and alternatively that it was specifically associated with the journey to Hel.[1]
One puzzling feature is that they sometimes occur at the base of a barrow, enclosing a flat area presumably intended for public ceremonies.[2]

121 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 00:04:37.38 0
>>119
有名な本ぽいですね。
文庫本だったら読んでみようかなぁ

火葬はキリスト教以前なんだろうか

122 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 20:05:23.16 0
>>118
中国は四川省とか蜀の辺りか
そういや青銅器文明の進入経路前に調べたことあった気がしたな

123 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 20:16:41.10 0
>>121
3150円で売ってるけど、それが高いようなら図書館という手も
ちょっとした図書館なら、だいたい置いてるレベルの本なので

124 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 20:19:49.94 0
>>122
記憶になかった。寄り道だね


四川青銅器時代とは
http://abc0120.net/wiki/doc-view-4746.html

青銅器時代に入った紀元前二千年紀から約1000年の間、繁繁を続けたのが三星堆文化である。
文化の中心をなす三星堆遺跡は、成都市北約40kmの広漢市郊外に位置する。
三星堆遺跡は東西1600〜2100m、南北約2000mの城郭をもち、並行する時期の段王朝前期の鄭州商城に匹敵する規模を有していた。

1986年に土取りによって偶然に発見された二つの土坑から大量の青銅器(400数点)や玉器(500点以上)、象牙(80本以上)、子安貝、数千個)が出土した。
その造形はこれまで中国で出上した青銅器とはまったく異質なものであった。三星堆遺跡を世界的に有名にした由縁である。
この二つの祭祭祀坑から出土した青銅器などが製造された時期は三星堆文化の後半で、中原の段墟文化に並行する時期とみられる。
これらの青銅器は製作技法においては段周青銅器と同じ鋳造法でつくられているものの、
中原では青銅器が供献用の容器として発達していた点からみて、祭祭祀儀礼の実際は大きく異なっていたとみるのが自然である。

近年、青銅器の鉛同位体比分析によって流通システムが解き明かされようとしている。これまでの成来では、殷代の青銅器は中華北、 華中、遼寧省、三星堆のグループに分けられている。
二里頭遺跡の青銅器は遼寧省から山東省の鉛同位体比グループに属し、二里崗期に三星雄グループが加わる。殷墟期にすべてのグループが揃うが、特に三星堆のタイが顕著になるという。
しかしながら殷墟末期になると、華北産の鉛同位体比グループが主体となり、三星堆は衰退するようである。政治的な動向に合わせて、青銅器の材料供給が連動したのであろうか。

125 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 20:20:41.30 0
>>124

三星堆の青銅器の材料となった鉛や錫は、いずれも雲南の地から運びこまれたものであるという。
前者は金沙江沿いの永善、錫は箇旧が産地であるという。また祭祀坑から出土した多量の貝は南海産である。
すでに長距離交易を可能としたネットワークが成立していたことが認められる。
三星堆遺跡出土の青銅器の一部にみられる失蝋法による製作成法は、中国でも最古の部類に属する資料である。
一般に、河南省淅川下寺遣跡の春秋時代後期の楚墓から出土したものが、最も古い例だとされており、紀元前6〜700年に失蝋法が始まったと考えられている.
製作技法の実際についても大いに議論が進むであろう。先の産地分析などと合わせて、形式学や紋様研究とは別の視点・方法論によって、新たな青銅器研究への道が開かれつつある

126 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 20:22:43.26 0
>>123
もっぱら図書館っすね

そしてググル先生がいると本が全然進まないww

127 :世界@名無史さん:2014/03/05(水) 08:03:37.76 0
>>114

ブルガリアのチャリオット葬は2,500年前

Mystery of the 2,500-year-old horse remains found in Bulgaria that suggest the creatures were buried standing up

http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2433197/Mystery-2-500-year-old-horse-remains-Bulgaria-suggest-creatures-buried-standing-up.html


http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/09/26/article-2433197-1849748700000578-848_306x464.jpg
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/09/26/article-2433197-184975D900000578-754_634x423.jpg

128 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 01:40:52.47 0
お、そうきたか
年代変わりすぎでワラタ

Chauvet cave art not the work of earliest Europeans
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/chauvet-cave-art-not-work-of-earliest.html

ショーヴェ洞窟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E6%B4%9E%E7%AA%9F



New investigations into the cultural and stylistic identity of the Chauvet cave and its radiocarbon dating

Jean Combiera, Guy Jouve

The discovery of Chauvet cave, at Vallon-Pont-d’Arc (Ardeche), in 1994, was an important event for our knowledge of palaeolithic parietal art as a whole.
Its painted and engraved figures, thanks to their number (425 graphic units), and their excellent state of preservation, provide a documentary thesaurus comparable to that of the greatest sites known,
and far beyond what had already been found in the group of Rhone valley caves (Ardeche and Gard).

Moreover, this phase of the Middle Upper Palaeolithic (26,000?18,000) coincides with a particularly intensive and diversified local human occupation, unknown in earlier periods and far less dense afterwards in the Magdalenian.
A detailed critique of the treatment of the samples subjected to AMS radiocarbon dating makes it impossible to retain the very early age (36,000 cal BP) attributed by some authors to the painted and engraved figures of Chauvet cave.

129 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 01:56:14.49 0
Middle Neolithic European archers from France
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/middle-neolithic-european-archers-from.html
こっちはたぶん前に探したけど見つからなかったやつだろうな


Am J Phys Anthropol DOI: 10.1002/ajpa.22504
Bioarchaeology of the middle Neolithic: Evidence for archery among early european farmers

Aline Thomas

This article focuses on Neolithic skeletons associated with the first monumental cemeteries of Western Europe and specifically those of the Cerny culture (Paris Basin, France).
While this cultural context is an agrarian one, numerous arrowheads derived from complete hunting equipment are present in numerous graves.
The goal of this work is to evaluate the morphological and pathological differences among the individuals according to the presence of arrowheads in their graves.
It is postulated that those buried with such artifacts practiced archery, unlike their counterparts.
Only adult males were selected for study to limit the effect of non-mechanical factors such as age- and sex-related modifications.

130 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 02:08:18.95 0
>>129

The corpus consists of 36 males reliably identified among the 101 Cerny adults currently available.
Thirteen men are associated with arrowheads. Variations in morphology and robusticity are evaluated on the basis of the external geometric properties of the appendicular skeleton.

Entheseal changes to fibrocartilaginous attachment sites of upper and lower limbs are also examined.
Both nonpathological skeletal adaptations and pathological indicators are consistent and reveal significant differences between the two groups compared.
Functional adaptation is observed in the forearm bones and the clavicle in response to mechanical loads, and enthesopathies suggest repeated forceful use of upper limb muscles.
These osteological changes specifically reflect the higher intensity upper limb activity of the men buried with arrowheads and correspond with the medical data on known archers,
suggesting that this specific forceful task is linked to the practice of archery.



http://en.wikipedia.org/wiki/Cerny_culture

The Cerny culture (French: La Culture de Cerny, German: Cerny-Kultur) is a Neolithic culture in France that dates to the second half of the 5th millennium B.C.
and which is particularly prevalent in the Paris Basin. It is characterized by monumental earth mounds, known as enclosures of the Passy type.
The term is derived from the "Parc aux B?ufs" in Cerny in the department of Essonne who authorized the name.

Parc aux B?ufs, Cerny, Essonne
http://en.wikipedia.org/wiki/Cerny,_Essonne
http://en.wikipedia.org/wiki/Essonne
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/Essonne-Position.svg/500px-Essonne-Position.svg.png

探してたのかと思ったが、結構フランス中央の北よりなんで違うな

131 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 07:36:52.70 0
>>62

黒海北岸の言語分布

ttp://cdn.theatlantic.com/newsroom/img/posts/2014/03/UkraineCrimea/b9ee4c8a4.png
ttp://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/files/2013/12/Ethnolingusitic_map_of_ukraine.png

132 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 21:55:40.00 0
>>106

ヴォルガ川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AC%E5%B7%9D

ヴォルガ川(ヴォルガがわ、ロシア語: Волгаヴォールガ)は、ロシア連邦の西部を流れる、ヨーロッパ州最長の川で、
ロシア主要部(ヨーロッパ・ロシア中心部)を水系に含む「ロシアの母なる川」でもある。全長は3,690kmにおよぶ。


名称[編集]
スキタイはヴォルガ川を「湿気」という意味の "R?"(??)と呼んでいた。『アヴェスター』には「神秘の流れ」という意味の "Ra?h?" と言及され、、サンスクリット語では同じ意味で "ras??h" と呼ばれている。
ソグド語では「血管」という意味の "r’k"(*raha-ka、vein, blood vessel)と呼ぶ。現代モルドヴィン諸語では "Rav"(Рав)と呼ぶ。スラブ民族はスキタイ系の名称を翻訳した借用語の「ヴォルガ」と呼んだ。

この地のテュルクはヴォルガ川をイティル川(カラチャイ・バルカル語: Итил、タタール語: Идел、バシキール語: И?ел、カザフ語: Ед?л、チュヴァシ語: Ат?л)と呼んでいた。
モンゴルはイジル川(モンゴル語: Ижил м?р?н)と呼んでいた。 ヴォルガ川中流域からウラル山脈にかけてのタタール人・バシキール人・マリ人などの多く住む地方は、イデル=ウラルと呼ばれる。
フン族もこの流域に移動しており、アッティラ大王の名はこの川に由来するという見方もある。

133 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 21:58:07.97 0
>>132

ヴォルガ川
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Volgarivermap.png


>>131

ドニエプル川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%97%E3%83%AB%E5%B7%9D
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/06/Dnipro_Basin_River_Town_International.png

ドニエプル川(ウクライナ語: Дн?проドニプロー;ベラルーシ語: ДняпроドニャプローまたはДнепрドニェープル;ロシア語: Днепрドニェープル;ポーランド語: Dnieprドニェープル) は、
ロシアから始まって、ベラルーシを経てウクライナに流れ黒海に注ぐ川である。総延長は、2285km。


ドニプロ川流域(ドニプロ・ウクライナ)では古代よりさまざまな民族が生活の拠点を築いてきた。
北欧・東欧からルーシを経て東ローマ帝国に向かう「ヴァリャーグからギリシャへの道」の一部ともなってきた。
中世にはキエフ・ルーシの都、現代ではウクライナの首都キエフもこの流域に位置している。ドニエプル川は、現代のキエフの町を北から南へ縦断して流れている。

ドニプロ川流域ではその後ウクライナ・コサックが栄え、ヘーチマン国家が形成された。

ドニプロという川の名はサルマタイの言葉で「はるか遠くの川」を意味する。反対にドニエストル川は彼らの言葉で「近くの川」の意味である。

134 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:01:32.29 0
>>53>>133

琥珀の道はたいへん気になるんだけど、
気になるのはこのルートではない

135 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:25:17.10 0
>>132
アヴェスターやサンスクリット語にヴォルガを指す言葉があるということは、
イラン・インド進出前のアーリア人にとってカスピ海北岸側が行動圏であったことを示しているね

136 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:55:49.67 0
>>131>>132


タタール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

タタール(タタルとも、Tatar)は、北アジアのモンゴル高原から東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動した
モンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族名称である。

タタールと呼ばれる人々の実態は多様であり、その名が用いられる時代と場所によって指し示す民族は異なる。

現在では、旧ソビエト連邦を中心にシベリアから東ヨーロッパにかけて居住するテュルク系諸民族がタタール(タタール語: Татарлар, Tatarlar)を自称する。

これらの諸民族はロシア連邦内のヴォルガ川中流域(イデル=ウラル地域)に住むヴォルガ・タタール人(カザン・タタール人)、
ヴォルガ川下流域に住むアストラハン・タタール人、シベリアに住むシベリア・タタール人、
ウクライナ領のクリミア自治共和国に住むクリミア・タタール人、
ベラルーシ、リトアニアおよびポーランドに住むリプカ・タタール人などに別れる。

タタール人の人口が多い国はロシアで、統計上の総人口はおよそ550万人でロシア人に次ぐ多数派民族である。
このうち数が多いのはヴォルガ・タタール人で、ヴォルガ中流域のタタールスタン共和国に200万人、隣のバシコルトスタン共和国に100万人が居住する。
また、中国の少数民族のひとつタタール族(塔塔?族 ?音: t?t??rzu)は、中国の新疆ウイグル自治区に居住に住むロシア系タタール人のことで、人口は約5000人。

137 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:58:04.80 0
>>136

概要[編集]

タタル(Tatar)という語は、テュルク系遊牧国家である突厥(とっけつ)がモンゴル高原の東北で遊牧していた諸部族を総称して呼んだ他称であり、テュルク語で「他の人々」を意味する[1]。
その最古の使用例は突厥文字で記した碑文(突厥碑文)においてであり、「三十姓タタル(オトゥズ・タタル、Otuz Tatar)」や、「九姓タタル(トクズ・タタル、Toquz Tatar)」という集団が登場する。
このうちの三十姓タタルは中国史書に記されている室韋(しつい)に比定されている。
まもなく中国側もテュルク語のタタルを取り入れ、『新五代史』や『遼史』において「達靼」,「達旦」などと表記したが、これは他称ではなく、彼らの自称であるという[3]。

やがてタタルと自称する人々は時の支配者であるモンゴルに従属してヨーロッパ遠征に従軍したため、モンゴルよりも先にヨーロッパの人々にその名を知られ、
モンゴル帝国の遊牧騎馬民族が「タルタル(Tartar)」と呼ばれるようになり、その土地名も「モンゴリア(モンゴル高原)」という語が定着するまでは「タルタリー」と呼ばれた。
中でもロシア語の「タタール(Татар)」はよく知られているが、ロシアはヨーロッパの中で最も長くモンゴル(タタール人)の支配を受けた国であり、
ロシア人にとって「タタールのくびき (татарское иго)」という苦い歴史として認識されている。

モンゴル帝国の崩壊後も東アジアで「タタル」の語は使われ続け、中国側から「韃靼」として記されている。
この韃靼はかつての達靼(タタル部)ではなく、北元の後継勢力であるモンゴル人を指しているため、使い方としてはヨーロッパと類似している。

以上のように、「タタル」という呼び名は突厥碑文の「オトゥズ・タタル(三十姓タタル),トクズ・タタル(九姓タタル)」という他称に始まり、そこから派生したタタル部(達靼)が自称するようになるが、
同じく派生したモンゴル部が巨大なユーラシア帝国に成長すると、モンゴル人がヨーロッパ,中国から「タルタル、韃靼」と他称された。
また、後にロシア領となるジョチ・ウルスのモンゴル人およびテュルク化したモンゴル人は「タタール」と呼ばれたため、その子孫であるテュルク系ムスリムは今もなお「タタール人」と自称している。

138 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 23:22:01.22 0
>>135
それに関しては異存はないですね



そろそろこれにも手をつけるか


黒海洪水説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7%E6%B4%AA%E6%B0%B4%E8%AA%AC
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Black-sea-hist.png

黒海洪水(英: Black Sea deluge)は、先史時代に黒海が急速に満ちたとき起こったとされる、仮説上の大洪水である。
この説は、1996年12月にニューヨークタイムズに発表されて大きな話題となった。


「ノアの洪水」は誇張された物語?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=79767424


ノアの洪水
http://honz.jp/1510


http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/news_chikyuh/041026/index.html

139 :世界@名無史さん:2014/03/08(土) 16:50:00.97 0
>>53>>133

ヴィスワ川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%E5%B7%9D

ヴィスワ川(Wis?a)は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。
ポーランド南部のベスキト(英語版)の山脈(en:Silesian Beskids、en:Barania Gora)の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。

ヴィスワの名前は、紀元前77年に記された大プリニウスの「博物誌」にも登場する。古くはラテン語で「ウィストゥラ川 」[1]など、ポーランド語で「ヴァンダルス川」[2]などと呼ばれていた。
これらの語は非常に古いもので、スラヴ語やゲルマン語などが成立する前にそれらのヨーロッパ言語の共通祖語として存在した後期インド・ヨーロッパ祖語(球状アンフォラ文化の時代)を起源とし、
語幹は「水」を意味する(例:スラヴ語派のポーランド語でヴォダ[3]、バルト語派のリトアニア語でヴォダ[4])。

ローマ時代に一大勢力としてこの一帯に住んでいた古代部族「ヴァンダル族」[5](別名「ルーク族」[6])の名称はここから来たと推測される。
おそらく「ヴァンダル」はラテン語での他称で、「ルーク」が現地語での自称に由来していたと思われる。ポーランドでは15世紀ごろまで「Alba aqua」[7]という、ラテン語での別称ないし愛称も定着していた。
ドイツ語では「ヴァイクセル川」[8]。


ヴィスワ川は、大きく3つの区間に分けることができる。

上流:源泉〜サンドミェシュ(英語版)
中流:サンドミェシュ〜ナレフ川(英語版)とブク川との合流地点(ワルシャワの北)
下流:ナレフ川とブク川の合流地点〜バルト海


>>90
http://en.wikipedia.org/wiki/Vistula_Veneti

The term Vistula Veneti (or Baltic Veneti) has been used in modern times to distinguish the Veneti
noted by Greek and Roman geographers along the Vistula and the Bay of Gda?sk from other tribes of the same name elsewhere.

140 :世界@名無史さん:2014/03/08(土) 17:11:46.50 0
>>133>>139

ヴィスワ川
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/Vistula_river_map.png/444px-Vistula_river_map.png

分布
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Archeological_cultures_in_Northern_and_Central_Europe_at_the_late_pre-Roman_Iron_Age.png

Late Pre-Roman Iron Age:
dark green: Nordic group
dark red: late phase Jastorf culture
buff: Harpstedt-Nienburg group
green: House Urns culture
dark brown: Oksywie culture
red: Gubin group of Jastorf
olive: Przeworsk culture
lilac: West-Baltic cairns culture
reddish: East-Baltic culture
turquoise: Zarubincy culture
orange: Celtic

141 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 13:20:45.20 0
>>53

ポメラニア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%A2

ポメラニア、ポモージェ、ポンメルン(ポーランド語: Pomorze, ドイツ語: Pommern, ポメラニア語(カシューブ語): Pomorze, Pomorsko, ラテン語、英語: Pomerania, Pomorania)は、
ポーランド北西部からドイツ北東部にかけて広がる地域。伝統的、或は地勢的には北にバルト海、東西をオーデル川とヴィスワ川にはさまれた地域である。
ポメラニアの東端部の、ヴィスワ川を挟んでプロシアに接する地方はポメレリア(Pomerelia, ドイツ語: Pommerellen)と呼ばれる(中心都市はグダニスク)。

イヌの品種ポメラニアンは、ポメラニア地方が原産地である。また、世界の琥珀の90パーセントがポーランド領ポモージェ地方の海岸で産出されている。


歴史[編集]
土地が痩せていて農業に適さず、古くから海岸より奥は人がほとんど住んでいなかった。
紀元前500年ころから民族移動時代までゲルマン系の部族(ゴート族、ルギ族など)が海岸地方一帯に住んでおり、
紀元後6世紀頃以来スラヴ系のカシュープ族、ポメラニア族、オボトリト族、ルジャニ族などが住むようになった。
特にオボトリト族はユトランド半島の近くまで進出した。中世以降いわゆる東方植民により低地ドイツ系の住民が増えていった。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/Administrative_division_of_pomerania.png

142 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 13:25:23.88 0
>>53

カリーニングラード州
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%B7%9E

カリーニングラード州(Калининградская область, Kaliningradskaya oblast')は、バルト海沿岸のロシア連邦の州(オーブラスチ)。ロシア連邦の最西端で、飛び地である。
琥珀を産したことからヤンタルヌイ・クライ(Янтарный Край, 「琥珀の土地」の意)と通称される。

最大の都市は州都カリーニングラード。カリーニングラードは、かつてケーニヒスベルク Konigsberg (ドイツ語で「王の山」の意)と呼ばれ、プロイセン公国とプロイセン王国の首都であった。
州名は革命家ミハイル・カリーニンに因む。


地理
面積は15,000km2。人口密度 71人/km2。南はポーランド、北はリトアニアと国境を接する。
主要な河川はプレゴリャ川、ネマン川。バルト海沿いには大きな2つの潟湖として、ポーランドに跨るヴィスワ潟とリトアニアに跨るクロニア潟があり、
クロニア潟とバルト海を分けるクルシュー砂州は世界遺産(文化遺産)に登録されている。主要な湖にヴィスティティス湖がある。

経済[編集]
カリーニングラード州は、軍事拠点として、また不凍港として、ロシアにとって重要な地域である。大規模な造船場や、自動車の組立工場もあり、漁業が盛ん。
しかし、周囲の国々や、ロシア本国からの隔絶した地理的環境が大きな足かせとなり、輸出の不振や高い失業率が問題となっていた。だが最近リトアニアへの越境審査が簡略化され、それ以降は高い成長を維持している。
また、バルト海で発見された油田に期待が持たれている。

カリーニングラード州は世界のコハク(琥珀)の90%以上を産する。ヤンタルヌイ市にコハクの加工工場がある。

143 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 13:29:49.53 0
>>142

ヤンタルヌイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%82%A4

ヤンタルヌイ(ヤンタールヌイ、ロシア語: Янта?рный、ラテン文字表記の例: Yantarny)は、ロシア西部飛び地のカリーニングラード州西部にある都市型集落(町)。
1945年以前はドイツ領東プロイセンに属し、ドイツ語でパルムニッケン(Palmnicken, リトアニア語: Palvininkai, ポーランド語: Palmniki)といった。琥珀の産地として知られる。

ヤンタルヌイサンビア半島の先端近くにある、バルト海に面した町で、州都カリーニングラードの40km北西にある。
近くの町は、北にあるドンスコエ(ドイツ語版)(グロース・ディルシュカイム Gros Dirschkeim)および南にあるプリモルスク(英語版)(ドイツ名:フィッシュハウゼン Fischhausen)。


琥珀産業[編集]
ドイツ騎士団の時代以前から、サンビア半島のバルト海岸(「琥珀海岸」)では琥珀の採集が行われていた。
ドイツ騎士団は琥珀交易を独占し、プロシアの富の源泉となった。
16世紀には、海岸沿いで集められた琥珀はパルムニッケンに集められ、ここで選別された後、さらなる加工のためにケーニヒスベルクへと送られていった。

1818年以降、琥珀の採集権は賃貸借された。1858年にはシュタンティエン・ウント・ベッカー社(Stantien & Becker)が設立された。
同社は世界初の琥珀の露天掘り鉱山を開発したが、琥珀採掘の大部分は地下に坑道を掘る方式で行われた。主な鉱山には「アンナ」("Anna")と「ヘンリエッテ」("Henriette")があった。
当初、これら鉱山は年間に50トンの琥珀を産出したが、1937年の時点では鉱山は国営の鉱業企業、プロイセン鉱山製錬株式会社(Preusische Bergwerks- und Hutten AG)により運営され、700人の労働者を雇用して年間650トンを産出するようになっていた。

ソ連時代、この地ではルースキー・ヤンタル社が生産を続け、年間600トンの琥珀を採掘していた。しかし2002年、資源保護や環境保護の観点から、ロシア連邦政府の当局が採掘を中止させている。
その数年後、古い露天掘り鉱山の近くに新しい露天掘り鉱山「プリモルスコエ」が作られ、2008年には年間500トンの琥珀を生産している。

144 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 13:40:07.82 0
>>141
http://en.wikipedia.org/wiki/Pomerania

Prehistory and Early Middle Ages

Main articles: Early history of Pomerania and Pomerania during the Early Middle Ages

Settlement in Pomerania started by the end of the Vistula Glacial Stage, some 13,000 years ago.[7]
Archeological traces have been found of various cultures during the Stone and Bronze Age,
Baltic peoples, Germanic peoples and Veneti during the Iron Age and, in the Middle Ages, Slavic tribes and Vikings.[8][9][10][7][11][12][13]



http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Pomerania

The history of Pomerania, an area in modern-day Germany and Poland, dates back more than 10,000 years.
The name Pomerania comes from Slavic po more, which means Land at the Sea.[1]

Prehistory and antiquity

After the glaciers of the Vistula Glacial Stage retreated from Pomerania during the Allerod oscillation,[2] a warming period that falls within the Early Stone Age, they left a tundra.
First humans appeared, hunting reindeer in the summer.[53]
A climate change in 8000 BC[54] allowed hunters and foragers of the Maglemosian culture,[2]
and from 6000 BC of the Ertebolle-Ellerbek culture, to continuously inhabit the area.[55] These people became influenced by farmers of the Linear Pottery culture who settled in southern Pomerania.[55][56]
The hunters of the Ertebolle-Ellerbek culture became farmers of the Funnelbeaker culture in 3000 BC.[55][57]
The Havelland culture dominated in the Uckermark from 2500 to 2000 BC.[58] In 2400 BC, the Corded Ware culture reached Pomerania[58][59] and introduced the domestic horse.[59]
Both Linear Pottery and Corded Ware culture have been associated with Indo-Europeans.[59]
Except for Western Pomerania,[58] the Funnelbeaker culture was replaced by the Globular Amphora culture a thousand years later.[60]

145 :世界@名無史さん:2014/03/09(日) 13:44:30.72 0
>>144

http://en.wikipedia.org/wiki/Early_history_of_Pomerania

Ice Age and Paleolithic (Early Stone) Age (before 8000 BC)[edit]Further information: Ice Age and Paleolithic
20,000 years ago the territory of present-day Pomerania was covered with ice, which did not start to recede until the late period of the Old Stone Age or Paleolithic some 13,000 years BC,
when the Scandinavian glacier receded northwards (Allerod oscillation).[16]
At the site of the later Baltic Sea was the cold, saline Yoldia Sea (~11,500-9500 BC), which was succeeded by the fresh water Ancylus Lake (9500-8000 BC).


Hamburgian[edit]

Hamburgian reindeer hunters were the first humans to occupy the plains freed from the retreating glaciers in north-central Europe.
However, whether they also roamed Pomerania is uncertain:
though there are finds in neighboring regions of Denmark, Mecklenburg and Poland, there are no finds from Pomerania which can be associated to the Hamburgian techno-complex without doubt.
Though finds resembling Hamburgian typology were made in Tanowo, these finds likely stem from a later era.[17]


Federmesser, Bromme[edit]

The Federmesser and related Bromme techno-complexes are archaeologically traceable in Pomerania, but finds are sparse.[18]

That may be due to Pomerania's location within the fall-out zone of the Laacher See eruption, which in 10970 BC covered the area
with a tephra layer and is probably responsible for the emergence of the Bromme techno-complex from the Federmesser one by separating it from the southern groups.[19]

A worked giant deer antler and a sharpened horse rib from the Endingen IV Federmesser site were 14C-dated to 11555 ±100 BP and 11830 ±50 BP,
respectively, and together with a giant deer skull from Mecklenburg represent the oldest absolutely dated human traces in northeastern Germany.[20]


Ahrensburgian[edit]

146 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 15:03:51.46 0
>>145

Eemian Sea, 130,000?115,000 (years ago)
http://en.wikipedia.org/wiki/Eemian_Sea

(Baltic ice lake), 12,600?10,300)
http://en.wikipedia.org/wiki/Baltic_ice_lake

Yoldia Sea, 10,300?9500
http://en.wikipedia.org/wiki/Yoldia_Sea

Ancylus Lake, 9,500?8,000
http://en.wikipedia.org/wiki/Ancylus_Lake
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Baltic_History_7500-BC.svg/441px-Baltic_History_7500-BC.svg.png

Mastogloia Sea 8,000?7,500
http://en.wikipedia.org/wiki/Mastogloia_Sea

Littorina Sea, 7,500?4,000
http://en.wikipedia.org/wiki/Littorina_Sea
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Baltic_History_5000-BC.svg/441px-Baltic_History_5000-BC.svg.png

Post-littorina Baltic Sea, 4,000?present

147 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 22:59:52.40 0
>>141>>142>>143
さて、あきらかにおかしい

148 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 00:55:15.89 0
>>103
ここは結構おもしろい
http://www15.plala.or.jp/gemuseum/gemus-amber.htm

琥珀の呼び名

 世界各地で古来から珍重されていた琥珀ですから実にさまざまな呼び名があります。 
日本では古くは薫陸香(くんろく、あるいはくんのこ)と呼ばれていました。マッコウクジラの腸管内に出来る香料、龍涎香に対比する呼び名でしょう。琥珀は薫香としても珍重されたからです。

琥珀とは中国の呼び名です。琥も珀も玉のことです。中国人は大層玉を好んだ民族ですから、膨大な玉の字があります。
 琥(Ho)とは本来虎の形をしたヒスイを意味します。外形は八角で中に丸い穴が開いたj(そう:T'sung)と呼ばれる兵を徴発するときに使うわりふ用の玉を半分にした虎の形をした玉の呼び名でした。
珀(P'o)はそれだけでこはくを意味します。 唐代の詩人、李白の”蘭陵美酒鬱金香 玉椀盛来琥珀光”というあまりにも有名な絶句にも琥珀の光が歌われています。

琥珀の金色に因む呼び名は古今東西に共通していて、ギリシア人は琥珀を"elektron "と呼びました。
これは一般的に琥珀がこすると静電気を帯びることから電子、エレクトロンの語源となったと解説されます。しかし正しくは古代ギリシア語では光り輝くもの、琥珀や、金と銀の合金を意味しました。
太陽が雅語でelektor”と呼ばれたのと同じ語源です。

 ラテン語に入ったelectrum(エレクトラム)も自然に産する金と銀の合金を意味し、いわゆる電子、エレクトロンの意味を持ちません。
またラテン語では琥珀を"glaesum:輝くものの意味"とも呼びましたが、この言葉がドイツ語のガラスを意味する”Glas”になり、さらにある種の非常に透明な琥珀がglessiteと呼ばれるようになりました。

 今日一般的に使われるAmber(アンバー)は中世からルネサンスにかけて琥珀の取引を一手に握っていたアラブ人の呼び名に由来する言葉です。
アラビア語で”anbar”とは龍涎香のような薫香を意味しますが、この言葉もその語源をたどるとギリシア神話でオリンポスの神々が飲んでいた飲み物や香を指す”ambrosia”に由来します。
これらの単語に共通の印欧語の古い語幹”br”は燃えるという意味を持ち、ドイツ語で琥珀を意味する”Bernstein(ベルンシュタイン:燃える石”は”brennen:燃える”という動詞に由来します。

149 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 20:17:30.04 0
とりあえずきた
読む前に貼ります


Dark pigmentation of Eneolithic and Bronze Age kurgan groups from eastern Europe
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/dark-pigmentation-of-eneolithic-and.html


PNAS doi: 10.1073/pnas.1316513111

Direct evidence for positive selection of skin, hair, and eye pigmentation in Europeans during the last 5,000 y

Sandra Wilde et al.

Eye, hair, and skin pigmentation are highly variable in humans, particularly in western Eurasian populations.
This diversity may be explained by population history, the relaxation of selection pressures, or positive selection.
To investigate whether positive natural selection is responsible for depigmentation within Europe, we estimated the strength of selection acting on three genes known to have significant effects on human pigmentation.
In a direct approach, these estimates were made using ancient DNA from prehistoric Europeans and computer simulations.
This allowed us to determine selection coefficients for a precisely bounded period in the deep past.
Our results indicate that strong selection has been operating on pigmentation-related genes within western Eurasia for the past 5,000 y.

150 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 20:42:38.62 0
>>149
せいぜい数体のサンプルかと思ったら
かなり広範囲の発掘サイトでかなりたくさん調べてるね

前のスレ向きの話だし、
こういう形になってるの見たかったんだよね

Table S1. Cont.

Benkovski 、Durankulak
Kalinovka 、Krasnorechensk
Lisichansk 、Mayaki
Molyukhov Bug 、Nevskoe
Nikolaevka III
Novozvanovka I
Olennii 、Ovchartsi
Peschanyi 、 V
Pestchanka II
Podlesnyj
Popovo 、Riltsi
Shakhta Stepna
Smyadovo

Kirovograd Sugokle ya
Temrta III 、 V
Tetcani
Vinogradnoe

Cat1, early Catacomb culture (ca . 4,700 ?4,500 y ago); Cat2, developed Catacomb culture ( ca . 4,500 ? 4,000 y ago); Early ENL, Early Eneol ithic (ca . 6 ,500 ?5,000 y
ago); EBA, Early Bronze Age; Late ENL, Late Eneolith ic (ca . 5 ,500 ? 4,000 y ago); Ya m, Yamnaya/ Pit Grave culture ( ca . 5,000 ? 4,500 y ago). Hapl otypes are
presented according to the rCRS positions (1) (minus 16,00 0). SNPs of the coding regi on are prese nted in Table S2.

151 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 20:52:44.70 0
>>149

SI Methods

Samples and the Archaeological Background. Ancient DNA analyses
were performed on 15 0 Eneo li th i c and B ronze Ag e i ndi vid uals
fr om 34 sites i n t he North P ontic steppe. The area under s tudy
st r e t ch e s f r o m southern Bulgaria across the present-day Republic
of Moldova and Ukraine in the west of the Eurasian steppe belt
up to the middle course of the Volga and the river Manych in the
east. With the exception of several early Eneolithic graves all
other burials were discovered in barrows, so-called kurgans . Fifty-eight percent of the samples were discarded in the course of the
work because they did not yield any DNA (57 samples), were not
preserved well enough to be reproduced sufficiently (26 sam-ples), or were contaminated (4 samples).

Samples from 63 in-dividuals in 59 graves at 23 archaeological sites could be used in
the population genetic analyses (Table S1). All samples were
dated typologically and assigned to various cultures. In some
cases radiocarbon dates were available to verify the relative dates
by falling into the widely recognized time frames of the re-spective cultures.

152 :世界@名無史さん:2014/03/11(火) 21:07:54.05 0
>>149

Yamnaya (or Pit Grave) culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Middle_Dnieper_culture

The Middle Dnieper culture is an eastern extension of the Corded Ware culture, ca. 3200?2300 BC, of northern Ukraine and Belarus.
As the name indicates, it was centered on the middle reach of the Dnieper River and is contemporaneous with the latter phase and then a successor to the Indo-European Yamna culture,
as well as to the latter phase of the Tripolye culture.


元の見たほうが色々と書いてあってわかりやすいっぴ

153 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 19:57:28.76 0
>>149
どっかでmtDNAよりも強い選抜を受けたと書いてあった気がしたけど
解説の方には載ってないなぁ


もしそうだとすると、俺の思ってた仮説とは合わなくなっちゃうなぁ
そんで、女性が選ばれる側の性選択でも無くなる
産後の肥立ちが良くなって出産間隔が狭まるのかと思ってたんだけれど

154 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 20:52:07.87 0
>>149
解説にあるアジア内陸の有名な色白のミイラってのは>>114なのかね?
Ironically, if that is the case, it would mean that the famous light-pigmented mummies of different parts of Inner Asia may not be long-lost European descendants


http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm
>今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。
>その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。

とあるけど

155 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 20:59:57.53 0
中途半端になったので
>>154

中国の西部、新疆ウイグル自治区の中央部に、中国最大の砂漠、タクラマカン砂漠が広がっている。
ここは太古からシルクロードが走り、東西の文化が出会ってきた舞台である。
有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。
しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。
今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。
その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。
さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。
この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた。



やっぱケフィアで白くなるんだよ

156 :世界@名無史さん:2014/03/12(水) 22:47:28.20 0
タクマラカンよりだいぶ北方のシベリア・ミヌシンスク盆地でも同様の邂逅がありそうだね
アファナシェヴォ文化(コーカソイド)からオクネフ文化(モンゴロイド)への変遷過程で、
当然ながら東西人種が出会ってなんらかの対立や融合プロセスを経ているものと思われる

157 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 00:32:22.09 0
>>149の解説は以下のようにしているが
The classical Greeks did of course notice that the inhabitants of the north Pontic hinterland, collectively known as Scythians, were extraordinarily light-pigmented.


スキティア(スキタイ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Scythians
からCaucasoidを拾うと2点(+α)

Art

Scythian contacts with craftsmen in Greek colonies along the northern shores of the Black Sea resulted in the famous Scythian gold adornments that feature among the most glamorous artifacts of world museums.
Ethnographically extremely useful as well, the gold depicts Scythian men as bearded, long-haired Caucasoids.
"Greco-Scythian" works depicting Scythians within a much more Hellenic style date from a later period, when Scythians had already adopted elements of Greek culture.


Following their expulsion by the Yuezhi, some Scythians may also have migrated to the area of Yunnan in southern China.
Scythian warriors could also have served as mercenaries for the various kingdoms of ancient China.
Excavations of the prehistoric art of the Dian civilization of Yunnan have revealed hunting scenes of Caucasoid horsemen in Central Asian clothing.[47]


Descent claims 
Further information: Sarmatism
A number of groups have claimed possible descent from the Scythians, including the Ossetians,
Pashtuns (in particular, the Sakzai tribe) and the
Parthians (whose homelands lay to the east of the Caspian Sea and who were thought to have come there from north of the Caspian).
Some legends of the Poles,[61] the Picts, the Gaels, the Hungarians (in particular, the Jassics), the Serbs and the Croats, among others, also include mention of Scythian origins.
Some writers claim that Scythians figured in the formation of the empire of the Medes and likewise of Caucasian Albania.
こっちはコーカサス

158 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 00:33:08.60 0
>>157

コーカサス

英語のコーカサス、ロシア語のカフカースとも古典ギリシア語: Κα?κασο? (Kaukasos; カウカーソス)に由来する[1]。
「カウカーソス」自体は、一説に、古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来するとされる。

159 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 00:43:06.87 0
>>157

ネウロイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%A4
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Scythians_map%28ja%29.png

ネウロイ(ギリシア語: Ν?υροι)は、古代ギリシャ時代に黒海の北、
ヒュパニス川(南ブーフ川)上流部とボリステネス川(ドニエプル川)上流部に挟まれた地域から
北方(現在のポーランド東部からベラルーシ、そしておそらくリトアニア方面)にわたって広く住んでいた部族。
シャーマニズムを用い、狼男に扮する祭祀を行うことで知られる。その習俗や地理から、現在の東バルト語群の諸民族やスラヴ民族と関連づけられる。

ダレイオス1世のスキタイ征伐
の話はおもしろいけどほんとなのかな



ちなみにコーカサス地方のこの記述は裏が取れていない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9

>この地域には人類が古くから住みついていたことが分かる証拠として、紀元前9500年ごろの金属器が発見されている。
やっぱケフィア

160 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 00:51:04.43 0
スキタイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

スキタイの諸族
ヘロドトスは『歴史』においてスキタイの諸族を紹介している。

◆カッリピダイ[編集]
カッリピダイ(あるいはカリッピダイ[20])はギリシア系スキタイであり、ヒュパニス(現在の南ブーフ川)河畔に住んでいる。
習俗は大体にしてスキタイと同じだが、自ら穀物を栽培して食用に充て、玉ねぎ,ニラ,扁豆,栗なども栽培しているので、遊牧民であるスキタイと異なる。
カッリピダイの向こうにはアリゾネスという民族が住んでいる。[21]

◆農耕スキタイ[編集]
アリゾネスの向こうには農耕スキタイ(スキタイ・アロテレス)と呼ばれる部族が住んでおり、カッリピダイ同様、穀物を栽培している。
しかし、カッリピダイとは違って自らの食用のためだけではなく、他に輸出するためにも穀物を栽培している。農耕スキタイの北ないし北西にはネウロイという民族が住む。[22]

鉄器時代の文化である黒森文化の担い手で、古い時代の馬具が出土しており[23]、遅くとも先スキタイ時代である第2期までにはすでに馬をよく使う文化が成立していたことが知られている[24]。
スラヴ語に見られるイラン系言語の地理的名称(とくに河川の名称)や借用語、そしてキリスト教を受容する前の中世前期スラヴ人にも見られる火葬の習慣から、
農耕スキタイはプロト・スラヴ人(原スラヴ人とも呼ばれる、スラヴ人の祖先となった複数の古代部族)のうちの基幹的な集団であると推定される[25]。

◆農民スキタイ[編集]
ボリュステネス河(現:ドニエプル川)を渡って海辺から北上すれば、まず、ヒュライア(森林地帯)があり、ここからさらに北上すれば、農民スキタイ(スキタイ・ゲオルゴイ)が住んでいる。
ヒュパニス河畔に住むギリシア人はこれをボリュステネイタイ(ボリュステネス市民)と呼ぶが、彼ら自身はオルビオポリタイ(オルビア市民)と称す。

遊牧スキタイ[編集]農民スキタイの居住地から東へ向かい、パンティカペス河を渡れば、遊牧スキタイ(スキタイ・ノマデス)が住んでいる。彼らは純粋な遊牧民であり、彼らの住む地域は木が一本も生えていない草原地帯である。
この遊牧スキタイはパンティカペス河からゲッロス河に至る東西14日間の範囲にわたって住んでいる。[27]

161 :世界@名無史さん:2014/03/13(木) 00:58:36.26 0
>>160
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Eastern_and_Central_Europe_around_750_BC.png
王族スキタイ侵入直前(前750年ごろ)のヨーロッパ東部。
農耕スキタイとチェルノレス文化(黒森文化)が一致している。
また、ミログラード文化とネウロイも一致している


◆王族スキタイ
ゲッロス河以遠はコラクサイスを始祖とする王族パララタイ氏の領する王族スキタイ(スキタイ・バシレイオス)の領土であり、彼らはスキタイの中で最も勇敢で数が多く、他のスキタイを自分の隷属民とみなしている。
国家的な意味で「スキタイ」と呼ぶときはこの王族スキタイを指す。彼らの領土は南はタウロイの国(タウリケ)に達し、東は盲目の奴隷の子らが開墾した掘割に至り、
マイオティス湖(現:アゾフ海)畔の通商地クレムノイに及んでいる。また一部はタナイス河(現:ドン川)にも接している。[28]

1世紀のポンポニウス・メラは『世界地理』で、「バシリダイ族の始祖はヘラクレスとエキドナの子で、習俗は王族風、武器は弓矢だけである。」と記す。[29]

◆別種スキタイ
テュッサゲタイとイユルカイの国を越えてさらに東方に進めば、別種のスキタイが住んでいる。
これは王族スキタイに背き、その果てにこの地に到来したものである。[30]


◆エナレス
これは種族名ではなく、いわゆる「おんな病」にかかった者たちを言う。
スキタイがアジアに侵入した際、スキタイはエジプトを目指して南下すると、エジプト王の泣き落とし戦術に遭い、エジプト侵入をあきらめて引き返した。
その途上、シリアのアスカロンという町にさしかかったとき、大部分のスキタイがその町を通過したのに、一部の者が残って「アプロディテ・ウラニア」の神殿を荒らした。
のちにこの者たちとその子孫は「おんな病」にかかったため、神殿を荒らした祟りとされている。ヘロドトスもこの者たちの意訳として「おんな男、おとこ女」と記している。
「おんな病」については詳しくわからないが、性病、男色、陰萎など諸説あり、確定していない。[31]


アスカロン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%B3
アシュケロン - イスラエルの都市
聖ゲオルギウスが竜退治に使ったとされる伝説上の剣
ユダヤ系の姓

162 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 21:33:02.05 0
サルマタイは情報少なかったから
これが良さそう


http://book.geocities.jp/y309kazu/sarmatia.html
サルマティア人 
OSPREY シリーズの1冊として書かれた Brezinski 氏の著作です。
OSPREY Men-at-Arms ・373 ”The Sarmatians 600 BC - AD 450”

163 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 21:42:10.92 0
そういえば、今日食べたダノンのヨーグルトのフタの裏に
ヨーグルトの歴史は、いまから7~8000年前
とあったけど、これはどの学説によるものなんだろうか?

164 :世界@名無史さん:2014/03/16(日) 00:32:51.12 0
>>162

馬と馬具

  全ての移動種族同様に、サルマティアの馬は頑強な動物であったので、ヨーロッパ馬にとって貧しい不適な牧草地でも生きることが出来た。
彼等の耐久性は伝説的である。ローマ人達は皇帝プロブスの治世の頃(紀元276〜82)にアラン人から入手した馬に感銘を受けた。
特別美しく大きい訳ではないが、1日に千マイルを走り、8〜10日間継続出来る。(歴史 アウグスタエ プロブス 8・3)
  サルマティアの略奪集団は、文明化した先達の想像出来ない速さで広範な距離を制したのである。
アミアヌス(17・12・3)に因ると主に帰路用に1頭 ないし時には乗り手毎に2頭の替え馬を用意していることに驚いている。
  サルマティアの馬の多くは去勢されていた。ストラボンが記録しているように(7・4・8)、「彼等の馬を御し易くするために去勢することは、スキタイーサルマタイの種族全ての習慣であった。
彼等の馬は小型であったが非常に活発で制するのが難しかったからである。」と。
  スキタイの墓で出土した骨を調査したロシア人の研究では、多くの馬はアジア型で、
体高は110〜120cm 肩までの高さは110〜120cmである。(M・ヤンコビッチ「ヨーロッパへの道」1971・94ページを引用)

165 :世界@名無史さん:2014/03/16(日) 00:36:07.35 0
>>164

  スキタイ人も現代ロシアのアハル テケと似た平均高さ150cmの良馬を改良していたが、これは主に貴族の墓(の出土分)に限られている。
不運なことに、サルマティア人は(スキタイと)同じようにその所有者と共に馬を埋葬する習慣を持たなかった為、直接的な骸骨の証拠が少ないのである。
  サルマティアの槍兵は大型の品種を用いたが、実際にそうした馬が槍兵の発達の必要条件であった。
サルマティア人はメディアのネシアン種やメディア、パルチア種に繋がる、古代としては重量種(の馬)を持つ必要があった。そうした馬は東洋交易路やパルチア領への襲撃から獲得出来た。
 サルマティア人の間にそれほど大きな馬が存在した証拠は少ない。則ち 馬が大きく強い必要はなかったのである。
体格ががっしりとして脚形が良ければ重量増に耐えられる。そして既に見たようにサルマティアの鎧はそれほど重い必要が無かった。
  ローマの著述家はサルマティアの馬の大きさよりも速さを強調している。
トラヤヌスの記念碑柱に 完全装甲のロクソラーニの馬が同じ情景のローマ騎兵のポニーと比べても平均的して少しも大きく描かれてはいない。
槍兵が求める品種とほぼ一致するのはトゥラニアンと云う古代馬であり、恐らくこれがアハルテケの先祖であったのであろう。
小型の東洋産種ではあったが、ポニーに比べたら本物の馬であった。トゥラニアン馬は中国が欲したフェルガナ渓谷の「天馬」の故郷に近いトランスオクシアナを起源とする。
パズィルクの凍結古墳で出土した華麗な金鹿毛馬数頭は、馬高15ハンド(150cm)であり、恐らく関係品種であろう。
ソグディアナとの交流を通じてアオルシ(後にはアラン)はこれら東洋の品種を入手することがほぼ可能だったのである。
快速で優美なサルマティアやアランの馬はローマにとって非常に高価なものであった。
  ハドリアヌスにはボリュステヌス(ドニエプル川の古代名)と云うお気に入りのアラン人狩人が居たが、フランスのニーム近くのアプトにある彼の墓への献辞に、この馬の詩が残されている。
「トゥスカーニの丘を越えて行き、風のようにハンガリーの雄猪を追い掛けた」と、ハドリアヌスがこの馬に乗って風のように行ったことを思い描かせられる。


「天馬」は大宛(フェルガナ)の汗血馬

166 :世界@名無史さん:2014/03/16(日) 00:45:39.52 0
>>162
スキティアもサルマティアも白い?

外観と衣裳

従兄弟のスキタイ人よりは、芸術の中にその姿を残しているサルマティア人は、スキタイ人のように白人またはコーカソイドの外見を持っている。
そして、フン族の到来直前には、アジア又はトルコ・モンゴル的印象があったと考えられている。

 サルマティア人の骨相は、ローマ人であるタキトゥスには、異邦人と映り、彼が98年に記したところでは、彼らを「胸くその悪い外見」と呼んでいる。
これを文字通りに受け容れるべきではなく、蛮族達は、時には、地中海人の美観と一致したのである。
サルマティア人貴族は、時には1.70〜1.80mに達し、遊牧民の肉・乳食を証明する頑強な体格を持っていた。彼らは、スキタイ人のように長髪で髭を伸ばしていた。
ボスポラス王国のサルマティア君主は、貨幣の中で、長髪で表されているのが一般的である。
未婚男性は、髭をきれいに剃って、口ひげを伸ばしている。既婚男性は、髭を濃くしている(当時の貨幣の肖像は、事実を反映していないかともある)。
2世紀にギリシャの作家ルキアン(トハリス.51)によると、アラン人はスキタイ人よりも髪を短くしていたという。
一部のアラン人が受け継いだ「アジアのスキタイ」の形質は、短髪または結髪・口髭以外は剃り上げた顔、というものであった。

 アミアヌス(31.2.21)は、アラン人について、「アラーニの男達は、揃って美しい偉丈夫である。その髪はやや黄色く、目は異常に獰猛である」と賞賛している。

 黄色い髪というのは不明であるが、アミアヌスは時折、民族的特長については検証なしで、先輩達の記述を借用しているのである。
ローマ人読者達の黒髪のことをねずみ茶色と例えたり、アラン人とゴート人とが、単純に間違えられたりしているようだが、他方、混血が相当に行われていたこともよく知られている。

他のアラン人達では、頭蓋変形の傾向も、よく確認されている。頭の形を長くするのは、幼少時に頭を包帯で巻いて処置したのである。
この習慣は、初期のサルマティア人達に限定的に現れたが、2世紀から4世紀の間、(おそらくはフンの影響下で)ヴォルガ下流域のアラン人として発掘された頭骨の70%までが変形されるに至っていた。
変形頭骨は、西ヨーロッパにおけるアラン人の4-5世紀の墓でも発見されている。

167 :世界@名無史さん:2014/03/16(日) 01:15:21.72 0
>>149
http://1.bp.blogspot.com/-JLa-7fpwSqg/Ux4kyuxE2eI/AAAAAAAAJg0/ZhEnWFtTn-E/s1600/wilde.png

これは同じ淘汰圧が同時に作用したのか
はたまた別の要因か

168 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 22:34:58.28 0
Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans

MA-1
・Here we sequence the draft genome of an approximately 24,000-year-old individual (MA-1), from Mal’ta in south-central Siberi
・The MA-1 mitochondrial genome belongs to haplogroup U, which has also been found at high frequency among Upper Palaeolithic and Mesolithic European hunter-gatherers
・we estimate that 14 to 38% of Native American ancestry may originate through gene flow from this ancient population

Afontova Gora-2
・Sequencing of another south-central Siberian, Afontova Gora-2 dating to approximately 17,000 years ago,
・ revealed similar autosomal genetic signatures as MA-1

http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/fig_tab/nature12736_ft.html
http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/images/nature12736-f1.jpg

a, Geographical locations of Mal’ta and Afontova Gora-2 in south-central Siberia. For reference,

Palaeolithic sites with individuals belonging to mtDNA haplogroup U are shown (red and black triangles):
1, Oberkassel; 2, Hohle Fels; 3, Dolni Vestonice; 4, Kostenki-14.

A Palaeolithic site with an individual belonging to mtDNA haplogroup B is represented by the square:
5, Tianyuan Cave.

Notable Palaeolithic sites with Venus figurines are marked by brown circles:
6, Laussel; 7, Lespugue; 8, Grimaldi; 9, Willendorf; 10, Gargarino.

Other notable Palaeolithic sites are shown by grey circles:
11, Sungir; 12, Yana RHS.

b, PCA of MA-1 and worldwide human populations for which genomic tracts from recent European admixture in American and Siberian populations have been excluded19.
c, Heat map of the statistic f3(Yoruba; MA-1, X) where X is one of 147 worldwide non-African populations (standard errors shown in Supplementary Fig. 21).

http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/images/nature12736-f2.jpg

169 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 00:13:34.34 0
イェニセイ碑文
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%82%A4%E7%A2%91%E6%96%87

イェニセイ碑文(イェニセイひぶん、英語:Yenisei inscriptions)は、ロシア連邦のイェニセイ川上流域を中心に点在する古代キルギス(イェニセイ・キルギス)が残した碑文(碑銘、銘文)群。
古代テュルク語/突厥文字(トルコ・ルーン文字)で書かれており、これまでに158もの碑文(碑銘、銘文)が発見されている。

作成年代[編集]
イェニセイ碑文は内容が短く、主に被葬者の名前,称号,年齢,生涯の活躍などを記述し、その内容には紀年を直接指し示す記述がないのが通例であり、その作成年代を確定するのは極めて困難である。
しかし、語彙の特徴や、氏族標識であるタムガなどを通じて推定可能な場合もある。例えば『E11碑銘』はその内容から894年〜925年の間、『E59碑銘』はタムガの様式から考えて10世紀初頭〜10世紀末と考えられる。[1]

170 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 00:21:36.79 0
エニセイ川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%82%A4%E5%B7%9D

名称の由来[編集]エニセイ川という名前は、エヴェンキ人による呼び名のイオアネシ(エヴェンキ語: Ионесcи - Ioanessi)に基づくとされる[1]。
17世紀に入り、西から毛皮交易を求めてコサックが流域に入り、「イェニセイ」と呼び始めた。

エニセイという名称の由来に関しては様々な説がある。ウルグ=ヘム(Ulug Khem)の先住民はエニセイ川を「絶え間ない流れ」と呼んだ。
エヴェンキ語では「大きな水」を意味するイオアネシ(Ioanessi)と呼んだ。またテュルク諸語に由来するという説もあり、「母」を意味する「アナ」と「川」を意味する「セイ」が合わさったと解説される。



アンガラ川[編集]
アンガラ川(Ангара?、Angara)はバイカル湖から流れ出す長さ1,840kmの川で、
この地方の中心都市であるイルクーツクを経て、エニセイ川にはストレルカ(Strelka、北緯58度10分、東経92度99分)で合流する


下エニセイ[編集]
エニセイ川とアンガラ川がストレルカで合流した後、大カズ川(Great Kaz)が300km下流で合流する。
この川は、オビ川支流のケート川(ケチ川、Ket)と、オビ・エニセイ運河で結ばれていたことが特筆される。
エニセイ川は幅が広くなり、川には無数の中州が出現し、多くの支流が合流して流れは大きくなる。

氷河期には、北極への流路は氷床で閉ざされていた。
まだ詳しいことは分かっていないが、最終氷期にはエニセイ川やオビ川は西シベリア低地を覆うほどの巨大な湖(西シベリア氷河湖)に流れ込んでいたとみられる。
またこの湖の水は北極海に出られないため、最終的には黒海に向かっていたと考えられている。

171 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 00:58:22.12 0
タガール文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%87%E5%8C%96

タガール文化(タガールぶんか、Tagar culture)は、シベリア南部(ミヌシンスク盆地を中心とするハカス共和国、クラスノヤルスク地方南部、ケメロヴォ州東部)で
紀元前7世紀から3世紀にかけて栄えた考古学的文化であり、青銅器時代から鉄器時代初期にまたがる。

この時代のユーラシア最大の青銅生産地の一つと考えられる。石板と石柱で囲まれた長方形の巨大な王墓など、大規模なクルガン(墳丘墓)を特徴とするため、
かつてはミヌシンスク・クルガン文化と呼ばれたが、ミヌシンスク盆地のクルガンは様々な時代にわたるため、エニセイ川のミヌシンスク対岸の島にちなんで命名された。

担い手は、人種的にはモンゴロイドである。
地理的にはテュルク系の丁零などが栄えた地域に近い。

木造家屋に住み、土製の暖炉で暖房をしていた。一部の集落は城壁で守られていた。主として遊牧生活で、馬、羊、山羊が飼育された。
農耕も行われたと見られ、青銅製の鎌と穂刈り包丁が見出されている。青銅器などの遺物はアルタイ山脈方面のパジリク文化と同じく、スキタイ等の西方遊牧民へ圧倒的な影響を与えている。

中期になると変化が現れ、同時期の内蒙古に興ったオルドス青銅器文化(綏遠文化:匈奴と関係があると考えられている)と共通のデザインが多数見られ、これに強い影響を与えたと考えられている。
後期には鉄器が現れるが、その後も主に青銅器が使われた。スキタイ等の西方の集団へと文化を発信する先進文化だったと考えられる。

172 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 01:14:55.43 0
>>169
関連して、同地域の1-4世紀に見られるタシュティク文化 ※イェニセイ・キルギスに比定されるものと見られている
http://en.wikipedia.org/wiki/Tashtyk_culture

During his excavations of the Oglahty cemetery south of Minusinsk,
Leonid Kyzlasov discovered a number of mummies with richly decorated plaster funerary masks showing Western Eurasian features,
though this would not rule out some East Asian admixture, as revealed by ancient DNA (see below).
There were also intact fur hats, silk clothes, and footwear (now in the Hermitage Museum, St. Petersburg).

Extracted mitochondrial DNA from five female Tashtyk remains of 100?400 AD from Bogratsky region,
Abakano-Perevoz I, Khakassia Republic, revealed that four possessed the Western Eurasian HV, H, N9a, and T1 haplogroups,
while the other carried the East Asian haplogroup C. The Western Eurasian Y-DNA haplogroup R1a1a was extracted from one male.
The same haplogroup was found among the remains of the preceding Tagar culture.
The study determined that the majority of the individuals had light hair and blue or green eyes.

173 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 01:15:10.54 0
レナ川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8A%E5%B7%9D
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/60/Lena_watershed.png

レナ川流域はじめ東シベリアでは、最終氷期の時期でも空気の乾燥により氷河が形成されなかったと見られ、海沿いには氷河由来のフィヨルドがなく、大きな川は三角江ではなく三角州を形成している。
レナ川三角州は7つの分流があり、幅は400kmに達する。分流の幅は1kmから3kmであり、一番大きく重要な分流はバイコフ川で川幅は3kmである。
1年のうち9月末から5月初めまでの7ヶ月は凍結しツンドラ状態になるが、その後は凍土も融解して一面の湿地帯へと変貌、夏の間は多くの野生生物の舞台となる。
レナ川水系の全域も10月初旬から5月ごろまでは凍結する。ヴィティム川とオリョークマ川では砂金が採れ、デルタの地底からはマンモスとその牙が見つかる。

歴史[編集]
多くの研究者は、「レナ」という名の由来はエヴェンキ人がレナ川を呼んだ名である「エリュ=エン」(Elyu-Ene、大きな川)から取られたものとみている。
レナ川を取り囲む山地や高原はエヴェンキが、川沿いの平野にはヤクート人が多く住んでいた。




>>170
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/Yeniseirivermap.png

174 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 12:16:14.72 0
>>168
バイカル湖が一つのポイントになっている以外は
かなり複雑な構造みたいだ

175 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 13:09:06.79 0
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/lactase-persistence-and-pastoralism-in.html

Genetic Origins of Lactase Persistence and the Spread of Pastoralism in Africa
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0002929714000676
Alessia Ranciaro et al.

In humans, the ability to digest lactose, the sugar in milk, declines after weaning because of decreasing levels of the enzyme lactase-phlorizin hydrolase, encoded by LCT.
However, some individuals maintain high enzyme amounts and are able to digest lactose into adulthood (i.e., they have the lactase-persistence [LP] trait).
It is thought that selection has played a major role in maintaining this genetically determined phenotypic trait in different human populations that practice pastoralism.
To identify variants associated with the LP trait and to study its evolutionary history in Africa,
we sequenced MCM6 introns 9 and 13 and ?2 kb of the LCT promoter region in 819 individuals from 63 African populations and in 154 non-Africans from nine populations.
We also genotyped four microsatellites in an ?198 kb region in a subset of 252 individuals to reconstruct the origin and spread of LP-associated variants in Africa. Additionally,
we examined the association between LP and genetic variability at candidate regulatory regions in 513 individuals from eastern Africa.
Our analyses confirmed the association between the LP trait and three common variants in intron 13 (C-14010, G-13907, and G-13915).
Furthermore, we identified two additional LP-associated SNPs in intron 13 and the promoter region (G-12962 and T-956, respectively).
Using neutrality tests based on the allele frequency spectrum and long-range linkage disequilibrium,
we detected strong signatures of recent positive selection in eastern African populations and the Fulani from central Africa.
In addition, haplotype analysis supported an eastern African origin of the C-14010 LP-associated mutation in southern Africa.

176 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 13:09:59.73 0
>>175
中見れないかと思ってたけど大丈夫だった。
これはアフリカだけど周辺も程よくまとまっていて良いと思う。

177 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 00:35:41.77 0
ちっと寄り道


オーストロアジア語族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AA%9E%E6%97%8F
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6f/Se_asia_lang_map.png

オーストロアジア語族(オーストロアジアごぞく、Austro‐Asiatic languages)あるいはアウストロアジア語族は、東南アジアからインド東部・バングラデシュに散在する言語の語族である。
南アジア語族と訳されることもあるが、地域名の南アジアとは異なる。このうちベトナム語、クメール語およびモン語は古くから記録があり現在でも多くの話者がいるが、その他は少数民族の言語である。
ベトナム語(ベトナム)、クメール語(カンボジア)、サンタリ語(インド・ジャールカンド州)は公用語として用いられている。

伝統的に東南アジアのモン・クメール語派とインドのムンダ語派に分類され、168 の言語(モン・クメール語派 147 とムンダ語派 21)が記録されている。
しかしこの語派分類は確証のあるものではなく、モン・クメール語派はまとまりをもたないとする説もある。

源郷はわからないが、この地域の在来の言語であり、後に他の言語(シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族)が広がって分断されたと考えられている。
それら新しく広がった言語にも影響を残しており、例えばネパール東部のシナ・チベット系言語にはオーストロアジア語族に由来する単語があり、サンスクリットやドラヴィダ語族にもムンダ語派が影響を与えているとされる。

全体に共通の特徴は少ない(共通基礎語彙に基づいてまとめられている)が、古くは接頭辞や接中辞が文法・派生機能を果たしたらしい。
この点で類似しているオーストロネシア語族とともに、アウストリック超語族 (Austric superfamily) にまとめる説もある。

178 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 00:37:21.33 0
ムンダ語派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%80%E8%AA%9E%E6%B4%BE
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Munda-Sprachen.png

ムンダ語派はインド東部からバングラデシュにかけて900万人ほどの人々が用いている一群の言語である。
モン・クメール語派(カンボジア語やベトナム語など)とともにアウストロアジア語族に属すとされている。
詳しい起源は不明であるが、この地に在来の言語であろうとされている。

サンタリ語(ジャールカンド州の公用語)とムンダリ語の話者が特に多い。

ムンダ語派はサンスクリットやドラヴィダ語族など他のインドの言語にも影響を与えており、逆に他の言語からも強い影響を受けている。

普通2つの語群、北部ムンダ語群(ジャールカンド州、ベンガル州、オリッサ州のチョーター・ナーグプル台地)と南部ムンダ語群(オリッサ州の中央部とアーンドラ・プラデーシュ州との境界付近)に分けられる。
人口的には北部ムンダ語群が圧倒的で(ムンダ語派の約9割とされる)、その中でサンタリ語、ムンダリ語、ホ語、コルク語、ソラ語の順に人口が多い。
その他の言語は少数の隔絶されたグループが話し、研究途上のため、詳細は知られていない。

ムンダ語派の特徴には、3種の数(単数、双数、複数)、2種の名詞クラス(活動体と不活動体)、
二人称複数の包括形と除外形の区別(「われわれ」に相手を入れるかどうか)、時制を表す接辞または助動詞の使用、などがある。

179 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 21:11:32.52 0
クローヴィス人のゲノム
古代ゲノムが起こす倫理論議
http://yuihaga.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

アメリカ先住民「クローヴィス・ボーイ」のDNA配列は部族の人骨の扱いについて研究者たちに再考を強いる。

Ewen Callaway
12 February 2014



この話自体も面白かったけどリンク先の話が気になる

180 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 22:01:59.14 0
>>179

2009年、テキサスA&M大学(カレッジステーション)の考古学者、マイケル・ウォーターズ(Michael Waters)はアンジックに連絡をとって遺体をウィラースレフのラボに送ってはどうかと伝えた。
(2010年前半に、このラボは4,000年前のグリーンランドの住人の、古代人類初のゲノム配列の一つを発表した;M. Rasmussen et al. Nature 463, 757?762; 2010参照。)
「『あなたたちにこれの許可を出すけど、私も参加したい』と言った」とアンジックは回想する。彼女はトップレベル誌に十編以上の論文を発表している研究者だった。


Ancient human genome sequence of an extinct Palaeo-Eskimo
http://www.nature.com/nature/journal/v463/n7282/full/nature08835.html

We report here the genome sequence of an ancient human. Obtained from ~4,000-year-old permafrost-preserved hair, the genome represents a male individual from the first known culture to settle in Greenland.
Sequenced to an average depth of 20×, we recover 79% of the diploid genome, an amount close to the practical limit of current sequencing technologies.
We identify 353,151 high-confidence single-nucleotide polymorphisms (SNPs), of which 6.8% have not been reported previously.
We estimate raw read contamination to be no higher than 0.8%.
We use functional SNP assessment to assign possible phenotypic characteristics of the individual that belonged to a culture whose location has yielded only trace human remains.
We compare the high-confidence SNPs to those of contemporary populations to find the populations most closely related to the individual.
This provides evidence for a migration from Siberia into the New World some 5,500 years ago, independent of that giving rise to the modern Native Americans and Inuit.


この話は知らなかったような気がするけどSaqqaqは何度か見かけた気がするので
どっか違うもので読んだことあるのかもしんない

181 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 22:34:49.85 0
>>180

http://www.nature.com/nature/journal/v463/n7282/images/nature08835-f1.2.jpg
http://www.nature.com/nature/journal/v463/n7282/images/nature08835-f3.2.jpg



せっかくなのでこっちも

Back-migration of Yeniseian into Asia from Beringia
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/back-migration-of-yeniseian-into-asia.html

PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0091722

Linguistic Phylogenies Support Back-Migration from Beringia to Asia

Mark A. Sicoli, Gary Holton

Recent arguments connecting Na-Dene languages of North America with Yeniseian languages of Siberia have been used to assert proof for the origin of Native Americans in central or western Asia.
We apply phylogenetic methods to test support for this hypothesis against an alternative hypothesis that Yeniseian represents a back-migration to Asia from a Beringian ancestral population.
We coded a linguistic dataset of typological features and used neighbor-joining network algorithms and Bayesian model comparison based on Bayes factors to test the fit between the data and the linguistic phylogenies modeling two dispersal hypotheses.
Our results support that a Dene-Yeniseian connection more likely represents radiation out of Beringia with back-migration into central Asia than a migration from central or western Asia to North America.

http://1.bp.blogspot.com/-8eziGIB3F8o/UyT07l0uM1I/AAAAAAAAJhM/vIp44wyYdiw/s1600/journal.pone.0091722.g001.png
リンク先には地図もあるのでそっちのが見やすい
http://www.plosone.org/article/fetchObject.action?uri=info:doi/10.1371/journal.pone.0091722.g004&representation=PNG_M

182 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 01:43:22.62 0
まーこれは分析いるだろうね

Major new article on the deep origins of Y-haplogroup R1a (Underhill et al. 2014)
http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/major-new-article-on-deep-origins-of-y.html



European Journal of Human Genetics , (26 March 2014) | doi:10.1038/ejhg.2014.50
The phylogenetic and geographic structure of Y-chromosome haplogroup R1a
Peter A Underhill et al

http://dienekes.blogspot.jp/2014/03/major-new-article-on-deep-origins-of-y.html

R1a-M420 is one of the most widely spread Y-chromosome haplogroups; however, its substructure within Europe and Asia has remained poorly characterized.
Using a panel of 16?244 male subjects from 126 populations sampled across Eurasia, we identified 2923 R1a-M420 Y-chromosomes and analyzed them to a highly granular phylogeographic resolution.
Whole Y-chromosome sequence analysis of eight R1a and five R1b individuals suggests a divergence time of ~25?000 (95% CI: 21?300?29?000) years ago and a coalescence time within R1a-M417 of ~5800 (95% CI: 4800?6800) years.
The spatial frequency distributions of R1a sub-haplogroups conclusively indicate two major groups, one found primarily in Europe and the other confined to Central and South Asia.
Beyond the major European versus Asian dichotomy, we describe several younger sub-haplogroups. Based on spatial distributions and diversity patterns within the R1a-M420 clade,
particularly rare basal branches detected primarily within Iran and eastern Turkey, we conclude that the initial episodes of haplogroup R1a diversification likely occurred in the vicinity of present-day Iran.

183 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 01:59:05.23 0
>>182
リンク先を間違った、すまぬ
http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/full/ejhg201450a.html


あとは図の方も。
http://4.bp.blogspot.com/-U25KKODqD8M/UzN-UTI-ImI/AAAAAAAAJiE/rzY2454L22k/s1600/ejhg201450f1.jpg
http://1.bp.blogspot.com/-Jo4YVdHcczM/UzN-U6CtGnI/AAAAAAAAJiI/-cIin5Gh4Ow/s1600/ejhg201450f2.jpg
http://3.bp.blogspot.com/-yo928Hon9Ww/UzN-U-aGWMI/AAAAAAAAJiM/3AE7m5bNwCY/s1600/ejhg201450f3.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-IpQjRAY4Sz8/UzN-VYES84I/AAAAAAAAJic/qN7oHY2ElNI/s1600/ejhg201450f4.jpg

これで全部なんかな。他も載ってる?

184 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 05:36:46.26 0
>>183
年代を選んでる間に寝ちゃった、、、
とりあえず貼っておこう


Europeans and South Asians share by descent SLC24A5 light skin allele
http://dienekes.blogspot.jp/2013/11/europeans-and-south-asians-share-by.html
http://2.bp.blogspot.com/-rhqReVApmRk/Un1LdnrSSyI/AAAAAAAAJY8/cmRVUA1On9k/s1600/journal.pgen.1003912.g002.png



SLC24A5 light skin pigmentation allele origin
http://dienekes.blogspot.jp/2014/01/slc24a5-light-skin-pigmentation-allele.html

Taking the 12.4ky estimate and multiplying by two (for the slower autosomal mutation rate) yields an estimate of 25ky,
so it seems that this allele did not accompany the earliest modern human colonists of West Eurasia but emerged in some region and spread from there.

185 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 22:55:54.64 0
>>182

http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R-M420
Z95はどこ?


ここにはちょこっとある
Recently-revealed structure in Y haplogroup R1a
http://racehist.blogspot.jp/2011/08/recently-revealed-structure-in-y.html

separate most of the Europeans who are ancestral for Z93 and Z95
from the Pakistanis, Indians, Iranians, Ashkenazi Levites and the Eastern Turks (probably Kurds).


そしてヨーロッパに迷いこんだベドウィン、、、

186 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 07:09:44.19 0
>>183

あえて断定的に言えば

R1aについて

Z93*  → ミヌシンスク盆地 >>171
Z2125 → フェルガナ盆地 >>165

に見える。

さて、トカラ語派は何処からきて何処へ行ったのかww

187 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 07:46:46.31 0
>>183

Ancient European DNA and some debatable conclusions
http://forwhattheywereweare.blogspot.jp/2013/12/ancient-european-dna-and-some-debatable.html
http://4.bp.blogspot.com/-ufx6McTzLmA/UrwiBjBR8II/AAAAAAAACVA/uY4XqHvhNzQ/s1600/PCAannot4.png

これではイエメンと他のユダヤ人は明確に区別できるんだよな。
逆にこれではアシュケナジーだけ別物。


ちなみにユダヤ人の系列は

リビア、チュニジア → モロッコ → トルコ → アシュケナジー

他のイラン、イラク、コーカサス は全く違うとこにいる

188 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 13:29:03.56 0
>>187

バシキール人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA


バシキール人(バシュキール人)は、主としてロシア連邦のバシコルトスタン共和国に居住するテュルク系民族。自称はバシコルト(バシュクルト)。1989年のデータで、ソ連領内に144万9千人が居住していた。
人種的には、モンゴロイドとコーカソイドの混血。言語は、テュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)に属するバシキール語。主要宗教は、イスラム教スンニー派。


歴史[編集]
7世紀〜8世紀、バシキール人の祖先は、遊牧国家ペチェニェグの構成遊牧民の一部として統合されており、カスピ海沿岸及び北カフカーズのステップに居住していた。

言語系統[編集]
現在の言語は、テュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)に属するバシキール語であるが、もともとはこの地域に居住していたフィン・ウゴル系が母体となっている。
ウィリアム・ルブルックの旅行記には「バスカトゥル人」という名で記され、「バスカルトゥル人はハンガリー人と同じ言葉を使い、牧人生活をしていて都市は一つも持たず、その領域は西方で大ブルガリアにつづいてます」、
「のちにハンガリー人として知られるに至ったフン人は、このバスカルトゥル人の地域からやって来ました」と記している。
このように初めフィン・ウゴル系であるハンガリー語を使用していたバシキール人は
7世紀以降、東からやってきたオグズ,ペチェネグ,ヴォルガ・ブルガール,キプチャクなどのテュルク系民族の影響を受けて次第にテュルク化していき、
13世紀のジョチ・ウルス支配下で完全にテュルク系に変化した。[2]


後はハザールか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
アシュケナジーの説明もあるよ

189 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 14:30:48.03 0
>>175

Arabic Baggara
http://en.wikipedia.org/wiki/Baggara

The Bagg?ra are a grouping of Arab ethnic groups inhabiting the portion of Africa's Sahel mainly between Lake Chad and southern Kordofan, numbering over one million.[1]
They are known as Baggara in Sudan,[2] and as Shuwa/Diffa Arabs in Chad and West Africa. Their name derives from the Arabic word (Arabic: ??????) literally meaning "Cowman".[3]

They have a common language, Shuwa Arabic, which is one of the regional varieties of Arabic.
They also have a common traditional mode of subsistence, nomadic cattle herding, although nowadays many lead a settled existence. Nevertheless,
collectively they do not all necessarily consider themselves one people, i.e., a single ethnic group.
The term "baggara culture" was introduced in 1994 by Braukamper.[3]

Origins and divisions[edit]
The origin of the Baggara is undetermined. According to a 1994 research paper, the group arose in Chad from 1635 onwards through the fusion of an Arabic speaking population .
DNA tests indicate they have a common lineage with the Qahtanite Arabs, Like other Arabic speaking tribes in the Sahara and the Sahel, Baggara tribes have origin ancestry
from the Juhaina Arab tribes who migrated directly from the Arabian peninsula or from other parts of north Africa. [4]

190 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 14:40:41.17 0
>>175

Hausa?Fulani
http://en.wikipedia.org/wiki/Hausa%E2%80%93Fulani

Hausa?Fulani is a term used to refer collectively to the Hausa and Fulani people of West Africa. The two are grouped together because since the Fulani War their histories have been largely intertwined within Nigeria.
For example, when the Fulani took over Hausa city-state of Kano during the expansion of the Sokoto Caliphate, the new emirs ended up speaking the Hausa language instead of Fulfulde over the years.
It must be noted though, that a significant portion of Fulani society are opposed to the use of this term, which has been made popular most especially in recent times by its increased use in mass media.[1]

The Hausa and Fulani together account for one out of Nigeria's three major ethnic groupings (alongside the Yoruba and Igbo (Ibo)). The Hausa and Fulani together, account for 29% of Nigeria's population.[2]


Fulani (disambiguation)From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Fulani_(disambiguation)

Fulani may refer to:
 pertaining to the Fulani Empire
 pertaining to the Fulani War
 Yasir Al-Fulani, a character from Call of Duty 4: Modern Warfare

Ethnic group and language
 Fula people (autonym Ful?e)
 Hausa-Fulani, a larger grouping which the Fulani belong to
 Fula language or Fulfulde language

People (proper name)
 Dan Fulani, a Nigerian author
 Lenora Fulani, an American psychologist, psychotherapist, and political activist.

Fulani cattle
 Red Fulani cattle
 White Fulani cattle

191 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 14:53:27.23 0
>>175>>190
http://en.wikipedia.org/wiki/Fula_people

すっげえ長いので極一部だけ

Origins and spread[edit]

The earliest evidence that shed some light on the pre-historic Fulani culture can be found in the Tassili n'Ajjer rock art Fulani's artifacts, which seem to depict the early life of the people dating back thousands of years (6000 BC).
Examination of these rock paintings suggests the presence of proto-Fulani cultural traits in the region by at least the 4th millennium BC.
Tassili-N'Ajjer in Algeria is one of the most famous North African sites of rock painting. Scholars specializing in Fulani culture believe that some of the imagery depicts rituals that are still practiced by contemporary Fulani people.
At the Tin Tazarift site, for instance, historian Amadou Hampate Ba recognized a scene of the 'lotori' ceremony, a celebration of the ox's aquatic origin.
In a finger motif, Ba detected an allusion to the myth of the hand of the first Fulani herdsman, Kikala. At Tin Felki, Ba recognized a hexagonal carnelian jewel as related to the Agades cross, a fertility charm still used by Fulani women.
There are also details in the paintings which correspond to elements from Fulani myths taught during the initiation rites like the hermaphroditic cow.
The Fulani initiation field is depicted graphically with the sun surrounded by a circle lined-up with heads of cows as different phases of the moon at the bottom and surmounted by a male and a female figures.
The female figure even has a hanging braid of hair to the back. Though no exact dates have been established for the paintings they are undoubtedly much earlier than the historic times when the Fulani were first noticed in Western Sahara.[51]

192 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 16:59:18.74 0
>>182

Eulau Y-DNA markers
http://www.genebaze.cz/cgi-bin/res/ydres_Eulau.cgi?lang=us&n=sk

http://www.genebaze.cz/res/Eulau/Eulau_haplotab.png
http://www.genebaze.cz/res/R1a/CSR1a2009D17g.png



Ancient DNA, Strontium isotopes, and osteological analyses shed light on social and kinship organization of the Later Stone Age
http://www.pnas.org/content/105/47/18226.short

In 2005 four outstanding multiple burials were discovered near Eulau, Germany.
The 4,600-year-old graves contained groups of adults and children buried facing each other.
Skeletal and artifactual evidence and the simultaneous interment of the individuals suggest the supposed families fell victim to a violent event.
In a multidisciplinary approach, archaeological, anthropological, geochemical (radiogenic isotopes), and molecular genetic (ancient DNA) methods were applied to these unique burials.
Using autosomal, mitochondrial, and Y-chromosomal markers, we identified genetic kinship among the individuals.
A direct child-parent relationship was detected in one burial, providing the oldest molecular genetic evidence of a nuclear family.
Strontium isotope analyses point to different origins for males and children versus females.
By this approach, we gain insight into a Late Stone Age society, which appears to have been exogamous and patrilocal, and in which genetic kinship seems to be a focal point of social organization.

193 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 17:30:05.00 0
>>175

Mozabite
http://en.wikipedia.org/wiki/Mozabite_people

The Mozabite people are a Berber ethnic group living in M'zab in the northern Sahara in Algeria.
They speak Mozabite (Tum?abt), a branch of the Zenati group of Berber languages.
Most also speak Arabic. Mozabites are Ibadi Muslims.

Mozabites live in five oases, namely, Ghardaia, Beni Isguen, El Atteuf, Melika and Bounoura and two other isolated oases farther north: Berriane and Guerrara.

Language[edit]
Berber-speaking areas of the M'zab, Ouargla, and Oued RighMozabites speak Mozabite (Tum?abt), a branch of the Zenati group of Berber languages.

Genetics[edit]
Mozabite people are characterized by a very high level of North African haplogroups E1b1b1b (M81) (86%) and U6 (28%).

上の項目には詳細な割合も一緒に載ってる
あと、これもか

Bilala people (Bulala)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bilala_people

The Bilala, or Bulala, are a Muslim people that live around Lake Fitri, in the Batha Prefecture, in central Chad. The last Chadian census in 1993 stated that they numbered 136,629 persons.
Their language, Naba, is divided in four dialects and is in the Nilo-Saharan group; it is shared by two of their neighbours, the Kuka and the Medogo.
These three peoples are collectively known as Lisi and are believed to be descendants of main ethnic groups of the Sultanate of Yao.

194 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 00:21:05.99 0
>>183
ぐっと集まった中にも若干の差があって
エストニアの周りを東欧とバルカンが囲んでるんだよな

195 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 01:21:42.44 0
これもちょっと離れてるけど、上の話のついでに

Y-chromosome E haplogroups: their distribution and implication to the origin of Afro-Asiatic languages and pastoralism
http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/full/ejhg201441a.html

Abstract
Archeological and paleontological evidences point to East Africa as the likely area of early evolution of modern humans.
Genetic studies also indicate that populations from the region often contain, but not exclusively, representatives of the more basal clades of mitochondrial and Y-chromosome phylogenies.
Most Y-chromosome haplogroup diversity in Africa, however, is present within macrohaplogroup E that seem to have appeared 21?000?32?000 YBP somewhere between the Red Sea and Lake Chad.
The combined analysis of 17 bi-allelic markers in 1214 Y chromosomes together with cultural background of 49 populations displayed in various metrics: network, multidimensional scaling,
principal component analysis and neighbor-joining plots, indicate a major contribution of East African populations to the foundation of the macrohaplogroup,
suggesting a diversification that predates the appearance of some cultural traits and the subsequent expansion that is more associated with the cultural and linguistic diversity witnessed today.

The proto-Afro-Asiatic group carrying the E-P2 mutation may have appeared at this point in time and subsequently gave rise to the different major population groups
including current speakers of the Afro-Asiatic languages and pastoralist populations.

196 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 01:28:05.85 0
>>195

Y-chromosome haplogroup tree
http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/extref/ejhg201441x1.jpg


http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/images/ejhg201441f1.jpg

Median-joining (MJ) network. Network manipulated to fit the geography of the extant populations.
MJ network was constructed using E haplogroup frequencies.
Group represented by ITAL contains all the Italian samples pooled. Populations’ descriptions are given in Supplementary Table S1.


http://www.nature.com/ejhg/journal/vaop/ncurrent/images/ejhg201441f2.jpg

Population life style: circle
? agriculturalists; square
? pastoralists; triangle
? nomads; inverted triangle
? nomadic pastoralists; diamond
? agro-pastoralists.

The populations are colored according to their language family:
red ? Afro-asiatic;
blue ? Nilo-Saharan;
green ? Niger-Kordofanian;
yellow ? Khoisan;
black ? Italic and Basque.

197 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 01:29:52.48 0
>>195

Conclusion and future work

Although most of the data sets in our study define the deep ancestry of the phylogeny,
they still shed some information to our interpretations of recent phenomena such as the current genetic diversity of the E haplogroup in an implication to the origin and spread of Afro-Asiatic languages and to the history of pastoralism.67
Such perspectives, however, should be tested by using more recently derived markers5, 47 within the major haplogroups to explain the archeological findings and the historical and current demography of the region.

Moreover, more comparative genetic analysis between the two sides of the Red Sea, specially emphasizing on E-M123/E-M34 or E-M78 haplogroups,
will not only refine the route of exit of H. sapiens sapiens from East Africa but also the genealogies of Afro-Asiatic languages in the region.

198 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 01:59:11.55 0
>>196
ずれ杉ワラタww

Population life style:

circle? agriculturalists;
square? pastoralists;
triangle? nomads;
inverted triangle? nomadic pastoralists;
diamond? agro-pastoralists.

199 :世界@名無史さん:2014/04/01(火) 00:52:30.95 0
>>189
>>190
>>191
>>193

ここに抽出したのは乳糖活性持続症で
北部ヨーロッパと共通な型を持つ部族なんだけど

さて、この型はいつ何処で発生したんだろうか?

200 :世界@名無史さん:2014/04/02(水) 00:21:26.10 0
>>199
Origins of the T-13910 Variant in Northern andCentral African Populations

Age estimates for the T-13910 variant range from 5,000to 12,300 years ago14,18,1 9,21,22
and coincide with the ori-gins of cattle domestication in northern Africa and the Levant ~10,000 years ago.65
Although the T-13910 variant is present in central and northern African pastoralist populations,
such as the Fulani and Arabic Baggara from Cameroon
and the Mozabite from Algeria, it was not obser ved in other sub-Saharan African popula-tions. 11,14,18,1 9,21

This distribution of the T-13910 allele
in Africa and the shared haplotype background of chromo-somes containing this variant in Africans and non-Africans
suggest that the T-13910 variant was introduced through
gene ?ow from outside of Africa into northern and/or central Africa.2 1,29,66

In fact, the T-13910 variant in the
Mozabite from Algeria occurred on the same haplotype background as obser ved in Middle Eastern populations,
whereas the Fulani from Cameroon and the Bulala from Chad shared the same haplotype background with Euro-peans.

The Fulani also shared a distinct T-13910 haplotype background with the Arabic Baggara.

These patterns sug-gest that the distribution of obser ved haplotype variation
might be due to gene ?ow that occurred over time from outside and within Africa possibly during key historical events,
such as the settlement of the Roman Empire in parts of northern Africa
and the expansion of the Arabs prior to and during the Ottoman empire within the last 2,000 years. 67

These inferred migration events are also
consistent with studies based on mtDNA, Y chromosome,
and autosomal genetic variation. 11,29,68? 73

201 :世界@名無史さん:2014/04/02(水) 00:30:44.10 0
>>200

アフロ・アジア語族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AA%9E%E6%97%8F

アフロ・アジア語族(アフロ・アジアごぞく)は、アラビア半島を中心とする西アジアで話されるセム語派と、それに近縁な、北アフリカを中心に分布するハム諸語(かつてのハム語派)の総称。
アフロとはアフリカという意味のラテン語接頭辞。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Afro-asiatic_map.png

202 :世界@名無史さん:2014/04/02(水) 00:42:39.74 0
>>199>>201
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Afro-asiatic_map.png

さてさて、
東アフリカにはヨーロッパからの遺伝子流入が認められるらしいけど
アフリカの角から南の辺りはLactase Persistenceの型は様々で一番のるつぼ

イエメンとの共通性と、南アフリカとの共通性もあるって状態だけど
ヨーロッパとの近縁性はないんだよねww

これは牧畜や遊牧の伝わった系統に由来するんだろうか
ちゃんと読んだら書いてあるのかもしんないけお

203 :世界@名無史さん:2014/04/05(土) 16:52:41.01 0
かなり昔のやつだけど「ひつじ」

http://dienekes.blogspot.jp/2009/04/retroviruses-and-origin-of-domesticated.html
http://4.bp.blogspot.com/_Ish7688voT0/SfQ06V9M8XI/AAAAAAAABSk/WBw_-a12dRw/s1600-h/sheep_retrovirus.jpg


ヒツジ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%84%E3%82%B8

アルガリ
ムフロン
小型の野生のヒツジで、最初期に家畜化されたヒツジの原種の1つと考えられている。
ヨーロッパ・ムフロン、アジア・ムフロン(レッド・ムフロン)が知られ、赤色から赤褐色、赤黄色の毛色をもつ。

家畜化の歴史[編集]
南アジアの野生種ウリアル一説では、中国では8,000年以上前から飼育されていたともいう[要出典][1]。
新石器時代から野生の大型ヒツジの狩猟がおこなわれていた形跡がある。
家畜化が始まったのは古代メソポタミアで、紀元前7000-6000年ごろの遺跡からは野生ヒツジとは異なる小型のヒツジの骨が大量に出土しており、最古のヒツジの家畜化の証拠と考えられている[2]。

家畜化されたヒツジの祖先は、モンゴルからインド、西アジア、地中海にかけて分布していた4種の野生ヒツジに遡ることができる。
中央アジアのアルガリ、現在の中近東にいるアジアムフロン、インドのウリアル[3]、地中海のヨーロッパムフロンがこれにあたる。
これら4種は交雑が可能であり、遺伝学的手法によっても現在のヒツジの祖を特定するには至っていないが、いくつかの傍証からアジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている。

ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、脂肪と毛であったと考えられている。
肉や乳、皮の利用はヤギが優れ、家畜化は1000-2000年程度先行していた。
しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。
他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。
こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される。

204 :世界@名無史さん:2014/04/05(土) 21:44:43.50 0
>>182

元がみれないのでこっち

Haplogroup R1a, Its Subclades and Branches in Europe during the Last 9000 Years
DOI:10.4236/aa.2012.23017

Appendix 1
A list of R1a branches in Europe (dates in ybp)

1 R1a1-M198- (or SRY10831.2*) ?9000
2 R1a1a-M198+ M417? (or M17*) ?9000
3 The Tenths, NW branch, ~4575
4 The Tenths, L664+ ~4575
5 The Tenths, DYS448 null mutation 1500 ± 325 and 260 ± 60 (USA)
6 Z93+ ~5700, started to expand ~4050
7 Z93-L342.2+ 4900 ± 500
8 Z93-L342.2-L657+ 4050 ± 460
9 Z93-L342.2, Jewish branch 4475 ± 400, started to expand 1300 ± 150
10 Z93-L342.2, Bashkir branch 1125 ± 200
11 Z93-L342.2, Kyrgyz branch 2100 ± 250
12 Z283 (Eurasian branch) ~5500
13 M458 (European branch) ~4200
14 M458 CE parent ~3100
15 M458 CE-1 2900 ± 400
16 M458 CE-2 2900 ± 400
17 M458-L260 WS 2700 ± 300
18 Z284 (Scandinavian branch) 4300 ± 500
19 Z284-Z287, Old Scandinavian 3700 ± 400
20 Z284-L448, Young Scandinavian 2700 ± 350
21 Z284-L448-L176.1, Scottish Highland 1850 ± 290

205 :世界@名無史さん:2014/04/05(土) 21:53:51.31 0
>>204

22 Z280, Central Eurasian (CEA) 4900 ± 500
23 Z280, CEA-1, Russian Plain 4600 ± 500
24 Z280, CEA-2 3500 ± 400
25 Z280-L366, CEA-3 2500 ± 350
26 Z280-L365, North European (NE) 2600 ± 350
27 Z280-P278.2, Western Carpathian (WC) 2600 ± 300
28 Z280-Z92, North Eurasian (NEA) 4450 ± 450
29 Z280, NEA-1 3600 ± 400
30 Z280, NEA-2 2350 ± 300
31 Z280, Western Eurasian (WEA) 4100 ± 500
32 Z280, WEA-1 2300 ± 300
33 Z280, Eastern Carpathian (EC) 2600 ± 300
34 Z280, Balto-Carpathian (BC) 4300 ± 500
35 Z280, BC-1 2550 ± 300
36 Z280, BC-2 2200 ± 250
37 Z280, Northern Carpathian (NC) 2150 ± 300
38 Z280, L784 2500 ± 450

206 :世界@名無史さん:2014/04/05(土) 22:53:43.68 0
カルパティア山脈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%B1%B1%E8%84%88

最高峰はスロバキアの最高峰でもあるゲルラホフスカ山(2663m)。 アルプス・ヒマラヤ造山帯に属する新山系だが、アルプス山脈ほど険しくはない。
岩塩、天然ガス、石油、鉄鉱石、貴金属などを産出する。

カルパティアの名は、古代スラヴ語で「山脈」を意味する語(Chorwat、Chrbat など)に由来するという。
各国語による呼称は、チェコ語・スロバキア語・ポーランド語で Karpaty、ウクライナ語: Карпати[1]、ルーマニア語: Mun?ii Carpa?i、英語: Carpathian Mountains または Carpathians など。


カルパチア盆地
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%81%E3%82%A2%E7%9B%86%E5%9C%B0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Carpathian-Basin.jpg

カルパチア盆地(カルパチアぼんち)は、カルパチア山脈・アルプス山脈・ディナル・アルプス山脈の尾根に囲まれた中央ヨーロッパ存在する盆地である。
ドナウ川中流域をほぼ含む。

1920年のハンガリー王国の領土の分割(トリアノン講和条約)カルパチア盆地は北部と東部が山岳地帯であり、
中央部がハンガリー大平原、西部が丘陵地帯のドゥナーントゥール地方(古代ローマのパンノニア皇帝属州)である。
専らこの平原部分に注目したパンノニア平原という呼称も用いられることがある。

ただし、パンノニアという地域名は現在のハンガリーのドナウ川西岸、すなわちドゥナーントゥール地方の古称であり、
実際のカルパチア盆地の西南部、全体の4分の1程度の地域しか指していないため、カルパチア盆地全体のシノニムとしては不適切だとの考え方もある。

207 :世界@名無史さん:2014/04/05(土) 23:25:52.78 0
>>203
Science doi:10.1126/science.1170587

Revealing the History of Sheep Domestication Using Retrovirus Integrations
Bernardo Chessa et al.

Abstract

The domestication of livestock represented a crucial step in human history.
By using endogenous retroviruses as genetic markers, we found that sheep differentiated on the basis of their "retrotype" and morphological traits dispersed across Eurasia and Africa via separate migratory episodes.
Relicts of the first migrations include the Mouflon, as well as breeds previously recognized as "primitive" on the basis of their morphology,
such as the Orkney, Soay, and the Nordic short-tailed sheep now confined to the periphery of northwest Europe.
A later migratory episode, involving sheep with improved production traits, shaped the great majority of present-day breeds.
The ability to differentiate genetically primitive sheep from more modern breeds provides valuable insights into the history of sheep domestication.


>>206
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fb/Carpathian-Basin.jpg

208 :世界@名無史さん:2014/04/09(水) 22:20:25.79 0
>>182>>187
http://en.wikipedia.org/wiki/Genetic_studies_on_Jews
http://dienekes.blogspot.jp/search/label/Jewish


fastIBD analysis of several Jewish and non-Jewish groups
http://dienekes.blogspot.jp/2012/08/fastibd-analysis-of-several-jewish-and.html
http://1.bp.blogspot.com/-N_VCcrkXQA0/UCJQJKgFa4I/AAAAAAAAFPA/m_Zi4nxnNGY/s1600/heatmap.png


Origins of North African and Central/East European Jews
http://dienekes.blogspot.jp/2012/08/origins-of-north-african-and.html
http://2.bp.blogspot.com/-2t3OwBGIYAQ/UCIPqqtkJAI/AAAAAAAAFN4/6pIjd43nGoo/s1600/north_african.png
http://3.bp.blogspot.com/-0TPUL9vON98/UCIQnj6ZrkI/AAAAAAAAFOA/2LEfoVcox0I/s1600/pca.png
http://1.bp.blogspot.com/-M-0mHKvCnOE/UCISeEMUdfI/AAAAAAAAFOI/oiXiKhHQpdo/s1600/elhaik.png
http://2.bp.blogspot.com/-MDzNJxmZsUM/UCIUtzDVrhI/AAAAAAAAFOY/f-fmN1bWu1s/s1600/twomodels.png

209 :世界@名無史さん:2014/04/15(火) 23:24:05.98 0
>>62
やっと見れるようになったが
これは激しく面白いなww

210 :世界@名無史さん:2014/04/26(土) 19:27:37.21 0
おっと、ドラフト後の報告がでたっぽい


石器時代スカンジナビアの狩猟採集民と農耕民との遺伝的差異
http://sicambre.at.webry.info/201404/article_31.html

石器時代のスカンジナビアの狩猟採集民と農耕民の遺伝的差異についての研究(Skoglund et al., 2014)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。
この研究は、7000〜5000年前のスカンジナビアの住民11人のゲノムを解析し、狩猟採集から農耕への移行は人口構造的にはどのように進行したのかという、現在でも議論の盛んな問題への手がかりを提示しています。
この研究のゲノム解析の結果はこの時代のものとしてはかなり良好だったようで、何人かではドラフトゲノムと同等のものが得られたそうです。

 ゲノム解析・比較の結果、狩猟採集民と農耕民は、地理的に近接していたにも関わらず、現代ヨーロッパ人間で観察されるよりも遺伝的差異が大きかったそうです。
さらに、遺伝的に農耕民と位置づけられる有名な「アイスマン」と比較して、スカンジナビアの新石器時代農耕民には狩猟採集民との交雑の程度が高かったことが確認されたそうです。
一方対照的に、スカンジナビアの狩猟採集民には、農耕民からの遺伝子流入の有意な証拠がまったく見られなかったそうです。

 この研究は、スカンジナビアの狩猟採集民は農耕民よりもずっと遺伝的多様性が低いことから、
石器時代の狩猟採集民は生活条件の変動または環境収容力の制限から農耕民よりも人口が少なく、少なくともその一部は、拡大していく農耕集団に吸収されたのではないか、と示唆しています。
この論文の筆頭著者のポンタス=スコグランド(Pontus Skoglund)博士は、世界各地の農耕の拡大に関する研究にさいして、この研究が手がかりになるかもしれない、と述べています。

(略)

211 :世界@名無史さん:2014/04/26(土) 19:36:14.20 0
ちょっとまて、思ってた感じのとだいぶ違うぞww

More ancient Scandinavians (Skoglund, Malmstrom et al. 2014)
http://dienekes.blogspot.jp/2014_04_01_archive.html

http://2.bp.blogspot.com/-f0SM6wmjxww/U1lq1koSSwI/AAAAAAAAJks/_csA2iCuNGM/s1600/skoglund.png
http://3.bp.blogspot.com/-hoBLZ0dZXto/U1luxCudqwI/AAAAAAAAJk4/J3X428YdPzo/s1600/PCA.png

とりあえず
http://dienekes.blogspot.jp/2013/12/europeans-neolithic-farmers-mesolithic.html
http://3.bp.blogspot.com/-fc2W-6tR-HA/Urigqts3hwI/AAAAAAAAJbg/hqZiV1TOGgc/s400/europe.png
の続報ではないっぽいね



Science DOI: 10.1126/science.1253448

Genomic Diversity and Admixture Differs for Stone-Age Scandinavian Foragers and Farmers

Pontus Skoglund, Helena Malmstrom et al.

Prehistoric population structure associated with the transition to an agricultural lifestyle in Europe remains contentious.
Population-genomic data from eleven Scandinavian Stone-Age human remains suggest that hunter-gatherers had lower genetic diversity than farmers.
Despite their close geographical proximity, the genetic differentiation between the two Stone-Age groups was greater than that observed among extant European populations.
Additionally, the Scandinavian Neolithic farmers exhibited a greater degree of hunter-gatherer-related admixture than that of the Tyrolean Iceman, who also originated from a farming context.
In contrast, Scandinavian hunter-gatherers displayed no significant evidence of introgression from farmers.
Our findings suggest that Stone-Age foraging groups were historically in low numbers, likely due to oscillating living conditions or restricted carrying-capacity,
and that they were partially incorporated into expanding farming groups.

http://www.sciencemag.org/content/early/2014/04/23/science.1253448

212 :世界@名無史さん:2014/04/27(日) 11:08:59.73 0
後で読もう

Etruscan mtDNA origins (Ghirotto et al. 2013)
http://dienekes.blogspot.jp/2013/02/etruscan-mtdna-origins-ghirotto-et-al.html

mtDNA from Minoan Crete (Hughey et al. 2013)
http://dienekes.blogspot.jp/2013/05/mtdna-from-minoan-crete-hughey-et-al.html

213 :世界@名無史さん:2014/04/30(水) 23:50:33.69 0
まえのこれじゃないやつ見かけたので続けて貼るよ

http://dienekes.blogspot.jp/2012/05/bell-beakers-from-germany-y-haplogroup.html
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.22074/abstract

American Journal of Physical Anthropology DOI: 10.1002/ajpa.22074

Emerging genetic patterns of the european neolithic: Perspectives from a late neolithic bell beaker burial site in Germany†

The transition from hunting and gathering to agriculture in Europe is associated with demographic changes that may have shifted the human gene pool of the region as a result of an influx of Neolithic farmers from the Near East.
However, the genetic composition of populations after the earliest Neolithic,
when a diverse mosaic of societies that had been fully engaged in agriculture for some time appeared in central Europe, is poorly known.

At this period during the Late Neolithic (ca. 2,800?2,000 BC), regionally distinctive burial patterns associated with two different cultural groups emerge, Bell Beaker and Corded Ware,
and may reflect differences in how these societies were organized. Ancient DNA analyses of human remains from the Late Neolithic Bell Beaker site of Kromsdorf, Germany
showed distinct mitochondrial haplotypes for six individuals, which were classified under
the haplogroups I1, K1, T1, U2, U5, and W5, and two males were identified as belonging to the Y haplogroup R1b.

In contrast to other Late Neolithic societies in Europe emphasizing maintenance of biological relatedness in mortuary contexts,
the diversity of maternal haplotypes evident at Kromsdorf suggests that burial practices of Bell Beaker communities operated outside of social norms based on shared maternal lineages.
Furthermore, our data, along with those from previous studies, indicate that modern U5-lineages may have received little, if any, contribution from the Mesolithic or Neolithic mitochondrial gene pool.

214 :世界@名無史さん:2014/04/30(水) 23:55:41.61 0
>>213

A Predominantly Neolithic Origin for European Paternal Lineages
http://www.plosbiology.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pbio.1000285
PLoS Biology doi:10.1371/journal.pbio.1000285


Abstract

The relative contributions to modern European populations of Paleolithic hunter-gatherers and Neolithic farmers
from the Near East have been intensely debated. Haplogroup R1b1b2 (R-M269) is the commonest European Y-chromosomal lineage,
increasing in frequency from east to west, and carried by 110 million European men.

Previous studies suggested a Paleolithic origin, but here we show that the geographical distribution of its microsatellite diversity is best explained by spread from a single source in the Near East via Anatolia during the Neolithic.
Taken with evidence on the origins of other haplogroups, this indicates that most European Y chromosomes originate in the Neolithic expansion.
This reinterpretation makes Europe a prime example of how technological and cultural change is linked with the expansion of a Y-chromosomal lineage,
and the contrast of this pattern with that shown by maternally inherited mitochondrial DNA suggests a unique role for males in the transition.


いつもの人のとこの記事だと2010年になってるね。
http://dienekes.blogspot.jp/2010/01/neolithic-origin-of-european-y.html
January 20, 2010

215 :世界@名無史さん:2014/05/07(水) 00:05:27.45 0
おぉ、5月にいきなり大量にのっかってるな
とりあえず、これは拾っておこう


Prehistoric North Sea 'Atlantis' hit by 5m tsunami
http://www.bbc.com/news/science-environment-27224243
http://news.bbcimg.co.uk/media/images/74567000/gif/_74567722_map.gif


Hidden Doggerland underworld uncovered in North Sea
http://www.bbc.com/news/uk-scotland-edinburgh-east-fife-18687504
http://news.bbcimg.co.uk/media/images/61349000/gif/_61349035_doggerland_624.gif

216 :世界@名無史さん:2014/05/07(水) 20:35:59.98 0
ときたまこういうのを見逃すポカをやらかし、
そして日時からど素人であることが露見する


mtDNA haplogroup H and the origin of Europeans (Brotherton et al. 2013)
http://2.bp.blogspot.com/-Zkkl_woJ1l8/UXb7KiAfY9I/AAAAAAAAIv4/IjFmv8fL-pE/s320/ncomms2656-f2.jpg


Neolithic mitochondrial haplogroup H genomes and the genetic origins of Europeans
http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n4/full/ncomms2656.html
Nature Communications 4, Article number: 1764 doi:10.1038/ncomms2656
Received 20 September 2012 Accepted 27 February 2013 Published 23 April 2013

Abstract
Haplogroup H dominates present-day Western European mitochondrial DNA variability (>40%), yet was less common (~19%) among Early Neolithic farmers (~5450 BC) and virtually absent in Mesolithic hunter-gatherers.
Here we investigate this major component of the maternal population history of modern Europeans and sequence 39 complete haplogroup H mitochondrial genomes from ancient human remains.
We then compare this ‘real-time’ genetic data with cultural changes taking place between the Early Neolithic (~5450 BC) and Bronze Age (~2200 BC) in Central Europe.
Our results reveal that the current diversity and distribution of haplogroup H were largely established by the Mid Neolithic (~4000 BC),
but with substantial genetic contributions from subsequent pan-European cultures such as the Bell Beakers expanding out of Iberia in the Late Neolithic (~2800 BC).
Dated haplogroup H genomes allow us to reconstruct the recent evolutionary history of haplogroup H and reveal a mutation rate 45% higher than current estimates for human mitochondria.

http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n4/fig_tab/ncomms2656_F1.html
http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n4/images/ncomms2656-f2.jpg

217 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 00:15:46.58 0
ここで紹介されてるやつ
とりあえずこういう総説は読んどいて損はないはず
というか、こういう地図とテーブルが乾し方
参考文献もアホほど載ってるからやる気になれば、、、



植物の栽培化と動物の家畜化の起源についての近年の見解
http://sicambre.at.webry.info/201404/article_39.html


 今日はもう1本掲載します。『米国科学アカデミー紀要』の今週号(第111巻17号)には、植物の栽培と動物の家畜化についての特集が掲載されています。
まだ総説(Larson et al., 2014)をざっと眺めただけですが、現時点での考古学・遺伝学などによる学際的研究成果が概観されており、農耕と牧畜の起源について近年の見解を知るうえでたいへん有益でしょう。
図1および図2を見ると、世界各地でいつ植物の栽培と動物の家畜化が始まったのか、分かりやすいと思います。

 現在では一般にも広く知られつつあるように思うのですが、植物の栽培化と動物の家畜化は、世界の複数の核となる地域で、異なる年代に異なる種を対象として進行したようです。
その核となる地域から周辺地域へと、農耕・牧畜は拡散していったのでしょう。そのさいに人間の移住が決定的な役割を果たしたのか、
それとも先住民が主体的に農耕・牧畜を取り入れていったのかは、各地域・年代により様相が異なっていたのではないか、と思われます。

(略)

参考文献:
Larson G. et al.(2014): Current perspectives and the future of domestication studies. PNAS, 111, 17, 6139?6146.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1323964111

218 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 04:02:02.73 0
>>217

Fig. 1.
Current perspectives and the future of domestication
http://www.pnas.org/content/111/17/6139/F1.medium.gif

A map depicting likely centers where the domestication of at least one plant or animal took place.
Black outlines surround the most widely accepted independent centers of domestication, and sources of major diffusions of domesticates are indicated by arrows.
Green and purple regions, respectively, are those where the domestication process took place during the late Pleistocene to early Holocene transition (12,000?8,200 B.P.), and in the middle Holocene (8,200?4,200 B.P.).
Brown regions represent areas where, at present, the evidence for domestication is interpreted based upon the presence of domestic forms indigenous to these regions found outside of their native distributions.
Letters A?H correspond to those listed in Fig. 2


Fig. 2.
http://www.pnas.org/content/111/17/6139/F2.large.jpg

Gray dashed lines represent documented exploitation before domestication or posited as necessary lead-time to domestication.
Blue dashed lines represent either the management of plants or animals (including translocation) or predomestication cultivation of plants, neither of which were associated with morphological indications of domestication.
Red bars frame the period over which morphological changes associated with domestication are first documented and a short, solid red bar represents the latest time by which domestication occurred.

219 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 04:05:34.95 0
>>216

Figure 1: Mitochondrial haplogroup H sequence evolution.
http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n4/images/ncomms2656-f1.jpg

(a) Phylogenetic network of 39 prehistoric mitochondrial genomes sorted into two temporal groupings:
Early Neolithic (left) and Mid-to-Late Neolithic (right).
Node colours represent archaeological cultures.

(b) A Bayesian skyride plot of 200 representative present-day and 39 ancient hg H mt genomes (the thick red line denotes the posterior median, thinner flanking lines denote the 95% credibility interval; note the logarithmic scale of the y axis).
Prehistoric samples (18 radiocarbon and 21 mean archaeological dates) served as internal calibration points (black bars).
For comparison, census size estimates for the European population are shown as orange dots.

Population density estimates from the archaeological record for key periods in Central Europe are plotted as blue squares in chronological order:
LBK, Iron Age, Roman period, Merovingian and Pre-industrial modern times (y axis on the right)28.

220 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 04:14:39.94 0
>>216

Figure 2: Population affinities of select Neolithic cultures.
http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n4/images/ncomms2656-f2.jpg

(a) PCA biplot based on the frequencies of 15 hg H sub-haplogroups (component loadings) from 37 present-day Western Eurasian and three ancient populations

light blue: Western Europe;
dark blue: Central and Eastern Europe;
orange; Near East, Caucasus and Anatolia; and
pink: ancient samples


Populations are abbreviated as follows:

(略)

LBK, Linear pottery culture;
BBC, Bell Beaker culture;
MNE, Middle Neolithic.

(b) Procrustes analyses of geographic coordinates and PCA scores of the same data set (similarity score t0=0.733, P<10?6, 100,000 permutations).
(c) Ward clustering dendrogram of the three ancient groups and present-day populations (colour code as above and p values in % of approximately unbiased bootstrapping for the following three main clusters).
(d) Results of the model-based test to identify the number of clusters by the model with the highest support (highest Bayes Information criterion (BIC); VEV=multivariate mixture model (ellipsoidal, equal shape)).

221 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 04:16:03.80 0
>>220
後でまとめたい

Populations are abbreviated as follows:

GAL, Galicia;
CNT, Cantabria;
CAT, Catalonia;
GAS, Galicia/Asturia;
CAN, Cantabria2;
POT, Potes;
PAS, Pasiegos;
VIZ, Vizcaya;
GUI, Guipuzcoa;
BMI, Basques;
IPNE, Iberian Peninsula Northeast;
TUR, Turkey;
ARM, Armenia;
GEO, Georgia;
NWC, Northwest Caucasus;
DAG, Dagestan; OSS,
Ossetia; SYR, Syria;
LBN, Lebanon;
JOR, Jordan;
ARB, Arabian Peninsula;
ARE, Arabian Peninsula2;

222 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 04:16:36.27 0
>>221

Populations are abbreviated as follows:

KBK, Karachay-Balkaria;
MKD, Macedonia;
VUR, Volga-Ural region;
FIN, Finland;
EST, Estonia;
ESV, Eastern Slavs;
SVK, Slovakia;
FRA, France;
BLK, Balkans;
DEU, Germany;
AUT, Austria,
ROU, Romania;
FRM, France Normandy;
WIS, Western Isles;
CZE, Czech Republic;

223 :世界@名無史さん:2014/05/12(月) 00:30:48.06 0
たまには上げてみる

これはこれで貴重
ある特定の目的のために知りたい人もいるだろうww

Ancient DNA from the Balkans (Iron Age Thrace)
http://dienekes.blogspot.jp/2014_05_01_archive.html

The results of the analyses including additional ancient genomes provide mounting evidence that the Iceman's genetic affinity with Sardinians reflects an ancestry component that was widespread in Europe during the Neolithic.
Despite their different geographic origins, both the Swedish farmer gok4 and the Thracian P192-1 closely resemble the Iceman in their relationship with Sardinians, making it unlikely that all three individuals were recent migrants from Sardinia.
Furthermore, P192-1 is an Iron Age individual from well after the arrival of the first farmers in Southeastern Europe (more than 2,000 years after the Iceman and gok4), perhaps indicating genetic continuity with the early farmers in this region.
The only non-HG individual not following this pattern is K8 from Bulgaria.
Interestingly, this individual was excavated from an aristocratic inhumation burial containing rich grave goods, indicating a high social standing, as opposed to the other individual, who was found in a pit [15].
However, the DNA damage pattern of this individual does not appear to be typical of ancient samples (Table S4 in [15]), indicating a potentially higher level of modern DNA contamination.
On the other hand, the Swedish and the Iberian hunter-gatherers show congruent patterns of relatedness to the modern populations of Northern Europe, which is consistent with the previous results using those samples.

http://3.bp.blogspot.com/-JAa3FEhslKE/U2wBQTERe8I/AAAAAAAAJmQ/B8G8e5b99ck/s1600/journal.pgen.1004353.g004.png

224 :世界@名無史さん:2014/05/12(月) 00:45:06.46 0
>>223

http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004353


Population Genomic Analysis of Ancient and Modern Genomes Yields New Insights into the Genetic Ancestry of the Tyrolean Iceman and the Genetic Structure of Europe

Martin Sikora et al.

Genome sequencing of the 5,300-year-old mummy of the Tyrolean Iceman, found in 1991 on a glacier near the border of Italy and Austria, has yielded new insights into his origin and relationship to modern European populations.
A key finding of that study was an apparent recent common ancestry with individuals from Sardinia, based largely on the Y chromosome haplogroup and common autosomal SNP variation.
Here, we compiled and analyzed genomic datasets from both modern and ancient Europeans, including genome sequence data from over 400 Sardinians and two ancient Thracians from Bulgaria,
to investigate this result in greater detail and determine its implications for the genetic structure of Neolithic Europe.
Using whole-genome sequencing data, we confirm that the Iceman is, indeed, most closely related to Sardinians.
Furthermore, we show that this relationship extends to other individuals from cultural contexts associated with the spread of agriculture during the Neolithic transition, in contrast to individuals from a hunter-gatherer context.
We hypothesize that this genetic affinity of ancient samples from different parts of Europe with Sardinians represents a common genetic component that was geographically widespread across Europe during the Neolithic,
likely related to migrations and population expansions associated with the spread of agriculture.

http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004353.g001/largerimage
http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004353.g002/largerimage
http://www.plosgenetics.org/article/info:doi/10.1371/journal.pgen.1004353.g003/largerimage

225 :世界@名無史さん:2014/05/12(月) 00:53:29.99 0
>>224
さすがに小さくて見れないんだろうか

http://s3-eu-west-1.amazonaws.com/previews.figshare.com/1490299/860/p_01.png
http://s3-eu-west-1.amazonaws.com/previews.figshare.com/1490300/860/p_01.png
http://s3-eu-west-1.amazonaws.com/previews.figshare.com/1490301/860/p_01.png

226 :世界@名無史さん:2014/05/12(月) 01:03:43.91 0
>>225

Adygei
http://en.wikipedia.org/wiki/Adygeaだけどたぶん合ってる

アディゲ共和国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B2%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

アディゲ共和国(アディゲきょうわこく、ロシア語: Адыгея、アディゲ語: Адыгэ)は、ロシア連邦を構成する共和国のひとつ。
別名アドゥイゲ共和国。北コーカサスに位置し、周囲をクラスノダール地方に囲まれている。

住民[編集]
2010年の国勢調査では、以下となっていた。

ロシア人63.6%、
アディゲ人25.2%、
アルメニア人3.7%、
ウクライナ人1.4%、
クルド人1.1%、
タタール人0.6%


http://en.wikipedia.org/wiki/Adyghe_people
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/Caucasus-ethnic_en.svg/527px-Caucasus-ethnic_en.svg.png

227 :世界@名無史さん:2014/05/17(土) 06:32:56.38 0
An excess of X-chromosomal diversity in Africans
http://dienekes.blogspot.jp/2014/05/an-excess-of-x-chromosomal-diversity-in.html


日本人は特に低い。
これはおそらく古mtDNAのバリエーションが少ないことと関係していると思う。


Contrasting X-Linked and Autosomal Diversity across 14 Human Populations
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0002929714001839


However, deviations from this ratio are expected by at least four forces:

(1) differential mutation rates between X and the autosomes, due at least in part to different mutation rates between males and females15, 19 and 20
(we controlled for this in our analyses by normalizing human nucleotide diversity by genetic divergence between humans and an outgroup species1, 2, 6, 7, 8 and 12);

(2) sex-biased demographic events or social practices leading to different Ne of males and females; 2, 4, 7, 21, 22, 23 and 24

(3) changes in historical Ne over time, even in the face of equal male and female Ne,
given that the larger Ne of the autosomes implies deeper genealogies and therefore a greater impact of more ancient evolutionary history;2 and 25 and

(4) forces of natural selection differentially affecting X and the autosomes, mostly, but not only, because of the exposure of otherwise recessive X-linked variants in hemizygous males

228 :世界@名無史さん:2014/05/25(日) 03:07:35.63 0
さてさて、しばらく書いてなかったけど
どこかでカナリア諸島の話を見かけた

229 :世界@名無史さん:2014/05/25(日) 03:28:25.27 0
>>228
これっすかね

The history of mtDNA haplogroup U6
http://dienekes.blogspot.jp/2014/05/the-history-of-mtdna-haplogroup-u6.html

The history of the North African mitochondrial DNA haplogroup U6 gene flow into the African, Eurasian and American continents
http://www.biomedcentral.com/1471-2148/14/109/abstract


Conclusions

The U6 expansions and contractions inside Africa faithfully reflect the climatic fluctuations that occurred in this Continent affecting also the Canary Islands.
Mediterranean contacts drove these lineages to Europe, at least since the Neolithic.
In turn, the European colonization brought different U6 lineages throughout the American Continent leaving the specific sign of the colonizers origin.

230 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 01:59:18.46 0
ハルシュタット文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E6%96%87%E5%8C%96

ハルシュタット文化(ハルシュタットぶんか)は、中央ヨーロッパにおいて青銅器時代後期(紀元前12世紀以降)の骨壺墓地文化から発展し、
鉄器時代初期(紀元前8世紀から紀元前6世紀)にかけて主流となった文化。後に中央ヨーロッパのほとんどはラ・テーヌ文化に移行した。

名称はオーストリアのザルツブルク州の南東の湖岸の村ザルツカンマーグートにある標式遺跡が出土したハルシュタットに由来する。
一般的に西文化圏はケルト祖語及びケルト人と、東文化圏は(祖ー)イリュリア人と関係があるとされている。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Hallstatt_culture.png

地理的区分

東西の文化圏は主に埋葬習慣と副葬品の違いを基準に区分される。
西文化圏では高い地位にあった者は剣(C期)もしくは短剣(D期)と共に葬られたが、東文化圏では斧と共に葬られていた。
また西文化圏では戦車葬が行なわれていたが、東文化圏では戦士はしばしば甲冑をつけ葬られていた。

ハルシュタットが西文化圏の主要な定住地とされる一方で、オーストリアのシュタイアーマルク州南部からライプニッツ州西部にかかるズルム渓谷中部のブルクシュタルコーゲルはC期の中心であった。
こんにちグラインシュテッテン近郊に、定住地を囲んでいた(元は1,100を越える墳墓があったと推測される)ネクロポリスの一部が見られる。

文化と交易[編集]

交易と人口の流動はイベリア半島西部、グレートブリテン島そしてアイルランド島にハルシュタット文化の影響を与えた。
ギリシャと交易があったことは、ハルシュタット後期の上流階級の墓からアッティカの黒絵式陶器が出土していることからわかっているが、
おそらくマッシリア(マルセイユ)を経由して輸入されたと考えられる。この他輸入された贅沢品には琥珀や象牙、そしてワインも含まれていただろう。
ドイツのシュトゥットガルト、ホーホドルフの墓から見つかった赤い染料(コチニール色素)も南からの輸入品によく見られるものである。

231 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 02:02:31.01 0
>>230

定住地の大部分は丘の頂上に位置し要塞化されていた。そこには青銅や銀、金などの細工職人らの作業場があることもしばしばであった。
典型的なものにドナウ川(ダニューブ川)上流にある、大きな9基の墳丘に囲まれたドイツのホイネブルクや、ふもとの村ヴィクスで豪華な副葬品が発掘されたフランス東部のシャティヨン=シュール=セーヌ近郊のラソワ山、スロヴァキアのモルピールなどがある。

ハルシュタット末期にかけて身分の高い人物の非常に豪華な墓が、丘砦(きゅうさい)の定住地近くの大きな墳丘の下から見つかっている。
副葬品にはしばしば戦車や馬銜(はみ)、軛(くびき)などが含まれる。戦車が出土した墓として著名なものはチェコのビチ・スカーラ、ヴィクス、ドイツのホッホドルフである。

またドイツのケルンテン州フロックから鉛製の戦車の模型が発見されている。副葬品には青銅や金で作られた精巧な装飾品やヒルシュテンランデンの戦士のような石像が見られる。
西文化圏の中心地の物資文化は安定した社会的、経済的な均衡を保つのに十分豊かだった。
しかし紀元前600年ごろ、ギリシャの植民地マルセイユが誕生し、エトルリア文化が興隆すると、
アルプス以北のハルシュタット文化の定住地に長期間に渡って社会的、文化的な変化をもたらしたローヌ川を介した交易が終焉を迎え、
強い力を持つ地方の首長が台頭し、地中海世界から入ってくる贅沢品の供給を支配するようになった。

これはラ・テーヌ文化にも見られる特徴でもある。
なおヨーロッパでハルシュタット時代の青銅器が最も大量に出土しているのはルーマニアである。

232 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 02:03:51.56 0
>>230

ハルシュタット遺跡[編集]
1846年ヨハン・ゲオルク・ラムザウアーはハルシュタット近郊で大規模な先史時代の墓地を発見し19世紀後半発掘を続けた。
1863年までに980体の遺体と19,497点にのぼる埋葬品が見つかった。
ハルシュタットの共同体はこの地域にある岩塩鉱山から岩塩を採掘していたが(「halen」は古ケルト語で「塩」を意味する)、
それは新石器時代(紀元前8世紀ー紀元前5世紀)から続いていた。墓地から見つかった副葬品は様式に特徴があり、この様式で作られたものはヨーロッパの広範囲に分布している。

時代区分[編集]
ハルシュタット文化は紀元前1200年ごろから紀元前500年ごろまで続いたが、考古学では以下の4期に分けられる。
ハルシュタットA期:紀元前1200年から紀元前1000年まで
ハルシュタットB期:紀元前1000年から紀元前800年まで
ハルシュタットC期:紀元前800年から紀元前650年まで
ハルシュタットD期:紀元前650年から紀元前475年まで
ハルシュタットA期とB期は青銅器時代後期である。A期にはヴィラノヴァ文化(Villanovan culture)の影響が見られ、B期は火葬が主流であるが墳墓葬が普及しはじめた。
狭義の「ハルシュタット時代」はC期とD期に限定されるが、これは初期ヨーロッパ鉄器時代と時期が重なっている。ハルシュタットD期に次いでラ・テーヌ文化が起こった。

233 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 02:12:13.94 0
>>231

http://en.wikipedia.org/wiki/Warrior_of_Hirschlanden

The Warrior of Hirschlanden is a statue of a nude ithyphallic warrior made of sandstone, the oldest known Iron Age life-size anthropomorphic statue north of the Alps.
It was a production of the Hallstatt culture, probably dating to the 6th century BC. It is now in the Wurttembergisches Landesmuseum in Stuttgart.

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Mann_Von_Hirschlanden.jpg/300px-Mann_Von_Hirschlanden.jpg

Height[edit]
The preserved height is 1.50 m.

History[edit]
The feet have been broken off.

The warrior wears a pointed hat, maybe ? in analogy to the princely grave of Hochdorf ? made of birchbark, a neck-ring (torc) and a belt with a typical late Hallstatt dagger.

While the legs are modelled according to life, the upper body is rather schematic and the face is extremely sketchy, leading to discussions that the man might be wearing a mask,
as is known from burials in Klein-Klein, Styria, Austria, Trebeni?ta (Macedonia) and the much earlier shaft-graves of Mycenae, ca. 1500 BC.

Greek influence (kouroi) has been discussed. Numerous black figure vessels from fortified settlements of the period attest trading contacts with the Mediterranean, probably via the Rhone River and the Greek colony of Massilia (Marseille).
Much closer stylistic connections exist with the far more elaborate statues from Capestrano, Picenium, Italy (650-550 BC) and Casale Marittimo (middle of the 7th century).

234 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 02:22:03.25 0
これはちょっと予想外の展開
ちょっと探すか

>>231


ホッホドルフの墓
http://en.wikipedia.org/wiki/Hochdorf_Chieftain%27s_Grave

A man, roughly 40 years of age and 6 ft 2 in (187 cm) tall, was laid out on an exceptionally richly decorated 9 ft (275 cm) bronze couch on wheels inside the burial chamber.

Judging by other objects found there, this man probably had been a Celtic chieftain:
He had been buried with a gold-plated torc on his neck, a bracelet on his right arm, a hat made of birch bark, a gold-plated dagger made of bronze and iron, rich clothing, amber jewelry,
a razor knife, a nail clipper, a comb, fishing hooks, arrows, and most notably, thin embossed gold plaques were on his now-disintegrated shoes.
At the foot of the couch was a large cauldron decorated with three lions around the brim.

This cauldron was originally filled with about 100 gallons (400 l) of mead.
The east side of the tomb contained an iron-plated wooden four-wheeled wagon holding a set of bronze dishes?along with the drinking horns found on the walls enough to serve nine people.

235 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 02:42:16.74 0
3回ぐらい調べてるのに頭に入らない件について


中世のペスト大流行の原因はネズミではなかった?
http://www.archeonews.net/2011/08/blog-post_26.html
「”黒死病”であることは確かだが、その病気が何だったのか、実際に腺ペストだったかどうかは定かではない」


ペスト菌のゲノムから中世の大流行の原因を探る
http://www.archeonews.net/2011/10/blog-post_14.html
分析の結果、現在世界に拡散しているペスト菌株は、中世の菌株に由来していることがわかった。
14世紀のペスト菌のゲノムは現代のものと極めて良く似ており、未曾有の疫病につながった毒性を説明するような明確な変異が認められなかった。
人間の疫病に対する感受性や、ペストを拡散させる媒介とされていたげっ歯類やノミの生態など、別の要素が中世におけるペストの大流行の原因かもしれない、と調査を行ったチームは結論づけている。

236 :世界@名無史さん:2014/06/07(土) 01:00:27.21 0
とりあえず日本語はほとんど情報がない
これくらいか?

http://momo.gogo.tc/yukari/dragon/contents/Enez_Sizum.html
七つの眠りの島/モナの島/タラ(ターラ)
http://www.yamada-kj2.com/oversea/over_out/over_zatsu/ptolemaei/pt_europe/pt_3.jpg


カッシテリデス
http://en.wikipedia.org/wiki/Cassiterides

The Cassiterides, meaning Tin Islands (from the Greek word for tin: Κασσ?τερο?/Kassiteros),
are an ancient geographical name of islands that were regarded as situated somewhere near the west coasts of Europe.[1]
続きは偏りすぎかなぁ

Primary sources[edit]

Herodotus, Histories 3.115
Diodorus Siculus, Historical Library V. 21, 22, 38
Strabo, Geography 2.5.15, 3.2.9, 3.5.11
Pliny the Elder, Natural History iv. 119, Vii. 197, xxxiv. 156?158


シリー諸島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%AB%B8%E5%B3%B6

歴史[編集]
紀元前2000年頃の住居跡が発見されており、この頃までには居住が始まっていた。当時は全体が大きな一つの島を形成していたと考えられている。
紀元前1世紀頃には古代ローマ帝国の支配下にあった事を示す遺物が多数出土している。この頃から島域への浸水が始まり、現在の形になったと考えられている。

237 :世界@名無史さん:2014/06/07(土) 14:04:46.52 0
>>182>>183

とりあえずR1a-Z93がこの時代にみつかっていると
そんで青い瞳は一人だけか
というかほとんどヨーロッパ人だねww


Ancient DNA from Bronze Age Altai
http://dienekes.blogspot.jp/2014/06/ancient-dna-from-bronze-age-altai.html
http://1.bp.blogspot.com/-rFgh7T7Bp78/U5FOfhxpgwI/AAAAAAAAJoM/q7nbDxZPuDs/s1600/hollard.png


Two observations: it seems that West/East Eurasian Y chromosomes were sometimes associated with East/West mtDNA and vice versa,
so these samples don't appear to be two disjoint West/East Eurasian populations, but some mixing took place.
Also, the pigmentation estimates are mainly brown eyes (one blue-eyed individual) and black/dark brown hair (although both brown/dark blond were present).

The STRUCTURE results (which should be interpreted with great caution because of the small number of autosomal loci used)
do suggest that this was a population that was more West than East Eurasian autosomally.


もとの方の中身はみれなそう

238 :世界@名無史さん:2014/06/07(土) 14:29:32.51 0
>>237

Strong genetic admixture in the Altai at the Middle Bronze Age revealed by uniparental and ancestry informative markers
http://www.fsigenetics.com/article/S1872-4973(14)00116-1/abstract

Clemence Hollard et al.

The Altai Mountains have been a long term boundary zone between the Eurasian Steppe populations and South and East Asian populations.
To disentangle some of the historical population movements in this area, 14 ancient human specimens excavated in the westernmost part of the Mongolian Altai were studied.
Thirteen of them were dated from the Middle to the End of the Bronze Age and one of them to the Eneolithic period.
The environmental conditions encountered in this region led to the good preservation of DNA in the human remains.
Therefore, a multi-markers approach was adopted for the genetic analysis of identity, ancestry and phenotype markers.
Mitochondrial DNA analyses revealed that the ancient Altaians studied carried both Western (H, U, T) and Eastern (A, C, D) Eurasian lineages.
In the same way, the patrilineal gene pool revealed the presence of different haplogroups (Q1a2a1-L54, R1a1a1b2-Z93 and C), probably marking different origins for the male paternal lineages.
To go further in the search of the origin of these ancient specimens, phenotypical characters (ie: hair and eye colour) were determined. For this purpose, we adapted the HIrisPlex assay recently described to MALDI-TOF mass spectrometry.
In addition, some ancestry informative markers were analyzed with this assay.
The results revealed mixed phenotypes among this group confirming the probable admixed ancestry of the studied Altaian population at the Middle Bronze Age.
The good results obtained from ancient DNA samples suggest that this approach might be relevant for forensic casework too.

239 :世界@名無史さん:2014/06/07(土) 14:37:20.26 0
>>237
Q1a2a1-L54 についてはあまり詳しくしらないのでとっかかりに調べておこう

Afghan mega-paper (Di Cristofaro et al.)
http://dienekes.blogspot.jp/2013/10/afghan-mega-paper-di-cristofaro-et-al.html
http://3.bp.blogspot.com/-Jnk1W6q6Xrw/UmvaVp39iNI/AAAAAAAAJUM/OIO0cojbTJg/s640/journal.pone.0076748.g002.png
http://4.bp.blogspot.com/-yajJw96cRLQ/Umvcdid3laI/AAAAAAAAJUY/fZ-ZXS8XIp8/s640/journal.pone.0076748.g003.png


Y-chromosome haplogroup Q and Native Americans
http://dienekes.blogspot.jp/2013/08/y-chromosome-haplogroup-q-and-native.html
http://3.bp.blogspot.com/-9U7Cmb0F6e4/UhZWt0gwzvI/AAAAAAAAJCM/Hs5Pl27tEjk/s1600/journal.pone.0071390.g001.png


Y-haplogroup Q and Native American origins (Regueiro et al. 2013)
http://dienekes.blogspot.jp/2013/01/y-haplogroup-q-and-native-american.html
http://2.bp.blogspot.com/-L7GMPKfxh2Y/UOnOJgf35JI/AAAAAAAAIIQ/1acMNPNX0z0/s1600/haplogroupq.png

It seems likely that the migration of Q-M242 descendants corresponds mainly to the "First Americans" sensu Reich et al. (2012) which makes up the bulk of Amerindian Y-chromosomes. Interestingly:

The recently sequenced genome of a Paleo-Eskimo _ 4,000 years old, belonging to the Saqqaq culture,
provides evidence for a more recent migration from Siberia into the New World some 5.5 kya,
independent of the pre-Holocene penetration that gave rise to the modern Native Americans and Inuit (Rasmussen et al., 2010).

In addition, the Paleo-Eskimo individual is a member of the haplogroup Q1a*-MEH2 suggesting that
this lineage likely traces a population migration originating in Northeast Siberia across the Bering Strait (Rasmussen et al., 2010).


Links between Native Americans and southern Altaians
http://dienekes.blogspot.jp/2012/02/links-between-native-americans-and.html
http://2.bp.blogspot.com/-50PyqZpPXps/TzLPEzmGgRI/AAAAAAAAEd4/osD1bsOb4Cw/s1600/table2.jpg

240 :世界@名無史さん:2014/06/10(火) 22:56:00.08 0
The Mediterranean route into Europe (Paschou et al. 2014)
http://dienekes.blogspot.jp/2014/06/the-mediterranean-route-into-europe.html

PNAS doi: 10.1073/pnas.1320811111
http://www.pnas.org/content/early/2014/06/04/1320811111.abstract

Maritime route of colonization of Europe

Peristera Paschou et al.

The Neolithic populations, which colonized Europe approximately 9,000 y ago,
presumably migrated from Near East to Anatolia and from there to Central Europe through Thrace and the Balkans.
An alternative route would have been island hopping across the Southern European coast.
To test this hypothesis, we analyzed genome-wide DNA polymorphisms on populations bordering the Mediterranean coast and from Anatolia and mainland Europe.
We observe a striking structure correlating genes with geography around the Mediterranean Sea with characteristic east to west clines of gene flow.
Using population network analysis, we also find that the gene flow from Anatolia to Europe was through Dodecanese,
Crete, and the Southern European coast, compatible with the hypothesis that a maritime coastal route was mainly used for the migration of Neolithic farmers to Europe.


たぶんこっちのはオマケ

Ancient mtDNA from pre-pottery Neolithic B
http://dienekes.blogspot.jp/2014/06/ancient-mtdna-from-pre-pottery.html

http://2.bp.blogspot.com/-vFYSx1YbO5A/U5E3v5sMQqI/AAAAAAAAJn8/xr3qHusck_k/s1600/journal.pgen.1004401.g004.png

241 :世界@名無史さん:2014/06/11(水) 02:09:29.88 0
>>240

http://3.bp.blogspot.com/-PAxz6_ZQ26A/U5aR-CiJjzI/AAAAAAAAJog/tSO8H-TVWPU/s1600/paschou.jpg

Fig. 1 . Genes mirror geography around the Medi terranean coast.

( A) Geographic distr ibution of the pop ulations included in this study .
( B) Proj ection on top two principal compone nts of samples from 25 pop ulations genotyped on ?75,000 genome-wi de auto somal SNPs.

A clear clin e is obse rved with Anatolia(Cappadoc ia) connected to South ern Europe throu gh the bridge of the islands of the Dode canese and Crete .
Bedouins and Yemenites drift toward Central-South Asia.

No apparent gene flow betw een Northern Africa and the Southern coast of Euro pe is observed.

(C ) Projection on top two princip al compone nts of samples from 30 populations genotyped on the same set of SNPs presented in B.
Northern European population s have now been added ; Bedouin s andYemenites were removed.
The cline now continues through Central a nd Northern Europe.

242 :世界@名無史さん:2014/06/11(水) 02:20:02.57 0
>>240
まさかのデカンC10越え。ドデカンC12

Dodecanese
ドデカネス諸島
http://en.wikipedia.org/wiki/Dodecanese

ドデカニサはギリシア語で「12の島」を意味するが、実際には主要12島のほか約150の小島が含まれ、そのうち26が有人島である。
面積・人口とも最大の島はロドス島で、最大の都市はロドス。
聖ヨハネ騎士団ゆかりのロドス島、ヒポクラテスの出生地であるコス島、使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』を記したとされるパトモス島など、長い歴史に彩られた多くの史跡がある。


主要な島[編集]

ドデカニサ諸島
ドデカネス諸島(旧ドデカネス県)に属する主要な12島は以下の通り。

@パトモス島
Aレロス島(英語版)
Bカリムノス島
Cコス島
Dニシロス島(英語版)
Eティロス島(英語版)
Fアスティパリア島
Gシミ島(英語版)
Hロドス島(ロードス島)
Iカルパトス島
Jカソス島(英語版)
Kカステロリゾ島(メギスティ島)

かつては、サモス島やイカリア島も含めて「南スポラデス諸島」 (Southern Sporades) と呼ばれていた。

243 :世界@名無史さん:2014/06/11(水) 02:22:34.28 0
>>242
番号は上のと異なる

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Nomos_Dodekanisou.png/706px-Nomos_Dodekanisou.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/DodNr.png/787px-DodNr.png

244 :世界@名無史さん:2014/06/12(木) 23:11:57.63 0
>>240
ふたつは全然関係なかった。
下のサイトはちょっとおもしろい。


テル・ラマド遺跡(ダマスカス)
http://en.wikipedia.org/wiki/Tell_Ramad

テル・ハルーラ(ユーフラテス川流域)
http://en.wikipedia.org/wiki/Tell_Halula


http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2007moundsAndGoodesses/08/008_02_01.html
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2007moundsAndGoodesses/08/images/008_02_05.jpg

ハブール川流域にあるテル・セクル・アル・アヘイマルでは、鉱物混和土器は二種に分けられる。
化学的・鉱物学的分析の結果によれば、一方(玄武岩混和土器、図2a,b)は在地で製作されたということでほぼ間違いないが、
もう一方(初期暗色土器、図3)は搬入された可能性がある(Nishiaki and Le Miere 2005)。

同種の初期鉱物混和土器は、ハブール川流域内で他の複数の遺跡から見つかっている(Le Miere in press a)ほか、
ティグリス川流域(サラット・ジャーミー・ヤヌ、Miyake 2005)、ユーフラテス川、バリーフ川流域でも見られる(図4)。

ユーフラテス川流域のアカルチャイ・テペとテル・ハルーラ、バリーフ川流域のダミシリヤでも、この初期鉱物混和土器はおそらく搬入されていた。
そうすると、土器製作技術はこれらの遺跡で発明されたのではないということになろう。

245 :世界@名無史さん:2014/06/12(木) 23:47:04.06 0
>>216

さてさて、これより新しいのはあるのだろうか?


A major Y-chromosome haplogroup R1b Holocene era founder effect in Central and Western Europe
http://www.nature.com/ejhg/journal/v19/n1/full/ejhg2010146a.html

Coalescent Times

As the methodology assumes one founder, the expansion times will be inflated if multiple founders or recurrent gene flows have occurred.
Thus, these estimates should be viewed as the upper bounds of dispersal times.

A total of 1029 chromosomes were included in the Y-STR-based coalescent analysis involving components of the R1b-M343-affiliated phylogeny.

The coalescent estimate for the Y-STR network tree of 245 M269*+L23(xM412) chromosomes is 10?270±1680 years Before Present (BP).
This estimate approximates the median TMRCA dates (8.5?12.5k years) of M269 clade across Europe based on alternative demographic inference methodology.33
Our estimate of 8870±1708 years BP, based on 757 M412 chromosomes, suggests that the M412 lineage evolved in Europe soon after the arrival of a L23* ancestor.
The coalescent times for 11 sub-haplogroups averaged across populations in which the sample size was 5 are presented in Supplementary Table S2.
Notable are the equivalent expansion times for all S116 (n=481), Td=8630±1529 years BP and U106 (n=239), Td 8742±1551 years BP-related lineages.


http://www.nature.com/ejhg/journal/v19/n1/images/ejhg2010146f1a.jpg

246 :世界@名無史さん:2014/06/13(金) 00:09:11.81 0
やっぱこれだった>>240


Mitochondrial DNA Variation of Modern Tuscans Supports the Near Eastern Origin of Etruscans
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0002929707611069

http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr1.jpg
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr2.jpg


Figure 3.
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr3.jpg

Geographical locations of populations surveyed for R0a, HV (without H and HV0), U7, and U3 mtDNAs and their spatial frequency distributions.
Frequency maps of haplogroups were obtained using Surfer version 6.04 (Golden Software), with the Kriging procedure, and estimates at each grid node were inferred by considering the entire data set.
Etruria and the island of Lemnos (top) are indicated in yellow and red, respectively.


Figure 4.
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr4.jpg

Tree of the 209 mtDNA haplotypes observed among the 322 Tuscans (GenBank accession numbers EF026248?EF026569), subdivided according to their origin.


Figure 5.
http://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0002929707611069-gr5.jpg

Haplotypes found in Tuscany and shared exclusively with Near Eastern populations.
Shared haplotypes are shown in different colors.
Near East areas where the matching haplotypes were detected are illustrated on the map (inset) by colored circles.
A group of six related R0a mtDNAs with the basic motif 16126-16230-16362, as well as two HV mtDNAs with the motif 16172-16311-16352, were found only in Tuscans (black).

247 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 20:01:40.32 0
>>69
http://en.wikipedia.org/wiki/Pima_people

The Pima /?pi?m?/[3] (or Akimel O'odham also spelled Akimel O'otham - "River People", formerly oft simply known as Pima) are a group of Indigenous Americans living in an area consisting of what is now central and southern Arizona.

Currently the majority population of the surviving two bands of the Akimel O'odham is based in two reservations
- the Keli Akimel O'otham on the Gila River Indian Community (GRIC) and the On'k Akimel O'odham on the Salt River Pima-Maricopa Indian Community (SRPMIC).

248 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 20:12:01.57 0
>>62

A genetic atlas of human admixture history
http://admixturemap.paintmychromosomes.com/

249 :世界@名無史さん:2014/06/19(木) 00:17:20.27 0
欲しいあたりは載ってない

>>234

最新の研究成果で浮かび上がってきた古代ケルト人像
http://www.archeonews.net/2012/03/blog-post_24.html

ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の人類学教授Bettina Arnold氏は10年以上に渡ってドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州にあるホイネブルク丘上集落の発掘を行ってきた。
ここにある2600年前の2基のケルト人墳墓から、装飾品や酒器を含む遺物が発見された。
墓から発見された杯やその他の輸入品から、ヨーロッパ中央部のケルト人は地中海岸の人々と交易を行っていたことが分かってきた。

ビールは蛮族の飲み物だが、ワインはエリートのための飲み物だった。
当時ブドウは中央ヨーロッパにはもたらされていなかったため、輸入されたワインを得ることができたのは地位の高い者たちだった。
ケルト人も蜂蜜をベースにハーブや花で香り付けをした酒を作っており、ビールよりは高価だったが、ブドウのワインほどではなかった。

ケルト人は小麦もしくは大麦で、ホップを使わないエールも作っており、蜂蜜酒と混ぜるか、またはそのまま飲んでいた。
しかし貯蔵ができず、すぐに消費しなければいけなかった。


上流階級では、アルコール類をたくさん摂取することが、質の良いものを飲むのと同じくらい重要だった。
Arnold氏はアルコール飲料をサーブするための完全な大釜を、ホイネブルクの墓の1つから発見した。
もっとも、1970年にホッホドルフの近くで発見された族長の墓には杯として使用された9つの角が出土しており、そのうちの1つは10パイント(約5リットル)の容量があったという。

ケルト人はアルコール好きで知られるだけでなく、派手な装飾ときらびやかなストライプもしくはチェックの衣装を身にまとっていたと古代ギリシア、ローマの人々は語っている。
衣服や皮は遺物としては残りにくいため、この話が本当だったかどうかを調べることが難しかった。

250 :世界@名無史さん:2014/06/19(木) 00:18:33.59 0
>>249

ホイネブルクの埋葬ではこれらが残っていた。
一方で、酸性の土壌であったため、骨は残っていなかった。
Arnold氏らは、新たな技術を用いて衣服や装飾品の復元を行っている。

Arnold氏ら、ヘアピンや宝石、武器、衣服の留め具などの、もろい金属製品を取り上げることはせずに、遺物を含んだ状態で底のブロックを石膏で固めてしまい、密封してCTスキャンをかけた。

その結果、位の高い女性が身に受ける皮のベルトが発見された。
ベルトは何千もの青銅の留め具で作られており、作るのには長い時間がかかっただろうとArnold氏は述べている。
CTスキャンによる調査は埋葬時の衣服の状況を細部まで明らかにできるだけでなく、また、衣服から被葬者の性別や、大人か子どもか、既婚者か、社会の中で重要な地位を得ていたかどうかなどを知る手掛かりにもなるという。

例えば、女性の頭のヴェールを留めていたピンの存在は、被葬者が既婚者であり、おそらくは子どもがいたことを示している。
左手に腕輪をしているのは男性であり、両腕に腕輪をし、首飾りをつけているのは女性の墓でしか見られない。

亜麻布や毛糸に接していた金属製品は特に重要な遺物として扱われる。
金属に付着している微細な繊維を顕微鏡で調べることで、衣服の色や模様を復元する手掛かりになるのだ。

251 :世界@名無史さん:2014/06/19(木) 00:45:05.39 0
>>234
ここは色々と見れる

The Hochdorf Passage Grave
http://www.ancientworlds.net/aw/Places/District/508443

http://i166.photobucket.com/albums/u86/heleshau/h_grh6.gif
http://i166.photobucket.com/albums/u86/heleshau/Hochdorfcouch1.gif


The barrow was found to contain two wooden burial chambers one situated inside the other.
In the inner chamber was found the remains of a man and a number of burial gifts.
The man who occupied the log cabin-style burial chamber had been an impressive figure in life. Visibly striking he stood 6'3" tall (1.92 m) towering over his contemporaries.
He was about 45 years of age when he died and was laid out in state on an elaborately decorated bronze couch thought to be of Greek origin.
The couch was held up by cast bronze human figures riding unicycles.it was covered with furs and other fabrics and situated along the west wall of the chamber.
On and around his body were various objects of personal adornment: a conical birch-bark hat, a gold torc and bracelet -- his belt, dagger and even his shoes were covered with gold foil.
At his feet stood an enormous bronze cauldron of Western Greek manufacture and decorated with Lions. it had been filled with mead it's capacity 70 gallons (318 litres) At his head and along the south wall hung nine drinking horns.


180cmを超える大男で横たえられていた長イスはギリシャ起源?
そんで毛布で覆われていたってので、ほぼ記述は一致か。
ふむふむ

252 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 01:22:29.57 0
>>89
何処かで見かけたんだけど
カディスが外洋交易の中心地であった時期が過去にあって
その後、内陸を通るルートに変化した説があったような気がする

253 :世界@名無史さん:2014/06/23(月) 03:09:02.73 0
イギリスの青銅器時代遺跡
ケント集落址(紀元前1300〜前900年)出土の家畜馬
この馬の中足骨のプロポーションは、モンゴルやボタイのものと一致するらしい。


http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Bronze_Age_hoards_in_Britain
ここにはないのかな?

254 :世界@名無史さん:2014/07/11(金) 23:38:09.78 0
ブリタニアに製鉄が広まったのはBC750年頃のようだけど、
これは何から判断したんだろうか、、、

逆に1000年頃にエーゲ海で製鉄が確立とあるのは遅い気もする

255 :世界@名無史さん:2014/07/11(金) 23:52:54.12 0
>>254
ブリテンの先史時代

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3
http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistoric_Britain

http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistoric_Britain#The_Iron_Age

256 :世界@名無史さん:2014/07/12(土) 09:52:55.00 0
青銅器時代から鉄器時代のタガールについて触れられていておもしろい。



チャンドマン遺跡出土の青銅器時代人骨の形質人類学的研究
http://www.kyoto-bhutan.org/pdf/Himalayan/007/Himalayan-7-223.pdf


1.はじめに

チャンドマン遺跡はモ ンゴルの西部、ウ ランゴム市の近郊に位置する (Fig.l)。
遺跡の年代は青銅器時代から鉄器時代初頭、紀元前7世紀から 3世紀に相当する。
この遺跡の墳墓からはおよそ50体ほどの人骨が出土している。

そのうち8体の人骨は木棺墓から検出されており、残りの人骨は石棺墓に納められていたものである。
両タイプの墓とも棺の材質のみの違いであり、考古学的にも同じ形式の墓であることが確認されている。

257 :世界@名無史さん:2014/07/12(土) 09:57:21.56 0
>>256


4 考察

シベリアのモンゴロイドを詳細に研究している石田(1994,1995)によると、西シベリアの住民
は新石器時代の初めはモンゴロイド的であるが、徐々に顔面が立体的になり、青銅器時代にもっとも顕著になるという

鉄器時代以降は再びモンゴロイド的になるが、この現象は青銅器時代のコーカソイド系の人々の東への侵入と、
鉄器時代のモンゴロイドの押し返しという現象を反映しているという

モンゴルにおいても冒頭で述べたようにモンゴロイドとコーカソイドが複雑に入れ替わってきた史実が知られている。

(略)

南西シベリアの鉄器時代人のタガールは、その頭骨においてコーカソイド的な特徴をもつことが指摘されている資料であるが (Kozintsev,1977)、
チャンドマン遺跡とも地理的に近く、また顔面平坦度においてもタガールと似た傾向を示したことは興味深い。

しかしチャンドマン遺跡の頭骨には、肉眼観察からも一見してわかるようにモンゴロイド的な平坦な顔立ちの資料も見受けられる (Fig.4)。
チャンドマン遺跡人は、歯の形態においてもコーカソイドとモンゴロイドの中間的な特徴が示されたが、どちらかというとコーカソイド的特徴がやや強いようである。

新石器時代のチャンドマン地域あるいはその周辺地域に由来するモンゴロイドと後の青銅器時代に侵入したコーカソイドとが混交し、
その結果、チャンドマン遺跡人においてはコーカソイドがやや優勢な集団構成になったものと解釈される。

258 :世界@名無史さん:2014/07/12(土) 11:03:43.07 0
あのへんはコーカソイドとモンゴロイドの分布境界で、時代によって主体が変わるんだよな
 アファナシェヴォ文化(コーカソイド)→オクネフ文化(モンゴロイド)→アンドロノヴォ文化(コ)
 →カラスク文化(モ)→タガール文化→タシュティク文化

タシュティク文化の遺跡からは葬儀用仮面が出てるけど、やはり混血的な特徴をもった面立ちになってる
http://img-fotki.yandex.ru/get/6112/32225563.75/0_8efb2_d93b946b_orig

259 :世界@名無史さん:2014/07/12(土) 12:20:04.97 0
見てる人が居ると思わなかったww

>>258 もこもこ
ちなみにさらにその前に遡ることもできて、昔はヨーロッパ人種なんだよね

260 :世界@名無史さん:2014/07/12(土) 16:34:19.92 0
これはなかなか良い@俺的に

The Ancient Human Occupation of Britain (AHOB)
http://www.ahobproject.org/About.php

http://www.ahobproject.org/OverviewMap_Large.jpg

261 :世界@名無史さん:2014/07/15(火) 23:46:10.73 0
クロービス文化の起源、定説に疑問
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140715003&n_gadget=0000

Gloria Dickie,
National Geographic News
July 15, 2014

 メキシコにある「世界の終り」と呼ばれる発掘現場で、アメリカ先住民の起源とされる遺物が発見された。
それぞれ4本の牙を持つゾウに似た絶滅種2体の骨と、その周囲を取り囲むようにして見つかった1万3400年前の尖頭器(槍先)である。

 メキシコ北西部、ソノラ砂漠にあるエル・フィン・デル・ムンド(スペイン語で“世界の終り”)で発見されたこれらの骨は、
アメリカ大陸において明確に定義されている最古の文明に属するクロービス人が、ゴンフォセレ(Gomphothere)を食用としていたことを示す初の考古学的証拠である。
ゴンフォセレはゾウ目の古代動物で、現代のゾウと同程度の大きさがあった。

 考古学者が注目しているのは、クロービス人が何を食べていたかだけではなく、その残り物の年代である。
アリゾナ大学の考古学者バンス・ホリデー(Vance Holliday)氏によると、エル・フィン・デル・ムンドで見つかったクロービスの遺跡は、
これまでで最も古く、発掘場所としても最南端である。

クロービス人といえばベーリング地峡が起源と考えられてきたが、そこからはるか遠く離れた場所での発掘を受けて、
研究者らはアメリカ先住民の起源に新たな疑問を抱き始めている。

 クロービス文化は長いこと、北アメリカの南西、氷河の南とベーリング地峡一帯が起源であると考えられてきた。
しかし、テキサス州とエル・フィン・デル・ムンドでさらに古いクロービス人の遺跡が発見されたことで、その見方に疑問が出てきた。
両者の放射性炭素年代はほぼ同じ1万3400年前と測定されている。

262 :世界@名無史さん:2014/07/15(火) 23:47:50.21 0
>>261

「ここにきて突然、最古のクロービス遺跡が北アメリカ南部の2カ所で発見された。
これは、クロービス文化の起源が北にあるのではなく、どこか別の場所にある可能性を示唆している。
そして、これまで考えられてきたよりも古い起源を持っているのではないかと思われる」と、ホリデー氏はいう。
同氏はナショナル ジオグラフィックから助成金を受けている。

 キャロルトンにあるウェスト・ジョージア大学の考古学者トーマス・ジェニングス(Thomas Jennings)氏は、
エル・フィン・デル・ムンドでの発見によって、クロービス文化をめぐる今まで分かっていなかった謎に回答が与えられようとしていると話す。
中でも最も興味深いのは、クロービス人の技術が大陸全体に行き渡っていたということである。

例えば、独特な槍の先は長くて幅も広く、両側が刃になっている。
この槍先が、クロービス人の移動に伴ってアメリカ大陸全体に広がっていったのか、
それとも既に住んでいた他の先住民族に技術だけが広まったのか、それは定かではない。

「これほど遠く南へ離れた場所で最古のクロービスの遺跡が見つかったということは、
クロービス文化の起源がおそらく北アメリカ南部のどこかにあるということだ。
アメリカ大陸の定住の歴史において、それは様々な意味を持つ」とジェニングス氏は言う。

263 :世界@名無史さん:2014/07/15(火) 23:48:51.65 0
>>261

◆氷河期の動物

 ある牧場経営者からの連絡を受けて、2007年に初めてエル・フィン・デル・ムンドを調査した考古学者らは、
マンモスあるいはマストドンの骨でも出てくるのではないかと期待していた。
ところが、出土した動物の顎の骨を見て、自分たちは何か全く別の物を手にしているのだということが明らかとなった。

 クロービス人はマストドンやマンモス、バイソンなど巨型動物類を狩ることで有名だが、
北アメリカでは珍しかったゴンフォセレまで狩っていたとは考えていなかったとホリデー氏は言う。

 ゴンフォセレは、最後の氷河期の間に中央アメリカおよび南アメリカで多く見られ、
南アメリカでは主に高地の草原地帯に生息していたが、1万年ほど前に絶滅した。

 この研究は、7月14日付「Proceedings of the National Academy of Sciences」に発表された。

264 :世界@名無史さん:2014/07/15(火) 23:53:12.14 0
最近聞いた耳寄り情報としては、
チュクチと、アジアエスキモーは不倶戴天の敵らしい

よってシベリアとアラスカの交流はほとんど無いということみたいだ

265 :世界@名無史さん:2014/07/16(水) 23:51:37.85 0
>>261

エル・フィン・デル・ムンド(スペイン語で“世界の終り”)ということで、おまけしてみる。



聖ブレンダン諸島

http://en.wikipedia.org/wiki/Brendan
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Brendan%27s_Island


アンティリア島
http://en.wikipedia.org/wiki/Antillia
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5e/Pareto_1455.jpg

1455 map of Bartholomeo Pareto. Antilia is the large island on the western edge.
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Pareto_1455.jpg

266 :世界@名無史さん:2014/07/17(木) 02:52:43.49 0
>>265
なるほど、特定URLが弾かれるということかな?

聖ブレンダンの航海ホーム

267 :世界@名無史さん:2014/08/19(火) 17:09:38.40 0
イギリス人が先進だったからです
近代文明=アングロサクソンの文明
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1408433149/

268 :世界@名無史さん:2014/08/26(火) 20:25:59.40 0
7月は不作だったけど、8月は豊作のもよう
http://dienekes.blogspot.jp/2014_08_01_archive.html

269 :世界@名無史さん:2014/08/26(火) 22:28:47.01 0
>>268

ISBA 2014 titles からコピペしてみる
とりあえず、かなりの部分が出揃うんじゃないだろうか?


Investigating the maternal lineage diversity from an early medieval site in Southern Italy

Ancient mitochondrial and Y chromosomal DNA reveals the western Carpathian Basin as a corridor of the Neolithic expansion

Ancient mitochondrial DNA from the Northern fringe of the Neolithic farming expansion in Europe sheds light on the dispersion process

The effect of demography and natural selection on pigmentation heterogeneity in late Pleistocene and early Holocene Europeans

The genomics of equine speciation and domestication

Ancient population genetics: new insights on horse domestication

Species identification and analysis of the Tyrolean Iceman's clothes using next generation sequencing of ancient DNA.

Early evidence for the use of pottery: extending the ancient lipid record to the Pleistocene.

Whey to go ? first identification of lactose in prehistoric pottery

270 :世界@名無史さん:2014/08/26(火) 22:29:50.35 0
>>268

Use of the earliest pottery on the Western and Eastern side of the Baltic

The geographical distribution of the Polynesian cultural complex and its association with P33-C2a1 Y chromosomes: adding data from Aotearoa (New Zealand)

Interdisciplinary investigation of an archaic hominin femur from the Swabian Jura (South-West Germany)

Tracing the genetic history of farming populations of El Portalon Cave in the Sierra de Atapuerca, Spain.

Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans

Ancient DNA from Early Neolithic farmers in Europe

Genomic diversity and admixture in Stone-Age farmer and hunter-gatherer groups in Scandinavia

Ancient DNA reveals the complex genetic history of the New World Arctic

A prediction of the hybridisation potential between Hominin species using mitochondrial DNA

Population Genomics of Vikings

Tracing the genetic profile of Sus scrofa on Romanian territory from the Neolithic period until the Middle Ages

The origins of the Aegean palatial civilizations from a population genetic perspective

Ancient DNA evidence for a diversified origin of ancestor of Han Chinese

271 :世界@名無史さん:2014/09/20(土) 20:37:01.23 0
さてさてLBKの進入経路に関するもので
ハンガリーの古代人に関する研究


http://dienekes.blogspot.jp/2014/09/y-chromosomes-and-mtdna-of-early.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Star%C4%8Devo_culture

これはきちんと読んでも損はないと思う、
まあまだ読んでないんだがww

272 :世界@名無史さん:2014/09/21(日) 13:45:52.16 0
これやっと論文で出たんだね

Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans
http://www.nature.com/nature/journal/v513/n7518/full/nature13673.html


とりあえず、結論とかに変更はないと思うんだけど
前と変わらず三つの系統にわりとアバウトに別けちゃってるな
まぁ、見つかってる考古人骨からしょうがないんだろうけど
http://www.nature.com/nature/journal/v513/n7518/images/nature13673-f2.jpg

1.西ヨーロッパ狩猟採集民
2.古代北ユーラシア人
3.近東起源の初期地中海農耕民

なかを見たら細かく別けてあったりするのかな?

273 :世界@名無史さん:2014/09/25(木) 00:08:32.45 0
>>271

Y-chrのハプロが見つからないけど
mtDNAはHが特徴的にみえるな。

北(5500-4800BC) LBK
中(5600-4900BC) LBKT
南(6000-5450BC) STA: Star?evo culture

LBKTでのボトルネックでHが中央ヨーロッパでH比率が高まったと考えるべきなんだろうか。

HGCN: Hunter-gathersers in Central and North Europe

もうひとつはハプログループUに関して、U5a,U5b とも 
HGCNの比率が高いのに、STAには見られないってことかな。

ドナウ地域での現地採取民と侵攻農耕民の混血は
たしか男女差が見られる形だったと思うけど、うーん

274 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 01:05:01.12 0
>>268

ASHG 2014 titles and abstracts
http://dienekes.blogspot.jp/2014/08/ashg-2014-titles.html


ヨーロッパに関係するものは、


Capture of 390,000 SNPs in dozens of ancient central Europeans reveals a population turnover in Europe thousands of years after the advent of farming.

Insights into British and European population history from ancient DNA sequencing of Iron Age and Anglo-Saxon samples from Hinxton, England.

Fine-scale population structure in Europe.

The population structure and demographic history of Sardinia in relationship to neighboring populations.

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